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	<title>タチの悪いニッポンの未来 - F1 STINGER 【スティンガー】</title>
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		<title>Good bye,Marco</title>
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		<pubDate>Tue, 25 Oct 2011 03:22:41 +0000</pubDate>
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<p>Also became a sad day for motorsport,His family, friends, condolences to all concerned I would like to MotoGP.・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>Also became a sad day for motorsport,<br />His family, friends, condolences to all concerned I would like to MotoGP.<br />We will not forget you.</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/good_byemarco/">Good bye,Marco</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第一章</title>
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		<pubDate>Wed, 11 May 2011 12:35:43 +0000</pubDate>
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<p>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」 第一章・夢と現実 「ふう&#8230;やっぱり駄目か&#8230;」携帯電話を閉じ、スーツの右ポケットに戻し・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#000000"><b>スクーデリア・一方通行／加瀬竜哉書き下ろしｗｅｂ小説・特別集中連載<br /></b></font><font color="#000000" size="+2"><b>「Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ〜見果てぬ夢〜」</b></font><font color="#000000"><b></p>
<p><span style="DISPLAY: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img decoding="async" loading="lazy" style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 20px; DISPLAY: block" class="mt-image-center" alt="syo06.jpg" src="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/images/syo06.jpg" width="480" height="320" /></span>第一章・夢と現実</p>
<p>「ふう&#8230;やっぱり駄目か&#8230;」<br />携帯電話を閉じ、スーツの右ポケットに戻しながら、ＴＳＪ（チーム・サムライ・ジャパン）のスポーティング・ディレクターである鈴石亜久郎は、滞在先のモナコのホテルの一室で深く溜息をついた。電話の相手はチームのメイン・スポンサー、株式会社電脳の堀川社長。今日既に５回目の国際通話、ただし最初は社長当人だったのが、この２回は弁護士とのやりとりとなっている。<br />「駄目ってことは、先日の方針に変わりはない、と言うことですかね」<br />右手でネクタイを緩めながら、ＴＳＪ広報担当の大椋茂男が聞いた。ふたりとも、モナコ入りしてからまだろくにソファにも座れないでいる。<br />「ああ。今年はこのままＧＴに専念するんだとさ。ま、客観的に考えりゃあ無理もない。開幕から４戦、２台の内１台は全部予選落ち、もう１台もまともに完走すら出来てない。しかも前回のトルコから各チームがアップ・デートを持ち込んでる中で、ウチだけが２００９年設計のベーシックのままだ。そりゃスポンサーだって嫌気が差すだろうよ」<br />「となると、いよいよこれまで、ってことですよね&#8230;」<br />「そうだな。なにしろＧＰ２チームにモーター・ホーム借りてるような状態なんだから、日曜、いや、ヘタすりゃ土曜日の予選が終ったら荷物をまとめて日本に帰る、ってことになるだろうな」<br />「&#8230;悔しいですね&#8230;」<br />大椋はシャツの袖で額の汗を拭いながら、ホテルの窓から見えるきらびやかな景色を恨めしそうに眺めた。鈴石は大椋の肩をポンと叩き、無言のまま敢えて景色に背を向けた。</p>
<p>ＴＳＪ／チーム・サムライ・ジャパンは、２００９年に結成された純日本製・Ｆ１チームである。ＦＩＡのバジェット・キャップ案によってロータス、ヴァージン、そしてＨＲＴらと共にＦ１に新規参入。日本のＩＴ企業の大手である株式会社電脳がメイン・スポンサー／出資者となり、ホンダやトヨタ亡き後、これまで日本のレース界を引っ張って来た面々を集結させ、ヨーロッパへ殴り込みをかけた。<br />チームの母体は林田勝率いる日本の老舗コンストラクターであるドリーム・ファクトリー。マシン・デザインは第一人者であるサン・クラフトの由里拓夫が手掛け、コスワースＶ８を搭載したＦ１マシン、ＴＳＪーＦ０１を設計、京都の自前の風洞施設で開発を行って来た。チーム代表／監督はインパルスを率いる元・日本一速い男こと星田一俊、マネージング・ディレクターは元Ｆ１ドライバーでチーム参戦経験をも持つ鈴石亜久郎、他にも元ホンダやトヨタでのレース経験者がズラッと名を連ねる、ＴＳＪ言わば日本のレース界のオール・スター編成による特別プロジェクトである。<br />しかし社会情勢の混乱から２０１０年の参戦が見送られ、特別処置により１年遅れて２０１１年よりＦ１世界選手権に参戦。ドライバーはドイツ出身のベテラン、ジョナサン・カイルと、日本でスカラシップを勝ち上がって来た風間裕人。しかし風間は実はバックに芸能スポンサーの付いたタレント・レーサーで、本来このプロジェクトは電脳が風間をメディア露出させるために立ち上げたもの。実力的には本来Ｆ１レベルにはほど遠い。<br />２０１１年初戦オーストラリアＧＰはカイル／風間両者共に予選落ち、第２戦マレーシアＧＰはカイルがどうにか最後尾で予選通過するも電気系トラブルで７周リタイア、第３戦中国ＧＰは再び両者共に予選落ち。第４戦トルコＧＰは巧者カイルが最高尾でどうにか予選突破、しかし１５周目にターン８で大スピンを喫しマシン大破。テレビ露出も殆どない状況に嫌気が差したスポンサーは契約を見直し始め、第５戦スペインＧＰを急遽欠場。尻すぼみとなったバジェット・キャップ案によりチーム運営費は再び高騰、そこへ東日本を襲った大災害などの要素も含め、チームは窮地に立たされていた。そして遂に、始動者であるスポンサーの電脳がプロジェクトからの離脱／撤退を決断、チームは空中分解の危機を迎えていたのである。</p>
<p>&#8230;かつてはここモナコに暮らし、自分の住む街をＦ１マシンで疾走し、そして今回と同じように自らのチームを経済的な事情で失った経験のある鈴石にとって、こうして繰り返される現実はあまりにも重かった。が、その重苦しい空気が流れ続けるのを待つ暇すらなく、今度は大椋の携帯が鳴った。広報アシスタントからの着信は、続けざまに降り掛かる不幸の連鎖を予感させるに充分なものだ。<br />「はい&#8230;何だって？、風間が日本に帰った？」<br />「&#8230;はあ。もう知らん」<br />その知らせは、決して予想以上でも以下でもなかった。若干２３歳でＦ１デビューしたＴＳＪのレース・ドライバーである風間裕人は、確かにスカラシップでアンダー・フォーミュラを闘っては来たものの、所詮はスポンサーの電脳が連れて来た芸能事務所所属のタレント・レーサー。が、アイドル風のルックスを持つ風間の起用を強烈にプッシュした当のスポンサーが降りるのであれば、当然風間自身がこのチームにいる理由もなくなる。大椋が風間の携帯を鳴らすが、もちろん出るわけはない。今頃はニースの空港で出国手続きを行っているだろう。<br />「なんて勝手な！」<br />「ハッハッハ。行動だけはいっちょまえと言うか、流石スター、と言う振る舞いだな。&#8230;まあ、とにかく緊急ミーティングだ。大椋、招集をかけてくれ」<br />「解りました」<br />大椋が部屋を出ると、時折車のクラクションが聞こえて来る以外は、壁にかけられた時計の音しか聞こえない静寂が鈴石の部屋を包んだ。まさに「嵐の前の静けさ」だった。</p>
<p>水曜夜のモナコ、繁華街からやや外れた場所に位置するホテルの一室にＴＳＪ／チーム・サムライ・ジャパンのトップが集結した。<br />中央にチーム・オーナーの林田勝、脇にテクニカル・ディレクターの由里拓夫とレース・ディレクターの桜田繁敏。エンジニア畑の津田哲治（チーフ）、カイル担当メカの渡辺清治、風間担当の木元武雄らも狭いソファに並び、スポーティング・ディレクターの鈴石と広報の大椋が部屋中の静寂を受けて立っている。ただひとり、エース・ドライバーのジョナサン・カイルは明らかに苛立ち、通訳にドイツ語でまくしたてていた。<br />「遅れてすまない。始めてくれ」<br />ドアが開くと同時に場違いな笑顔で全員を見渡し、チーム代表の星田一俊が部屋に入って来た。大椋が口を開く。<br />「え〜、では早速本題に入ります。つい先ほど、我々のメイン・スポンサーである株式会社電脳の掘川唯文社長から直接鈴石さんに電話がありまして、最終的には今日付けで正式にＴＳＪとの契約を破棄する、と言われました。で、どうやらその話は風間の事務所にも行ったらしく、ウチのアシスタントに『もう日本に帰る』と言い残して風間が空港に向った、との一報がありました。現状、風間の行方は解りません。今解っているのはそんなところです」<br />現場ではひとりを除いて誰も驚かず、苦笑いにも近い空気が部屋を包んでいた。ただひとり激高しているのはカイルだった。<br />「ヘイ、ホシダサン！、このチームは一体どうなってるんだ？。俺はもう１０年Ｆ１で走っているが、こんな契約不履行は聞いたことがないぜ。どうしてくれるんだい！」<br />かつてはフォーミュラ・ニッポンでコース上で争った仲でもあるドイツ人ドライバーのカイルと「日本一速い男」の称号を持つカリスマ、星田の間には、良い意味でも悪い意味でも本音のぶつけ合いが日常であった。<br />「俺がドイツＦ３チャンピオンになった時のチームでも、もうちょっと機能していたぜ。いや別に、このチームが駄目だと言ってるんじゃない。ただ、もうちょっとやり方があるだろう、ってことさ」<br />「解ってるよ、ジョナサン。実際、チームの全員がこんな筈じゃないって思ってる。ただ&#8230;」<br />「ただ、何なんだ？」<br />「うむ&#8230;全員聞いてくれ」<br />星田が持っていた上着を壁際に立っていたアシスタントに向けて放り投げ、時計をチラッと見てからゆっくり話し始めた。<br />「&#8230;ホンダさんもトヨタさんも見切ったＦ１に、今更ながら俺達は食いついた。バジェット・キャップ案ってヤツがなきゃ、俺達は今ここにいなかっただろう。ただ、それは日本のマスコミでも散々言われて来たようにまさに時代遅れで、経済情勢だのエコロジーだのって意味じゃ、この御時世にＦ１チーム結成、なんてのはとんでもなく時代錯誤だったのかも知れない。だが、今ここに集まってるのは、それしか出来ない不器用な連中ばかりだ。林田さんは昔ながらの頑固一徹、由里さんはデザイン馬鹿、桜田や鈴石は一度失敗してるクセに諦め切れず、津田や木元もレースが出来なきゃ会社ヤメる！ってクチだ」<br />「おいおい、随分好き勝手に言ってくれるぜ！。相変わらず自分の価値観が世界共通だと思ってやがる。そう言うところは昔から変わらねえな」<br />林田が上目遣いで星田に突っ込みを入れ、重苦しかった部屋の空気が一気に和んだ。流石だった。<br />「&#8230;そして、俺達は多分ギリギリだったか、または本当は間に合わなかったクチだ。少なくとも、企業と言うレベルでモーター・スポーツ最高峰の夢を語ることが、もはやタブーの時代に突入していたのは、皆の知っての通りだ」<br />再び場が静まり返った。若いメカニックの渡辺は、既に悔し涙に鼻をすすっていた。<br />「だからこそ、俺達はチーム・サムライ・ジャパンなんだ。ひたすらストイックに、例え不利な状況であっても突き進む。誰もやらないんなら、俺達がやる。そうやって集まったのが俺達なんだ。その最後のチャンスを与えられ、こうして挑戦出来ただけでも、俺は凄いことだったと思うんだ」<br />鈴石は眼を閉じたまま回想する。<br />「俺が２０年前に鈴鹿で表彰台に乗った時は、何十万人って人が一緒に夢を見てくれて、そしてたくさんの人が感動してくれた。自分もそんな風になりたい、ってね。でも自分は世界チャンピオンになるつもりだったから、３位なんてまだまだ夢の途中だったんだけどね」<br />「掴めないから夢だし、叶わないから追いかけるのさ」<br />今度は林田が太い声で割り込む。<br />「子供の頃に漠然と想い描いた景色とか、未来とか、クルマもそうだ。理想は永遠に手に入らない。だから、俺達は追い求め続ける。そう言う意味じゃ、ホンダだのトヨタだのが広報戦略として何をやっても、俺には関係ない。俺は俺、俺の夢は俺のものだからな。だいたい、夢なんてのは叶っちゃったら面白くねえだろ？」<br />黙って林田の話を聞いていた星田は眼を開き、今度はスタッフ全員を見渡しながら、やや強い口調で続けた。<br />「きっと、子供は家へ帰る時間が来た、ってことさ。もちろん、ウチへ帰って晩メシ食って、テレビ見て風呂入って&#8230;また布団に入りゃ夢の続きを見るだろうし、明日起きたら探しに行こうとするだろう。ただ、今はいっぺんウチに帰って母ちゃんを安心させなきゃいかん」<br />一層深刻な表情となった全員を前に、星田は一呼吸置き、こう続けた。<br />「皆、ご苦労だった。俺達の夢は一旦お休みだ。ＴＳＪは、第６戦モナコＧＰを最後にＦ１世界選手権から撤退する」<br />一瞬の静寂の後、林田の拍手をきっかけに、部屋中が歓声に包まれた。<br />「皆、お疲れ！ありがとう！！」<br />涙ぐむ者、笑う者、天井を見上げる者&#8230;サムライ達は笑顔の裏で自らの運命を呪い、やり場のない感情／違和感と闘っていた。</p>
<p>恐らくニースの空港で風間が待ち構えていた報道陣にブチまけたのだろう、ＴＳＪの面々が泊まっているホテルがレース・メディアに取り囲まれるのに時間はかからなかった。記者会見もクソもなく、部屋のドアの前で鈴石と大椋がマイクとフラッシュに囲まれた。<br />「ミスター・スズイシ、チームの未来は？」<br />「皆の想像している通りだよ」<br />「今回で撤退？、それともこのまま帰国ですか？」<br />「モナコＧＰには出るよ。ただし、もしかしたらジョナサンだけかも知れないがね」<br />「ユウトは解雇？、それとも&#8230;」<br />「知らない。自分で勝手に帰っちゃったんだよ」<br />「鈴石さん、駄目ですよ、そんなこと言っちゃ！」<br />大椋が焦って鈴石を制する。だが鈴石は笑っていた。<br />「もうかまわんよ。逆に、何を言われても良い覚悟がなきゃ、アイツだって勝手に帰りゃせんだろう」<br />「まったくもう&#8230;」</p>
<p>同じ頃、ニース国際空港では風間がメディアに感情をブチまけていた。<br />「全く、冗談じゃないですよ。こっちは世界を舞台に闘うＦ１ドライバーだってのに、ウチのチームと来たら、満足に予選を通過出来るマシンも作れない。そりゃスポンサーだってファンだって、嫌になるってもんでしょう？」<br />大きなスーツ・ケースに長い足をかけ、サングラスの奥でキョロキョロとカメラを意識しながら風間が大袈裟な手振りを交えて怒鳴り散らす。<br />「でもユウト、チーム・メイトは２度、予選を突破しています。貴方のベスト・タイムはいつもカイル氏より大幅に遅れていましたよね？。御自分のパフォーマンスにも問題があるとは考えないのですか？」<br />ヨーロッパのメディアは単刀直入だ。チッと舌打ちし、マネージャーの方を一瞬振り返りながら、イライラした時のクセである頭を掻く仕草をして風間が返す。<br />「そりゃ、僕はまだＦ１の一年生だし、相手はＦ１で３勝を挙げているベテランなんだから。それに、きっとチームは優先的に、カイルの方に最新のパーツを使わせたりするんだ。それでジャッジされても困るんだよねえ」<br />この手のやりとりには慣れているレース・メディアの面々からはやや失笑が漏れ、風間は自らの首を絞めることとなってしまっていた。<br />「ユウト、これからどうされるんですか？」<br />「取りあえず日本に帰って、それから訴訟の準備だ。これは僕のレース人生の汚点になるような事件だからね！。そして、まずは人気のあるＧＴ選手権にでも出るさ。そっちの方がよっぽど皆の注目を浴びるからね。それにモデルの仕事もいくつか予定が入っているから、相変わらず忙しい毎日さ」<br />風間の目線の先には、既に日本へ帰ってからの日々しか映っていないようだった。</p>
<p>その頃日本では、既にインターネットを中心にＴＳＪのＦ１撤退が大きく報じられていた。ＦＩＡのバジェット・キャップ案により誕生した純日本製Ｆ１チーム、ＴＳＪ（チーム・サムライ・ジャパン）は、成績低迷／露出効果不足を理由にメイン・スポンサーが契約を破棄し、日本人ドライバーの風間裕人はレースをボイコット、チームは第６戦モナコＧＰを最後に撤退を余儀なくされることとなった。そのニュースは決して夢破れた悲壮感が漂うことはなく、景気を見据えた上でクールに分析された結果としてしか扱われなかった。</p>
<p>「かっこわるい。だったら初めからやんなきゃ良かったのに」<br />「だいたいもうＦ１って時代じゃないよね。バブルじゃあるまいし」<br />「年寄りが集まってみっともない。林田に由里に星田に鈴石&#8230;まるで同窓会」<br />「自動車メーカーでもないのにＦ１なんか出来ないってこと。甘く見過ぎ」<br />「日本にＦ１チームなんてあったんだ。今知った（笑）」<br />「これ以上風間クンに恥をかかせないでください」</p>
<p>「&#8230;どうでも良いけど、皆言いたい放題だな。体制発表の時は夢のオールスターだのなんだの言ってたくせに」<br />「寂しいですね。世間ってこんなものなのかな&#8230;」<br />大股開きでソファに腰掛け、携帯電話でチームのツィッターを見ながら鈴石と大椋が嘆いた。時代は残酷に、そして無責任に、最新情報と本音を羅列して当事者にぶつけて来る。<br />「ま、こんなにマスコミに騒がれるのも一昨年の体制発表以来のことだ。結局２０１０年は経済的な理由で参戦出来ず、バーニーの計らいで１年待って貰ってたわけで、そう言う意味じゃ、久しぶりにメディアを賑わせてんじゃないの」<br />「それが良いニュースだったら良かったんですけどね&#8230;」<br />「ハッハッハ。そりゃそうだ」<br />汗をかきつつ、報道陣からどうにか逃れて来た星田が部屋に入って来た。<br />「ふう&#8230;やれやれ。こんなに取り囲まれるのはいつ以来だったかな」<br />「ハッハッハ。丁度今大椋とそんな話をしてたんですよ。ただ良いニュースじゃないのが残念だ、ってね」<br />「星田さん、山本左近のマネージメントから連絡が入っています」<br />「ん？、左近君から？」<br />「はい、もしも風間が乗らないのであれば、こっちはいつでも準備は出来ています、と。あと、ペドロ・デ・ラ・ロサと、ルーカス・ディグラッシからも。それから&#8230;」<br />「解った。ありがとう&#8230;いや、ありがたいと言うべきか、悩ましいところだな&#8230;」<br />「現実的に、明後日のフリー走行までにセカンド・ドライバーを決めるのか、それとも風間をなだめすかして呼び戻すのか、決断しないとなりません」<br />「解ってる。ただ、おそらく風間は今更帰って来んだろうし、林田さんがそれを許すとも思えん。とは言え、このプロジェクトは元々風間ありきのチームだ。まずは風間と話すことから始める必要がある」<br />「もう、いっそ星田さんが乗っちゃえば？。日本一速い男・復活！ってね（笑）」<br />「馬鹿言うなよ。だったら鈴石が乗れ。Ｆ１表彰台経験者だろ？」<br />「ふたりとも、真面目に考えて下さいよ！」<br />「悪い悪い。&#8230;うん、ちょっと林田さんと話して来るよ」<br />背中越しに手を振りながら、星田は部屋を出た。歴史と伝統のモナコＧＰを目前に、星田にも誰にも、起死回生のアイデアなどなかった。</p>
<p>次回に続く。</p>
<p>※この物語はフィクションです。</b></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%ef%bd%97%ef%bd%89%ef%bd%8c%ef%bd%84%ef%bd%85%ef%bd%93%ef%bd%94%e3%80%80%ef%bd%84%ef%bd%92%ef%bd%85%ef%bd%81%ef%bd%8d%ef%bd%9e%e8%a6%8b%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ac%e5%a4%a2%ef%bd%9e%e3%80%80%e7%ac%ac/">Ｗｉｌｄｅｓｔ　Ｄｒｅａｍ～見果てぬ夢～　第一章</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>スカラシップの意義を問う</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_36/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 04 Aug 2010 01:54:01 +0000</pubDate>
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<p>今季、ダラーラ製のシャシーにコスワースのエンジンでF1に初参戦したHRT（ヒスパニア・レーシング）。5月のダラーラとの契約終了の報も驚かされたが、去る7月21日には昨年いっぱいでF1を撤退したトヨタF1チームがHRTと提・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">今季、ダラーラ製のシャシーに<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_51.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コスワース</font></a>のエンジンでF1に初参戦したHRT（ヒスパニア・レーシング）。5月のダラーラとの契約終了の報も驚かされたが、去る7月21日には<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">昨年いっぱいでF1を撤退したトヨタF1チーム</font></a>がHRTと提携する、という話がイタリアで報じられた。元々トヨタ（TMG／トヨタ・モータースポーツGmbH）はマシン・デザインやエンジン開発分野でのサービスを中心とした新たな業務形態に関しての情報を公開していたが、HRTはこのシステムに絡むのではないかと報じられている。確かにトヨタはF1参戦最終年となった&#8217;09年、勝利こそ掴めなかったものの第4戦バーレーンGPでは予選フロント・ロウを独占し、表彰台フィニッシュ年間5回達成の潜在能力を持つマシンであるTF109をベースとした幻の新車、TF110を所有している。このマシンは当初今季のF1参戦へエントリー外から申請を行っていたステファンGPによって運営され、ドライバーには元<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウィリアムズ</font></a>・トヨタでTDP（トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム）所属の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>が有力候補として上がっていた。しかし最終的にステファンGPにはFIAからのエントリーが認められずこの話はなくなったが、トヨタ側はF1撤退発表以前に開発を続けていた&#8217;10年用の新車をスクープ的な扱いで公開、他社との業務提携が充分に可能な状態であることを示そうとしていた。その後も幻のTF110に関しては元GP2チームのデュランゴとの提携話や、&#8217;10年からタイヤ供給を行うピレリのテスト用車両の候補に上がるなど、多くの噂が出ている。もっとも、だいたいわざわざ新たに真っ赤にペイントされた&#8221;幻の新車&#8221;などという公開の仕方にトヨタの下心が丸出しであり、明らかに高価な資金を用いて&#8221;作ってしまった&#8221;TF110を何とか無駄にせず活用しようと必死な状況が見て取れる。<br />更に去る7月21日、トヨタの山科忠専務が山梨県富士吉田での記者会見でWRC（世界ラリー選手権）へのカムバックを匂わせる発言を行った。現状ではあくまでも「WRC及びWTCC（世界ツーリング・カー選手権）への参戦に向けての調査を開始した」との表現だが、&#8217;09年の突然のF1撤退劇から僅か数ヶ月のこの時期、例えトヨタの業績そのものが回復基調にあるとは言え、時期的に見てもある意味衝撃的な発言と言える。この他DTM（ドイツ・ツーリング・カー選手権）への参戦も候補に入っているとされるが、あくまでも市販車ベースの国際レースへの参戦／復帰案は、完全にヨーロッパでの量販車販売を強化する狙いであり、性能と知名度勝負のF1は高額な参戦費用を理由にそこから落とされた。8年間／140戦やって勝てなかったF1を見切り、かつてはタイトルを獲得したラリー分野での復帰はトヨタの現状と今後を予想するには、極めて解りやすい状況と言える。事実、こうしてトヨタが海外カテゴリーで王座獲得の実績のあるラリーへの興味、またTMGの木下美明社長はグループA時代にWRC用ののエンジン開発に携わった大のラリー・ファンであり、こうした噂の出所も落ち着きどころも納得の行く範囲内だと言える。</p>
