<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>加瀬竜哉 - F1 STINGER 【スティンガー】</title>
	<atom:link href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://f1-stinger2.com</link>
	<description>F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集</description>
	<lastBuildDate>Wed, 07 Jun 2017 12:43:41 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.2.6</generator>
	<item>
		<title>Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜　第三章</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_44/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 11:06:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/post_44</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」 第三章・決意 「もうミーティングはウンザリだよ。しかも、このところ良い話だったためしがないんだから」ＴＳＪの・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_44/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_44/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜　第三章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#000000"><b>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載<br /></b></font><font color="#000000" size="+2"><b>「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」</b></font><font color="#000000"><b><br />
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img decoding="async" loading="lazy" style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="syo09.jpg" src="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/images/syo09.jpg" width="480" height="320" /></span><br />第三章・決意</p>
<p>「もうミーティングはウンザリだよ。しかも、このところ良い話だったためしがないんだから」<br />ＴＳＪのチーム・オーナー、林田勝は呆れ顔で、それでも持ち前の大声で笑った。が、こう毎日事件が勃発し続けるのではそれもやむを得ず、相変わらずモナコのホテルの一室は重苦しい空気に包まれていた。<br />「もう既にメールでもお伝えした通り・今度こそ風間が離脱しました」<br />大椋が汗を拭いながら話す。<br />「解ってるさ。それに、どうせ一度ケチがついたんだ。今更雰囲気を改善してどうなるものでもなかっただろう。アイツもそれは解ってる筈だし、さすがにもう戻って来ないと思うぞ」<br />桜田の言い分は完全に正論であり、現場にいた鈴石も大椋も大きく頷いた。ただひとり、風間と直接やり合った星田だけは、じっと一点を見つめて押し黙り、やがてゆっくりと口を開いた。<br />「皆知っての通り、『風間裕人』と言う名前、レーサー・ネームには、特別な想いがある」<br />全員が黙った。<br />「&#8230;伝説のレーサー、風戸裕だ。１９７４年のあの日、おそらくその後の日本のレース界を背負って立ったであろう未来のスターは、あまりにも若くして逝った」<br />「あれで富士の３０度バンクは閉鎖されたんですもんね&#8230;」<br />蓄積されたデータを掘り起こすように、大椋が呟いた。</p>
<p>風戸裕。<br />若干１８歳で日本のレース界に颯爽とデビューし、多くの勝利と共にその美貌もが語り継がれる伝説のレーサー。将来を有望視されながらも、１９７４年６月２日、富士スピードウェイでのＧＣレース中の事故により、２５歳の短過ぎる生涯を終えた。一世を風靡したスーパー・カー漫画「サーキットの狼」の主人公、「風吹裕矢」のモデルとしても知られている。</p>
<p>今ここにいる殆どの人間にとって、風戸は特別だった。誰もがその死を悲しみ、嘆いたのである。<br />「俺は風戸さんが死んだ年にフォーミュラ・カー・デビューした。どれほど憧れの存在だったか、は解ると思う。そして、この企画が来て『レーサー・ネーム』を付けると言われた時、俺は迷わずあの『ボーイ』の名前に風戸さんの字を入れようと思ったんだ」<br />皆解っていても、敢えて静かに星田の話に聞き入ることにした。<br />「&#8230;良い眼をしていたよ。最初はね。コイツなら一発やらかしてくれるんじゃねえか、と思わせる何かがあった気がしたんだ」<br />「皆そんなもんさ。で、実際にはそんな連中の中の、ほんの一握りだ」<br />林田が大声で制する。<br />「例えば可夢偉だ。奴はあの若さで、ちゃんと日本のＦ１を背負って立ってやがる。『自分がいなくなったら日本のＦ１が終る』って。そんなこと本気で言える日本人が今まで、チャンピオンになった企業や自動車メーカーの中にすらいたかい？。皆無責任に、自分達の都合でやったりやめたり、だ。フェラーリやマクラーレンはやめねえだろう？、それと同じことじゃねえか」<br />それはなんとも羨ましく、そして究極な話だった。<br />「&#8230;そんな夢を、一瞬でもあのボーイに重ねたことを今は恥ずかしく思う。皆、すまなかった」<br />星田は深々と頭を下げた。<br />「奴はサムライににゃなれなかった。それだけのことさ」<br />林田は立ち上がって星田の肩を叩き、皆の方を向いた。<br />「こんな、今時誰も知らないようなノスタルジーに浸ってても仕方がねえ。ボーイのことはとっとと忘れて、眼の前のレースの話をしようじゃねえか。で、やれんのか？」<br />「それが&#8230;」<br />大椋が伏し目がちに言葉を濁す。<br />「&#8230;スポンサーか」<br />感の良い桜田が即返し、鈴石が首のあたりを掻きながら立ち上がった。<br />「ま、風間を使わないのなら『コレっきりだ』と。明日から一切の投資もサポートも行わない、宿泊費も輸送費も知るもんか、と言う姿勢です」<br />「解った。んじゃ、とりあえず明日は皆で張り切ってボディのスポンサー・ステッカー剥がすか！」<br />桜田は無理のない、本当の笑顔を見せて言った。対照的に、星田は項垂れたままだった。<br />「皆&#8230;すまない」<br />「何言ってんの。星田さんのせいじゃないよ。サムライになれなかったボーイが悪いのさ」<br />「そう言うこと。じゃ、サムライの皆さんは明朝９時から、皆でボディのステッカー剥がし！。俺はリア・ウィングをやるわ」<br />「あ、一番デカイとこ取られたあ&#8230;」<br />たわいもないやりとりは、責任を感じ落ち込む星田に向けたものだった。<br />「ヘイ、ところで皆、僕のこと忘れてない？」<br />きついドイツ訛りを隠さず、ＴＳＪのエース・ドライバーであるジョナサンがまくしたて始めた。通訳が何処まで訳したのか、若干他のメンバーとはエキサイトするポイントが違うようだった。<br />「忘れてなんかないさ。そう言うわけで最後のモナコＧＰ、ウチのチームはジョナサンひとりだけのエントリーになる。マシンはトルコから大きく変わってはいないが、知っての通りのドライバーズ・サーキット、きっと我々にもチャンスが&#8230;」<br />宥めるように説明を始めた鈴石を制してジョナサンが笑う。<br />「僕は２００５年にここで予選３列目から３位表彰台に立っている。多分、ここに住んでたアグーロの次にこの街のことは良く知ってるつもりだ。任せてくれよ！」<br />「何って？」<br />ジョナサンがまくしたてたので、大椋が笑って間に入る。<br />「『任せろ』ですって！」<br />「頼りにしてるよ。そう言えば、お前いつだか表彰台に乗ったっけ？」<br />大椋がジョナサンにウィンクしながら続ける。<br />「その話を今してたんですよ」<br />「何だ、自慢話かよ！。ま、予報じゃ天気も下り坂だし、それこそウェット・レースにでもなれば何が起こるか解らない。そのためにも、なんとかジョナサンには予選を通過して貰わなければならん」<br />下を向いていた星田が顔を上げた。<br />「よし&#8230;ここからは作戦会議だ」<br />「おし、いっちょやったるで！」<br />&#8230;ひとつのネガティヴが生み出すポジティヴは、例え実態に乏しくも、極めてパワフルなものだ。</p>
<p>水曜日。<br />Ｆ１モナコＧＰはモンテカルロの市街地を閉鎖して行われる公道レースが故に、一般的なクローズド・サーキットでの開催とは大きく違う点がある。多くのセレブが集まるモナコならではの決まり事として、本来金曜フリー走行、土曜フリー走行と予選、日曜決勝となるところを、木曜フリー走行、金曜は公道閉鎖を解いて走行は行われず、土曜から元のスケジュールに戻<br />
る。つまり、金曜は来賓客をもてなすパーティー・デイとなり、チームは作業することが出来ないのである。したがって、通常チームが作業する木曜日のスケジュールはそのまま水曜日に前倒しとなる。<br />ＴＳＪは他のチームと同様、何事もなかったかのようにマシンを組み立て始める。ただひとつ違っていたのは、そのマシンからはメイン・スポンサーである電脳のロゴが一切除去され、殆どノー・スポンサーの純白のカラーリングとなっていたことである。結果的に彼らはこの日もメディアの注目を浴びることとなった。<br />明日はいよいよフリー走行開始。チームは表彰台経験のあるエース・ドライバー、ジョナサンに全てを託し、最後のグランプリに望む。</p>
<p>次回に続く。</p>
<p>※この物語はフィクションです。</p>
<p></b></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_44/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜　第三章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>何処より早​いシーズン総括</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_43/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Dec 2011 06:59:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/post_43</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>全19戦に及んだ2011年シーズンも遂に閉幕。今回は恒例の&#8221;スクイチ・何処より早いシーズン総括&#8221;をお届けする。 ブリヂストンに代わって今季から新規参入のピレリ・タイヤと、Fダクトに代わるオーバー・・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_43/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_43/">何処より早​いシーズン総括</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">全19戦に及んだ2011年シーズンも遂に閉幕。今回は恒例の&#8221;スクイチ・何処より早いシーズン総括&#8221;をお届けする。</p>
<p>ブリヂストンに代わって今季から新規参入のピレリ・タイヤと、Fダクトに代わるオーバー・テイク・アイテム&#8221;DRS&#8221;の採用により、近代F1最多のオーバー・テイク大会となった2011年シーズン。年間19戦の長丁場で史上最年少王者が記録を塗り替え、新たなグランプリ・サーキットが誕生し、日本のサムライはチームのエースとしてしっかりと仕事をしてみせた。<br />
反面、勝利を大命題とする名門が失速し、元世界王者がらしからぬミスを連発、それ故に大味なレース展開も多く、シーズンを通しては少々物足りなかったのも事実である。</p>
<p>
◇ベスト・ドライバー：セバスチャン・ヴェッテル<br />
疑う余地は全くない。24歳の若さで年間11勝、ポール・ポジション獲得15回は&#8217;92年のナイジェル・マンセルの記録を19年振りに破る大記録、しかも19戦中リタイア1回/4位1回以外は全て表彰台、と言う快挙。チーム・メイトを大幅に引き離す圧倒的な強さでライバル達の戦意を喪失させた。タイトル決定の日本GP3位表彰台で見せた悔しさと、あくまでもポール・ポジション、優勝、そして最速ラップ樹立のハット・トリックを狙うその&#8221;完璧主義&#8221;は時折チーム内に不安要素を齎すが、その精神力の強さこそが今のヴェッテルのモチヴェーションを支えているのだろう。ともあれ、2年連続ワールド・チャンピオンに相応しい走りを魅せたヴェッテルに死角はない。<br />
また、荒れたレースで見事なタイヤ・マネージメントを行い、3勝を挙げたマクラーレンのジェンソン・バトン、結果は1勝ながら自らの地元バルセロナ、フェラーリの地元モンツァで不利な予選順位から見事にスタートでトップを奪う好走を魅せたフェルナンド・アロンソも見事な仕事をした。</p>
<p>
◇ベスト・チーム：レッドブル<br />
年間12勝、18ポール・ポジション獲得、2011年シーズンを退屈にさえしてしまったレッドブル。RB7・ルノーはストップ＆ゴーから高速コーナーまで、全てのタイプのサーキットで無類の強さを発揮、ブロウン・ディフューザーは完璧に熟成された。マーク・ウェバー車には度々KERSとスタート・システムに不備が起きていたが、それでも圧倒的な信頼性と強さでダブル・タイトルを獲得。奇しくも、マンセルのポール・ポジション記録を破ったのは、&#8217;92年のウィリアムズと同じくエイドリアン・ニューウィーが造り、ルノー・エンジンを搭載したマシンだった。</p>
<p>
◇ベスト・レース：第7戦カナダGP<br />
悪天候の中セーフティ・カー先導でレースがスタートし、ヴェッテルが先行。ウェバー、ハミルトンらが自滅する中、13番手スタートの小林可夢偉が着実に順位を上げて行く。雨が強くなった25周目にレースは赤旗中断、天候回復を待って2時間後に再スタート。2位まで上がっていた可夢偉は10周に渡ってフェラーリのマッサと熾烈な争いを繰り広げた。レース後半、シューマッハー、ウェバー、バトンによる激しい2位争いをバトンが制し、遂にはファイナル・ラップでミスしたヴェッテルをも劇的に抜き去り、結局バトンの逆転勝利。健闘の可夢偉は結局7位フィニッシュ。<br />
待たされた分だけ十分に楽しめた、最高のレースだった。</p>
<p>
◇ルーキー・オブ・ザ・イヤー：ポール・ディ・レスタ<br />
8戦入賞で27ポイントを獲得し、ドライバーズ・ランキング13位となったディ・レスタ。第9戦イギリスGPでは予選6位を獲得し、第14戦シンガポールでの決勝6位が最高位となった。冷静な判断力とドライビングでチーム・メイトのベテラン、スーティル相手に堂々と戦い、予選では9勝10敗と健闘。ザウバーのペレス（16位）、ウィリアムズのマルドナド（19位）ら同期を完全に凌駕した。チームの来季体制が不透明だが、未来のチャンピオン候補のひとりとして、今季は良い仕事を行った。</p>
<p>◆ワースト・ドライバー：ルイス・ハミルトン<br />
度重なるマッサとの接触、スパでの可夢偉との接触など、一体「何処を見て」走っているのか。多くは書かないが、元世界王者としてはあまりにもお粗末なシーズンだった。速さに溺れて集中力を失うと、いつか確実に大きな事故を招く。来季生まれ変わることを期待する。<br />
ラリー事故で離脱したロベルト・クビサの代役としてルノーに加わったニック・ハイドフェルドも大きく期待を裏切った。途中解雇も当然の成績。ウィリアムズのマルドナド、ヴァージンのダンブロシオのふたりのルーキーも、正直デビュー前の期待を裏切る結果となった。ダンブロシオにいたっては最終戦終了直後に解雇発表となり、短いF1生活にピリオドを打った。</p>
<p>
◆ワースト・チーム：ザウバー<br />
開幕戦ではダブル入賞を飾ったかと思いきやリア・ウィングの規定違反で失格、シーズン前半の勢い（それもドライバーの頑張りあって、だが）は、イギリスGP時のブロウン・ディフューザー禁止騒ぎで開発中止を決定したことで完全に裏目に出た。コンストラクターズ6位から見る見るうちにフォースインディアに逆転され、最後はトロロッソと7位を争う羽目に。エース・可夢偉はピレリの評価で全ドライバー中3番目にタイヤ・マネジメントの上手いドライバーとして果敢にポイントを獲得、ルーキーのペレスも可夢偉と予選で堂々と渡り合う活躍を見せながらも、決勝でのタイヤ戦略で明らかにポイントを逃したレースが多過ぎる。BMW無きあとの、これがザウバーの限界か。<br />
2年連続でコンストラクターズ最下位となったヴァージン。これまた2年連続開幕戦がシェイク・ダウン、と言うHRTの後塵を拝し、チーム体制を一新する来季もKERS搭載の予定はなく、一体何が目標なのか疑問である。</p>
<p>
◆ワースト・レース：第16戦韓国GP<br />
「冷蔵庫から昨年の残り物が出て来た」「誰も使ってない筈なのにドーナツ・ターンの跡があった」など、初開催となった昨年のレース以来全く使われていなかった韓国インターナショナル・サーキット。2年目の今年、決勝レースは入場者8万人と発表されたが、チーム関係者からは「蚊の数も入れたか、魚も数えたんだろう。しかも2回ずつね」と皮肉を言うほどスタンドはガラガラ。実質的に大赤字なイベントとなり、プロモーターはバーニー・エクレストンに助けを求めている状態である。ヒュンダイのF1参戦の噂も聞かなくなり、この国でのF1開催継続に赤信号が灯っている。</p>
<p>
◎キー・パーソン・オブ・ザ・イヤー<br />
・道端ジェシカ<br />
バトンのGFとして度々国際映像に登場するジェシカ嬢。遂にはタグ・ホイヤーの日本人初ブランド・ミューズに就任、東日本大震災後には震災復興の為の救済義援金活動として「TEAM JESSICA」を立ち上げ、F1関係者らに協力を訴えている。ジェンソンの父ジョン・バトンと共に、レースを終えたバトンを明るく迎える姿は微笑ましく、今や中継になくてなならない存在となった。<br />
・小松礼雄<br />
ルノー・チーム、ヴィタリー・ペトロフ担当エンジニアの小松礼雄（あやお）氏。ルノーのピット・ウォールの造り/並びもあるのだろうが、何故か今季やたらと国際映像に登場、フリー走行時はほぼ名物コーナーとなった。ちなみに小松氏は元BAR・ホンダのエンジニアで、&#8217;06年からルノーで働いている。<br />
・バーニー・エクレストン<br />
&#8230;..アブダビでヴェッテルがリタイアした際、まさかF1ボスのバーニーが直接ピットまで慰めに来るとは思わなかった。来季、ヴェッテル3連覇はもう決まったようなモンである&#8230;..。</p>
<p>最後に、悲しい事故でこの世を去ったダン・ウェルドン＠インディ・カー、マルコ・シモンチェリ＠モトGPのふたりに哀悼の意を表する。もう2度と、悲しい事故が起きませんように。</p>
