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	<title>タチの悪いオーディエンス - F1 STINGER 【スティンガー】</title>
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	<description>F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集</description>
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		<title>何処より早​いシーズン総括</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Dec 2011 06:59:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>全19戦に及んだ2011年シーズンも遂に閉幕。今回は恒例の&#8221;スクイチ・何処より早いシーズン総括&#8221;をお届けする。 ブリヂストンに代わって今季から新規参入のピレリ・タイヤと、Fダクトに代わるオーバー・・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">全19戦に及んだ2011年シーズンも遂に閉幕。今回は恒例の&#8221;スクイチ・何処より早いシーズン総括&#8221;をお届けする。</p>
<p>ブリヂストンに代わって今季から新規参入のピレリ・タイヤと、Fダクトに代わるオーバー・テイク・アイテム&#8221;DRS&#8221;の採用により、近代F1最多のオーバー・テイク大会となった2011年シーズン。年間19戦の長丁場で史上最年少王者が記録を塗り替え、新たなグランプリ・サーキットが誕生し、日本のサムライはチームのエースとしてしっかりと仕事をしてみせた。<br />
反面、勝利を大命題とする名門が失速し、元世界王者がらしからぬミスを連発、それ故に大味なレース展開も多く、シーズンを通しては少々物足りなかったのも事実である。</p>
<p>
◇ベスト・ドライバー：セバスチャン・ヴェッテル<br />
疑う余地は全くない。24歳の若さで年間11勝、ポール・ポジション獲得15回は&#8217;92年のナイジェル・マンセルの記録を19年振りに破る大記録、しかも19戦中リタイア1回/4位1回以外は全て表彰台、と言う快挙。チーム・メイトを大幅に引き離す圧倒的な強さでライバル達の戦意を喪失させた。タイトル決定の日本GP3位表彰台で見せた悔しさと、あくまでもポール・ポジション、優勝、そして最速ラップ樹立のハット・トリックを狙うその&#8221;完璧主義&#8221;は時折チーム内に不安要素を齎すが、その精神力の強さこそが今のヴェッテルのモチヴェーションを支えているのだろう。ともあれ、2年連続ワールド・チャンピオンに相応しい走りを魅せたヴェッテルに死角はない。<br />
また、荒れたレースで見事なタイヤ・マネージメントを行い、3勝を挙げたマクラーレンのジェンソン・バトン、結果は1勝ながら自らの地元バルセロナ、フェラーリの地元モンツァで不利な予選順位から見事にスタートでトップを奪う好走を魅せたフェルナンド・アロンソも見事な仕事をした。</p>
<p>
◇ベスト・チーム：レッドブル<br />
年間12勝、18ポール・ポジション獲得、2011年シーズンを退屈にさえしてしまったレッドブル。RB7・ルノーはストップ＆ゴーから高速コーナーまで、全てのタイプのサーキットで無類の強さを発揮、ブロウン・ディフューザーは完璧に熟成された。マーク・ウェバー車には度々KERSとスタート・システムに不備が起きていたが、それでも圧倒的な信頼性と強さでダブル・タイトルを獲得。奇しくも、マンセルのポール・ポジション記録を破ったのは、&#8217;92年のウィリアムズと同じくエイドリアン・ニューウィーが造り、ルノー・エンジンを搭載したマシンだった。</p>
<p>
◇ベスト・レース：第7戦カナダGP<br />
悪天候の中セーフティ・カー先導でレースがスタートし、ヴェッテルが先行。ウェバー、ハミルトンらが自滅する中、13番手スタートの小林可夢偉が着実に順位を上げて行く。雨が強くなった25周目にレースは赤旗中断、天候回復を待って2時間後に再スタート。2位まで上がっていた可夢偉は10周に渡ってフェラーリのマッサと熾烈な争いを繰り広げた。レース後半、シューマッハー、ウェバー、バトンによる激しい2位争いをバトンが制し、遂にはファイナル・ラップでミスしたヴェッテルをも劇的に抜き去り、結局バトンの逆転勝利。健闘の可夢偉は結局7位フィニッシュ。<br />
待たされた分だけ十分に楽しめた、最高のレースだった。</p>
<p>
◇ルーキー・オブ・ザ・イヤー：ポール・ディ・レスタ<br />
8戦入賞で27ポイントを獲得し、ドライバーズ・ランキング13位となったディ・レスタ。第9戦イギリスGPでは予選6位を獲得し、第14戦シンガポールでの決勝6位が最高位となった。冷静な判断力とドライビングでチーム・メイトのベテラン、スーティル相手に堂々と戦い、予選では9勝10敗と健闘。ザウバーのペレス（16位）、ウィリアムズのマルドナド（19位）ら同期を完全に凌駕した。チームの来季体制が不透明だが、未来のチャンピオン候補のひとりとして、今季は良い仕事を行った。</p>
<p>◆ワースト・ドライバー：ルイス・ハミルトン<br />
度重なるマッサとの接触、スパでの可夢偉との接触など、一体「何処を見て」走っているのか。多くは書かないが、元世界王者としてはあまりにもお粗末なシーズンだった。速さに溺れて集中力を失うと、いつか確実に大きな事故を招く。来季生まれ変わることを期待する。<br />
ラリー事故で離脱したロベルト・クビサの代役としてルノーに加わったニック・ハイドフェルドも大きく期待を裏切った。途中解雇も当然の成績。ウィリアムズのマルドナド、ヴァージンのダンブロシオのふたりのルーキーも、正直デビュー前の期待を裏切る結果となった。ダンブロシオにいたっては最終戦終了直後に解雇発表となり、短いF1生活にピリオドを打った。</p>
<p>
◆ワースト・チーム：ザウバー<br />
開幕戦ではダブル入賞を飾ったかと思いきやリア・ウィングの規定違反で失格、シーズン前半の勢い（それもドライバーの頑張りあって、だが）は、イギリスGP時のブロウン・ディフューザー禁止騒ぎで開発中止を決定したことで完全に裏目に出た。コンストラクターズ6位から見る見るうちにフォースインディアに逆転され、最後はトロロッソと7位を争う羽目に。エース・可夢偉はピレリの評価で全ドライバー中3番目にタイヤ・マネジメントの上手いドライバーとして果敢にポイントを獲得、ルーキーのペレスも可夢偉と予選で堂々と渡り合う活躍を見せながらも、決勝でのタイヤ戦略で明らかにポイントを逃したレースが多過ぎる。BMW無きあとの、これがザウバーの限界か。<br />
2年連続でコンストラクターズ最下位となったヴァージン。これまた2年連続開幕戦がシェイク・ダウン、と言うHRTの後塵を拝し、チーム体制を一新する来季もKERS搭載の予定はなく、一体何が目標なのか疑問である。</p>
<p>
◆ワースト・レース：第16戦韓国GP<br />
「冷蔵庫から昨年の残り物が出て来た」「誰も使ってない筈なのにドーナツ・ターンの跡があった」など、初開催となった昨年のレース以来全く使われていなかった韓国インターナショナル・サーキット。2年目の今年、決勝レースは入場者8万人と発表されたが、チーム関係者からは「蚊の数も入れたか、魚も数えたんだろう。しかも2回ずつね」と皮肉を言うほどスタンドはガラガラ。実質的に大赤字なイベントとなり、プロモーターはバーニー・エクレストンに助けを求めている状態である。ヒュンダイのF1参戦の噂も聞かなくなり、この国でのF1開催継続に赤信号が灯っている。</p>
<p>
◎キー・パーソン・オブ・ザ・イヤー<br />
・道端ジェシカ<br />
バトンのGFとして度々国際映像に登場するジェシカ嬢。遂にはタグ・ホイヤーの日本人初ブランド・ミューズに就任、東日本大震災後には震災復興の為の救済義援金活動として「TEAM JESSICA」を立ち上げ、F1関係者らに協力を訴えている。ジェンソンの父ジョン・バトンと共に、レースを終えたバトンを明るく迎える姿は微笑ましく、今や中継になくてなならない存在となった。<br />
・小松礼雄<br />
ルノー・チーム、ヴィタリー・ペトロフ担当エンジニアの小松礼雄（あやお）氏。ルノーのピット・ウォールの造り/並びもあるのだろうが、何故か今季やたらと国際映像に登場、フリー走行時はほぼ名物コーナーとなった。ちなみに小松氏は元BAR・ホンダのエンジニアで、&#8217;06年からルノーで働いている。<br />
・バーニー・エクレストン<br />
&#8230;..アブダビでヴェッテルがリタイアした際、まさかF1ボスのバーニーが直接ピットまで慰めに来るとは思わなかった。来季、ヴェッテル3連覇はもう決まったようなモンである&#8230;..。</p>
<p>最後に、悲しい事故でこの世を去ったダン・ウェルドン＠インディ・カー、マルコ・シモンチェリ＠モトGPのふたりに哀悼の意を表する。もう2度と、悲しい事故が起きませんように。</p>
<p>
&#8230;..なんだかんだ言いつつ、今季も手に汗握り、一喜一憂/狂喜乱舞したF1世界選手権。来季は更に&#8217;07年王者、キミ・ライコネンが帰って来る。総勢6人のワールド・チャンピオンが勢ぞろいする来季も素晴らしいレースが繰り広げられることを期待しつつ、開幕を待つこととしよう。山口村長を始めSTINGER村の皆さん、1年間お疲れ様でした。</p>
<p>
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		<title>彼らが恐れ、闘うもの</title>
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		<pubDate>Thu, 17 Feb 2011 10:52:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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<p>開幕を目前に控え、ようやく合同テストがスタートしたと思った矢先、恐ろしいニュースが飛び込んで来た。バレンシア・テストでトップ・タイムを叩き出していたロータス・ルノーGPのドライバー、ロベルト・クビサがイタリアで開催されて・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">開幕を目前に控え、ようやく合同テストがスタートしたと思った矢先、<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=42" target="_blank"><font color="#ff00ff">恐ろしいニュース</font></a>が飛び込んで来た。バレンシア・テストでトップ・タイムを叩き出していたロータス・ルノーGPのドライバー、ロベルト・クビサがイタリアで開催されていたラリーのレース中にガードレールにクラッシュ、右手、腕、足などを骨折し、特に酷かった右腕は一時切断も検討されるほどだったと言う。幸いにも7時間に及ぶ大手術の末に&#8221;最悪の事態〜切断〜&#8221;は免れたが、当然F1開幕に間に合うわけもなく、復帰には相当な時間がかかると見られている。いや、極端に言えばこの事故がクビサのレーシング・ドライバー生命に関わる、と言っても過言ではない状況である。多くの関係者が心配する中、チームはやむなく代役ドライバーの選考に入り、かつての僚友であるベテランの<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=60" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニック・ハイドフェルド</font></a>がクビサに代わってロータス・ルノーGPをドライブすることが決定、事実上クビサの2011年シーズンは終ってしまったのである。<br />&#8230;..両手／両足が全て異なる作業を必要とするカー・レースと言う分野のレギュレーション、特にF1のような特殊なカテゴリーでは、こういったケースは致命的となることが多い。故に、ドライバーはオフ・シーズンも含めて充分な健康管理が必要とされ、例えば<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>などのトップ・チームはもしもの怪我に備え、ドライバーにスキーなどの一部スポーツを禁止したりするほどである。今回のクビサはF1オフ・シーズンを利用してのラリー参戦だったが、これがルノーでなくフェラーリなら当然ラリー禁止。<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>などはそれが嫌でF1から出て行った、と言われるほど。しかし、こうして実際に事故が起きてしまった以上、ルノー側がクビサのラリー出場を認めていたこと自体が問題視されてしまうのはやむを得ない。</p>
<p>今回の事故に関しての報道で、&#8221;ナニーニのケースとの比較&#8221;という記事を良く見かけると思う。しかしその&#8221;ナニーニ&#8221;に関してはあまり詳しく紹介されていないので、今ひとつ良く解らないという方も多いだろう。先に結果から言うとナニーニと言うのは、かつて右腕切断と言う大事故に遭いながらも、懸命のリハビリでレースに復帰した元F1ドライバー、アレッサンドロ・ナニーニのことなのだが、今回のクビサの事故を受け、重大事故、特に手足の骨折や切断、という極限状況から不屈の精神で復活を目指したドライバー、という過去のケースをいくつか振り返ってみようと思う。悪夢のような恐ろしい体験から地獄のようなリハビリを乗り越え、いったい彼らはどうやって帰還したのか。そこにはレーシングに取り憑かれた者だけが知る究極の欲望と、周囲の献身的な協力が存在する。</p>
<p>尚、今回のコラムは少々ヘヴィなテーマ／内容なので、興味本位ではなく、心して読んで頂きたい。</p>
<p>さて、まずはその&#8221;ナニーニ&#8221;の紹介から。アレッサンドロ・ナニーニは&#8217;59年7月7日、イタリア出身。モトクロスでレースに目覚め、4輪に転向。&#8217;81年フォーミュラ・フィアット・イタリア王者となり、&#8217;82年にF2へステップ・アップ。所属するイタリアのレーシング・チーム、ミナルディがF1に参戦することとなり、ナニーニ自身は&#8217;86年に同チームからF1デビュー。非力なマシンで印象的なパフォーマンスを見せ、&#8217;88年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>に抜擢。&#8217;89年第15戦日本GP、あの有名な&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_112.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セナ・プロ鈴鹿シケイン接触</font></a>&#8220;のレースで<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>の失格により、繰り上がり初優勝。翌&#8217;90年も常にトップ争いに加わり、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・アレジ</font></a>とフェラーリのシートを争うほどの若手トップ・ドライバーとなった。<br />&#8230;..初勝利から丁度1年、&#8217;90年第15戦日本GPを目前に控えた10月12日、悲劇は起きた。ナニーニは友人と自家用ヘリコプターに乗っていたが、自宅敷地内で着陸に失敗し、墜落。その際ナニーニは機外に投げ出され、ヘリコプターのローターで右腕を切断。その際、妻が切断された右腕を氷水で冷やして保管し、病院に運ばれて縫合手術が行われた。手術は成功し、ナニーニは復帰目指して懸命のリハビリを開始。数度に渡る手術を受け、苦痛と闘いながら握力の回復に努める日々を送る。そして事故から2年半後の&#8217;92年3月、ナニーニは遂にDTM（ドイツ・ツーリング・カー選手権）でアルファロメオに乗り、レース復帰を果たす。その後BTCC（イギリス・ツーリング・カー選手権）にも参戦し、&#8217;97年に正式にレーシング・ドライバーを引退した。<br />&#8230;..日本でも人気が高かったナニーニの事故はファンにとって衝撃だった。イタリアのTVカメラが捉えた、搬送中に妻が半狂乱になりながら「撮らないで！」と叫んでいた姿は忘れられない。しかし、パドックでも陽気な性格で知られるナニーニは、救急車で搬送中にも「僕はF1ドライバーだからもっと早く走れるよ。運転代わろうか？」とジョークを飛ばしたと言う。そして事故直後の日本GPで、ベネトンはエースの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>と、ナニーニの代役ロベルト・モレノが奇蹟の1-2フィニッシュ。モレノは「この2位をサンドロ（ナニーニ）に捧げる」と言い、ナニーニもまた「僕が出ていれば勝てたのに！」と笑った。ナニーニは事故後も、決して明るさを失わなかった。TVインタビューにも率先して応じ、「何が一番不自由かって、自分で慰められないことだよ！（笑）」と笑わせた。右手にはクッション・ボールを握り、ゆっくりゆっくり動かしていたのが印象的だった。そして&#8217;92年、ナニーニは左手だけでシフト出来る仕様に改造されたフェラーリのF1マシンを駆る機会を得た。しかしその際、右手にかかる負荷をあらためて実感し、F1ドライバーとしての復帰を諦めたのだと言う。<br />ナニーニの切断された右腕は、周囲の適切な処置により縫合に成功した。そして彼はレースに帰って来た。が、F1でレースすることはもはや出来なかった。現在は女性に人気の&#8221;<a href="http://www.grupponannini.it/" target="_blank"><font color="#ff00ff">カフェ・<br />
ナニーニ</font></a>&#8220;を経営するビジネス・マンである。</p>
<p>&#8230;..ナニーニに良く似たケースとして、オールド・ファンの記憶に残っているのは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ディディエ・ピローニ</font></a>だろう。こちらはシーズン・オフではなくレース中の事故、そしてナニーニが腕だったのに対してピローニの場合は足だったが、彼もまた大クラッシュから再びレーサーとして復帰を目指し、そしてF1ではないにしろ、実際にレース現場へと帰って来た。が、&#8221;その後&#8221;に関してピローニはあまりにも悲惨な結末だった、と言わざるを得ない。</p>
<p>ディディエ・ピローニは&#8217;52年3月26日生まれのフランス人。母国の大企業&#8221;エルフ&#8221;の強力なバック・アップを受け、&#8217;78年にティレルからF1デビュー。&#8217;80年に母国のF1チーム、リジェに乗って初勝利を飾り、翌年のフェラーリのシートを勝ち取った。チーム・メイトはカナダの新星、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジル・ヴィルヌーヴ</font></a>。ふたりは良きライバルとしてフェラーリの勝利に貢献するが、&#8217;82年第4戦サンマリノGPレース終盤、1位ヴィルヌーヴ、2位ピローニの順で走行中に、フェラーリのピットから「順位を固定せよ」との&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_26.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チーム・オーダー</font></a>&#8220;が発令。しかしピローニはこれを破って無抵抗のヴィルヌーヴを抜き、勝利してしまう。つまり、チーム・オーダーを無視してしまったのである。これでふたりの信頼関係に亀裂が入り、翌第5戦ベルギーGP予選でふたりのポール・ポジション争いが白熱。&#8221;限界を超えた&#8221;ヴィルヌーヴが高速で他車に接触し、車外に投げ出されて死亡。ピローニはタイトル争いのトップに立ったが、同時に世界中の憎まれ役ともなってしまった。<br />迎えた第12戦ドイツGP、大雨の予選2日目。視界不良の中、ルノーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>はタイム・アタックを諦めてスロー走行し、後方のデレック・デイリー（ウィリアムズ）に進路を譲る。後方からそのデイリーの加速を見たピローニは、何故か突然アクセルを踏み込み、水しぶきで何も見えない中、プロストのマシンに全速力で突っ込んでしまった。ルノーの右リア・タイヤに乗り上げたピローニのフェラーリは空を舞い、そして激しく地面に叩き付けられた。ピローニは両足の骨を粉々に砕く重傷を負い、マシンに閉じ込められた。しかもピローニはマシンの中で意識を失っておらず、救急隊員がその場での両足切断に関して協議する様子を全て聞いていたと言う。結局ピローニは切断は免れたが、両足の複雑骨折で長期入院となり、選手権から離脱した。<br />ピローニはこの事故後30回以上の手術に耐え、レース復帰へ向けて必死のリハビリを繰り返した。母国フランスのチームであるリジェ、AGS、ラルースなどがピローニのF1復帰のためにテスト・ドライブのチャンスを与えたが、最終的にF1に戻ることは出来なかった。結局ピローニは事故から5年後の&#8217;87年、&#8221;水上のF1&#8243;と言われるパワー・ボートでレースに復帰。しかし8月23日、イギリスのワイト島で行われたレースで大クラッシュを起こし、帰らぬ人となった。付近を巨大な石油タンカーが通った際に起きた大波に乗ってしまったのが事故の原因だった。<br />また、ピローニを巡っては自身が両足の怪我を負った同じ&#8217;82年、第8戦カナダGPのスタートでエンジン・ストールし、そこへ突っ込んで来たオゼッラのリカルド・パレッティが死亡した事故も含め、多くの&#8221;悲劇の主人公&#8221;として語られることが多い。実際、それほどの事故に遭いながらもレースへの夢捨て難く、そして最後はやはりレースで命を落とした。いったい何がピローニを駆り立てていたのか。その答はピローニ自身にしか解らない。</p>
<p>&#8230;..もう何年も前のことになるが、車椅子から手だけでドライブ出来る特別仕様のNSXに乗り込み、ご機嫌で縁石を攻めながらサーキットを疾走するオヂサン、というホンダのTVCMを覚えておられる方も多いと思う。<br />彼の名はクレイ・レガッツォーニ。&#8217;39年9月5日、スイス出身のレガッツォーニは母国企業チソットをスポンサーに&#8217;70年にF2王者となり、同年フェラーリから鳴り物入りでF1デビュー。&#8217;74年にはブラジルの3度の世界王者、エマーソン・フィッティパルディとタイトル争いを繰り広げた。絶頂期を過ぎ、渋いベテラン・ドライバーとなった&#8217;80年、中堅チームのエンサインに移籍。第4戦アメリカ西GP、ロングビーチ市街地コースでのレース中、レガッツォーニのマシンはブレーキ・ペダルのトラブルに見舞われ、時速300kmで減速せずにコンクリート・ウォールにクラッシュ。それでもヘアピンが待ち受けるロング・ストレートでマシンの異変に気付いたレガッツォーニは、とっさの判断でギアを3速まで落とし、イグニッション・スイッチをオフ。更にリタイアして止まっていたマシンに一旦ぶつけ、クラッシュの衝撃を和らげようとした。しかし、それでも結局レガッツォーニの両足の骨は粉々に砕かれてしまっていた。12時間に及ぶ大手術の結果、一命は取り留めたが頸椎損傷で下半身不随となり、レース界から引退。その後は車椅子生活となりながら、TVのレース解説者として活躍した。が、そのレガッツォーニもまた&#8217;06年12月15日、イタリアの高速道路でトラックと激突して事故死。享年67歳。この時もレガッツォーニはクライスラー製の、ステアリング機能だけで運転出来る特別仕様のボイジャーに乗っていた。<br />あのCMで特に印象深かったのは、高速運転可能なマシンとサーキット走行の機会を与えられ、子供のように嬉しそうな表情を見せるレガッツォーニ自身と、空っぽの車椅子と共に心配そうに夫の走りを見守る妻の姿だった。最終的に車の事故で命を落とした夫を、いったい彼女はどう想っているのだろうか。「それが天命」とは、決して諦め切れない筈である。</p>
<p>&#8230;..アレックス、いやアレッサンドロ・ザナルディの復活劇はレース界の奇蹟として有名である。同時に、ザナルディは現在進行形のレース魂の持ち主としても、多くの人々を勇気づけ続けるヒーロー、と言えるだろう。</p>
<p>アレッサンドロ・ザナルディは&#8217;66年10月23日生まれのイタリア人。&#8217;88年にイタリア国内のF3選手権で注目され、&#8217;91年の国際F3000選手権ではタイトル争いを展開、新興F1チームの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>から声がかかり、F1デビュー。しかし中堅チームを渡り歩いたザナルディはF1で目立った成績を残すことが出来ず、&#8217;94年にシート喪失。これを機にアメリカに新天地を求め、&#8217;9<br />