<p>&#8230;..とまあ、昨年いっぱいでF1を撤退したトヨタのモータースポーツ部門にいくつかの動きが見える昨今、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ザウバー</font></a>・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>で連続ポイント獲得などの活躍を見せ、既に来季のトップ・チームへのシート争いにも名を連ねるようになった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>。彼のレーシング・スーツには今もTDPのワッペンが取り付けられていることからも解るように、現在でも可夢偉はTDP所属のドライバーである。「可夢偉／一貴らの支援は継続／TDPは縮小」と言うのが昨年11月のトヨタF1撤退会見での山科専務の言葉だが、現状TDPはいったいどのような活動状況なのだろうか。</p>
<p>&#8217;10年、TDPは&#8217;95年にスタートしたFTRS（フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール）を基幹プラグラムとし、世界及び日本のトップ・カテゴリーで活躍出来るレーシング・ドライバーの育成／正しいドライビング教育によるモータースポーツ底辺の健全な拡大、を謳い文句として活動中である。もちろん、成績優秀者には翌シーズンのレース参戦のスカラシップ権が与えられ、全面的及び一部の支援が約束される。<a href="http://ms.toyota.co.jp/jp/news/other/10tdp_01.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">TDPのウェブサイト</font></a>には&#8221;主な卒業生&#8221;として可夢偉（F1世界選手権）、一貴（未定）の他、ワールド・シリーズ・バイ・ルノー参戦中の国元京佑、フォーミュラ・ニッポン参戦中の平手晃平、石浦宏明、大嶋和也、井口卓人、全日本F3選手権参戦中の蒲生尚弥、国本雄資ら若手の名が連ねられている。<br />そして、現状で元来FTRSが目指していたF1世界選手権への参戦を果たし、継続出来ているのはご存知の通り可夢偉のみで、昨年までウィリアムズ・トヨタのレギュラーだった一貴は前述のような経緯で現在はシート浪人中である。つまり、TDPのスカラシップに於いて最大のメリットだった&#8221;F1に於けるトヨタ関連のシート確保&#8221;というご褒美は完全に失われ、昨年後半2戦の代打出場で見せた可夢偉の走りが今季のザウバーとの契約に繋がった以外（もっとも、これも<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>が個人的に可夢偉を評価しての結果である）、F1を目指してTDPに所属して頑張って来たドライバーには既に&#8221;優勝商品&#8221;がない状況、と言える。現状、TDPに出来るのは有望なドライバーを無関係なチームに紹介することだけとなり、少なくともF1に於いてその効力は恐ろしく低くなってしまった、と言うことが出来る。</p>
<p>&#8230;..そもそも、スカラシップ精度が齎す恩恵とはどういったものなのか。最近、このスカラシップに関して興味深かった動きが<a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">筆者</font></a>にはふたつあった。ひとつは、ニュージーランド出身の若手ドライバー、ブレンドン・ハートレイが<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>のジュニア・チームから解雇された、というニュース<br />
である。<br />&#8217;89年生まれ／若干20歳のハートレイは13歳という若さでニュージーランド・フォーミュラ・フォード選手権を制した若手有望株で、&#8217;05年に現トロ・ロッソのハイメ・アルグエルスアリらと共にレッドブルのドライバー・サーチ・プログラムに合格し、レッドブルのスカラシップ・ドライバーとなった。昨年にはレッドブルF1チームのリザーブ・ドライバーに就任する話が出たが、参戦中のフォーミュラ・ルノー／ユーロF3へ集中したいという本人の意向でこれを辞退、代わりにアルグエルスアリがF1へとステップ・アップした。ところが今季、ワールド・シリーズ・バイ・ルノーで同僚のダニエル・リチャルドにレース結果で及ばず、去る7月21日にレッドブル側からハートレイの放出が発表されたのである。&#8230;..ハートレイは筆者個人的には注目のドライバーであった。ま、その多くの理由はイケメンの上にブロンドの髪を肩まで伸ばしたそのルックスが若き日の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_09.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロニー・ピーターソン</font></a>（F1ドライバー）やチープ・トリックのロビン・ザンダー（歌手）を彷彿とさせるからだったのだが、ほぼレッドブルによって将来を約束されたも同然だったハートレイがこうしてシーズン中に解雇されるというニュースには驚きを隠せなかった。が、目線を変えれば現在のレッドブルがそれだけ&#8221;レベルの高い&#8221;チームであるということの表れでもある。うかうかしていてはせっかく掴んだチャンスを棒に振りかねない、という良い例と言える。<br />もうひとつは昨年の第10戦ハンガリーGP予選での事故で<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">長期欠場を余儀なくされたフェラーリのフェリペ・マッサ</font></a>の後任ドライバー人事と、その後のフェラーリの対応により誕生した若手育成プログラム&#8221;フェラーリ・ドライバー・アカデミー（FDA）&#8221;のエース、ジュール・ビアンキの骨折〜長期離脱事故である。<br />まず&#8221;フェラーリ・ドライバー・アカデミー&#8221;の発足について。当初フェラーリは第11戦ヨーロッパGPに<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>のチーム・メイトとして&#8217;06年に引退し、当時フェラーリのアドバイザーだった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>の電撃復帰を模索した。しかしシューマッハー本人は数ヶ月前のバイク事故の後遺症もあってこの復活は叶わず、結局フェラーリはふたりいるテスト／リザーブ・ドライバーの中から&#8217;00年から10年に渡ってテスト・ドライバーを務める<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-8.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルカ・バドエル</font></a>の起用を決定した。しかし10年間の実践ブランクか年齢から来るものかバドエルは全く近代にF1に付いていけず、フェラーリは第13戦地元イタリアGPからフォース・インディアから現役レース・ドライバーのジャンカルロ・フィジケラを引き抜いて起用。直前の第12戦ベルギーGPではチーム初のポール・ポジションを獲得し、レースでもライコネンに次ぐ2位でフィニッシュするという大活躍を見せたフィジケラだったが、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>搭載のフェラーリF60がナーバスなマシンだったからか、名手フィジケラを以てしてもポイント獲得ならずでシーズン終了。この一連の流れにより、長く若手ドライバーの育成に興味を示して来なかったフェラーリが遂にスカラシップ制度&#8221;FDA&#8221;の設立を決断。ジュール・ビアンキを筆頭にGP2やイタリアF3参戦中の若手ドライバーを中心とした、&#8221;勝者優先主義&#8221;フェラーリの初の若手ドライバー育成プログラムがスタートした。<br />この動きは実に明確なものだった。何故なら、前述のレッドブルがセカンド・チームのトロ・ロッソも含め下から続々と将来有望な若手を輩出し、育てて来ている経緯も含め、&#8217;08年F1世界王者、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>は完全に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>の秘蔵っ子であり、デビュー初年度からタイトルを争い、翌2年目には堂々と王座を獲得してみせた。それも、最終戦までタイトルを争ったポイント上のライバルはフェラーリのマッサであった。それに比べ、トップ中のトップ・チームであり、伝統と格式を重んじる天下の常勝フェラーリには&#8221;若手育成&#8221;という概念がそもそも存在せず、他チームでの活躍で既にチャンピオン争いが出来ると見なされたドライバーが移籍して来る、言うなれば&#8221;敷居の高いチーム&#8221;だった。そんなフェラーリが周囲を見渡し、且つ自らにその必要性が迫った際にこの若手スカラシップ制度の設立を早期決断したのは非常に明快な動きだったと言える。結局FDAは&#8217;09年ユーロF3王者でGP2参戦中のビアンキを筆頭に、若干11歳のカナダ人、ランス・ストロールら数名をスカラシップ・ドライバーとしてバックアップし始めた。しかしその矢先、&#8217;10年第12戦ハンガリーGPのGP2・第1レースでビアンキが大クラッシュに合い、第2腰椎骨折で入院生活を余儀なくされてしまう。これにより、フェラーリはビアンキのFDAからの一時的な離脱を発表。奇しくもビアンキが運ばれたのは1年前にこのFDA設立のきっかけともなったマッサが運ばれたAEK病院であった。ビアンキの1日も早い回復を祈りたい。</p>
<p>さて、我が日本のスカラシップ制度と言えば忘れてはいけないのがホンダ、SRS（鈴鹿レーシング・スクール）である。こちらも&#8217;08年でのF1撤退を受け、トヨタ同様最高峰カテゴリーへの参戦というご褒美はない。現状、ホンダのスカラシップで最も最高峰に近い位置にいるのは、それでもF1浪人を経てIRL（インディ・レーシング・リーグ）へと移籍した<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨</font></a>だと言える。<br />今思えば、日本のフォーミュラ・スカラシップの頂点は&#8217;01年であった。この年、イギリスF3を佐藤琢磨、ドイツF3を金石年弘、フランスF3を福田良がシリーズ制覇するという&#8221;事件&#8221;が起きた。そう、日本の若手ドライバー達が海外で暴れ回り、遂にヨーロッパの3大F3選手権でチャンピオンとなったのである。当時、日本ではこのスカラシップ制度も含め、若手ドライバーがキャリアの中堅にとつにゅうする以前、つまり従来よりももっと&#8221;早くから&#8221;海外／ヨー<br />
ロッパで武者修行する必要性が訴えられていた。日本人F1レギュラー・ドライバーのパイオニアである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_07.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋悟</font></a>（&#8217;87〜&#8217;91年／予選最高位6位、決勝最高位4位、最速ラップ1回）を始め、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>（&#8217;88〜&#8217;95年／予選最高位6位、決勝最高位3位）、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_107.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">片山右京</font></a>（&#8217;92〜&#8217;97年／予選最高位5位、決勝最高位5位）ら先駆者の成績を上回れる人材育成のため、多くの若手ドライバー達が海外へと打って出た。特に前述の3人の内、琢磨は&#8217;02年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>・ホンダからF1デビューを飾り、&#8217;04年にはホンダ・ワークスの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_95.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BAR</font></a>・ホンダで予選最高位2位、決勝最高位3位の活躍を見せた。しかし琢磨はホンダがBARを買収／ワークス・チームとなった際に、エース・ドライバーの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-34.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジェンソン・バトン</font></a>（同年予選最高位1位、決勝最高位2位4回）との成績比較によりチームから弾かれ、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">スーパー・アグリ・チーム</font></a>へと移籍を余儀なくされた。ホンダはフェラーリからルーベンス・バリチェロを迎え入れ、ワークスとして本気でタイトルを取りに行く覚悟が伺い知れたが、結果的には惨敗に終わり、景気低迷の煽りもあって<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">遂に&#8217;08年にF1撤退を決意</font></a>する。当然この時点でホンダ系列のチームはF1のグリッド上に存在しなくなり、後ろ盾を失った琢磨は自らのマネージメントと共にこれまでライバルだったチームとシート獲得を目指して活動しなくてはならなくなった。テスト結果などからも最終的に最も有力と思われていた&#8217;09年のトロ・ロッソ加入の話が消え、&#8217;10年の新規参入チームの中からロータスと最後まで交渉していた琢磨だったが、結局移籍は叶わず、インディ・カー・シリーズへの転向を決めたのである。<br />つまり、既に日本のホンダ／トヨタという2大&#8221;元&#8221;ワークスのスカラシップ制度は、既にその効力を失っていると言っても過言ではない。前述のヨーロッパ3大F3制覇者の内、金石は現役のGT選手権ドライバー兼、そのSRS-Fの講師を務めている。一時はBARのテスト・ドライバーまで行った福田は第一線を退き、現在レーシング・ドライバーのマネージメント関係の仕事を行っているようで、&#8217;5月に鈴鹿で開催されたカート・ワールド・カップに姿を見せた。現在進行形の選手としては、その後フォーミュラ・ニッポンなどで活躍する松田次生に次のチャンスがという声もあったが結局実現には至っておらず、日本からF1世界選手権へと打って出るのは現状極めて難しい状況となってしまっているのである。<br />ちなみに、現在可夢偉と共に日本代表としてF1に参戦する<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-30.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">山本左近</font></a>（HRT）は&#8217;00年のSRS-F受講生であり、同年全日本カート選手権で3位、翌年全日本F3選手権で4位となり、同時に海外武者修行をスタートさせている。ただし経緯は同じであっても、左近は独自のマネージメント活動で自らの道を切り開いて来た。少なくともスパイカー／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルノー</font></a>／HRT加入の経緯に日本の自動車メーカーが絡んでいないことは以前のコラムでも紹介した通りであり、既にスカラシップ制度が&#8221;崩壊した&#8221;と言える現在の日本に於いて決して特殊なスタイルとは言い難い。僅か20数席しかないF1のシートを得るために熾烈な争いが世界中で行われているのである。</p>
<p>さて、ではこのモータースポーツ・スカラシップ制度に未来はないのか。<br />スカラシップはあくまでも企業によるバックアップであり、ドライバーから見ればその対象がパーソナル・スポンサーなのかF1関連メーカーなのかの違いでしかなく、つまりメーカーがF1に存在してさえいれば極めて容易な道だったと言える。しかし結果的に&#8230;..例えばチーム・メイトの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>に惨敗した中嶋一貴（ウィリアムズ・トヨタ）はトヨタ・エンジンごとチームに見切りを付けられた。これはヨーロッパの名門メームから日本メーカーのスカラシップ／連れ子、という概念を否定された、と言わざるを得ない。そしてここには日本／トヨタの絶望があるが、反面、&#8217;09年最終2戦で彗星のごとく現れた可夢偉は経験不足などの要素を全て払拭する快走を見せ、堂々&#8217;10年のザウバーのシート獲得をやってのけた。人、タイミング、成績&#8230;..多くの要素が絡まる中、メーカーの思惑と選手の能力が見事一致した際、それらは完璧に機能するのだろう。ただ、日本にがまだその組み合わせが到来していないのだ。そして、スカラシップはその少ないチャンスを大きく広げてやれるチャンスであり、その場を奪ってしまった企業は今後、そのドライバーの才能をいったい何処で計り、伸ばすのか。&#8221;育成&#8221;は先行投資なくては成り立たない。</p>
<p>&#8230;..余談だが、ホンダの小会社、ホンダ太陽・大分工場は障害者の技術で成り立っている。ナンバープレートのランプ製造ではシェア9割を誇る。しかしそれは障害者の雇用などの問題解決とは違う、別の目的によって成り立っており、細かくシビアな作業を、仮に時間がかかってでも丁寧に行う、という理念から来るもの。つまり、目的は儲けではない。&#8217;78年、この工場を視察した<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_69.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">本田宗一郎</font></a>が「ホンダもこういうことが出来る会社にならなきゃいけない」と共鳴し、子会社化した。これはある意味先行投資であり、損得を超えた&#8221;先見の明&#8221;である。そしてそれは本田宗一郎というカリスマが、高度経済成長期という時代に生きたからこその出来事であり、エピソードである。<br />&#8230;..もっとも、何処の自動車メーカーもクルマの個性を訴える筈のTVCMの最後に揃って「減税！補助金！」とか子供に言わせてるような現在ではとても考えられない話だが。</p>
<p><i>「トヨタの若手育成プロジェクトには、様々なプログラムが用意されており、レース参戦前／参戦中もレーシングドライバーとして必要な資質を身に付けるためのサ<br />
ポートを行っていく」／TDP</i></font></p>
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		<title>左近ここにあり！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 18 Jun 2010 12:05:53 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8217;10年F1世界選手権、小林可夢偉（ザウバー・フェラーリ）がたったひとりの日本代表として闘っていることはご存知の通り。また同時に、中嶋一貴や佐藤琢磨らがF1でのシートを喪失したこともまた事実であり、世界的不況・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8217;10年F1世界選手権、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>（ザウバー・フェラーリ）がたったひとりの日本代表として闘っていることはご存知の通り。また同時に、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>や<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨</font></a>らがF1でのシートを喪失したこともまた事実であり、世界的不況の中で日本は<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタ</font></a>ら企業レベルの撤退の煽りをモロに受けた形となっている。よって可夢偉は唯一の日本人F1ドライバーとなってグリッドで孤軍奮闘しているワケだが、現在、厳密な意味で&#8221;日本人F1ドライバー&#8221;と言える人物はもうひとり存在する。<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">HRT（ヒスパニア・レーシング）</font></a>のリザーブ・ドライバー、山本左近である。</p>
<p>&#8217;10年4月17日、HRTは第4戦中国GP開催中に突然左近とのテスト兼リザーブ・ドライバー契約を発表した。予選前には本人を交えて記者会見も行われ、開幕直前にチーム側から「タイミング良く話を頂いた」という経緯でHRTに参加することとなったことが明らかになった。<br />
HRTは当初、GP2などを闘う強豪チームで、元F1ドライバーのスペイン人、エイドリアン・カンポスが運営する&#8221;カンポス・メタ&#8221;というチームだった。&#8217;09年のF1新規参入に早々と名乗りを上げ、ドライバーにかの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>を叔父に持つ<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/03/f1-2.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブルーノ・セナ</font></a>を起用すると発表、チームも&#8217;10年からのF1参戦をFIAにより確約された。<br />
しかし大きな話題を持った新チームでありながらもスポンサー契約で失敗、シャシー制作を委託するダラーラへの支払いなどが滞る事態に陥り、シーズン開幕直前にカンポスはチームをスペインの大富豪であるホセ・ラモン・カラバンテに売却し、自らはチームを退いた。新たにチーム・オーナーとなったカラバンテは&#8217;08年にフォース・インディアのチーム代表だったスペイン人のコリン・コレスをカンポスの後任としてチーム代表に任命。チームはヒスパニア（純スペイン製）・レーシング・チーム（HRT）として生まれ変わり、1号車のシェイク・ダウンが開幕戦バーレーンGPのフリー走行、というギリギリのスタートを切った。弟8戦カナダGP終了時点で未だ入賞はなく、もちろん獲得ポイントはゼロ。現状、同じ新規参戦チーム、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ヴァージン・レーシング</font></a>と最下位を争うレベルである。</p>
<p>この時点で確実に言えることは、HRTは現在F1に参戦する全てのチームの中で間違いなく一番若く、経験値とデータを持たない未熟なチームである、ということである。外部委託によって作られたシャシー、スーパー・アグリ・チームの消滅によりチームを失ったエンジニアやメカニックの存在、そして経験の浅いドライバー。その彼らが一足先に合同テストなどで開発を進めて来たロータスやヴァージンなどの新規参入ライバル・チーム達と争うには、スタートから相当な遅れとハンデを背負っている、と言わざるを得ない。そのHRTがF1経験のあるドライバーをリザーブ契約で迎え入れることは極めて理にかなっている。しかし反面、サーキット・テストの機会の少ない現在のF1レギュレーションの中では「金曜フリー走行も新人ドライバー達がコースを覚え、マシンを学ぶ重要な機会である」として第3ドライバーの走行を行わないという意向のチームが圧倒的である。当然セナも、チーム・メイトのカルン・チャンドックも新人ドライバーであり、しかも全チーム中で最も若いHRTがそれを行うにはデメリットも覚悟となる。しかし、F1チームにとって第3ドライバーの存在は多くのメリットを齎せてくれるのもまた事実である。<br />
まず、セッティング。これは経験値の少ない新人ドライバーでは相当困難な分野であり、エンジニアやメカニックも含め、そのサーキットの特性やマシン・セッティングの妙を知り得ている者の存在は、がむしゃらな新人ドライバーが頑張って出したタイムを0.5秒上回る、とされる。そのセッティングと情報を元に正ドライバーが良い走りを見せ、結果的に好成績となれば理想的である。<br />
次に、持ち込み資金である。特に大口スポンサー獲得がかなわなかったチームにとって、例え1戦ごとのスポット契約であっても、複数のドライバーから齎される個人資金の蓄積は大きい。事実、F1では予算の少ないチームは多くのスポット契約テスト・ドライバーを起用して来た経緯がある。むしろHRTはどのような手段を使ってでもライバルとの力の差を埋める努力が必要な時期であり、左近のリザーブ契約は好タイミングと言える。<br />
が、左近の契約が発表されて1ヶ月も経たない5月5日、HRTはF1浪人中だったクリスチャン・クリエンとのリザーブ・ドライバー契約も発表した。第6戦モナコGPでは早速レギュラーのセナ、チャンドックに加え左近、クリエンの4人がイベントに参加し、笑顔を振りまいていたのが印象的であった。ちなみに第5戦スペインGPではクリエンが、第7戦トルコGPでは左近が、HRTの金曜フリー走行を担当した。彼らの契約が一体どうなっているのかは不明だが、今後ともふたりのサード・ドライバーがフリー走行を分け合う形になると見られる。</p>
<p>&#8230;..というワケで、山本左近はF1のパドックに帰って来た。ここで、意外に知られざる左近のキャリアを振り返っておこう。</p>
