F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年10月6日  主なき日本GP

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

主なき日本GP

不安定な天候、相次ぐ事故、そして現状の勢力図がそのまま表れたレース結果…..。3年振り/21回目の鈴鹿は想像を超えるドラマを魅せてくれた。前回も書いたように、’09年第15戦日本GPは残り3つのタイトル決戦の初戦として全世界から注目を浴びることとなった。そしてポイント上は絶体絶命の若武者・セバスチャン・ヴェッテル(レッド・ブル・ルノー)は完璧な仕事をしてタイトル獲得に僅かな望みを残し、選手権をリードするジェンソン・バトン/ルーベンス・バリチェロのブラウンGP勢は現状の戦闘力以上のものはなんら引き出せず、”消去法”によるタイトル確定へ向け淡々とレースを進行した。そして、多くの”鈴鹿未経験組”ドライバー達の初チャレンジは、手痛い洗礼となって多発する事故へと繋がって行った。

…..3年振りの日本GP・鈴鹿開催は当然メディアの注目の対象ともなり、webや雑誌を初め、各媒体に多数取り上げられる。基本的にレースそのもののレポートはプロの方にお任せし、STINGER村民となって初めての鈴鹿を、スクイチオレなりの”バリアの外側目線”でレポートしようと思う…..あくまでもオレなりの、ね。

富士スピードウェイとの争奪戦を経て、200億円の大改装を行い3年振りにF1グランプリ・カレンダーに復活した鈴鹿サーキット。復活の経緯は簡単明瞭、トヨタによる買収で鈴鹿から日本GP開催権を奪った富士スピードウェイの僅か2年での開催撤退により、例えるなら”別宅から実家に帰って来た”ような状況と言える。ま、F1は長年連れ添った鈴鹿との信頼関係よりも、大金を手に現れた派手に着飾った富士の誘惑に乗り、多くのボロを出した挙げ句去って行った富士から”元さや”へと戻って来た、ということ(苦笑)。ただしF1側にも価値観の進歩はあり、鈴鹿復活に際してはいくつかの条件を提示した。そのひとつが他のグランプリ・サーキットと同様の”設備の充実”である。
最も大幅な改装ポイントは東コースの路面改修とピット/パドック裏の拡張整備。この内パドック裏に関しては、FIAが多くのサーキットに求める基準を満たすために、遂に鈴鹿名物・山田池が埋立てられることになった。鈴鹿はご存知の通り、世界有数の珍しいレイアウトである”立体交差付きの8の字形サーキット”である。こうなった理由の多くはその立地にあり、1962年にホンダが当地にサーキット建設を計画した際、ホンダ創業者・本田宗一郎による「田んぼは絶対に潰すな」というお達しの元、苦労の末にこのような特殊なレイアウトとなった。しかし、宗一郎没後20年近くを経て、遂にそのポリシーにメスが入ることとなった(田んぼと池の関係に関しては筆者別ジャンル・no river, no life参照)。’07年11月から’08年5月にかけてピット裏の山田池の埋立工事が行われ、大きく延長された新たなピット・ビルを新設、更にピット裏の池を埋立てた敷地に新たなパドックが広がることとなった。完成したそれは間違いなく、他のF1サーキットと見劣りしない立派なものでもあり、同時に世界中何処のF1開催サーキットへ行っても”同じ風景”とも言えた。…..オヤジさん(宗一郎)が生きていたら何と言っただろう。「だったらやんなくていい!」と、FIAに喧嘩を売ったかも知れない。
新しいピット・ビルはVIPルームを併せ持つ3階建てで、メイン・スタンドからの眺めは単純に言って”羨ましい”限りのものである。ガラス張り構造などの特徴はまさに近代サーキットのそれであり、ピット・エリアだけを見ているとそれが鈴鹿なのか上海なのかセパンなのか解らない。しかしFIAが望むのはこう言ったスタッフ・エリアの統一感である。ただ、大改修の言い出しっぺであるバーニー・エクレストン自身、今回の大改修に関し「コースは絶対に変えるな」とお達しを出した。それほどまでに、鈴鹿は世界屈指の名レイアウトのサーキットである証しとも言える。