<p>
&#8230;..なんだかんだ言いつつ、今季も手に汗握り、一喜一憂/狂喜乱舞したF1世界選手権。来季は更に&#8217;07年王者、キミ・ライコネンが帰って来る。総勢6人のワールド・チャンピオンが勢ぞろいする来季も素晴らしいレースが繰り広げられることを期待しつつ、開幕を待つこととしよう。山口村長を始めSTINGER村の皆さん、1年間お疲れ様でした。</p>
<p>
</font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_43/">何処より早​いシーズン総括</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Good bye,Marco</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/</link>
					<comments>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 25 Oct 2011 03:22:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/good_byemarco</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>Also became a sad day for motorsport,His family, friends, condolences to all concerned I would like to MotoGP.・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/">Good bye,Marco</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>Also became a sad day for motorsport,<br />His family, friends, condolences to all concerned I would like to MotoGP.<br />We will not forget you.</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/">Good bye,Marco</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Dear Dan,</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/</link>
					<comments>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 18 Oct 2011 03:02:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/dear_dan</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>Thank you a lot of excitement and inspiration,We will not forget you.Good bye,Dan.</p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/">Dear Dan,</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>Thank you a lot of excitement and inspiration,<br />We will not forget you.<br />Good bye,Dan.</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/">Dear Dan,</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>2011@suzuka</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/</link>
					<comments>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 10 Oct 2011 00:08:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/2011suzuka</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>Congratulations,Seb!You have done a great job all season and deserved the title.to became a double World Champ・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/">2011@suzuka</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>Congratulations,Seb!<br />You have done a great job all season and deserved the title.<br />to became a double World Championship is a very very good job.<br />You are the real World Champion!<br />Thank you very much!!</p>
<p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img decoding="async" loading="lazy" style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="" src="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/images/01vettel.jpg" width="180" height="260" /></span></p></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/">2011@suzuka</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/2011suzuka/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第二章</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac-2/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 11 Jun 2011 13:41:59 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/?post_type=kasetatsuya&#038;p=46899</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」 第二章・反逆 火曜夜。Ｆ１モナコＧＰの週末に向け、モンテカルロ市街地サーキットはグランプリ開催準備に余念がな・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac-2/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac-2/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第二章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#000000"><b>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載<br /></b></font><font color="#000000" size="+2"><b>「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」</b></font></p>
<p>
<span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img decoding="async" loading="lazy" style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="syo08.jpg" src="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2011/06/11/images/syo08.jpg" width="480" height="320" /></span><font color="#000000"><b>第二章・反逆</p>
<p>火曜夜。<br />Ｆ１モナコＧＰの週末に向け、モンテカルロ市街地サーキットはグランプリ開催準備に余念がない。先週までただの街角だった交差点はＦ１マシンの走行のために特別なガード・レールによってコース割が施され、グランプリを彩る様々な企業看板が並び、足場を組立てた簡易観戦スタンドが建てられる。その様はあまりにも特殊で、街全体、いや国全体が巨大な祭りの準備をしている、と言っても過言ではない。<br />「アグーロ！。セナが勝ったレースで、ここでスピンしてたのを覚えてるよ！」<br />明らかに酒に酔った２人組の男が、反対車線側から赤いフェラーリの帽子を振りながら上機嫌で声をかけて来る。<br />「ハハハ。サンキュ！。」<br />前夜のテレビ報道により、今やモナコでも「時の人」となってしまった感のあるＴＳＪの面々。特にスポーティング・ディレクターと言う位置付けの鈴石亜久郎は１９９０年代にモナコに住み、そしてレースで自らの暮らす街を走っていたと言う特殊な経歴を持つ。<br />「毎朝、カーテンを開けて眺める景色の中を６００馬力のエンジン背負って突っ走るんだ。そりゃまともじゃないよねえ」<br />海岸に浮かぶ多くのクルーザーのシルエットを眺めながら、鈴石は懐かしそうに呟いた。パパラッチが気になる大椋だったが、ヨーロッパのレース・ファンのフランクさに、やや安心の表情を浮かべた。<br />「それにしても、いったい誰が考えたんですかね」<br />「ん？、何を？」<br />「モナコＧＰを、ですよ。だいたい一般道でレース、ってだけでもまともじゃないのに、よりによってＦ１を、よりによってこの狭いモナコで、ですよ。普通に競争前提で考えたら、こんなに無茶なレースはない筈なのに」<br />「普通も何も、実際無茶だよ。だって、ロウズ・ホテルのヘアピンなんてステアリング目一杯切んなきゃ曲がんないし、トンネルなんか何も見えやしないし。だいたいここじゃ、ぶつけなきゃ絶対抜けない。そりゃ５０年前も俺ん時も今も一緒」<br />「なのに、何でずっとやってんですかね」<br />「ま、モナコって言う豪華な国がある。そこに金持ちが集まる。クルマを見せびらかす。人が集まって来た。ちょっと走らそうか。ついでに順位つけちゃえば立派なイベントになるな、てのが基本理念。まず競争じゃなく、まずイベント。それが高貴なヨーロッパの連中の考え方。こりゃ敗戦国ニッポンには存在しなかった価値観だ」<br />「まあ、確かにそうですけど&#8230;」<br />「でさ、そこに抜ける筈のないようなこんな面倒なコースで、神懸かり的なドライビングを見せる奴が、たまに現れる。ヒルとかセナとかシューマッハー、みたいな、ね。だからいつまでもレースとして成り立ってんだ。で、俺はそう言う伝説にゃなれなかった、と」<br />「９２年の１１位が最高でしたっけ。フットワークでしたよね」<br />「良く覚えてんな、そんなの」<br />「あの時も日の丸っぽい赤白のカラーリングで&#8230;何と言うか、ナショナリズムでしたねえ」<br />「あのね、こっちにはそう言う概念がないの。ブラジル人のセナがイギリスのマクラーレンと日本のホンダでフランス人のプロストに勝てば良いの。なんか、日本は『世界を相手に』とか『ヨーロッパを股にかけて』とか、相手を勝手に大きくしてるんだよな。実際にはもっと身近なさ、眼の前のガキ大将をどうやってやっつけるか、そのためにどんな道具を使ってやろうか、みたいなさ。フェラーリだって、イタリアがヨーロッパでナンバー１だ、近所のイギリスとかフランスのクルマにゃ負けない、って言う感覚。もう根本から違うわけ。それを、なんか『大和魂』みたいので立ち向かっちゃうと、ちょっと空回りしちゃうんだよ」<br />実際モナコと言うヨーロッパ都市に暮らし、世界最高のＦ１グランプリのドライバーとして闘い、自らチームを率いた経験のある鈴石ならではの見方だった。<br />「日本は、特に企業が絡むとそうは行かなくなってしまってましたもんね」<br />「そりゃあそうだよ。参戦する側の自動車産業は当然のこと、スポンサーも皆そこに利益を求めて集まって来る。だがソイツはドライバーの、さっき言った『個人的な喧嘩』みたいな部分とは無関係。だから難しい。昨日まで赤白のマルボロ・カラーだったセナが今日から青いロスマンズ、みたいな感覚が当時の我々には理解出来なかった。ナショナリズムでやっちゃうからなんだよね。セナは、隣にいるプロストからチャンピオン・フラッグを奪いたいだけだった。だから何でも出来たんだよ」<br />「&#8230;どうしました？」<br />鈴石はふと立ち止まり、沖の夕闇を見つめて大きく息を吐いた。<br />「&#8230;でもさ、俺達の世代にゃ、結局それしか出来ないんだ。日本を背負っちゃった、って言うのかな。中嶋さんもそうだったけど、現場とブームの温度差は大きかった。バブル景気だったし、それこそ日本は『Ｆ１ブーム』だったから、この巨大なスポーツ・イベントに誰もが押し掛けて、それが全て、みたいになっちゃった。&#8230;ただひとりを除いて、ね」<br />「ただひとり&#8230;あの人ですよね」<br />「そ。あの人」</p>
<p>&#8230;星田一俊。ＴＳＪのチーム監督であり、かつて「日本一速い男」の名を欲しいままにした不世出の名レーサーは、１９７６年、日本に初めてＦ１レースがやって来た時、ヨーロッパのドライバーを迎え撃つべく地元・日本からエントリーした、言わば日本のＦ１ドライバーの草分けである。しかも初レースとなった富士では予選２１番手から雨の中奇跡の追い上げを見せて３位まで上昇、しかし雨が上がった際、ドライ・タイヤが足りずに無念のリタイアとなり、幻の表彰台となった伝説を持つ。<br />以後国内レースでは無敵を誇った星田だったが、１９８７年以降の所謂「Ｆ１ブーム」とは縁がなかった。もちろん年齢／実力的には申し分なかった筈だが、ホンダやトヨタがＦ１に挑戦するのを尻目に、契約していたメーカーがＦ１進出を行わなかったのが大きくキャリアに響き、以後Ｆ１に乗ることはなく、２００２年に現役を引退していた。<br />環境、タイミング、想い。全てのバランスが星田をＦ１には導かなかったのである。</p>
<p>「でもあの人にもそう言うチャンスはあった」<br />「もちろん」<br />「でも&#8230;乗らなかった」<br />「そう。乗らなかった。乗れなかったんじゃなく、乗らなかったんだ」<br />「１９９０年の鈴鹿で、トップ・チームのベネトンからヘリコプターの事故で出れなくなったナニーニの代わりを打診されて、その時にベネトンは当然のように持込資金を要求したけど、俺はプロのレーサーだから、例え２万円でも貰わなきゃ乗らない、って言ったと言う話がありますね」<br />「それが本当かどうか知らないけどさ、そんな噂が出るところが如何にも星田さんらしいじゃない」<br />「ところで、そのレースで&#8230;」<br />「そう、俺がＦ１で唯一の表彰台に乗ったレース」<br />「ちなみにナニーニの代役にロベルト・モレノが乗ったベネトンは&#8230;」<br />「俺の前。つまりベネトンの１－２フィニッシュだった。優勝は３度の世界王者、ネルソン・ピケ」<br />「つまり、もし星田さんが乗ってたら&#8230;」<br />「ハハハ。好きだねえ、そんな話」<br />「だって、悔しいじゃないですか」<br />「悔しい、か。&#8230;それはちょっと違うかも知れないね。エディ・アーバインとかフレンツェンとかがＦ１の記者会見で『日本には俺達が適わないとんでもないレーサーがいる』って星田さんのことを自慢してたんだけどさ、あの人は自分のキャリアを誇りにしてると思うよ。Ｆ１どうのこうの、ってのはあくまでも周りが言うだけで、あの人自身はそんなこと気にしてないさ」<br />「うーん&#8230;もしも星田さんがＦ１に乗ってたら、って、やっぱり考えちゃいますよね」<br />「Ｆ１だけが全てじゃないさ」<br />鈴石は自身が日本人初のＦ１表彰台経験者だが、キャリア２年目にそのピークを迎えていた。当然３年目以降はそれ以上の成績を目指し、チーム体制なども含めてステップ・アップする筈だった。しかし上手く行かず、不本意な現役引退を迎える。その後ホンダのバック・アップで自己の名を冠したＦ１チームを結成、だが肝心のホンダが経済不況を理由にＦ１から手を退き、鈴石のチームもまた経営不振で撤退を余儀なくされた経緯を持つ。</p>
<p>「そう考えると、ウチは本当にドリーム・チームじゃないですか」<br />「少なくとも日本のレース界を支えて来た人達が集まってるのは確かだよ。ただ、タイミングは本当に最悪だった。経験もノウハウも申し分ないのに、それを回すための環境がない。ＦＩＡもなんとか予算を下げようと努力してくれたけど、それに報いることは&#8230;出来なかった」<br />話が弾んでいた鈴石と大椋だったが、ふと前夜にＦ１からの撤退が決まったばかりだった現実に帰った。<br />「ま、結局のところはＦ１はあまりにも特殊なところ。でも、フェラーリとかマクラーレンとかの連中は、それが当たり前の生活をしてるの。この非・日常のＦ１が日常&#8230;羨ましいねえ」<br />大椋の携帯が鳴った。<br />「おっと、このタイミングでの広報からの電話はロクな話じゃないんだ。はい、もしもし&#8230;何だって！？」<br />「はあ&#8230;ま、もう大抵のことじゃ驚かないけどね&#8230;」<br />鈴石は以前暮らしたサン・デ・ボーテのマンションを見上げて苦笑いした。<br />「&#8230;風間がホテルに戻って来たそうです」<br />「ハッハッハ。アイツ、日本に帰ったんじゃなかったのか」<br />「星田さんと話したい、と言って待ってるらしいです」<br />「よし、俺も行こう。あの我侭ボーイの面倒は星田さんひとりじゃ無理だ」<br />「はい」<br />鈴石と大椋は今来た道を足早に戻る羽目になった。</p>