<p>山本左近は1982年7月9日、愛知県豊橋市にて誕生。小学生の時に鈴鹿のF1日本GPを生観戦し、アイルトン・セナに憧れ、自らもカート・レーサーを志望するも両親の答えはNo。「F1ドライバーになるためには12歳までにカートを始めていなければダメだと、親に土下座して頼んだ」その甲斐あって12歳／小学6年生の時にようやくカート・キャリアをスタートし、&#8217;94年／中学生で鈴鹿カート・レーシング・スクール（SRS-K）に入校。親と「勉強と両立させる」ことを約束し、平日は学校／週末はサーキット、の生活を送る。&#8217;97年に中部東海カート・シリーズ・チャンピオンとなり、&#8217;99年には全日本FAクラスを制覇。&#8217;00年に鈴鹿フォーミュラ・レーシング・スクール（SRS-F）に入校しつつヨーロッパのカート選手権へ挑戦、&#8217;01年には全日本F3選手権に参戦してシリーズ・ランキング4位。&#8217;02年はドイツ、翌&#8217;03年はユーロF#へと参戦、カトリック系私立大として有名な南山大学を中退し、&#8217;05年にはフォーミュラ・ニッポンへとステップ・アップして来た。<br />
&#8217;05年第18戦日本GP。当時F1ではレギュレーションにより金曜フリー走行に第3ドライバーを走らせることが可能であり、左近は<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>とスポット契約を行い走行、慣れ親しんだ得意の鈴鹿でレギュラー・ドライバーのティアゴ・モンテイロより0.5秒、ナレイン・カーティケヤンよりも3秒以上速い17番手相当のベスト・タイムをマークし、関係者の注目を浴びた。本人も「これを機に、来年はF1にフォーカスを向けます」と意気揚々とコメント。そして翌&#8217;06年前半はフォーミュラ・ニッポンやSUPER-GT選手権に参戦しつつ、この年に誕生した純日本コンストラクター、スーパー・アグリと第8戦イギリスGPからサード・ドライバー契約を行い、チームに帯同。第12戦ドイツGPからはフランク・モンタニーに代わって遂にレギュラー・シートを獲得、スーパー・アグリは再びエースの佐藤琢磨との日本人コンビによるF1参戦となった。シーズン終盤には3戦連続完走を果たし、その走りは高評価を得た。しかしスーパー・アグリは更なる飛躍と国際的スポンサー獲得のため、&#8217;07年は琢磨とアンソニー・デビッドソンの布陣を決め、左近はリザーブ・ドライバーとして契約。ただしスーパー・アグリ代表の鈴木亜久里も「左近にもまだまだレギュラー昇格のチャンスはある」と発言。本人はGP2に参戦しながらチャンスを待っていた。しかし同年、ジョーダン買収により誕生したスパイカー・チームからレギュラー・ドライバーのクリスチャン・アルバースがシーズン途中に解雇された際に左近に白羽の矢が立ちつ。「急に来た話だったのでビックリした」左近は第11戦ハンガリーGPからスパイカーへ移籍し、グリッド最後方チームながらコンスタントに完走する実力を見せた。<br />
&#8217;08年、左近はスーパー・アグリともスパイカーとも契約せず、ルノー・チームのテスト・ドライバーに就任。積極的にイベントなどに参加し、同時にGP2に参戦。&#8217;09年はGP2に専念、シリーズ・ランキング9位と健闘した。<br />
そして&#8217;10年、左近は新鋭HRTのサード・ドライバーとなった。ここまで大きなタイトル奪取経験は持たないが、F1デビュー以降ほぼ毎年F1チームとの関わりあいを、それも複数チームと行って来たそのキャリアはある意味&#8221;異質&#8221;なのものでもある。</p>
<p>&#8217;05年第18戦日本GP@鈴鹿。初めてのF1ドライヴとなった左近がレギュラー・ドライバーよりも速いタイムを叩き出したのは、左近の適応力の高さに加え、そこが慣れた地元・鈴鹿であったことも重要であった。&#8217;06年、スーパー・アグリから出走していた井出有治が第4戦サンマリノGP後にFIAから「経験不足」としてライセンスを取り上げられた際、左近は明日が我が身と案じた。「有治に起きたことは本当に残念なことで、僕のスポンサーも僕が彼と同じ状況になるのではと不安がっています。でも、僕はF1ドライバーとして成功するためにここにやって来たので、自分では心配していません」その言葉通り、左近はスーパー・アグリ加入後の後半3戦で印象的な走りを見せ、第16戦日本GP、地元鈴鹿では琢磨と共にW完走を果たし、喝采を浴びた。翌&#8217;07年の第15戦日本GP（富士）ではスパイカーで自己最高の12位フィニッシュ、地元のプレッシャーに強い一面も覗かせている。<br />
地元に強いF1ドライバー&#8230;..もうそれだけで、左近がこれまでの日本人ドライバーと違う、ヨーロッパ並みのセンスの持ち主であることを期待してしまう。チャンスをしっかりとモノにするためには、こうした要所要所での印象的なデータが必要なのである。</p>
<p>しかし、こうしてF1関連のサイトや情報をチェックしていて、人々が想うことは様々だろう。そして、当スクイチはstingerという極めてオフィシャルなF1サイト内に位置しつつも、実は&#8221;バリアの外側目線&#8221;が信条なので&#8230;..ま、時折タブーにも挑戦するワケだ。<br />
そう、大きな選手権制覇歴のない日本人ドライバーである左近が、何故ここまでF1と深い関わり合いを持てるのか。もっとハッキリ言ってしまえば、琢磨や一貴が得られなかったF1のシートを、何故左近は得ることが出来たのか、という疑問である。<br />
<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/voice/2010/04/17/004370.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">今回のHRTとの契約</font></a>にあたり、左近は自身の口から「ヨーロッパの代理人を通じて先方（HRT）から来た話で、持ち込みスポンサーに関しても特に言われてなく、チームには僕の&#8221;経験&#8221;を買って貰った」と発言、その契約がただの&#8221;資金持ち込みドライバー&#8221;としてではないことを物語っている。<br />
実力、コネクション、資金力、そして運。F1シート獲得のために全て必要と言っても過言ではないこれらの要素、左近はいったいいくつを持っている人物なのか。</p>
<p>まず、確実に言えることは左近が多くの持参金／スポンサー・マネーを準備出来るドライバーだった、という事実である。左近のパーソナル・スポンサーとしてはパチンコ機器などで有名な株式会社三宝商会（名古屋）が有名である。そして、実は左近の実家が愛知県では有名な医療財閥と深い関わり合いを持っており、大規模な法人施設運営を行っている。<br />
バブル崩壊以降の不景気と、リーマン・ショック後の経済不安の中で、日本企業は広告活動の大きな見直しを迫られた。スポーツ関連の広告は大きく影響を受け、企業の運動部などは次々に閉鎖に追い込まれて行った。それはモーター・スポーツでも顕著で、前述のようにホンダとトヨタという2大企業ワークスがF1を見切った。両社共にモーター・スポーツ活動に於いては若手ドライバーのスカラシップ展開を行っており、事実上これらのメーカーがメイン・スポンサーとなり、日本人F1ドライバーは誕生して来た。それはホンダと中嶋悟に始まり、形は違えども<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_61.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フットワーク</font></a>、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_107.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">片山右京</font></a>と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_41.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ヤマハ</font></a>、といったナショナリズムによるパートナー・シップとなってこれまで展開して来た。当然それは日本のみの現象ではなく、ブラジルの大手銀行の世界進出戦略の中にアイルトン・セナという広告媒体があり、ドイツの企業サポートにより皇帝・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>は誕生した。F1という巨大なマーケットに於いて、無名の若者が有力チームのシートを得るのに実力以外に必要なものがあるかと聞かれれば、その答はイエスなのである。そして、その不景気の荒波の中でも、左近は沈没しなかったのである。<br />
次に、こうして左近が渡り歩いて来たF1チームをあらためて振り返ってみよう。</p>
<p>&#8217;05年ジョーダン<br />
&#8217;06年スーパー・アグリ<br />
&#8217;07年スパイカー<br />
&#8217;08年ルノー<br />
&#8217;10年HRT</p>
<p>&#8230;..実は、&#8217;06年のスーパー・アグリと&#8217;08年のルノー以外の&#8217;05年ジョーダン、&#8217;07年スパイカー、そして今季のHRTにはある共通する人物のチームである。&#8217;05年のジョーダンはロシアの大富豪アレックス・シュナイダーとチーム・マネージャーのコリン・コレスにより運営されていたチームであり、&#8217;07年のスパイカーは彼らがジョーダンを買収したチーム、そしてコレスは今季HRTのチーム代表である、という事実である。つまり、左近の動向の影にはいつもコリン・コレスの存在があるのだ。</p>
<p>左近はヨーロッパのF3参戦中、コレスのチームに所属していた。事実、&#8217;05年日本GPのジョーダンのサード・ドライバー・シート獲得にはコレスが両者を仲介しており、コレスと左近には信頼関係、及びビジネス・パートナー関係が存在していた、と考えられる。そして興味深い話として、左近サイドの&#8221;金払いの良さ&#8221;が挙げられる。一般的にこうした多額の資金持ち込み話は、当初決まった金額を下回ったり、場合によっては全く支払われない所謂&#8221;契約不履行&#8221;となるケースが多い。が、左近のマネジメントは期日や金額を裏切ることなく、キチンと契約を行うという情報がある。これは先方にとっては明らかに信頼の於ける相手となる。またこうした機会に於いて左近が常に&#8221;良い仕事&#8221;をして来たのも重要である。つまりチームという企業から見た際、左近は期待を裏切らない、良いビジネス・パートナーである、ということなのだろう。同時に、コレスにとって左近は有能な&#8221;お抱えドライバー&#8221;であると言っても過言ではない。<br />
ちなみに、左近は&#8217;07年にスパイカーのシート獲得に当たり、2.200万ドル（約26億円）の持参金を準備した。この件は、左近とシート獲得を争った元ジョーダンのインド人ドライバー、ナレイン・カーティケヤンのマネージャーが&#8221;批判&#8221;という形で暴露している（もちろん真相／金額は定かではない）。&#8230;..個人レベルで持ち込みが数十億円、というのは一般的には現実的ではない数字に見えるが、こうした投資が可能な環境を、左近及び左近のマネージメントが持っているのは事実なのである。それが前述のメーカーや実家による支援であったとすると、その規模は通常のパートナー・シップの常識範囲内を超えている、と言わざるを得ない。何故なら、スパイカーのレギュラー・シート獲得に数十億円だとして、ルノーのテスト・ドライバー職にすら数億円の持ち込み資金が必要な筈だからである。だが、そういった投資を毎年のように繰り返すことで、左近はF1とのパイプを絶たずに今季を迎えた。世間がTDP（トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム）のふたりとホンダの捨て子の動向に気を取られていた間も、左近はしっかりとF1に根付く活動を行って来ていたのである。</p>
<p>&#8230;..と、ここまで左近の環境を分析して来て、オールド・ファンの方々は納得しつつ、かつてのある日本人F1ドライバーを想い出し、左近の状況と比べているかも知れない。そう、日本で初めてヨーロッパ・スタイルのマネージメントを自ら行い、スポンサー持ち込みでF1シートをゲットした<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_35.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">井上高千穂</font></a>の存在である。</p>
<p>&#8217;94年、バブル崩壊の波がゆっくりと、しかし着実に押し寄せる日本経済の中、パイオニアである中嶋悟の引退、ホンダのF1エンジン供給活動休止、そしてヒーロー・アイルトン・セナの死によってF1は確実にダメージを受けていた。当時、片山右京（ティレル・ヤマハ）が日本のエースとしてF1を闘っていたが、ヨーロッパでの武者修行の後にF1へとステップ・アップして来た野田英樹が、持参金をも食いつぶしたチームの消滅（シムテック）によってシートを喪失、日本人は明らかにヨーロッパの高い壁にブチ当たっていた。<br />
そんな中、ヨーロッパ及び国内のアンダー・フォーミュラでの表彰台経験が一切ない無名の日本人F1ドライバーが突然誕生した。タキ井上こと井上高千穂が&#8217;94年日本GPにシムテックからスポット参戦し、F1デビュー。更に翌年、フットワーク・アロウズからフル参戦。マスコミもファンも唖然とする中、「知らない男」が突然日本代表に名乗りを上げたのである。<br />
当時、日本の一部マスコミは「無名の井上がF1のシートを金で買った」と井上を批判、そして井上本人は「F1のシートは金で買うものである」と、真っ向から対立した。井上は自らのビジネス論を持っており、ヨーロッパのドライバーが一般的に持参金を持ってF1チームと交渉するのと同じことをやってみせた、初の日本人だった。井上は単独でユニマットとの大口スポンサー契約をまとめ、複数のF1チームと交渉。FIA側も、資金難に喘ぐいくつかの中堅チームの救済策として、アンダー・カテゴリーでの実績がない井上にもスーパー・ライセンスを発給したのである。</p>
<p>日本のフルタイム／レギュラーF1ドライバーの先駆者、中嶋悟は&#8217;84〜&#8217;86年の全日本F2選手権3連覇の肩書きを引っさげて翌&#8217;87年にロータス・ホンダからF1デビュー。ふたり目の鈴木亜久里は&#8217;88年全日本F3000選手権王者となり、同年の日本GPにスポット参戦（ラルース・フォード）という形でF1デビュー。3人目の片山右京も、&#8217;91年全日本F3000選手権王者となって翌&#8217;92年にラルース・ランボルギーニでF1デビューを果たした。右京の頃になると完全に「国内トップ・フォーミュラで王座を獲得したらF1」という空気が出来上がっており、事実&#8217;92年にブラバムと年間契約した中谷明彦は「国際F3000選手権のシーズン参戦、イギリス／フランス／ドイツ／イタリア／南アフリカ／日本のF3選手権の現役王者であること」という基準を満たしていないとされ、FIAからスーパー・ライセンスが発給されずにF1デビューが叶わなかった、という経緯がある。つまり、本人の経歴はF1の&#8221;参戦資格&#8221;として重要視されていた。そして高千穂は、アンダー・フォーミュラでの王座はおろか、表彰台経験もないままF1ドライバーとなった。<br />
「多くの弱小チームが財政的に苦しくなるシーズン後半に、ドライバーに欠員が出ていたシムテックに話を持ちかけた。FOCAも財政難のチームの救済処置になると、僕にライセンスを発行してくれた」と、高千穂自身は後年打ち明けている。「&#8217;95年はチーム（フットワーク）に1億円ほど払い、その後毎月5,000万円ほど。そういう内部事情を知らずに僕を非難する人が大勢いたけど、F1ではごく当たり前のこと」完全な正論である。が、国内王座を獲得して初めて&#8221;日本代表&#8221;という形でF1へステップ・アップする、という考え方は如何にも縦社会・日本らしい発想である。「筋道を通す」というスピリットが必要なのは完全に御国柄だが、そんなものはF1に必要ないことを、高千穂は知っていたのである。が、結果的に選手権を通じて結果を残せなかった高千穂にF1ドライバーとしての未来がなかったのもまた事実であり、そういったチャンスを活かし、チーム・メイトを凌駕し、速さをみせて次のステップがある。多くのF1ドライバーがそうやって王者への階段を登って行ったのである。</p>
<p>さて、左近の在籍するHRTには、&#8217;10年6月にブルーノ・セナが左近にシートを奪われるのではないか、というイタリアの雑誌から端を発した噂があった。セナは常に偉大な叔父・アイルトンとの比較に悩まされ、同様に今季F1デビューしたチーム・メイトのチャンドックの成績との比較に於いても苦しんでいる。チームもセナもこれを慌てて否定する声明を出したが、こうした噂が出ること自体、左近にとっては追い風である。もちろん左近とHRTが具体的にどのような契約を結んでいるのかは解らないが、第7戦トルコGPで金曜FP1をセナに代わってドライブした左近はマシン・セッティングに重きを置き、慣れないセナ用のシートで確実にデータを稼ぎ出し、最終的にセナのマシンのタイム・アップに大きく貢献した。こうした細かい積み重ねが形になることは多いにあり得ることであり、何よりもコレスが見逃さない。もちろん金銭面も大きいのは事実だが、現在のHRTにとって左近は非常に重要な人物であることは確かなのである。</p>
<p>「左近は日本でも有能なレーシング・ドライバーなんだ」とコレス。「彼のチームに対するインプットは非常に重要で、また彼と仕事が出来るのが嬉しいよ」&#8230;..かつて、日本人ドライバーをここまで買ったヨーロッパのF1関係者がいただろうか。これまで日本人ドライバーの動向には常に日本企業が付いており、そのメーカーの動向次第でドライバー本人の今後に大きな影響を与えて来た。それがホンダF1撤退後の佐藤琢磨であり、トヨタF1撤退後の中嶋一貴の現状である。とすれば、こうしてF1の&#8221;現場&#8221;であるヨーロッパでのパイプを持った日本人は、もしかしてようやくF1参戦の本当の意味でのスタート地点に立ったのではないか。ペーター・ザウバーに指名された可夢偉同様、左近もまた、日本のF1の未来を背負うレーサーと鳴り得るのではないか。<br />
現状、毎戦のように左近の走りを観ることは難しい状況だが、出場機会のある限り、左近の走りに注目し、そして期待したいと思う。</p>
<p><i>「挑戦せずに夢を諦めることほど、もったいないことはない」／山本左近</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%b7%a6%e8%bf%91%e3%81%93%e3%81%93%e3%81%ab%e3%81%82%e3%82%8a%ef%bc%81/">左近ここにあり！</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
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		<title>夢と現実</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%a4%a2%e3%81%a8%e7%8f%be%e5%ae%9f/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 01 May 2010 11:48:29 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8217;10年F1世界選手権も開幕から早くも4戦が終了、4人の王者／4つのトップ・チームによる混戦は開幕前の予想を越える激しさ。うん、実に面白いシーズン。これなら別に新ポイント・システムも必要なかったんじゃないか、・・・</p>
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<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%a4%a2%e3%81%a8%e7%8f%be%e5%ae%9f/">夢と現実</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8217;10年F1世界選手権も開幕から早くも4戦が終了、4人の王者／4つのトップ・チームによる混戦は開幕前の予想を越える激しさ。うん、実に面白いシーズン。これなら別に新ポイント・システムも必要なかったんじゃないか、というほどの混戦。こういう予想の裏切りはたまらないね。各レース見所満載、これぞ世界選手権の醍醐味。<br />という盛り上がりの影で、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/" target="_blank"><font color="#ff00ff">当スクイチ</font></a>ではここいらであらためて検証しなくちゃいけないことがある。それは昨年11月に日本を中心にメディアを駆け巡った「<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/f1-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉、PanasonicとKDDIと共にルノー移籍か</font></a>」というニュースのその後、である。<br />結論から記せば、可夢偉はザウバー・フェラーリのレギュラー・シートを得た。それも、急遽代役デビューとなった昨年終盤2戦での活躍を認められ、かのレース狂、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>の直々の指名による堂々たるシート獲得である。もちろん、将来有望だったエースのロベルト・クビサが自らルノーへと移籍し、堅実にポイントを獲る<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニック・ハイドフェルド</font></a>がメルセデスGPのシート獲得を模索し、何よりも自チームそのものが<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMWのF1撤退</font></a>により一旦は解散をも覚悟しなければならない状況だったことは事実である。が、最終的に自らがチームを買い戻し、少ない運営資金ながらも新たなチーム設立に近い状況の中で「最も将来有望なルーキー」として可夢偉を指名した、という事実が嬉しく、誇らしいこと。反対に多くのドライバーが今季F1デビュー／復帰を模索しながらも、持ち込み資金面で敗れて行く様を目の当たりにした以上、これは素晴らしい事件なのである。</p>
<p>&#8230;..そしてシーズンも序盤のフライ・アウェイを終えていよいよヨーロッパ・ラウンドへ、というこのタイミングで、敢えてこの話を蒸し返すのがこれまたスクイチらしいところ。<br />そう、今回は可夢偉ザウバー移籍の裏にある、ディープなカネのハナシの真相に迫ろう。</p>
<p>ま、早いハナシが噂は噂だった、ということなのかも知れないが、昨年の可夢偉ルノー移籍説の際に取り沙汰されたPanasonicもKDDIも、現在ザウバーC30のマシンにロゴが描かれたりはしていない。で、可夢偉／ザウバー双方のウェブサイトを観ても、この2社はパートナーとして記されていない。つまり簡単に言えばPanasonicもKDDIも現在可夢偉やザウバーとは無関係、ということである。ま、突っ込んだ言い方をするなら「な〜んだ、バックアップしてくれんじゃなかったのかよ」である。が、これは何しろ元々ハナシの出所が&#8221;噂&#8221;であるからして、決して前述の2社に文句があるわけでもなく、単にもしもトヨタF1チームの大口スポンサーだった2社が<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタF1撤退</font></a>後も「可夢偉を応援し続けるよ」というのなら、現状の世界不況に於いて企業として「なんてカッコイイんだろう」と思っただけ。ところが実際に現実はそれほど甘くなく、前述の2社もトヨタと共にF1を後にした、ということである。<br />スポーツ関連の企業レベル撤退／廃部。これはもはやF1／モータースポーツという部類に限られた話ではないのでやむを得ないが、そこまで切迫した世界的経済不況は、大企業の広告戦略の在り方そのものを根底から覆そうとする勢いである。何しろ金がない。だから出資出来ない。節約する。いらないものは省く。そこで&#8221;いらないもの&#8221;に入れられてしまったのは彼ら自身のせいじゃない。そう解ってはいても、我々の胸の中にあるのは「せっかく日本から素晴らしい才能がF1に辿り着いたのに！」という想いである。仮に多くの日本人ドライバーがF1に分散してしまっていたならまだしも、たったひとりの有望株に集中すれば世界選手権であるF1で広告戦略が出来る。なのに、その余裕がない。やりたくたって出来ない。リーマン・ショックにより、とうとうそれが現実となってしまった。</p>
<p>さて、その噂に上っていたルノーは最終的にジェニィ・キャピタルへチームを売却、言わば自動車会社ルノーをメイン・スポンサーとする新チーム、のような状況と言える。が、昨年フラビオ・ブリアトーレ、パット・シモンズ、そしてネルソン・ピケJrによる&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クラッシュ・ゲート事件</font></a>&#8220;によりメイン・スポンサーであるINGをシーズン中に失い、&#8217;10年に向けて好条件／要素はほとんど見られなかった。しかし結局ルノーはロシア人初のF1ドライバーであるヴィタリー・ペトロフを擁し、ロシアの自動車メーカーであるラーダと大口スポンサー契約を締結。他にも世界的な大手コンピュータ・メーカーであるhpやフランスのファイナンス会社DIACなどのサポートを得ることに成功し、もちろん充分ではないのだろうが、今季のマシンであるR30のボディには多くのスポンサー・ロゴが躍る。ルノー的にも、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">伝統のイエローとブラックのカラーリング</font></a>の映える、極めて好都合な状況と言えるだろう。ルノーとて厳しい状況。しかしその中でこれだけのスポンサーを揃えて来るのは、少なくとも今季のルノーにそれだけの投資をする価値がある、と前述のメーカー達が考えたからである。その中にロシアのラーダがあるのはペトロフの存在を考えれば当然だが、ルノー傘下には日本の日産があることを考えればやはり不思議な現象でもある。</p>