さて、鈴鹿開催が3年振りとなったことで、今回の日本GPにはひとつ重要な要素が存在した。全20人のF1ドライバーの中で、’07年デビューのルイス・ハミルトン(マクラーレン・メルセデス)、ヘイキ・コヴァライネン(マクラーレン・メルセデス)、セバスチャン・ヴェッテル(レッド・ブル・ルノー)、エイドリアン・スーティル(フォース・インディア)、中嶋一貴(ウィリアムズ・トヨタ)、そして’09年デビューのロマン・グロージャン(ルノー)、ハイメ・アルグエルスアリ(トロ・ロッソ・フェラーリ)、セバスチャン・ブエミ(トロ・ロッソ・フェラーリ)の実に計8人がF1初鈴鹿(ヴェッテルはサード・ドライバー経験のみあり)。この2年間の日本GPが富士で行われていたことから、F1カレンダー上で最も難しいコースと言われる鈴鹿に半数近いドライバーが初挑戦という事態となった。つまり予選でのブエミ、アルグエルスアリ、コヴァライネン、決勝でのアルグエルスアリと、クラッシュがことごとく鈴鹿初挑戦ドライバーだったのは決して偶然ではない。しかも、これらのクラッシュは全て高速コーナーが連続する西コース側で起きている。’06年全日本F3王者のスーティルはさすがの走りを見せたが、F1参戦5戦目のグロージャンも決勝でスプーンをオーバー・ランしており、結果的に多くの”コース・オフ・ドライバー”はことごとく鈴鹿初体験組だったと言える。
実は、これには今回の大改修が大きく関わっていた。東コースの路面は改修によって新しくされたが、西コース側は従来のまま。130R〜シケイン手前では完全に新旧の舗装が入れ替わるポイントが目視出来た。これは東西でタイヤのグリップ面にかなりの差が出る要因となる。また、新たに広く取られたランオフ・エリアも東側に集中していた。1コーナーの左側は従来コース・オフ/オーバー・ランするとサンド・トラップに一直線だったが、1コーナー出口付近から2コーナーへ向けて深めのラン・オフ・エリアが新装されていた。土曜の予選後に行われたポルシェ・カレラ・カップ第9戦では1コーナー内側の縁石に乗ったマシンがスピンする場面があったが、事実そのまま容易にマシンを再スタート出来ている。しかし西側、特に今回クラッシュが多発したデグナーや130R付近のラン・オフ・エリアの広さはまだ充分とは言えず、レース後にはバリチェロが「鈴鹿は経験不足のドライバーにとって危険なトラックになってしまった」と警告。ちなみに予選Q2の最終コーナー出口でクラッシュし、決勝を欠場したティモ・グロック(トヨタ)も、’04年にジョーダンから出走して以来の鈴鹿であり、今までにも増して東西のマシン・セッティング及びドライビングにシビアなコースとなったと言える。しかし、その中で完勝したヴェッテルと3位ハミルトンのドライビングはやはり特筆に値する。また、スタートでKERS搭載の3位ハミルトンにやられたイン側スタートのヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)もまた、さすがベテランという見事なラップを刻んで2位を奪い返した。もちろん素晴らしいピット作業を行ったトヨタのクルーの仕事ぶりも賞賛に値するが、この富士撤退/鈴鹿復活初戦がトヨタの母国GP初表彰台というのも皮肉な結果である。