6年からインディ・カー／CARTへと闘いの場を移す。アメリカでアレッサンドロ改め&#8221;アレックス&#8221;・ザナルディとなった彼は圧倒的な強さで&#8217;97、&#8217;98年の選手権を連覇。これを見たF1トップ・チームのウィリアムズから声がかかり、&#8217;99年に今度はF1へと復帰。しかしチームの低迷もあって、F1ではやはり思うような成績を残せず、&#8217;01年に再びCARTへと出戻ることになった。<br />&#8217;01年9月15日、CART第16戦の舞台、ドイツ・ラウジッツリンク・サーキット。トップを快走するザナルディは残り13周でピット・イン。作業を終えピット・ロードを走るザナルディは痛恨のスピン。そこへ運悪くアレックス・タグリアーニのマシンが突っ込み、ザナルディ車は大破。特にマシン前部は損傷が酷く、モノコックがまっぷたつに裂け、ザナルディの両足は膝から切断されてしまった。事故から2ヶ月後、退院したザナルディは記者会見で「まずは歩けるようにリハビリを行う。その後のレース活動についてはまだまだどうなるか解らないよ」と復帰へ向けて意欲を語った。<br />そして迎えた&#8217;03年5月11日、悪夢のような事故から1年8ヶ月。ラウジッツリンクには義足を装着したザナルディの姿があった。彼とチーム、そして観客達は、ザナルディの&#8221;失われた13周&#8221;を取り戻すためにそこにいた。この日、ザナルディのために両手だけでドライブ出来る特別仕様のCARTマシンが用意され、彼はあの日走れなかった残りの13周を走り切り、自らのフォーミュラ・カー・レーサーとしてのキャリアにケジメをつけたのである。ザナルディは多くの関係者とファンに感謝し、CARTマシンを降りた。<br />&#8230;..しかし、ザナルディはこれで終らなかった。その後彼は特別仕様のBMWを駆ってWTCC（世界ツーリング・カー選手権）に本格参戦、&#8217;05年第14戦では見事優勝を果たしたのである。そして&#8217;09年にレーシング・ドライバーとしては引退したが、現在はハンド・サイクルの選手として活躍し、2012年のロンドン・パラリンピック出場を目指している。これまでのザナルディの主な実績は&#8217;07年ニューヨーク・シティマラソン・ハンド・サイクル部門4位、&#8217;09年ローマ世界選手権15位（首位と僅か4.5秒差）、&#8217;10年ローマ・マラソン・ハンド・サイクル部門優勝&#8230;..この男のレースに懸ける情熱は半端じゃない。</p>
<p>&#8230;..次に紹介するのは、長きF1の歴史に於いて、記録にも記憶にもあまり残っていない、ひとりの無名ドライバーのケースである。しかし、&#8221;懲りない&#8221;という部分では相当に深く、更に運も良かった男の、見方を変えれば羨ましいレベルの話だ。</p>
<p>イアン・アシュレーは&#8217;47年10月26日生まれのイギリス人。豊富な資金を元にフォーミュラ5000を経て&#8217;74年にプライベーターによるスポット参戦という形でF1デビュー。4年目の&#8217;77年シーズン、アシュレーは後半戦の第12戦オーストリアGPからヘスケスで参戦。第16戦カナダGP予選、ここまで予選落ちの常連になりつつあったアシュレーは焦り、ジャック・ラフィーのリジェを無理にオーバー・テイクしようとして、ストレート・エンドからアウト側のダートへ飛び出してしまい、マシンは激しく横転。衝撃でコックピット部が外れ、アシュレーはバラバラになったマシンの下敷きになってしまった。この際、モノコック前方が激しく損傷し、アシュレーの両足は折れ、足首から先があり得ない方向を向いていた。救出には時間がかかり、アシュレー本人は激痛で何度も失神を繰り返したが、どうにか両足切断は免れた。しかしこの事故でアシュレーのF1ドライバーとしてのキャリアは終わりを告げた。が、スピードの魅力に取り憑かれていたアシュレーは、リハビリ後、なんとアメリカでジェット機のパイロットへと転身。その後もBTCC（イギリス・ツーリング・カー選手権）やサイド・カー・レースなどにも出場し、60歳を過ぎた今も、細々ながら精力的にレース活動を行っているのである。<br />アシュレーは&#8217;70年代に良く見られた資金持ち込みプライベーター、所謂<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2011/01/post-39.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペイ・ドライバー</font></a>のひとりである。悪い言い方をすれば、F1で活躍するトップ・ドライバー達と競い合うには、技術的に未熟な部分が大事故に繋がったと、考えられなくもない。しかも当時は現在のような安全性からは程遠く、一歩間違えば命の危険に晒される時代である。それでも彼らがチャレンジをやめなかったのは、レーシングが&#8221;危険と隣り合わせ&#8221;という理不尽な魅力を持つカテゴリーであることが関係しているという事実を、少なくとも当時、決して否定することは出来なかったのだ。</p>
<p>昨年最終戦までタイトル争いを繰り広げた<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-25.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>は、シーズン開幕前と終盤の2度に渡って趣味のマウンテン・バイク中の事故で怪我をし、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>のクリスチャン・ホーナーは「マークは自転車をやめるべきだ」と激怒した。今回のクビサのケースでも、見方によってはオフ・シーズンにラリー出場という&#8221;危険な行為&#8221;を行ったことにより、自身とそれを許可したチームに対する非難が続出した。クビサは事故後「テスト規制の厳しいF1では、オフ・シーズンのラリー出場が運転の感覚を向上させるのに有効であると」、自らのラリー参加を正当化する発言をした。しかし、その意見に対し「あまりにも理性に欠けている」と発言したのは、かつて瀕死の重傷を負いながらも奇蹟の復活を遂げた帝王、ニキ・ラウダである。</p>
<p>&#8220;スーパー・ラット&#8221;ことニキ・ラウダは&#8217;70〜&#8217;80年代を代表するF1ドライバーであり、3度の世界王者である。&#8217;49年2月22日、オーストリア生まれのラウダは&#8217;71年にマーチでF1デビューし、&#8217;75年にはフェラーリで初の王座獲得。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_65.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;76年第10戦ドイツGP</font></a>、山の中を走る旧・ニュルブルクリンク・サーキット、1周22.8kmというロング・コースの、観客もマーシャルもあまりいない高速コーナーで事故は起きた。ラウダのフェラーリは小雨の中、リア・サスペンションのトラブルから突如スライドしてフェンスに激突。マシンは一瞬にして炎に包まれた。そして、現在では考えられないような低い安全性の中、ラウダは燃え盛るマシンの中で意識を失っていた。救急車も消化器を持ったマーシャルも付近にはおらず、数十人の観客達は、燃え盛るフェラーリをただ呆然と見つめることしか出来なかった。誰もが絶望感に苛まれ、立ち尽くすだけだった。<br />&#8230;..そして、そのラウダを炎の中から救出したの<br />
は、この事故を見て現場でマシンを降りた、後続の4人のドライバー仲間だった。800度の炎の中に1分以上閉じ込められていたラウダは、重度の火傷と出血多量でハイデルベルグの病院へと運ばれた。4日間意識不明の状態が続き、病床には牧師が訪れ、マスコミには既にラウダ死亡説が流れていた。<br />&#8230;..6週間後、第13戦イタリアGPの舞台、モンツァ・サーキットには、焼けただれた顔面を隠すことなく、チャンピオン争いのために帰って来たラウダの姿があった。そしてラウダはこのあと、更に2度世界王者となるのである。<br />死の淵から生還したヒーローとして、ラウダの復活劇は世界的にも有名だが、この事故を境に、ラウダはサーキットとマシンの安全性に対して自身の意見を唱えるようにもなった。事実、事故に遭った&#8217;76年シーズンの最終戦、富士スピードウェイでの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">F1GPイン・ジャパン</font></a>は豪雨に見舞われ、ラウダは選手権トップにいながら「危険過ぎる」と自主的にリタイアし、1点差で王座を逃している。が、これこそが王者の論理そのものであり、ラウダの&#8221;愛弟子&#8221;とも言うべきプロストも、ピローニとの事故以来、雨のレースを極端に嫌っている。そして、この頃から徐々に、そうあまりにもゆっくりと、レースとサーキットの&#8221;安全性&#8221;というものがようやく人々の話題になり始める。まだ、そんな時代の出来事なのである。</p>
<p>&#8230;..雨の富士、事故、フェラーリ、そして復活と言えば、我々日本人には忘れられない事故、忘れられないドライバーがいる。&#8217;59年11月6日生まれ、日本で最もフェラーリが似合う男、&#8221;日本一のフェラーリ遣い&#8221;こと、<a href="http://www.keep-on-racing.com/" target="_blank"><font color="#ff00ff">太田哲也</font></a>である。</p>
<p>&#8217;98年5月3日、全日本GT選手権第2戦、大雨の富士スピードウェイ。結論から言えば、レースは中止されるべきだった。それほどの豪雨の中、ローリング・スタートはペース・カーの突然の加速により、水しぶきで何も見えない視界ゼロの参加ドライバー達が誤ってレース・スタートだと思い込む事態を招いた。砂子智彦のポルシェがクラッシュ、そこへ太田のフェラーリが突っ込む。太田のF355GTは爆発し、炎上しながらコースを横断して停止した。太田は燃え盛るマシンの中でピクリとも動かなかった。<br />&#8230;..誰も太田を助けに来なかった。砂子は自力でポルシェから脱出（全身打撲、右足粉砕骨折、解放骨折）した。が、太田は出て来ない。RX7を止めた山路慎一が駆けつけ、太田に声をかけながら消化器を噴射、フェラーリはようやく鎮火した。ここでようやくマーシャルが駆けつけ、太田は炎に90秒以上包まれて車外に出された。が、観客の撮ったビデオには、およそ適切とは言えない対処が記録されていた。山路はドアの閉まったままの車内で無線で喋るだけのオフィシャルに激怒し、レスキュー・カーを蹴った。すると、別のオフィシャルが山路に説教を始め「このままじゃ済まさない」と言った。その間、太田は車外で放っておかれていたのである。結局太田は重度熱傷で長期入院となった。<br />&#8230;..この事故に関しては様々な意見が交わされ、裁判沙汰となり、既に和解が成立していることを踏まえた上で、筆者なりの価値観／目線で書かせて頂いた。まず、誰が悪いのかを問わなくてはいけない事態そのものが、レース運営側の失敗と対処の不備を物語っている。筆者は現場にいたわけではないし、残された証拠を元に書くしかないが、多くの事柄について、運営側が責任逃れとしか思えない言動を行っていた疑いは、筆者の今日の日本のサーキット／レース運営の見方に大きく影響を与えているのは事実であることを付け加えておく。尚、この事故に関しては&#8217;01年に太田自身による&#8221;クラッシュ＿絶望を希望に変える瞬間&#8221;という著書として出版され、&#8217;03年には映画化もされているので、機会があれば是非御覧になって頂きたい。<br />その&#8217;03年、事故から5年を経て、太田はアルファロメオのワン・メイク・レース&#8221;アルファチャレンジ・ユーロ・カップ&#8221;でレースに復帰した。が、熱傷の後遺症で右手足に後遺症が残ったために引退を余儀なくされ、現在はフェラーリなどのチューニング・パーツの開発を行う&#8221;TEZZO&#8221;代表、更にモータージャーナリストとしても活動しながら、アマチュア・レーサーのための&#8221;<a href="http://www.tezzo.jp/tezzo-racers-club-page-top.htm" target="_blank"><font color="#ff00ff">TEZZO RACERS CLUB</font></a>&#8220;、更に苦悩する人々を支援する&#8221;<a href="http://www.keep-on-racing.com/npo/" target="_blank"><font color="#ff00ff">NPO KEEP ON RACING</font></a>&#8220;を主宰し、精力的に講演活動などを行っている。&#8230;..なんと言う強さだろうか。多くを失い、多くを諦めなければならなかった太田自身が、未だ我々に&#8221;勇気&#8221;をくれる。</p>
<p>&#8230;..筆者の記憶にこんな話が残っている。1991年第15戦、日本GP。ラルースのエリック・ベルナールは予選中、鈴鹿のヘアピン立ち上がりでスピンを喫し、コンクリート・ウォールに激突。衝撃でベルナールは左足を骨折し、折れたペダルに挟まれて身動きが取れなくなっていた。チーム・メイトだった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里</font></a>が事故現場でマシンを降り、救出中のベルナールを励ましていた。その際、自身の怪我の状況が解らないベルナールは「お願いだから足だけは切らないでくれ。足切られるくらいなら死んだ方がマシだ」と泣き叫んでいた。亜久里はベルナールに「折れてるだけだから大丈夫だよ。またレース出来るから」と声をかけていたと言う。<br />これは、常に危険と隣り合わせのレーシング・ドライバー同士だからこその、リアルな会話である。もしもこれが一般人であれば、少なくとも「足切るなら死んだ方が良い」とは思えない。それほどまでに彼らは手足の切断という&#8221;最悪の事態&#8221;を恐れ、その恐怖と闘っている。そして亜久里もそれを解っている仲間／同業者だからこそ、その励まし方を知っていた。彼らにとって「またレース出来るから」という言葉は、何よりの励ましなのだろう。ちなみにその後ベルナールは無事F1に復帰し、&#8217;94年第9戦ドイツGPでは3位表彰台を獲得している。</p>
<p>最後にもうひとつだけ、紹介しておこう。手足の切断、という分野とは違ってしまうが、ある大事故がきっかけで、確実に大バケしたひとりの天才レーサーの話だ。</p>
<p>&#8217;68年9月28日、フィンランド出身の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>。彼は6歳の頃からモーター付き自転車でレースに出場するようになり、&#8217;90年にはイギリスF3を制覇。伝統のマカオF3では<a href="http://www.f1-stinger.
com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>、エディ・アーバイン、ミカ・サロらと激闘を繰り広げ、ファイナル・ラップでトップのシューマッハーのリアにクラッシュして無念のリタイア。既にレース1を制しており、2位でも総合優勝確実だったのにも関わらず、レーサーとしての本能だけでレースをフイにし、泣きながらガードレールを殴り続ける姿は世界中にミカの名を知らしめることとなった。&#8217;91年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>からF1デビュー、&#8217;93年に名門<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>に抜擢。しかし、ホンダを失ったマクラーレンは長い低迷期に入ってしまっていた。<br />&#8217;95年第16戦オーストラリアGP予選初日。ハッキネンのマシンのリア・タイヤが突然激しくバースト、マシンは眼の前の高速コーナーのバリアに真っすぐ突っ込んでしまった。ハッキネンはステアリングに頭部を強打し、意識不明の状態で急遽病院に運ばれた。<br />意識が回復した時、傍らにロン・デニスは開口一番「ミカ、すまなかった。コース上でタイヤが拾った異物が徐々にタイヤのエア漏れに繋がっていたのを、我々が気付かなかったんだ。だから君のせいじゃない」と謝った。するとハッキネンはなんと「なんだ、僕のミスじゃなかったのか。ならOK、大丈夫だよ」と答えたのである。<br />翌&#8217;96年の開幕戦は前年の最終戦、奇しくもF1カレンダーの妙で事故が起きた同じオーストラリア・アデレイド。ハッキネンは奇蹟の復帰を遂げ、何事もなかったかのように予選5番手のタイムを叩き出す。スタッフは大喜びし、ピットへと戻って来たハッキネンを拍手で迎えた。ところが、ハッキネンは大喜びのチームに対し、「おいおい、5位だろ？、ポール・ポジションでもないのに何を騒いでるんだ。こっちは勝つために走ってるんだぜ！」<br />デニスは「あの時ミカは変わった」と感じたそうである。そしてハッキネンは翌年初優勝、最強メルセデス・ベンツ・エンジンを武器に&#8217;98、&#8217;99年の選手権を連覇する。<br />&#8230;..もしもあの事故がなかったら&#8230;..いや、その答は解らない。しかし、こうしたきっかけでドライバー個人のドライビング・スタイルや、チーム体制などに変化が起きる可能性はあり、ハッキネンの事故はその両方に影響を与えた、と言えるだろう。</p>
<p>&#8230;..この原稿を書いている時点では、サンタコロナ病院に入院中のクビサが最後の手術を終え、無事成功したという<a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi?no=61" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニュース</font></a>が最新である。病院関係者は口を揃えて「強靭なレーシング・ドライバーは精神力と回復力も強く、復帰も早い」と言う。しかし、一体いつクビサが再びF1のグリッドに帰って来られるかのは解らない。が、自身も、チームも、ファンも、それを願い、祈り、待とうじゃないか。頑張れ、ロベルト！。</p>
<p><i>「自分が愛するモーター・スポーツが、これを機にもっと安全になり、発展することを期待します」&#8217;03年10月29日／太田哲也</i></p>
<p>////////////////////////////////////////////////<br />&#8220;バリアの外側のマニア&#8221;加瀬竜哉が最新のF1ニュースをピックアップし、そのニュースの背景を持ち前のマニアックな視点から掘り下げ、更により解りやすく解説し、検証する。<br /><a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi" target="_blank"><font color="#ff00ff">no race, no life formula1 topics</font></a></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_40/">彼らが恐れ、闘うもの</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>追悼</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 05 Oct 2010 13:59:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>長きに渡り日本のモータースポーツ振興に力を尽くされた偉大なる大先輩・西山平夫さんに、謹んで哀悼の意を表します。ありがとうございました。</p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_37/">追悼</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">長きに渡り日本のモータースポーツ振興に力を尽くされた偉大なる大先輩・西山平夫さんに、謹んで哀悼の意を表します。<br />ありがとうございました。</font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_37/">追悼</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>報道アレコレ</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 03 Jul 2010 12:11:09 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>2010年FIFA・W杯、大会直前までの周囲の予想を裏切る大活躍を魅せてくれた岡ちゃん率いる&#8221;サムライ・ブルー&#8221;こと日本代表。目標のベスト4進出には届かなかったけど、それでも2度目の1次リーグ突破・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%a0%b1%e9%81%93%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%82%b3%e3%83%ac/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e5%a0%b1%e9%81%93%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%82%b3%e3%83%ac/">報道アレコレ</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">2010年FIFA・W杯、大会直前までの周囲の予想を裏切る大活躍を魅せてくれた岡ちゃん率いる&#8221;サムライ・ブルー&#8221;こと日本代表。目標のベスト4進出には届かなかったけど、それでも2度目の1次リーグ突破／ベスト16進出は素晴らしい結果。やむを得ないこととしても、岡田監督の指揮の元、もう1度途中交代のない状況でニッポン代表を率い、2014年ブラジル大会を目指して欲しかった、というのが本音。とにかく代表の皆、お疲れさま！。<br />&#8230;..と、いきなり旬なサッカーのネタで入る、というのは実は意味があって、今回（ま、毎回だけど）、恐らく&#8221;殆どの日本人&#8221;の方が感じていたであろう、このW杯に対する過熱報道と、国民の注目度の高さについてである。言い方を変えれば、「&#8230;..そんなにサッカー好きでしたっけ、皆さん？」というハナシでもある。</p>