<p>では元々可夢偉がパナソニックとKDDIと共にルノー移籍、と報じられた際の根拠はいったい何なのか。可夢偉自身が&#8217;10年F1ドライバー市場に於いて注目されるべきドライバーだったことは100パーセント疑いようがない。F1デビューから僅か2戦のみでワールド・チャンピオン／ジェンソン・バトン相手にバトルを繰り広げ、不利な給油作戦でありながらベテランのチーム・メイト／ヤルノ・トゥルーリを上回り、そしてポイントを獲得して見せた。多くの走行テスト機会の望めない新人ドライバー市場の中で、突然やって来た実戦で結果を残してみせた可夢偉は間違いなく将来有望な即戦力だからである。しかも経済大国日本からの唯一の参戦ドライバーとなれば、各チームが多くの持ち込みスポンサーや企業協力を期待しても全く不自然ではない。<br />&#8230;..が、それは果たされなかった。ザウバーは素晴らしい人選をした。が、それでも可夢偉をサポートする筈の日本企業の姿は全く見られなかったのである。</p>
<p>小林可夢偉は1986年9月13日、兵庫県尼崎市にて次男として誕生。その印象的な名前は鮨職人の父・浩人の「アイヌ語のカムイに、偉大な夢を可能にする、との想いを懸けた」という命名。9歳の時にTVで観たゴーカートに乗ることを切望し、地元尼崎のカート・ショップ&#8221;たからづかカート・フィールド&#8221;を拠点にレース・キャリアをスタートした。まだ幼く、負けん気の強い可夢偉がとある企画レースでプロ（ちなみに影山正美）に敗れて総合2位となり、泣きながら家に帰ったとか、TV番組の企画で<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>と走った際に「わざと負けてくれた」とベソをかいた、などの&#8221;神話&#8221;が残る。そんな可夢偉も14歳になると全日本カート選手権を制覇するほどの速さ／強さを身につけ、16歳の時にはフォーミュラ・トヨタにステップ・アップ。ここでの好成績が認められて可夢偉はトヨタ／TDP（トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム）のスカラシップ・ドライバーとなった。&#8217;05年単身ヨーロッパへ渡り、フォーミュラ・ルノー・イタリア選手権／ユーロ・シリーズ制覇、&#8217;06年ユーロF3ルーキー・オヴ・ザ・イヤー、&#8217;07年ユーロF3選手権4位、&#8217;08〜&#8217;09年GP2アジア選手権チャンピオン。堂々たる成績である。実際、ライコネンはそれ以下の経験でザウバーからF1デビューしている。<br />そして、確かにトヨタは可夢偉をバック・アップした。そして、可夢偉はそれに見事に応えてみせた。それは、鈴鹿で負傷した<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>に変わって急遽代役となったF1デビュー戦とその次の最終戦でも同様だった。<br />図らずも可夢偉の鮮烈なデビューを演出する相手となったジェンソン・バトンは「ヤツには要注意だ！」と呆れた。「F1に衝撃を与えたんじゃないかな」と<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>、「少ないチャンスをモノにしたのは凄いこと。尊敬に値する」とはフェルナンド・アロンソの可夢偉評である。実際にコース上で闘った彼ら／チャンピオン達の印象に嘘はない筈である。可夢偉は確実に&#8217;09年デビュー・ルーキーの台風の目として／また&#8217;10年シーズンのトヨタの正ドライバーとして、警戒される存在となって行った。<br />&#8230;..そしてその頃、トヨタのF1参戦は既に未来のないものであることが決まっていた。シーズン終了3日後にそれは発表され、そこから&#8221;可夢偉の価値&#8221;に世界中の注目が集まって行ったのである。</p>
<p>「普通は新しいドライバーと契約する際にはまずテストをするものだ。もちろんキミの時だってそうだったよ。が、私は可夢偉をテストしなかった。昨年終盤の2戦を観て、正当に彼を評価したから契約したんだ」ペーター・ザウバーの眼に狂いはない。ザウバーと言えばかつて<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>、そして<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサ</font></a>というトップ・ドライバーを生み、育てたレース界のカリスマである。もちろん、彼の頭の中には日本企業からのバックアップに対する期待はあっただろう。が、それを確かめたり試すようなこともなく、いきなり本契約に結びつけたのは明らかに可夢偉に対する期待の表れである。「可夢偉のレースを観て、契約するのに迷いはこれっぽっちもなかった。きっと日本人ドライバーで、スポンサーやエンジン・ブランドの後ろ盾を必要とせずにシートを獲得したのは彼だけなんじゃないかな」その言葉には若干の皮肉が含まれていると考えても良いのかも知れない。<br />「&#8217;09年の最終戦アブダビGPで、デビュー2戦目の可夢偉はチームからの&#8221;タイヤ温存&#8221;の指示を守りながらバトルを演じて魅せたんだ。こんなことの出来る新人ドライバーなんてそうそういるもんじゃない」と語ったのは4月にチームを離脱したザウバーの重鎮、ウィリー・ランプである。「経験の少ない若手ドライバー、である筈の可夢偉の技術的分析／指摘は常に的を得ているし、我々もとても満足だ」チーム・スタッフからの人望も厚く、可夢偉自身の才能が世界的に評価されての契約であることは疑いようがない。つまり、これは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_07.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋悟</font></a>にも鈴木亜久里にも<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_107.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">片山右京</font></a>にも、そして<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨</font></a>にも果たせなかった夢をつかむ可能性を持った日本人レーサーの登場を意味する。が、彼には今ニッポンのバックアップが極端に足りないのである。ただ、それだけなのである&#8230;..。</p>
<p>想い出してみよう。昨年11月15日、あまりにも唐突に、そしてあまりにも自己中心的に突然のF1撤退を発表したトヨタ。これは「誰が悪い」ではない企業レベルの問題であり、世界不況の中でのナーバスな問題であることは間違いない。が、少なくとも数ヶ月前にFIAに対し2012年までの参戦を確約し、サインした会社のやるべきことではない。この決定〜通告に当然レース現場は混乱し、チーム・スタッフは寝耳に水の中で全てを終わらせることを始めなければならなかった。そのひとつにTDPがある。可夢偉はウィリアムズ・トヨタの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>同様TDPの契約ドライバーであり、それにより可夢偉のトヨタ・デビューがあったからだ。<br />「TDPは継続しますが、規模は縮小します。小さなお子さん達のサポートがメインです」<br />山科忠チーム代表の会見を覚えているだろう。まるで葬式のような、前代未聞のお涙頂戴会見である。「可夢偉をこのまま終わらせたくない」確かに少年・可夢偉はトヨタというオトナにチャンスを貰った。だからトヨタがいなくなれば困って当然である。が、逆に可夢偉はトヨタのTDPを評価し、自らの才能を発揮すべき場所として選んだのである。そこで可夢偉に惚れ込んだトヨタが途中（あえて途中と言わせて貰う）で放り出したのだから「終わらせたくない」は単なる親心であって、ならば「このまま終わらせるようなことはしない」と、厳しい顔で宣言して欲しかった。ただし、トヨタ及び代表氏にその能力がないのであれば望むべきことでもない。だからこそ、前述のPanasonicとKDDIのニュースは「さすがトップ企業！」と感心したのである。実際、TDPや山科代表がどれだけ水面下で動き、PanasonicとKDDIが実際何処まで話をしたのかは解らない。が、現実は可夢偉は真っ白なマシンで、小さなパーソナル・スポンサーと共にF1を闘っている、という事実である。</p>
<p>「ペーターはその類いのことは何も言わなかった。あくまでも自分に期待しているのはプロフェッショナルな走りだ、と」当然、可夢偉自身は冷静である。それは確固たる自信があるからだ。「今、経済のこととか言い出したら本当に大変な状況。その中でF1は夢みたいな位置にあって、そこに今僕がいる。でも、僕がダメだったら日本のF1は終わりちゃうかな、とも思う。だからそのプレッシャーも受けて、全部力に変えて走る」&#8230;..本当はこんなこと可夢偉に言わせてちゃいけない。金を注ぎ込んで連れ出した舞台から、その金の持ち主が逃げ出しちゃいけない。でもそれが現実、恐ろしい状況の中に可夢偉はいるのである。</p>
<p>&#8230;..ところが、である。<br />これはニッポンにとって、ひとつの大きな朗報でもある。何故なら、ペーター自身が語ったように、可夢偉はスポンサーの力を借りずにF1のシートを獲得した初めての日本人ドライバーである。が、良く考えてみれば、ヨーロッパにはスカラシップや巨大スポンサー、自動車企業の世話になどならず、実力で勝ち上がり、そして評価され、トップ・チームへと辿り着いたドライバーが大勢いるのである。いや、むしろトップ・ドライバーは皆そうだと言っても過言ではない。逆に資金持ち込みドライバーが常に抱える問題、つまり&#8221;金ヅルの裏切り&#8221;を心配せずに堂々とレースすれば良いのである。そういう意味では、実はニッポンのF1ドライバー事情は、ようやく&#8221;ヨーロッパ基準のスタート地点&#8221;に立った、と言えるのかも知れない。</p>
<p>4月9日、各メディアに&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/news/2010/04/09/004250.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">観光庁が小林可夢偉を応援</font></a>&#8220;というトピックスが出回った。F1／可夢偉を通じて日本の観光的魅力を国内外にアピールすることが目的とされ、モーター・スポーツ的には民主党政権に於ける初の明るいニュースとなった。ようやく日本が可夢偉の存在に気付いて来た、と言えるのかも知れない。4月下旬にはフジテレビで小林可夢偉の特番&#8221;KAMUI_age23〜F1ドライバー小林可夢偉の理由〜&#8221;が組まれたので御覧になった方も多いと思うが、観ての通りそれでも可夢偉は小さなスポンサー回りを自らこなしながら、不況の中で喘いでいる。<br />尼崎市立竹谷小学校の卒業文集には「将来の夢」というタイトルの幼き可夢偉の作品が残されている。「僕の夢は、F1でチャンピオンになること」「世界のトップクラスの人と争い、勝ってみたいです」&#8230;..レーシング・カートに出逢った少年が才能を開かせ、周りの大人達が目を見張るような速さを魅せ、そしてその&#8221;夢&#8221;への舞台が準備される。可夢偉はそこで確実に成果を出し、大人達の期待にしっかりと応えて来た。何10年もかけて日本人が悲願として来た勝利を掴むため、遂にひとりの有望な若者が育てられたのである。<br />「夢は大人が作ってやらなあかん」<br />可夢偉は自らを育ててくれたトヨタを引き合いに出し、現状の不景気下に於ける実情を嘆いた。「子供が夢を見つけるんじゃなく、大人がちゃんと夢を提供出来るのが理想。そうすれば不景気も終わるのに」&#8230;..可夢偉の杞憂は正論である。そして、これが企業レベルで考えなくてはいけない、日本でモーター・スポーツのスカラ・シップ制度でF1に辿り着けた&#8221;最後の男の言葉&#8221;、なのである。</p>
<p>実は可夢偉はトヨタ撤退発表後のオフシーズン、全部で5つのチームと&#8217;10年のシート交渉を行っていた。その中には、かの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>も含まれているという。最終的に可夢偉がどのチームに決めたのかはもちろん可夢偉とマネージメント・サイドの交渉術に委ねられたわけだが、可夢偉がレーシング・ドライバーとして多くのF1関係者から高評価を得たのは疑いようのない事実だ。これで今季可夢偉が残りレースで大活躍、かつてのザウバー卒業生のライコネン／マッサはフェラーリ行き！。それを阻止したいマクラーレンがバトンを切るか？、いやいや日本市場を切り開くチャンスとばかりに<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウェバー</font></a>引退後のシートをレッド・ブルが望むか、それとも<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ</font></a>を脅かす存在が欲しいメルセデスが<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">皇帝</font></a>の再引退を早めるか〜&#8230;..。</p>
<p>ザウバーに加入し、2月11日のヘレス・合同テストではただひとり19秒台に入れるトップ・タイムを記録。ザウバー／可夢偉の組み合わせは冬の段階ではトップ4がマークするほどの存在だった。が、これが資金難によるものなのか何か運営面での間違いが生じているのか、シーズン中のザウバーはあまりにも低いその信頼性とスピードに泣かされている。<br />「ドライバー自身が先頭に立ってやって行かないと誰も着いて来ない」可夢偉は若きザウバーのリーダーとしての自覚を持つ。「ここで勝負するにはヨーロッパの連中と互角にならないと駄目。ヨーロッパ人になるくらい。だからチーム・クルーも僕が引っ張って行くくらいじゃないとあかん」<br />開幕からフライ・アウェイ4戦を終え、可夢偉の総周回数はたったの19周。ハイドロリックとエンジンのトラブルに加え、混乱の中の貰い事故が2回。「ここまで運がないってのもなかなかないこと。お祓いにでも行かないと&#8230;..」同じ日本人として、今置かれている状況下では確かにそう言わざるを得ない。</p>
<p>「昔聞いた話なんやけど、10年間投獄されてた囚人が、未経験のゴルフを脳内でやってた。で、娑婆に出てゴルフをやったらメチャメチャ上手かった、と。つまり、大切なのは実践だけじゃなく、イメージすることなんじゃないか、と思った」にわかには頷けないレベルのハナシである。「筋肉に信号を伝達するのは脳、だから鍛えるべきは脳。だから運転技術はアタマで決まる」&#8230;..こんな発言が出来るドライバーが、かつてこの国に存在しただろうか？。「昨年のアブダビGPでは、バスタブの中でのシミュレーションが役立った」&#8230;..この男をこのまま放っておいて良いわけがないではないか。</p>
<p>&#8230;..あとはもう、これしか言うことがナイんだよな。それがオヂさん達としても苦しいところ、そして前述の日本のトップ企業全員が思う（ってて欲しい）こと。<br />「頼むぞ、可夢偉！」&#8230;..マジで。</p>
<p><i>「ニッポン代表としてF1にいられることを誇りに思う」／小林可夢偉</i></p>
<p>◇　◇　◇　◇　◇<br />&#8230;..さて、GW後／山ちゃんがモナコGP取材に大わらわな来る5月14日（金）、渋谷のライヴ・ハウス&#8221;CHELSEA HOTEL&#8221;にて加瀬竜哉.com 5th anniversary event -club・加瀬コム2010-が開催されます。今回もF1／ことさら可夢偉についてもアレコレ語ろうと思ってるのでお時間のある方は是非！！。</p>
<p><b><a href="http://www.kasetatsuya.com/clubkasecom2010.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">加瀬竜哉.com 5th anniversary event -club・加瀬コム2010-</font></a></b></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%a4%a2%e3%81%a8%e7%8f%be%e5%ae%9f/">夢と現実</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>新天地へのエール</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Feb 2010 11:05:19 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8217;10年2月18日、佐藤琢磨の&#8217;10年IRL（インディ・レーシング・リーグ）フル参戦が正式に発表され、多くのファン／メディアがエールを送った。&#8217;08年シーズン序盤のスーパー・アグリ撤退・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8217;10年2月18日、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2010/02/-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨の&#8217;10年IRL（インディ・レーシング・リーグ）フル参戦が正式に発表</font></a>され、多くのファン／メディアがエールを送った。&#8217;08年シーズン序盤のスーパー・アグリ撤退以来、「F1以外は選択肢にない」と、他のカテゴリーへの参戦を頑として認めず、そのレーサー魂を胸に秘めてF1シートを模索して来た琢磨。が、とうとうその&#8221;タイム・リミット&#8221;が来た。トロ・ロッソに始まり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>や<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルノー</font></a>らとの交渉も「あと1歩のところ」で叶わなかった。それはかつて日本が最も得意としていた筈の金銭面であり、先行投資に欠かせない将来性という名の年齢／キャリア、及び国籍問題であり、決してトラック上のパフォーマンスやこれまで琢磨が残して来た&#8221;成績という財産&#8221;を直接評価したものではない。が、ロータスに決まったヘイキ・コヴァライネンには&#8221;優勝経験&#8221;、ルノーに決まったロシア人初のF1ドライバーであるヴィタリー・ペドロフには&#8221;多額の持参金&#8221;という、琢磨の持たないアイテムを評価されたのであればやむを得ない。</p>
<p>&#8230;..ひとりの日本人として、ひとりのファンとして、また琢磨の闘志溢れるレーシングを観ることが出来るのは心から喜ばしいことであり、何よりもレースをしたかった本人の希望が叶うのもファンとして嬉しいことである。が、同時にひとりのF1観戦者として、これがひとりの魅力的な、そして期待された&#8221;日本人・F1ドライバーとの別離&#8221;であることの無念も否定出来ない。結局佐藤琢磨はF1を去らねばならなかった。その事実から眼を背けることは出来ない。そして、既に今後の日本を背負うのは新たな期待の星である小林可夢偉であり、琢磨はきっともうF1に帰って来ないだろうということを多くの人々が感じ、そして恐れている。<br />佐藤琢磨。この日本が誇るファイターを忘れることは、断じてあってはならない。</p>
<p>佐藤琢磨は1977年1月28日、弁護士の父と舞台女優の母の長男として東京都新宿区に生まれ、同町田市に育った。幼い頃から琢磨が熱中したものは自転車であった。3歳の時には既に補助輪なしで乗り回し、早くからスピードに魅了されていた。中学では陸上部に所属、高校生になると校内に存在しなかった&#8221;自転車部&#8221;を自ら発起人として創設。クラスの担任を顧問にしたたったひとりの部員だったが、3年生の時にインターハイ初優勝を果たしている。&#8217;95年に早稲田大学入学、琢磨はスポーツ科学科自転車部に所属し、インターカレッジ2位、全日本学生選手権優勝など、日本の自転車競技界に於ける新星として注目を浴びる存在となって行った。<br />が、この時琢磨は人生を左右する大きな決断を迫られていた。&#8217;87年、父と共に観戦した鈴鹿サーキットでの初のF1GP。地元・ホンダの威信を背負って激走する若き<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>（ロータス）に感銘を受けた琢磨には、以来常にF1ドライバーへの憧れがあった。そしてそのホンダによるレーシング・スクール&#8221;SRS-F&#8221;（鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ）が設立されたことを知った琢磨は、自らが既に手遅れかも知れないというキャリアを懸念しながらも、大学を休学してSRS-F入学のために初めてレーシング・カートへとチャンレンジすることを決めたのである。琢磨はレース界の&#8221;チャン&#8221;こと秋山昌夫率いるアルデックス・ジャパンでカートを学び、&#8217;97年にカート・キャリア僅か1年未満で見事SRS-F入学を果たした。あまりにも襲いキャリアのスタートだったが、ここからは圧巻の成長であった。同年カート日本チャンピオン獲得、中谷明彦の中谷塾を主席卒業、そして僅か1年でSRS-Fをも主席卒業し、全日本F3選手権へのスカラシップを獲得。当時F1活動休止中のホンダが「この男なら」と惚れ込んだのは言うまでもない。翌&#8217;98年、琢磨はレース歴僅か1年半で無限×童夢チームから全日本F3選手権へと参戦する。<br />が、琢磨は日本国内でのレース活動と、目指すF1との間に大きなギャップを感じていた。そして&#8230;..琢磨自身にもある&#8221;事件&#8221;が起き、琢磨がレース活動を続けるためには本場ヨーロッパでの経験が不可欠であるとの結論に達する。&#8217;98年7月、琢磨は大学を中退し、単身イギリスへと渡った。そしてまずF3よりも下位のフォーミュラ・ボクスホール、フォーミュラ・オペルなどに参戦し、次々と勝利を収め、&#8221;most improved of the year&#8221;を受賞。&#8217;00年、琢磨は満を持してイギリスF3選手権にステップ・アップを果たした。初年度から4勝を挙げてシリーズ3位、イギリスのオート・スポーツ誌は&#8221;年間最速ドライバー&#8221;と高評価した。翌&#8217;01年、琢磨は12勝を挙げて遂にイギリスF3を制覇。更にマールボロ・マスターズ、そしてマカオF3の&#8221;世界3大F3イベント&#8221;全てを制するという、日本人ドライバーとして初の快挙を成し遂げたのである。</p>
<p>&#8217;02年、ホンダのスカラシップ卒業生として琢磨は<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>・ホンダからF1デビュー。チームの低迷期にあって好成績には恵まれなかったが、最終戦日本GPで5位入賞し、初ポイントを獲得。翌&#8217;03年はホンダがワークスである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_95.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BAR</font></a>（ブリティッシュ・アメリカン・レーシング）・チームのリザーブ・ドライバーとして琢磨を迎え入れ、全GPに帯同しながらシーズン中の開発テストを担当。第16戦日本GPではエースのジャック・ヴィルヌーヴがチームを離脱し、急遽代役出場。1年振りの実戦でも琢磨は速さを見せ、6位入賞を果たした。翌&#8217;04年、琢磨はBAR・ホンダのレギュラー・シートを獲得。BAR006・ホンダは高い戦闘力を見せ、第5戦スペインで日本人予選最高位となる3位、第7戦ヨーロッパGPでは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>（フェラーリ）に続く予選2位を獲得、決勝はアグレッシヴに攻めた結果リタイアとなったが、日本人初のラップ・リーダーともなった。第9戦アメリカGPでは攻めのレースで遂に3位表彰台に立ち、シーズン後半は4戦連続入賞、34ポイントを獲得して堂々のシリーズ8位となった。<br />&#8230;..しかし、翌&#8217;05年から歯車が狂い始める。新車BAR007・ホンダはエアロ・ダイナミクスとサスペンション開発が完全に失敗となり、前年とは比較出来ないほど安定感を欠くマシンとなってしまった。第2戦マレーシアは琢磨自身が高熱を発し欠場。第4戦サンマリノではジェンソン・バトン3位／琢磨5位でフィニッシュするも、両車重量違反で失格。更にチームがFIAから続く2戦で出場停止の処置を受け、琢磨は第13戦ハンガリーでの8位1ポイントのみでシーズンを終えることとなった。そして、ホンダはBARを買収して遂にワークス・ホンダとなったが、翌シーズンのバトンのチーム・メイトにフェラーリのルーベンス・バリチェロを選び、琢磨はチームから放出されることとなった。<br />ここから不可思議な報道がメディアを巡った。ホンダは「来季11番目のチームが参戦し、ホンダがエンジンを供給する」との発表を行い、その新チームでの佐藤琢磨の起用をほのめかした。多くの憶測が流れる中、11月1日に元F1ドライバー・<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>率いるスーパー・アグリのF1参戦が正式に発表され、琢磨をエース・ドライバーとする純日本体制の新チームが誕生。だが現実はマシンは4年落ちのアロウズを使用、資金不足や準備期間の短さなどから成績は低迷。第12戦ドイツGPでようやく新車を投入するもポイント獲得には至らず、無得点／最下位で初年度を終える。翌&#8217;07年、前年のホンダRA106をベースとした新車SA07は他チームから「コンストラクターはオリジナル・マシンで参戦する義務がある」との反感を買い、カスタマー・シャシーを使用するスーパー・アグリとトロ・ロッソ（レッド・ブル）のマシンが問題視された。しかしスーパー・アグリは開幕戦オーストラリアで予選Q3初進出、第4戦スペインで琢磨が粘りの走りで8位入賞し、純日本体制（日本チーム／日本製エンジン／日本人ドライバー）による史上初ポイントを獲得。第6戦カナダではレース終盤、タイヤ交換のタイミングを絶妙に決めた琢磨が次々とトップ・チーム／ドライバーを抜き去り、6位フィニッシュ。この走りは多くのメディアで賞賛され、琢磨は年間を通じてワークスのホンダと互角の勝負を見せた。<br />&#8230;..しかしその裏でチームはスポンサー・トラブルなどで深刻な運営危機を迎えていた。運命の&#8217;08年5月6日、スーパー・アグリは遂にF1撤退を発表。第3戦スペインGPが、チームと琢磨にとって最後のレースとなった。</p>