<p>ＴＳＪのドライバー、風間裕人は大股開きでホテルの部屋のソファに座り、髪の毛を掻きむしりながら足を激しく揺すっていた。この若きレーサー、いやレーサー兼二枚目タレントは明らかに「我慢」が苦手なタイプだった。それもその筈、裕福な家庭に育ち、学生時代からチヤホヤされて来た典型的なお坊っちゃまである風間は、例え相手が誰であろうとも怯まないその強さだけは高い評価を得ていた。<br />「よう、何の用だ？」<br />ノックもなく部屋に入って来た星田は風間の対面には座らず、ソファの後を素通りして窓へと向い、やや乱暴気味にカーテンを開けた。その空気の流れに、風間のイライラは一層増したようだった。<br />「何で帰って来たのか、聞かないんですか」<br />「ん？、聞いて欲しいのか？」<br />星田は笑いながら上着を脱ぎ捨て、聞いた。自分のペースで物事が進まなくなった時、風間の髪を掻きむしる仕草はより激しさを増す。<br />「昨夜は飛行機の出発が２時間も遅れましてね。とてもじゃないけど待ってらんないから、そのままマネージャーとカジノに行って&#8230;」<br />「何の用かを聞いてるんだが」<br />話を制された風間はわざと星田に聞こえるようにチッと舌打ちし、勢いあまってソファから立ち上がった。<br />「いくらこれが最後だからって、ドライバーがいないんじゃチームだって困るでしょう。こんな形は不本意だけど、契約だってあるし、だいたい僕がいなきゃ初めから話になんないんだから」<br />「いや、そんなことはないさ。既に昨夜、複数のドライバーから我々のシートに関する問い合わせがあった」<br />「誰からです？、何って答えたんですか？」<br />「君には関係ない。それこそ秘密保持は契約上の義務だ。そんなこと解ってるだろう？」<br />風間は憤慨し、星田に対してこれ見よがしに、わざと倒れ込むような姿勢でソファに座り直した。<br />「忘れないで欲しいな。ＴＳＪは僕のためのチームだ。僕を中心にプロジェクトが立ち上げられ、僕のためにスポンサーが動き、僕を走らせるために存在するんだ」<br />ここまで風間と眼を合わせなかった星田が、突如鬼のような形相で風間を睨みつけた。<br />「ふざけるな！。だったら何故ひとりで帰ろうとした？、チーム全員が問題に直面し、闘っている時に、どうしてオマエだけが逃げ出せるんだ。それで良くチームだなんて言えるな？」<br />「あんな話を聞かされたら、誰だってその場から逃げ出したくなるでしょう」<br />「いや、オマエ以外、誰ひとり逃げ出さなかった。全員で問題を受け止め、今後どうするべきかを話し合った。スタッフだけじゃない、ジョナサンもだ」<br />「だいたいこれは僕の責任じゃない。どうして僕がそこにいなくちゃいけないんだ。僕達ドライバーのために問題を解決するのがチームの仕事でしょう？」<br />「ピンチに一目散に逃げ出すような奴のために、誰が必死に取り組むと言うんだ！？」<br />予想に反し、あまりにもエキサイトした星田の声に驚きながら鈴石と大椋が急ぎ部屋に入って来た。<br />「いい加減にしてくれ。僕はスターだ。スターを輝かせるために、スタッフは一丸となってチームを強くする。それが当たり前のことでしょう」<br />「確かにオマエはスターさ。ドライバーはレーシング・チームの花形だ。そのことに異論はない。ただ、そのスターもチームの一員なんだ。皆が同じように働き、上を目指し、闘う。そこに優劣などないんだ。オマエはそれを解っていない。自分は悪くない、周りが悪い、と繰り返すばかりだった。それではチームにならない。まして勝負にはならないんだよ」<br />珍しくエキサイトする星田の姿に、鈴石も大椋も唖然となっていた。が、その状況が今後の、まして眼の前に迫ったＦ１モナコＧＰに良い影響を及ぼさないことだけは明らかだった。<br />「星田さん、もう&#8230;」<br />「裕人、いい加減にしろ。何処まで勝手なことをすれば気が済むんだ」<br />「ああもう、いい加減にしてよ。僕のＦ１レーサー計画は、この愚かな集団のせいで台無しだ」<br />「&#8230;何だと！」<br />星田が風間に殴りかかるよりも前に、小さな瞳から大粒の涙をこぼしながら、大椋が風間の胸ぐらを掴んでいた。<br />「お前なんか、お前なんかに&#8230;星田さんの気持ちが解ってたまるか！」<br />「大椋、やめろ」<br />今度は星田が大椋を制した。しかし更にふたりに割って入るように、今度は鈴石が静かに話し始めた。<br />「星田さんがかつて『日本一速い男』と呼ばれたことは、流石にまだ生まれていなかったお前でも知ってるだろう。俺達全員が束になって向って行っても、この人には適わなかった。が、俺達日本人がＦ１と言うモーター・スポーツの最高峰にようやく行きついた時、運命は星田さんに残酷だった」<br />「よさないか、鈴石」<br />星田は冷静になり、ようやくソファに座った。風間は乱れた髪を直す仕草を見せたが、そこにいる誰とも眼を合わさなかった。<br />「いや、言わせて貰います&#8230;中嶋さんや俺や右京を初め、色んな人がこの最高峰カテゴリーに挑戦して行った。そして、確かにホンダやブリヂストンのような企業は成功したかも知れないが、これまでドライバーの成功者は出なかったのは知っての通りだ。しかしそれは、もしかしたら星田さんだったら出来たかも知れないことだった。もちろん時代が、文化が、性能がモノを言う世界だ。しかしこの人はまだＦ１が日本に定着する以前、決して勝てるとは言えない体制で彼等に挑み、素晴らしいレースを魅せてくれた人なんだ」<br />大椋の息づかいが落ち着くと、その場にいた全員がやや平静さを取り戻し、一瞬の静けさが部屋を包んだ。<br />「&#8230;ほんの小さなことなんだ。そのほんの小さな歯車の狂いが、歴史に大きく影響した。１９７６年の富士で、本当にこの人は世界を相手に闘い、そして勝てたかも知れなかったんだ」<br />「もういい、鈴石。今更な話だ」<br />「いや、俺はこの若僧に、多くの人が築き上げて来た歴史の重みを解らせたいんだ。誰でもポンと行って出来ることではない、その中には多くの紆余曲折があり、多大なる年月をかけ、多くの人々が挑戦して、今がある。そして笑った人もいれば、泣いた人もいるんだ。と言うことを」<br />「へっ、冗談じゃない」<br />鈴石が話終らない内に、風間は再び激しく髪を掻きむしり始めた。<br />「だから何なんですか。そんな話は僕には関係ない。今は２１世紀なんだ。自動車メーカーがどうの、負けた人がどうの、なんて話に興味はないね」<br />「何だと」<br />鈴石が声を荒げる。<br />「もういい。勝てなかったのは事実だ」<br />「浪花節なら勝手にやって下さいよ。僕には関係ないことだ」<br />鈴石が眼を合わさぬまま風間に問いかける。<br />「裕人、最後にもう１度だけ聞く。何しに帰って来た？」<br />「帰って来た？。違いますよ。ＴＳＪは僕のためのチームだ。僕がいなきゃ意味がないからここにいるんだ」<br />「解った」<br />ふっと笑みにも似た一呼吸を置き、鈴石の拳が風間の頬を捉え&#8230;いや、正確にはヒットする直前に星田の右手が鈴石の拳を受け止め、風間は両手で頭を抱えて震えていた。<br />「今すぐ出て行け、裕人。たった今、俺の一存で貴様は解雇だ」<br />「鈴石さん！そんなことしたらモナコＧＰが&#8230;」<br />「かまわん。我々にはジョナサンがいる。もうこんな馬鹿野郎は必要ない。とっとと日本に帰ればいい」<br />「フッ、ハッハッハ。鈴石さん、今日のことは良く覚えておいて下さいよ。どんなことになっても僕は知らな&#8230;」<br />「さっさと出て行け！」<br />一瞬の間を置き、風間裕人は思い切りドアを閉めながら部屋を出て行った。部屋に残された３人は誰もその場から動かなかった。<br />「いいんですか、鈴石さん」<br />大椋が袖で頬を拭きながら聞いた。<br />「良くなんかないさ。ないけど、アイツはもうチームの一員じゃない。ついでに、スポンサーが離れる以上、もう裕人に拘る必要はない」<br />「でも、このレースまでは電脳の資金でやってるんです。これじゃ明日から一切の資金調達が出来なくなるかも知れない」<br />「そんなことはどうでもいい。&#8230;星田さん、俺は間違ってますか」<br />星田は一点を見つめたままだった。<br />「解らん。が、少なくともこれでまた失うものがひとつ増えたことは事実だ」<br />「&#8230;。」<br />再び部屋を静寂が包んだ。そこへ、ＴＳＪのエグゼクティヴ・ディレクターである桜田繁敏が大股で入って来た。<br />「騒々しいと思ったら、やっぱりこんなことか。坊っちゃん、あの剣幕じゃ今度こそ帰って来ねえぞ」<br />「もういいんです。奴はたった今、解雇しましたから」<br />鈴石が深呼吸をしながら呟く。<br />「ま、あのくらい虚勢を張る方が、世界を相手に闘うには意外にいいのかも知れん。いつの日かＦ１チャンピオンになってるかも知れないぞ」<br />「俺達は&#8230;古いんですかね」<br />鈴石の口元が緩んだ。<br />「もちろん古いさ。だから集まるんじゃねえかな。浪花節もお得意、お涙頂戴大歓迎だ」<br />「桜田さんにはかなわんな」<br />ようやく星田が落ち着きを取り戻し、笑みがこぼれた。<br />「大椋、ミーティング続きで悪いが、また林田さん達を呼んでくれ。事の顛末をボスに知らせなきゃならん。それともちろん、ジョナサンもだ」<br />「解りました」<br />現場人間の桜田が部屋の空気を変える。<br />「セナが来たっけな」<br />「&#8230;１９８７年ですか」<br />またも大椋が食いつく。<br />「ああ。ルノーで走ってんのに、『どうしてもホンダ・エンジンで走りたい』って、監督の泊まってるホテルまで押し掛けて来たんだ。あのストイックさにゃ誰も適わないね&#8230;ハハ、どうしてこう、想い出話になっちゃうかな。さ、レースの準備だ。天下のモナコＧＰだぜ！」<br />ムード・メーカーの大きな声は部屋中に響いた。しかし、そこにいる誰もがその言葉にひとことも返せずにいた。</p>
<p>次回に続く。</p>
<p>※この物語はフィクションです。</p>
<p></b></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac-2/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第二章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第一章</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 11 May 2011 12:35:43 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/?post_type=kasetatsuya&#038;p=46897</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」 第一章・夢と現実 「ふう&#8230;やっぱり駄目か&#8230;」携帯電話を閉じ、スーツの右ポケットに戻し・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第一章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#000000"><b>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載<br /></b></font><font color="#000000" size="+2"><b>「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」</b></font><font color="#000000"><b></p>
<p><span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img decoding="async" loading="lazy" style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="syo06.jpg" src="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/images/syo06.jpg" width="480" height="320" /></span>第一章・夢と現実</p>
<p>「ふう&#8230;やっぱり駄目か&#8230;」<br />携帯電話を閉じ、スーツの右ポケットに戻しながら、ＴＳＪ（チーム・サムライ・ジャパン）のスポーティング・ディレクターである鈴石亜久郎は、滞在先のモナコのホテルの一室で深く溜息をついた。電話の相手はチームのメイン・スポンサー、株式会社電脳の堀川社長。今日既に５回目の国際通話、ただし最初は社長当人だったのが、この２回は弁護士とのやりとりとなっている。<br />「駄目ってことは、先日の方針に変わりはない、と言うことですかね」<br />右手でネクタイを緩めながら、ＴＳＪ広報担当の大椋茂男が聞いた。ふたりとも、モナコ入りしてからまだろくにソファにも座れないでいる。<br />「ああ。今年はこのままＧＴに専念するんだとさ。ま、客観的に考えりゃあ無理もない。開幕から４戦、２台の内１台は全部予選落ち、もう１台もまともに完走すら出来てない。しかも前回のトルコから各チームがアップ・デートを持ち込んでる中で、ウチだけが２００９年設計のベーシックのままだ。そりゃスポンサーだって嫌気が差すだろうよ」<br />「となると、いよいよこれまで、ってことですよね&#8230;」<br />「そうだな。なにしろＧＰ２チームにモーター・ホーム借りてるような状態なんだから、日曜、いや、ヘタすりゃ土曜日の予選が終ったら荷物をまとめて日本に帰る、ってことになるだろうな」<br />「&#8230;悔しいですね&#8230;」<br />大椋はシャツの袖で額の汗を拭いながら、ホテルの窓から見えるきらびやかな景色を恨めしそうに眺めた。鈴石は大椋の肩をポンと叩き、無言のまま敢えて景色に背を向けた。</p>
<p>ＴＳＪ／チーム・サムライ・ジャパンは、２００９年に結成された純日本製・Ｆ１チームである。ＦＩＡのバジェット・キャップ案によってロータス、ヴァージン、そしてＨＲＴらと共にＦ１に新規参入。日本のＩＴ企業の大手である株式会社電脳がメイン・スポンサー／出資者となり、ホンダやトヨタ亡き後、これまで日本のレース界を引っ張って来た面々を集結させ、ヨーロッパへ殴り込みをかけた。<br />チームの母体は林田勝率いる日本の老舗コンストラクターであるドリーム・ファクトリー。マシン・デザインは第一人者であるサン・クラフトの由里拓夫が手掛け、コスワースＶ８を搭載したＦ１マシン、ＴＳＪーＦ０１を設計、京都の自前の風洞施設で開発を行って来た。チーム代表／監督はインパルスを率いる元・日本一速い男こと星田一俊、マネージング・ディレクターは元Ｆ１ドライバーでチーム参戦経験をも持つ鈴石亜久郎、他にも元ホンダやトヨタでのレース経験者がズラッと名を連ねる、ＴＳＪ言わば日本のレース界のオール・スター編成による特別プロジェクトである。<br />しかし社会情勢の混乱から２０１０年の参戦が見送られ、特別処置により１年遅れて２０１１年よりＦ１世界選手権に参戦。ドライバーはドイツ出身のベテラン、ジョナサン・カイルと、日本でスカラシップを勝ち上がって来た風間裕人。しかし風間は実はバックに芸能スポンサーの付いたタレント・レーサーで、本来このプロジェクトは電脳が風間をメディア露出させるために立ち上げたもの。実力的には本来Ｆ１レベルにはほど遠い。<br />２０１１年初戦オーストラリアＧＰはカイル／風間両者共に予選落ち、第２戦マレーシアＧＰはカイルがどうにか最後尾で予選通過するも電気系トラブルで７周リタイア、第３戦中国ＧＰは再び両者共に予選落ち。第４戦トルコＧＰは巧者カイルが最高尾でどうにか予選突破、しかし１５周目にターン８で大スピンを喫しマシン大破。テレビ露出も殆どない状況に嫌気が差したスポンサーは契約を見直し始め、第５戦スペインＧＰを急遽欠場。尻すぼみとなったバジェット・キャップ案によりチーム運営費は再び高騰、そこへ東日本を襲った大災害などの要素も含め、チームは窮地に立たされていた。そして遂に、始動者であるスポンサーの電脳がプロジェクトからの離脱／撤退を決断、チームは空中分解の危機を迎えていたのである。</p>
<p>&#8230;かつてはここモナコに暮らし、自分の住む街をＦ１マシンで疾走し、そして今回と同じように自らのチームを経済的な事情で失った経験のある鈴石にとって、こうして繰り返される現実はあまりにも重かった。が、その重苦しい空気が流れ続けるのを待つ暇すらなく、今度は大椋の携帯が鳴った。広報アシスタントからの着信は、続けざまに降り掛かる不幸の連鎖を予感させるに充分なものだ。<br />「はい&#8230;何だって？、風間が日本に帰った？」<br />「&#8230;はあ。もう知らん」<br />その知らせは、決して予想以上でも以下でもなかった。若干２３歳でＦ１デビューしたＴＳＪのレース・ドライバーである風間裕人は、確かにスカラシップでアンダー・フォーミュラを闘っては来たものの、所詮はスポンサーの電脳が連れて来た芸能事務所所属のタレント・レーサー。が、アイドル風のルックスを持つ風間の起用を強烈にプッシュした当のスポンサーが降りるのであれば、当然風間自身がこのチームにいる理由もなくなる。大椋が風間の携帯を鳴らすが、もちろん出るわけはない。今頃はニースの空港で出国手続きを行っているだろう。<br />「なんて勝手な！」<br />「ハッハッハ。行動だけはいっちょまえと言うか、流石スター、と言う振る舞いだな。&#8230;まあ、とにかく緊急ミーティングだ。大椋、招集をかけてくれ」<br />「解りました」<br />大椋が部屋を出ると、時折車のクラクションが聞こえて来る以外は、壁にかけられた時計の音しか聞こえない静寂が鈴石の部屋を包んだ。まさに「嵐の前の静けさ」だった。</p>
<p>水曜夜のモナコ、繁華街からやや外れた場所に位置するホテルの一室にＴＳＪ／チーム・サムライ・ジャパンのトップが集結した。<br />中央にチーム・オーナーの林田勝、脇にテクニカル・ディレクターの由里拓夫とレース・ディレクターの桜田繁敏。エンジニア畑の津田哲治（チーフ）、カイル担当メカの渡辺清治、風間担当の木元武雄らも狭いソファに並び、スポーティング・ディレクターの鈴石と広報の大椋が部屋中の静寂を受けて立っている。ただひとり、エース・ドライバーのジョナサン・カイルは明らかに苛立ち、通訳にドイツ語でまくしたてていた。<br />「遅れてすまない。始めてくれ」<br />ドアが開くと同時に場違いな笑顔で全員を見渡し、チーム代表の星田一俊が部屋に入って来た。大椋が口を開く。<br />「え〜、では早速本題に入ります。つい先ほど、我々のメイン・スポンサーである株式会社電脳の掘川唯文社長から直接鈴石さんに電話がありまして、最終的には今日付けで正式にＴＳＪとの契約を破棄する、と言われました。で、どうやらその話は風間の事務所にも行ったらしく、ウチのアシスタントに『もう日本に帰る』と言い残して風間が空港に向った、との一報がありました。現状、風間の行方は解りません。今解っているのはそんなところです」<br />現場ではひとりを除いて誰も驚かず、苦笑いにも近い空気が部屋を包んでいた。ただひとり激高しているのはカイルだった。<br />「ヘイ、ホシダサン！、このチームは一体どうなってるんだ？。俺はもう１０年Ｆ１で走っているが、こんな契約不履行は聞いたことがないぜ。どうしてくれるんだい！」<br />かつてはフォーミュラ・ニッポンでコース上で争った仲でもあるドイツ人ドライバーのカイルと「日本一速い男」の称号を持つカリスマ、星田の間には、良い意味でも悪い意味でも本音のぶつけ合いが日常であった。<br />「俺がドイツＦ３チャンピオンになった時のチームでも、もうちょっと機能していたぜ。いや別に、このチームが駄目だと言ってるんじゃない。ただ、もうちょっとやり方があるだろう、ってことさ」<br />「解ってるよ、ジョナサン。実際、チームの全員がこんな筈じゃないって思ってる。ただ&#8230;」<br />「ただ、何なんだ？」<br />「うむ&#8230;全員聞いてくれ」<br />星田が持っていた上着を壁際に立っていたアシスタントに向けて放り投げ、時計をチラッと見てからゆっくり話し始めた。<br />「&#8230;ホンダさんもトヨタさんも見切ったＦ１に、今更ながら俺達は食いついた。バジェット・キャップ案ってヤツがなきゃ、俺達は今ここにいなかっただろう。ただ、それは日本のマスコミでも散々言われて来たようにまさに時代遅れで、経済情勢だのエコロジーだのって意味じゃ、この御時世にＦ１チーム結成、なんてのはとんでもなく時代錯誤だったのかも知れない。だが、今ここに集まってるのは、それしか出来ない不器用な連中ばかりだ。林田さんは昔ながらの頑固一徹、由里さんはデザイン馬鹿、桜田や鈴石は一度失敗してるクセに諦め切れず、津田や木元もレースが出来なきゃ会社ヤメる！ってクチだ」<br />「おいおい、随分好き勝手に言ってくれるぜ！。相変わらず自分の価値観が世界共通だと思ってやがる。そう言うところは昔から変わらねえな」<br />林田が上目遣いで星田に突っ込みを入れ、重苦しかった部屋の空気が一気に和んだ。流石だった。<br />「&#8230;そして、俺達は多分ギリギリだったか、または本当は間に合わなかったクチだ。少なくとも、企業と言うレベルでモーター・スポーツ最高峰の夢を語ることが、もはやタブーの時代に突入していたのは、皆の知っての通りだ」<br />再び場が静まり返った。若いメカニックの渡辺は、既に悔し涙に鼻をすすっていた。<br />「だからこそ、俺達はチーム・サムライ・ジャパンなんだ。ひたすらストイックに、例え不利な状況であっても突き進む。誰もやらないんなら、俺達がやる。そうやって集まったのが俺達なんだ。その最後のチャンスを与えられ、こうして挑戦出来ただけでも、俺は凄いことだったと思うんだ」<br />鈴石は眼を閉じたまま回想する。<br />「俺が２０年前に鈴鹿で表彰台に乗った時は、何十万人って人が一緒に夢を見てくれて、そしてたくさんの人が感動してくれた。自分もそんな風になりたい、ってね。でも自分は世界チャンピオンになるつもりだったから、３位なんてまだまだ夢の途中だったんだけどね」<br />「掴めないから夢だし、叶わないから追いかけるのさ」<br />今度は林田が太い声で割り込む。<br />「子供の頃に漠然と想い描いた景色とか、未来とか、クルマもそうだ。理想は永遠に手に入らない。だから、俺達は追い求め続ける。そう言う意味じゃ、ホンダだのトヨタだのが広報戦略として何をやっても、俺には関係ない。俺は俺、俺の夢は俺のものだからな。だいたい、夢なんてのは叶っちゃったら面白くねえだろ？」<br />黙って林田の話を聞いていた星田は眼を開き、今度はスタッフ全員を見渡しながら、やや強い口調で続けた。<br />「きっと、子供は家へ帰る時間が来た、ってことさ。もちろん、ウチへ帰って晩メシ食って、テレビ見て風呂入って&#8230;また布団に入りゃ夢の続きを見るだろうし、明日起きたら探しに行こうとするだろう。ただ、今はいっぺんウチに帰って母ちゃんを安心させなきゃいかん」<br />一層深刻な表情となった全員を前に、星田は一呼吸置き、こう続けた。<br />「皆、ご苦労だった。俺達の夢は一旦お休みだ。ＴＳＪは、第６戦モナコＧＰを最後にＦ１世界選手権から撤退する」<br />一瞬の静寂の後、林田の拍手をきっかけに、部屋中が歓声に包まれた。<br />「皆、お疲れ！ありがとう！！」<br />涙ぐむ者、笑う者、天井を見上げる者&#8230;サムライ達は笑顔の裏で自らの運命を呪い、やり場のない感情／違和感と闘っていた。</p>