<p>まず、日本にサッカーのプロ・リーグであるJリーグが発足したのは&#8217;93年。F1で言うと<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>が<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウィリアムズ</font></a>・ルノーで4度目のタイトルを獲って引退した年。その頃サッカーのニッポン代表はオフト監督の指揮下、カズ／ゴン／武田／ラモス／北澤／井原／津並／柱谷／松永、という、今考えればJリーグ黎明期のスター揃い。が、&#8221;ドーハの悲劇&#8221;で有名な、イラク戦に於けるロス・タイムでの失点で&#8217;94年W杯アメリカ大会出場を逃し、まだまだ日本のサッカーが世界レベルではないことを誰もが痛感した。しかし、国内のサッカー人気を支えて来たファンは従来のスポーツ観戦層とは違い、感情も露にアクティヴな応援スタイルを繰り広げた。彼らは自らを&#8221;サポーター&#8221;と称し、ピッチのイレヴンに続く&#8221;12人目のメンバー&#8221;としてチームをサポートした。各所属チームのカラーでスタンドを埋め尽くし、皆で歌い、叫んだ。比較し易い競技としてプロ野球をあげるとすれば、それはあまりにも対照的なものであった。攻撃時／守備時といった概念が存在しないサッカー観戦では、常にサポーター全員が敵陣に負けじと大声を上げていた。そしてまた、彼らの応援ポリシーはニッポン代表チームの海外試合などに於いて、通常の試合が開催出来るレベルのスタジアムや街頭の大型スクリーンを擁する繁華街に多くのサポーターが集まり、現場さながらの応援を繰り広げることだった。<br />&#8217;98年、代表チームは遂に初のW杯初出場を成し遂げる。F1で言うと<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>が<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>・メルセデスで初タイトルを獲った年。監督は加茂周に代わって岡田武史となり、代表チームには新たに中田英／城／名波／秋田／名良橋／川口らが抜擢された。予選リーグでアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ相手に3連敗したが、ジャマイカ戦で直前に骨折していた足でゴンが決めた日本代表W杯初ゴールは美しくはないが、執念に満ちた素晴らしいプレーだった。<br />&#8217;02年、W杯は日本と韓国の両国での共催となった。F1で言うと<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>と<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>が歴史を塗り替えちゃってる真最中。サッカーは国際大会の盛り上がりに比べてJリーグ人気に黄信号が灯り、サッカー・ブームそのものは若干下火になっていた。しかし地元でのW杯開催ということもあり、開催中は空前の盛り上がりを見せた。トルシエ監督率いる日本は稲本／小野／森島らが活躍し、ベルギーとロシアを粉砕してグループ1位で初の予選リーグ突破。決勝ではトルコに0-1で惜敗し、ベスト16。共催の韓国は初めてベスト4に進出している。<br />前回大会は&#8217;06年ドイツ大会。F1ではフェルナンド・アロンソがルノーと共に2連覇を成し遂げた年。サッカー日本代表、監督はブラジルの&#8221;白いペレ&#8221;ことジーコ。メンバーには中村（俊輔）／中沢／三頭主／宮本らが加わった。が、2敗（オーストラリア、ブラジル）1分け（クロアチア）で予選リーグ最下位敗退。この頃には海外で活躍する日本人選手が増えて来てはいたが、逆にJリーグ参戦中のメンバーとのチグハグさも目立っていた。結果的にはこの惨敗で国内サッカー人気は更に落ち込み、その後の金融危機なども相まってJリーグは窮地に追い込まれた。<br />そして今年、大会直前の親善試合で連敗を喫したニッポン代表は、サポーターのみならず、マスコミや普段サッカーを眼にしない層からもボロクソに言われ、予選リーグ全敗必至の覚悟をしたかのようなムードの中、予選リーグが始まった。脳梗塞で倒れたオシムに変わって再び代表チームの指揮を取る岡田監督、&#8221;本田の1トップ&#8221;という&#8221;実戦経験の乏しい布陣&#8221;で試合に望み、第1戦カメルーンを1-0で撃破、第2戦オランダ戦は0-1で敗れたものの、第3戦デンマーク戦を3-1で1次リーグ2位突破。日本中がこの&#8221;予想だにしない活躍&#8221;に歓喜し、深夜のTV観戦による時差ボケの会社員を多数生んだ。結局ベスト16で終わったが、決勝リーグ初戦のパラグアイ戦も延長120分間をスコアレス・ドロー、最後はPKという立派な結果でW杯を終えた。</p>
<p>&#8230;..そして、開催前にあれほどまでに岡田監督と代表チームをボロクソにけなしていたサポーターとマスコミは途端に彼らに詫び、一転賞賛の言葉を贈った。それも当然、と言えるほど予想外の活躍／結果だったことは事実だが、筆者は如何にも日本人的な国民性による現象だと痛感したのである。<br />まず、面白いのはこの1ヶ月間のweb上での動きである。タレント／著名人／一般人を問わず、彼らのブログやツィッターは連日W杯のネタで溢れ帰っていた。もちろん、普段はサッカーのことなど気にもかけず、例えば前回大会の優勝国が何処なのかも、今年の天皇杯の優勝チームが何処なのかも、エース本田の所属するチームの名前も知らない人達が持論を武器にここぞとばかりにサッカー論をまくしたて、他国との戦力分析比較まで行っていた。ちなみに、アタリマエだが&#8217;10年W杯はこれで終わりじゃない。が、恐らく日本代表が姿を消したこのタイミングで、国内のサッカー熱はまたも4年間の下火時代に向うのだろう。そして、多分2週間もすれば多くの人が「何つったっけ、点獲った金髪のヤツ」になってしまう。</p>
<p>&#8230;..とまあ、タイムリーにサッカーW杯を取り上げてこうして書いている筆者自身、典型的日本人なのかも知れない。いや、むしろweb上で持論を繰り広げているタチの悪いトーシロー、という意味じゃ、もしかして少なくとも&#8221;F1&#8243;というカテゴリーじゃ筆者が一番酷い例かも知れないね！。で、筆者は見続けること、愛し続けること、そして求め続けることでこうして居場所を得ることが出来た。これがごくたまにだけ、それも皆と同じタイミングで「いや〜、最近アレ流行ってるよね〜」なんて書いてもこうはなりっこないし、もちろん見る側にだって情報を選ぶ権利がある。そんな時、&#8221;知ってる人の解りやすい解説&#8221;が実は最もありがたい存在で、例えば&#8217;80年代後半からの日本・F1ブーム黎明期には、フジテレビの中継に於いて今宮純氏が見事にその役を務めた。で、その奥に、もっと難しい、マニアックな部分を伝える川井一仁氏がいる。こういうバランスが「もっと知りたい」という興味を持った層に訴え、彼らが書店に情報を求めた時、そこにはGPXという素晴らしいF1専門誌と名編集長がおりましとさ、という仕組みである（&#8230;..）。つまり、ブームの裏にはちゃんとした仕組みがあって、それ故一般のファンと&#8221;エンスージアスト&#8221;のような（ま、解りやすく言えばマニアとかオタクね）との境界線を生み、バランスが保たれて行くワケだ。<br />さて、今回のW杯の加熱ぶりは例えば本当にサッカーを愛し、日頃から応援して来ている人達にはどう捕らえられてのか。筆者にもっとも近しいサッカー・マニアの友人の言葉は「ま、『オマエらに何が解る！？』って感じ」だそう。確かに。きっと彼は開催前の岡田監督の苦悩も俊輔の葛藤も理解した上で、代表チームが素晴らしい試合をしてくれることを信じていた。そこに、普段のことを何も知らない連中が「ダメだこりゃ。岡田クビ！」だの「そんなやったことない戦術で上手く行くワケない」なんて言われたらそりゃタマラないだろう。それは当事者本人にも言えることで、精神的にナーバスな時期に無礼なレポーター／記者達の心ない突っ込みに当人も冷静に対応。が、それで結果的に一同に「ゴメンナサイ」と言わせた彼らは本当のヒーローなのである。</p>
<p>&#8230;..さて、ようやく今回の本編（爆）。<br />去る6月24日、そのサッカーW杯で熱狂する日本のメディアに、珍しくF1の文字が眼に着いた。「元F1レーサー鈴木亜久里さんに16億円返済命じる」&#8230;..何のことかと言うと、&#8217;06年に発足し、&#8217;08年シーズン序盤で撤退したF1チーム、スーパーアグリF1チームの代表であった亜久里氏と&#8221;エー・カンパニー&#8221;に対し、ばんせい山丸証券がスポンサーの未払いによる損害額（16億2000万円）を支払うよう訴訟を起こし、東京地裁は請求額の支払いを命じたのである。<br />ま、オレが誰の味方だって言ったら亜久里さんの味方に決まってるので、今回の文章は決して世間的に公平なものとは言えない。ハッキリ言って、この件で&#8221;ばんせい山丸証券&#8221;という名前を嫌いになりかねない。何故ならF1にオール・ジャパン構想と共に挑戦したひとりのサムライの夢に、&#8221;スポンサー・シップ&#8221;という枠で関わるのは&#8221;夢を買う&#8221;ことあり、本来憎むべき、逃げ出した某スポンサーは別としても、そこに力を貸そうと立ち上がってくれた関係者から、後々になってカネのハナシが出て来ちゃうことにゲンナリなのである。もっともこの件でばんせい証券も多大なる被害を被っているのは確かだが、こうした動きにヨーロッパとの共通点と相違点を見い出し、複雑な想いでニュースを見ていたのは筆者だけではないだろう。<br />が、それこそこんなことでもなきゃ&#8221;F1絡みのニュース&#8221;が誌面を飾ることはない。最近最も目立った1面トップ記事は&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタF1撤退</font></a>&#8220;。そこまでの規模ではないにしても、次に記憶にあるのは&#8221;ブリヂストンもF1撤退へ&#8221;。ついでに次を選ぶなら&#8221;<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダF1撤退</font></a>&#8220;であり、要するにそこにポジティヴなニュースなんてものはこれっぽっちもなく、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>（ザウバー）がワースト・グリッド・スタートから世界王者ブチ抜いて最終ラップまで攻めて殊勲の7位入賞した、なんていう記事はよっぽど注意してないと見つからない。が、これまた当たり前のことだが、彼らの仕事は&#8221;ニュースの配信&#8221;である。よって、その優先順位は&#8221;ニュースであるか否か&#8221;、つまり、その記事はどれだけの人間の興味を引くことが出来るのか、である。従って、多くのジャンルが混在するメディアに於いて中心となるのはタイムリーで皆が知りたがっていることの詳細を、どれだけ早く届けられるか、ということになる。例えば亜久里氏のニュースの場合、これは&#8221;F1&#8243;が主体なのではなく、&#8221;著名人が多額の支払いの裁判に負けた経済ニュース&#8221;であると考えるべきである。<br />サッカーW杯も、本田がニッポン代表としてW杯でゴールを決めたのは&#8221;ニュース&#8221;、今後CSKAモスクワで豪快にゴールを決めたとしても、国内の新聞の1面トップを飾ることはないだろう。それが&#8221;本田&#8221;が主体ではなく&#8221;W杯日本代表&#8221;というタイムリーなニュース、という捉え方の違いなのである。</p>
<p>&#8220;モータースポーツの話題はネガティヴな話題ばかりだ&#8221;&#8230;..近年、そんな声を良く耳にする。おそらく、&#8217;90年代の空前のF1ムーヴメントと比較しての印象なのだろうが、それは決してモータースポーツに限ったことなどではない。モータースポーツ・ファンの我々がそう感じるように、多くのジャンルのファンもまた同じようなジレンマを抱えているのである。<br />筆者がこの<a href="http://www.f1-stinger.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">STINGER</font></a>で<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチ</font></a>を始めるにあたり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/yamaguchi_masami" target="_blank"><font color="#ff00ff">村長・山ちゃん</font></a>からお願いされたのは「F1と音楽業界との架け橋になって欲しい」ということ。それ以前にも、筆者側から音楽イベントでF1トークをお願いするくらいの仲だったので、そりゃま堂本君みたいにはなれないけど（笑）頑張りましょう、ということでこうして書き始めた。よって、筆者のスタンスは当然プロのモーター・スポーツ・ジャーナリストの方々とは観点も違えば表現も違う。かつて今宮氏が&#8221;英語をカタカナに&#8221;、脇にいる実況の古館伊知郎氏がハイテク装備の中で表情も見えないヘルメットの中に求めた&#8221;人間実況&#8221;。その解りやすさは素人から見ればありがたく、しかしある意味で専門家からは少々複雑に捕らえられていた。「そんな簡単なことじゃないのに」&#8230;..こうした葛藤は何処にでも存在する。<br />今回のW杯報道で言えば、俊輔を降ろしてまで1トップに据えた本田の良いところ、遠藤と松井の頼もしさ、闘莉王と中澤の高さ、長友の運動量の豊富さ、更に川島の鉄壁の信頼性と最終兵器岡崎、なんてハナシをすると、日本代表チームにはこれっぽっちも隙がない。もしかして優勝してもおかしくないんじゃないか、と言えるほどの戦力に見えて来る。が、そこで誰かが「ところで、対戦相手のオランダはどんなチームですか」と聞いた瞬間、彼らは悲しい現実を伝えなきゃいけない。そして同時に「でも、きっと彼らはやってくれます。信じましょう！」としか言えなくなってしまう。でも、そこで「というワケで勝ち目はないですね」という、本来真実に近いであろうひとことは日本のメディアには登場しない。同時にそれはニュースでもない。如何に興味を持って貰うか、の視点は&#8221;希望&#8221;という位置に属するものであり、相手が観たくなるような内容でなくてはならない。<br />そうした中に時折登場する、F1に於ける&#8221;残念なニュース&#8221;。が、当然これはF1に限ったことではなく、「F1やモータースポーツは悪いニュースばかりが取り上げられる」という味方は、全てのジャンルに於いて起きていることがF1ファンに目立って捕らえられてるだけの現象である。金融危機以降、多くの企業からスポーツ部門の廃止／撤退が続き、名門と言われるチームが続々と姿を消して行った。それはバレーボールやアイスホッケーなどのオリンピック競技種目にも及び、戦力強化を目論む当事者達とのギャップは深まるばかりとなって行く。これでは当然明るい未来など得られるわけもない。が、F1には少なくとも可夢偉という希望の星がある。MLBで活躍するイチローや松井同様、世界の中の&#8221;ニッポン代表&#8221;としての注目度が存在するだけ、もしかしたらラッキーなのかも知れない。</p>
<p><a href="http://www.kasetatsuya.com/so_iya021.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">先日行われた筆者主催の音楽イベント</font></a>では、単純に言って「近頃落ち込んでるF1人気、でも今、可夢偉という将来有望な若者が頑張ってるから応援しなきゃ。TV観てみてよ、面白いから！」というコーナーを行った。もちろん集まってる人達は音楽ファンがメインなので、こうした&#8221;付加物&#8221;には興味も示さない人が多数。が、そんな中にもちゃんと気にしてくれる人がいて、直後に行われた第6戦モナコGPを観て「面白かった」とレスポンスを頂いたし、オレのファンの中にはそれまで全く興味がなかったのが、筆者の影響で自身のブログで可夢偉の活躍を伝えてくれるようになった人もいる。<br />つまり、それは今回のメディア／一般人も含めて加熱したW杯絡みの報道／取り上げ方そのものと同じ現象である。新聞／TVといった限定された一方通行時代から、個人のウェブサイトやブログなどによる主観的アイテムが混在するwebではプロ／アマ問わず、正論／持論問わずの情報が溢れ、時にはやんわりとオブラートに包まれた報道より、一個人のストレートな意見が支持されたりすることもある。検索結果は嘘をつかない。多くを取り扱い、そこに売上が求められる新聞や雑誌ではなく、何の責任も損得の存在しないプライベートな空間に興味あるアイテムが存在したりする。それが現代メディアの特徴なのである。<br />なので、言っちゃえば良いのだ。「いや〜、今年のF1最高に盛り上がってるね！」と。筆者にとってはそれは事実。だから堂々と言える。それで筆者のコラムが検索結果の上の方に来てれば「ああ、F1盛り上がってんだ」「F1って何？」という人が増える。そんで良いじゃないか。鈴木亜久里16億円支払い？、それは確かに&#8221;事実&#8221;で&#8221;ニュース&#8221;かも知れないけど、少なくとも&#8221;売り&#8221;ではない。</p>
<p>そう言えば先日、ニュージーランド在住の方からメールを頂いた。息子さんがカート・レースに出ているという彼は、筆者の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_78.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴木亜久里コラム</font></a>を読んで「白人の中で如何にして日本人が闘って行くかの参考になった」と感謝の言葉を送ってくれた。&#8230;..感謝するのはこちらの方です。これで息子さんのカート・キャリアに何か役に立てたら、それは最高な出来事。こんな風にしてweb情報が世界中を巡り、様々な情報から自らがチョイスする。そんな時代に本当の意味でメディアの必要性が問われている。少なくとも、16億円のニュースを息子に教えようとは思わないよね。</p>
<p>&#8230;..結局筆者が今回何を言いたかったのかと言うと、書き方や在り方は本来人それぞれで、もはや正論以外に、影響力を持つカリスマ（筆者じゃないよ！）による極論が正論に迫る勢いでメディアを駆け回っている時代だという事実である。で、うかうかしていられないのはプロの皆さんである。アレは書いたらマズイな／これは書かないとな、という葛藤の中で、そんなこと何〜にも考えてない一般人が核心を突いて来た時、「確かにそりゃそうだけどさ」と言ってたら負けなのである。そして、その激突は最終的に&#8221;モラル&#8221;というデリケートな部分に発展する。当然取材も行わず、自らが眼に／耳にした報道を総合した上で書かれた一般人の意見には確たる根拠がない。証拠は？と言われたら「あそこに書いてあった」「TVで言ってた」になる。そのモラルが崩壊した時、メディアの存重要性は終焉を迎えてしまう。少なくとも某巨大掲示板サイトを代表とするwebでの近年の展開は、報道に対する概念に大きな影響を与えている。もちろんこのままでは危険だ。しかし、大手メディアでは本来取り上げられないようなジャンルの情報を手に入れるために、これほど便利な時代はこれまでなかった。しかし、人々の欲求に応えた結果、過渡期を迎えるのは仕方がないことなのである。<br />&#8230;..と、一方通行のトーシロー・コラムの筆者は思う（&#8230;..）。</font></p>
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			</item>
		<item>
		<title>レッドブル・スタイル</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 13 May 2010 11:50:12 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>このところの勢力図を見ていれば、どうやら巨大自動車メーカーによるF1チーム先導時代は終焉を迎え、かつてのような（厳密には決して&#8221;かつて&#8221;ではないが）コンストラクターF1先導時代がやって来ることは間・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">このところの勢力図を見ていれば、どうやら巨大自動車メーカーによるF1チーム先導時代は終焉を迎え、かつてのような（厳密には決して&#8221;かつて&#8221;ではないが）コンストラクターF1先導時代がやって来ることは間違いないようである。とは言え、フェラーリは相変わらず今後もF1に君臨し続けるだろうし、ルノーだってこの先エンジン・マニュファクチュアラーとしてF1に生き残る可能性はある。ただ、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">以前にも記した</font></a>ようにメルセデスに関してはどう考えても&#8221;勝ち逃げ目的&#8221;がチラホラ見え、良い時／オイシイ時にプライベート・チームを買収しようとしたのは間違いない。<br />&#8217;10年現在、純粋な自動車メーカー参戦と言えるのはフェラーリだけ。ルノーはジェニィ・キャピタルによる買収劇でルノーを名乗る別チームであり、今季復活の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>はマレーシアの億万長者、トニー・フェルナンデスによる名称使用。<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>は&#8221;マクラーレンF1&#8243;というやや特殊な市販車の存在により、自動車メーカーと言えば確かにその通りだが、あくまでもレーシング・カー・コンストラクターである。で、その他のチームを見て行くと、チーム・オーナーの個人名がチームになってるのが<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウィリアムズ</font></a>であり、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ザウバー</font></a>である。しかし当然プライベーターなので資金繰りは苦しい。で、その他のチーム名に眼を向けると、</p>
<p>□レッドブル<br />□トロ・ロッソ<br />□フォース・インディア<br />□ヴァージン<br />□ヒスパニア・レーシング</p>
<p>という状況。レッドブルはドリンク・メーカー、トロ・ロッソは後述するがその姉妹チーム。フォース・インディアはインドの大富豪ヴィジェイ・マルヤのペライベート・チームだが、名称は個人名ではなく&#8221;インド代表&#8221;的な意味合い。ヴァージンも大富豪リチャード・ブランソンの持つ会社名、ヒスパニアはスペインの元F1ドライバーである個人名&#8221;カンポス&#8221;（エイドリアン・カンポス）だったが、最後に出資した人物が付けた新名称（ヒスパニアは純スペイン、の意）。こうして見ると、やはり財源を持った究極のレース好きが運営するのがF1チーム、と言える。そうなればF1では天下のフェラーリとのギャップが果てしなく大きく感じるが、それを経験と実績、歴史によって覆した究極のコンストラクターがマクラーレン、と言えるだろう。<br />ひとつの例を見てみよう。<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">大失敗して逃げ出したホンダ</font></a>と、巨額を投じて買収したメルセデス、その間のたった1年間にWタイトル獲得という奇跡を成し遂げた<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/post-14.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブラウンGP</font></a>は、その名の通りあくまでもロス・ブラウン個人のプライベート・チームだった。筆者は最終的にメルセデスが数年以内にF1を撤退する可能性が限りなく高いと予想しているのだが、F1は彼らの戦績と世界経済が安定する、というよっぽどのことがない限りは継続不可能なプロジェクトである。そして最終的にメルセデスがF1を投げ出す時、チームが再びブラウンの私物となる可能性はあるだろうか？。ブラウン自身がいったい何を目的として&#8217;09年に個人でチーム運営を行ったのかは定かではないが、撤退して行ったホンダの置き土産である優秀なシャシーと、ライバルに対して圧倒的な速さと信頼性を見せたメルセデス・エンジンによって齎された奇跡的な偶然であることは承知の筈である。そして今後のF1コンストラクター時代の魁けとして選手権を完全制覇して見せ、たったの1年で巨大自動車企業メルセデス・ベンツへとチームを売却。現在もテクニカル・ディレクターとしてメルセデスGPに君臨するブラウンは、今後再びチームをブラウンGPとする可能性を充分に持ち合わせている、と言える。が、そのためには&#8217;09年にヴァージン・グループと行ったような小さなスポンサー契約では確実に不可能であり、今それを証明してみせようとしている存在が&#8221;レッドブル&#8221;なのである。</p>
<p>レースという分野に於いてレッドブルのロゴを見かけないことは、ほぼ有り得ないと言えるだろう。モトGP／WRC／そして&#8221;空のF1&#8243;ことエア・レースなど、様々なカテゴリーに進出し、活躍しているこのエナジー・ドリンク・メーカーが、遂にF1の頂点に限りなく近づいて来た。昨年ブラウンGPとの選手権争いに敗れたレッドブルだが、今季はここまで6戦全てでポール・ポジションを獲得、決勝レースでの信頼性にまだまだ不安が残るものの、既にグリッド上での最速マシンの称号は完全に手中に治めている。</p>