<p>&#8217;08年9月、琢磨はトロ・ロッソと来季ドライバーの座を巡って交渉、ルーキーのセバスチャン・ブエミとヘレス・テストでシートを争った。琢磨は速いラップ・タイムと的確な技術フィード・バックでチームに好印象を与えたが、最終的にトロ・ロッソが選んだのはブエミだった。また琢磨をF1に送り出した<a href="http://www.honda.co.jp/F1/news2008/25/" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダが正式にF1撤退を決断</font></a>、完全に行き先を失った琢磨は「F1以外は考えられない」とル・マンやインディ・カーのオファーを全て断り、&#8217;09年は&#8221;F1浪人&#8221;となった。そして&#8217;10年シーズンに向けて新規F1チームの参入が認められると、琢磨はF1復帰のために動いた。相手はロータス。既にエース・ドライバーにはヤルノ・トゥルーリが内定し、琢磨は&#8217;09年王者バトンのマクラーレン移籍で放出されたコヴァライネンとシートを争っていた。そして&#8217;09年12月、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/12/post-554.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">琢磨サイドが交渉決裂を発表</font></a>。その時点でまだいくつかの&#8221;空きシート&#8221;が残されており、諦めずに他チームとの交渉を行うとしていたが、開幕を1ヶ月後に控えた2月の時点で残りシートが参戦が危ぶまれているUSF1とカンポスのみとなり、残る選択肢としてアメリカ／インディ・カーへの参戦が現実的なものとなった。<br />F1出走91戦、予選最高位2位／決勝最高位3位、獲得ポイント44点。結局琢磨はケヴィン・カルコーベンと元CARTチャンピオン、ジミー・ヴァッサー率いるKVレーシングと契約し、IRLドライバーとしてほぼ2年振りのレース復帰を果たす。</p>
<p>筆者選出、佐藤琢磨ベスト・レースはBAR・ホンダ時代の&#8217;04年第7戦ヨーロッパGP／ニュルブルクリンク。最強フェラーリの1台、バリチェロを予選で食って初のフロント・ロウ獲得。スタートから粘りの走りで3番手を守り、最後のピット・ストップを終えた時、琢磨はシューマッハー／バリチェロのフェラーリ1-2に次ぐ、表彰台確実の3位にいた。が、ブリヂストン・タイヤのフェラーリ勢に対し、走り出しの性能に勝るミシュランの特性を武器に、琢磨は前方のバリチェロを狙う。琢磨は僅か1周で見る見る差を詰め、46周目の1コーナーで果敢にバリチェロのインへ&#8230;..結果は接触によりリタイアだった。<br />フェラーリが18戦中15勝／8度の1-2フィニッシュを決める圧倒的なシーズンの中、彼らに次ぐキャリア初の表彰台が確実なポジションを良しとせず、果敢に攻めて行った琢磨。もちろん、&#8217;07年第6戦カナダでの激走も忘れ難い。彼が最も輝いているのは常に「前へ！」の瞬間である。</p>
<p>佐藤琢磨は間違いなく、日本の歴史上トップ・レベルに位置するレーシング・ドライバーである。それは大学生になってから始めたレース・キャリア僅か4年で3大F3タイトルを獲った&#8221;成績&#8221;も然り、世界の強豪を相手に1歩も退かず、常に前へ出ることを考え、行動する&#8221;スタイル&#8221;も同様である。そして事実、日本人として初めてフロント・ロウを獲り、ラップ・リーダーとなり、攻めのレースで表彰台を獲得して見せた。だからこそ、同様に日本人最高位／表彰台経験者の鈴木亜久里と組んだ際、例え戦闘力の覚束ない状況のスーパー・アグリのマシンでもトップ・ドライバー達をブチ抜き、ポイント獲得という成果を残して来たのである。<br />では、琢磨のネガティヴな面は何か。それは少なくともF1に於ける評価としての&#8221;荒さ&#8221;である。最も直接比較の容易い相手であるチーム・メイトとして、F1キャリアのスタート時にはジャンカルロ・フィジケラが、最も体制に恵まれたBARではバトンが、それぞれ&#8221;マシンをフィニッシュまで持って行く巧さ&#8221;を持っているドライバーだったことは、まだ若く、経験不足からクラッシュ／リタイアの多かった琢磨にとっては逆風となった。絶対的な速さと闘争心では世界的に見ても確実にトップ・レベルにありながら、それでもホンダがBAR買収時／ワークス化に於いて選んだのがバリチェロだったのが最も解りやすい例である。しかし、琢磨はそれをも学んだ。残念だったのは、その経験を活かす絶好のタイミングでトップ・チームから新チームへと移らなくてはならなかったことだった。</p>
<p>琢磨は2月15日、&#8217;08年12月のトロ・ロッソのテスト以来1年振りにトップ・フォーミュラのコックピットへ帰って来た。このテストも、KVレーシングが琢磨を乗せるために特別に準備したものだったと言う。見方を変えれば、琢磨のF1シート獲得の可能性がなくなる／琢磨自身が&#8217;10年のF1復帰を諦めるタイミングをKVレーシングが待ってくれた、とも言える。&#8217;09年第16戦日本GP、琢磨は鈴鹿サーキットを訪れた。そして多くのファンを前にして「来年は必ずレースをする」と約束した。その約束は果たされる。ただし、そこはF1ではなく、F1と対峙するもうひとつのトップ・フォーミュラであり、F1と同じように日本戦もある世界的シリーズである。が、多くのファン、そして本人の本音は<br />ー多くのインディ・ファン／関係者の方に失礼を承知で言えばー<br />琢磨のインディ転向は&#8221;妥協の選択肢&#8221;だ。しかしそれは、これ以上自体の好転を望めない日本経済／モーター・スポーツ事情、そして自身のキャリアを考えた時、現在琢磨自身が選択出来る最高の場所だったことも事実である。</p>
<p>新天地・ザウバーへと移籍した可夢偉はヘレス・テストで好タイムを記録、未だ未承認の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2010/02/go.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ステファンGPは中嶋一貴との正式契約を発表</font></a>した。しかし、現実は昨年ルノーへの移籍報道があった際のように日本／トヨタのスポンサー群がザウバーのマシンを彩っているわけでもなく、カンポスやUSF1の&#8221;穴&#8221;を狙うステファンGPがトヨタ／TMGの設備一式目当てでTDP所属の一貴の起用を決めたのは周知の事実である。これから始まる&#8217;10年のF1世界選手権、は極めて混沌としたシーズンとなるだろう。ただしそれは選手権そのものではなく、新規参入チームを含めた多くの経験値の少ない組織やドライバーやを巡る&#8221;金銭的なトラブル&#8221;を意味する。スポンサーの未払い、途中撤退、そして成績を残せずに契約を見直されるドライバーが直面するのは途中交代の危機である。よって、今シーズンの契約を得られなかった多くの浪人ドライバーにも、まだチャンスは残されている筈である。しかし、その時誰かが琢磨を必要とするか、或は琢磨自身がF1を必要とするか、は解らない。少なくとも、歴史上インディに転向した元F1ドライバーがF1に復帰し、成功する例は極めて稀と言わざるを得ない。逆に、琢磨がIRLで大活躍し、インディ500を制する初の日本人となる可能性だって充分にある。だがそれでも、F1マシンを駆って目前を駆け抜ける琢磨が観たい。それが筆者の本音である。</p>
<p><i>「これ以上待てない」&#8217;10年2月18日／佐藤琢磨</i></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%96%b0%e5%a4%a9%e5%9c%b0%e3%81%b8%e3%81%ae%e3%82%a8%e3%83%bc%e3%83%ab/">新天地へのエール</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>F1スポンサー哀歌</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Nov 2009 17:25:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>11月後半、藁をも縋る状況であるニッポンのF1メディアに&#8221;小林可夢偉、ルノー移籍か&#8220;の文字が電光石火のごとく走った。可夢偉は複数の日本企業のバックアップにより、既に今季限りでF1から撤退したBMW・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">11月後半、藁をも縋る状況であるニッポンのF1メディアに&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/11/post-536.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉、ルノー移籍か</font></a>&#8220;の文字が電光石火のごとく走った。可夢偉は複数の日本企業のバックアップにより、既に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">今季限りでF1から撤退したBMW</font></a>から移籍のロベルト・クビサの同僚として&#8217;10年のルノーのシートに座るかも知れない、というもの。が、この1年でF1から<a href="http://www.honda.co.jp/F1/news2008/25/" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>／<a href="http://www.honda.co.jp/F1/news2008/25/" target="_blank"><font color="#ff00ff">富士スピードウェイ</font></a>／<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタ</font></a>が去り、そして<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/11/2010f1-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブリヂストンまでもが&#8217;10年いっぱいでの撤退</font></a>を決めたこの御時世で、本当にそんな殊勝なスポンサーが日本に存在するのか？。もし本当なら、これは既にF1を見切ったこの国の救世主と成り得るのか、そして可夢偉がヨーロッパのチームで日本を背負って立つF1ドライバーとして活躍する日はやって来るのか。そして、元来F1というヨーロッパ文化に於いて、日本企業はいったいどんな意味を見い出し、何故去って行ったのか。</p>
<p>ことの始まりはフランスのモーター・スポーツ誌&#8221;Auto Hebdo&#8221;の記事だった。トヨタのF1撤退によってシート喪失となった可夢偉が、日本企業のバックアップを受けてルノーに移籍する。ここから多くの方が連想するのが<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/yamaguchi_masami/2009/11/post-144.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタF1撤退発表時の山科忠TMG会長&#8230;..いや、山科忠専務取締役の&#8221;涙&#8221;</font></a>だろう。「ここまで育てて来たふたりなので、出来れば何処かのチームに乗せたい」その言葉が無念に咽ぶサムライと映ったか、サラリーマン社会ニッポンの茶番と映ったかは人それぞれだが、少なくともメーカー単位で見れば「何処かのチームに乗せたい」などという資格はトヨタにはない。それが&#8221;日本&#8221;というカテゴリーであるならば<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>も佐藤琢磨も井出有治も同様な筈である。が、世界／F1に通用するドライバーを育てることを命題としたTDP（トヨタ・ヤングドライバー・プログラム）の頂点にようやく辿り着いた途端、それも素晴らしい走りを見せ、結果を出した途端に「急に辞めることになったのであとはご自由に」が通用しないのも、&#8221;何処かのチーム&#8221;に起用する権限もないのも事実である。<br />しかし少なくともセンセーショナルなデビューを飾った可夢偉が多くのF1関係者から絶賛される存在であることは間違いない。が、歴史的に見た際、&#8221;適切なタイミングに適切な場所にいる&#8221;ことが重要であるF1サーカスの中で、日本人は特にその立ち回りが上手くないことは認めざるを得ない。事実可夢偉が輝いた途端、その基盤となるトヨタがF1を去ったのはその典型例と言える。そしてそのトヨタの撤退は、ヨーロッパ社会から見て決してスタイリッシュではなく、全F1チームによる&#8221;コンコルド協定&#8221;という尊いルールを踏みにじるものだった。&#8217;12年までの参戦を確約しながら／もしくはF1チームに確約させておきながら、上層部は水面下で辞めるタイミングを見計らっていた。どうやら、日本人には「ギリギリまで頑張りました。でもダメでした」という美学が存在するらしい。ソイツはただの&#8221;嘘つき&#8221;だ。そして、その犠牲になるのはいつも&#8221;現場&#8221;なのである。<br />山科専務の涙がそういった政治的な背景を持つのか、それとも親心という極めてプライベートなものなのかは解らないしどうでも良いが、この無責任なお国柄と方針の中でその未知なる才能を活かす場を奪われる形となった可夢偉は今や&#8221;悲劇のヒーロー&#8221;である。急遽呼ばれた第15戦日本GPの大雨のフリー走行でマシンに慣れることも出来ず、デビュー戦となった翌第16戦ブラジルGPでは勝負強さは見せたものの荒さでライバル達から非難を浴び、迎えた2戦目の最終戦アブダビGPでキッチリ全てを学習し、素晴らしい走りでポイントを獲得してみせた。当然、翌年レギュラー・シートを得て更なる成長を期待されるドライバーである。今季のブライテスト・ホープ／ベスト・オブ・ニュー・カマーはブエミでもアルグエルスアリでもグロージャンでもなく、間違いなく可夢偉のものである。その期待の新星がこのままF1から消えてしまうことになれば大問題。「道は作ってやった／あとは自分でどうにかしてみろ」その逃げ道が使えないことは、それこそ山科専務の涙が全てを物語っている通りである。が、F1から去り行く日本企業に彼らを守ることは出来ない。誰もがその諦めを感じていた矢先のこの報道に、それが例え憶測であったとしても驚きを隠せない。</p>
<p>今回の報道で可夢偉をサポートするとされているのはPanasonicとKDDIである。<br />当の2社から何もコメントがない以上この報道自体が憶測の域を出ないが、この2社はトヨタのスポンサーとしてチームをサポートして来た日本企業であり、考え方によってはトヨタのF1撤退により、自らの意思とは関係なくF1での広告活動の場を失った側、という見方が出来る。もしも彼らが可夢偉と共にこの未曾有の経済不況の中でF1という夢を目指すのだとしたら&#8230;..それはちょっと&#8221;粋&#8221;な話だ。</p>
<p>Panasonicは松下電器が&#8217;08年にナショナルからブランド・ネームを改めた巨大家電メーカーであり、&#8217;02年のトヨタF1参戦時から常にメイン・スポンサーとして活動を共にして来たビジネス・パートナーである。KDDIは固定電話から携帯電話を中心とした情報通信事業を取り扱う有力メーカーであり、F1参戦2年目の&#8217;03年よりトヨタのスポンサーとなった。ちなみにトヨタは前身のKDD時代からの大株主でもある。もちろんこの2社とて現在の経済不況は他人事ではなく、Panasonicは三洋電機を傘下に収めて事業拡大を行い、KDDIは価格競争の激しい分野での革新的な時代の移行と向かい合っている。が、その中で両社がF1というカテゴリー／フィールドが今後のマーケティングに必要な場であると判断するのであれば、現状その&#8221;イメージ・キャラクター&#8221;を務められる人物が可夢偉しか存在しないのも事実であり、この噂の信憑性を高めるのに一役買っている。<br />Panasonicは昨年、契機満了だったトヨタとのスポンサー・シップ契約を&#8217;12年まで延長した。眼の前でホンダがF1を去り、スズキ、スバル、ダイハツ、そしてカワサキらが相<br />
次いで主要モーター・スポーツ部門を閉鎖する最中に於いて、チーム発足以来常に共に歩んで来たトヨタへのサポートを継続する決定を行ったことは特筆に値する。が、その時点ではまだトヨタのお膝元である富士スピードウェイでの日本GP開催があり、トヨタにはホンダの離脱でこの先3年間の&#8221;ニッポンのF1&#8243;に於けるオンリー・ワンの位置が保証されていた。如何に経済状況が不利であれ、露出度の一貫性を考えればギリギリのギャンブルである。しかしそのトヨタが裏切った今、新チーム参入でコンストラクターの概念が再編成となる今、不透明なF1継続が彼らに齎すものは一体何なのか。</p>
<p>日本企業とF1との関係で最も密接なのは当然ながらホンダの参戦歴になるが、彼らは若年層への広告効果、という自動車産業としてのターゲットを持った上でのメーカー参戦及び技術供与であり、NGKやMobilなどの自動車関連企業などと共にここでは区別し、あくまでも協賛の形を取った&#8221;スポンサー&#8221;という概念のみで捉えた際の日本メーカー、を想い出してみよう。</p>
<p>&#8217;70年代に日本初コンストラクターとしてF1GPに挑戦した<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マキF1</font></a>は、参戦2年目となる&#8217;75年に日本の時計メーカーであるシチズンのロゴを青い車体に纏って登場した。結果的に3年間の活動で非選手権レース以外での予選通過ならず、&#8217;76年に撤退を余儀なくされたこの日本の小さなチームが行ったのが最初のF1スポンサードである。ただし、決勝出場のなかった彼らに当然ながら広告効果は期待出来ず、第1期ホンダの撤退から<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;76年のF1インジャパン</font></a>／翌&#8217;77年の富士での事故を経て、まだまだ日本にF1人気は定着しなかった。それらの状況が一変するのは&#8217;80年代後半、ホンダと<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_07.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋悟</font></a>、そしてフジテレビによる&#8221;F1ブーム&#8221;まで待たなければならない。<br />&#8217;83年にエンジン・サプライヤーとしてスピリットと共にF1へ復帰したホンダは翌&#8217;84年からウィリアムズへのターボ・エンジン供給を行い、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>のドライヴで第2期初勝利を挙げ、&#8217;86年には<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナイジェル・マンセル</font></a>／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>のコンビでコンストラクターズ・タイトルを獲得。翌&#8217;87年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>へのエンジン供給が決まると中嶋悟が日本人初のレギュラー・シートを射止め、フジテレビによる全戦テレビ中継がスタートする。<br />マシンのボディのみならず、放送枠では日本のCanon、EPSON、PIAAらがマシンやドライバーを起用したテレビCMを流し、その存在をモーター・スポーツのファン層へと知らしめた。やがて<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>や<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_107.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">片山右京</font></a>らが中嶋の後に続き、東芝、GEO、JTらが続々とF1へと参入した。中でもJTはCABINとMild SevenブランドでF1へ深く関わり、&#8217;95年にはミハエル・シューマッハーを擁してベネトン・ルノーでWタイトルを獲得した。<br />日本人とスポンサー、という意味で忘れられない存在が<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_35.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">井上高智穂</font></a>である。井上はレーシング・ドライバーとしての目立ったキャリアは持たなかったが、自らのマネジメント能力を駆使してオフィス・サービスのユニマット／英会話のNOVAを持ち込みスポンサーとしてF1シートを獲得。結果も残せず、長期参戦にも繋がらなかったが、これがある意味日本企業のF1との関わり合い方を象徴する形態ともなった。&#8217;94年にF1ブーム最大の象徴である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>がレース中の事故で他界すると、徐々に日本国内でのF1人気も下降を初め、以後日本企業はF1というワールド・ワイドなイベントに対して慎重になって行った。</p>
<p>多くのスポンサーが出入りするF1に於いて、イタリアのアパレル企業・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトンのスタンス</font></a>は極めて合理的であった。彼らはいくつかのチームにスポンサー・ロゴを描き、マーケティングの拡大を狙うが、その露出に関して更なる飛躍を求め、遂にはトールマンF1チームを買収、チーム名称そのものをBenettonとした。そして彼らは本来自らが広告主であったチーム／マシンに他のスポンサー・ロゴを纏い、&#8217;94年にドライバーズ・タイトルを、翌&#8217;95年にはWタイトルを獲得する。そしてそのブランド戦略が成功した後、エンジン・サプライヤーであったルノーにチームを売却、「目標を達成した」ベネトンは悠然とF1から去って行ったのである。</p>
<p>日本でもF1で同じことをやった／目指した例がふたつある。ご記憶の方も多い筈の、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_61.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レイトンハウス</font></a>とフットワークである。</p>
<p>レイトンハウスは実業家である赤城明によって経営されていた不動産会社・丸晶興産のブランドで、&#8217;84年から国内のモーター・スポーツに関わり、F3000時代から個人スポンサードを行っていたイタリア人ドライバー、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/ivan_capelli/" target="_blank"><font color="#ff00ff">イヴァン・カペリ</font></a>を擁し、&#8217;87年にレイトンハウス・マーチとしてF1に進出。&#8217;89年にはマーチを完全買収し、&#8217;90年からチーム／コンストラクター名も&#8221;レイトンハウス&#8221;とした。同名のアパレルも展開するレイトンハウスはその個性的な&#8221;マイアミ・ブルー&#8221;と称されるカラーリングで話題となり、日本でも多くのファンを獲得。しかし翌&#8217;91年に赤城社長が丸晶興産と富士銀行の不正融資事件により逮捕され、チーム経営から撤退。2年間の最高成績は&#8217;90年フランスGPでの2位、その後マーチ・チームそのものも衰退し、&#8217;92年いっぱいで撤退、丸晶興産は&#8217;98年に破産した。</p>
<p>フットワークは&#8217;81年に複数の運送会社の合併によって出来た全日本流通を母体とする宅配便業者である。初代社長の大橋渡は&#8217;89年にアロウズを買収してF1チームのオーナーとなり、マシンを自社の配送トラックと同じカラーリングにペイント、&#8217;92年には<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_27.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">無限ホンダ<
/font></a>・エンジンと鈴木亜久里を擁し、オール・ジャパン体制を築く。しかし&#8217;93年に経営難からフットワークはF1チームを手放して撤退、残されたチームはコンストラクター名変更料を出し惜しみ&#8217;96年までフットワークを名乗るがその後再びアロウズへと戻る。最高成績は4位（&#8217;95年最終戦／ジャンニ・モルビデリの3位は既にフットワーク経営ではないので含まない）。その後&#8217;01年にフットワークは倒産し、大橋社長は証券取引法違反で在宅起訴され、&#8217;02年に執行猶予付きの有罪判決を受けている。</p>