<p>恐らくニースの空港で風間が待ち構えていた報道陣にブチまけたのだろう、ＴＳＪの面々が泊まっているホテルがレース・メディアに取り囲まれるのに時間はかからなかった。記者会見もクソもなく、部屋のドアの前で鈴石と大椋がマイクとフラッシュに囲まれた。<br />「ミスター・スズイシ、チームの未来は？」<br />「皆の想像している通りだよ」<br />「今回で撤退？、それともこのまま帰国ですか？」<br />「モナコＧＰには出るよ。ただし、もしかしたらジョナサンだけかも知れないがね」<br />「ユウトは解雇？、それとも&#8230;」<br />「知らない。自分で勝手に帰っちゃったんだよ」<br />「鈴石さん、駄目ですよ、そんなこと言っちゃ！」<br />大椋が焦って鈴石を制する。だが鈴石は笑っていた。<br />「もうかまわんよ。逆に、何を言われても良い覚悟がなきゃ、アイツだって勝手に帰りゃせんだろう」<br />「まったくもう&#8230;」</p>
<p>同じ頃、ニース国際空港では風間がメディアに感情をブチまけていた。<br />「全く、冗談じゃないですよ。こっちは世界を舞台に闘うＦ１ドライバーだってのに、ウチのチームと来たら、満足に予選を通過出来るマシンも作れない。そりゃスポンサーだってファンだって、嫌になるってもんでしょう？」<br />大きなスーツ・ケースに長い足をかけ、サングラスの奥でキョロキョロとカメラを意識しながら風間が大袈裟な手振りを交えて怒鳴り散らす。<br />「でもユウト、チーム・メイトは２度、予選を突破しています。貴方のベスト・タイムはいつもカイル氏より大幅に遅れていましたよね？。御自分のパフォーマンスにも問題があるとは考えないのですか？」<br />ヨーロッパのメディアは単刀直入だ。チッと舌打ちし、マネージャーの方を一瞬振り返りながら、イライラした時のクセである頭を掻く仕草をして風間が返す。<br />「そりゃ、僕はまだＦ１の一年生だし、相手はＦ１で３勝を挙げているベテランなんだから。それに、きっとチームは優先的に、カイルの方に最新のパーツを使わせたりするんだ。それでジャッジされても困るんだよねえ」<br />この手のやりとりには慣れているレース・メディアの面々からはやや失笑が漏れ、風間は自らの首を絞めることとなってしまっていた。<br />「ユウト、これからどうされるんですか？」<br />「取りあえず日本に帰って、それから訴訟の準備だ。これは僕のレース人生の汚点になるような事件だからね！。そして、まずは人気のあるＧＴ選手権にでも出るさ。そっちの方がよっぽど皆の注目を浴びるからね。それにモデルの仕事もいくつか予定が入っているから、相変わらず忙しい毎日さ」<br />風間の目線の先には、既に日本へ帰ってからの日々しか映っていないようだった。</p>
<p>その頃日本では、既にインターネットを中心にＴＳＪのＦ１撤退が大きく報じられていた。ＦＩＡのバジェット・キャップ案により誕生した純日本製Ｆ１チーム、ＴＳＪ（チーム・サムライ・ジャパン）は、成績低迷／露出効果不足を理由にメイン・スポンサーが契約を破棄し、日本人ドライバーの風間裕人はレースをボイコット、チームは第６戦モナコＧＰを最後に撤退を余儀なくされることとなった。そのニュースは決して夢破れた悲壮感が漂うことはなく、景気を見据えた上でクールに分析された結果としてしか扱われなかった。</p>
<p>「かっこわるい。だったら初めからやんなきゃ良かったのに」<br />「だいたいもうＦ１って時代じゃないよね。バブルじゃあるまいし」<br />「年寄りが集まってみっともない。林田に由里に星田に鈴石&#8230;まるで同窓会」<br />「自動車メーカーでもないのにＦ１なんか出来ないってこと。甘く見過ぎ」<br />「日本にＦ１チームなんてあったんだ。今知った（笑）」<br />「これ以上風間クンに恥をかかせないでください」</p>
<p>「&#8230;どうでも良いけど、皆言いたい放題だな。体制発表の時は夢のオールスターだのなんだの言ってたくせに」<br />「寂しいですね。世間ってこんなものなのかな&#8230;」<br />大股開きでソファに腰掛け、携帯電話でチームのツィッターを見ながら鈴石と大椋が嘆いた。時代は残酷に、そして無責任に、最新情報と本音を羅列して当事者にぶつけて来る。<br />「ま、こんなにマスコミに騒がれるのも一昨年の体制発表以来のことだ。結局２０１０年は経済的な理由で参戦出来ず、バーニーの計らいで１年待って貰ってたわけで、そう言う意味じゃ、久しぶりにメディアを賑わせてんじゃないの」<br />「それが良いニュースだったら良かったんですけどね&#8230;」<br />「ハッハッハ。そりゃそうだ」<br />汗をかきつつ、報道陣からどうにか逃れて来た星田が部屋に入って来た。<br />「ふう&#8230;やれやれ。こんなに取り囲まれるのはいつ以来だったかな」<br />「ハッハッハ。丁度今大椋とそんな話をしてたんですよ。ただ良いニュースじゃないのが残念だ、ってね」<br />「星田さん、山本左近のマネージメントから連絡が入っています」<br />「ん？、左近君から？」<br />「はい、もしも風間が乗らないのであれば、こっちはいつでも準備は出来ています、と。あと、ペドロ・デ・ラ・ロサと、ルーカス・ディグラッシからも。それから&#8230;」<br />「解った。ありがとう&#8230;いや、ありがたいと言うべきか、悩ましいところだな&#8230;」<br />「現実的に、明後日のフリー走行までにセカンド・ドライバーを決めるのか、それとも風間をなだめすかして呼び戻すのか、決断しないとなりません」<br />「解ってる。ただ、おそらく風間は今更帰って来んだろうし、林田さんがそれを許すとも思えん。とは言え、このプロジェクトは元々風間ありきのチームだ。まずは風間と話すことから始める必要がある」<br />「もう、いっそ星田さんが乗っちゃえば？。日本一速い男・復活！ってね（笑）」<br />「馬鹿言うなよ。だったら鈴石が乗れ。Ｆ１表彰台経験者だろ？」<br />「ふたりとも、真面目に考えて下さいよ！」<br />「悪い悪い。&#8230;うん、ちょっと林田さんと話して来るよ」<br />背中越しに手を振りながら、星田は部屋を出た。歴史と伝統のモナコＧＰを目前に、星田にも誰にも、起死回生のアイデアなどなかった。</p>
<p>次回に続く。</p>
<p>※この物語はフィクションです。</b></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第一章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>彼らが恐れ、闘うもの</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/</link>
					<comments>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Feb 2011 10:52:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/post_40</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>開幕を目前に控え、ようやく合同テストがスタートしたと思った矢先、恐ろしいニュースが飛び込んで来た。バレンシア・テストでトップ・タイムを叩き出していたロータス・ルノーGPのドライバー、ロベルト・クビサがイタリアで開催されて・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/">彼らが恐れ、闘うもの</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">開幕を目前に控え、ようやく合同テストがスタートしたと思った矢先、<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=42" target="_blank"><font color="#ff00ff">恐ろしいニュース</font></a>が飛び込んで来た。バレンシア・テストでトップ・タイムを叩き出していたロータス・ルノーGPのドライバー、ロベルト・クビサがイタリアで開催されていたラリーのレース中にガードレールにクラッシュ、右手、腕、足などを骨折し、特に酷かった右腕は一時切断も検討されるほどだったと言う。幸いにも7時間に及ぶ大手術の末に&#8221;最悪の事態〜切断〜&#8221;は免れたが、当然F1開幕に間に合うわけもなく、復帰には相当な時間がかかると見られている。いや、極端に言えばこの事故がクビサのレーシング・ドライバー生命に関わる、と言っても過言ではない状況である。多くの関係者が心配する中、チームはやむなく代役ドライバーの選考に入り、かつての僚友であるベテランの<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=60" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニック・ハイドフェルド</font></a>がクビサに代わってロータス・ルノーGPをドライブすることが決定、事実上クビサの2011年シーズンは終ってしまったのである。<br />&#8230;..両手／両足が全て異なる作業を必要とするカー・レースと言う分野のレギュレーション、特にF1のような特殊なカテゴリーでは、こういったケースは致命的となることが多い。故に、ドライバーはオフ・シーズンも含めて充分な健康管理が必要とされ、例えば<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>などのトップ・チームはもしもの怪我に備え、ドライバーにスキーなどの一部スポーツを禁止したりするほどである。今回のクビサはF1オフ・シーズンを利用してのラリー参戦だったが、これがルノーでなくフェラーリなら当然ラリー禁止。<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>などはそれが嫌でF1から出て行った、と言われるほど。しかし、こうして実際に事故が起きてしまった以上、ルノー側がクビサのラリー出場を認めていたこと自体が問題視されてしまうのはやむを得ない。</p>
<p>今回の事故に関しての報道で、&#8221;ナニーニのケースとの比較&#8221;という記事を良く見かけると思う。しかしその&#8221;ナニーニ&#8221;に関してはあまり詳しく紹介されていないので、今ひとつ良く解らないという方も多いだろう。先に結果から言うとナニーニと言うのは、かつて右腕切断と言う大事故に遭いながらも、懸命のリハビリでレースに復帰した元F1ドライバー、アレッサンドロ・ナニーニのことなのだが、今回のクビサの事故を受け、重大事故、特に手足の骨折や切断、という極限状況から不屈の精神で復活を目指したドライバー、という過去のケースをいくつか振り返ってみようと思う。悪夢のような恐ろしい体験から地獄のようなリハビリを乗り越え、いったい彼らはどうやって帰還したのか。そこにはレーシングに取り憑かれた者だけが知る究極の欲望と、周囲の献身的な協力が存在する。</p>
<p>尚、今回のコラムは少々ヘヴィなテーマ／内容なので、興味本位ではなく、心して読んで頂きたい。</p>
<p>さて、まずはその&#8221;ナニーニ&#8221;の紹介から。アレッサンドロ・ナニーニは&#8217;59年7月7日、イタリア出身。モトクロスでレースに目覚め、4輪に転向。&#8217;81年フォーミュラ・フィアット・イタリア王者となり、&#8217;82年にF2へステップ・アップ。所属するイタリアのレーシング・チーム、ミナルディがF1に参戦することとなり、ナニーニ自身は&#8217;86年に同チームからF1デビュー。非力なマシンで印象的なパフォーマンスを見せ、&#8217;88年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>に抜擢。&#8217;89年第15戦日本GP、あの有名な&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_112.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セナ・プロ鈴鹿シケイン接触</font></a>&#8220;のレースで<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>の失格により、繰り上がり初優勝。翌&#8217;90年も常にトップ争いに加わり、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・アレジ</font></a>とフェラーリのシートを争うほどの若手トップ・ドライバーとなった。<br />&#8230;..初勝利から丁度1年、&#8217;90年第15戦日本GPを目前に控えた10月12日、悲劇は起きた。ナニーニは友人と自家用ヘリコプターに乗っていたが、自宅敷地内で着陸に失敗し、墜落。その際ナニーニは機外に投げ出され、ヘリコプターのローターで右腕を切断。その際、妻が切断された右腕を氷水で冷やして保管し、病院に運ばれて縫合手術が行われた。手術は成功し、ナニーニは復帰目指して懸命のリハビリを開始。数度に渡る手術を受け、苦痛と闘いながら握力の回復に努める日々を送る。そして事故から2年半後の&#8217;92年3月、ナニーニは遂にDTM（ドイツ・ツーリング・カー選手権）でアルファロメオに乗り、レース復帰を果たす。その後BTCC（イギリス・ツーリング・カー選手権）にも参戦し、&#8217;97年に正式にレーシング・ドライバーを引退した。<br />&#8230;..日本でも人気が高かったナニーニの事故はファンにとって衝撃だった。イタリアのTVカメラが捉えた、搬送中に妻が半狂乱になりながら「撮らないで！」と叫んでいた姿は忘れられない。しかし、パドックでも陽気な性格で知られるナニーニは、救急車で搬送中にも「僕はF1ドライバーだからもっと早く走れるよ。運転代わろうか？」とジョークを飛ばしたと言う。そして事故直後の日本GPで、ベネトンはエースの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>と、ナニーニの代役ロベルト・モレノが奇蹟の1-2フィニッシュ。モレノは「この2位をサンドロ（ナニーニ）に捧げる」と言い、ナニーニもまた「僕が出ていれば勝てたのに！」と笑った。ナニーニは事故後も、決して明るさを失わなかった。TVインタビューにも率先して応じ、「何が一番不自由かって、自分で慰められないことだよ！（笑）」と笑わせた。右手にはクッション・ボールを握り、ゆっくりゆっくり動かしていたのが印象的だった。そして&#8217;92年、ナニーニは左手だけでシフト出来る仕様に改造されたフェラーリのF1マシンを駆る機会を得た。しかしその際、右手にかかる負荷をあらためて実感し、F1ドライバーとしての復帰を諦めたのだと言う。<br />ナニーニの切断された右腕は、周囲の適切な処置により縫合に成功した。そして彼はレースに帰って来た。が、F1でレースすることはもはや出来なかった。現在は女性に人気の&#8221;<a href="http://www.grupponannini.it/" target="_blank"><font color="#ff00ff">カフェ・<br />
ナニーニ</font></a>&#8220;を経営するビジネス・マンである。</p>
<p>&#8230;..ナニーニに良く似たケースとして、オールド・ファンの記憶に残っているのは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ディディエ・ピローニ</font></a>だろう。こちらはシーズン・オフではなくレース中の事故、そしてナニーニが腕だったのに対してピローニの場合は足だったが、彼もまた大クラッシュから再びレーサーとして復帰を目指し、そしてF1ではないにしろ、実際にレース現場へと帰って来た。が、&#8221;その後&#8221;に関してピローニはあまりにも悲惨な結末だった、と言わざるを得ない。</p>