<p>レッドブルは元々タイの栄養ドリンク・ブランドで、1984年にオーストリア人の実業家であるデートリッヒ・マテシッツがその世界販売権を獲得、以降アジアを中心としたビジネス展開を行って来た。マテシッツが来日した際「日本の<a href="http://www.taisho.co.jp/lipovitan/" target="_blank"><font color="#ff00ff">リポビタンD（大正製薬）</font></a>の味に多大なる影響を受けた」と告白したのは有名な話である。マテシッツ／レッドブルのマーケティング展開は独創的である。TVCMは辛口のクールなギャグを使ったアニメーションで統一され、広告面では&#8221;エキストリーム・スポーツ&#8221;と括られるスピードの頂点を争う競技に着目。これはもちろん栄養ドリンクとしての最大メリットを活かす形なのだろうが、現在のレッドブルの露出度は前述のようにレース分野のスポンサー企業の第一人者と言っても過言ではない。<br />そんなレッドブルがF1に関わったのは&#8217;95年、ザウバー・チームのメイン・スポンサーとなってF1に進出。その後&#8217;02年にはアロウズをスポンサード。&#8217;04年にジャガーがF1を撤退することを決定すると、レッドブルがチームごと買収、&#8217;05年からレッドブル・レーシングとして遂にF1チーム運営に乗り出したのである。<br />&#8230;..客観的に見て、ここまではF1と大企業にまつわる&#8221;良くあるハナシ&#8221;である。大抵この手の計画は理想とかけ離れた結果と巨額の負債により頓挫し、いつしかチーム売却を繰り返す運命にある。が、レッドブルは違った。彼らがどれだけ本気なのかはこの後の動き全てが物語っているのである。</p>
<p>&#8217;05年、国際F3000のアーデン代表だったクリスチャン・ホーナーをチーム代表に任命、レッドブルRB01・コスワースはマクラーレンから移籍のトップ・ドライバー、デビッド・クルサードをエースに、ジャガーから残留のクリスチャン・クリエン、更にレッドブル・グループのスカラシップ・ドライバーで国際F30000王者のビタントニオ・リウッツィの3人という布陣でスタート。またカナダ／アメリカの北米連戦ではアメリカ人ドライバーのスコット・スピードを起用。こうしたマーケティング中心のチーム運営の反面、チームは意外なほど順調に機能し、最終的に34ポイントを獲得してコンストラクターズ・ランキング7位となる。決して冷やかしではない、レッドブルとマテシッツの本気度合いが見て取れるシーズンだった。<br />2年目の&#8217;06年、レッドブルの本気度合いは更に深まることとなる。レッドブルはフェラーリとのエンジン供給契約を成立させ、しかも現在F1で確実にトップ・デザイナーである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_03.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・ニューウィー</font></a>をチーフ・テクニカル・オフィサーに起用。第7戦モナコではエースのクルサードがチーム初の3位表彰台を獲得し、2年連続でコンストラクターズ7位。同時にこの年、イタリアの万年F1最下位チームと言われたミナルディを買収、スクーデリア・トロ・ロッソとしてレッドブルのジュニア・チーム運営に乗り出した。同一オーナーが複数のチームを所有するケースは過去にも存在するが、マテシッツはこの2チームを&#8221;ほぼ同じカラーリング&#8221;で走らせ、あたかもレッドブル車がトラック上に4台存在するかのような現象を生み出した。またシャシー開発は当時のレギュレーションでレッドブルが2チーム分を設計出来たが、後にこれは廃止される。しかしドライバー布陣も若いレッドブルのスカラシップ・ドライバー達にチャンスを与え、好成績を治めた有望なドライバーはAチームのレッドブルへの昇格のチャンス、というスタイルで2チームを運営したのである。<br />翌&#8217;07年、レッドブルはフェラーリとのエンジン供給契約をBチームであるトロ・ロッソへと移譲。Aチームのレッドブルは新たにルノーとの契約を締結した。ドライバーには<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>が加入、第10戦ヨーロッパGPでは3位表彰台を獲得、チームは計24ポイントを獲得してコンストラクターズ5位まで上昇。一方フェラーリ・エンジンを与えられたBチームのトロ・ロッソには、BMWザウバーで衝撃的なデビューを飾った若き<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>が加入、早くも活躍を見せ始めていた。<br />&#8217;08年、レッドブル・グループにとっては嬉しい珍事件が起きる。豪雨に見舞われた第14戦イタリアGP、レッドブル・グループによる念願のF1初優勝は勝利の布陣を揃えたAチームではなく、Bチームであるトロ・ロッソ・フェラーリを駆るヴェッテルによって齎されたのである。しかもチームの前身であるミナルディの歴史を考えてもこれはあまりにも特別な事件であり、ヴェッテルは翌年からのレッドブル／Aチーム昇格が約束された。本家レッドブルはまたしても最高位3位（第7戦カナダ／クルサード）で初勝利に届かず、ここまで最高の29ポイントを獲得するもランキングは7位。結局ここまでチームを引っ張って来たエースのクルサードが現役を引退（チームにはアドバイザーとして残留）、&#8217;09年のレッドブルはヴェッテル／ウェバーの布陣で選手権に望むこととなった。</p>
<p>&#8230;..&#8217;09年、レッドブルの計画は順調だった。が、ホンダの撤退により誕生したブラウンGPというひとつの奇跡により、レッドブルの夢は打ち砕かれることとなった。第3戦中国GP、ヴェッテルは前年／トロ・ロッソでの初優勝の時と同じように雨を味方につけ、レッドブルに初勝利を齎した。が、シーズン前半の6戦でブラウン／ジェンソン・バトンが5勝。この時点で選手権は事実上終わっていた。ここからレッドブルとヴェッテルは奇跡的な追い上げを見せたが、届かなかった。しかしヴェッテル4勝／ウェバー2勝、コンストラクターズ・ランキング2位の成績は、次のシーズンへの準備が完全に整ったことをも意味する。選手権を闘いながらも翌年のマシン開発にも手を抜かず、全てをコントロールするために必要なものは既に揃っていた。野心家のマテシッツ、そして異端児ホーナーとニューウィーの引っ張る6年目の新チームは、短期間で行えること全てを効率良く行い、&#8217;10年シーズンの世界制覇へ向けてスタートしたのである。</p>
<p>レッドブルとF1との関わり方を見て、筆者が最も近いものを感じるのは&#8217;80〜&#8217;90年代にかけてF1を巨大マーケティング市場としたアパレル・メーカー、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>のスタイルである。<br />彼らもやはりF1のスポーティーなイメージと自らの企業戦略との関わり合いにより、マシンを自社イメージに染めるメイン・スポンサーとしての活動からチーム買収、そして最終的には世界選手権制覇、という構図である。もちろん多くの企業が同じ目標を持ってF1にチャレンジしたが、その多くは挫折し、前述のようにチームが次々と売却されて行った。しかしベネトンはそのイメージ戦略のみならず、レースでの勝利と選手権に対し&#8221;本気&#8221;になった。それが&#8217;94年には遂に形となるが、その際のチーム布陣は<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>、ロス・ブラウン、そしてロリー・バーン、である。更に翌&#8217;95年には、ウィリアムズに独占供給状態だった当時最強のルノー・V10エンジンを搭載、念願のWタイトルを獲得してみせた。つまり、ベネトンは最強の人材と道具を揃えるために&#8221;金に糸目はつけなかった&#8221;のである。もちろんそれが永遠に続くことなど有り得ないのだが、ベネトンは実にチームとして&#8217;86年から&#8217;01年までF1に君臨した。これは、少なくともひとつの巨大アパレル企業がちょっとしたマーケティングの成果、として出した結果ではない。明らかにレース／F1に対して本気で取り組んだ結果であることは、全参戦チーム中最高の予算を使って8年間で1勝も出来ずに撤退した何処かの巨大自動車メーカーを見れば良く解るだろう。</p>
<p>レッドブルのオーナーであるマテシッツは、F1の関係者の中でも相当に裕福な人物である。1944年5月20日、オーストリア・シュティリア出身。ビジネス・マンとしては大学卒業に10年間を擁した遅咲きのマテシッツだが、ドイツの化粧品メーカーに勤務中に訪れたタイで出逢った栄養ドリンクの存在がマテシッツの人生を変えた。自らの時差ボケ対策に欠かせなかったこのドリンクはマテシッツの新ビジネスを成功させ、持ち前の大らかさで会社を急成長させて行った。現在年間33億円の売り上げを誇り、市場40パーセントのシェアを持っている。「愚か者は愚か者と呼べ」がマテシッツの座右の銘。滅多に人前に姿を現すことはなく、レースももっぱらTV観戦である。<br />チーム監督のホーナーはアーデン時代から冷静な管理能力が高評価されているが、F1に於いてもその立ち位置は変わらない。筆者が<a href="http://www.f1-stinger.com/magazine/index.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">STINGER-magazine・vol.2</font></a>でも紹介した通り、レース中のホーナーの冷静な表情は常にピット・ウォールに於けるチームの緊張感を象徴している。しかし勝利を確信した際に見せる安堵の表情もまた魅力的であり、ありし日の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランク・ウィリアムズ</font></a>を彷彿とさせるかのようだ。そしてテクニカル・ディレクターは天下のニューウィーである。つまり、一見冷静だが野心に満ちた首脳陣が、この&#8221;赤い猛牛&#8221;を支えているということ。そして若き天才ヴェッテルとソツのないウェバーを擁し、今度こそ悲願の選手権制覇を目指しているのである。</p>
<p>モーター・スポーツ、ことにF1のような大きな広告活動は何処のメーカーにとっても巨額のマーケティング支出を必要とする。レッドブルの&#8217;08年の&#8221;F1支出&#8221;は7,900万ポンド（約109億円）だった。これには翌&#8217;09年用のマシン、RB5の開発費用も含まれているが、その&#8217;09年（選手権2位）の同社の総売上は30億ポンド（約4,100億円）、税額控除後の税引後利益は僅か47万ポンド（約6,500万円）&#8230;..レッドブルにとってF1が高いのか安いのか、それともそんなことはどうでも良いことなのか。<br />F1のパドックでは未だ新参者の部類であるレッドブル、しかし彼らがF1に齎すものもまた大きい。パドックやスタンドで配られる&#8221;レッドブリテン&#8221;というフリー・ペーパーは特に斬新で、一見チームの公式リリースかのように見えて実は冗談が満載、という言わば自家製タブロイド誌、である。例えば今年からWRC／レッドブル・チームに移籍した<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>に「F1での9年間で最も印象に残った想い出は？」と問い、その答は「スノー・モービルで遊んだこと」。こんな冗談を、独自の緊張感で溢れるパドックでニコニコと配るレッドブルのスタイルそのものが斬新、と言える。<br />レッドブルが勝利すると表彰台で流れるのはチーム国籍のあるオーストリアの国歌である。が、よりによってチーム初優勝の&#8217;09年第3戦中国GPで、勝ったヴェッテルのドイツ国歌に続いて流れて来たのはレッドブルの本拠地のあるイギリス国歌だった。以来、レッドブルが勝った際「今日は何処の国の国歌が流れるんだ？」と揶揄する者も多い。姉妹チームのトロ・ロッソはイタリア・チームであり、アジア発のエナジー・ドリンクの印象の強いレッドブルは確かに国籍不明のグループなのかも知れない。が、もしかしたらそれは現代のF1に於いてはある意味常識的なことであり、武器ともなる要素である。</p>
<p>「F1はまた更なるマニュファクチャラーを失うかも知れない」ホーナーは現在のF1が於かれた状況を冷静に分析する。「FIAはエンジン規約の全てを握っている。彼らの目的は性能差を縮めることだが、シャシーの開発は非常に厳しく、エンジンの役割が非常に重要なんだ」レッドブルは昨年ルノー・エンジンの信頼性に泣き、そしてルノーの去就に振り回された。デザイナーのニューウィーを初め、レッドブル側が最強のメルセデス・ベンツ・エンジンを欲しがっていたことは周知の事実である。<br />マテシッツ自身も「ルノーの未来は少々不安だ」と言う。「確かに彼らはF1に残ったが、それは長期的なビジョンではない。それが我々には少し心配だ」コスワースの復帰により4社（メルセデス／フェラーリ／ルノー／コスワース）となったF1エンジン市場だが、レッドブルのようなコンストラクターにとって泣き所となるのがこの大きな部品&#8221;エンジン&#8221;なのである。</p>
<p>&#8230;..&#8217;09年10月6日、第15戦日本GP。夕闇の鈴鹿を独走するヴェッテルのレッドブルRB5・ルノー。そのリア・ウィングに描かれた&#8221;Gives You Wings&#8221;の文字&#8230;..。<br /><a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/gp-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">昨年このコラムにも書いた</font></a>が、多くの自動車メーカーがF1を去って行く中で「君に翼を授けよう」とメッセージをくれたレッドブルは本当に逞しく、美しかった。ヨーロッパ資本のF1社会に於いて、成り上がりのビジネスマンが巨大自動車メーカーを倒す構図。&#8230;..それは、もしかしたらかつて<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロン・デニス</font></a>やフランク・ウィリアムズ、いやエンツォ・フェラーリが目指したことと同じなのかも知れない。少なくとも、サラリーマン感覚の日本人が憧れることはあっても、もはや目指せるものではないのだろう。</p>
<p><i>「GIVES YOU WINGS（翼を授ける）」／レッドブル</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%ac%e3%83%83%e3%83%89%e3%83%96%e3%83%ab%e3%83%bb%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%a4%e3%83%ab/">レッドブル・スタイル</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>F1遺伝子</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/f1%e9%81%ba%e4%bc%9d%e5%ad%90/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 11:17:58 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>いよいよ目前に迫った&#8217;10年シーズン開幕。なんでも、F1世界選手権60周年記念イベント、としてバーレーンに&#8221;存命中の歴代チャンピオン・ドライバー全員（20名）&#8221;をゲストに招こう、という・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">いよいよ目前に迫った&#8217;10年シーズン開幕。なんでも、F1世界選手権60周年記念イベント、としてバーレーンに&#8221;存命中の歴代チャンピオン・ドライバー全員（20名）&#8221;をゲストに招こう、という計画があるらしい。ただし、F1浪人となりWRCへ転向したばかりの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>（&#8217;07年王者）と、昨年息子の&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クラッシュ・ゲート事件</font></a>&#8220;で少々人前に出づらい<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>（&#8217;81、&#8217;83、&#8217;87年王者）のふたりからは出欠を知らせる通知が返って来ていないらしく、残念ながら全てのチャンピオンが揃うことは難しそうではある。が、この試みはとても素晴らしいことだ。</p>
<p>その60年に及ぶF1史の中で、&#8221;ベスト・ドライバー&#8221;を選出するのはもちろん極めて難しいこと。何故ならそこには年月というリアル・タイム・ユーザーの幅が存在し、またレギュレーションを含めた&#8221;在り方&#8221;そのものにも大きな変化があるからだ。が、マシンを操るのが容易な時代だとか、逆にドライバーがマシンよりも重要だとかいう論議を年代別に始めるのは最も愚かなことであり、ドライバーは成績／印象／キャラクターという、あくまでも&#8221;個人&#8221;としての評価によってベストだったかそうでないかを問われる。ならば、全ての時代に於いてベスト・ドライバーに必要な要素は同じといって良い。逆の言い方をすれば、例えば「ファン・マヌエル・ファンジオの時代はライコネンの時のようなハイテク・マシンじゃなかったからファンジオの方が上」なんて言うのが最もナンセンス。同時に、ファンジオのリアル・タイム・ユーザーが&#8217;07年のF1を正当評価出来ないのはやむを得ないが、眼の前でライコネンのオーバー・テイクを観た人間が、知らないファンジオよりもライコネンの方が上だと言うのもまたやむを得ない。したがって、この60年間のどの世代にとっても、ベスト・ドライバーは本人にとって印象的なリアル・タイム・ドライバー、となる。そしてそこには既に親子2代以上の年月が存在する、ということでもある。</p>
<p>この10年間だけで、デイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴ、マーカス・ヴィンケルホック、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケJr</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>と6名の&#8221;二世ドライバー&#8221;がF1を走った。ちょっと年季の入ったファンの方なら、デビッド・ブラバム、クリスチャン・フィッティパルディやマイケル・アンドレッティらも覚えているだろう。筆者は残念ながらジャック・ブラバムとデイモンの父、グラハムの時代は知らない（グラハム・ヒルは&#8217;75年11月没。ブラバムはホンダのイベントでなら！）が、他は幸いにも父／息子共にその走りをリアル・タイムで知っている。ヴィンケルホックとフィッティパルディ家は&#8221;叔父&#8221;にあたる人物もF1ドライバーであり、更に皆さんが良く知っている名字を持つマティアス・ラウダ、ニコラス・プロスト、グレッグ・マンセルらもF1昇格を目指して闘っている二世ドライバーである。う〜ん、筆者のF1観戦歴も30年を超え、その間に相当な世代交代が起きた、ということだ。</p>
<p>&#8230;..ブルーノ・セナ。伝説のドライバー、故<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>の姉、ビビアーニを母に持つ彼が、遂にF1のグリッドにその姿を現す。F1がブルーノの叔父であるアイルトンを失って16年、もちろん既にリアル・タイムでアイルトン・セナを知らない世代が相当数いる。<br />叔父であるアイルトン・セナは&#8217;84年にF1デビューし、&#8217;94年第3戦サンマリノGPで事故死、享年34歳。その間&#8217;88、&#8217;90、&#8217;91年の3度世界王者となり、161戦41勝、ポール・ポジション獲得65回を記録。伝統のモナコGP6勝は&#8217;06年引退時の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>でも成し得なかった記録である。しかも現役時代にはプロスト／マンセル／ピケらと&#8221;四天王時代&#8221;を築き、多くの手強いライバル達を倒し、不世出の天才ドライバーと言われたブラジル人である。また、誰もが&#8217;94年イモラでの悲劇がなかったら更に勝利数／王座獲得数を伸ばし、シューマッハー時代はもっと遅かった筈、というほどの伝説の人物。既に現役F1ドライバーでセナを知る（F1で闘った、の意）のは復帰するシューマッハーと、最多出場記録を持つルーベンス・バリチェロだけであり、ルイス・ハミルトンやセバスチャン・ヴェッテルらは完全に「セナを観て育った」世代である。つまり、現在のF1に於いてセナは既にグラハム・ヒルや<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジル・ヴィルヌーヴ</font></a>同様、伝説の存在なのである。<br />そのセナの遺伝子を持つレーサーが、遂にF1へとやって来る。が、その道程は決してその&#8221;ブランド名&#8221;のように光り輝いていたわけではなく、多くの困難に打ち勝ち、ようやく手にした座だと言える。</p>
<p>ブルーノ・セナ・ラリは1983年10月15日、ブラジル・サンパウロにて実業家であるフラヴイオ・ラリと、伝説のF1ドライバー、アイルトン・セナの姉ヴィヴィアーニとの間に生まれる。ブルーノが生まれた頃、叔父アイルトンはイギリスF3王者となり、トールマンとの契約を済ませ、まさに翌年F1デビュー、という時だった。そんな環境で育ったブルーノは幼い頃からモーター・スポーツに大きな感心を寄せていたが、特別に早い時期からカートにのめり込むようなことはなかった。叔父アイルトンが3度の世界王者となった時、9歳のブルーノは叔父と共にカート・コースでレースをして楽しんでいた。が、そこでアイルトンはブルーノの才能に気づく。何故ならブルーノはアイルトンと変わらぬラップ・タイムで走行していたからである。しかしブルーノは母ヴィヴィアーニの言いつけを守り、学業に専念した。これはアイルトンが父・ミルトンから受けた教育と同じ理念であり、ブルーノはビジネスのための学位を取るべく学業に励んだ。しかし、その心の中は尊敬する偉大な叔父・アイルトンのようにレーシング・ドライバーとなることだった。「誰もが僕がそうすると思っていたし、事実僕自身もそれ以外のことは考えなかった」ブルーノは母からの言いつけを守りながら、叔父の活躍に目を輝かせていた。<br />&#8230;..&#8217;94年5月1日、F1第3戦サンマリノGP決勝中に叔父・アイルトンはこの世を去った。その後、今度は父であるフラヴィオがオートバイの事故で他界した。母ヴィヴィアーニは当然の選択をし、ブルーノにレースを辞めるよう告げた。「母は明らかに恐怖を感じていた。母は僕がどうすることが幸せなのか、の判断が出来なくなっていたんだ」まだ幼いブルーノは静かにヘルメットを置き、ひとりぼっちとなった母の側にいることを選択した。</p>
<p>&#8217;04年。アイルトンの没後10年が経ち、ひとりの男が動いた。アイルトンの良き友であり、チーム・メイトだった元F1ドライバー、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_68.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ゲルハルト・ベルガー</font></a>である。ベルガーはレースをしたくてウズウズするブルーノに力を貸し、ヴィヴィアーニの説得に回った。アイルトンの没後、FIAの懸命な努力によってF1のレース中に於ける死亡事故は減り、ドライバーの安全性は飛躍的に高まった。こうして既に20歳になっていたブルーノにようやくレース活動再開のチャンスが訪れ、彼はイギリス／ロンドンへと飛ぶ。<br />ブルーノはブランズハッチで行われたフォーミュラBMW選手権にスポット参戦するといきなり予選フロント・ロウ獲得の速さを見せ、ドライヴ経験のないフォーミュラ・ルノーでは初戦で2位表彰台を獲得。そして、たったこれだけのアンダー・フォーミュラ経験でブルーノは翌&#8217;05年、ライコネン・ロバートソン・レーシング・チームから伝統のイギリスF3選手権へと出場するのである。が、既に21歳となっていたブルーノにとって、それはむしろ遅過ぎるステップ・アップだった。「こんなに遅く始めて成功したドライバーなんていない、ってことは解ってる。でも、僕はレースするために生まれて来たんだ」ブルーノは自身初のF3マシンに手こずりながらも、シーズン終盤にはポール・ポジション1回／表彰台フィニッシュ3回を記録し、ランキング10位の成績を残した。<br />翌&#8217;06年はイギリスF3選手権開幕前、オーストラリアでのF1のサポート・イベントで初勝利。イギリスF3選手権ではシーズン・ランキング3位となる活躍を見せた。しかし既に23歳となっていたブルーノには、もう1年かけてイギリスF3王者を狙う時間は残されていなかった。ブルーノは&#8217;07年、アーデン・インターナショナルからF1への登竜門・GP2選手権への出場を決めた。<br />この頃になると母・ヴィヴィアーニとブルーノの姉であるビアンカがブルーノの応援に現れる。&#8230;..そう、セナ家はとうとう&#8221;諦めた&#8221;のだ。偉大な叔父・アイルトンの遺伝子を受け継ぐブルーノを、もう誰も止められない。ならば精一杯の応援をと、弟を奪ったレーシング・サーキットへヴィヴィアーニは足を運んだ。<br />ブルーノはスペインでGP2初勝利を挙げたが、選手権ランキングは8位。タイトルは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>が獲得し、翌年のトヨタF1チームのレギュラー・シートを得た。ブルーノは焦った。何故なら、彼よりも若いハミルトン（&#8217;06年GP2王者）やロズベルグ（&#8217;05年GP2王者）らが、既にF1でトップを争って走っていたからである。悲壮な決意で望んだ翌&#8217;08年、ブルーノは前年のチャンピオン・チームであるiスポーツへと移籍し、元F1ドライバーのベテラン、ジョルジョ・パンターノと熾烈なタイトル争いを繰り広げた。多くの勝利者が生まれた波乱のシーズン、モナコ／イギリスと2勝を挙げたブルーノは最終的に3勝のパンターノに9ポイント届かず、GP2タイトルを逃す。しかし、叔父アイルトンが3度の世界タイトルを獲得したホンダが、&#8217;09年シーズンに向けブルーノにF1のテスト・ドライヴのチャンスを与えた。「ようやく夢が叶った。本格的にレースを始めてまだ4年だけど、準備は整っている」ブルーノはバルセロナの合同テストでホンダRA108に乗り、印象的な走りで&#8217;09年ホンダF1チームのドライバー候補に浮上。遂にセナの名がF1に帰って来ると、誰もがその動向に注目した。</p>