<p>この両者に共通して言えるのは、既存のヨーロッパのF1チームをバブル景気による潤沢な資金で買収し、日本チームとしたものの、バブル崩壊と共に撤退を余儀なくされた、という点である。&#8217;90年10月、大蔵省の融資規制は急激な株価下落を呼び、日本のバブル景気は崩壊。その時点で日本のF1人気は頂点に達していた。彼らの他にも伊東和夫のエスポ（ラルース／鈴木亜久里）、中内康児（ミドリブリッジ／ブラバム）らが象徴的な存在であった。振り返れば&#8217;89年、日本企業である三菱地所がニューヨークのロック・フェラー・センターを買収したことに象徴されるように、歴史／伝統を重んじることなく、その瞬発的な資金力だけで買収という手段に出るのがバブル当時の日本のスタイルだったことは否めない。よって、その資金が底をついた時、多くの非難と落胆の中で去らなくてはならないのが日本企業の性である。そしてそれは20年近くを経た現在でも、少なくともF1に於いてさほどの進歩は見せていない、ということになる。</p>
<p>そもそもF1マシンにロゴを描き、広告効果を狙うという概念が持ち込まれたのは&#8217;68年のゴールドリーフ・ロータスである。それまでナショナル・カラーと参戦メーカーのロゴのみだったF1マシンに煙草マネーが持ち込まれ、&#8221;マシンは走る広告塔&#8221;となり、それによってチーム運営資金は飛躍的に潤沢となって行った。F1／モーター・スポーツと煙草ロゴの関係性については皆さんも心当たりが多いと思うが、&#8217;70〜&#8217;90年代にかけてF1とは切っても切れない関係性を築いた。John Player Special、Marlboro、GITANES、CAMEL、BENSON &amp; HEDGES、BARCLAY、Lucky Strike、555、Gauloises、Rothmans、Winfield、West&#8230;..多くの煙草銘柄が、F1マシンのボディやウィングを彩った。やがてヨーロッパが煙草広告禁止に動くと同時にF1は規制の緩いアジア／中東へと開催国の枠を広げ、現在のような形態へと変化して行った。しかしその後煙草広告は完全にタブーとなり、現状ではフェラーリをMarlboroのフィリップ・モリス社がスポンサードしている以外は全て消えてしまった。<br />煙草メーカーに変わってF1マシンに多く描かれるようになったのがIT／コンピュータ関連企業である。Compaq、Hewlett-Packard、Acer、NOKIA、Vodafone、Lenovo、Telefonica&#8230;..世界最高峰の技術を争うF1GPに、彼らの注目が集まるのは当然である。しかしそれも時代の流れ／経済不況と共に各メーカーの負担は大きくなり、その多くが広告スペースから去った。現在世界市場拡大を狙うVodafoneがマクラーレンの冠スポンサーを継続し、2度の世界王者フェルナンド・アロンソをスペインのTelefonicaがバックアップするのみとなった。ちなみに日本のKenwoodはマクラーレンの公式ピット無線サプライヤーとして、来シーズンで&#8217;91年以来実に19年目を迎える。<br />また、所謂&#8221;オイル・マネー&#8221;と呼ばれる中東地域の企業もこの世界的な広告効果に興味津々であり、サウジアラビアのSaudia航空が潤沢な資金でウィリアムズにWタイトルを齎したのを筆頭に、インドのKingfisherがトヨタからフォース・インディアへ、ドバイのEmirates航空がマクラーレンをサポート。アブダビのEtihad航空はスパイカー〜フォース・インディア〜フェラーリとF1スポンサー活動を継続中である。またPETRONASはマレーシアの国営石油／ガス供給企業であり、BMWザウバーのスポンサーであると同時にマレーシアGPの冠スポンサーとしても資金を提供している。F1GP開催状況を見てもトルコ／バーレーン／アブダビの3国が世界選手権に名を連ね、近隣のアジアでもマレーシア／シンガポール／中国／日本、そしてここに&#8217;10年から韓国が加わる。オーストラリア／ブラジル／カナダなどの&#8221;アウェイ&#8221;を加算すると、今やヨーロッパ内でのF1開催は全GP中半分以下になってしまったのである。<br />市場の変化に於いては、世界的規模の金融機関のF1世界選手権への露出度合いも顕著に現れる。USF&amp;Gはアメリカの保険会社、Santanderはスペインの大手銀行、オランダの金融機関であるING、RBS（ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド）、HSBC（香港上海銀行）、更にはCREDIT SUISSE（ファイナンシャル）、Allianz（保険）&#8230;..特に現在は&#8221;ユーロ&#8221;という通貨制度も相まって、金融機関が世界市場へ進出するのは比較的容易なことと言える。またドイッチェポストやDHL、Fedexなどは運送会社である。世界中を転戦するF1のイメージが彼らの広告戦略と一致することは疑いようがない。</p>
<p>現在、F1のグリッドを見渡して一際異端な存在がレッド・ブルである。レッド・ブルは&#8217;84年にデートリッヒ・マテシッツによりタイ産の栄養ドリンクの販売権を取得して興されたメーカーで、&#8217;04年にジャガー・レーシングを買収してF1チームを所有。他にも2輪、エア・レース、サッカーなど多くのスポーツ／競技の支援に積極的である。特にF1ではレッドブル・ブランドでワークス・チームとセカンド・チームのトロ・ロッソの2チームを所有し、自社ブランドのスカラシップによる若手ドライバーにチャンスを与えながら、遂に&#8217;09年にはタイトル争いを繰り広げるトップ・チームへと成長した。<br />一見、前述の日本のいくつかのスポンサー・メーカーと同様のようで、実際にはその内容たるや雲泥の差である。何しろ、多くの自動車メーカーが相次いでF1を撤退するような世界的な不況の最中にあって、世界的な販売戦略、更にはマテシッツの異常なまでの競技好きが相まって、その事業枠を拡大し続けている。大元となる商品販売に陰りがないのも特筆に値するが、如何なる際にもしっかりとした基盤を持った上で攻めのビジネスを展開するその一貫性は、恐らく島国・ニッポンの常識の遥か上を行っているのだろう。</p>
<p>家電メーカーであるPanasonicと通信事業のKDDI。誰もがF1に見切りをつける中、彼らの思惑がもし崖っぷちに立つ可夢偉とニッポンの救世主となるのであれば、それに続く武者の登場も期待出来る。ただし、当のルノーが果たして&#8217;10年のグリッドに本当に並んでいるのかは、少なくともクリスマス頃までは誰にも解らないことも付け加えておく。</p>
<p><i>「レースはチェッカー・フラッグ。白と黒。グレーはない。カネがなけりゃレースも出来ないんだ<br />
」／デビッド・シアーズ</i></font></p>
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		<title>主なき日本GP</title>
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		<pubDate>Mon, 05 Oct 2009 15:23:38 +0000</pubDate>
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<p>不安定な天候、相次ぐ事故、そして現状の勢力図がそのまま表れたレース結果&#8230;..。3年振り／21回目の鈴鹿は想像を超えるドラマを魅せてくれた。前回も書いたように、&#8217;09年第15戦日本GPは残り3つのタ・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">不安定な天候、相次ぐ事故、そして現状の勢力図がそのまま表れたレース結果&#8230;..。3年振り／21回目の鈴鹿は想像を超えるドラマを魅せてくれた。<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/post-12.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">前回</font></a>も書いたように、&#8217;09年第15戦日本GPは残り3つのタイトル決戦の初戦として全世界から注目を浴びることとなった。そしてポイント上は絶体絶命の若武者・セバスチャン・ヴェッテル（レッド・ブル・ルノー）は完璧な仕事をしてタイトル獲得に僅かな望みを残し、選手権をリードする<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジェンソン・バトン</font></a>／ルーベンス・バリチェロのブラウンGP勢は現状の戦闘力以上のものはなんら引き出せず、&#8221;消去法&#8221;によるタイトル確定へ向け淡々とレースを進行した。そして、多くの&#8221;鈴鹿未経験組&#8221;ドライバー達の初チャレンジは、手痛い洗礼となって多発する事故へと繋がって行った。</p>
<p>&#8230;..3年振りの日本GP・鈴鹿開催は当然メディアの注目の対象ともなり、webや雑誌を初め、各媒体に多数取り上げられる。基本的にレースそのもののレポートは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/yamaguchi_masami/" target="_blank"><font color="#ff00ff">プロの方</font></a>にお任せし、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/" target="_blank"><font color="#ff00ff">STINGER村民</font></a>となって初めての鈴鹿を、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチ</font></a>／<a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">オレ</font></a>なりの&#8221;バリアの外側目線&#8221;でレポートしようと思う&#8230;..あくまでもオレなりの、ね。</p>
<p>富士スピードウェイとの争奪戦を経て、200億円の大改装を行い3年振りにF1グランプリ・カレンダーに復活した鈴鹿サーキット。復活の経緯は簡単明瞭、トヨタによる買収で鈴鹿から日本GP開催権を奪った富士スピードウェイの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">僅か2年での開催撤退</font></a>により、例えるなら&#8221;別宅から実家に帰って来た&#8221;ような状況と言える。ま、F1は長年連れ添った鈴鹿との信頼関係よりも、大金を手に現れた派手に着飾った富士の誘惑に乗り、多くのボロを出した挙げ句去って行った富士から&#8221;元さや&#8221;へと戻って来た、ということ（苦笑）。ただしF1側にも価値観の進歩はあり、鈴鹿復活に際してはいくつかの条件を提示した。そのひとつが他のグランプリ・サーキットと同様の&#8221;設備の充実&#8221;である。<br />最も大幅な改装ポイントは東コースの路面改修とピット／パドック裏の拡張整備。この内パドック裏に関しては、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIA</font></a>が多くのサーキットに求める基準を満たすために、遂に鈴鹿名物・山田池が埋立てられることになった。鈴鹿はご存知の通り、世界有数の珍しいレイアウトである&#8221;立体交差付きの8の字形サーキット&#8221;である。こうなった理由の多くはその立地にあり、1962年にホンダが当地にサーキット建設を計画した際、ホンダ創業者・本田宗一郎による「田んぼは絶対に潰すな」というお達しの元、苦労の末にこのような特殊なレイアウトとなった。しかし、宗一郎没後20年近くを経て、遂にそのポリシーにメスが入ることとなった（田んぼと池の関係に関しては筆者別ジャンル・<a href="http://www.kasetatsuya.com/norivernolife/noriver_nolife.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">no river, no life</font></a>参照）。&#8217;07年11月から&#8217;08年5月にかけてピット裏の山田池の埋立工事が行われ、大きく延長された新たなピット・ビルを新設、更にピット裏の池を埋立てた敷地に新たなパドックが広がることとなった。完成したそれは間違いなく、他のF1サーキットと見劣りしない立派なものでもあり、同時に世界中何処のF1開催サーキットへ行っても&#8221;同じ風景&#8221;とも言えた。&#8230;..オヤジさん（宗一郎）が生きていたら何と言っただろう。「だったらやんなくていい！」と、FIAに喧嘩を売ったかも知れない。<br />新しいピット・ビルはVIPルームを併せ持つ3階建てで、メイン・スタンドからの眺めは単純に言って&#8221;羨ましい&#8221;限りのものである。ガラス張り構造などの特徴はまさに近代サーキットのそれであり、ピット・エリアだけを見ているとそれが鈴鹿なのか上海なのかセパンなのか解らない。しかしFIAが望むのはこう言ったスタッフ・エリアの統一感である。ただ、大改修の言い出しっぺである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バーニー・エクレストン</font></a>自身、今回の大改修に関し「コースは絶対に変えるな」とお達しを出した。それほどまでに、鈴鹿は世界屈指の名レイアウトのサーキットである証しとも言える。</p>
<p>さて、鈴鹿開催が3年振りとなったことで、今回の日本GPにはひとつ重要な要素が存在した。全20人のF1ドライバーの中で、&#8217;07年デビューのルイス・ハミルトン（マクラーレン・メルセデス）、ヘイキ・コヴァライネン（マクラーレン・メルセデス）、セバスチャン・ヴェッテル（レッド・ブル・ルノー）、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・スーティル</font></a>（フォース・インディア）、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>（ウィリアムズ・トヨタ）、そして&#8217;09年デビューのロマン・グロージャン（ルノー）、ハイメ・アルグエルスアリ（トロ・ロッソ・フェラーリ）、セバスチャン・ブエミ（トロ・ロッソ・フェラーリ）の実に計8人がF1初鈴鹿（ヴェッテルはサード・ドライバー経験のみあり）。この2年間の日本GPが富士で行われていたことから、F1カレンダー上で最も難しいコースと言われる鈴鹿に半数近いドライバーが初挑戦という事態となった。つまり予選でのブエミ、アルグエルスアリ、コヴァライネン、決勝でのアルグエルスアリと、クラッシュがことごとく鈴鹿初挑戦ドライバーだったのは決して偶然ではない。しかも、これらのクラッシュは全て高速コーナーが連続する西コース側で起きている。&#8217;06年全日本F3王者のスーティルはさすがの走りを見せたが、F1参戦5戦目のグロージャンも決勝でスプーンをオーバー・ランしており、結果的に多くの&#8221;コース・オフ・ドライバー&#8221;はことごとく鈴鹿初体験組だったと言える。<br />実は、これには今回の大改修が大きく関わっていた。東コースの路面は改修によって新しくされたが、西コース側は従来のまま。130R〜シケイン手前では完全に新旧の舗装が入れ替わるポイントが目視出来た。これは東西でタイヤのグリップ面にかなりの差が出る要因となる。また、新たに広く取られたランオフ・エリアも東側に集中していた。1コーナーの左側は従来コース・オフ／オーバー・ランするとサンド・トラップに一直線だったが、1コーナー出口付近から2コーナーへ向けて深めのラン・オフ・エリアが新装されていた。土曜の予選後に行われた<a href="http://www.suzukacircuit.jp/result_s/2009/f1/1003_porsche_f.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ポルシェ・カレラ・カップ第9戦</font></a>では1コーナー内側の縁石に乗ったマシンがスピンする場面があったが、事実そのまま容易にマシンを再スタート出来ている。しかし西側、特に今回クラッシュが多発したデグナーや130R付近のラン・オフ・エリアの広さはまだ充分とは言えず、レース後にはバリチェロが「鈴鹿は経験不足のドライバーにとって危険なトラックになってしまった」と警告。ちなみに予選Q2の最終コーナー出口でクラッシュし、決勝を欠場した<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>（トヨタ）も、&#8217;04年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>から出走して以来の鈴鹿であり、今までにも増して東西のマシン・セッティング及びドライビングにシビアなコースとなったと言える。しかし、その中で完勝したヴェッテルと3位ハミルトンのドライビングはやはり特筆に値する。また、スタートで<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>搭載の3位ハミルトンにやられたイン側スタートのヤルノ・トゥルーリ（トヨタ）もまた、さすがベテランという見事なラップを刻んで2位を奪い返した。もちろん素晴らしいピット作業を行ったトヨタのクルーの仕事ぶりも賞賛に値するが、この富士撤退／鈴鹿復活初戦がトヨタの母国GP初表彰台というのも皮肉な結果である。</p>
<p>さて、そのトヨタ。今回はグロックの発熱により金曜の2回のフリー走行にサード・ドライバーである<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-2.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>が代理出場。難しいウェット・コンディションの中、慎重にトヨタTF109をドライヴした可夢偉は「セット・アップがグロックのものなので何もいじれなかったのと、とうとう最後までステアリングのボタンが覚えられへんかった」と笑っていたが、出場が当日朝に急遽決まったことを考えれば12番手は立派である。しかも可夢偉自身鈴鹿は6年振りとなり、&#8217;09年のF1テスト走行が1月以来であることを考えればその対応能力は特筆すべきものと言える。だが結果的にぶっつけ本番のグロックは予選で速さを見せたがQ2で目を覆うような大クラッシュ、決勝レースを欠場することになったのも皮肉な結果だった。<br />しかし&#8230;..前戦シンガポールGPで2位のグロック、今回チームの母国GPで2位のトゥルーリ。確かに2戦連続でマシンにアップ・デートが加わり、競争力の増したトヨタTF109ではある。しかし、こんなに良いドライバーをトヨタは手放すのか。それとも他の、トヨタの判断による実力派ドライバーであればこれを上回る成績となるパッケージングを実現している筈、と言うのか。契約解除や移籍が発表された途端に明らかに良い成績を出すドライバー、と言うのはたまにいる。どう言うことなのかと言えば、単純に言ってチームがドライバーの能力を引き出せていなかった証拠である。ことにトゥルーリはプロスト時代の&#8217;99年に、&#8221;マシン・パフォーマンスが一定以上でない場合は自分から契約を解除出来る&#8221;と言うオプションを持っていた。この年のプロスト・チームのマシン／体制は散々なもので、シーズン終盤までたった1ポイントしか獲得出来なかったためにトゥルーリはこのオプションを行使し、ジョーダン移籍を発表。しかしその翌戦のヨーロッパGPで突然2位表彰台を獲得、という&#8221;前科&#8221;を持っている。また、そのトゥルーリの第14戦シンガポール、今回のグロックに見られる&#8221;体調管理&#8221;、これもチームの仕事の一部である。&#8221;何故勝てないのか&#8221;は、全ての要素を上手くコントロール出来ていない状況では解る筈もない。</p>
<p>続いて、トヨタと共に母国GPとなる中嶋一貴も、実は鈴鹿F1初体験組である。が、正直これと言って特別なことは何もなく、フリー走行でそれなりの順位にいながら予選Q1で詰めの甘さを露呈し、結果重い燃料を積んで1ストップ作戦を敢行しなければならない、といういつもの悪い流れを断ち切ることが出来なかった。スタート前、一貴はペナルティで後方へ下がったフェルナンド・アロンソ（ルノー）を警戒してか、3回に渡ってバーン・アウトを行った。それだけ燃料を減らした効果はスタートに表れたが、ピット・ストップ後のレース後半をソフト・タイヤのみでは勝負になる筈もなく、またしてもノー・ポイント・レースとなってしまった。ついでに&#8230;..1コーナー手前にいたオレの眼の前でスリップ・ストリーム争奪戦を制し、一貴を豪快にインから差して行ったビタントニオ・リウッツィ（フォース・インディア・メルセデス）は最高にカッコ良かった。ちょっとファンになりかけている（苦笑）。<br />決勝レース／残り10周でのアルグエルスアリのクラッシュはまたも西側130Rで起きた。トロ・ロッソは一体何台マシンを壊したのか。残り3周からのリスタートは確かに観客を盛り上げたが、速さと危うさによる危機感を感じたレースだったことは否めない。しかし、フリー走行3回目のブエミは本当に速かった。だがそれは逆に、鈴鹿の路面に上手く対応したトロ・ロッソの新しいサスペンションとディフューザーの効果であり、それを過信した若きブエミはQ2でスプーンを曲がり切れずクラッシュ。せっかくの上位グリッド獲得の夢も砕け散り、しかもペナルティまで食らってしまった。アルグエルスアリも今シーズンのベストの走りを見せたが、予選はデグナー出口でクラッシュ、決勝でも130Rで最後のセーフティ・カー導入のきっかけとなる大クラッシュを引き起こした。フリー走行でのレッド・ブルのウェバーのクラッシュも含め、レッド・ブル＋トロ・ロッソは3人で5台がクラッシュ、路面未改修の西側は彼らにとって鬼門となった。しかし、その全てを3日間とも完璧に走った&#8221;もうひとりのレッド・ブル&#8221;であるヴェッテルはやはり別格と思い知った。</p>
<p>鈴鹿が世界に誇るコース・マーシャルは今回も非常に優秀だった。ドライバーズ・パレードの中継を観た方もいると思うが、相変わらずお茶目で、フレンドリーで、そして対応は迅速だった。これだけ度重なるクラッシュ〜赤旗という状況で、マシンがタイヤ・バリアに突き刺さった瞬間に、一番近いマーシャルは既に現場に向けて飛び出している。予選Q2のグロックの事故では、衝突後にグロック自身がステアリングを外した次の瞬間、既にひとり目がコックピットに駆け寄っていたのが解ったと思う。事故後の処理も早く、決勝終盤のアルグエルスアリの事故は他のサーキットだったらセーフティ・カー・フィニッシュだったかも知れない。逆に、これだけの対応が出来る彼らが朝4時にサーキット入りし、あの迅速な対応のために様々なケースを想定してリハーサルを繰り返していたことを覚えていて欲しい。各ポジションでの決勝レース前後の&#8221;マーシャル挨拶&#8221;に送られた拍手／声援は、とりあえずドライバー紹介時のグロージャンよりも大きかったのも事実だ。</p>
<p>さて、最後に重要な事項をもうひとつ。<br />TV中継での印象がどんなものだったのか、は人それぞれである。が、3年振りとなった今年の鈴鹿は&#8230;..正直&#8221;ガラガラ&#8221;だった。鈴鹿サーキットの公式発表によれば、雨の金曜が3万1千／土曜が7万8千／決勝の日曜が10万1千人で、計21万人。が、現場の体感は明らかに違う。最盛期には最大30万人を動員した鈴鹿で、スタンド、駐車場、そして近鉄白子駅などの近隣施設にまで及んで&#8221;空いていた&#8221;と言える。昨年の富士の決勝日が10万5千人という発表だったが、&#8217;06年の鈴鹿&#8221;暫定最終戦&#8221;時は決勝日16万人の計36万人。3年振りの今回はあまりにも落ち過ぎである。<br />確かにホーム・ストレート・エンドから2コーナーにかけてや、ヘアピン付近は多くの観客で埋め尽くされたと言っても過言ではないが、実際グランド・スタンドには隙間が多く、S字から逆バンク、最終コーナーあたりでは最上段以外は殆ど観客がおらず、雨の中フリー走行初日から駆け付けた熱心なファンがいる反面、土曜日の予選で感じた不安は決勝日に現実のものとなってしまった。また、今回から全席指定となったため、フリー走行や予選、決勝とブロックを移動しながらの観戦はほぼ難しくなった。故に、席が埋まっているかどうかは一目瞭然ともなった。<br />今年の鈴鹿の観客の特色を掴む容易な要素がある。それはもしかしたら如何にも&#8221;バリアの外側目線&#8221;なのかも知れないが、間違いなく鈴鹿に来られた皆さんが感じること。それはファンの着用するウェアやキャップによるファン層の識別、である。<br />まず、当然のようにダントツなのは深紅のフェラーリ、それも男女を問わずキミ・ライコネン・ファンが多い。フェリペ・マッサは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ハンガリーGPでの事故</font></a>で来られなかったが、それでも日本に馴染みの深いジャンカルロ・フィジケラを擁してダントツ人気である。続いて濃紺のウィリアムズ、比率は7対3で一貴／ロスベルグ、という印象。ここまでは良い。むしろその比率を覆す要素は正直ないからだ。問題は次である。<br />もちろん観客全員を見たわけではないが、恐らくこれは今年の鈴鹿全体に当てはまる筈である。次は白地にイエロー・カラーのルノー／アロンソ、国内での営業の甲斐あって目立つ存在となったレッド・ブル、そして白に青のBMWザウバー&#8230;..お気づきかも知れないが、ここまで出て来ない重要なチームがいる。&#8230;..母国GPを迎えた、唯一の日本チーム・トヨタだ。<br />昨年／一昨年の富士で見られたようなトヨタ応援団は今年の鈴鹿にはいない。スタンドも、2コーナー先に一貴応援スタンドは設けられていた（ただし統一カラーは紺ではなく赤基調）。が、母国GPを迎えた日本チームとしては意外なほどにその比率が低い。ここで&#8217;07年の応援フラッグ規制などの話題を出すとキリがなくなるので触れないが、地元富士でなくなった途端、それも最大のライバル・ホンダやスーパー・アグリが去り、唯一の日本からの参戦チームとなった今年にこの少なさは全く不可解な光景だった。面白い現象として、携帯サイズのトヨタ応援フラッグは多数振られているが、その面々の着用するウェアは決してトヨタのものではない、という光景が見て取れた。そこに何があるとは言わないが、根っからトヨタを応援する、もしくはナショナリズムとして日本を応援する姿勢はあまり感じられなかったのである。ホンダ、BMWと続くF1撤退の次に噂の的となるトヨタに、確かに自発的に応援しようという要素は限りなく少ない。親会社の動きと現場のレーシング・チームのスピリット、更にそれを支えるファンの想いがひとつにならない限り、彼らにF1を背負って立つことなど到底無理な話なのである。<br />そして、続く少数派となるのがマクラーレン、ブラウンGP。ブラウンGPは今年からの新チームであり、グッズそのものの歴史も1年未満であることを考えれば当然である。ただもうひとつ、筆者の予想を大きく裏切ったのが&#8221;ホンダ懐古派&#8221;の少なさ、である。<br />&#8217;07年、富士への開催権の移動でF1観戦を見送った人は少なくない。鈴鹿こそF1日本GPであり、完全なる聖地となるだけの歴史と進化を、鈴鹿は観客と共に遂げて来た。それがある日突然勢力図が政治的に変わり、一旦は鈴鹿終了宣言が出され、富士に移った初年度はあまりにも上手く運ばず、更なるF1離れ／日本GP離れが進む。そうこうする内にホンダがF1を&#8221;休止&#8221;でなく&#8221;撤退&#8221;。続いて鈴鹿／富士の相互開催契約から富士が脱落し、今年鈴鹿で&#8221;主なき日本GP&#8221;が開催される。その答が今回の観客の少なさであり、ファン層の変化なのである。当然かつてのJPSカラーやベネトンなどのウェアを着るオールド・ファンの姿も見られるが、たった1年前にはそこにいたホンダの裏切りは、日本からF1という言葉を消しかねないほどの事件だったのである。<br />イベント・ゲストとして呼ばれた佐藤琢磨はファンに向けてこう言った「こんな形で鈴鹿に帰って来たくはなかった」&#8230;..その胸中は察するに余りある。それはファンも同じ気持ちであり、それが具体的に表れたのが観客の少なさであり、トヨタの不人気さであり、何があっても永遠であるフェラーリの固定人気なのである。何故なら、彼らは嘘をつかない。</p>