<p>ディディエ・ピローニは&#8217;52年3月26日生まれのフランス人。母国の大企業&#8221;エルフ&#8221;の強力なバック・アップを受け、&#8217;78年にティレルからF1デビュー。&#8217;80年に母国のF1チーム、リジェに乗って初勝利を飾り、翌年のフェラーリのシートを勝ち取った。チーム・メイトはカナダの新星、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジル・ヴィルヌーヴ</font></a>。ふたりは良きライバルとしてフェラーリの勝利に貢献するが、&#8217;82年第4戦サンマリノGPレース終盤、1位ヴィルヌーヴ、2位ピローニの順で走行中に、フェラーリのピットから「順位を固定せよ」との&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_26.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チーム・オーダー</font></a>&#8220;が発令。しかしピローニはこれを破って無抵抗のヴィルヌーヴを抜き、勝利してしまう。つまり、チーム・オーダーを無視してしまったのである。これでふたりの信頼関係に亀裂が入り、翌第5戦ベルギーGP予選でふたりのポール・ポジション争いが白熱。&#8221;限界を超えた&#8221;ヴィルヌーヴが高速で他車に接触し、車外に投げ出されて死亡。ピローニはタイトル争いのトップに立ったが、同時に世界中の憎まれ役ともなってしまった。<br />迎えた第12戦ドイツGP、大雨の予選2日目。視界不良の中、ルノーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>はタイム・アタックを諦めてスロー走行し、後方のデレック・デイリー（ウィリアムズ）に進路を譲る。後方からそのデイリーの加速を見たピローニは、何故か突然アクセルを踏み込み、水しぶきで何も見えない中、プロストのマシンに全速力で突っ込んでしまった。ルノーの右リア・タイヤに乗り上げたピローニのフェラーリは空を舞い、そして激しく地面に叩き付けられた。ピローニは両足の骨を粉々に砕く重傷を負い、マシンに閉じ込められた。しかもピローニはマシンの中で意識を失っておらず、救急隊員がその場での両足切断に関して協議する様子を全て聞いていたと言う。結局ピローニは切断は免れたが、両足の複雑骨折で長期入院となり、選手権から離脱した。<br />ピローニはこの事故後30回以上の手術に耐え、レース復帰へ向けて必死のリハビリを繰り返した。母国フランスのチームであるリジェ、AGS、ラルースなどがピローニのF1復帰のためにテスト・ドライブのチャンスを与えたが、最終的にF1に戻ることは出来なかった。結局ピローニは事故から5年後の&#8217;87年、&#8221;水上のF1&#8243;と言われるパワー・ボートでレースに復帰。しかし8月23日、イギリスのワイト島で行われたレースで大クラッシュを起こし、帰らぬ人となった。付近を巨大な石油タンカーが通った際に起きた大波に乗ってしまったのが事故の原因だった。<br />また、ピローニを巡っては自身が両足の怪我を負った同じ&#8217;82年、第8戦カナダGPのスタートでエンジン・ストールし、そこへ突っ込んで来たオゼッラのリカルド・パレッティが死亡した事故も含め、多くの&#8221;悲劇の主人公&#8221;として語られることが多い。実際、それほどの事故に遭いながらもレースへの夢捨て難く、そして最後はやはりレースで命を落とした。いったい何がピローニを駆り立てていたのか。その答はピローニ自身にしか解らない。</p>
<p>&#8230;..もう何年も前のことになるが、車椅子から手だけでドライブ出来る特別仕様のNSXに乗り込み、ご機嫌で縁石を攻めながらサーキットを疾走するオヂサン、というホンダのTVCMを覚えておられる方も多いと思う。<br />彼の名はクレイ・レガッツォーニ。&#8217;39年9月5日、スイス出身のレガッツォーニは母国企業チソットをスポンサーに&#8217;70年にF2王者となり、同年フェラーリから鳴り物入りでF1デビュー。&#8217;74年にはブラジルの3度の世界王者、エマーソン・フィッティパルディとタイトル争いを繰り広げた。絶頂期を過ぎ、渋いベテラン・ドライバーとなった&#8217;80年、中堅チームのエンサインに移籍。第4戦アメリカ西GP、ロングビーチ市街地コースでのレース中、レガッツォーニのマシンはブレーキ・ペダルのトラブルに見舞われ、時速300kmで減速せずにコンクリート・ウォールにクラッシュ。それでもヘアピンが待ち受けるロング・ストレートでマシンの異変に気付いたレガッツォーニは、とっさの判断でギアを3速まで落とし、イグニッション・スイッチをオフ。更にリタイアして止まっていたマシンに一旦ぶつけ、クラッシュの衝撃を和らげようとした。しかし、それでも結局レガッツォーニの両足の骨は粉々に砕かれてしまっていた。12時間に及ぶ大手術の結果、一命は取り留めたが頸椎損傷で下半身不随となり、レース界から引退。その後は車椅子生活となりながら、TVのレース解説者として活躍した。が、そのレガッツォーニもまた&#8217;06年12月15日、イタリアの高速道路でトラックと激突して事故死。享年67歳。この時もレガッツォーニはクライスラー製の、ステアリング機能だけで運転出来る特別仕様のボイジャーに乗っていた。<br />あのCMで特に印象深かったのは、高速運転可能なマシンとサーキット走行の機会を与えられ、子供のように嬉しそうな表情を見せるレガッツォーニ自身と、空っぽの車椅子と共に心配そうに夫の走りを見守る妻の姿だった。最終的に車の事故で命を落とした夫を、いったい彼女はどう想っているのだろうか。「それが天命」とは、決して諦め切れない筈である。</p>
<p>&#8230;..アレックス、いやアレッサンドロ・ザナルディの復活劇はレース界の奇蹟として有名である。同時に、ザナルディは現在進行形のレース魂の持ち主としても、多くの人々を勇気づけ続けるヒーロー、と言えるだろう。</p>
<p>アレッサンドロ・ザナルディは&#8217;66年10月23日生まれのイタリア人。&#8217;88年にイタリア国内のF3選手権で注目され、&#8217;91年の国際F3000選手権ではタイトル争いを展開、新興F1チームの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>から声がかかり、F1デビュー。しかし中堅チームを渡り歩いたザナルディはF1で目立った成績を残すことが出来ず、&#8217;94年にシート喪失。これを機にアメリカに新天地を求め、&#8217;9<br />
6年からインディ・カー／CARTへと闘いの場を移す。アメリカでアレッサンドロ改め&#8221;アレックス&#8221;・ザナルディとなった彼は圧倒的な強さで&#8217;97、&#8217;98年の選手権を連覇。これを見たF1トップ・チームのウィリアムズから声がかかり、&#8217;99年に今度はF1へと復帰。しかしチームの低迷もあって、F1ではやはり思うような成績を残せず、&#8217;01年に再びCARTへと出戻ることになった。<br />&#8217;01年9月15日、CART第16戦の舞台、ドイツ・ラウジッツリンク・サーキット。トップを快走するザナルディは残り13周でピット・イン。作業を終えピット・ロードを走るザナルディは痛恨のスピン。そこへ運悪くアレックス・タグリアーニのマシンが突っ込み、ザナルディ車は大破。特にマシン前部は損傷が酷く、モノコックがまっぷたつに裂け、ザナルディの両足は膝から切断されてしまった。事故から2ヶ月後、退院したザナルディは記者会見で「まずは歩けるようにリハビリを行う。その後のレース活動についてはまだまだどうなるか解らないよ」と復帰へ向けて意欲を語った。<br />そして迎えた&#8217;03年5月11日、悪夢のような事故から1年8ヶ月。ラウジッツリンクには義足を装着したザナルディの姿があった。彼とチーム、そして観客達は、ザナルディの&#8221;失われた13周&#8221;を取り戻すためにそこにいた。この日、ザナルディのために両手だけでドライブ出来る特別仕様のCARTマシンが用意され、彼はあの日走れなかった残りの13周を走り切り、自らのフォーミュラ・カー・レーサーとしてのキャリアにケジメをつけたのである。ザナルディは多くの関係者とファンに感謝し、CARTマシンを降りた。<br />&#8230;..しかし、ザナルディはこれで終らなかった。その後彼は特別仕様のBMWを駆ってWTCC（世界ツーリング・カー選手権）に本格参戦、&#8217;05年第14戦では見事優勝を果たしたのである。そして&#8217;09年にレーシング・ドライバーとしては引退したが、現在はハンド・サイクルの選手として活躍し、2012年のロンドン・パラリンピック出場を目指している。これまでのザナルディの主な実績は&#8217;07年ニューヨーク・シティマラソン・ハンド・サイクル部門4位、&#8217;09年ローマ世界選手権15位（首位と僅か4.5秒差）、&#8217;10年ローマ・マラソン・ハンド・サイクル部門優勝&#8230;..この男のレースに懸ける情熱は半端じゃない。</p>
<p>&#8230;..次に紹介するのは、長きF1の歴史に於いて、記録にも記憶にもあまり残っていない、ひとりの無名ドライバーのケースである。しかし、&#8221;懲りない&#8221;という部分では相当に深く、更に運も良かった男の、見方を変えれば羨ましいレベルの話だ。</p>
<p>イアン・アシュレーは&#8217;47年10月26日生まれのイギリス人。豊富な資金を元にフォーミュラ5000を経て&#8217;74年にプライベーターによるスポット参戦という形でF1デビュー。4年目の&#8217;77年シーズン、アシュレーは後半戦の第12戦オーストリアGPからヘスケスで参戦。第16戦カナダGP予選、ここまで予選落ちの常連になりつつあったアシュレーは焦り、ジャック・ラフィーのリジェを無理にオーバー・テイクしようとして、ストレート・エンドからアウト側のダートへ飛び出してしまい、マシンは激しく横転。衝撃でコックピット部が外れ、アシュレーはバラバラになったマシンの下敷きになってしまった。この際、モノコック前方が激しく損傷し、アシュレーの両足は折れ、足首から先があり得ない方向を向いていた。救出には時間がかかり、アシュレー本人は激痛で何度も失神を繰り返したが、どうにか両足切断は免れた。しかしこの事故でアシュレーのF1ドライバーとしてのキャリアは終わりを告げた。が、スピードの魅力に取り憑かれていたアシュレーは、リハビリ後、なんとアメリカでジェット機のパイロットへと転身。その後もBTCC（イギリス・ツーリング・カー選手権）やサイド・カー・レースなどにも出場し、60歳を過ぎた今も、細々ながら精力的にレース活動を行っているのである。<br />アシュレーは&#8217;70年代に良く見られた資金持ち込みプライベーター、所謂<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2011/01/post-39.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペイ・ドライバー</font></a>のひとりである。悪い言い方をすれば、F1で活躍するトップ・ドライバー達と競い合うには、技術的に未熟な部分が大事故に繋がったと、考えられなくもない。しかも当時は現在のような安全性からは程遠く、一歩間違えば命の危険に晒される時代である。それでも彼らがチャレンジをやめなかったのは、レーシングが&#8221;危険と隣り合わせ&#8221;という理不尽な魅力を持つカテゴリーであることが関係しているという事実を、少なくとも当時、決して否定することは出来なかったのだ。</p>
<p>昨年最終戦までタイトル争いを繰り広げた<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-25.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>は、シーズン開幕前と終盤の2度に渡って趣味のマウンテン・バイク中の事故で怪我をし、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>のクリスチャン・ホーナーは「マークは自転車をやめるべきだ」と激怒した。今回のクビサのケースでも、見方によってはオフ・シーズンにラリー出場という&#8221;危険な行為&#8221;を行ったことにより、自身とそれを許可したチームに対する非難が続出した。クビサは事故後「テスト規制の厳しいF1では、オフ・シーズンのラリー出場が運転の感覚を向上させるのに有効であると」、自らのラリー参加を正当化する発言をした。しかし、その意見に対し「あまりにも理性に欠けている」と発言したのは、かつて瀕死の重傷を負いながらも奇蹟の復活を遂げた帝王、ニキ・ラウダである。</p>
<p>&#8220;スーパー・ラット&#8221;ことニキ・ラウダは&#8217;70〜&#8217;80年代を代表するF1ドライバーであり、3度の世界王者である。&#8217;49年2月22日、オーストリア生まれのラウダは&#8217;71年にマーチでF1デビューし、&#8217;75年にはフェラーリで初の王座獲得。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_65.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;76年第10戦ドイツGP</font></a>、山の中を走る旧・ニュルブルクリンク・サーキット、1周22.8kmというロング・コースの、観客もマーシャルもあまりいない高速コーナーで事故は起きた。ラウダのフェラーリは小雨の中、リア・サスペンションのトラブルから突如スライドしてフェンスに激突。マシンは一瞬にして炎に包まれた。そして、現在では考えられないような低い安全性の中、ラウダは燃え盛るマシンの中で意識を失っていた。救急車も消化器を持ったマーシャルも付近にはおらず、数十人の観客達は、燃え盛るフェラーリをただ呆然と見つめることしか出来なかった。誰もが絶望感に苛まれ、立ち尽くすだけだった。<br />&#8230;..そして、そのラウダを炎の中から救出したの<br />
は、この事故を見て現場でマシンを降りた、後続の4人のドライバー仲間だった。800度の炎の中に1分以上閉じ込められていたラウダは、重度の火傷と出血多量でハイデルベルグの病院へと運ばれた。4日間意識不明の状態が続き、病床には牧師が訪れ、マスコミには既にラウダ死亡説が流れていた。<br />&#8230;..6週間後、第13戦イタリアGPの舞台、モンツァ・サーキットには、焼けただれた顔面を隠すことなく、チャンピオン争いのために帰って来たラウダの姿があった。そしてラウダはこのあと、更に2度世界王者となるのである。<br />死の淵から生還したヒーローとして、ラウダの復活劇は世界的にも有名だが、この事故を境に、ラウダはサーキットとマシンの安全性に対して自身の意見を唱えるようにもなった。事実、事故に遭った&#8217;76年シーズンの最終戦、富士スピードウェイでの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">F1GPイン・ジャパン</font></a>は豪雨に見舞われ、ラウダは選手権トップにいながら「危険過ぎる」と自主的にリタイアし、1点差で王座を逃している。が、これこそが王者の論理そのものであり、ラウダの&#8221;愛弟子&#8221;とも言うべきプロストも、ピローニとの事故以来、雨のレースを極端に嫌っている。そして、この頃から徐々に、そうあまりにもゆっくりと、レースとサーキットの&#8221;安全性&#8221;というものがようやく人々の話題になり始める。まだ、そんな時代の出来事なのである。</p>
<p>&#8230;..雨の富士、事故、フェラーリ、そして復活と言えば、我々日本人には忘れられない事故、忘れられないドライバーがいる。&#8217;59年11月6日生まれ、日本で最もフェラーリが似合う男、&#8221;日本一のフェラーリ遣い&#8221;こと、<a href="http://www.keep-on-racing.com/" target="_blank"><font color="#ff00ff">太田哲也</font></a>である。</p>
<p>&#8217;98年5月3日、全日本GT選手権第2戦、大雨の富士スピードウェイ。結論から言えば、レースは中止されるべきだった。それほどの豪雨の中、ローリング・スタートはペース・カーの突然の加速により、水しぶきで何も見えない視界ゼロの参加ドライバー達が誤ってレース・スタートだと思い込む事態を招いた。砂子智彦のポルシェがクラッシュ、そこへ太田のフェラーリが突っ込む。太田のF355GTは爆発し、炎上しながらコースを横断して停止した。太田は燃え盛るマシンの中でピクリとも動かなかった。<br />&#8230;..誰も太田を助けに来なかった。砂子は自力でポルシェから脱出（全身打撲、右足粉砕骨折、解放骨折）した。が、太田は出て来ない。RX7を止めた山路慎一が駆けつけ、太田に声をかけながら消化器を噴射、フェラーリはようやく鎮火した。ここでようやくマーシャルが駆けつけ、太田は炎に90秒以上包まれて車外に出された。が、観客の撮ったビデオには、およそ適切とは言えない対処が記録されていた。山路はドアの閉まったままの車内で無線で喋るだけのオフィシャルに激怒し、レスキュー・カーを蹴った。すると、別のオフィシャルが山路に説教を始め「このままじゃ済まさない」と言った。その間、太田は車外で放っておかれていたのである。結局太田は重度熱傷で長期入院となった。<br />&#8230;..この事故に関しては様々な意見が交わされ、裁判沙汰となり、既に和解が成立していることを踏まえた上で、筆者なりの価値観／目線で書かせて頂いた。まず、誰が悪いのかを問わなくてはいけない事態そのものが、レース運営側の失敗と対処の不備を物語っている。筆者は現場にいたわけではないし、残された証拠を元に書くしかないが、多くの事柄について、運営側が責任逃れとしか思えない言動を行っていた疑いは、筆者の今日の日本のサーキット／レース運営の見方に大きく影響を与えているのは事実であることを付け加えておく。尚、この事故に関しては&#8217;01年に太田自身による&#8221;クラッシュ＿絶望を希望に変える瞬間&#8221;という著書として出版され、&#8217;03年には映画化もされているので、機会があれば是非御覧になって頂きたい。<br />その&#8217;03年、事故から5年を経て、太田はアルファロメオのワン・メイク・レース&#8221;アルファチャレンジ・ユーロ・カップ&#8221;でレースに復帰した。が、熱傷の後遺症で右手足に後遺症が残ったために引退を余儀なくされ、現在はフェラーリなどのチューニング・パーツの開発を行う&#8221;TEZZO&#8221;代表、更にモータージャーナリストとしても活動しながら、アマチュア・レーサーのための&#8221;<a href="http://www.tezzo.jp/tezzo-racers-club-page-top.htm" target="_blank"><font color="#ff00ff">TEZZO RACERS CLUB</font></a>&#8220;、更に苦悩する人々を支援する&#8221;<a href="http://www.keep-on-racing.com/npo/" target="_blank"><font color="#ff00ff">NPO KEEP ON RACING</font></a>&#8220;を主宰し、精力的に講演活動などを行っている。&#8230;..なんと言う強さだろうか。多くを失い、多くを諦めなければならなかった太田自身が、未だ我々に&#8221;勇気&#8221;をくれる。</p>
<p>&#8230;..筆者の記憶にこんな話が残っている。1991年第15戦、日本GP。ラルースのエリック・ベルナールは予選中、鈴鹿のヘアピン立ち上がりでスピンを喫し、コンクリート・ウォールに激突。衝撃でベルナールは左足を骨折し、折れたペダルに挟まれて身動きが取れなくなっていた。チーム・メイトだった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>が事故現場でマシンを降り、救出中のベルナールを励ましていた。その際、自身の怪我の状況が解らないベルナールは「お願いだから足だけは切らないでくれ。足切られるくらいなら死んだ方がマシだ」と泣き叫んでいた。亜久里はベルナールに「折れてるだけだから大丈夫だよ。またレース出来るから」と声をかけていたと言う。<br />これは、常に危険と隣り合わせのレーシング・ドライバー同士だからこその、リアルな会話である。もしもこれが一般人であれば、少なくとも「足切るなら死んだ方が良い」とは思えない。それほどまでに彼らは手足の切断という&#8221;最悪の事態&#8221;を恐れ、その恐怖と闘っている。そして亜久里もそれを解っている仲間／同業者だからこそ、その励まし方を知っていた。彼らにとって「またレース出来るから」という言葉は、何よりの励ましなのだろう。ちなみにその後ベルナールは無事F1に復帰し、&#8217;94年第9戦ドイツGPでは3位表彰台を獲得している。</p>
<p>最後にもうひとつだけ、紹介しておこう。手足の切断、という分野とは違ってしまうが、ある大事故がきっかけで、確実に大バケしたひとりの天才レーサーの話だ。</p>
<p>&#8217;68年9月28日、フィンランド出身の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>。彼は6歳の頃からモーター付き自転車でレースに出場するようになり、&#8217;90年にはイギリスF3を制覇。伝統のマカオF3では<a href="http://www.f1-stinger.
