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	<title>タチの悪いテレビ観戦方法 - F1 STINGER 【スティンガー】</title>
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		<title>Dear Dan,</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Oct 2011 03:02:55 +0000</pubDate>
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<p>Thank you a lot of excitement and inspiration,We will not forget you.Good bye,Dan.</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p>Thank you a lot of excitement and inspiration,<br />We will not forget you.<br />Good bye,Dan.</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/dear_dan/">Dear Dan,</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ペイ・ドライバー再来？</title>
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		<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 12:31:37 +0000</pubDate>
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<p>開幕が待ちどおしい2011年F1世界選手権。もうこっちも慣れたモンではあるが、この期に及んでいくつかのチームが未だドライバー・ライン・アップを未決のままでいる。が、当然水面下で多くの浪人ドライバー達がチームと契約に関して・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">開幕が待ちどおしい2011年F1世界選手権。もうこっちも慣れたモンではあるが、この期に及んでいくつかのチームが未だドライバー・ライン・アップを未決のままでいる。が、当然水面下で多くの浪人ドライバー達がチームと契約に関して細かいやりとりの真っ最中であり、そこには相当巨額なお金が蠢いている、と考えて良い筈である。では、準備不足というリスクもある筈なのにチーム側がなかなか正式発表しないのはいったい何故なのか。<br />以前、ここスクイチで&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/07/post-33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">お金のハナシ。</font></a>&#8220;と題し、F1チームの運営資金からドライバーのギャランティに至るディープな話題を扱ったことがあったが、これがおかげさまでなかなか好評、今更ながらこのモータースポーツの頂点であるジャンルに於けるお金の位置付け、そしてスポーツとは、選手（ドライバー）とはなんたるか、などの議題にも突っ込んだのが功を奏したのかも知れない。ともあれ、&#8221;実力のみでは走れず、お金だけでは勝てない&#8221;というこのジャンルの難しさを少しでもビギナーの皆さんに伝えることが出来たなら幸い。<br />さて、このところ目一杯F1チームのシート争奪戦を難しくしちゃった感のある話題に、インド人初のF1ドライバー、ナレイン・カーティケヤンがHRT（ヒスパニア・レーシング）から5年振りにF1復帰、契約スポンサー料はチームの年間運営資金の1/3と言われる1千万ユーロ（約11億円！）を持ち込んだ、と言うニュースがある。また例によって金に細かい<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-30.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コリン・コレス</font></a>のこと、もしもカーティケヤン・サイドの支払いがちょっとでも滞ったら、いったい誰が代わりに出て来るか解ったモンじゃない。<br />また、ウィリアムズが&#8217;10年のゴールデン・ルーキーのニコ・ヒュルケンベルグを泣く泣く捨て、巨額のベネズエラ・マネーを持ったパストール・マルドナドを起用せざるを得なかったのもF1の現状を良く表している。かの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランク・ウィリアムズ</font></a>が、金にさえ困ってなきゃ絶対にあんな掘り出しモノ（ニコ）を放出するワケがない。なんたってあの中団グループのウィリアムズ・コスワースで第18戦ブラジルGP予選ポール・ポジション獲得だぜ？。チーム5年振りの快挙だぜ！？。で、そんな逸材を捨ててまでまたも新人ドライバーを獲らなきゃならないところがウィリアムズの深刻な事情なんだな。</p>