<p>&#8230;..悪夢はその数週間後に突然やって来た。<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダF1撤退</font></a>。最終的にマネジメント・バイアウトでチームを手に入れたロス・ブラウンは、自らのチームに&#8217;08年同様ジェンソン・バトン／ルーベンス・バリチェロの残留を決めたのである。これによりF1へのステップ・アップが叶わなかったブルーノはやむなくル・マン24時間レースなどに参戦しながら次の機会を待った。次の機会とは、FIA会長・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マックス・モズレー</font></a>（当時）の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">パジェット・キャップ案</font></a>による新規F1チームの参入である。ブルーノはスペインの元F1ドライバー、エイドリアン・カンポス率いるカンポス・グランプリと早々と契約を結び、&#8217;09年最終戦アブダビGP開催中に&#8217;10年シーズンの契約概要が発表された。しかしこの時期、多くの自動車メーカーの撤退で揺れるF1サーカスに救いの手を差し伸べる者は少なく、このセナの冠を手に入れたカンポスでさえもスポンサー集めが上手く行かず、チームは深刻な資金難へと陥り、一時は&#8217;10年の参戦に黄色信号が灯った。「僕は生まれつきリラックスしたタイプなんだ。黙ってことの成り行きを見守るよ」最終的には投資家のホセ・ラモン・カラバンテがチームを買収、開幕直前になってカンポスはチーム名を&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2010/03/post-611.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ヒスパニア・レーシング・チーム（HRT）</font></a>&#8220;と改め、ようやくブルーノも無事F1デビューを果たすことが決定したのである。<br />ただし、ダッラーラによるHRT第1号車は開幕直前の3月5日にようやく記者発表されたが、この時点で既にFIA合同テストは全行程を終了。既にUSF1が&#8217;10年シーズンの参戦を諦めたことから、唯一&#8221;開幕戦がぶっつけ本番&#8221;のチームとなってしまった。ブルーノ自身「僕らにとって、開幕戦はテストを兼ねることになる」と認めており、HRTにシーズン序盤からの戦闘力、などというものは望むべくもない。そして混迷を経てF1デビューに辿り着いたブルーノ本人も「&#8221;セナ&#8221;だからF1に来れたわけじゃない」と自らの能力を信じる。が、F1のグリッドに&#8221;セナ&#8221;の名が帰って来るのも事実である。</p>
<p>「ホンダがF1を撤退すると発表したあと、僕には多くのオファーがあった。ル・マン参戦もそうだが、もう1年GP2を走るとか、メルセデスからはDTM（ドイツ・ツーリング・カー選手権）への誘いもあったよ。でも、長期的に何処かのカテゴリーにシートを得るのはF1参戦への妨げになると思ったんだ。今回のことでは&#8221;必要な時に必要な場所にいる&#8221;ことの大切さを学んだよ」セナは冷静だった。もちろん自身の年齢や、遅いレーシング・キャリアのスタートが齎す不安はあった筈だが、決して自らを安売りすることもなく、焦って他チームにサード・ドライバーとして売り込みに走ることもなかった。<br />「彼はとても興味深い。我々も適切な時期に彼を必要とするかも知れない」フォース・インディアのボス、ビジェイ・マルヤはホンダの撤退によってF1デビューが延期となったブルーノに眼を付けていたひとりである。「ロス（ブラウン）が何故ルーベンスを選んだのかは解らないが、ブルーノは非常に有望な若手のひとりだ」彼らは実際、&#8217;09年シーズン中に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリのフェリペ・マッサの事故</font></a>によりジャンカルロ・フィジケラがフェラーリへと移籍することとなり、既にカンポスと&#8217;10年の契約を結んでいたブルーノの起用は果たせなかった（フィジケラの代わりにフォース・インディアを駆ったのはヴィタントニオ・リウッツィ）。</p>
<p>当初、F1チームがブルーノを起用するということは、祖国ブラジルの大手企業&#8221;ペトロブラス&#8221;からの巨額のスポンサー・シップを受けられる、というメリットが囁かれていた。事実、南米系のカンポスもある程度その恩恵を期待した筈である。が、実際には当のペトロブラスは「ドライバー個人との契約には興味がない」とし、HRTのマシンにはブラジル企業として通信会社のエンブラテルのみのロゴが描かれている。またブルーノはスペインのサンタンデル銀行のスポンサードも受けていたが、彼らはフェルナンド・アロンソという現役の&#8221;スペインの英雄&#8221;と組むことを選んだ。「神に誓って、僕はペイ・ドライバー（資金持ち込みドライバー）じゃない。ただし、今季は契約金も給料もないよ！（笑）」世界不況は、不世出の天才ドライバー、アイルトン・セナの甥がF1のスターティング・グリッドに着くのをサポートすることさえ、ままならなくしてしまった。</p>
<p>実際、ブルーノが&#8217;10年の開幕戦で確実にF1デビューするという確証はなかった。今季の新規参入チームに関しては事実<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2010/03/fiausf12010.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">USF1が3月に入ってから今季の参戦を断念</font></a>、既にUSF1とドライバー契約を結んでいたホセ・マリア・ロペスが、巨額の資金を持ってカンポスへと売り込んで来た、との噂も立った。そしてそのカンポスそのものもチーム存続の危機に瀕し、参戦権を持たないステファンGPがダッラーラのマシンごとカンポスを買い取る、などという話まで出た。この騒ぎの中で当然ドライバー契約は一旦無効とされ、ブルーノのシートが安泰だとはとても思えない状況だったと言える。しかしブルーノは慌てず、余計な発言もして来なかった。自らの契約を信じ、そして今HRTのドライバーとして、F1デビューが確実になったのである。「正直、フェラーリ以外の全てのチームと話をしたよ。そして、殆どのチームが持参金として約5百万ユーロ程度を要求して来た。そして、僕はカンポスとの契約に合意した。そういうことさ」</p>
<p>&#8230;..現在まで、親子2代に渡るF1世界王者はグラハム（&#8217;62、&#8217;68年王者）／デイモン（&#8217;96年王者）のヒル親子しかいない。ヴィルヌーヴは父の果たせなかった夢を掴み、ピケは父の偉業に追いつけず、現在未だ未勝利ながらメルセデスGPへと抜擢されたニコが父<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>を越えられるか、が二世ドライバーとしての興味の現状である。<br />今季F1デビューするのはブルーノとそのチーム・メイトであるインド人ドライバー、カルン・チャンドック、ウィリアムズのニコ・ヒュルケンベルグ、ルノーのヴィタリー・ペドロフ、そしてヴァージンのルーカス・ディ・グラッシの5人。昨年途中デビューとなった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-2.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>がザウバーで3戦目、トロ・ロッソのハイメ・アルグエルスアリが9戦目で&#8221;ほぼルーキー&#8221;のような存在である。<br />そして、この一見ルーキーで若返ったかのように見えるF1グリッドに、全く同じタイミングでブルーノの叔父と闘った伝説の王者、ミハエル・シューマッハーが帰って来る。</p>
<p>&#8230;..セナVSシューマッハー。自動車レースという競技の特性上、それを今すぐ望むのは難しいことかも知れない。でも、そのひとことだけで、なんだかまた子供のようにワクワクしながらレースを待つ自分がいる。憧れだったアイルトン・セナの背中を追いかけて走ったシューマッハー、今度はそのシューマッハーを追いかけるセナの遺伝子&#8230;..彼らが素晴らしいレースを魅せてくれることを心から願う。</p>
<p><i>「僕のことを速いというなら、甥のブルーノの走りを見てからにしてくれないか」<br />／&#8217;93年、アイルトン・セナ</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/f1%e9%81%ba%e4%bc%9d%e5%ad%90/">F1遺伝子</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>皇帝の帰還</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 16:13:16 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>ドライバー市場のみならず、新規参入&#8221;予定&#8221;チームの不確定情報も含め、例年にも増して勢力図／布陣が不透明なまま越年し、迎える2010年シーズン。結果的にBMWはザウバーと決別、ルノーはジェニイ・キャ・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">ドライバー市場のみならず、新規参入&#8221;予定&#8221;チームの不確定情報も含め、例年にも増して勢力図／布陣が不透明なまま越年し、迎える2010年シーズン。結果的に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMWはザウバーと決別</font></a>、ルノーはジェニイ・キャピタルに過半数の株式を売却するという道を選んだ。結局&#8217;10年のグリッドに並ばないチームは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">一方的な完全撤退を決めたトヨタ</font></a>だけとなったが、噂されるステファンGPの動向次第では、トヨタの準備していた&#8217;10年型マシンが開幕戦のグリッドに並ぶ可能性も未だ残されている。同時にドライバー市場も混沌を極め、少なくとも表面上は未だ多くの空席が残る。特に新規参入チームのイス取りゲームは熾烈を極め、いったいいくつのチームが、いったい誰が&#8217;10年の開幕戦グリッドにいるのか、ヘタすりゃ開幕当日まで解らない。</p>
<p>&#8230;..&#8217;09年12月23日、全世界が驚くニュースが発信された。<br />メルセデスGP・ミハエル・シューマッハー、である。</p>
<p>蜜月状態だったマクラーレンとの提携とは別にメルセデス・ベンツがF1単独参戦、それも&#8217;09年のWタイトル獲得チームである<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/post-14.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブラウンGP</font></a>を買収、マレーシア資本のペトロナスを冠スポンサーに、7度の世界王者であるシューマッハーと<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>というドイツ人ドライバー布陣で望む、というのがこのニュースの概要である。<br />これまでもメルセデスがマクラーレンを買収するという噂は常に存在したし、もっと極端に言えばその蜜月度合いはもはやメルセデス・ワークスと呼んでも差し支えないほどのものに見えていた。加えて、経済状況と<a href="onda.co.jp/F1/news2008/25/" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>／BMW／トヨタの撤退によって<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">F1に於ける自動車メーカー・ワークスという概念そのものが揺らいでいる</font></a>真っただ中でのこの決断である。当然社内での反発の声は大きく、メルセデスの親会社であるダイムラーの労使協議会はこの決定に不満を露にしている。協議会長のウベ・ベルナーは「今何かを決断するとしたらF1からの撤退であり、ホンダやBMW、トヨタを見習うべきだった」とメルセデスの決断を激しく非難。総責任者であるディーター・ツェッチェは「フェラーリとルノー、そして我々しかいない今が最後のチャンス」と反論し、今後のアジア諸国へのマーケティングに向けて&#8221;攻め&#8221;の姿勢を取ることが重要だ、と説明する。<br />元よりメルセデス・ベンツのF1単独参戦は&#8217;55年のル・マンでの事故〜撤退以来55年振りのことであり、&#8217;50年代当時のレギュレーションにより&#8221;コンストラクターズ・タイトル&#8221;という概念が存在せず、そこから長い年月をかけてF1へ復帰し、マクラーレンと組んでようやくWタイトルを獲得したのが&#8217;98年（<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>）。以降ドライバーズ・タイトルは数回獲得するが両タイトル完全制覇はなく、今回の単独参戦にはメルセデスのワークス・チーム／ドイツ人ドライバーによる&#8221;完全制覇&#8221;への野望が込められている。そしてそれが現実となった時、初めて彼らにはF1を撤退するという選択肢が生まれるのである。そして、そこにドライバーとして迎えられたドイツの新鋭、ニコ・ロズベルグ。彼は&#8217;82年F1王者<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>を父に持ち、未だ未勝利ながら確実にチーム・メイトを凌駕する速さで次代のチャンピオン候補と目されるひとりである。<br />ちなみに&#8217;09年現在、現役ドイツ人F1ドライバーはセバスチャン・ヴェッテル、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニック・ハイドフェルド</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・スーティル</font></a>、そしてニコの5人。他の何処の国よりも多いF1ドライバー人口を誇るこのドイツに於いて、既にレッド・ブルとの複数年契約を持ち、レッド・ブルでタイトル争いを繰り広げているヴェッテルは動かせない。メルセデスがドイツ人ドライバーふたりの布陣を望むのなら、残る選択肢は堅実で経験豊富なハイドフェルド、というのが大方の予想だった。が、彼らはそれをしなかった。驚くことに、&#8217;06年に現役を引退し、フェラーリのアドバイザーとして&#8221;生涯フェラーリ&#8221;を誓った筈の皇帝・シューマッハーを引っ張り出したのである。<br />&#8217;09年第10戦ハンガリーGP予選でクラッシュし、長期離脱を余儀なくされた<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサ</font></a>の代理としてシューマッハー復帰が計画されたが、数ヶ月前にバイクで転倒した際の影響によりこの復帰劇が流れたのはご存知の通り。フェラーリ、特にフェラーリ会長のルカ・ディ・モンテツェモーロは&#8217;10年以降のレギュレーションに&#8221;3台目を走らせる&#8221;という条項を盛り込むことに躍起となり、本人を含め多くのファン、全世界がもう1度フェラーリ／シューマッハーの姿を期待した。</p>
<p>ミハエル・シューマッハーというF1史に於ける偉業を成し遂げた人物を今更語る必要はないだろう。が、既に多くの年月が経過し、その影響力について具体性を持つことが難しくなった今、もう1度この天才F1ドライバーとメルセデスとの関係、そしてメルセデスとブラウンGPとの因果について記してみようと思う。</p>
<p>ミハエル・シューマッハーは1969年1月3日、ドイツのケルペンで煉瓦職人である父・ロルフと妻・エリザベスの長男として誕生。幼少期のミハエルは父の手作りカートに夢中になり、やがて本格的にレースへと没頭する。ただし、他の多くのF1ドライバー達のように裕福な家庭に育ったわけではなく、レースに夢中になるミハエルのために父ロルフはカート・レース場の管理人となり、母はそこでホットドックを売って生計を立てていた。多くの少年レーサー達が新品タイヤでレースに望む中、余裕のないシューマッハー家はミハエルに中古のタイヤしか与えることが出来なかったが、それでもミハエルの才能はこの不利な条件の中で開花し、&#8217;84〜&#8217;85年のドイツ・ジュニア・カート・チャンピオンとなった。<br />&#8217;87年、ヨーロッパ・カート・チャンピオンとなったシューマッハーは母国の雄・メルセデスの目に留まり、支援を受ける形でドイツF3へとステップ・アップ。&#8217;90年にドイツF3王者となり、シューマッハーは同じドイツの新鋭である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_91.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ハインツ・ハラルト・フレンツェン</font></a>、カール・ベンドリンガーと共にメルセデスの若手育成プロジェクトに抜擢され、SWC（世界スポーツカー選手権）へ参戦した。<br />ここで重要なのは、メルセデスはこの時点でF1復帰を果たしておらず、将来的な復帰へ向けて様々なカテゴリーのレース活動を行い、SWCではザウバーと組んでタイトルを奪取するところまで来ていた。が、彼らにとって&#8217;55年の事故による痛手は大きく、F1という最高峰カテゴリーへの復帰はまだ遠い話であり、当時F1はターボ禁止（&#8217;89年）から3.5リッターNAへとレギュレーション変更が行われ、ホンダやルノーの活躍を横目にエンジン開発を行っていた。<br />&#8217;91年、F1第11戦ベルギーGP直前、参戦初年度ながらその美しいマシンと意外な戦闘力で中堅チームとなっていた<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジョーダン</font></a>・フォードのドライバー、ベルトラン・ガショーが護身用に違法なスプレーを所持していた罪で逮捕され、地元ベルギーGPへの参加が不可能となってしまった。メルセデスはジョーダンに対し資金を提供、シューマッハーがガショーの代役となってF1デビュー。この際初のF1ながら予選7位を獲得、レースでは1周目にリタイアしたがその天性の速さと適応力は注目の的となり、翌第12戦イタリアGPでは当時のトップ4である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>・フォードに電撃移籍。このドライバー交代劇にはスキャンダル性も多かったが、結果的に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナイジェル・マンセル</font></a>／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>というF1四天王時代に彗星のごとく登場した天才新人ドライバーとして多くの注目を浴びた。<br />翌&#8217;92年第12戦ベルギーGP、F1デビュー丁度1年となったシューマッハーは変わりやすい天候をしっかりと見極めて最強ウィリアムズ・ルノー勢を凌駕し、初優勝。デビュー16戦目／僅か1年での初勝利に人々は&#8221;セナの後継者&#8221;の称号を与えた。<br />&#8217;94年、シーズン序盤からウィリアムズ・ルノーのセナとの壮絶な優勝争いを制し、2連勝。迎えた第3戦サンマリノGPでセナが他界すると、既にプロストもマンセルもピケも引退していたF1はシューマッハーへ大きく期待をかけた。チームと自身のミスによる不利をはね除け、セナの同僚であるデイモン・ヒルを下して初タイトル獲得。翌&#8217;95年はエンジンをワークスのルノーへと変更し、遂にWタイトルを獲得。これはシューマッハー／ロス・ブラウン（監督）／ロリー・バーン（設計）の3人による、フェラーリやマクラーレン、ウィリアムズなどの名門チーム以外の完全制覇としてベネトンをトップ・チームへと押し上げることに貢献した。</p>
<p>その頃、メルセデスはアメリカでCARTを席巻したイルモア・エンジニアリングと提携し、&#8217;91年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_61.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レイトンハウス</font></a>・マーチへエンジン供給。しかしこの時点では未だ&#8221;メルセデスのF1復帰&#8221;ではなく、あくまでも&#8221;様子見&#8221;としての提携である。ドライバーにシューマッハーと同じジュニア・チームのベンドリンガーを起用し、来るべきF1本格復帰に向けてのテスト参戦として活動していた。そしてシューマッハーが初タイトルを獲得する&#8217;94年にはSWC時代最強の相棒であるザウバーと共に遂にイルモアを&#8221;メルセデスV10&#8243;とし、ザウバー・メルセデスとして39年振りのF1復帰を果たした。が、チームはグリッド中団に埋もれる不本意なシーズンを終え、メルセデスはホンダの休止によってパートナーを失っていた名門マクラーレンとタッグを組む。マクラーレンは有名なマールボロの赤白のカラーリングを捨て、シルバー・アローへと変身。名門チームとの提携は確実に総合ポテンシャルの向上へと繋がり、&#8217;97年には3勝を挙げて、ようやくF1に再びメルセデスの名を轟かせた。<br />だが、この時点で誰もが予想していたシューマッハー＋メルセデス、というごく自然な組み合わせは、事実上不可能なものとなっていた。何故なら、&#8217;96年シーズンに向けて既に2度の王座を獲得している皇帝・シューマッハーが選んだのはF1のシンボル、スクーデリア・フェラーリだったからである。</p>
<p>これ以降のシューマッハー及びメルセデスのF1での戦績はご存知の通りである。シューマッハーはベネトン時代の参謀であるブラウン／バーンと共にSWC／ジャガー・チームの監督であったジャン・トッド率いるフェラーリへと移籍し、低迷する名門フェラーリ再建に尽くす。対してメルセデスはマクラーレンとのパートナー・シップをより強固なものとし、奇才<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_03.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・ニューウィー</font></a>とF3時代のシューマッハー最大のライバル、フライング・フィンことミカ・ハッキネンを擁して王座奪還を目指す。&#8217;98、&#8217;99年とハッキネン＋マクラーレン・メルセデスが連覇し、&#8217;00年から5年連続でシューマッハー＋フェラーリが圧倒した。ハッキネンの引退後は同じフィンランド出身のキミ・ライコネンがマクラーレン・メルセデスを背負い、皇帝シューマッハーに挑むが敵わず。シューマッハー＋フェラーリの栄華は&#8217;05年にスペインの若き英雄フェルナンド・アロンソ＋ルノーにタイトルを奪われるまで続き、皇帝は前人未到の96勝／7度の世界王座という記録を残し、&#8217;06年に引退した。そしてその後もシューマッハーはフェラーリのアドバイザーやテスト・ドライバーなどの役職を務め、常にフェラーリと共にあることを公言していたのである。</p>