com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>、エディ・アーバイン、ミカ・サロらと激闘を繰り広げ、ファイナル・ラップでトップのシューマッハーのリアにクラッシュして無念のリタイア。既にレース1を制しており、2位でも総合優勝確実だったのにも関わらず、レーサーとしての本能だけでレースをフイにし、泣きながらガードレールを殴り続ける姿は世界中にミカの名を知らしめることとなった。&#8217;91年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>からF1デビュー、&#8217;93年に名門<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>に抜擢。しかし、ホンダを失ったマクラーレンは長い低迷期に入ってしまっていた。<br />&#8217;95年第16戦オーストラリアGP予選初日。ハッキネンのマシンのリア・タイヤが突然激しくバースト、マシンは眼の前の高速コーナーのバリアに真っすぐ突っ込んでしまった。ハッキネンはステアリングに頭部を強打し、意識不明の状態で急遽病院に運ばれた。<br />意識が回復した時、傍らにロン・デニスは開口一番「ミカ、すまなかった。コース上でタイヤが拾った異物が徐々にタイヤのエア漏れに繋がっていたのを、我々が気付かなかったんだ。だから君のせいじゃない」と謝った。するとハッキネンはなんと「なんだ、僕のミスじゃなかったのか。ならOK、大丈夫だよ」と答えたのである。<br />翌&#8217;96年の開幕戦は前年の最終戦、奇しくもF1カレンダーの妙で事故が起きた同じオーストラリア・アデレイド。ハッキネンは奇蹟の復帰を遂げ、何事もなかったかのように予選5番手のタイムを叩き出す。スタッフは大喜びし、ピットへと戻って来たハッキネンを拍手で迎えた。ところが、ハッキネンは大喜びのチームに対し、「おいおい、5位だろ？、ポール・ポジションでもないのに何を騒いでるんだ。こっちは勝つために走ってるんだぜ！」<br />デニスは「あの時ミカは変わった」と感じたそうである。そしてハッキネンは翌年初優勝、最強メルセデス・ベンツ・エンジンを武器に&#8217;98、&#8217;99年の選手権を連覇する。<br />&#8230;..もしもあの事故がなかったら&#8230;..いや、その答は解らない。しかし、こうしたきっかけでドライバー個人のドライビング・スタイルや、チーム体制などに変化が起きる可能性はあり、ハッキネンの事故はその両方に影響を与えた、と言えるだろう。</p>
<p>&#8230;..この原稿を書いている時点では、サンタコロナ病院に入院中のクビサが最後の手術を終え、無事成功したという<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=61" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニュース</font></a>が最新である。病院関係者は口を揃えて「強靭なレーシング・ドライバーは精神力と回復力も強く、復帰も早い」と言う。しかし、一体いつクビサが再びF1のグリッドに帰って来られるかのは解らない。が、自身も、チームも、ファンも、それを願い、祈り、待とうじゃないか。頑張れ、ロベルト！。</p>
<p><i>「自分が愛するモーター・スポーツが、これを機にもっと安全になり、発展することを期待します」&#8217;03年10月29日／太田哲也</i></p>
<p>////////////////////////////////////////////////<br />&#8220;バリアの外側のマニア&#8221;加瀬竜哉が最新のF1ニュースをピックアップし、そのニュースの背景を持ち前のマニアックな視点から掘り下げ、更により解りやすく解説し、検証する。<br /><a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi" target="_blank"><font color="#ff00ff">no race, no life formula1 topics</font></a></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/">彼らが恐れ、闘うもの</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ペイ・ドライバー再来？</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%bc%e5%86%8d%e6%9d%a5%ef%bc%9f/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 12:31:37 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/?post_type=kasetatsuya&#038;p=46895</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>開幕が待ちどおしい2011年F1世界選手権。もうこっちも慣れたモンではあるが、この期に及んでいくつかのチームが未だドライバー・ライン・アップを未決のままでいる。が、当然水面下で多くの浪人ドライバー達がチームと契約に関して・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%bc%e5%86%8d%e6%9d%a5%ef%bc%9f/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%bc%e5%86%8d%e6%9d%a5%ef%bc%9f/">ペイ・ドライバー再来？</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">開幕が待ちどおしい2011年F1世界選手権。もうこっちも慣れたモンではあるが、この期に及んでいくつかのチームが未だドライバー・ライン・アップを未決のままでいる。が、当然水面下で多くの浪人ドライバー達がチームと契約に関して細かいやりとりの真っ最中であり、そこには相当巨額なお金が蠢いている、と考えて良い筈である。では、準備不足というリスクもある筈なのにチーム側がなかなか正式発表しないのはいったい何故なのか。<br />以前、ここスクイチで&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">お金のハナシ。</font></a>&#8220;と題し、F1チームの運営資金からドライバーのギャランティに至るディープな話題を扱ったことがあったが、これがおかげさまでなかなか好評、今更ながらこのモータースポーツの頂点であるジャンルに於けるお金の位置付け、そしてスポーツとは、選手（ドライバー）とはなんたるか、などの議題にも突っ込んだのが功を奏したのかも知れない。ともあれ、&#8221;実力のみでは走れず、お金だけでは勝てない&#8221;というこのジャンルの難しさを少しでもビギナーの皆さんに伝えることが出来たなら幸い。<br />さて、このところ目一杯F1チームのシート争奪戦を難しくしちゃった感のある話題に、インド人初のF1ドライバー、ナレイン・カーティケヤンがHRT（ヒスパニア・レーシング）から5年振りにF1復帰、契約スポンサー料はチームの年間運営資金の1/3と言われる1千万ユーロ（約11億円！）を持ち込んだ、と言うニュースがある。また例によって金に細かい<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-30.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コリン・コレス</font></a>のこと、もしもカーティケヤン・サイドの支払いがちょっとでも滞ったら、いったい誰が代わりに出て来るか解ったモンじゃない。<br />また、ウィリアムズが&#8217;10年のゴールデン・ルーキーのニコ・ヒュルケンベルグを泣く泣く捨て、巨額のベネズエラ・マネーを持ったパストール・マルドナドを起用せざるを得なかったのもF1の現状を良く表している。かの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランク・ウィリアムズ</font></a>が、金にさえ困ってなきゃ絶対にあんな掘り出しモノ（ニコ）を放出するワケがない。なんたってあの中団グループのウィリアムズ・コスワースで第18戦ブラジルGP予選ポール・ポジション獲得だぜ？。チーム5年振りの快挙だぜ！？。で、そんな逸材を捨ててまでまたも新人ドライバーを獲らなきゃならないところがウィリアムズの深刻な事情なんだな。</p>
<p>&#8230;..さあ、今回のテーマはズバリ&#8221;ペイ・ドライバー&#8221;だ。非常に残酷な言い方をしてしまえば、実力や成績よりも巨額の持ち込み資金によってF1のシートを射止めた者。ただし、中にはそのチャンスを活かし、自らの腕で好成績を残した者もいるし、反面「ああやっぱり」的な結果しか残せなかった者も大勢いた。が、元々は貴族や金持ちの道楽として始まった自動車レース、当然過去のF1黎明期を含め、長い自動車レースの歴史を語り始めればそんな例はキリがなく、ここに紹介しきれるほど少なくもないので、ここではおそらくここを御覧になってる皆さんの平均年齢と、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;76年富士</font></a>デビューの筆者の記憶に強く残るペイ・ドライバーを紹介することにする。</p>
<p>まずは&#8217;70年代。<br /><a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">筆者</font></a>が1976年のF1イン・ジャパン@FISCOで初めてF1マシンを目の当たりにした際（当時小学生）、何もかもが未知の世界であったのはご想像の通りだが、徐々にF1にのめり込んで行くに連れ、どうにも子供のアタマでは理解出来ない事柄がいくつかあった。その中のひとつが、各チーム基本2台態勢でカー・ナンバーが連番、または小規模なチームは1カー態勢での参戦が基本のようなのだが、たまにカー・ナンバーが離れた3台目のマシン／ドライバーが、それも違うチーム名で走っている例があることだった。例えば&#8217;76年シーズン、タイレル（所謂ティレル）は&#8221;エルフ・チーム・タイレル&#8221;としてナンバー・3にジョディ・シェクター、4にパトリック・デパイエをエントリー。んで、どうやらこれがワークス・タイレル。で、エースのジョディの弟であるイアン・シェクターがカー・ナンバー15で、チーム名は&#8221;レキシントン・レーシング&#8221;。更にカー・ナンバー39にオット・ストウパッシャー（OSACレーシング）、40にイタリアのアレッサンドロ・ベゼンティ・ロッシ（スクーデリア・ガルフ・ロンディーニ）、更に当該の第16戦富士では我が日本の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_06.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">星野一義</font></a>がナンバー52でヒーローズ・レーシングからエントリー。これがどうやら&#8221;プライベート・チーム&#8221;ということらしい。ただし、ワークスのふたりが新車<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">P34</font></a>に乗っているのに対し、プライベート参戦の3人は旧車007、という状況である。他にもブラバムがワークス2台＋プライベート4台、マーチがワークス2台＋プライベート2台などなど。そして、もうひとつプライベート・チームがワークスと決定的に違うのは、そのマシンのカラーリング及びスポンサー・ロゴである。簡単に言えば確かにマシンはタイレルでありブラバムなのだが、その見た目はかなり独創的で、特にワークス・チームのデザインに馴染みがあればあるほど、その特殊な違和感を持つ見た目が不思議な魅力を持って見えて来る。<br />&#8217;70年代で筆者が記憶に強く残っているのは、メキシコ出身のヘクター・レバークといドライバーである。<br />レバークはメキシコのホテル経営による大富豪の家庭に育ったスポーツマンで、&#8217;77年第7戦ベルギーGPにヘスケスからF1デビューし、第11戦ドイツGPで初の予選通過〜決勝リタイア。数戦乗った後に自身のチーム&#8221;レバーク&#8221;を発足、翌&#8217;78年にはチーム・レバークとしてロータスの名車、78を購入。第11戦得意の（？）ドイツGPで初の6位初入賞を記録した。翌&#8217;79年にはペンスキーのマシンを購入し、&#8221;レバークHR100&#8243;として参戦。レバーク本人はこのあたりで上位に食い込めぬ現状からF1に一旦見切りをつけるが、&#8217;80年に地元メキシコのスポンサーがブラバム・チームのナンバー2・シートをゲットし、初のワークス参戦。しかし後に3度の世界王者となるエースの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>相手に歯が立たず、&#8217;81年のフル参戦を最後に引退。参戦中、予選でただの1度もチーム・メイトを上回れなかったのがレバークの実力の全てを表していた。それでも&#8221;道具&#8221;に恵まれた&#8217;81年には最高位4位（3回）を記録、ただしこの年、同僚ピケは初の世界王者となっている。<br />ノーズにメキシコ国旗が描かれたチーム・レバークは、これまでF1史上唯一のメキシカン・チームである。「自身のチームで2年やったが、状況は好転しなかった。マシンを壊さぬよう、無事にゴールまで運ばなくてはならなかったし、スポンサーに対しても申し訳なかった。だから自分のチームを興すことにしたんだが&#8230;..今考えればあまり効果はなかった、と言わざるを得ないね」と後年レバークは当時を振り返った。が、成功した名門チームのシャシーを購入して出走しても、決してワークスのような速さに繋がらないのが、チーム力でありドライバー力であることをこの少年が知るには丁度良い存在であった。そして何より、ワークス・チームに比べて明らかに&#8221;ダサい&#8221;、彼らプライベーターのマシン・カラーが何故か妙に愛おしく感じたものである。</p>
<p>続いて&#8217;80年代。&#8230;..この時代に関しては相当多くのペイ・ドライバー達がF1のパドックに犇めいていた。よって、誰かひとりを選出するのは極めて難しいのだが&#8230;..敢えて選ぶのならアンドレア・デ・チェザリスだろうか。&#8217;76年イタリア・カート王者、&#8217;79年イギリスF3選手権2位のキャリアは見事なものである。が、&#8217;80年にF1デビューを飾るチェザリスには、&#8221;そこにいる&#8221;ための極めて大きな要素が存在した。実は、彼はフィリップ・モリス社／マールボロの重役の御曹司だったのである。<br />ただし、チェザリスは実際に速かった。が、同時にそのドライビング・スタイルは極めて荒かったのも事実である。極端な言い方をするなら「金の心配はいらないから思い切り突っ走って来い」と言われてそのまま突進するタイプで、&#8217;83年第13戦カナダGPでマールボロがメイン・スポンサーを務めるアルファロメオからF1デビュー、いきなりの予選8位。フル参戦初年度の&#8217;81年は名門<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>へと移籍し、第4戦サンマリノGPで6位初入賞。しかしリタイア回数は8回を数える。&#8217;82年にはアルファロメオへ復帰し、第3戦ロングビーチGPで22歳（当時歴代最年少記録）での初ポール・ポジション獲得。また第6戦モナコで2位、第7戦デトロイトでも予選2位と、度胸と技術が問われる公道レースで滅法速いところを見せつける。が、結果的に見れば入賞はモナコの3位と第8戦カナダGPの2戦のみ、リタイア回数は10回。&#8217;83年、第6戦ベルギーと第10戦ドイツで予選3位、決勝はドイツと第15戦南アフリカGPでの2位2回、リタイア回数は9回&#8230;..速いが荒い。人々はチェザリスを&#8221;クラッシュ・キング&#8221;と呼び始めた。それも「いくら壊してもパパとスポンサーが許してくれるだろう」という揶揄を込めてである。&#8217;84年、チェザリスはフランスのリジェ・チームへと移籍。しかしここでも時折見せる速さとは対照的に、入賞2回（5位／6位）で目立つのはリタイア9回。翌&#8217;85年は第4戦得意のモナコで3位表彰台を獲得して見せたが、シーズン中盤に立て続けにマシンを全損させたことがチーム・オーナーのギ・リジェを激怒させ、第11戦オランダGPを最後にチームから解雇。ちなみに11戦中リタイア9回であった。<br />&#8217;86年、マールボロのスポンサードによりイタリアの小規模チーム、ミナルディにシートを得るも、マシン不調も含めて15戦中14リタイア、という目も当てられない結果を残し、チームを離脱。&#8217;87年、ブラバムへ移籍し、第3戦ベルギーGPでは見事3位表彰台を獲得、しかしやはりリタイア14回でチーム離脱。&#8217;88年は新興チーム、リアルに加入、またも得意な公道のデトロイトで最高位4位、しかしリタイアは11回に及ぶ。&#8217;89年、フェラーリ・コピーのようなイタリアの小規模チーム、スクーデリア・イタリアへ。第6戦カナダGPで雨の中3位表彰台獲得。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_111.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;90年開幕戦フェニックス</font></a>ではピレリ・タイヤを巧みに使い予選3位。が、結果は12回のリタイアでノー・ポイント。キャリア8年目、誰もがチェザリスの限界を知った。<br />&#8217;91年、新規参戦のジョーダンへ「マシンを壊したら罰金」という異例の条件付きで加入。マシンの速さもあって序盤に活躍を見せ、第11戦ベルギーGP（<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>がチーム・メイトとしてF1デビューしたレース）では中盤2位を走行し、トップの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>（マクラーレン・ホンダ）を追い回す活躍を見せるも結果エンジン・ブローで惜しいリタイヤ。しかし、シーズンを通じてみると自らのミス／クラッシュによるリタイヤは激減した。安定感を得たチェザリスは&#8217;92年にティレルへ移籍、自己のミスによるリタイアは2度だけと、チームのコンストラクターズ選手権6位獲得に貢献した。翌&#8217;93年はティレルの型落ちマシンに苦しみノー・ポイントに終る。&#8217;94年、チェザリスは遂にF1浪人となるが、出場停止処分を受けたエディ・アーバインに代わって第4戦モナコでジョーダンから代役出場、期待に応えて見事4位入賞。その後同GPで負傷したカール・ヴェンドリンガーに代わってザウバーへ移籍、第7戦フランスGPで6位入賞を果たす。<br />そしてこれを最後に、チェザリスの波乱のF1キャリアは終わりを告げた。&#8217;80年のF1デビュー以来足掛け14年、アルファロメオ〜マクラーレン〜アルファロメオ〜リジェ〜ミナルディ〜ブラバム〜スクーデリア・イタリア〜ジョーダン〜ティレル〜ジョーダン〜ザウバーとチームを渡り歩いたチェザリス。ポール・ポジション獲得1回／決勝最高位2位／最速ラップ獲得1回、決勝レース完走率34％（213戦／内リタイア回数135回）。ありがたくない&#8221;最多出走未勝利記録&#8221;保持者である。<br />F1という特殊性を考えた際、チェザリスは明らかに適切な時期に&#8221;進化し損なった&#8221;ドライバーだった。ここで言う進化とはズバリ&#8221;安定性&#8221;である。デビュー当時、その速さは確実にトップ・クラスだった。が、本来大前提である&#8221;マシンをフィニッシュ・ラインまで運ぶ&#8221;という能力に、キャリア2〜3年目に結びつかなかったのがチェザリスが大成出来なかった大きな要因である。特にコンクリート・ウォールが間近に迫る公道サーキットでの速さが表しているように、レーシング・ドライバーとしての大原則である&#8221;スピードを恐れない&#8221;という部分は卓越していた筈である。しかし、それももしもチェザリスが&#8217;60〜&#8217;70年代のF1を走っていたとしたら、とうに命の保証はなかっただろう。あくまでも進化したレーシング・カーの安全面に支えられ、尚且つ潤沢な資金により中堅チームから必要視されたからこその存在だったことは否めない。</p>