<p>&#8230;..さあ、今回のテーマはズバリ&#8221;ペイ・ドライバー&#8221;だ。非常に残酷な言い方をしてしまえば、実力や成績よりも巨額の持ち込み資金によってF1のシートを射止めた者。ただし、中にはそのチャンスを活かし、自らの腕で好成績を残した者もいるし、反面「ああやっぱり」的な結果しか残せなかった者も大勢いた。が、元々は貴族や金持ちの道楽として始まった自動車レース、当然過去のF1黎明期を含め、長い自動車レースの歴史を語り始めればそんな例はキリがなく、ここに紹介しきれるほど少なくもないので、ここではおそらくここを御覧になってる皆さんの平均年齢と、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/post-5.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;76年富士</font></a>デビューの筆者の記憶に強く残るペイ・ドライバーを紹介することにする。</p>
<p>まずは&#8217;70年代。<br /><a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">筆者</font></a>が1976年のF1イン・ジャパン@FISCOで初めてF1マシンを目の当たりにした際（当時小学生）、何もかもが未知の世界であったのはご想像の通りだが、徐々にF1にのめり込んで行くに連れ、どうにも子供のアタマでは理解出来ない事柄がいくつかあった。その中のひとつが、各チーム基本2台態勢でカー・ナンバーが連番、または小規模なチームは1カー態勢での参戦が基本のようなのだが、たまにカー・ナンバーが離れた3台目のマシン／ドライバーが、それも違うチーム名で走っている例があることだった。例えば&#8217;76年シーズン、タイレル（所謂ティレル）は&#8221;エルフ・チーム・タイレル&#8221;としてナンバー・3にジョディ・シェクター、4にパトリック・デパイエをエントリー。んで、どうやらこれがワークス・タイレル。で、エースのジョディの弟であるイアン・シェクターがカー・ナンバー15で、チーム名は&#8221;レキシントン・レーシング&#8221;。更にカー・ナンバー39にオット・ストウパッシャー（OSACレーシング）、40にイタリアのアレッサンドロ・ベゼンティ・ロッシ（スクーデリア・ガルフ・ロンディーニ）、更に当該の第16戦富士では我が日本の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_06.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">星野一義</font></a>がナンバー52でヒーローズ・レーシングからエントリー。これがどうやら&#8221;プライベート・チーム&#8221;ということらしい。ただし、ワークスのふたりが新車<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">P34</font></a>に乗っているのに対し、プライベート参戦の3人は旧車007、という状況である。他にもブラバムがワークス2台＋プライベート4台、マーチがワークス2台＋プライベート2台などなど。そして、もうひとつプライベート・チームがワークスと決定的に違うのは、そのマシンのカラーリング及びスポンサー・ロゴである。簡単に言えば確かにマシンはタイレルでありブラバムなのだが、その見た目はかなり独創的で、特にワークス・チームのデザインに馴染みがあればあるほど、その特殊な違和感を持つ見た目が不思議な魅力を持って見えて来る。<br />&#8217;70年代で筆者が記憶に強く残っているのは、メキシコ出身のヘクター・レバークといドライバーである。<br />レバークはメキシコのホテル経営による大富豪の家庭に育ったスポーツマンで、&#8217;77年第7戦ベルギーGPにヘスケスからF1デビューし、第11戦ドイツGPで初の予選通過〜決勝リタイア。数戦乗った後に自身のチーム&#8221;レバーク&#8221;を発足、翌&#8217;78年にはチーム・レバークとしてロータスの名車、78を購入。第11戦得意の（？）ドイツGPで初の6位初入賞を記録した。翌&#8217;79年にはペンスキーのマシンを購入し、&#8221;レバークHR100&#8243;として参戦。レバーク本人はこのあたりで上位に食い込めぬ現状からF1に一旦見切りをつけるが、&#8217;80年に地元メキシコのスポンサーがブラバム・チームのナンバー2・シートをゲットし、初のワークス参戦。しかし後に3度の世界王者となるエースの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>相手に歯が立たず、&#8217;81年のフル参戦を最後に引退。参戦中、予選でただの1度もチーム・メイトを上回れなかったのがレバークの実力の全てを表していた。それでも&#8221;道具&#8221;に恵まれた&#8217;81年には最高位4位（3回）を記録、ただしこの年、同僚ピケは初の世界王者となっている。<br />ノーズにメキシコ国旗が描かれたチーム・レバークは、これまでF1史上唯一のメキシカン・チームである。「自身のチームで2年やったが、状況は好転しなかった。マシンを壊さぬよう、無事にゴールまで運ばなくてはならなかったし、スポンサーに対しても申し訳なかった。だから自分のチームを興すことにしたんだが&#8230;..今考えればあまり効果はなかった、と言わざるを得ないね」と後年レバークは当時を振り返った。が、成功した名門チームのシャシーを購入して出走しても、決してワークスのような速さに繋がらないのが、チーム力でありドライバー力であることをこの少年が知るには丁度良い存在であった。そして何より、ワークス・チームに比べて明らかに&#8221;ダサい&#8221;、彼らプライベーターのマシン・カラーが何故か妙に愛おしく感じたものである。</p>