<p>今回、3年振りの開催を記念し、日本GP入場者全員にそのバーニーと、鈴鹿サーキットを運営する<a href="http://www.mobilityland.co.jp" target="_blank"><font color="#ff00ff">モビリティランド</font></a>社長・大島裕志氏からのスペシャルDVDが配られた。内容は過去20回の鈴鹿戦を振り返るダイジェスト版だが、これが実に素晴らしかった。しかし、観ながらとても重要なことに気づく。<br />「今年の鈴鹿はいったい誰が主役なのか」<br />開催初年度から5年連続で王者に君臨したホンダ。鈴鹿を愛し、鈴鹿で3度のタイトルを穫った<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>。時代を築き、ここ鈴鹿で最多6勝をあげたミハエル・シューマッハー。&#8230;..ここまで、常に鈴鹿には象徴的な誰かがおり、多くの伝説と共に鈴鹿の歴史を刻んで来た。が、君臨する筈のブラウン勢は中団に埋もれ、母国GPの一貴には父・<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_07.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋悟</font></a>や<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_107.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">片山右京</font></a>、佐藤琢磨のようなオーラはなく、シューマッハー以降、ここ鈴鹿で絶対的な強さを見せる者はいない。やはり鈴鹿は&#8217;06年に&#8221;一旦終わった&#8221;ものなのだということを痛感する。</p>
<p>3年振りの鈴鹿は、お世辞にも大成功とは程遠かった。それは本来母国である日本のF1ファンのための最大級イベントでなくてはならない筈の聖地が、今崩壊の危機にあると言っても過言ではない。<a href="http://www.f1-stinger.com/magazine/index.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">STINGER-magazine</font></a>にも記した通り、初の鈴鹿では確かに世界王者は穫ったが、レースはフェラーリの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_68.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ゲルハルト・ベルガー</font></a>が制し、地元ホンダ勢ではセナ（ロータス・ホンダ）の2位が最高だった。鈴鹿リスタートとなる今年、トヨタは同じ2位表彰台を得た。今、この3年振りの鈴鹿を「お帰り」ではなく&#8221;ゼロからスタートの鈴鹿&#8221;として行かなければ、日本にF1の未来は開けない。元は敵地だとか言ってる場合でもない。トヨタがこれからの母国GPを作って行かなければ、いずれグランド・スタンドはモンツァ並みに真っ赤に染まってしまうだろう。<br />ホンダ・ファンは帰って来なかった。そして、トヨタ・ファンは増えなかった。一貴はまたも結果を残せず、ナショナリズムは崩壊寸前の危機にある。伝統の鈴鹿・日本GPは「今度こそ」危機に面していると感じた。世代交代を経て、初めての鈴鹿をノー・ミスで制した&#8217;87年生まれのヴェッテル、セナvsプロストで育ったハミルトン、鈴鹿初年度にはまだ生まれてもいないトロ・ロッソのふたり&#8230;..今回の鈴鹿の主役達がこの世界屈指の名コースを心から愛し、この先の新たな鈴鹿の歴史を作って行ってくれることを願う。</p>
<p><i>「鈴鹿でレースするのが夢だったんだよ！」&#8217;09年日本GP／ルイス・ハミルトン</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e4%b8%bb%e3%81%aa%e3%81%8d%e6%97%a5%e6%9c%acgp/">主なき日本GP</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>起て！サムライ二世</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%b5%b7%e3%81%a6%ef%bc%81%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%83%a9%e3%82%a4%e4%ba%8c%e4%b8%96/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 11 Sep 2009 06:29:30 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8217;91年11月3日、アデレード。豪雨のオーストラリアGP決勝レース後、ポディウムには5年間に渡る日本人初のF1レギュラー・ドライバーという大役を果たし、レーシング・ドライバーから引退する中嶋悟がTV番組の企画・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%b5%b7%e3%81%a6%ef%bc%81%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%83%a9%e3%82%a4%e4%ba%8c%e4%b8%96/">続きをみる</a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8217;91年11月3日、アデレード。豪雨のオーストラリアGP決勝レース後、ポディウムには5年間に渡る日本人初のF1レギュラー・ドライバーという大役を果たし、レーシング・ドライバーから引退する<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_07.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋悟</font></a>がTV番組の企画で立っていた。フジテレビの実況／解説陣に加え、ティレル・ホンダのスタッフやライバルであり同胞でもある<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>、レース・デビュー間もない頃の中嶋をサポートした碧南マツダの中村梅夫氏らが中嶋の引退に花を添える。中嶋自身も眼に涙を浮かべていた。そして、中嶋本人には知らされていなかった番組サプライズとして、妻のあけみさんと長男・一貴君がポディウムに登場。まだ6歳の長男は照れながら父・中嶋悟の足にしがみつく。TVの前で世界中を転戦する父の勇姿を観ながら「ホンダGOGO!」と旗を振って応援していた、まだ幼い一貴君、これでお父さんと過ごす時間が増えて良かったね。<br /></font></p>
<p><font color="#3e6b3a"><br />&#8230;..とまあ、あんまり回りくどいの何なので単刀直入に言うと、それが我らがニッポン代表・中嶋一貴なワケだ。当時あのあどけない少年を観て、殆どの方が「う〜ん、この子も将来F1ドライバーになるとか言うんだろうな」と思った筈だ。で、そのバックには当然ホンダがついていて、何となくロータスかウィリアムズのマシンにホンダ・エンジン積んでF1デビュー、みたいな想像をしたと思う。で、その頃にはグリッドには<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>とか<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>とか<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナイジェル・マンセル</font></a>あたりの息子達が並んでて、ああオレも歳くったんだな、みたいな&#8230;..。<br />あれから19年。その間に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータスは消滅</font></a>した。プロストとマンセル二世はまだF1に届かない。が、一貴はF1にやって来て、ウィリアムズのドライバーとしてピケやロズベルグの息子達と闘っていた。つまり、我々オッサン達の予想（希望？）はほぼ正しかった。ただ、予想を最も裏切ったのは、そのバックにいるのがホンダではなくトヨタだったことだ。もちろん&#8217;91年の時点でトヨタはF1に参入しておらず、ホンダはマクラーレンと組んでWタイトルを獲得する相変わらずの強さを見せていたので想像するのは難しかったが、一貴がアンダー・フォーミュラ時代からトヨタのスカラシップによってF1へと上がって来たのは驚きでもあり、実に正解でもあった。何故なら、結果的に一貴のF1デビューの翌年に<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダはF1から撤退</font></a>してしまったからだ。&#8221;最終的に&#8221;という予測面で見た場合、一貴は非常に利口なチョイスをしたと言える。少なくとも、トヨタがF1に参戦している間はシート獲得率が高い。それは、ホンダのスカラシップによる参戦に&#8221;振り回された&#8221;佐藤琢磨の去就を見れば一目瞭然である。だが仮に、もしもトヨタがそのシートを保証出来なくなった場合、メーカーによるサポートという有利な要素を持たずとも、ドライバー市場で他チームから眼をつけられる存在になる、つまり活躍することがシート獲得に必要な要素となる。それは例えば選手権での獲得ポイントであり、予選での速さであり、チーム・メイトとの比較に於ける好印象であったりする。もっとも、これらの要素を満たさなければ、自身をバックアップするメーカーのサポートすらも期待出来なくなり、つまりはシート喪失の危機を迎えるのである。</p>
<p>一貴がウィリアムズ・トヨタでコンビを組むのは、&#8217;82年の世界王者、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>の息子である<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>である。2年目となるこのコンビ、昨年はリタイアは共に2回、入賞回数も共に5回。しかし得点ではロズベルグ17点／一貴9点でほぼWスコアの差を付けられた。ただし、同い歳ながらF1では2年先輩のロズベルグ相手に、フル参戦1年目の成績としては決して悪くはない。が、良いわけでもない。1年目から経験豊富なチーム・メイトを食うくらいでなければこの世界で生き残ることは難しい。だいたい目的は生き残ることではなく勝つことであり、最高位6位の一貴が2位／3位を獲得して表彰台に立つチーム・メイトの影で満足出来る筈もない。だが迎えた&#8217;09年、事態は更に深刻となった。第12戦ベルギーGPを終え、ロズベルグは12戦中10回の入賞で既に30.5ポイントを獲得してドライバーズ・ランキング6位。だが一貴の方は最高位9位で未だ無得点。<br />そしてそのロズベルグには、&#8217;10年シーズンに向けて名門マクラーレン、選手権をリードするブラウンGPなどから<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/post-422.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">オファーが殺到</font></a>している。パドックではフェルナンド・アロンソの去就の次に話題となるのがロズベルグの行き先であり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサの負傷欠場</font></a>というイレギュラーはあったものの、&#8217;10年のシート争奪戦の鍵を握る人物である。が、もしもウィリアムズがロズベルグの残留を諦めた場合、&#8217;10年シーズンを新しいドライバーふたりで迎えるのは好ましくないと考えるのなら、理想はもうひとりのドライバーである一貴の残留である。しかしそれもトヨタの存在あっての話。肝心のトヨタは相変わらず昨年のホンダ、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">7月に今シーズンいっぱいでの撤退を発表したBMW</font></a>に続いて金融危機と成績不良を理由に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/post-411.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;09年いっぱいでF1活動を終了するのではとの憶測</font></a>が常に囁かれている。そこへ持って来て、今度はウィリアムズ側がトヨタとの&#8217;10年までのエンジン供給契約を1年前倒しで破棄し、来季は違うエンジンを使用したいと言い出した。理由の多くは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>使用に関わる。彼らは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FOTA</font></a>がダメ出しをしたKERSを諦めず、新たな開発に於いてKERS搭載を前提としたエンジン、例えばメルセデス・ベンツやルノーらと契約したいのである。元よりFOTAという&#8221;組合&#8221;に反旗を翻し、他チームが推奨するサード・カー案などにも真っ向から否定するウィリアムズが独自の道を歩むことを選ぶのは周知の事実である。&#8217;80年代後半、一貴の父・中嶋悟をウィリアムズ・ホンダのシートに座らせることを断固として拒否した<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランク・ウィリアムズ</font></a>のチームで一貴が闘うためには、確実に成績／結果が必要である。残り5戦、チャンスは限りなく少ない。<br />&#8230;..一貴は今、放出危機を迎えている。トップ・チーム／トップ・ドライバー達の来季への動きの中で忘れられがちなことではあるが、我々ニッポンの代表、サムライ二世にとってシーズン後半は試練の時となる。</p>
<p>中嶋一貴は1985年1月11日、愛知県岡崎市生まれ。物心がついた頃には父・中嶋悟はF1ドライバーとして世界を転戦していた。自身のカート・デビューは&#8217;97年、2年後の&#8217;99年に鈴鹿ICAクラス選手権を制覇し、早くも才能を開花させる。が、日本人にとって&#8221;ナカジマ&#8221;のネーム・バリューはとてつもなく大きく、俗にいう&#8221;親の七光り&#8221;にカテゴライズされることを充分に承知していた一貴は&#8217;02年、FTRS（フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール）の門を叩く。父と繋がりの深いホンダという巨大なF1の象徴を避け、ある意味最もライバルであると言えるトヨタへと身を投じた一貴は実力でスカラシップを獲得し、翌&#8217;03年には3勝をあげてフォーミュラ・トヨタ・シリーズ・チャンピオンとなった。&#8217;04〜&#8217;05年は全日本F3に参戦、初年度の&#8217;04年はシリーズ5位、&#8217;05年には2位となる。&#8217;06年にはユーロF3選手権へと闘いの場を広げ、優勝1回を含むシリーズ7位の成績をおさめた。&#8217;07年、一貴はF1のすぐ下のカテゴリーであるGP2へと進み、勝利こそ成らなかったがポール・ポジション1回／最高位2位という成績を残し、再び世界にナカジマの名を轟かせた。父・悟の引退から16年後のことである。<br />一貴はこの&#8217;07年から、GP2参戦と平行してウィリアムズF1のテスト・ドライバーを務めることとなった。ウィリアムズにはトヨタ・エンジンが供給されており、多くのスケジュールをF1と帯同するGP2に参戦する一貴は適任でもあり、同時に金曜フリー走行での3台目の出走が可能だったF1GPに於いて、その速さをアピールする絶好のチャンスともなった。そして最終戦ブラジルGPで、前戦中国GPで引退したアレクサンダー・ヴルツの後任として突然のF1デビューが決定したのである。結果は予選19位／決勝10位とまずまず。レース中の自己ベストタイムはロズベルグを上回り、全ドライバー中5番手。初の本番レースで緊張からかピット・インの際に指定位置に止まりきれず、スタッフをはねるというアクシデントこそあったものの、持ち前の速さはしっかりと魅せた。<br />そして、一貴は遂に&#8217;08年シーズンからのウィリアムズ・トヨタのレギュラー・ドライバーの座を射止めたのである。かつて父に門扉を閉ざしたウィリアムズが、そのレーシング・ドライバーとしての能力と、父・悟にはなかった&#8221;英語力&#8221;を評価し、きっかけがトヨタの推薦でによるテスト・ドライヴであるにしろ、ウィリアムズF1のシートを獲得したのには明らかに&#8221;レーシング・ドライバーとしての能力&#8221;を評価されたという事実が存在する。こうしてあらためて初年度シーズンとなる、&#8217;08年開幕戦オーストラリアGPではサバイバル戦を生き残って6位、奇しくも父と同じ&#8221;2戦目の初入賞&#8221;である。その後、ロズベルグには叶わずとも高い完走率で5戦でポイント・フィニッシュ。第6戦モナコでの7位は日本人初のモナコ入賞である。獲得ポイント9点でドライバーズ・ランキング15位。&#8217;09年は更なる飛躍が予想され、ウィリアムズのふたりの二世がグランプリの台風の目となる予感があった。</p>
<p>しかし、大幅なレギュレーション変更で&#8217;09年シーズンがスタートすると、ブラウンGPやレッド・ブルの大躍進の影で、マクラーレン／フェラーリ／ルノー、そしてウィリアムズら名門チームが優勝戦線から脱落してしまっていた。ウィリアムズは独自のシステムによるKERS開発に手間取り、ウィリアムズFW31・トヨタは中団グループに埋もれる危機を迎えていた。しかしそんな中でも名手ロズベルグは奮闘し、第9戦ドイツを除いて全戦予選Q3進出、決勝でもポディウムこそないものの全12戦中10戦で入賞。しかしその影で、一貴は最高位9位。チームの作戦的に重い燃料で長いスティントを走ることになるケースが多く、途中多くのトラブルに巻き込まれているのは事実だが、その作戦も上がらない予選順位によるものであり、本人次第とも言える。第8戦イギリスでは一貴が目覚ましい速さを見せ予選5位を獲得、これは今季のウィリアムズの予選最高位（ロズベルグも5位2回）でもある。しかし決勝ではチームのミスとタイヤ・チョイスの不運が重なり入賞圏外の11位に終わった。今季3度目の予選Q3進出となった第10戦ハンガリーでも9番手スタートで9位フィニッシュと、ポイント獲得には至らなかった。これで第12戦ベルギーGP終了時、シーズン開幕からレギュラーとして参戦しているドライバーの中で無得点なのはフォース・インディアの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・スーティル</font></a>と一貴だけになってしまったのである。</p>
<p>国際F3000選手権を制し、アメリカでCCWS（Champ Car World Series）をのタイトルを4年連続で独占、昨年鳴り物入りでF1へとやって来たセバスチャン・ブルデー。レッド・ブル傘下の中堅チーム、トロ・ロッソからF1デビューとなった&#8217;08年開幕戦オーストラリアGPでいきなり7位入賞するも、年間を通じては7位2回で結果はランキング17位。対照的に、前年シーズン途中に急遽F1デビューしたばかりの若きチーム・メイト、セバスチャン・ヴェッテルは予選Q3進出常連／コンスタントなポイント獲得の後、大雨の第14戦イタリアGPで、多くの&#8221;史上最年少記録&#8221;を塗り替えながら初ポール・ポジション〜初優勝を遂げた。そして翌&#8217;09年にヴェッテルは格上チームであるレッド・ブルへと移籍し、今季堂々とタイトルを争うドライバーとなった。反対にブルデーはチーム残留となった今季、新たにチーム・メイトとなった新人ドライバー、セバスチャン・ブエミに肉迫され、第9戦ドイツを最後にチームから解雇された。<br />一貴やロズベルグ同様、3度の世界王者を父に持つ二世ドライバーのひとりでもあるネルソン・ピケjr。ピケはブルデーと同じ&#8217;08年開幕戦オーストラリアGPでルノーからデビュー、チーム・メイトは2度の世界王者フェルナンド・アロンソだった。成績はシーズンを通じてアロンソがほぼ予選Q3の常連だったのに対しピケはQ1／Q2で脱落することが多く、決勝でもアロンソが2勝／61点でドライバーズ・ランキング5位、しかしピケは荒れた第10戦ドイツGPで作戦勝ちの2位初表彰台をゲットするも、入賞4回／19点でランキング12位。ピケは翌年に向けてルノーから更なる活躍を期待されてチームに残留。しかし今シーズンも予選名手であるアロンソとの&#8221;予選一発&#8221;比較で惨敗し、決勝でもコンスタントにポイントを稼ぐアロンソに対し1度も1ケタ台フィニッシュがなく、ブルデーに続いて第10戦ハンガリーでチームを解雇。トロ・ロッソはハイメ・アルグエルスアリ／ルノーはローマン・グロージャン、ブルデーもピケも新人のF1デビューの影でそのシートを奪われた。</p>
<p>アメリカで無敵を誇ったブルデーにとって、F1でのチャンスは僅か1年半であった。しかしその間、ベテランではなく若い、つまり経験未熟な筈のチーム・メイト達の後塵を拝し、その評価がそのまま本人自身の去就と繋がってしまった。ピケは直接比較される相手が2度の世界王者だったのは不運だが、学ぶべきものを持ったチーム・メイトからの刺激を形にする、及び&#8221;倒す&#8221;という意味では最高の条件を持っていた。当然だが、世界王者を打ち負かせば自身の評価は上がり、チーム内での扱いの向上や更なるトップ・チームからのオファーも期待出来る。それが期待出来ないと解った時、巨額が蠢くF1グランプリでは彼らは無用の長物となってしまう。残酷と言えばそれまでだが、これが世界中で20人しか座れないF1シート争奪戦の現状である。</p>
<p>ブルデーとピケになくて、一貴にあるもの。それはメーカーのバック・アップである。<br />前述の通り一貴はトヨタのスカラシップによりキャリアを磨き、トヨタの推薦によってトヨタ・エンジン搭載チームであるウィリアムズ・チームのシートを獲得した。大口スポンサーを持っているだけでも相当な強みとなるF1に於いて、コンストラクターやエンジン・メーカーのサポートを持つドライバーは殊更有利な立場にいる。事実、ヴェッテルやアルグエルスアリらはレッド・ブルの育成ドライバーであり、昨年の世界王者であるルイス・ハミルトンはマクラーレンの前CEO、ロン・デニスの秘蔵っ子である。我々日本人の記憶に新しいのは佐藤琢磨の存在である。琢磨もホンダのスカラシップによってF1へとステップ・アップし、ワークス・チームである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_95.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BARホンダ</font></a>のシートを失ったあともホンダのバック・アップを持つ新チーム、スーパーアグリのシートを得た。ただし、ホンダがF1から手を引いてしまった後、F1に琢磨の居場所はなくなってしまった。&#8217;08年秋から今季のトロ・ロッソのシート争いに参戦するが、良い結果を残しながらも結局「スポンサーシップ的な問題」つまり持ち込み資金不足を理由にシート獲得には至らなかった。ちなみに琢磨とのシート争いに勝利したのは前述のブルデーである。仮にホンダがエンジン供給を継続していたとすれば、琢磨の居場所は何処かにあったのかも知れない。が、それほどまでにF1シート争いは過酷であり、圧倒的な強さを提示出来ない状況のドライバーにとってはバックアップが頼みの綱となる。そしてそれは、現在F1に4つのシートを持つトヨタと一貴の未来へ直接繋がる要素でもある。そのトヨタ自体が今季限りでの撤退を噂され、ウィリアムズからはエンジン供給契約の途中破棄を申し入れられている。<br />また、仮にトヨタが&#8217;10年もF1に残留したとしても、新たに参入予定の3チーム（USF1／カンポス／マノー）は全て<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_51.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コスワース・エンジン</font></a>を使用する。つまり、&#8217;10年のグリッドが新規参入によって13チーム／26台となっても、今後の&#8221;エンジン市場&#8221;に変化はない。トヨタがチーム／コンストラクターとしてのF1参戦を辞め、エンジン供給のみに絞ることは考えられるが、そうなった場合にトヨタをチョイスするチームが見当たらない。少なくともKERS搭載組にとっては魅力的なエンジンではなく、当然今からトヨタがKERS開発に手を出すとは資金的にも考えにくい。噂の通り<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/bmw-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マレーシア政府が&#8217;09年で撤退の決まっているBMWザウバーを買収</font></a>し、同じアジアのトヨタ・エンジンを欲するとしたら、アジアン・ドライバーである一貴に白羽の矢が向けられる可能性はあるかも知れない。ただ、この噂は全てが不透明である。これからシーズン終盤に向け、多くのチームが&#8217;10年の体制発表を行う。今もって不透明なアロンソ／キミ・ライコネン／ニコ・ロズベルグ／ヘイキ・コバライネンらを中心としたトップ・チームの&#8221;ドライバー市場&#8221;に結論が出始め、中堅チームはそれを見て調整を行う。トヨタと一貴の未来が決まるまで、そう長い時間はかからない。また、現在GP2参戦中のトヨタのスカラシップ・ドライバー、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-2.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>の存在も忘れてはいけない。彼もまたトヨタという武器を手にF1デビューを狙うニッポン代表のひとりなのである。</p>