さて、そのトヨタ。今回はグロックの発熱により金曜の2回のフリー走行にサード・ドライバーである小林可夢偉が代理出場。難しいウェット・コンディションの中、慎重にトヨタTF109をドライヴした可夢偉は「セット・アップがグロックのものなので何もいじれなかったのと、とうとう最後までステアリングのボタンが覚えられへんかった」と笑っていたが、出場が当日朝に急遽決まったことを考えれば12番手は立派である。しかも可夢偉自身鈴鹿は6年振りとなり、’09年のF1テスト走行が1月以来であることを考えればその対応能力は特筆すべきものと言える。だが結果的にぶっつけ本番のグロックは予選で速さを見せたがQ2で目を覆うような大クラッシュ、決勝レースを欠場することになったのも皮肉な結果だった。
しかし…..前戦シンガポールGPで2位のグロック、今回チームの母国GPで2位のトゥルーリ。確かに2戦連続でマシンにアップ・デートが加わり、競争力の増したトヨタTF109ではある。しかし、こんなに良いドライバーをトヨタは手放すのか。それとも他の、トヨタの判断による実力派ドライバーであればこれを上回る成績となるパッケージングを実現している筈、と言うのか。契約解除や移籍が発表された途端に明らかに良い成績を出すドライバー、と言うのはたまにいる。どう言うことなのかと言えば、単純に言ってチームがドライバーの能力を引き出せていなかった証拠である。ことにトゥルーリはプロスト時代の’99年に、”マシン・パフォーマンスが一定以上でない場合は自分から契約を解除出来る”と言うオプションを持っていた。この年のプロスト・チームのマシン/体制は散々なもので、シーズン終盤までたった1ポイントしか獲得出来なかったためにトゥルーリはこのオプションを行使し、ジョーダン移籍を発表。しかしその翌戦のヨーロッパGPで突然2位表彰台を獲得、という”前科”を持っている。また、そのトゥルーリの第14戦シンガポール、今回のグロックに見られる”体調管理”、これもチームの仕事の一部である。”何故勝てないのか”は、全ての要素を上手くコントロール出来ていない状況では解る筈もない。

続いて、トヨタと共に母国GPとなる中嶋一貴も、実は鈴鹿F1初体験組である。が、正直これと言って特別なことは何もなく、フリー走行でそれなりの順位にいながら予選Q1で詰めの甘さを露呈し、結果重い燃料を積んで1ストップ作戦を敢行しなければならない、といういつもの悪い流れを断ち切ることが出来なかった。スタート前、一貴はペナルティで後方へ下がったフェルナンド・アロンソ(ルノー)を警戒してか、3回に渡ってバーン・アウトを行った。それだけ燃料を減らした効果はスタートに表れたが、ピット・ストップ後のレース後半をソフト・タイヤのみでは勝負になる筈もなく、またしてもノー・ポイント・レースとなってしまった。ついでに…..1コーナー手前にいたオレの眼の前でスリップ・ストリーム争奪戦を制し、一貴を豪快にインから差して行ったビタントニオ・リウッツィ(フォース・インディア・メルセデス)は最高にカッコ良かった。ちょっとファンになりかけている(苦笑)。
決勝レース/残り10周でのアルグエルスアリのクラッシュはまたも西側130Rで起きた。トロ・ロッソは一体何台マシンを壊したのか。残り3周からのリスタートは確かに観客を盛り上げたが、速さと危うさによる危機感を感じたレースだったことは否めない。しかし、フリー走行3回目のブエミは本当に速かった。だがそれは逆に、鈴鹿の路面に上手く対応したトロ・ロッソの新しいサスペンションとディフューザーの効果であり、それを過信した若きブエミはQ2でスプーンを曲がり切れずクラッシュ。せっかくの上位グリッド獲得の夢も砕け散り、しかもペナルティまで食らってしまった。アルグエルスアリも今シーズンのベストの走りを見せたが、予選はデグナー出口でクラッシュ、決勝でも130Rで最後のセーフティ・カー導入のきっかけとなる大クラッシュを引き起こした。フリー走行でのレッド・ブルのウェバーのクラッシュも含め、レッド・ブル+トロ・ロッソは3人で5台がクラッシュ、路面未改修の西側は彼らにとって鬼門となった。しかし、その全てを3日間とも完璧に走った”もうひとりのレッド・ブル”であるヴェッテルはやはり別格と思い知った。

鈴鹿が世界に誇るコース・マーシャルは今回も非常に優秀だった。ドライバーズ・パレードの中継を観た方もいると思うが、相変わらずお茶目で、フレンドリーで、そして対応は迅速だった。これだけ度重なるクラッシュ〜赤旗という状況で、マシンがタイヤ・バリアに突き刺さった瞬間に、一番近いマーシャルは既に現場に向けて飛び出している。予選Q2のグロックの事故では、衝突後にグロック自身がステアリングを外した次の瞬間、既にひとり目がコックピットに駆け寄っていたのが解ったと思う。事故後の処理も早く、決勝終盤のアルグエルスアリの事故は他のサーキットだったらセーフティ・カー・フィニッシュだったかも知れない。逆に、これだけの対応が出来る彼らが朝4時にサーキット入りし、あの迅速な対応のために様々なケースを想定してリハーサルを繰り返していたことを覚えていて欲しい。各ポジションでの決勝レース前後の”マーシャル挨拶”に送られた拍手/声援は、とりあえずドライバー紹介時のグロージャンよりも大きかったのも事実だ。