<p>続いて&#8217;80年代。&#8230;..この時代に関しては相当多くのペイ・ドライバー達がF1のパドックに犇めいていた。よって、誰かひとりを選出するのは極めて難しいのだが&#8230;..敢えて選ぶのならアンドレア・デ・チェザリスだろうか。&#8217;76年イタリア・カート王者、&#8217;79年イギリスF3選手権2位のキャリアは見事なものである。が、&#8217;80年にF1デビューを飾るチェザリスには、&#8221;そこにいる&#8221;ための極めて大きな要素が存在した。実は、彼はフィリップ・モリス社／マールボロの重役の御曹司だったのである。<br />ただし、チェザリスは実際に速かった。が、同時にそのドライビング・スタイルは極めて荒かったのも事実である。極端な言い方をするなら「金の心配はいらないから思い切り突っ走って来い」と言われてそのまま突進するタイプで、&#8217;83年第13戦カナダGPでマールボロがメイン・スポンサーを務めるアルファロメオからF1デビュー、いきなりの予選8位。フル参戦初年度の&#8217;81年は名門<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>へと移籍し、第4戦サンマリノGPで6位初入賞。しかしリタイア回数は8回を数える。&#8217;82年にはアルファロメオへ復帰し、第3戦ロングビーチGPで22歳（当時歴代最年少記録）での初ポール・ポジション獲得。また第6戦モナコで2位、第7戦デトロイトでも予選2位と、度胸と技術が問われる公道レースで滅法速いところを見せつける。が、結果的に見れば入賞はモナコの3位と第8戦カナダGPの2戦のみ、リタイア回数は10回。&#8217;83年、第6戦ベルギーと第10戦ドイツで予選3位、決勝はドイツと第15戦南アフリカGPでの2位2回、リタイア回数は9回&#8230;..速いが荒い。人々はチェザリスを&#8221;クラッシュ・キング&#8221;と呼び始めた。それも「いくら壊してもパパとスポンサーが許してくれるだろう」という揶揄を込めてである。&#8217;84年、チェザリスはフランスのリジェ・チームへと移籍。しかしここでも時折見せる速さとは対照的に、入賞2回（5位／6位）で目立つのはリタイア9回。翌&#8217;85年は第4戦得意のモナコで3位表彰台を獲得して見せたが、シーズン中盤に立て続けにマシンを全損させたことがチーム・オーナーのギ・リジェを激怒させ、第11戦オランダGPを最後にチームから解雇。ちなみに11戦中リタイア9回であった。<br />&#8217;86年、マールボロのスポンサードによりイタリアの小規模チーム、ミナルディにシートを得るも、マシン不調も含めて15戦中14リタイア、という目も当てられない結果を残し、チームを離脱。&#8217;87年、ブラバムへ移籍し、第3戦ベルギーGPでは見事3位表彰台を獲得、しかしやはりリタイア14回でチーム離脱。&#8217;88年は新興チーム、リアルに加入、またも得意な公道のデトロイトで最高位4位、しかしリタイアは11回に及ぶ。&#8217;89年、フェラーリ・コピーのようなイタリアの小規模チーム、スクーデリア・イタリアへ。第6戦カナダGPで雨の中3位表彰台獲得。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_111.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;90年開幕戦フェニックス</font></a>ではピレリ・タイヤを巧みに使い予選3位。が、結果は12回のリタイアでノー・ポイント。キャリア8年目、誰もがチェザリスの限界を知った。<br />&#8217;91年、新規参戦のジョーダンへ「マシンを壊したら罰金」という異例の条件付きで加入。マシンの速さもあって序盤に活躍を見せ、第11戦ベルギーGP（<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>がチーム・メイトとしてF1デビューしたレース）では中盤2位を走行し、トップの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>（マクラーレン・ホンダ）を追い回す活躍を見せるも結果エンジン・ブローで惜しいリタイヤ。しかし、シーズンを通じてみると自らのミス／クラッシュによるリタイヤは激減した。安定感を得たチェザリスは&#8217;92年にティレルへ移籍、自己のミスによるリタイアは2度だけと、チームのコンストラクターズ選手権6位獲得に貢献した。翌&#8217;93年はティレルの型落ちマシンに苦しみノー・ポイントに終る。&#8217;94年、チェザリスは遂にF1浪人となるが、出場停止処分を受けたエディ・アーバインに代わって第4戦モナコでジョーダンから代役出場、期待に応えて見事4位入賞。その後同GPで負傷したカール・ヴェンドリンガーに代わってザウバーへ移籍、第7戦フランスGPで6位入賞を果たす。<br />そしてこれを最後に、チェザリスの波乱のF1キャリアは終わりを告げた。&#8217;80年のF1デビュー以来足掛け14年、アルファロメオ〜マクラーレン〜アルファロメオ〜リジェ〜ミナルディ〜ブラバム〜スクーデリア・イタリア〜ジョーダン〜ティレル〜ジョーダン〜ザウバーとチームを渡り歩いたチェザリス。