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[STINGER]オススメ本– 佐藤琢磨 インディ500優勝のすべて(DVD付録付き)

 

インディ500で日本人として初めて優勝を勝ち取った佐藤琢磨の快挙をまとめた本が出版された。サンエイムック(auto sport特別編集)、本体価格:1900円+税。

今年のインディ500は、区切りとなった昨年の第100回の翌年の第101回。100回はここまでの積み重ねの集大成だが、101回は新たな時代の幕開けとして位置づけられていた。そこに日本人佐藤琢磨の名が刻まれたことは、非常に意義深かった。

その現場に居合わせたことを、しばらく自慢ネタにできそうであり、現地で観た立場からすると、出版物などの情報の採点は辛くなるのだが、この本は、詳細な部分まで情報を網羅して、保存版としては申し分ない。DVDを活用すれば、臨場感をあますことなく感じられるだろう。

ただし、ひとつもの足らないのは、もうひとつパッションが伝わらないことだ。いや、それは、情報が細部にまで行き渡っていることから逆に伝わる印象かもしれない。完璧なものは、ときとして不完全なものに見えるものだ。

実はこの傾向は、佐藤琢磨本人にも言えている。佐藤琢磨が口にするコメントは、以前からいちいち尤もだが、どこか張りつめすぎる傾向があった。少なくとも、今回の偉業の前には、そう感じることが多かった。

とはいえ、それが完璧になし遂げられた時に彼の理想像は完成し、まさしく今年のインディ500がそうだったように、ストーリーとして完璧なエンディングを迎えることができた。

インディ500は、世界の三大レースと呼ばれるが、今年、佐藤琢磨が優勝した瞬間を見て改めて思ったことがある。三大レースは、イベントとしての位置づけは確かにその通りだが、それぞれ特徴があって、3つをまとめて“三大レース”とくくってしまうのはあまりに安易だということだ。

ルマン24時間は、オンロードのレースでは世界で過酷なレースだ。モナコは、世界一豪奢なレースであり、そしてインディ500は世界一勝つのが難しいレース。そのことに改めて気がついた。

その世界一優勝が難しいインディ500に佐藤琢磨が勝った。これがモナコGPだったとしたら、もちろんそれはそれで素晴しい偉業に違いないけれど、今回ほどインパクトがあったかどうかわからない。

熱戦を振り借りるCD付き。

確かにモナコGPもリスキーな公道コースで難しさはある。しかし、1993年のセナvsマンセルがそうだったように、終盤、スピードに勝るマンセルは、まさに私が観ていた目の前のトンネルのシケインでホイールナットが外れ落ち、ピットインを強いられてセナにトップを譲った。

2位に落ちたマンセルは、非力なDFVを積むセナを抜くことができなかった。それはマンセルの能力が劣ってセナが優れていたせいではなく、逆の立場でも同じだった。抜けなかったのは、モナコのコースが、追い越しのできない設定だからだが、インディはそうはいかない。最後の最後まで、微かにでも気を抜けば高速のスリップストリームを使って抜かれてしまうし、抜くチャンスは大いにある。

そうさせないために、佐藤琢磨は全知全能を総動員して、チルトンやカストロネベスの流れを読み切ってチェッカードフラッグを受けた。

そして、翌日のウィナーズ・ディナーの最後に、素晴しいスピーチを披露したのだが、その完璧なスピーチは、実は佐藤琢磨の語り口がいつもとまったく変わっていないことが気がついた。今回は、優勝した後だったからストレートに腑に落ちるスピーチ。勝てば官軍という言葉を思い起こさせた。

伝えていることは、いままでとまったく同じだったが、唯一、2012年、ダリオ・フラッキッティと争って、クラッシュした場面を回想する下りで、佐藤琢磨はその事件を「レッスン」と表現した。そこだけがいままでと違っていた。これまでは、ノーアタック・ノーチャンスとして、あの行為が正しかったと、周囲も解釈していたが、佐藤琢磨はそれを“レッスン”と表現したのだ。レッスンとは、つまりできなかった、2012年の佐藤琢磨に必要だったことがあった、という意味に理解できた。

2012年の動きは、ノーアタック・ノーチャンスと表現されることが多いけれど、やっていいアタックとやってはいけないアタックがある。2012年のアタックは、無理をしたのではなく、無茶だった。引くときは引く、行くときは毅然と揺るがずに行く。これがオーバルレーシングの鉄則だ。

ただし、あれがなければ、A.J.フォイトが「オレのドライバーだ!!」と叫ばず、その意味では“アリ”だったという見方もできる。それも含めてノーアタック・ノーチャンスの本当の意味はそういうことかもしれないが、今年の佐藤琢磨は、気の遠くなるような長いフリー走行がスタートした時点から、積極果敢な姿勢と我慢を緩急あわせて使いこなして栄光を手にした。

特に、チルトンとカストロネベスと繰り広げた最後の数周で佐藤琢磨は、寸分違わない計算づくのレースをコントロールし、計算通りに勝った。ゴール後の雄叫びは、優勝できた嬉しさだけでなく、そうして、演じきった自身のストーリーが完成したことに対する雄叫びにも聞こえた。

佐藤琢磨を評する言葉で印象的なのは、「彼は佐藤琢磨を演じきっている」というフレーズだ。どんなときでも自分の信じることを曲げず、猪突猛進する。これを、第三期ホンダF1を佐藤琢磨と闘った中本修平代表は、「彼はレーシングドライバーじゃなくてレーサーなんですよ」と表現した。

そのレーサーが、攻めるだけでなく、引くことを覚えたのが今年のインディ500だったのだ。つまり、完璧とは、すべてをやり切ることではなく、どこかで引くことができること、ということだ。

最後の数周で、チルトンを無理に追わず、カストロネベスに料理させた上で残り数周にかける、という“どこかで引く”ことができた佐藤琢磨はが一回り大きく見えた。今年のインディ500での佐藤琢磨は完璧だった。

佐藤琢磨 インディ500優勝のすべて(DVD付録付き)。購入は、アマゾンまたは、三栄書房のサイトから。

[STINGER]山口正己

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