さて、最後に重要な事項をもうひとつ。
TV中継での印象がどんなものだったのか、は人それぞれである。が、3年振りとなった今年の鈴鹿は…..正直”ガラガラ”だった。鈴鹿サーキットの公式発表によれば、雨の金曜が3万1千/土曜が7万8千/決勝の日曜が10万1千人で、計21万人。が、現場の体感は明らかに違う。最盛期には最大30万人を動員した鈴鹿で、スタンド、駐車場、そして近鉄白子駅などの近隣施設にまで及んで”空いていた”と言える。昨年の富士の決勝日が10万5千人という発表だったが、’06年の鈴鹿”暫定最終戦”時は決勝日16万人の計36万人。3年振りの今回はあまりにも落ち過ぎである。
確かにホーム・ストレート・エンドから2コーナーにかけてや、ヘアピン付近は多くの観客で埋め尽くされたと言っても過言ではないが、実際グランド・スタンドには隙間が多く、S字から逆バンク、最終コーナーあたりでは最上段以外は殆ど観客がおらず、雨の中フリー走行初日から駆け付けた熱心なファンがいる反面、土曜日の予選で感じた不安は決勝日に現実のものとなってしまった。また、今回から全席指定となったため、フリー走行や予選、決勝とブロックを移動しながらの観戦はほぼ難しくなった。故に、席が埋まっているかどうかは一目瞭然ともなった。
今年の鈴鹿の観客の特色を掴む容易な要素がある。それはもしかしたら如何にも”バリアの外側目線”なのかも知れないが、間違いなく鈴鹿に来られた皆さんが感じること。それはファンの着用するウェアやキャップによるファン層の識別、である。
まず、当然のようにダントツなのは深紅のフェラーリ、それも男女を問わずキミ・ライコネン・ファンが多い。フェリペ・マッサはハンガリーGPでの事故で来られなかったが、それでも日本に馴染みの深いジャンカルロ・フィジケラを擁してダントツ人気である。続いて濃紺のウィリアムズ、比率は7対3で一貴/ロスベルグ、という印象。ここまでは良い。むしろその比率を覆す要素は正直ないからだ。問題は次である。
もちろん観客全員を見たわけではないが、恐らくこれは今年の鈴鹿全体に当てはまる筈である。次は白地にイエロー・カラーのルノー/アロンソ、国内での営業の甲斐あって目立つ存在となったレッド・ブル、そして白に青のBMWザウバー…..お気づきかも知れないが、ここまで出て来ない重要なチームがいる。…..母国GPを迎えた、唯一の日本チーム・トヨタだ。
昨年/一昨年の富士で見られたようなトヨタ応援団は今年の鈴鹿にはいない。スタンドも、2コーナー先に一貴応援スタンドは設けられていた(ただし統一カラーは紺ではなく赤基調)。が、母国GPを迎えた日本チームとしては意外なほどにその比率が低い。ここで’07年の応援フラッグ規制などの話題を出すとキリがなくなるので触れないが、地元富士でなくなった途端、それも最大のライバル・ホンダやスーパー・アグリが去り、唯一の日本からの参戦チームとなった今年にこの少なさは全く不可解な光景だった。面白い現象として、携帯サイズのトヨタ応援フラッグは多数振られているが、その面々の着用するウェアは決してトヨタのものではない、という光景が見て取れた。そこに何があるとは言わないが、根っからトヨタを応援する、もしくはナショナリズムとして日本を応援する姿勢はあまり感じられなかったのである。ホンダ、BMWと続くF1撤退の次に噂の的となるトヨタに、確かに自発的に応援しようという要素は限りなく少ない。親会社の動きと現場のレーシング・チームのスピリット、更にそれを支えるファンの想いがひとつにならない限り、彼らにF1を背負って立つことなど到底無理な話なのである。
そして、続く少数派となるのがマクラーレン、ブラウンGP。ブラウンGPは今年からの新チームであり、グッズそのものの歴史も1年未満であることを考えれば当然である。ただもうひとつ、筆者の予想を大きく裏切ったのが”ホンダ懐古派”の少なさ、である。
’07年、富士への開催権の移動でF1観戦を見送った人は少なくない。鈴鹿こそF1日本GPであり、完全なる聖地となるだけの歴史と進化を、鈴鹿は観客と共に遂げて来た。それがある日突然勢力図が政治的に変わり、一旦は鈴鹿終了宣言が出され、富士に移った初年度はあまりにも上手く運ばず、更なるF1離れ/日本GP離れが進む。そうこうする内にホンダがF1を”休止”でなく”撤退”。続いて鈴鹿/富士の相互開催契約から富士が脱落し、今年鈴鹿で”主なき日本GP”が開催される。その答が今回の観客の少なさであり、ファン層の変化なのである。当然かつてのJPSカラーやベネトンなどのウェアを着るオールド・ファンの姿も見られるが、たった1年前にはそこにいたホンダの裏切りは、日本からF1という言葉を消しかねないほどの事件だったのである。
イベント・ゲストとして呼ばれた佐藤琢磨はファンに向けてこう言った「こんな形で鈴鹿に帰って来たくはなかった」…..その胸中は察するに余りある。それはファンも同じ気持ちであり、それが具体的に表れたのが観客の少なさであり、トヨタの不人気さであり、何があっても永遠であるフェラーリの固定人気なのである。何故なら、彼らは嘘をつかない。

