リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第36回
ポール奪取のための、ぼくだけのオペレーション

あの二輪のヒーローが四輪レースにやってきた!

――前回、ちょっと気になるキーワードが二つほどありました。一つは、リキさんのコメントで、『どう言ったらいいのか、かなり高度な“機密”が入っていますので……』という一節。そしてもう一つは『片山義美』です。

「お、気がつきましたか!(笑)……そうですね、じゃ“機密”は後回しにして、まずは『片山義美』について話しましょうか。四輪のレーシング・ドライバーとして、そしてマツダの“ロータリー使い”として、ニッサンのスカイラインと激闘を繰り広げたことは、みなさんご存じのところかと思いますが、彼もまた、もとは二輪レースのライダーでした」

「そのデビューは、《鈴鹿》竣工以前、まだパーマネントなサーキットが日本になかった1961年、米軍ジョンソン基地で行なわれたロードレースです。そこでの公開練習が始まってすぐに、『ものすごく速いヤツがいる!』という騒ぎになった」

――それは、乗ってたクルマもよかったとか?

「いや、そうじゃない。それなら、あんまり驚かないよね(笑)。“隠れワークス”みたいなチームがあって、そこでメーカー特製の“いいマシン”に乗るライダーが少なからずいた時代に、彼のクルマは、単なる市販レーサーのホンダCBだった。それで速かったから、みんなブッ飛んだわけです」

――実際のレースでも、そういう“隠れワークス”マシンを?

「ウン、まとめて、蹴散らした! 神戸の『木の実レーシング』と『片山義美』、あれはいったい何なんだ!? ということになった後の1962年、《鈴鹿》オープニングのレースでは、ヤマハのファクトリー・ライダーとして、今度はホンダ・ワークスに後塵を浴びせた」

「そんな二輪のヒーローだったけど、ただ、1963年の第一回GPにはいなかったし、四輪レースをやるというウワサも聞かなかった。だから、第二回GPのエントリーリストを見たときに驚いたわけです。そしてしっかり、予選では3位でしょ。ドライバーとしても豪快に走ってるんだろうなあ……と、予選結果を見て思いましたね」

――片山選手の走りというのは?

「ライダーとしての片山義美は、天才的ともいえる走りをしました。走りがキレイ……というより、何て言うかな、どこからでも、どういう走りをしても速いという、そういうライダー。コースとかライン取りは関係ない。ちなみにぼくは、自分のラインでスムーズに走ろうというタイプ。まあ、きれいな言葉でいえばセオリー重視かな(笑)。でも、片山義美はそうじゃなかった。どこからでも行くぜ!という、実戦重視の走り。自由にコースが取れて、それでいて速かった」

――そういうドライバーがマツダで?

「ええ。その“二輪の英雄”と、最後発でレース世界に登場したマツダの組み合わせ。予選のタイムにしても、ぼくとは0.8秒しか離れていない。スバルより明らかに重いクルマを、そういうタイムで走らせる。エンジンも強力だったんだろうけど、ドライバーも……ということで、これはとても無気味な存在でしたね」

二輪レースで得ていたノウハウを投入!

――その予選ですけど、二回目の予選で、リキさんはグッと速くなりました。その陰にあったものというか、このときのポール奪取作戦が気になりますが?

「いい質問ですね(笑)。前にも言いましたが、予選二回目までに、なか一日という時間がありました。その間に何をするか。これがいろいろね……」

――そのあたりを、ぜひ!

「予選の第一日目までは、クルマはすべて、チームの言う通りの仕様でした。でも、それで走って、予選5番手ですね。ぼくは『提案しても採用されなかったチューニング案』を試したかったけれど、それまではできずじまいでした。でも、ここに至っては、そんなことを言ってられません。何も講じないで終わるなんてことは、ぼくには我慢ならないことでした」

――おお!

高出力化のエンジンや太い排気チャンバーからの高熱をいかに冷却するかの課題は最後まで残った。

「とにかく、一番問題なのはエンジンなので、これをもう少しでいいから“回る”ようにしたい。そのためにはどうするか。一つは、負荷を減らすことです。だから、たとえば、エンジン冷却ファンの羽根を取ってしまう」

――え?

「取るというか、正確には“減らす”かな(笑)。同じように、減らすということでは、ミッションオイルとデフオイル。これも負荷と抵抗になっている。ただ、そうはいっても、これをナシにすることはできないので(笑)量を減らした。そして、その補完も兼ねて、添加剤を入れる。具体的には、二硫化モリブデンです。これで、ミッションのオイルを減らした分の性能を補う」

――むむ!

「マフラーも、ここまではワークス・チームでもあるので、ベンチテストでこのマフラーが一番いいというデータをもとに、チーム主導でマフラーを付けていましたが……」

――それを、リキさんのフィール重視で?