ポール・ポジション獲得1回／決勝最高位2位／最速ラップ獲得1回、決勝レース完走率34％（213戦／内リタイア回数135回）。ありがたくない&#8221;最多出走未勝利記録&#8221;保持者である。<br />F1という特殊性を考えた際、チェザリスは明らかに適切な時期に&#8221;進化し損なった&#8221;ドライバーだった。ここで言う進化とはズバリ&#8221;安定性&#8221;である。デビュー当時、その速さは確実にトップ・クラスだった。が、本来大前提である&#8221;マシンをフィニッシュ・ラインまで運ぶ&#8221;という能力に、キャリア2〜3年目に結びつかなかったのがチェザリスが大成出来なかった大きな要因である。特にコンクリート・ウォールが間近に迫る公道サーキットでの速さが表しているように、レーシング・ドライバーとしての大原則である&#8221;スピードを恐れない&#8221;という部分は卓越していた筈である。しかし、それももしもチェザリスが&#8217;60〜&#8217;70年代のF1を走っていたとしたら、とうに命の保証はなかっただろう。あくまでも進化したレーシング・カーの安全面に支えられ、尚且つ潤沢な資金により中堅チームから必要視されたからこその存在だったことは否めない。</p>
<p>さて、&#8217;90年代は正直迷った。バリッラ・スパゲッティの息子も捨て難いし、予選落ちしてもニッコニコで参戦をエンジョイしてたラバッジおじさんもいる。&#8230;..が、あえてここでは&#8221;F1ドライバー&#8221;としての特性を問うべく、ある程度の期間をかけてその遍歴を追える存在の者を取り上げることにする。&#8217;90年代を代表するペイ・ドライバーには、ペドロ・ディニスに登場願おう。<br />ブラジルで巨大スーパー・マーケット・チェーンを展開する実業家の家に生まれたディニスは&#8217;87年、17歳の時にカートでレーシング・ドライバーとしてのキャリアをスタート、&#8217;89年にフォーミュラ・フォード・ブラジル選手権参戦、&#8217;90年に南米F3選手権、翌&#8217;91年にはイギリスF3選手権へ参戦。&#8230;..が、その間ディニスは特筆すべき成績は挙げていない。言ってしまえば、父のサポートにより潤沢な資金を使って次々にステップ・アップして行ったに過ぎない。にも関わらず、&#8217;93年には遂に国際F3000選手権（現在のGP2）に参戦。ディニスはイタリアのチーム、フォルティ・コルセに加入する。この頃フォルティ・チームは、F1へのステップ・アップを模索していた。そこへ南米の大企業を引き連れてディニスが加入、これにより潤沢な活動資金を得たフォルティは&#8217;95年、ディニスと共にF1へと参戦する。<br />&#8217;90年代中盤と言う時代性を考えると、フォルティとディニスのF1デビューはやや突飛なものとなった。パシフィックやシムテックなど、前年まで参戦していたいくつかの小規模チームが資金難から撤退を余儀なくされ、多くの資金持ち込みドライバー達が中堅チームの台所事情により出入りしている状況で、チームごとほぼ&#8221;買収&#8221;したような形でF1に参入して来るのは、やや時代遅れの感があった。例えばそれは、&#8217;70年代のレバークのようだったからである。しかもフォルティは新規参入チームにありがちな&#8221;重く、走らないマシン&#8221;を開発してしまい、当然ながらグリッド後方でのバック・マーカーとしてのレースとなり、入賞なしでデビュー・イヤーを終えた。この新チームに1年で見切りを付けたディニス・ファミリーは翌年、当時中堅チームと言えるリジェへの移籍を発表。当時資金難に苦しんでいたリジェはチーム・メイトとなった名手<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_27.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">オリビエ・パニスがモナコGPでキャリア初勝利</font></a>を挙げるなどチーム全体は向上したものの、ディニスの成績は最高位6位／リタイア10回と振るわず。&#8217;97年は最高位5位／リタイア11回、ディニスは確実にF1には慣れて行ったが、その成績が伴うことはなかった。&#8217;97年、ディニスは今度はアロウズに移籍し、前年ウィリアムズ・ルノーでタイトルを獲得しながらもチームを弾き出されたデイモン・ヒルとタッグを組む。するとディニスは意外にも現役世界王者相手に善戦、予選では何度かヒルを上回って見せた。しかし決勝では中堅チームを<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_41.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">あわや優勝かというところまで導いた</font></a>（第11戦ハンガリーGP、予選3位〜決勝2位）ヒルの活躍には及ばなかった。翌&#8217;98年はチーム・メイトにミカ・サロが加入。ここでもディニスはサロに肉迫し、獲得ポイントは同点。この2年間で確実な成長を見せたディニスは徐々に周囲の見方を変えて行くことに成功する。<br />&#8217;99年、ディニスはザウバーへと移籍。ここでは元フェラーリのエース、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・アレジ</font></a>をチーム・メイトに、入賞回数で上回る活躍を見せた。