<p>&#8230;..今振り返ってみると、不可解な流れではある。何故なら、SWCに於けるメルセデスのジュニア・チームは明らかにメルセデスのF1復帰の際に戦力となるドイツ人ドライバーの育成であり、事実シューマッハーのジョーダンからのデビュー、ベネトンへの移籍の裏にいるのはメルセデスであった。にも関わらず、結局シューマッハーがメルセデス・エンジン搭載のチームに行くことはなく、またメルセデスがF1でシューマッハー起用を目論んだ事実もない。もちろん水面下では動きがあったのかも知れないが、メルセデスのF1活動は明らかに&#8221;打倒フェラーリ＋シューマッハー&#8221;だった。これはマクラーレンという、フェラーリと並び称されるトップ・チームと組む性ではあるが、メルセデスはその目的／選手権制覇に向け、よりによって最大の脅威となる敵を育て上げ、ライバルに進呈してしまったということになる。同期のフレンツェンはトップ・チームでも開花せず、ベンドリンガーは大きな事故を機に第一線を離れてしまったが、&#8217;90年代初頭からスタートしたこのジュニア・プログラムはメルセデスの野望を打ち砕く状況を作り出してしまったのである。そしてシューマッハーは引退後も&#8221;生涯フェラーリ&#8221;を公言し、マッサを自らの後継者と指名、その後もフェラーリへのサポートに費やして来た。従って、マッサの事故後にシューマッハーが代役として復帰するという話の際も、引退後3年が経過していることを危惧する声はあっても、そこに驚きはなかった。むしろフェラーリのために尽くすシューマッハーとしては当然のこと、と好意的に受け止められていたと言える。しかし結果的にシューマッハーの復帰は古巣とは言えライバル・チームからのものであり、しかも契約発表後、メルセデスのスポーティング・ディレクターであるノルベルト・ハウグは「ミハエルと復帰の可能性について最初に話したのは半年ほど前（&#8217;09年6月頃）だ。彼のレーシング・キャリアはメルセデスと共に開花したし、F1に来てからも『いつか一緒に』といつも話していたからとてもハッピーだ」と、シューマッハーとの交渉が早い段階から行われていたことを明かした。&#8217;09年6月と言えば、ブラウンGP／ジェンソン・バトンがトルコで7戦6勝目を挙げ、マッサのクラッシュも未だ起らず、フェラーリにドライバー交代の必要性、つまりシューマッハーの復帰に関しての噂など一切なかった時期である。その頃から、既に水面下ではメルセデスGP／ミハエル・シューマッハー構想が具体化し始めていたのである。となれば、叶わなかったシューマッハーのフェラーリ復帰劇もメルセデスにとっては好都合、丁度良いリハビリ程度に思われていたのかも知れない。<br />当然これにはフェラーリ・ファンが黙ってはいなかった。何故ならシューマッハーの決断は&#8221;裏切り&#8221;と取られる行為であり、モンテツェモーロは「ミハエルにはメルセデスでF1を走りたがっている双子の兄弟がいる」と皮肉たっぷりにコメントし、イタリアの新聞には&#8221;裏切り者&#8221;の文字が踊った。同様に、これまで素晴らしいパートナー・シップによって闘って来たマクラーレンにとっても、メルセデスの決断は不可解なものだった。メルセデスは基本的にマクラーレンとの提携を&#8221;終了&#8221;し、今後は新たな形態による協力関係により&#8217;15年までのエンジン供給契約を結んだ、と発表。マクラーレンはマクラーレンで&#8221;独自の戦略目標&#8221;を掲げ、現在メルセデスが所有する株式40％を&#8217;11年までに買い戻すことで合意。言わばマクラーレンとメルセデスはエンジン供給を継続しながらも袂を分かった、ということになる。これは前FIA会長の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マックス・モズレー</font></a>の置き土産であるコスト削減案から発生した低予算チーム運営に於ける方法論への両者の見解の相違が大きいと思われ、今後もレーシング・チームとしての発展／継続を望むマクラーレン・グループと、メーカー参戦の将来性に疑問符のつく時代を目前に短期決戦を望むメルセデスとの間に明らかな温度差が生じた結果である。つまり、マクラーレンは長期に渡ってメルセデスが望んで来たチーム買収／メルセデスの完全ワークス化を拒み続け、最終的に時間切れとなった、と考えられる。</p>
<p>メルセデスGPが誕生した裏にいるもうひとりの重要人物はロス・ブラウンである。ベネトン時代の2度に加え、フェラーリ時代の5年連続タイトルを共に獲得したシューマッハーにとって最高の幹部であるブラウンが&#8217;09年にやってみせたこと。それは低迷し、巨大資本が逃亡したあとのチーム再建と僅か1年でのWタイトル獲得、という偉業である。開幕直前にようやく搭載の決まったメルセデス・エンジンを載せたニュー・マシンで名門チームを凌駕し、更にシーズン中のドライバー・マネジメントも巧みに行い、まるでチャンピオン・チームのタイトル防衛のような締めくくりを余裕で行えるブラウンこそ、メルセデスとシューマッハーに必要なものだったのである。<br />&#8217;09年のフェラーリ・マシン、F60は<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>搭載も含み、非常にナーバスなマシンだったことは、途中で戦線離脱したマッサの代役となった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-8.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルカ・バドエル</font></a>／ジャンカルロ・フィジケラの走りを見ていても明らかである。逆に、マッサを欠いた後に孤軍奮闘したライコネンの適応力が特筆すべき点であることも疑いようがない。そこに、実際に引退後3年を経たシューマッハーが関わって来るのも、今となっては「翌年のメルセデス参戦へのリハビリテーションのつもりだったのでは」という疑いさえ持たれるのも納得出来る。しかし結果的にドクター・ストップによってシューマッハーのフェラーリ復帰は幻に終わり、3年間のブランクを経たシューマッハーの現状の力は不透明なまま、全ては&#8217;10年開幕戦オーストラリアGPで明らかにされることとなる。</p>
<p>皇帝・シューマッハーが帰って来る。我々はその復帰を、アスリートとしての本能による純粋な行動として歓迎する。しかし、最新マシンに乗る機会のない新人ドライバーと同等の不利な条件の中でいったい皇帝がどのようなリスタートを切るのか。&#8217;09年からのスリック・タイヤに加え、給油禁止となる新レギュレーションの下、3年間のブランクを持つシューマッハーがどれだけ母国・ドイツの巨星を背負って走れるのか。<br />&#8230;..忘れてはいけない。皇帝は今日（1月3日）、41歳になったのだ。</p>
<p><i>「自信がなきゃ戻ってなんか来ないさ！」／ミハエル・シューマッハー</i></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e7%9a%87%e5%b8%9d%e3%81%ae%e5%b8%b0%e9%82%84/">皇帝の帰還</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>歴史的偉業の裏側</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 19 Oct 2009 15:30:04 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8230;..きっと本人には、周り以上に長い長いチャンピオン・シップだったことだろう。&#8217;09年10月18日、第16戦ブラジルGP／インテルラゴスに於いて、デビュー10年目／170戦目を迎えたジェンソン・バ・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8230;..きっと本人には、周り以上に長い長いチャンピオン・シップだったことだろう。&#8217;09年10月18日、第16戦ブラジルGP／インテルラゴスに於いて、デビュー10年目／170戦目を迎えたジェンソン・バトン（ブラウンGP・メルセデス）は自身初の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/10/--13.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ワールド・タイトルを獲得</font></a>した。これはバトン自身だけではなく、ブラウンGPチームにとっても初タイトルであり、60年間のF1GPの歴史に於いて、参戦初年度のチームがWタイトルを獲得するのもまた初の偉業となった。加えて言うなら、<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダの突然の撤退</font></a>により、チーム存続すら本気で危ぶまれたチームによる、正に奇蹟のWタイトル獲得である。が、開幕前に誰も予想しなかったこの結果は、バトンの第7戦トルコGPまでの7戦6勝時の「&#8217;09年シーズンは既に決まった」という声から、バトン／ブラウンGPのシーズン中盤の失速、更にレッド・ブル／セバスチャン・ヴェッテルの追い上げも加わって今度は「バトンはタイトルを穫れない」との意見に変わって行った。特に序盤に全く競争力を発揮出来なかったマクラーレンとフェラーリの中盤の巻き返し、更に後半ではフォース・インディア／BMWザウバーらが躍進、&#8217;09年シーズンは新レギュレーションに於ける<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/04/post-129.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ダブル・ディフューザー</font></a>や<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>、更に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">年間エンジン使用数制限規定</font></a>などにも左右され、年間を通して如何に今季が混沌としていたかを物語っている。</p>
<p>序盤の絶対的な強さと中盤以降の低迷。初タイトルの掛かるプレッシャーの中で、バトン／ブラウンGPが成し遂げた偉業は一体どんなものだったのか。それをここで振り返ってみよう。</p>
<p>まず、ブラウンGPというチームはあまりにも絶望的な状況から誕生した。&#8217;08年秋のリーマン・ブラザース破綻に象徴される世界的な金融危機の煽りを食らい、12月5日に日本のF1第一人者であるホンダが急遽F1からの撤退を決定。突然の事態にそのままチーム消滅かと思われたが、チーム参謀のロス・ブラウン／ニック・フライが中心となり、新チームとして&#8217;09年の参戦を模索。結果的に大手メーカーや巨大スポンサーへの身売りを嫌い、マネジメント・バイアウトによる株式購入（購入金額は僅か1ポンド）により、元ホンダF1チームはブラウンGPとなった。<br />ホンダは上層部の決定によって急遽（少なくとも&#8217;08年春以降）F1からの年内撤退の方向性を決めていたとされるが、現場のレーシング・チームには少なくともシーズン終了時まで詳細は伝わっていなかった筈である。事実ホンダは不振の&#8217;08年マシンの開発を早期に諦め、翌&#8217;09年型の新車開発に力を注いでいた。これによりホンダはブラウンGPに、開発に1年を擁した自信作を残すこととなる。これが今季のブラウンGPのマシン、BGP001の原型である。<br />彼らの初マシンであるBGP001は開幕戦の僅か19日前である3月6日にシェイク・ダウンされ、土壇場で搭載の決まったメルセデス・ベンツ・エンジンを擁して合同テストで連日トップ・タイムを記録。周囲はスポンサー集めのためのパフォーマンス／規定外のマシン・セッティングによる信憑性のないタイムだとしてブラウンGPの速さに対し懐疑的だったが、チーム発足／シェイク・ダウンから僅か3週間弱で迎えた開幕戦オーストラリアGPでバトン／バリチェロが予選フロント・ロウ独占〜決勝1-2フィニッシュを決め、衝撃的なデビュー戦を飾った。その後バトンは第7戦トルコGPまでに6勝／61ポイントとし、得点上のライバルであるチーム・メイトのバリチェロに21点、3位ヴェッテルに32点差を付けて独走、コンストラクターズ・ランキングもレッド・ブルに39.5点差を付け、シーズン序盤にして既にタイトル争いは終わったかに見えた。<br />が、シーズン中盤になると勢力図に変化が見えて来る。第8戦イギリスGPで<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>／ヴェッテルのレッド・ブル勢が1-2を決めると、同時に無敵に思えたブラウンGPの速さに陰りが見え始める。前半戦でポール・ポジション4回を獲得していたバトンは第12戦ベルギーGPまでことごとくバリチェロの後塵を拝し、決勝でも表彰台に届かないレースが続く。その頃レッド・ブル勢は第8戦イギリスをウェバー、続く第9線ドイツをヴェッテルが制し、第10戦ハンガリーでは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">前年の王者であるルイス・ハミルトン</font></a>（マクラーレン・メルセデス）が今季初勝利、第11戦ヴァレンシアでバリチェロ、第12戦ベルギーは前々年王者キミ・ライコネン（フェラーリ）がフォース・インディアのジャンカルロ・フィジケラを辛くも振り切って勝利。勝つべき者が下位に沈み、ダーク・ホース的存在のチーム／ドライバーが躍進する構図となった。これにはふたつの大きな要因が見える。</p>
<p>ひとつは、開幕直後から問題となった、通称&#8221;ダブル・ディフューザー問題&#8221;である。これは、今季のマシン・レギュレーションの「リア・ディフューザーは上限175mm」という規定に対し、リア部分以外／マシン中央部にもうひとつのディフューザーを装着し、二重構造として来たチームが3つ存在した。それが開幕1-2のブラウンGPであり、第3戦中国の勝者ヴェッテルのレッド・ブルであり、第4戦バーレーンの予選フロント・ロウ独占のトヨタの3チームである。これに異を唱えた他のライバル・チームの抗議は結果的にFIAの「合法」という決断により一斉に同タイプのディフューザーを擁するシャシー開発を行わなければならいという事態へと代わり、その効果がシーズン中盤に表れ始めた。中でもマクラーレンとフェラーリは数十億円をかけてニュー・シャシーを開発し、シーズン開幕当初は絶望視されていた勝利を掴むまでに復活した。<br />もうひとつは、&#8217;09年シーズンを掻き回すこととなったKERSである。それ自体が重く、バラストを含めた車重に対し大きな影響を与えるこのニュー・アイテムはマクラーレン／フェラーリ／BMWザウバー／ルノーという、前年の選手権上位チームであり巨大自動車メーカーでもあるトップ・チームが搭載。しかしいざレースが始まってみれば非搭載チームが快走、最もこのKERSを推進していたBMWザウバーはシーズン途中で使用を断念。結果的にスタートや追い越しブロック用に効果はあるものの全体的なラップ・タイムには良い影響を及ぼさず、ピット・ストップ作戦によってKERS非搭載車に抜かれてしまう。チーム組合である<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FOTA</font></a>は独自に&#8217;10年のKERS撤廃を決めるが、ウィリアムズは独自の開発を行い、開発状況次第で来シーズンの使用をほのめかしている。</p>
<p>そしてこの手の問題が各ライバル・チーム達の中で解決し始めた頃、当のブラウンGPはマシンに更なるアップ・グレードを施していた。中盤戦の伸び悩みは主に空力関係のモディファイによるもので、序盤の貯金を持っていたブラウンGPはシーズン中盤をレース中のテストのように実験的に活用していたのである。そしてチームはそろそろ最終的な選手権全体を見なければならない、というタイミング／第14戦イタリアGPでマシンをシーズン序盤の状態に戻し、バリチェロがポール・トゥ・ウィンを飾ったのである。<br />&#8230;..何という余裕の戦略だろう。6月の時点では既に来季用の新車開発に着手していたブラウンGPは、開幕直後に人員削減のため<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/03/gp270.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">270名に及ぶスタッフを解雇</font></a>しながら、タイトル争いと翌シーズンに向けての開発を同時に行っていたのである。最終的にロス・ブラウン自身の「そろそろ選手権に眼を」という決断が下されるまで、彼らはレース／ポイントを犠牲にしてでもマシン開発の可能性を追求し、ギリギリのタイミングでその決断を行った。昨年、ブラウンの後継者である<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ステファノ・ドメニカリ率いる新生フェラーリ</font></a>が、度重なるピット・シグナルのミスによって最終的に選手権を逃したことを考えるとブラウンの器の大きさと決断力を思い知る。<br />また、ブラウン自身の頭の中で序盤から今季のドライバーズ・タイトルはバトンのもの、という明らかな方向性があったことも疑いようがない。表向きにいくら両ドライバーの平等な扱いを強調しても、そこは戦略家であり、且つフェラーリでシューマッハーと共に黄金時代を築いた名匠である。それでいて当時の&#8221;セカンド・ドライバー&#8221;でもあるバリチェロを上手く使い、後半戦では勝利を味わうことも&#8221;許し&#8221;、表面上の挑戦者として実はコンストラクターズ・タイトルを重ねて行くという戦略は、現在のフェラーリのみならずマクラーレン／ウィリアムズにも出来ない、正にブラウン式である。別の見方をすれば、恐らく開幕戦の勝利の時点でバトンのエース扱い／優先権はブラウンの中で決まっていた筈である。</p>
<p>しかしながら、初タイトルが掛かるバトンには重いプレッシャーがのしかかっていた。反対に前半戦でチーム・メイトの後塵を拝したバリチェロは伸び伸びと走り、終盤2勝を挙げる活躍へと結びついた。が、バトンの憂鬱は初タイトルを&#8221;守る&#8221;側としては当然のものであり、そのあたりの心理的プレッシャーも全て恐らくブラウンの計算の中にあったのだろう。最後はポイント計算による&#8221;防衛戦&#8221;とし、バリチェロの速さと残りエンジン数に苦しむレッド・ブル勢の一騎打ちを尻目に、バトンが淡々とポイントを重ねて王座に着くことを見越していた筈である。事実、決着が付いてみればバトンは第12戦ベルギーでオープニング・ラップのクラッシュでリタイアした以外、ここまで全てのレースでポイントを獲得しているのである。また、バトンはブラウンGP復活／序盤のパッケージへと回帰した第13戦イタリアGPでの2位以外、第7戦トルコGP以来表彰台に立っていない。同時にバリチェロは第11戦ベルギー／第13戦イタリアと勝ち、後半戦は明らかにチーム・メイトの影に隠れている印象だが、実際には着実にポイントを稼いでいた。タイトル決定時の第16戦ブラジルでの5位／4ポイント獲得は、例えバトンが最終戦アブダビGPに勝利しても合計99点にしかならない。これは結果的にミハエル・シューマッハー（フェラーリ）の負傷欠場も相まって勝者が分散した&#8217;99年シーズンの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>（マクラーレン・メルセデス）の際と同様の小得点であり、記憶に新しい昨年の最終戦1点差タイトル獲得劇のハミルトンの98点に次いで少ない。<br />ちなみに、メルセデス・ベンツ・エンジンを搭載したカー・ナンバー22のマシンに乗ったイギリス人ドライバーが、ブラジルGPを5位フィニッシュすることによってワールド・チャンピオンを決定した、という点でも2年連続となった。同時に、2年連続で眼の前でライバルに逃げ切られたブラジル人ドライバーとオーディエンスの落胆も。</p>
<p>シーズン中盤から囁かれて来たバトンの失速タイトル獲得劇に対する見解は、スポーツ・イベントにとって起こりがちなものである。&#8221;最も勝利した者が王者&#8221;というルールは、例えば我々に身近な日本のプロ野球でも揺るぎ、CS（クライマックス・シリーズ）導入がその良い例である。シーズンの優勝チームは優勝チームとして決定されるが、セ・パ日本一決定戦／日本シリーズへの出場権を巡って各リーグの上位3チームによる更なる決定戦が行われるのは極めて違和感の強いものである。導入の原因はシーズンを独走する1チームの存在による観客動員やテレビ視聴率の低下を防ぐために「シーズン最後まで眼が離せない」状況を作り出そうとするものであり、首位から大きく離された3位のチームが結果的に日本一となるケースも存在する。しかし、これでは何のために年間を通してペナント・レースを闘い、制したのか解らない。筆者個人的には、例えエースや主力打者が疲労や故障で不在だったとしても、個人成績だけではない&#8221;チーム力&#8221;によってリーグを代表し、そして争って然るべきである。&#8221;公平さ&#8221;は常にスポーツの根底を揺るがすが、こうした主催者側による&#8221;コントロール&#8221;には興行としての&#8221;マンネリ化&#8221;との闘いという裏事情が大きな要因なのである。</p>
<p>現行のポイント制度に助けられた感のあるバトンではあるが、実際シーズン後半にバトンがこうもトップ争いに絡んで来れなくなったことで、世論が厳しくなるのはやむを得ないことではある。シーズン序盤に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チーム内での扱いの不平等さを訴えたバリチェロ</font></a>が後半バトンを上回り、勝利し始めるとその声は更に大きくなり、&#8221;勝てないチャンピオン&#8221;と揶揄された。が、年間を通して見た際、記録に残る&#8221;6勝&#8221;（第16戦ブラジルGP終了時）という数字は決して少ないものではない。またポイント的にも第2戦マレーシアでは雨でレースが短縮されたため、バトンは優勝でも5ポイントしか獲得しておらず、総獲得ポイントが低いのには理由があってのことである。ただ、シリーズを通して見て来た我々の&#8221;印象&#8221;の問題でしかなく、巨大自動車メーカーの撤退を受け、ゼロからスタートすることを余儀なくされた新チームが開幕7戦で達成した数字、として考えればあまりにも偉大な功績である。</p>
<p><a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>（ウィリアムズ・トヨタ）の父である&#8217;82年王者<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>（ウィリアムズ・フォード）は僅か1勝／44ポイントで王者となった。しかし完走したレースでは全て入賞し、最終第16戦ラスベガスで5位フィニッシュにより王座を決定。しかしその唯一の勝利がシーズン終盤第14戦ディジョンだったため、防衛タイトルの印象は薄い。同時に&#8217;82年シーズンは11人のウィナーが誕生し、第12戦ドイツでポイント・リーダーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ディディエ・ピローニ</font></a>（フェラーリ）が再起不能の大怪我を負って戦線離脱したこと混沌とし、最終的にはシーズン後半に初優勝を達成したロズベルグと、中盤に2勝を挙げたものの終盤戦にかけて6連続リタイア／無得点だったマクラーレンのベテラン、ジョン・ワトソンがタイトル争いに&#8221;残された&#8221;シーズンであり、本来ならばピローニと、そのチーム・メイトであり最大のライバルであった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジル・ヴィルヌーヴ</font></a>（第5戦ベルギーGP中事故死）によるタイトル争いになる筈のシーズンだった。<br />&#8217;93年、引退を決めていた<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>（ウィリアムズ・ルノー）は第10戦ドイツGPまでに7勝を挙げ、自身最後／4度目となる王座をほぼ手中に収めていた。が、冷静沈着な名手プロストでさえも当時前人未到の4度目のタイトル獲得へのプレッシャーは大きく、同時にデビュー2年目のチーム・メイトであるデイモン・ヒルの台頭に圧され、残り6戦を未勝利で終えた。しかしタイトルそのものは第14戦ポルトガルGPで確定させ、最終2戦は宿命のライバルだった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>（マクラーレン・フォード）との一騎打ちを楽しみ、王者のまま引退。後半7戦未勝利のチャンピオンは、&#8217;85、&#8217;89年も後半4戦未勝利でタイトルを獲得、これは帝王と呼ばれた<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_65.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニキ・ラウダ</font></a>の得点加算術を学んだプロフェッサーなりの勝負の仕方である。<br />&#8217;03年、ライコネン（マクラーレン・メルセデス）は僅か1勝ながら7度の2位を武器に、6勝を挙げたシューマッハーと最終戦までタイトルを争っていた。最終的にシューマッハーは最終戦鈴鹿の8位1ポイントでライコネンを下し（最終的な点差は2点）辛くもタイトルを獲得したが、この際に大きく問題となったのが「6勝を挙げた最多勝ドライバーが1勝のドライバーに王座を奪われるポイント制度の是非」である。例え勝てなくとも、着実にポイントを加えて行くことで世界王者となることに違和感を覚える声が大きくなり、優勝10点／2位8点というポイント制度が論議されることとなった。</p>
