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アルファロメオよ永遠なれ

ミラノにあるアルファロメオ博物館のピッバッヂ。

ザウバーがアルファロメオとスポンサー契約を締結した。アルファロメオのF1復帰と思ったがどうやらそうではなく、来年もザウバーはフェラーリ・エンジンを搭載する。

そもそも、アルファロメオにいたエンツォが、“親を裏切って作ったのがフェラーリ”という逸話もあり、フェラーリ・エンジンを積んだザウバーにアルファロメオのスポンサーというのは、複雑な思いもあるが、そんなに古い話を実体験としては知らない私にとって、アルファロメオといえば、世に先駆けてダウンフォースに着目して、テールをピンとはね上げた“ダックテール”(アヒルのお尻)を採用したカロル・キティ博士を思い出す。

何を隠そう、1986年オーストラリアGPに童夢の林みのるさんと見物に行った時、“お任せください”といいながら散々な珍道中で林さんをあきれさせる中で、当時ミナルディにエンジンを供給していたモトーリ・モデルニの代表だったキティ博士を、ミナルディの佐々木正マネージャーを通じて林さんに紹介した。

ふとっちょのイタリア人は、成し得た偉業とは裏腹に、60歳の幼稚園児と佐々木マネージャーが言っていた通りの人懐っこい人だった。日本を訪れたときに、ITOHハムの青と赤のデザインと、それがプロシュート(イタリア語でハムの意味)であることが気に入ったらしく、あちこちに掲示されているビルボードを見る度に、“プロシュート!!”と叫ぶような可愛い人だった。

童夢がその後、ジオット・キャスピタという名のスーパースポーツを、スバルとの共同開発で完成したキティ博士のエンジンを搭載することになったのだが、当時すでに完全に過去の人になっていて、林さんがキティ博士のオフィスを訪れた時、CAD/CAMが当たり前の時代というのに木製の製図板で作業する様を目の当たりにして腰が抜けたそうだが、それは私の責任ではない。そもそも、いまでもアドリアン・ニュウェイは製図板だし。

1982年(←1981年ま間違い)のロングビーチGPを行く、マリオ・アンドレッティのアルファロメオ。

その数年前の1982年(←1981年の間違い)のロングビーチGPで、マリオ・アンドレッティとブルーノ・ジャコメリという、今考えれば天才二人を採用してステアリングを託したアルファロメオは、12気筒にしてはガラガラという独特の音で、フェラーリやマトラ、そしてホンダのような甲高いエキゾーストノートではなくてちょっとがっかりしたことも思い出した。

その前に、ブラバムに搭載されてニキ・ラウダやネルソン・ピケが活躍したこともあったし、第一、1976年に始めて日本にやってきたF1を走ったブラバムはアルファロメオ・エンジンだった。

いずれにしても、1950年のことはもちろん、1970年代や1980年代のことも、現在のF1GPの担当者は、すっかり忘却の彼方かもしれず、単なる古びた話にしかならないのは、いささか寂しい気分だが、もうひとつ複雑なのは、ザウバーが元々ホンダとの契約で2018年にホンダのパワーユニットを搭載することに一旦はなっていたこと。そして、来年ホンダ・エンジンを搭載するのが、キティ博士と深いつながりがあり、一時はフェラーリ・エンジンを供給されていたミナルディが前身のトロロッソということだ。

複雑ではあるけれど、この辺りの機微を感じながら、2018シーズン開幕を待ちたいと思う今日この頃である。

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