「そうです。練習走行で、あれはいい感じだったよね……というマフラーに替えました。それから、プラグですね。予選第一日では、8200(回転)まで回るはずのエンジンが、8000(回転)までしか回らなかった。そこから、プラグの焼け具合を見て、メーンジェットを交換した」

「これはつまり、ガソリンの流量を変更するってことです。作業としては、穴の加工。 標準というか、ワークスとしての設定は145番のメーンジェットですが、これを一つ上の150番にすると、今度はプラグが黒ずんで不完全燃焼になってしまう。そこで、メカニックと、147番ぐらいがあればいいんだな、じゃあ加工して見るか……といじっていたら、ピタッと合うのができちゃった!(笑)」

――あのぅマフラーとかプラグの変更は、まあいいとして、その“取っちゃう”とか“減らす”とかいうのは、あまり穏やかじゃないですよね(笑)。そんなことして、大丈夫なんですか?

「ダイナモ・ベルトの場合、レースを走っていたら切れちゃったというのは、誰も責められない。ゆえに、そういう成り行きになるよう“手助け”をしておく(笑)」

――手助け?

「ハハハ(笑)、決勝前に、ベルトに軽く切れ目を入れておくとかね。ベルトが想定通りに切れれば、ダイナモを回す負荷はなくなるわけで……。もちろん、レース中に発電しないでも済むように、バッテリーは大型化しておくけど」

ミッションをハイギヤードにして最高速を上げる!

「それと、これは決勝の戦略とも絡んで来ますが、ぼくはミッションは4速を選んでいた。ほかのドライバーは、副変速機があるタイプで、これはつまり“3×2=6”、すなわち6段変速機です」

――それとは別のラインで、ミッションが?

「このときのスバルは、市販仕様は3段変速。レース仕様は、それに副変速機をプラスしての6速ということ。でも、そうではないただの4速というのがあった。段数だけでいえば、6速が有利そうだけど、ぼくは、そうは思わなかった。……というより、副変速機用のレバーがもう一本増えることがややこしくて(笑)、ドライバーとしていやだった」

「それと、変速をしてる時間というのは、トラクションはかからないわけです。二本のレバーを操作するとは、そういうタイムラグが生まれる。それよりも、ギヤは4段でいいから、トラクションを掛けっぱなしにする方がいいと考えた」

――ははあ!

「その代わり、その“4速”は、思いきりハイギヤードにする。ファイナルも上げちゃう(ギヤレシオを小さくする)。1速も含めて全部ハイにして、それぞれのギヤで、より高速まで引っ張れるようにする。これは、小関仕様のハイパワー・エンジンへの対抗策でもありました。彼との2馬力の違いは補えないから、ミッションで対応するということ」

――でも、ギヤ比が全体にハイだと?

「そうですね、その分、1速でのスタート時が問題になって来ます。でもこの点は、クラッチ関係の調整とドライバーのクラッチ・ワークで補おうとした。ただね、二輪は手でクラッチを操作するけど、四輪は足でしょ。足というのは、手よりもずっと鈍感(笑)。手で、つまりバイクの場合は、ミリ単位でデリケートに操作できるけど、四輪はそうはいきません」

「クラッチはペダルまで、ワイヤーでつながってます。だから、クラッチ操作のデリケートさを確保するため、ワイヤーを調整することにした。たとえば、ワイヤーの曲がりの程度を緩やかにするとか、通す位置を工夫して、なるべく真っ直ぐに近くするとか。さらにはスプリングとの相性など、そういうのを全部やりました」

――微妙な操作を可能にするために?

「ええ、ペダルの動きをスムーズにする。要するに、半クラッチの微妙なコントロールをしやすくということ。発進は、エンジン回転を6000くらいまで上げておいて、そこでクラッチをつなぎますが、このときにハイギヤードだと、それはけっこうデリケートな仕事になります」

「でも、そういう設定にしたクラッチの操作を、鈴鹿の畑道で試運転してみて、これはけっこうイケる!ということになった。発進さえミスしなければ、このギヤ比は十分に戦力になる。1速での最高速を較べるなら、俺が一番のはず。ローギヤで、最も長く(高速まで)引っ張れるのは俺のスバルだ!という自信もありました」

――おお! そういうことでポールポジションを奪取し、決勝に臨むということになるわけですね。

「このギヤ比については、ぼく専任のメカニックが計算してくれてね。他車も含めて、スタートから500メートルの区間はどういう動きになるのかを、いまの言葉を使えばシミュレーションした。そのメカニックは芳賀くんっていうんだけど、彼の計算によれば、レースでは、スタートして150メートルほど走ったときに、ぼくがトップになるという答えが出ていた」

「でも、話は決勝のときに飛ぶけど、フォーメーション・ラップの発進で、実はエンストした(笑)。でも、これで気づいたね。クラッチ操作は、もっともっと慎重にやらないといけないんだ、と。あれは、神の啓示だったと思うな。レースの本当のスタートでは、こういうことをやるんじゃないよ、とね」

――なるほど。……で、“機密”ですが?

「それは、決勝レースの展開を語るときに──。ちょっと待ってください(笑)」

第三十六回・了 (取材・文:家村浩明)