翌&#8217;00年はサロ相手にやや苦戦、入賞ゼロでシーズンを終えた。出走99回、完走率40％、入賞8回、獲得総ポイント10点。これがペイ・ドライバーとしては立派な数字、と言えるかどうかは定かではない。が、明らかにディニスはF1でドライビングを学習した。本人も後に「アロウズ時代に現役世界チャンピオンであるヒルから学んだことは多かった」と語っている。また、ディニスは実はF1デビュー・イヤーの&#8217;95年、元F1ドライバーのルネ・アルヌーから&#8221;ドライビング・コーチ&#8221;を受けていた。プロのF1ドライバーがドライビングのコーチを受けるということ自体が珍しいが、つまりそれほどまでにディニスは&#8221;真面目で勤勉だった&#8221;と言える。そしてその探究心は実を結び、キャリア後半では確実に自らの成長に繋がった。<br />しかし、&#8217;00年シーズンが終ると同時にディニスは突然レーシング・ドライバーを引退し、僅か30歳の若さでプロスト・グランプリの共同オーナーとなることを発表。結果的にオーナーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>とチーム運営に関して折り合わずにこの提携は1年で終了、ディニスはここで完全にF1から身を退いてしまった。以降地元ブラジルでアンダー・フォーミュラの選手権主催など自国のモータースポーツ発展に尽くすが、現在はややレースと距離を置いた普通の実業家、として活動中である。</p>
<p>さて、続く&#8217;00年代のF1ドライバーの誕生背景、はそれまでと比べて大きく様変わりした。それはひとことで言ってしまえば&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/08/post-36.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">スカラシップ</font></a>&#8220;の台頭である。<br />極めて解りやすい例が現在の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>だ。多くのスポーツに関わる彼らはフォーミュラ・レーシングに於いても独自の若手育成プログラムを設け、遂にはF1に若手発掘のための&#8221;Bチーム&#8221;という概念を齎した。レッドブルにとってのトロ・ロッソがそれにあたる。事実、&#8217;10年F1世界王者となった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>はレッドブルの育成ドライバーとしてトロ・ロッソからF1デビューし、初優勝を遂げる大活躍を齎して&#8221;Aチーム&#8221;であるレッドブルのドライバーへと昇格した。そして今後もカートや底辺フォーミュラから有望な若手ドライバーを発掘／育成し、いつでも&#8221;Aチーム&#8221;へ上がれるよう万全の体制を整えているのである。<br />&#8217;08年世界王者、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>の形容詞は&#8221;マクラーレンの秘蔵っ子&#8221;である。幼い頃にマクラーレンの総帥ロン・デニスに見い出されたハミルトンは未来のマクラーレン・ドライバーへの道を約束され、アンダー・フォーミュラでの英才教育が施された。結果、ハミルトンはデビュー・イヤーから2度の世界王座に輝くアロンソをチーム・メイトにタイトル争いを繰り広げて見せ、下積みなくしてトップ・ドライバーの仲間入りを果たしたのである。<br />我が日本も<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダ</font></a>／<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタ</font></a>の2大メーカーの参戦時にはこのスカラシップ制度が大きく影響していた。ホンダ主催のSRS（鈴鹿レーシング・スクール）出身の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">佐藤琢磨</font></a>、トヨタのTDP（トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム）の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>らがまさにそれにあたり、トヨタ撤退後に本格参戦することとなった現役の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>もまたTDP所属ドライバーである。<br />こうした動きにより&#8217;00年代にはもはやペイ・ドライバーは時代遅れとなりつつあった。が、実際に資金難のF1チームを救えるのはやはり&#8221;金持ち&#8221;でしかなく、シーズン後半になると、実力者でありながら豊富な資金を持ち込む新進ドライバーにシートを明け渡すベテラン、という構図はグリッド後方、ジョーダン／スパイカーやミナルディなどのチームでは見慣れたものとなっていた。しかし、例えば<br />&#8217;90年代のディニスのようにチームの年間予算を丸ごと賄えるようなペイ・ドライバーは登場せず、あくまでもスポット参戦的なものにとどまった。