<p>F1世界選手権が現行のポイント制度となったのは&#8217;03年である。それ以前は優勝10点／2位6点で入賞は6位まで、その前は&#8217;60年から&#8217;90年までの30年間、優勝9点／2位6点／入賞圏内6位時代が続いていた。しかし、その間にも&#8217;80年代後半のシーズン・ベスト11戦のみ算出時代や、&#8217;70年代の前半／後半での加算方式が異なるシーズンが存在し、黎明期の&#8217;50年代には優勝8点／2位6点／入賞圏内5位、最速ラップ樹立者に1点、という時代も存在する。長く続いた入賞6位までの時代が終わりを告げたのは、下位チームに対する広告効果や資金的なチャンスを広げる意味合いがあった。&#8217;90年代、トップ4と言われるマクラーレン／フェラーリ／ウィリアムズ／ベネトン（現ルノー）らが全車完走すると8位までを占めることになり、この内2台がリタイアしたとしても他チームにポイント獲得のチャンスは生まれない。しかもマシン・レギュレーションは徐々に安全性／耐久性に寄ったものへと変化して行き、トラブルによるリタイアは減る方向へと向った。そのためにFIAが下位チームの露出効果を高める策として打ち出したのがこの方式だったのだが、奇しくもこれがシーズン終盤の&#8221;最低限ポイント獲得争い&#8221;へと繋がって行った。</p>
<p>昨年、F1の首領である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バーニー・エクレストン</font></a>は「F1もオリンピック同様、メダル制にすべき」との提案を出し、チーム側からの猛反発を食らった。バーニーの言い分は「シーズン後半になると、チャンピオン候補は得点狙いのレースに切り替え、勝利を争わなくなる。だったら、いくつ金メダルを獲得したかでチャンピオンが決まる方が、がむしゃらに勝ちに行くだろう？」&#8230;..しかし、この制度を今シーズン序盤の7戦で6勝を挙げたバトンのタイトル決定条件に組み合わせると、他のドライバーが残り全部を勝っても6に届かなくなるタイミングは第14戦シンガポールGPとなり、残り3戦が&#8221;消化試合&#8221;となってしまったことを意味する。そう意味では、残された僅かな可能性に賭けてがむしゃらに走るヴェッテル、悲願達成のためにチーム・メイトを凌駕する最古参・バリチェロの活躍が見られた終盤戦、バーニー自身がその提案をもう一度考え直す要因にはなった筈だ。</p>
<p>&#8230;..既に皆さんも、ブラジルGPフィニッシュ直後のチーム無線でのバトンの陽気でデタラメな歌を聴いたと思うが、勝てないポイント・リーダー、バトンのここ数戦争の苦しみは相当なものだった筈である。取材時には常にキツいひとことを浴び、トラックではライバル達の快走を見せつけられ、自身に大丈夫だと言い聞かせる毎日から解き放たれた瞬間である。最終戦アブダビGPで、プレッシャーから解放されたバトンがどんなレースを見せるのか。未知の新サーキットでもう一度あのアグレッシヴな独走劇が観たいと思っているのは&#8230;..筆者だけではない筈である。ともあれ、ワールド・チャンピオン獲得おめでとう、ジェンソン！。</p>
<p><i>「We Are The Champions！」@&#8217;09年ブラジルGP／ジェンソン・バトン</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%ad%b4%e5%8f%b2%e7%9a%84%e5%81%89%e6%a5%ad%e3%81%ae%e8%a3%8f%e5%81%b4/">歴史的偉業の裏側</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>激震</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%bf%80%e9%9c%87/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 18 Sep 2009 06:50:38 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8230;..ついに起きてしまった。いや、明るみに出てしまったと言う方が正しいのかも知れない。先日、当スクイチでも&#8221;F1スポーツ論&#8220;と題してその競技／イベントの捉え方について言及したばかりだが・・・</p>
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<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%bf%80%e9%9c%87/">激震</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8230;..ついに起きてしまった。いや、明るみに出てしまったと言う方が正しいのかも知れない。先日、当<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチ</font></a>でも&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/f1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">F1スポーツ論</font></a>&#8220;と題してその競技／イベントの捉え方について言及したばかりだが、いつの時代も、またいかなる競技に於いても絶えず論議の対象となる事柄と言える事態である。筆者が知る限りの最も卑劣な表現を使うのであればそれは&#8221;八百長&#8221;であり、参加する者と観る者、さらに支援や投資する者までも裏切る、許されざる行為である。</p>
<p>&#8217;08年、F1初のナイト・レースとして開催された第15戦シンガポールGPで、ルノーのドライバーであったネルソン・ピケJr、同チームのマネージング・ディレクターのフラビオ・ブリアトーレ、エンジニアリング・ディレクターのパット・シモンズが共謀し、ピケのチーム・メイトであるフェルナンド・アロンソに有利なレース展開を導くためにピケJrが故意にウォールにクラッシュし、目論んでいたセーフティ・カー導入によりアロンソの優勝を得た疑いで、国際スポーティング規約第151条の違反に問われた。&#8230;..平たく言えば、予選で下位に沈んだエース・ドライバーを勝たせるために、監督とマネージャーが新人のチーム・メイトに対し、わざとセーフティ・カーが出るようなクラッシュをして来いと命令した、というものである。<br />このショッキングな一連の報道により、パドックはパニックに陥った。TV中継の国際映像では絶えずブリアトーレの一挙手一投足が映し出され、ドライバーの記者会見中も必ずと言って良いほど話題に上り、ドライバー達も困惑、この一件はパドックの誰もが避けられない話題となってしまった。そして9月16日、ルノーは以下の声明を出した。</p>
<p></font><font color="#ff0000"><i>INGルノー・F1チームは、&#8217;08年シンガポールGPに関するFIAの申し立てに異議を唱えない。また、マネージング・ディレクターのフラビオ・ブリアトーレ、エンジニアリング・ディレクターのパット・シモンズ両名がチームを離脱したことを表明する<br />またチームは9月21日のパリでのFIA世界モータースポーツ評議会の公聴会に出席するよりも前に、これ以上のコメントは行わない</i></font><font color="#3e6b3a"></p>
<p>&#8230;..簡単に言えば、ルノーはこの件を認めたのである。昨年の<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>、そして今年の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMW</font></a>に続いてF1撤退の噂が絶えないルノーにとって、これは大きな打撃である。こうしたスキャンダルはレーシング・チームよりも元締めであるメーカー本体へ与える影響が計り知れない。公聴会を目前にルノーからこうした処置が行われた背景には、自白と責任者の解雇によって、ルノーが可能な限りFIAからの処罰を軽くしようという姿勢が見える。つまり、問題になった当事者をクビにするからどうか恩赦を、ということ。それでもルノーには相当なペナルティが待っている筈だ。<br />&#8217;07年、フェラーリのチーフ・メカニックであるナイジェル・ステップニーが自チームの情報を不正に持ち出し、マクラーレンのマイク・コフランに提供していた疑惑が発覚した。当初は両者共に事件への関与を否定していたが、最終的にマクラーレンの最高責任者であるマーティン・ウィトマーシュが事実を認めて謝罪。FIA／世界モータースポーツ評議会は事件への関与が認められなかったドライバー（アロンソ／ルイス・ハミルトン）は無罪としたが、チームはコンストラクターズ・ポイントの剥奪と1億ドル（約110億円）の罰金という処分となり、チーム側はCEOのロン・デニス更迭によって&#8221;カタを付けた&#8221;。もしもウィトマーシュがこの件に対してシラを切り続けたら、恐らく1シーズンの出場停止処分を受けていた筈である。それを、デニスの首と罰金を差し出して逃れた、というのが真相である。<br />今回のルノーにもこれと同様の、或は更に厳しい裁定が下される可能性が高い。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バーニー・エクレストン</font></a>によると、息子を解雇されたネルソン・ピケSrは「ブリアトーレを破滅させるためなら手段は選ばない」と発言していた。仮にルノーが有罪確定後にF1から撤退しなかったとしても、ピケ親子の目的は&#8221;ブリアトーレに対する報復&#8221;であり、この告発がF1の中心人物のひとり／ブリアトーレを追放することが目的だったのだとしたら、限りなく&#8221;成功&#8221;と言えるのだろう。</p>
<p>まず、この一件を時間軸で追ってみることにしよう。</p>
<p>■&#8217;09年7月<br />・成績低迷のピケJrに対し、シーズン途中での解雇〜ローマン・グロージャンとの交代が噂され始める<br />・ピケJrはマスコミに対し、ブリアトーレを「F1のことなんか何も解っちゃいない金の亡者」と発言、ブリアトーレも「ヤツは言い訳ばかり」と応戦<br />■8月<br />・ルノーが第10戦ハンガリーGP終了後にピケ解雇／グロージャン加入を発表<br />・ピケJrがルノー離脱を認め「ブリアトーレは死刑執行人」と発言<br />・ピケJrの母国であるブラジルのTV局&#8221;Glovo TV&#8221;が第12戦ベルギーGP中継中に「ピケは故意にクラッシュするように命令されていた」と報道<br />・ルノー／ブリアトーレ／シモンズはこれを否定<br />■9月<br />・ピケJrが正式な書簡として7月30日にFIAに提出した告発文書のコピーがメディアの手に渡り、全文が公開される<br />・FIAが調査に乗り出す<br />・ブリアトーレは一貫して否定するも、シモンズが「ピケ自身のアイデアだった」と発言<br />・FIAが9月21日に公聴会開催を決定<br />・公聴会を前にブリアトーレ／シモンズがルノーを離脱</p>
<p>&#8230;..これが、現在F1を揺るがす&#8221;クラッシュゲート事件&#8221;である。ここで、今回の一件の登場人物を確認しておく。</p>
<p>□ネルソン・ピケJr<br />ブラジル出身、3度のF1世界王者を父に持つ、&#8217;08年デビューのF1ドライバー。ルノー・チームで元世界王者のフェルナンド・アロンソとコンビを組むも成績では惨敗、周囲の予想通り、&#8217;09年第10戦ハンガリーGPを最後にルノー・チームから解雇。<br />□ネルソン・ピケ（Sr）<br />&#8217;81年（ブラバム・フォード）、&#8217;83年（ブラバム・BMW）、&#8217;87年（ウィリアムズ・ホンダ）で3度のF1ワールド・チャンピオンに輝いたブラジル人ドライバー。&#8217;91年にF1を去りインディなどに挑戦後&#8217;98年にレーシング・ドライバーを引退、現在は実業家としても成功。現役時代は同郷のアイルトン・セナやウィリアムズ時代のチーム・メイトであるナイジェル・マンセルらと犬猿の仲となり、個性の強い人物としても知られる。<br />□フラビオ・ブリアトーレ<br />ルノーF1チームのマネージング・ディレクター。&#8217;88年にベネトン・チームのマネージャーとしてF1に関わり、以後&#8217;ビジネスマンとしての手腕を発揮し、リジェやミナルディなどのF1チーム、&#8217;98年にはカスタマー仕様のルノー・エンジンを販売するメカクローム社などを次々と買収。&#8217;00年にルノー・チームに復帰。アロンソ、ピケJrを始めマーク・ウェバー、ヤルノ・トゥルーリ、ヘイキ・コバライネンらのマネージャーとしても有名であり、私生活でもスーパー・モデルの<a href="http://www.naomicampbell.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナオミ・キャンベル</font></a>や<a href="http://www.heidiklum.com/" target="_blank"><font color="#ff00ff">ハイディ・クラム</font></a>らと浮き名を流す、派手好きなイタリア人。<br />□パット・シモンズ<br />ルノーF1チームのエンジニアリング・ディレクター。フォードでの経験を活かし&#8217;81年にルノー／ベネトンの前身であるトールマン・チームで初のF1マシン開発を手掛ける。ベネトン時代にはミハエル・シューマッハーのレース・エンジニアを務め、2年連続のワールド・チャンピオン獲得に貢献。&#8217;96年にシューマッハーと共にベネトンを離脱したロス・ブラウンの後を受けてテクニカル・ディレクターに就任、その後ルノーによるベネトン買収後も一貫してチームに残留、アクティヴなレース戦略には定評がある。<br />□フェルナンド・アロンソ<br />&#8217;05、&#8217;06年と、当時史上最年少でF1王者となったルノー・チームのエース・ドライバー、スペインの英雄。&#8217;01年にブリアトーレのマネージメントによりミナルディからF1デビュー、2年目の&#8217;02年にルノーのリザーブ・ドライバーとなり、翌&#8217;03年にレギュラーに昇格。2度目のタイトル獲得後の&#8217;07年にマクラーレンへ移籍するが、チーム内での待遇（チーム・メイトはこの年デビューのルイス・ハミルトン）などを巡ってロン・デニスと対立、&#8217;08年にルノーへと復帰し、渦中の第15戦シンガポールGPと翌第16戦日本GPを連勝、ドライバーズ・ランキング5位となった。</p>
<p>続いて、問題の&#8217;08年第15戦シンガポールGPというレースを簡単に振り返ってみる。<br />シーズン終盤、タイトル争いはマクラーレンのハミルトンとフェラーリのフェリペ・マッサの間で争われていた。レースはウォールに囲まれたシンガポールの市街地サーキットで行われるF1史上初のナイト・レース、誰もが初めての環境の中でセッティングに苦しんでいた。ここまで苦戦を強いられて来たルノーのエース、アロンソは今シーズン初めて適切なセットアップを見つけ出し、予選Q1では6番目のタイムを余裕で叩き出し、決勝レースに向けてチーム全体が大きな手応えを感じていた。しかしQ2開始直後、アロンソのマシンが燃料系のトラブルでコース・サイドにストップ。マシンを降りたアロンソは大きく天を仰いで悔しさを爆発させた。結局アロンソは予選15位に終わり、チーム・メイトのピケJrはQ1で敗退し16位。ポール・ポジションは逆転王座に賭けるフェラーリのマッサが獲得、ランキング首位のハミルトンがフロント・ローに並んだ。<br />決勝ではアロンソとウィリアムズの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>がスーパー・ソフト・タイヤをチョイス。15番手スタートのアロンソは軽い燃料でスタートでのジャンプ・アップを狙い、オープニング・ラップで11番手へと進出。ピケJrは18番手。全ドライバー中最も燃料搭載量の軽いアロンソは序盤13周目にピット・インし、9.6秒で給油とハード・タイヤへの交換を終えてコースに復帰した。<br />そしてレースが15周目に入ったところで、16番手走行中のピケJrがターン17でイン側のウォールにクラッシュ。これでレースにはセーフティ・カーが導入された。ロズベルグは未だピット・レーンがクローズされているにも関わらず、ガス欠を避けるためにやむを得ず予定通りピット・イン。このセーフティ・カー先導中にホンダのルーベンス・バリチェロがコース上にストップ、長引くピット・レーン・クローズにBMWのロベルト・クビサも燃料が足らずペナルティ覚悟のピット・イン。<br />17周目にピット・レーンがオープンになると各車一斉にピットへ。ここでトップのマッサがロリポップ代わりの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ピット・シグナルの操作ミス</font></a>により、まだ給油中にも関わらずマシンを急発進させ、給油ホースを取り付けたままピット・レーンを走り出してしまった。このミスによってマッサは優勝戦線から脱落。19周目にレース再開となった時、トップはロズベルグ、続く2位ヤルノ・トゥルーリ（トヨタ）と3位ジャンカルロ・フィジケラ（フォース・インディア）のふたりは燃料搭載量が多かったためにまだピット・インを行っておらず、4位クビサ、5位にアロンソというオーダーとなっていた。この間、ロズベルグとクビサに対しレーンのオープン前にピット・インしたことがスチュワードにより審議対象とされ、これを予期していたウィリアムズ陣営はレース再開直後からペナルティが課せられることを察知し、ロズベルグにペース・アップの指示を出す（ペナルティは通達から3周以内に実行）。ロズベルグは28周目にストップ・アンド・ゴー・ペナルティを行い、4番手でコースに復帰。34周目にようやくトゥルーリがピット・イン、これにより遂にアロンソがトップに躍り出た。42周目に2度目のピット・インを行ったがトップでコースに復帰、そのままチェッカーを受けたアロンソは&#8217;07年イタリアGP以来の勝利。2位には自己最高位のロズベルグが入った。<br />アロンソ勝利のポイントは後方スタートで軽めの燃料とスーパー・ソフト・タイヤで第1スティントをショート・スプリントとしたこと、ピット・インのタイミングがセーフティ・カー導入直前となったために、労せずして上位に進出出来たこと、である。これにより、元よりコースにマッチしたマシンでミスなくトップを快走し、まさに予選でのトラブルを取り返す結果となったのである。</p>
<p>&#8230;..そして、このアロンソの上位進出のきっかけとなったピケJrのクラッシュは、ルノーによって指示されたものだった、というのがこの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/post-440.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クラッシュ・ゲート事件</font></a>である。FIAは即座に調査を開始した。処分の最悪のケースとしてルノーのF1撤退に繋がる可能性もある。元より今シーズンいっぱいでの撤退が囁かれるルノーにとって、上層部に来季もF1を続けるための要素としてはあまりにもネガティヴ過ぎる。<br />&#8217;08年シンガポールGP終了時、このセーフティ・カー導入による恩恵を最も受けたのは2位のロズベルグだと思われた。彼はストップ・アンド・ゴー・ペナルティによる遅れを避けるため、公式に裁定が下るまでの数周の間を予選並みのラップ・タイムで後続との差を広げ、結果自己最高の2位となった。このウィリアムズの戦略と翌第15戦日本GPでのアロンソ2連勝の影に隠れ、ピケJrのクラッシュの一件は盲点となっていた。しかし、実際に予選からの流れを追って行けば、ピケJrのクラッシュが、勝てるパッケージングを持ちながら予選を失敗したアロンソ／チームにとって非常に有利に働いたことは事実である。事実、ここでの優位を確信していたアロンソは予選中のトラブルでマシンを降りた際、全身で悔しさを露にした。チーム自体もここまで不振のシーズンを送り、ようやく巡って来たチャンスをトラブルで台無しにしてしまった。しかし決勝レースでの適切なセット・アップは既に持っており、ウォールに囲まれたオーバー・テイクが難しいストリート・サーキットでなければ上位進出も可能だったかも知れないが、正攻法では勝負にならない。いっそタイミング良くセーフティ・カーが出動すれば上位進出も可能なのに、と考えるところまでは至って自然である。しかし、それを意図的に実行したとなると話は別だ。何より、自らのレースを脅迫によって失ったピケJrの身にもしものことがあったら一体どうするのか。例えピケJrが無事でも、コース・マーシャルや観客、コース上を走る他のドライバー全員を危険に晒すことなど、誰にも許されないのである。</p>
<p>今回、ピケJr自身によって告発された内容の概要は以下の通り。これはピケJr自身がFIAに提出した供述書を要約したものである。</p>
<p></font><font color="#ff0000"><i>・&#8217;08年シンガポールGPに於いて、私のマネージャーでありルノー・チーム代表であるフラビオ・ブリアトーレ、チームのテクニカル・ディレクターであるパット・シモンズの両氏から、レース中意図的にクラッシュすることを依頼された。私はそれに同意し、故意にウォールにマシンをクラッシュさせた。<br />・レース前、ブリアトーレのオフィス内でシモンズがチームのために自分のレースを犠牲にするつもりがあるかと尋ねた。ブリアトーレが私の翌年の契約に関して情報を隠すことで私はストレスを感じており、この件を承諾することで事態が好転することを期待し、同意した。その後シモンズはマップを使ってクラッシュする位置と周回を指示した。理由はそのコーナーには事故車処理用のクレーンも排除口もなく、確実にセーフティ・カーが導入される筈だからであること、アロンソが12周分の燃料しか積んでいないので、これにクラッシュのタイミングを合わせることにより、予想通りセーフティ・カーが導入され、結果アロンソは優勝した。<br />・レース前にシモンズは私に「注意しろ」とだけ言い、ブリアトーレは何も言わなかった。レース中、私はこの作戦を実行するために何度も無線で周回数を確認したことが記録音声によって解るだろう。これは普段なら絶対に行わないことである。また、通常ならブレーキングすべき位置で加速したこともテレメトリーに残されており、常識的なエンジニアならそれが意図的なことである気づく筈である。<br />・レース後、ブリアトーレは「ありがとう」とだけ言った。それ以外に、この件に関しては一切話は行われなかった。3人以外にチーム内でこの事実を知る者がいるかどうかは解らない。私は友人のフェリペ・バルガスにこのクラッシュが意図的なものであることを告白すると、バルガスがこの件を父（ネルソン・ピケSr）に報告した。</i></font><font color="#3e6b3a"></p>