<p>さて、&#8217;90年代は正直迷った。バリッラ・スパゲッティの息子も捨て難いし、予選落ちしてもニッコニコで参戦をエンジョイしてたラバッジおじさんもいる。&#8230;..が、あえてここでは&#8221;F1ドライバー&#8221;としての特性を問うべく、ある程度の期間をかけてその遍歴を追える存在の者を取り上げることにする。&#8217;90年代を代表するペイ・ドライバーには、ペドロ・ディニスに登場願おう。<br />ブラジルで巨大スーパー・マーケット・チェーンを展開する実業家の家に生まれたディニスは&#8217;87年、17歳の時にカートでレーシング・ドライバーとしてのキャリアをスタート、&#8217;89年にフォーミュラ・フォード・ブラジル選手権参戦、&#8217;90年に南米F3選手権、翌&#8217;91年にはイギリスF3選手権へ参戦。&#8230;..が、その間ディニスは特筆すべき成績は挙げていない。言ってしまえば、父のサポートにより潤沢な資金を使って次々にステップ・アップして行ったに過ぎない。にも関わらず、&#8217;93年には遂に国際F3000選手権（現在のGP2）に参戦。ディニスはイタリアのチーム、フォルティ・コルセに加入する。この頃フォルティ・チームは、F1へのステップ・アップを模索していた。そこへ南米の大企業を引き連れてディニスが加入、これにより潤沢な活動資金を得たフォルティは&#8217;95年、ディニスと共にF1へと参戦する。<br />&#8217;90年代中盤と言う時代性を考えると、フォルティとディニスのF1デビューはやや突飛なものとなった。パシフィックやシムテックなど、前年まで参戦していたいくつかの小規模チームが資金難から撤退を余儀なくされ、多くの資金持ち込みドライバー達が中堅チームの台所事情により出入りしている状況で、チームごとほぼ&#8221;買収&#8221;したような形でF1に参入して来るのは、やや時代遅れの感があった。例えばそれは、&#8217;70年代のレバークのようだったからである。しかもフォルティは新規参入チームにありがちな&#8221;重く、走らないマシン&#8221;を開発してしまい、当然ながらグリッド後方でのバック・マーカーとしてのレースとなり、入賞なしでデビュー・イヤーを終えた。この新チームに1年で見切りを付けたディニス・ファミリーは翌年、当時中堅チームと言えるリジェへの移籍を発表。当時資金難に苦しんでいたリジェはチーム・メイトとなった名手<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_27.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">オリビエ・パニスがモナコGPでキャリア初勝利</font></a>を挙げるなどチーム全体は向上したものの、ディニスの成績は最高位6位／リタイア10回と振るわず。&#8217;97年は最高位5位／リタイア11回、ディニスは確実にF1には慣れて行ったが、その成績が伴うことはなかった。&#8217;97年、ディニスは今度はアロウズに移籍し、前年ウィリアムズ・ルノーでタイトルを獲得しながらもチームを弾き出されたデイモン・ヒルとタッグを組む。するとディニスは意外にも現役世界王者相手に善戦、予選では何度かヒルを上回って見せた。しかし決勝では中堅チームを<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_41.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">あわや優勝かというところまで導いた</font></a>（第11戦ハンガリーGP、予選3位〜決勝2位）ヒルの活躍には及ばなかった。翌&#8217;98年はチーム・メイトにミカ・サロが加入。ここでもディニスはサロに肉迫し、獲得ポイントは同点。この2年間で確実な成長を見せたディニスは徐々に周囲の見方を変えて行くことに成功する。<br />&#8217;99年、ディニスはザウバーへと移籍。ここでは元フェラーリのエース、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・アレジ</font></a>をチーム・メイトに、入賞回数で上回る活躍を見せた。翌&#8217;00年はサロ相手にやや苦戦、入賞ゼロでシーズンを終えた。出走99回、完走率40％、入賞8回、獲得総ポイント10点。これがペイ・ドライバーとしては立派な数字、と言えるかどうかは定かではない。が、明らかにディニスはF1でドライビングを学習した。本人も後に「アロウズ時代に現役世界チャンピオンであるヒルから学んだことは多かった」と語っている。また、ディニスは実はF1デビュー・イヤーの&#8217;95年、元F1ドライバーのルネ・アルヌーから&#8221;ドライビング・コーチ&#8221;を受けていた。プロのF1ドライバーがドライビングのコーチを受けるということ自体が珍しいが、つまりそれほどまでにディニスは&#8221;真面目で勤勉だった&#8221;と言える。そしてその探究心は実を結び、キャリア後半では確実に自らの成長に繋がった。<br />しかし、&#8217;00年シーズンが終ると同時にディニスは突然レーシング・ドライバーを引退し、僅か30歳の若さでプロスト・グランプリの共同オーナーとなることを発表。結果的にオーナーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>とチーム運営に関して折り合わずにこの提携は1年で終了、ディニスはここで完全にF1から身を退いてしまった。以降地元ブラジルでアンダー・フォーミュラの選手権主催など自国のモータースポーツ発展に尽くすが、現在はややレースと距離を置いた普通の実業家、として活動中である。</p>
<p>さて、続く&#8217;00年代のF1ドライバーの誕生背景、はそれまでと比べて大きく様変わりした。それはひとことで言ってしまえば&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/08/post-36.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">スカラシップ</font></a>&#8220;の台頭である。<br />極めて解りやすい例が現在の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>だ。多くのスポーツに関わる彼らはフォーミュラ・レーシングに於いても独自の若手育成プログラムを設け、遂にはF1に若手発掘のための&#8221;Bチーム&#8221;という概念を齎した。レッドブルにとってのトロ・ロッソがそれにあたる。事実、&#8217;10年F1世界王者となった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>はレッドブルの育成ドライバーとしてトロ・ロッソからF1デビューし、初優勝を遂げる大活躍を齎して&#8221;Aチーム&#8221;であるレッドブルのドライバーへと昇格した。そして今後もカートや底辺フォーミュラから有望な若手ドライバーを発掘／育成し、いつでも&#8221;Aチーム&#8221;へ上がれるよう万全の体制を整えているのである。<br />&#8217;08年世界王者、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>の形容詞は&#8221;マクラーレンの秘蔵っ子&#8221;である。幼い頃にマクラーレンの総帥ロン・デニスに見い出されたハミルトンは未来のマクラーレン・ドライバーへの道を約束され、アンダー・フォーミュラでの英才教育が施された。結果、ハミルトンはデビュー・イヤーから2度の世界王座に輝くアロンソをチーム・メイトにタイトル争いを繰り広げて見せ、下積みなくしてトップ・ドライバーの仲間入りを果たしたのである。<br />我が日本も<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>／<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタ</font></a>の2大メーカーの参戦時にはこのスカラシップ制度が大きく影響していた。ホンダ主催のSRS（鈴鹿レーシング・スクール）出身の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨</font></a>、トヨタのTDP（トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム）の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>らがまさにそれにあたり、トヨタ撤退後に本格参戦することとなった現役の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>もまたTDP所属ドライバーである。<br />こうした動きにより&#8217;00年代にはもはやペイ・ドライバーは時代遅れとなりつつあった。が、実際に資金難のF1チームを救えるのはやはり&#8221;金持ち&#8221;でしかなく、シーズン後半になると、実力者でありながら豊富な資金を持ち込む新進ドライバーにシートを明け渡すベテラン、という構図はグリッド後方、ジョーダン／スパイカーやミナルディなどのチームでは見慣れたものとなっていた。しかし、例えば<br />&#8217;90年代のディニスのようにチームの年間予算を丸ごと賄えるようなペイ・ドライバーは登場せず、あくまでもスポット参戦的なものにとどまった。それだけ世界的な不況が深刻だった事実も確かだが、&#8217;08年にはドイツの雑誌が「参戦する22人全員がギャランティを貰って乗っているという統計が取れた」と発表。ちなみに最高額は<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2011/01/post-38.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェルナンド・アロンソ</font></a>（当時ルノー）の2,800万ドル、最低額は中嶋一貴（当時ウィリアムズ）で100万ドル、とのこと。&#8230;..持ち込みスポンサーや企業バックアップとチーム／個人の契約内容など外野に解る筈もなく、全てが憶測に過ぎないのは事実だが、&#8217;00年代はペイ・ドライバーの時代ではなかった、というのは事実である。</p>
<p>そして迎えた2010年代。レギュレーションの妙、と言えばタイミングが良過ぎるが、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIAが提案した低年間予算によるチーム運営</font></a>実現に向け、新たに3つのF1チームが誕生した。しかし結果的に彼らがグリッドに並んだ時、その案は既に過去のものとなり、彼らは予想外の資金繰りに頭を悩ませることとなる。そして、ペイ・ドライバーの復活である。ロシア政府のバックアップを持つヴィタリー・ペトロフが、個人資産を注ぎ込める<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-30.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">山本左近</font></a>が、悩めるF1チームの財政を救った。そして1年間頑固に我が道を行った<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>も遂に観念、今季はセルジオ・ペレスの加入により豊富なメキシカン・マネーがアテに出来る。フランク・ウィリアムズもまた、パストール・マルドナドへのベネズエラ政府のバックアップにより&#8221;延命&#8221;を成功させた。<br />&#8230;..しかし、忘れてはならないことがある。このふたりは、昨年のGP2選手権1位と2位の実力者なのである。F1直下のカテゴリーでトップを争ったふたり、つまり彼らはF1そのものによるスカラシップ・ドライバーなのだ。資金力は彼らの付加価値でしかなく、逆に言えば、資金力に加えてトップ・フォーミュラで闘える力を確実に持ったドライバーなのである。これでは、ただ資金力のある&#8221;だけ&#8221;の者に出番はない。時代は巡り、今求められているのは全ての要素を兼ね備えたドライバーだけ、と言える。</p>
<p>&#8230;..元々&#8221;金持ちと貴族の道楽&#8221;として始まった自動車レース。その最高峰に位置するF1世界選手権は2011年、&#8221;金持ちと才能の競演&#8221;となる。果たして今のF1に、巨額の資金と共に5年振りの現役復帰となるカーティケヤンの居場所はあるのか。それとも&#8221;才色兼備&#8221;のマルドナド／ペレスが新たな時代を切り開くのか。</p>
<p><i>「マルドナドはペイ・ドライバーではない。今までそんなドライバーを乗せたこともない」&#8217;11年／アダム・パー（ウィリアムズ）</i></p>
<p>////////////////////////////////////////////////</p>
<p>&#8220;バリアの外側のマニア&#8221;加瀬竜哉が最新のF1ニュースをピックアップし、そのニュースの背景を持ち前のマニアックな視点から掘り下げ、更により解りやすく解説し、検証する。</p>
<p><a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi" target="_blank"><font color="#ff00ff">no race, no life formula1 topics</font></a></font></p>
<p><font color="#3e6b3a"></font>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%bc%e5%86%8d%e6%9d%a5%ef%bc%9f/">ペイ・ドライバー再来？</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>英雄の憂鬱</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%8b%b1%e9%9b%84%e3%81%ae%e6%86%82%e9%ac%b1/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Jan 2011 12:30:31 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">http://f1-stinger2.com/?post_type=kasetatsuya&#038;p=46894</guid>

					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>&#8230;..それは王者にあるまじき行為だった。&#8217;10年最終戦アブダビGP、このレースで3度目のドライバーズ・タイトルを獲得出来た筈のフェルナンド・アロンソは、自分がレース全般に於いて抜けなかった目前の敵・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%8b%b1%e9%9b%84%e3%81%ae%e6%86%82%e9%ac%b1/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%8b%b1%e9%9b%84%e3%81%ae%e6%86%82%e9%ac%b1/">英雄の憂鬱</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8230;..それは王者にあるまじき行為だった。&#8217;10年最終戦アブダビGP、このレースで3度目のドライバーズ・タイトルを獲得出来た筈のフェルナンド・アロンソは、自分がレース全般に於いて抜けなかった目前の敵／6位でフィニッシュしたルノーのルーキー・ドライバー、ヴィタリー・ペトロフに対し、パレード・ラップ中に拳を振り上げて抗議したのである。それは、逆転で初めてのタイトルを手にした<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>の若き天才、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>の喜びに満ちたガッツ・ポーズとはあまりにも対照的なものとなって、全世界にTV放映された。「もしも僕が彼の立場だったら確かに怒ったかも知れない。でもそれは間違った戦略を選んだ自分とチームに対して、だけどね！」ペトロフは堂々と、自らの翌年のシート確約に向けて良いレースをしたという確信に満ちた表情をしていた。反対にアロンソは明らかにイライラしていた。&#8230;..名門<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>での初年度、アロンソは最後の1戦で&#8221;敗者&#8221;となったのである。<br />&#8230;..フェルナンド・アロンソ。&#8217;10年、念願の名門フェラーリを果たし、久しぶりにタイトル争いの場へと返り咲いたスペインの英雄である。が、最終戦でランキング首位にいたアロンソと彼のチームはとてつもなく初歩的な戦略ミスを犯し、同じく選手権2番手の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-25.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>（レッドブル）と主に後方に沈み、ランキング3番手のヴェッテルに易々と逆転王座を献上してしまった。終ってみればどうにもチグハグなシーズンを終え、当初彼ら（アロンソ＋フェラーリ）は元王者として最強の組み合わせに思えていた。が、結果的に昨年王者となったヴェッテル＋レッドブルは、これまでとは違うポイント・システムを最大限に活用し、新王者となった。そしてその裏には、絶対的No.1ドライバーと王道の戦略を採った名門チームの、戦略の&#8221;古さ&#8221;が浮き彫りになってしまった。<br />アロンソの時代はもう終ったのか？。現役最強ドライバーと言われ、鳴りもの入りでフェラーリ入りを果たしたスペインの英雄は、再び輝くことが出来るのか？。</p>
<p>フェルナンド・アロンソは1981年7月29日、スペインの北部の工業都市、アストゥリアス州オビエドにて、炭坑夫の父とパート主婦、というオビエドでは極めて一般的な家庭に誕生。父ホセ・ルイス・アロンソは自らがアマチュアのカート・レーサーであったことから、自分の子供達にもレースを楽しんで貰いたいと、まず8歳の長女ロレーナにカートを買い与えたが全く興味を示さず、ほどなくカートは当時3歳の弟、フェルナンドのものとなったのだという。そしてカートに夢中になったアロンソは&#8217;88年にカート・アストゥリアス・選手権にデビュー、7戦に勝利してタイトルを獲得してみせた。幼いアロンソのアイドルは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>だったと言う。「我が家は決して裕福な家庭じゃなかったけど、父がメカニックとしてレースをサポートしてくれたおかげで、徐々にスポンサーが付いて行ったんだ」&#8217;91年にスペイン・ナショナル・シリーズに参戦、&#8217;93年、12歳のアロンソは遂にスペイン・ジュニア・カート王者となり、このタイトルを以後4年間守り続け、無敵の新人レーサーとして注目を浴びる。&#8217;96年にはカート世界選手権を制覇、&#8217;97、&#8217;98年とスペイン／イタリアでインターAのタイトルも獲得した。<br />この若き王者の活躍に注目したのが、同国出身の元F1ドライバー、エイドリアン・カンポスであった。カンポスは自らのチームにアロンソを招き、3日間のフォーミュラ・ニッサンのテスト走行を担当させた。この際、自身初のフォーミュラカー・ドライヴとなったアロンソはアルバセテ・サーキットで数日前に行われたレースのポール・ポジション・タイムに匹敵する好タイムを記録。これによりアロンソは翌&#8217;99年、カンポスのチームからユーロ・オープン・モビスター・バイ・ニッサンに参戦し、デビュー戦優勝という鮮烈なスタートを切り、楽々とタイトルを獲得してみせた。<br />&#8230;..このスペイン出身の若きスターの活躍に眼をつけた者がもうひとりいた。フラビオ・ブリアトーレ。ベネトンF1チームのマネージャーを経て、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>を擁してタイトルを獲得した有能なビジネスマンであるブリアトーレが早くもアロンソを傘下に置き、この年のF1ミナルディ・チームのテスト・ドライヴの機会を設ける。ここでも他の新人を寄せ付けない速さを見せたアロンソは&#8217;00年の国際F3000選手権参戦（ランキング4位）を経て、&#8217;01年、ブリアトーレのマネージメント下／ルノーの契約ドライバーとしてミナルディからF1デビューを飾る。19歳と217日は、史上3番目の若きF1デビューとなった。しかし実はブリアトーレはアロンソに経験を積ませるため、敢えて弱小チームであるミナルディからのデビューをセッティングし、翌&#8217;02年、今度はルノーのテスト・ドライバーとしてトップ・チームとの仕事のやり方を学ばせたのである。「もちろんその頃はレースに出たくてウズウズしていたけれど、今振り返れば良い経験を積むことが出来たと思えるよ」&#8217;03年、アロンソはチームを解雇された<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-34.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジェンソン・バトン</font></a>の後任としてルノーのレギュラー・シートを獲得、遂にトップ・チームからのF1参戦となった。</p>