それだけ世界的な不況が深刻だった事実も確かだが、&#8217;08年にはドイツの雑誌が「参戦する22人全員がギャランティを貰って乗っているという統計が取れた」と発表。ちなみに最高額は<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2011/01/post-38.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェルナンド・アロンソ</font></a>（当時ルノー）の2,800万ドル、最低額は中嶋一貴（当時ウィリアムズ）で100万ドル、とのこと。&#8230;..持ち込みスポンサーや企業バックアップとチーム／個人の契約内容など外野に解る筈もなく、全てが憶測に過ぎないのは事実だが、&#8217;00年代はペイ・ドライバーの時代ではなかった、というのは事実である。</p>
<p>そして迎えた2010年代。レギュレーションの妙、と言えばタイミングが良過ぎるが、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIAが提案した低年間予算によるチーム運営</font></a>実現に向け、新たに3つのF1チームが誕生した。しかし結果的に彼らがグリッドに並んだ時、その案は既に過去のものとなり、彼らは予想外の資金繰りに頭を悩ませることとなる。そして、ペイ・ドライバーの復活である。ロシア政府のバックアップを持つヴィタリー・ペトロフが、個人資産を注ぎ込める<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-30.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">山本左近</font></a>が、悩めるF1チームの財政を救った。そして1年間頑固に我が道を行った<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>も遂に観念、今季はセルジオ・ペレスの加入により豊富なメキシカン・マネーがアテに出来る。フランク・ウィリアムズもまた、パストール・マルドナドへのベネズエラ政府のバックアップにより&#8221;延命&#8221;を成功させた。<br />&#8230;..しかし、忘れてはならないことがある。このふたりは、昨年のGP2選手権1位と2位の実力者なのである。F1直下のカテゴリーでトップを争ったふたり、つまり彼らはF1そのものによるスカラシップ・ドライバーなのだ。資金力は彼らの付加価値でしかなく、逆に言えば、資金力に加えてトップ・フォーミュラで闘える力を確実に持ったドライバーなのである。これでは、ただ資金力のある&#8221;だけ&#8221;の者に出番はない。時代は巡り、今求められているのは全ての要素を兼ね備えたドライバーだけ、と言える。</p>
<p>&#8230;..元々&#8221;金持ちと貴族の道楽&#8221;として始まった自動車レース。その最高峰に位置するF1世界選手権は2011年、&#8221;金持ちと才能の競演&#8221;となる。果たして今のF1に、巨額の資金と共に5年振りの現役復帰となるカーティケヤンの居場所はあるのか。それとも&#8221;才色兼備&#8221;のマルドナド／ペレスが新たな時代を切り開くのか。</p>
<p><i>「マルドナドはペイ・ドライバーではない。今までそんなドライバーを乗せたこともない」&#8217;11年／アダム・パー（ウィリアムズ）</i></p>
<p>////////////////////////////////////////////////</p>
<p>&#8220;バリアの外側のマニア&#8221;加瀬竜哉が最新のF1ニュースをピックアップし、そのニュースの背景を持ち前のマニアックな視点から掘り下げ、更により解りやすく解説し、検証する。</p>
<p><a href="http://www.kasetatsuya.com/cgi/uk/topics.cgi" target="_blank"><font color="#ff00ff">no race, no life formula1 topics</font></a></font></p>
<p><font color="#3e6b3a"></font>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%83%89%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%90%e3%83%bc%e5%86%8d%e6%9d%a5%ef%bc%9f/">ペイ・ドライバー再来？</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>繰り返された&#8221;茶番&#8221;</title>