<p>&#8230;..何という衝撃的な内容だろうか。例えそれが戦略という名の下に行われたとしても、市街地サーキットのコンクリート・ウォールに故意にマシンをクラッシュさせ、多くの人間を危険に晒したという事実に変わりはない。ましてそこが初開催のストリート・サーキットであり、経験値によって得られる安全性向上はまだなく、ひとつ間違えれば大惨事である。しかもシモンズはコース上で最も事故処理に時間のかかる場所を選んでおり、もしも多重クラッシュになればレース自体が赤旗中断されたかも知れない。<br />ピケJrのシンガポールGPに於けるテレメトリーを見ると、14周目のターン17で明らかにそれまでの13周とは違うアクセリングを行っていた。ターン出口でリア・タイヤが空転したあと、一旦アクセルを緩めたが何故かもう一度アクセルをオンにした。これによりスピンが発生し、内側のウォールにクラッシュした。確かにこの行動はスピンしかけたマシンを立て直すためとは言えず、むしろ更にスピンさせる効果となる。<br />更にイギリスのタイムズ紙がすっぱ抜いたルノーの当日の無線のやりとりでは、アロンソのピット・ストップ後にはピケJrに対し、前を行くバリチェロ（ホンダ）を抜くためにプッシュしろとの指示が出ていた。そしてピケJrのクラッシュが起こり、ブリアトーレとシモンズを含め、現場の全員が驚いている。もっとも、もし現場でピケJrにクラッシュの指示を出していれば証拠となってしまうので、作戦実行には第三者に解らない暗号が使われるのが一般的である。ただし、明確に何周目の何処で行うかが決まってさえいるのなら、それさえも必要ない。密室で3人だけで行われた&#8221;作戦会議&#8221;を仮に現場の他の者達が知らなかったとしても、この作戦は遂行出来る。実際ピケJrは今何周目かを問い、シモンズは担当エンジニアに「教えてやれ」と伝えていた。<br />&#8220;異常に短い&#8221;第1スティントを走る作戦を受け入れて勝利を掴んだアロンソはこの件に関して全く知らないとFIAの調査官に発言した。確かに、例えその時点でアロンソが何番手にいようと、13周分のガソリン量しか持たないアロンソがそれ以上周回を続けることは出来ない。よって、アロンソはただ単にセーフティ・カー後にプッシュの指示を受けて走るだけでこの作戦は成立する。が、もしかするとブリアトーレもシモンズも優勝までは考えていなかったかも知れない。実際セーフティ・カーは長引き、ロズベルグがペナルティを食らい、更にマッサがピット作業のミスで後退することまでは読めない筈である。そのマッサはレース後ブリアトーレに「このクラッシュは正しくない。あなたが望んだから起きた」と抗議した。&#8230;..ピケJrと同じブラジル人ドライバーのマッサは、結果的にこのレースでタイトル争いを不利にしてしまったと言えなくもない。</p>
<p>F1の歴史の中でこういった&#8221;意図的な事故&#8221;がどれほど行われて来たのかはもちろん定かではない。近代F1で有名な事故としては<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_112.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;89年鈴鹿のアラン・プロストとアイルトン・セナ及び翌&#8217;90年の報復劇</font></a>、&#8217;94年オーストラリアでのミハエル・シューマッハーとデイモン・ヒル、&#8217;97年ヘレスでのシューマッハーとジャック・ビルヌーヴ&#8230;..これらはいずれもチームの指示というよりも、タイトル争いのクライマックスでのドライバー自身に起こる突発的な行動、として認識されている。&#8217;89年鈴鹿のセナ、&#8217;97年ヘレスのシューマッハーにペナルティが下されているが、多くはそれが故意なものなのかどうかの真相は闇の中である。&#8217;90年鈴鹿に関しては、後年それが意図的なものであったとセナ本人が告白したが、既に選手権が成立したあとであり、誰も控訴しなかったことでそのままただの&#8221;歴史的事実&#8221;として語り継がれるのみとなった。</p>
<p>では、今回の一件をアロンソとピケJrによる&#8221;巧みなチーム・プレイ&#8221;と呼ぶことは可能だろうか。<br />&#8217;91年鈴鹿、ランキング首位を行くマクラーレン・ホンダのセナは、シーズン中盤から怒濤の追い上げをみせたウィリアムズ・ルノーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナイジェル・マンセル</font></a>を抑えるため、チーム・メイトの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_68.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ゲルハルト・ベルガー</font></a>にトップを独走させ、自らは2番手でマンセルをスロー・ペースで巧みにブロックして抑え込み、焦ったマンセルのコース・アウトを誘発、マンセルのリタイアでタイトルが確定した後に一旦はタイヤ摩耗でペースの落ちたベルガーをパスするが、最終ラップで再び故意にペースを落としてベルガーに首位を譲った。レース後、セナはベルガーと「1コーナーに先に入った方が勝つ」という約束をしていたことを暴露、チームからの指示ではないことを強調。これでセナは3度目のタイトルを獲得し、ベルガーはシーズン初優勝、マクラーレンはコンストラクターズ・タイトル獲得となった。<br />&#8217;86年最終戦オーストラリア。マクラーレン・ポルシェの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>はタイトルを争うプロストをサポートするため、自身の引退レースにも関わらずリタイア覚悟のハイ・ペースでレースを引っ張り、ポイント上のライバルであるウィリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルと<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>（Sr）を撹乱、結果トップ快走のロズベルグはタイヤ・バーストでリタイアしたが、常識外れのハイ・ペースに付き合わされたマンセルもタイヤ・バースト、それを見たウィリアムズ陣営はピケに安全のためにタイヤ交換を命じ、順位を下げる。結局終始クレバーに走ったプロストが僅か1ポイント差で2度目の王座を獲得した。リタイアしてマシンを降りたロズベルグが、走り去るプロストに親指を立てて見送るシーンは語り草となっている。</p>
<p>前者／セナの行動は賛否両論となった。それはマンセルに対してのコース・アウトを誘発するようなドライビングに対してではなく、セナが故意に、それも&#8221;これ見よがしに&#8221;ベルガーに首位を譲ったことに対してである。実際マクラーレンでセナと2年目のコンビを組むベルガーは不振に喘ぎ、常に脇役として評価されるばかりだった故に尚更である。反対に、後者／ロズベルグのケースはむしろ自らのラスト・レースを犠牲にしてまでチーム・メイトのタイトル獲得に協力した&#8221;美談&#8221;として語られることの方が多く、加えて速さ／強さは持ちながらも不運に泣くマンセルと、後方から冷静に勝利をもぎ取るプロスト、という構図の典型例となり、否定的な意見はまず耳にしない。<br />話は古くなるが、&#8217;75年第7戦スウェーデンGP予選。ようやくタイム計測にストップ・ウォッチではなくレーザーが使われ始めた頃、マーチのチーム・マネージャーのである<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マックス・モズレー</font></a>は何故かチーフ・デザイナーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_64.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロビン・ハード</font></a>にピット・ボードの掲示役を託した。ハードはそのレーザーの計測ポイントをボードを振って遮り、タイレルの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">パトリック・デパイエ</font></a>を抑えてビットリオ・ブランビラ生涯初／たった1度のポール・ポジション獲得を演出した、とハード自身から聞いたとジャーナリストのマイク・ローレンスが語っている。ちなみにお解りだと思うが、この指示を出したマックス・モズレーとは、現FIA会長本人である。</p>
<p>何がジョークで何が事件なのか、はもちろん時代によって解釈が違う。が、もしも&#8221;故意にマシンをクラッシュさせる&#8221;という提案がチーム・スタッフからドライバーに対してなされたのであれば、それは極めて危険で卑劣な行為であり、決して&#8221;作戦&#8221;などと呼べるものではない。</p>
<p>ピケはルノー離脱後「僕はアロンソとブリアトーレの両方と闘わなくてはならなかったんだ」と発言している。チームから世界王者であるアロンソとの比較によってプレッシャーをかけられるのは当然だが、ブリアトーレは意図的にレース開始直前でもピケJrに対し契約内容などを盾に度々心理戦を仕掛けており、ピケJr自身はこれを&#8221;いじめ&#8221;と捉えた。そして、自身の解雇後に父と共に逆襲に転じた。何が社会的で誰が大人げないのかは別としても、このような事態の結末に、F1にとって不可欠なチーム／メーカーの終焉が待っているのだとしたら、それはあまりにも恐ろしい逆襲劇である。</p>
<p><i>「みんな、ごめん」@&#8217;08年シンガポールGP・クラッシュ直後の無線／ネルソン・ピケJr</i></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%bf%80%e9%9c%87/">激震</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>BMWよオマエもか</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/bmw%e3%82%88%e3%82%aa%e3%83%9e%e3%82%a8%e3%82%82%e3%81%8b/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 08 Aug 2009 06:10:46 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>7月29日、突如BMWが&#8217;09年いっぱいでF1から撤退することを発表した。ただしこれは自動車メーカーとしてのBMWの撤退を意味し、ペーター・ザウバーが興したスイス・ヒンウィルを本拠地とするレーシング・チーム及・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/bmw%e3%82%88%e3%82%aa%e3%83%9e%e3%82%a8%e3%82%82%e3%81%8b/">続きをみる</a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">7月29日、突如BMWが&#8217;09年いっぱいで<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/bmwf1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">F1から撤退することを発表</font></a>した。ただしこれは自動車メーカーとしてのBMWの撤退を意味し、ペーター・ザウバーが興したスイス・ヒンウィルを本拠地とするレーシング・チーム及びスタッフとは基本的に別の問題である。が、創始者であるザウバー自身は現在チームの株式の20％しか保有しておらず、実質的にチームは<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">昨年のホンダ</font></a>同様、大株主／冠スポンサーを失う状態となり、&#8217;10年以降のチーム存続に向けてはこれから様々な動きが必要となる。しかし状況は極めて見通しが悪く、ひとつのF1チームが消滅することを覚悟しなければならない。</p>
<p>&#8230;..だが不思議なことに、BMWのこの突然の撤退発表に対して関係者やファンの反応は恐ろしく冷静なものだった。その理由は大きく分けて3つある。</p>
<p>ひとつは、ホンダの撤退時同様、世界的な不況によるメーカー自体の保守判断である。<br />F1参戦は自動車メーカーとして膨大な投資を必要とし、結果が出なければそれは巨大な負担となる。昨年の第7戦カナダGPでチーム初勝利を1-2フィニッシュで飾ったBMWザウバーは、期待された&#8217;09年型マシンF1.09が大きく外れ、更に社運を賭けて開発に心血を注いだ<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>レースでも惨敗。ここまで第2戦マレーシアのニック・ハイドフェルドの2位（ただし雨天によりハーフ・ポイント）以外表彰台フィニッシュなし、コンストラクターズ・ポイント僅か8点で10チーム中8位。選手権トップのブラウンGPが既に3ケタ（114点）であることを考えると、既に&#8217;09年の選手権は絶望的な位置にいる。それに加え、昨年3強として争ったフェラーリ／マクラーレン・メルセデスがシーズン開始時には同じく不調に喘いでいたものの、第10戦ハンガリーでは名門チームの意地を見せて優勝争いに復活。こちらはKERSも上手く機能しており、BMWザウバーは選手権だけでなく、開発からも完全に置いて行かれてしまった。この遅れをシーズン終了までに取り戻すことは事実上不可能に近く、1年間を棒に振りながら翌年の選手権へ向けての開発を進めるには時既に遅しの感が強かった。</p>
<p>ふたつ目は、F1を揺るがした<a href="http://www.f1-stinger.com/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIAとFOTAによるバジェット・ギャップ問題</font></a>に絡み、FIA会長マックス・モズレーがFOTA側と舌戦を繰り広げていた際に「今シーズン終了時に2〜3のメーカーがF1から撤退する可能性がある」と発言しており、幾つかの成績不振チーム／メーカーがその候補として挙げられていた。当然この発言そのものはモズレーからFOTAの&#8221;団結力&#8221;を崩すための手段として用いられたものではあるが、何しろホンダの突然の撤退が前例としてある以上、関係者はおおいに興味を持って事を見守った。当時その対象として見られていたのはトヨタとルノーだった。<br />トヨタは何しろ2002年の初参戦から142戦未勝利、現在グリッドに並ぶチームで唯一勝利経験のないチーム（フォース・インディア＝元ジョーダンとして）となり、同胞のホンダの撤退、更に200億円かけて大改修した地元・<a href="http://www.f1-stinger.com/kasetatsuya/2009/08/2010.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">富士スピードウェイでのF1開催を僅か2回で断念</font></a>したという事実から、&#8217;09年いっぱいでのF1撤退が囁かれ続けて来た。「今年勝てなければ撤退も」という覚悟で望んだ今シーズン、出だしこそ好調で第4戦バーレーンGPではヤルノ・トゥルーリ／ティモ・グロックが予選フロント・ロウを独占。遂にトヨタ初優勝成るかとの期待が寄せられたが、決勝では2台共に戦略面で失敗し、優勝争いから脱落。これをピークにそれ以後は予選順位も下降して行き、再び中断グループに埋もれてしまった。<br />ルノーは高額なギャランティを要する大スターであり、ルノー時代に2度の世界王者となったフェルナンド・アロンソをマクラーレン・メルセデスから&#8221;出戻り&#8221;という形で迎え入れ、アロンソの驚異的なドライビングで時折混乱のレースでは輝き、&#8217;08年は終盤の第15戦シンガポール／第16戦日本で連勝してみせた。しかしチーム全体の戦闘力は決してトップ・レベルとは言えず、&#8217;09年も軽い燃料で予選上位を狙い、レースをかき回した後にどうにか入賞、という状況が続いている。チーム・メイトであるネルソン・ピケJrはチーム／とりわけフラビオ・ブリアトーレとの確執が泥沼化し、遂にはノー・ポイントのまま第10戦ハンガリーを最後に<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/08/jr-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チームを解雇</font></a>されてしまう。が、これには別の見方もある。早急に結果を出す必要／プレッシャーに迫られたチームが低迷中のドライバーのサポートをする余裕がなく、それ故に異例のシーズン中の放出という事態となった可能性が考えられる。<br />こうしたチームと同様、BMWもまた絶望的なシーズンと不透明な未来への投資に巨額な資金がメーカーから投入されることの懸念が表面化する恐れが予測出来る成績となっていた。</p>
<p>最後に、コンコルド協定締結の遅れである。当然これは前述のバジェット・キャップ問題に絡んでのことだが、ご存知の通りFOTAはFIAが一方的なレギュレーションを強要するのならF1を離脱して新シリーズを立ち上げるとFIAを脅し、全チームによる労働組合の反乱とも言える行動に出た。それによって本来既に締結されていなければいけないコンコルド協定が結ばれず、最終的にその間にいくつかのメーカーが今後について考えなくてはいけなかったのである。何故なら、ここにサインすることで、そのチームは今後数年間はF1に参戦する義務を負うためで、一方的な途中離脱は金銭的にも多くのリスクを伴うからだ。そしてBMWの撤退が正式発表された翌日、モズレーは2012年12月31日まで有効な<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/08/fia-13.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コンコルド協定が結ばれたことを発表</font></a>。これはつまり、BMWがコンコルド協定へのサイン、つまり今後もF1に継続して参戦することを約束することが出来なくなったために訪れたタイミングと考えるべきである。さらに5月の時点で、GPMAの一員でもあるBMWはフェラーリに続いてバジェット・キャップ案の施行を前提にF1からの撤退を示唆していた。ただし、これはあくまでもBMWのモーター・スポーツ部門を取り仕切るマリオ・タイセンによるものであり、メーカーとしてのBMWの決断とは別のものである。が、こうした&#8221;小さな&#8221;動きのひとつひとつが迷える不振自動車メーカーの未来を暗示しており、今回の決断に大きな衝撃を齎さなかった要因ともなっている。</p>
<p>BMWのF1活動は常に中途半端なものだったと言える。&#8217;50年代はF2エンジンの改良型で地元・ドイツでのレースのみのスポット参戦を行い、本格的にF1に参入したのはターボ・エンジン全盛期の&#8217;80年代である。&#8217;83年に名門・ブラバム・チームのエース、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>（当然ながら父の方である）が3勝を挙げて接戦の末にドライバーズ・タイトルを獲得。しかしホンダの台頭もあって常勝気流に乗ることが出来ず、&#8217;87年で一旦撤退。その後メガトロン名義でターボ禁止となる&#8217;88年までカスタマー供給を行い、BMWとしてF1に再び参戦するのはウィリアムズと組んだ&#8217;00年である。ラルフ・シューマッハー／ファン・パブロ・モントーヤを擁してタイトル争いにも絡むが、圧倒的な強さを見せるフェラーリにどうしても勝てず、結局&#8217;05年にウィリアムズと決別、スイスの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ザウバー・チーム</font></a>を買収し、&#8217;06年から新たに&#8221;BMWザウバー&#8221;として初のチーム参戦を決断する。チームはコンスタントにポイントを重ね、3年目の&#8217;08年についに念願のBMW初勝利を1-2フィニッシュで飾ったばかり、という経歴となる。<br />当然ながら、&#8217;08年秋のリーマン・ブラザース破綻は世界中の自動車メーカーを経済的に直撃した。&#8217;80年代に同じ&#8221;エンジン・マニュファクチャラー&#8221;としてライバル関係にあったホンダが選んだのと同じ道をBMWはチョイスしたのである。F1以外のカテゴリーからの撤退については否定したものの、今後は環境問題に適合したプロジェクトを中心にして行く、という大命題はホンダと同様のものである。簡単に言えば、燃費も悪く勝てもせず、ただ巨額の資金が必要なF1をこれ以上続けることは負担が大き過ぎる、という判断である。</p>
<p>加えて、同じドイツのF1での永遠のライバル、メルセデス・ベンツの存在が常にBMWを影を薄くして来た。結果的に初勝利を挙げた&#8217;08年シーズンを制したのはマクラーレン・メルセデスのルイス・ハミルトンであり、BMW／タイセンが必死に開発して来たKERSも、BMWが開発を諦めた後の第10戦ハンガリーで、またもハミルトンが<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/f1--3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS搭載車による初勝利を挙げてしまった</font></a>のである。やること全てでメルセデス・ベンツという巨大な先駆者の前に屈し、F1による直接的な広告効果も得られなかった、というのがBMWの実情と言える。</p>
<p>突然後ろ盾を失うことになってしまったザウバー自身は、チームの将来について「ホンダからブラウンGPが誕生したケースがベストだ。つまりマネジメント・バイアウトだよ。既に幾つかのオファーを受けてるし、このスイス・チームの灯を消してはいけない。ただ、問題は時間がないことだ」と、あくまでも存続へ向けて努力することを強調している。が、チームは結果的にコンコルド協定にサインしていないため、来季参戦なら新チームとして扱われ、各チームへの分配金などでも決して有利な状況とはならない。FOTAはBMWザウバーのコンコルド協定署名の猶予期間を設けると発表したが、FIAがそれを認めるかどうかは解らない。BMWという巨大スポンサーのチームからの離脱なのか、BMWザウバーというレーシング・チームのF1からの離脱なのか、は非常に大きな問題だったわけだが、BMWサイドによる新たな買収主探しは、最終的にコンコルド協定締結により既に時間切れとなったと考えるべきである。<br />また、ルノーに息子を解雇されたピケは<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/08/bmw-4.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ザウバーを買収</font></a>するアイデアを持っているようで、&#8217;10年からの新規参入を却下されたエプシロン・ユースカディを率いるジョアン・ビラデルプラット、GP2チームであるスーパー・ノヴァのデビッド・シアーズらと共に模索中である。が、彼等がチーム名にザウバーの冠を残すつもりがあるのならば、コンコルド協定に未調印であることが最大のネックとなって来る。いずれにしても、BMWの突然の発表が投げかける波紋は巨大なものとなる。</p>
<p>BMWのF1撤退発表を受け、FOTAは即座に<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/07/fotabmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チームに対する支援を発表</font></a>。メディアは一斉に他のメーカーに対しコメントを求めた。トヨタとメルセデスはF1継続参戦を名言、しかしルノーは沈黙を守ったままである。モズレーの言葉がもしも根拠のあるものなのだとしたら、ルノーがBMWと同じ決断をする可能性は極めて高いと言わざるを得ないだろう。コンコルド協定は既に調印された。よって、今後の撤退決定／発表は多くの関係者／ファンに対する裏切りとなる。そこまでのリスクを伴う決断を行うメーカーが現れるのか、は現時点では解らない。が、全ての契約や約束は個々の事情により簡単に破棄されてしまう。そうしてF1が現在まで歩んで来たのは事実であり、この1年間でホンダ／富士スピードウェイ、そしてBMWがそれを実行した。ただそれだけのことなのだ。</p>
<p><i>「企業として、今回の決定は理解出来るものだ」<br />&#8217;09年7月29日@BMW撤退会見／マリオ・タイセン</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/bmw%e3%82%88%e3%82%aa%e3%83%9e%e3%82%a8%e3%82%82%e3%81%8b/">BMWよオマエもか</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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