<p>&#8230;..もうすぐ鈴鹿にF1が帰って来る。我々が一喜一憂した父・中嶋悟のDNAを受け継ぐサムライ二世・中嶋一貴が鈴鹿へやって来る。3年振りのF1開催となる鈴鹿だが、一貴のF1デビューから現在まで、F1日本GPは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/2010.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">富士で開催</font></a>されていた。よって、これが一貴にとって初の鈴鹿でのF1日本GPとなる。シーズン残り僅か、10万人を越えるファンが聖地・鈴鹿での一貴の笑顔を待ち望んでいる。<br />頑張れ、サムライ二世！。</p>
<p><i>「やれることをやるしかないですね」&#8217;09年／中嶋一貴</i></font></p>
<p>&nbsp;</p>
<p></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%b5%b7%e3%81%a6%ef%bc%81%e3%82%b5%e3%83%a0%e3%83%a9%e3%82%a4%e4%ba%8c%e4%b8%96/">起て！サムライ二世</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
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		<title>暗雲2010</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%9a%97%e9%9b%b22010/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 01 Aug 2009 06:08:22 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>報道先行に惑わされつつ、紆余曲折、試行錯誤、ケンケンガクガク&#8230;..があったかどうか知らないが、結局富士スピードウェイは2010年以降の日本GP開催中止を決定し、去る7月7日に加藤裕明社長の口から正式に発表され・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">報道先行に惑わされつつ、紆余曲折、試行錯誤、ケンケンガクガク&#8230;..があったかどうか知らないが、結局富士スピードウェイは2010年以降の日本GP開催中止を決定し、去る7月7日に加藤裕明社長の口から<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/sw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">正式に発表</font></a>された。昨年の<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダのF1撤退</font></a>発表同様「次回で撤退」ではなく「昨年ので終わり」という事後報告である。同時に「現時点で来年の日本GPが何処で開催されるのかは我々にも解らない」との発言により、FIAとの日程調整などの細かい部分に関しては未だ不透明であることも明らかになった。普通に考えればこれ以降は毎年鈴鹿で、となりそうなモンだが、一部では<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/2010gp-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">日本GPの存続そのものを問う報道</font></a>もあり、事態はそう簡単には行かなそうな気配である。</p>
<p>&#8220;世界選手権&#8221;を唱うF1グランプリ、そもそもがヨーロッパ、それもイタリア／イギリス／フランスの一部のコンストラクターが、その自社製の車の性能を競う形でスタートしたイベントが現在のような本当の意味での世界選手権となるには、当然それなりの年月とそれなりの変化が必要だった。アメリカ、南アフリカ、オーストラリア、ブラジル、そして日本。ヨーロッパの自動車レースが海を渡るには、選手権そのものの変革とドライバー／メーカー／スポンサーらの状況による&#8221;拡大&#8221;が必要だった。もっとも、F1最初の3国の中からフランスGPが&#8217;09年のF1世界選手権カレンダーから落ちているあたりが現状を良く物語っている、とも言える。世界経済の変化とF1人気の中で、この巨大スポーツ・イベントは常に世界のあらゆる国々と開催について話している。</p>
<p>F1世界選手権と銘打った初年度である1950年は全7戦、開催地は以下の通り。</p>
<p>・<b>イギリス</b><br />・<b>モナコ</b><br />・アメリカ（インディ500）<br />・スイス<br />・<b>ベルギー</b><br />・フランス<br />・<b>イタリア</b></p>
<p>シリーズの中にインディアナポリスで開催されるインディ500マイルレース（1911年スタート）が組み込まれていることを除けば、当然ながら全てヨーロッパでの開催である。では、開催数も飛躍的に増えた60年後の&#8217;09年（全17戦）の開催地はどう変化したか。</p>
<p>・オーストラリア<br />・マレーシア<br />・中国<br />・バーレーン<br />・スペイン<br />・<b>モナコ</b><br />・トルコ<br />・<b>イギリス</b><br />・ドイツ<br />・ハンガリー<br />・ヨーロッパ（スペイン・ヴァレンシア）<br />・<b>ベルギー</b><br />・<b>イタリア</b><br />・シンガポール<br />・日本<br />・ブラジル<br />・アブダビ</p>
<p>ご覧の通り、全17ヶ所の内&#8217;50年と同じなのはイギリス／モナコ／ベルギー／イタリアの4ヶ国のみである（興味深いのは、4ヶ国共&#8217;09年と同じサーキットでの開催）。そして、実に半数以上の9ヶ国が非ヨーロッパ地域である。最終戦のアブダビGPは今年初開催。昨年F1史上初のナイト・レースとして開催されたシンガポールGP、バレンシア市街地で開催された&#8221;第2・スペインGP&#8221;とも言うべきヨーロッパGPに続く、F1初開催GPである。また、この10年間でトルコGP（&#8217;05年〜）／バーレーンGP（&#8217;04年〜）／中国GP（&#8217;04年〜）、そしてマレーシアGP（&#8217;99年〜）などがF1開催地の仲間入りを果たした。見てお解りの通り、昨年からのバレンシアを除けば全て中東〜アジア地域である。この理由は簡単明瞭で、広告効果と資金という宣伝要素がヨーロッパで滞り、イベント縮小を回避するため中東／アジアに流れた結果、と言える。&#8217;90年代半ばからスポーツ・イベントに於けるタバコ広告の規制が厳しくなり、不況という名の経済変化がヨーロッパを襲い始めた頃から、F1は徐々に&#8221;ヨーロッパ離れ&#8221;を始めていた。<br />同時に、<a href="http://www.f1-stinger.com/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIA</font></a>の求める&#8221;イベント格式&#8221;は高く、例え歴史と伝統の由緒あるサーキットであっても、設備の老朽化や安全性に関わる事項には厳しく対処を求め、条件を満たさない場合にはバッサリと切られてしまう。昨年でカレンダー落ちしたカナダGPは、老朽化したモントリオール／ジル・ビルヌーヴ・サーキットの路面剥離が予選〜決勝を通じて問題となり、前年の&#8217;07年にインディアナ・ポリスのアメリカGPが終了したのと併せ、&#8217;09年の北米でのF1GP開催ゼロ、という状況を招いてしまった。現状、世界不況の煽りを受けているアメリカ／ヨーロッパ諸国はこの&#8221;世界選手権&#8221;の枠から弾かれ、中東やアジアへとその場を移し始めている。F1初のインド・チームであるフォース・インディアの存在も現状を良く表しているが、同じアジアでも、ホンダと富士スピード・ウェイの撤退、という状況にある日本は、アジアの中でも最も&#8221;西洋寄り&#8221;の国だと言える。</p>
<p>では何故F1カレンダーにスペインのバレンシアが増えたのか、の答はズバリ、&#8217;05／&#8217;06年に2度のワールド・チャンピオンとなったスペイン人ドライバー、フェルナンド・アロンソ（ルノー）の存在である。アロンソはスペイン人初のF1ワールド・チャンピオンであり、名実共にスペインの世界的英雄である。よってアロンソの活躍によりスペイン国内での2開催が実現した、と言って良い。つまり、突出した人気を誇る一個人が、巨大なF1を動かしているとも言える。<br />この&#8221;ヨーロッパGP&#8221;という名称はFIAが非常に重宝しているイベント名であり、観客動員やスポンサー・シップ、注目度などの要素で本来原則である&#8221;1国1開催&#8221;を破り、ヨーロッパ内での2開催を容認するための便利な方法論である。現在ドイツGPとして開催されているニュルブルクリンクは&#8217;97／&#8217;98年がルクセンブルクGP、&#8217;95／&#8217;96／&#8217;99〜&#8217;07年はヨーロッパGPとして、ホッケンハイムでのドイツGPと併せてドイツ国内での2開催が行われていた。その期間は、ご想像の通りドイツが産んだ不世出の英雄、&#8221;ミハエル・シューマッハー時代&#8221;である。</p>
<p>近代F1で最も&#8221;手の込んだ&#8221;やり方は&#8221;サンマリノGP&#8221;だったと言えるだろう。サンマリノ共和国はイタリア半島にある小さな独立国家だが、実際にサンマリノGPが開催されるのはイタリア国内にあるイモラ・サーキットである。しかもイモラは正式名称を&#8221;アウトドローモ・エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ&#8221;といい、フェラーリの地元である。F1＝フェラーリ、フェラーリこそF1の全て、という考え方により長く容認されて来たが、&#8217;06年を最後に開催中止。本来高速サーキットとして誕生したイモラは&#8217;94年の悲劇的な事故を機に大改修を行い、多くの高速コーナーがシケイン化され、原型を留めない姿となってしまい、最終的にはFIAによる&#8221;1国1開催厳守&#8221;により&#8217;07年以降の開催が不可能となった。これにより、1国2開催の逃げ道は&#8221;ヨーロッパGP&#8221;の名称をどの国で使うかという方法論だけとなった。もっとも、日本にはパシフィックGPが、アメリカにはアメリカ西／アメリカ東GPという&#8221;前科&#8221;があり、経済状況や人気に左右されるフレキシブルな&#8221;不確定要素&#8221;として今後も様々な可能性が残される筈である。</p>
<p>ただ、近年／特にサーキットの安全性に関しての条項が厳しくなった&#8217;90年代以降、かつてそのダイナミックなコース・レイアウトにより幾多の名場面を演出して来た&#8221;オールド・サーキット&#8221;に対しての規制が一層厳しくなり、その多くは改修されるか開催を断念し、他の新しいサーキットにその座を奪われる運命となる。元々自動車レースのコースを設計するにあたっては、長いストレートと高速コーナーを擁する広い敷地、が大前提であった。前述のイモラやモンツァ（イタリア）、ホッケンハイム（ドイツ）、シルバーストーン（イギリス）、ポール・リカール（フランス）、スパ・フランコルシャン（ベルギー）&#8230;..エンジン・パワーに任せて最高速を競うことこそ自動車レース、という発想は技術の進歩とスペクタクルとの狭間で&#8221;危険&#8221;という言葉といつも隣り合わせである。その危険性がレースの醍醐味であるという意見は確かに存在するが、取り返しのつかない悲劇的な事故の発生は、少なくとも商業化された近代F1には不要なものとなった。そして現在、FIAが絶大な信頼を寄せる建築家／サーキット・デザイナー、ヘルマン・ティルケにより、全てのサーキットを安全面で&#8221;合格&#8221;とすることと、進化した近代マシン・レギュレーションに則ったオーバー・テイクのし易いレイアウトへと変更される。言わずもがな、サーキット側がこれを拒否すればF1は開催出来ない。歴史と伝統だけではなく、資金や政治力全てをコントロールした上でなければF1世界選手権のカレンダーには生き残れないのである。</p>
<p>ティルケは&#8217;54年ドイツ出身の建築家であり、自らもステアリングを握りアマチュア・レースに参戦するモーター・スポーツ・ファンである。&#8217;84年に設立したティルケ・エンジニアリングを母体に、これまでにセパン（マレーシア）、バーレーン、上海（中国）、イスタンブール（トルコ）、韓国などの新サーキットの設計を担当。それ以外にはA1リンク（オーストリア）、ホッケンハイム（ドイツ）などの長いレイアウトを持つオールド・サーキットは複合コーナーの多いショート・サーキットへと改修され、富士スピードウェイもこれにあたる。言わば、FIAの求める要素を具現化するスペシャリストと言える。ティルケのレイアウトの特徴はロング・ストレート直後のヘアピンやトリッキーなコーナーが必ず存在することであり、これらはFIAからの「オーバー・テイクのし易いレイアウトを」というリクエストに基づいたものである。<br />しかし、現在レッド・ブルのテクニカル・ディレクターである天才デザイナー、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_03.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・ニューウィー</font></a>は「最もオーバー・テイクを困難にしているのは近年のサーキット・レイアウトの変更だ」と言う。「オーバー・テイクを増やすためにマシン・レギュレーションを変更するのは、それがサーキットの改修よりも容易と捉えられているからだ。抜きつ抜かれつを期待するのなら何が必要なのかを、皆簡単に忘れてしまう」レースをバトル・スペクタクルとして捉えるのなら、オーバー・テイクは欠かせない要素である。が、安全性と最高速を天秤にかけ、理想的な答を導き出した際の結果は常に安全性優先であり、今更スパのオー・ルージュやイモラのタンブレロのような危険な高速コーナーがレイアウトされる筈もない。現状、FIAの興味はサーキットのレイアウトの特殊さから来るスペクタクルよりも、開催国による立地的な個性に寄っている。ナイト・レースとなったシンガポール市街地レースや、&#8221;砂漠のグランプリ&#8221;バーレーンなどはその典型例と言える。<br />が、これは筆者の憶測ではあるが、観衆が望むオーバー・テイクとは恐らく&#8221;加速中の追い越し&#8221;である。ティルケ設計の多くのサーキットがストレートの最後に抜きやすいフル・ブレーキング・カーブを持つが、求められているのは減速しながらのブレーキング勝負ではなく、サイド・バイ・サイド／横並びでの高速バトル、なのだろう。だとすればティルケの信条とするレイアウトでは難しいが、観客の満足度に応えるために必要なのは危険な要素とも言え、近代F1サーキットが似たようなレイアウトとなって行くのはある程度避けられない。よって、レイアウトよりも開催国の特徴を重視せざるを得ないのである。</p>
<p><a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バーニー・エクレストン</font></a>は精力的である。&#8217;11年からのF1開催を目指すブルガリアの代表団の来訪を受け、近々自らブルガリアを訪問すると約束した。F1にとって新たなマーケットとなる可能性のある場所には、基本的にドアを開けておくのが彼等のやり方である。しかしその反面、ブルガリアの隣国であるトルコで行われた&#8217;09年のトルコGPは、お世辞にも大盛況とは言えない状況だった。イスタンブール・サーキットで行われるこのイベント、今年のチケット販売数は僅か36.000枚。昨年が40.000枚だったことを考えれば、トルコでのF1GP開催の意義そのものが問われる事態である。事実、今年の第7戦トルコGPでは多くの観客席にはシートがかけられているのが解り、TV中継そのものもグランド・スタンド以外の観客席は極力映らないよう工夫がされていた。サーキットがオープンした&#8217;05年にはル・マン・シリーズやDTM（ドイツ・ツーリングカー選手権）などが開催されたが、現在ではF1のみ、つまりこのサーキットでのイベントはF1トルコGPだけであり、現状F1開催週以外は閉鎖中、という状況となっている。フラビオ・ブリアトーレ（ルノー）は「FOTAとしてはこんな状況下でのレースはしたくない」、2位フィニッシュしたレッド・ブルのドライバー、マーク・ウェバーは「表彰台から見ても誰もいなかったよ。こんなことならチケット代を下げるか、さもなきゃ無料で入れた方がマシだった」と嘆いた。確かにひとつの原因として高額なチケット料金があげられているが、格式を守るか浸透を目指すかの論議の前に、恐らくトルコはF1世界選手権のカレンダーから姿を消してしまうだろう。</p>
<p>予算や改修概要などの調整と政治的な部分により、&#8217;09年を最後にイギリスGPの舞台であるシルバーストーンがカレンダーから姿を消す。&#8217;50年、記念すべきF1世界選手権第1戦の舞台となった歴史と伝統のサーキットである。イギリス空軍の飛行場跡地を利用した広いスペース、長いハンガー・ストレートとその末端に待つストウ・コーナーでのバトルはF1史に多くの名勝負を残して来た。そのシルバーストーンもティルケによる大改修を待ち、イギリスGPは&#8217;93年にヨーロッパGPとしてグランプリを開催したドニントン・パークへとその舞台を移す。&#8217;09年イギリスGPには別れを惜しむファンがシルバーストーンのスタンドを埋め尽くし、<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/06/gp-96.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">新記録となる8万5千人を動員</font></a>した。が、2027年までの長期開催契約を保持するドニントンは資金面で問題を抱えており、場合によってはここ数年の日本GPのようにシルバーストーンとドニントンでの隔年開催、ということも有り得る。<br />こうした経済的な問題は世界中で起きている。&#8217;09年第9戦ドイツGP、TV中継ではレース前にヘリコプターによる空撮で美しいニュルブルクの景色、ニュルブルク城などと併せて山中を走る北コース（現在F1が開催されているのは南コース）の様子が映し出された。全長22.8km、172のコーナーと300mに及ぶ高低差、近代フォーミュラ・カーではおよそ競争力も安全性も発揮出来ないオールド・コース。かつての<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_65.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニキ・ラウダの壮絶な事故</font></a>に代表される&#8221;危険性&#8221;によってニュルブルクリンクでのF1GP開催は短い南コースのみとなった。それは技術の進化と安全性の向上による、ごく自然な流れである。<br />同じドイツ／ホッケンハイムはジム・クラーク（&#8217;68年）、パトリック・デパイエ（&#8217;80年）の死亡事故によりシケインが増設され、&#8217;01年には森の中を駆け抜ける高速セクションが全てレイアウトから外され、中速サーキットへと生まれ変わった。が、ドイツGPとしてニュルブルクリンクとの隔年開催を予定していたにも関わらず、ここホッケンハイムも経済危機を理由に&#8217;08年を最後にF1開催を終了。今、&#8217;01年まで使用されていたホッケンハイムの旧コースは森の中で静かに眠っている。が、ここで再び高速バトルが行われることはもうないだろう。それどころか、こうした政治的／経済的な問題に加え、<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/bmwf1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMWのF1撤退</font></a>が決定してしまい、グランプリ・サーキットの命とも言うべきF1開催そのものが危ぶまれる事態になっているとは、クラークもデパイエも思いもしないだろう。</p>
<p>以前、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">富士スピードウェイの30度バンクについて触れた</font></a>が、多くのサーキットがその歴史の中でスペクタクルと安全性について学び、そして進化を遂げて行く。大きな事故／問題が起きれば大改修が施され、その時代のレーシング・カー／レギュレーションに見合ったレイアウトへと変化して行った。同時に水面下では政治的なやりとりが行われ、巨額の資金が動いた結果で開催地が決まって行くのも、グランプリというビジネス自体の巨大さ故である。富士スピードウェイは新しいオーナーであるトヨタの全面支援により、それらの要素を全て満たした最新のサーキットだった。厳しいF1の安全基準を満たし、初年度となった&#8217;07年の様々な問題を解決するには膨大な努力と予算が必要となった。そして、彼等はそれを克服し、翌&#8217;08年の開催を成功で終えた。そして次の瞬間、彼等はF1開催からの撤退を、それも鈴鹿との隔年開催という長期契約を破って決定したのである。これで富士スピードウェイは、そのレイアウト／安全基準などの基となるF1という主を失い、他のカテゴリーのために存続することになる。<br />全8戦、鈴鹿／富士／もてぎ／オートポリス／菅生を舞台に行われるフォーミュラ・ニッポン。現状、この日本のトップ・フォーミュラの観客動員力がどれほどかご存知だろうか。&#8217;08年の平均観客数は約27,000人（JAF発表）。当然ながらその数はこの数年間下降の一途を辿るばかりである。これは、F1への登竜門として若い日本人ドライバーが選ぶ道は海外フォーミュラとなり、自動車メーカーによる若手育成プログラムの台頭時代を経て、ホンダのF1撤退により全てが縮小傾向にある現在、日本のフォーミュラ・レーシングの未来そのものに暗雲が垂れ込めていることを表している。</p>
<p>今、世界最大興行であるF1グランプリを軸に、世界中のサーキットが大きな岐路に立たされている。こうした多くの政治的な問題は、&#8217;10年の暫定F1カレンダーが&#8217;09年8月現在に未だ発表されていないという事態を招いている。&#8217;10年イギリスGPはシルバーストーンなのかドニントンなのか、ドイツGPはホッケンハイムなのかニュルブルクリンクなのか。モーター・スポーツ発祥の地・フランスにグランプリは帰って来るのか。そして、日本GPは一体何処で行われるのか。鈴鹿？、富士？、それともティルケの最新作である<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国インターナショナルサーキット" target="_blank"><font color="#ff00ff">韓国インターナショナルサーキット</font></a>が日本GPの名称で開催することになるのだろうか？。いずれにしても、もがくことをせずに得られる未来などありはしない。2年／2回という数字は、この巨大なイベントの未来を判断するにはあまりにも短かった。<br />世界経済、自動車産業の方向性、会社の存続、社員とその家族の保証。ホンダもトヨタも、会社として下した決定は一流のものである。ただし、多くの人々の夢を打ち砕き、絶望感を齎したツケもまた大きい筈である。</p>
<p><i>「今後もモータースポーツのさらなる発展のために一層努力してまいります」<br />／&#8217;09年F1撤退発表時の富士スピードウェイプレス・リリースより</i></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%9a%97%e9%9b%b22010/">暗雲2010</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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