<p>若き才能の開花はあっと言う間に訪れた。第2戦マレーシアGPで自身初のポール・ポジション獲得。21歳236日でのP.P.獲得はF1最年少記録となり、翌日の決勝では3位に入賞して初表彰台、これも21歳237日での達成は最年少記録であり、同時にスペイン人F1ドライバーとして初の表彰台獲得でもあった。第5戦地元スペインGPは故郷・オビエドの青いフラッグがグランド・スタンドを埋め尽くす中、絶好調のフェラーリ勢に割って入る2位フィニッシュ。波に乗るアロンソは第13戦ハンガリーGPで自身2度目のポール・ポジションを獲得。決勝でもスタートからグイグイと2位ウェバー（ジャガー）との差を広げて行き、10周目には既に17秒差。最終的にはチーム・メイトであるベテランのヤルノ・トゥルーリまでも周回遅れにする圧倒的速さで初優勝。これはワークス・ルノーとして20年振り、自身も22歳と26日でのF1初勝利で、続々と最年少記録を塗り替えて行った。この実質的なF1デビュー・イヤーをアロンソは1勝／55点獲得／シーズン6位で締めくくった。<br />翌&#8217;04年は開幕から常勝フェラーリ勢が圧倒的な速さを見せ、アロンソは無勝／ランキング4位に留まる。そして迎えた&#8217;05年、経験を積んだスペインの若き英雄は遂に王者フェラーリ、そして7度の世界タイトルを獲得した皇帝・シューマッハーへ挑む時を迎えた。</p>
<p>&#8217;05年、ルノーが打倒フェラーリのために制作したニュー・マシンR25は開幕から戦闘力を発揮、開幕戦こそチーム・メイトのジャンカルロ・フィジケラの後塵を拝するが第2戦マレーシアで自身2勝目を挙げるとそこから破竹の3連勝。第10戦フランスGPでは地元ルノーに22年振りの勝利を齎した。序盤でフェラーリ撃墜に成功したルノー陣営はシーズン中盤から<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>・メルセデスの若きエース、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>が追い上げるが、最終的にライコネンと同じ7勝で逃げ切った。「素晴らしい。人生を通じ、願っていたことが叶った瞬間だ。僕はこれが欲しかったのさ！」スペイン初のF1世界王者は24歳58日での史上最年少F1王座獲得であり、これはブラジルの雄エマーソン・フィッティパルディの25歳273日を33年振りに塗り替える記録ともなった。</p>
<p>翌&#8217;06年、アロンソ／ルノーはシーズン序盤に前年の好調さを維持し、後半にシューマッハー／フェラーリの猛対を受けるもこれを寄せ付けず、見事に2年連続王者に輝く。これにより、アロンソは現役として最強時代のシューマッハーと直接対峙し、打ち破ったことで名実共にF1の若き英雄となったのである。<br />&#8230;..&#8217;07年、アロンソは満を持して好調のもうひとつの最強ワークス、マクラーレン・メルセデスへと移籍する。チーム・メイトはファン・パブロ・モントーヤのNASCAR移籍、ライコネンのフェラーリ移籍でデビューが決まった、マクラーレンの秘蔵っ子でこの年F1デビューとなるイギリスの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>。つまり、2年連続王者アロンソは新人を相手に、マクラーレン・メルセデスの新たなエース・ドライバーとしてチームに迎え入れられる、ということになる&#8230;..筈だった。</p>
<p>開幕戦オーストラリアGPをフェラーリのライコネンが制し、続く第2戦マレーシアでアロンソはマクラーレン移籍初勝利を挙げる。第3戦バーレーン、第4戦スペインをライコネンの同僚<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサ</font></a>が制し、ライバル・チームの星が割れる中、第5戦モナコをポール・トゥ・ウィンで制したアロンソはマクラーレンのエースとしてタイトル争いをリードする。ところが、ここまで未勝利ながらもデビュー以来全戦で表彰台に上がった新人ハミルトンが得点上アロンソと並び、第6戦カナダで自身初優勝、続く第7戦アメリカGPも制してドライバーズ・ランキングのトップに躍り出る。<br />アロンソは困惑し始めていた。確かに、ハミルトンはマクラーレンの総帥、ロン・デニスの秘蔵っ子として英才教育を受け、満を持してF1デビューを迎えた、マクラーレンの地元である英国人である。そして、マクラーレンは伝統的に&#8221;ジョイントNo.1&#8243;を唱うチームである。しかし、アロンソの常識の中では、どう考えても2年連続、それも皇帝・シューマッハーを倒して世界王者となり、カーNo.1を纏う自分こそがマクラーレンのエース・ドライバーな筈である。それが、どうもチーム全体のムードを自分へと向けることが難しい。これは、ルノー時代には有り得ないことだった。焦ったアロンソは、第11戦ハンガリーGP予選でハミルトンのアタックを妨害するという、不必要なミスを犯す。これによりチーム内での信頼をも失ったアロンソは、結局最終戦まで縺れたタイトル争いに僅か1ポイント差でライコネンに敗れてしまった。更にマクラーレンとフェラーリを巡る&#8221;スパイゲート事件&#8221;に於いて、マクラーレン側に不利な証拠となるEメールの存在を公開したことでデニスと対立。居場所を失ったアロンソは3年契約だったマクラーレンを僅か1年で去ることとなってしまった。</p>
<p>&#8217;08年、アロンソは&#8221;やむなく&#8221;、古巣ルノーへと復帰。しかしそこは既にアロンソに2年連続王座を齎したトップ・チームではなく、低迷する中堅でしかなかった。アロンソは走らぬマシンと格闘しながらも徐々に成績を挙げ、シーズン終盤第15戦シンガポールGPでシーズン初勝利。ところが後になってこのレースはアロンソを勝たせるためにブリアトーレとルノーのディレクター、パット・シモンズが企てた、アロンソのピット作業直後にチーム・メイト（ネルソン・ピケJr）を故意にクラッシュさせてセーフティ・カー導入のきっかけを作り、ピット作業を強いられるライバルを出し抜く、という所謂&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クラッシュ・ゲート</font></a>&#8220;によるものだったことが発覚。しかし、本人はこの勝利で波に乗り、続く第16戦鈴鹿を連覇。&#8217;09年は未勝利に終るが、アロンソは既に自らのキャリアを修正し、最高の舞台へ上がるべく準備を行っていた。10月1日、アロンソ、フェラーリ入り発表。そこには、アロンソが最も欲しかったもの、つまり揺るぎない&#8221;絶対的エース・ドライバー&#8221;としての待遇が約束されていたのである。</p>
<p>そして迎えた&#8217;10年シーズン。遂に栄光の跳馬のエース・ドライバーとなったアロンソは開幕戦バーレーンGPを制覇。グリッド上で決してベストなマシンではないにも関わらず、チーム5年目となるチーム・メイトのマッサを寄せ付けず、タイトル争いに加わってみせた。が、&#8217;08年第15戦シンガポールの&#8221;クラッシュ・ゲート事件&#8221;で付いたイメージを更に強くする事件が起きた。第11戦ドイツGP。ポール・ポジションのヴェッテル（レッドブル・ルノー）と予選2番手のアロンソのコーナー争いの隙を付き、予選3位のマッサがトップに躍り出てフェラーリ1-2態勢へ。レース中盤、マッサのペースが上がらなくなり、3位ヴェッテルがアロンソに肉迫する。アロンソは無線でピットに「バカげている！」と抗議。ドライバーズ・タイトルを争う自分がマッサの後でフィニッシュすることを受け入れられないとチームに訴えた。<br />そして48周目、トップを走るマッサの無線に担当エンジニア、ロブ・スメドレイからの声が飛ぶ。「<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-35.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェルナンドは君より速い。言ってる意味、解るよね？</font></a>」マッサは無言だった。翌49周目、マッサはターン6の立ち上がりでアクセル・ペダルを緩め、露骨にアロンソにトップを譲った。そしてスメドレイから「ありがとう。すまない」との返事が世界中に流れたのである。アロンソはトップでチェッカーを受けたあと、無線で「フェリペはいったいどうしたんだ？、何かあったのか」とチームに問いかけた。返事は「いや、大丈夫だ。その件に関してはあとで話すよ」と意味深なものだった。<br />チーム間で順位をコントロールするのはモータースポーツと言えども作戦上当然のことである。が、レース中にチームの指示でそれが行われるのは、ドライバーズ選手権でもある以上スポーツマン・シップ的に適切でないとされ、国際スポーティング・コード第39条に&#8221;チーム・オーダー禁止&#8221;という条例が設けられていた。フェラーリはこれに違反したのである。が、レース・スチュワードとFIAはフェラーリに10万ドル（約900万円）の罰金を課したが、順位はそのままとなった。つまり、アロンソは&#8217;10年、ひとつは確実に勝利を&#8221;譲り受けた&#8221;のである。<br />最終戦アブダビGP。ポール・ポジション・スタートのヴェッテルが勝っても自身4位、予選で自分より後方だったレッドブルのウェバーが勝っても自身2位でタイトル獲得、というポジションにいるアロンソが、どう考えてもタイトル獲得の可能性が最も高い位置にいた。そして、冒頭に記した通り、アロンソは伏兵となったルノーの新人ドライバーを抜きあぐね、王座争いに敗れた。そしてあろうことか、パレード・ラップ中にその新人ドライバーに拳を振り上げたのである。</p>
<p>9年間で出走160戦、ドライバーズ選手権製制覇2回、優勝26回、ポール・ポジション獲得20回、最速ラップ18回、ポール・トゥ・ウィン13回、通算獲得ポイント829点。シューマッハー／フェラーリの栄光時代に、実力で王座を奪い取った若きスペインの英雄、それがフェルナンド・アロンソのイメージである。<br />意外にもアロンソは自らのドライヴィング・スタイルを評して、安定感に優れているのだと言う。「僕は決して最速でも最強でもないよ。ただ、安定感があるんだ」母国スペインに於いて、スペイン人初のF1ウィナー／ワールド・チャンピオンであるアロンソの人気は凄まじい。元よりレース好きの国民性も手伝い、アロンソの登場でF1人気も上がり、熱狂的なアロンソ・ファンによる&#8221;アロンソ・マニア&#8221;が存在し、オビエドの青い横断幕を掲げてアロンソを応援する。&#8217;05年に初タイトルを獲得した際、地元オビエドでは全人口20万人の内1/4にあたる5万人が広場に集まって大騒ぎとなった。またアロンソはスペインの王太子賞を史上最年少で受賞、正にスペインでは&#8221;国民的英雄&#8221;と呼ぶに相応しい存在である。<br />&#8230;..その英雄が時折見せる素顔。彼は明らかにイライラしている。</p>
<p>&#8220;クラッシュ・ゲート事件&#8221;の舞台となった&#8217;08年第15戦シンガポールGP。低迷するシーズンに於いて何故か絶好調のアロンソは予選Q1で6番手のタイムを余裕で記録、市街地／F1初のナイト・レースで、アロンソと彼の担当エンジニアは明らかに適切なセット・アップを見つけ出しており、決勝レースでの好成績が期待されていた。が、Q2開始直後に燃料系のトラブルでストップ、不本意な予選15位となったアロンソはマシンを降りるや天を仰ぎ、悔しさを全身でアピール、ピットへ帰ってからも怒り心頭でメカニック達に当たり散らした。もしかしたらシーズン初優勝も可能だったかも知れないこのチャンス、結局ルノーの首脳陣はあってはならない作戦を模索し、そして事件は起きてしまった。<br />&#8217;10年第10戦ドイツGPも同様である。絶妙なスタートで先行するマッサに抑え込まれ、チームに無線で「こんなのバカげてる！」と抗議、最終的にマッサに先頭を譲らせて勝利した。最終戦アブダビGPでは自分が抜きあぐねたルノーのペトロフに拳を振り上げて「オマエのせいでタイトルを逃した」と言わんばかりのアピールを行った。もちろんペトロフはアロンソと同一周回でポイントを争っており、文句を言われる筋合いは全くない。ただ単に、彼らはアロンソの&#8221;予定&#8221;を狂わせるものだっただけなのである。<br />こうした行動から見え隠れするもの&#8230;..それは、アロンソの性格に潜む&#8221;自己中心主義&#8221;である。もちろん言い方を変えれば、それは世界最高峰カテゴリーのエース・ドライバーに、そしてワールド・チャンピオンに必要不可欠なものである。ただし逆の見方をすれば、アロンソのそれは相当に極端でもあり、例えばレース中のオンボード・カメラに映し出される&#8221;前方のバック・マーカーに進路を譲れと抗議する&#8221;回数だけでも相当に多く、ヴェッテルやハミルトンなどはそれが悪質なブロックでない限りは滅多に行わないが、アロンソは相手が見えて来た時点で既に手を振って進路を確保しようとする。しかもそれが&#8217;10年最終戦のように同一周回で順位を争う相手にまで及ぶとなると、これは相当な&#8221;オレ様主義&#8221;と言わざるを得ない。が、F1の、それもフェラーリのエース・ドライバーとして考えれば当然のことかも知れず、ある意味同じことを行って一時代を築いたシューマッハーの後継者、としては相応しいと言える。</p>
<p>その&#8221;オレ様&#8221;アロンソの立場が最も揺らいだのが前述のマクラーレン時代である。アロンソはキャリアで初めて&#8221;手強い相手&#8221;（敵わない相手、ではない）に遭遇した。ハミルトンは確かにマクラーレンの&#8221;秘蔵っ子&#8221;だったが、決してチームに贔屓されていたわけではない。チームは伝統に則り&#8221;ジョイントNo.1&#8243;を掲げただけなのである。ところがアロンソはこれに不信感を持ち、不用意にもマスコミにアピールすることで発散しようとし、過剰反応したスペイン国民13万人（！）がチームに嘆願書を提出したり、ハミルトンに対する人種差別行動などに発展してしまった。ちなみにアロンソが&#8217;07年のマクラーレンを「僕のおかげでコンマ5秒速くなった筈」と発言した際、ハミルトンから「これは大勢のスタッフがいてのチーム・プレイ。誰かひとりのおかげなんてとんでもない」と反論されている。こうした経緯により、アロンソはこのままマクラーレンに留まることで自身が&#8221;ヒール（悪役）&#8221;とイメージされるのを恐れたこともあり、王者マクラーレンとの3年契約を1年で破棄する事態に至ったのである。</p>
<p>アロンソは2度の世界王座を獲得すると共に、2度に渡って獲れた筈のタイトルを逃している。1度はマクラーレン時代、最強マシンを手にしながら、ハミルトンと星の奪い合いとなってフェラーリのライコネンにたった1点差で敗れた&#8217;07年。もう1度は点数計算に気を取られたあまり、純粋に勝ちを狙ったヴェッテルに負けたフェラーリ初年度の&#8217;10年。いずれもトップ・チーム加入1年目であり、どちらも逆転負けである。これにより、アロンソのイメージは駆け引きが得意というよりも、がむしゃらに走った際の圧倒的強さが際立つ。ところが、意外にもプライベートでのアロンソには&#8221;カード・ゲーム／マジック好き&#8221;という一面があり、ヘルメットのデザインにも用いられているほどで、中でもポーカーがお気に入りのようである。F1のパドックでも多くのドライバー仲間や関係者を招いてポーカー大会を行うほどで、こうした部分にアロンソの&#8221;駆け引き&#8221;に対する並々ならぬ興味が見え隠れする。しかし、特にスペインのマスコミにとってはこの世界的英雄と、妻であるスペインの人気ロック・グループのリード・シンガー、<a href="http://www.elsuenodemorfeo.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">ラケル・デル・ロサリオ</font></a>とのプライベートは格好の標的となり、常にパパラッチとの攻防が繰り広げられている。</p>
<p>&#8230;..アロンソの2010年の&#8221;負け方&#8221;はこれ以上なく酷いものだった。トップ・レベルとは言い難いマシン性能、後手後手に回ってしまうレース戦略、そしてライバル達の底力。しかし、伝統の跳馬を背負う英雄・アロンソは鬼門の&#8221;トップ・チームでの1年目&#8221;を終え、いよいよ攻撃態勢を整えて来る。明らかにマッサをセカンド・ドライバーに落として自らが名実共にフェラーリの真のエースとなり、フェラーリ自体も得意の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>が復活する2011年。もはやアロンソに死角はない。スペインが誇る英雄は、今年こそ天下を獲りに来る筈だ。</p>
<p><i>「フェラーリがキャリア最後のチームだ」／フェルナンド・アロンソ</i><br /></font></p>
<p><font color="#3e6b3a">////////////////////////////////////////////////</font></p>
<p><font color="#3e6b3a">&#8230;..さて、筆者の本拠地となるサイト&#8221;加瀬竜哉.com（<a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">www.kasetatsuya.com</font></a>）では、この度F1の最新ニュースを深く掘り下げ、更に入門者にも可能な限り解りやすく、そのニュースの背景を解説／検証する新コンテンツをスタート！。その名もズバリ、<br />no race, no life formula1 topics<br />複雑な人物名や関係、経緯などを初心者向きに目線を下げ、それでも伝統の&#8221;no race, no life&#8221;の名に恥じないよう、オレ流の&#8221;バリアの外側目線&#8221;で最新情報をバッサリ切って行きます。どうぞお楽しみ下さい！。</p>
<p><a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi" target="_blank"><font color="#ff00ff">no race, no life formula1 topics</font></a></font></p>
<p><font color="#3e6b3a"></font>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%8b%b1%e9%9b%84%e3%81%ae%e6%86%82%e9%ac%b1/">英雄の憂鬱</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