今回、3年振りの開催を記念し、日本GP入場者全員にそのバーニーと、鈴鹿サーキットを運営するモビリティランド社長・大島裕志氏からのスペシャルDVDが配られた。内容は過去20回の鈴鹿戦を振り返るダイジェスト版だが、これが実に素晴らしかった。しかし、観ながらとても重要なことに気づく。
「今年の鈴鹿はいったい誰が主役なのか」
開催初年度から5年連続で王者に君臨したホンダ。鈴鹿を愛し、鈴鹿で3度のタイトルを穫ったアイルトン・セナ。時代を築き、ここ鈴鹿で最多6勝をあげたミハエル・シューマッハー。…..ここまで、常に鈴鹿には象徴的な誰かがおり、多くの伝説と共に鈴鹿の歴史を刻んで来た。が、君臨する筈のブラウン勢は中団に埋もれ、母国GPの一貴には父・中嶋悟鈴木亜久里片山右京、佐藤琢磨のようなオーラはなく、シューマッハー以降、ここ鈴鹿で絶対的な強さを見せる者はいない。やはり鈴鹿は’06年に”一旦終わった”ものなのだということを痛感する。

3年振りの鈴鹿は、お世辞にも大成功とは程遠かった。それは本来母国である日本のF1ファンのための最大級イベントでなくてはならない筈の聖地が、今崩壊の危機にあると言っても過言ではない。STINGER-magazineにも記した通り、初の鈴鹿では確かに世界王者は穫ったが、レースはフェラーリのゲルハルト・ベルガーが制し、地元ホンダ勢ではセナ(ロータス・ホンダ)の2位が最高だった。鈴鹿リスタートとなる今年、トヨタは同じ2位表彰台を得た。今、この3年振りの鈴鹿を「お帰り」ではなく”ゼロからスタートの鈴鹿”として行かなければ、日本にF1の未来は開けない。元は敵地だとか言ってる場合でもない。トヨタがこれからの母国GPを作って行かなければ、いずれグランド・スタンドはモンツァ並みに真っ赤に染まってしまうだろう。
ホンダ・ファンは帰って来なかった。そして、トヨタ・ファンは増えなかった。一貴はまたも結果を残せず、ナショナリズムは崩壊寸前の危機にある。伝統の鈴鹿・日本GPは「今度こそ」危機に面していると感じた。世代交代を経て、初めての鈴鹿をノー・ミスで制した’87年生まれのヴェッテル、セナvsプロストで育ったハミルトン、鈴鹿初年度にはまだ生まれてもいないトロ・ロッソのふたり…..今回の鈴鹿の主役達がこの世界屈指の名コースを心から愛し、この先の新たな鈴鹿の歴史を作って行ってくれることを願う。

「鈴鹿でレースするのが夢だったんだよ!」’09年日本GP/ルイス・ハミルトン

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