		<link>https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e7%b9%b0%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%8c%b6%e7%95%aa/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Jul 2010 12:17:15 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>「これは2002年のあの&#8221;忌まわしい一件&#8221;の再現だ。そして、あの時はルールがなかった。今は明確に違反行為だ。そして、今回はあの時よりも10倍も悪いことだと思うね」BBCでTV解説を行っているエディ・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e7%b9%b0%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%8c%b6%e7%95%aa/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e7%b9%b0%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%8c%b6%e7%95%aa/">繰り返された”茶番”</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">「これは2002年のあの&#8221;忌まわしい一件&#8221;の再現だ。そして、あの時はルールがなかった。今は明確に違反行為だ。そして、今回はあの時よりも10倍も悪いことだと思うね」BBCでTV解説を行っている<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エディ・ジョーダン</font></a>は怒っていた。2002年の忌まわしい一件とは、オーストリアGPでトップを行くルーベンス・バリチェロに対し、後方にいる<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミハエル・シューマッハー</font></a>を先行させるよう<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-29.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェラーリ</font></a>がピットから無線で指示した、所謂&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_26.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">チーム・オーダー事件</font></a>&#8220;のことである。<br />&#8217;10年第11戦ドイツGP、フェラーリはまたもレース中の順位入れ替え操作を行った。が、今回はチーム監督からではなく、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサ</font></a>担当エンジニアのロブ・スメドレイから直接、それもフェラーリ首脳に対しての嫌味をたっぷりと込めた内容のメッセージが発せられたのである。今回は再び起きたこのフェラーリのあからさまな違法行為と、フェラーリ内部で起きている歪みについて検証する。</p>
<p>レースは予選3番手のマッサの絶妙なスタートで始まった。ポール・ポジションの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>（<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レッドブル</font></a>）と、2／1000秒差でフロント・ロウに並ぶフェルナンド・アロンソが激しいチャージの応酬をしている間、1コーナーをアウト側から駆け抜けたマッサがトップに立ち、開幕戦以来のフェラーリ1-2態勢となった。序盤はマッサのペースでレースが進むが、若干ペースの落ちたマッサにアロンソが追いつき始めた48周目、スメドレイからマッサに対して無線が飛んだ。<br />「フェルナンドは君よりも速い。このメッセージの意味が解るか？」<br />翌49周目、ターン6後の加速でマッサは露骨にスロー・ダウンし、アロンソを先行させた。そして再びマッサにスメドレイからの無線。<br />「良くやった。ありがとう&#8230;..すまない」<br />&#8230;..TV放送の中にマッサからの返答の場面はなかったが、恐らくマッサは無言で事態に対応したのだろう。アロンソは開幕戦以来の勝利となり、フィニッシュ後にチームへの無線で「フェリペは3秒ほど遅かったが、ギア・ボックスに問題でもあったのか」と訊ねてみせた。マッサは相変わらず何も言わなかったが、チームからは「君はチームに良く貢献してくれた。その件についてはあとで話をしよう」と意味深な言葉を受けた。パルクフェルメにマシンを止めたふたりは軽く抱擁し合い、表彰台に上がる直前にはチーム監督の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ステファノ・ドメニカリ</font></a>がふたりを労うが、ここでもマッサの表情は硬いまま。形式的なシャンパン・ファイトを終え、トップ3インタビューでボス・コンスタンデュロイから「あの時何があったのか」との質問に「ノー・コメントだ」と答え、その後も「僕はチームのために働いている」と繰り返した。ドイツGPのスチュワードはこの一件を重要視し、フェラーリのスタッフへの事情聴取などの調査に乗り出し、最終的に国際スポーティング・コード第39条（チーム・オーダー禁止）／第151条（スポーツ信用の失墜）の違反により100万ドルの罰金を言い渡した。またこの件の最終的な結論は、今後世界モータースポーツ評議会（WMSC）に委ねられる。</p>
<p>F1世界選手権では現在、レース中のチームによる順位操作は禁止されている。そして今回の件には、冒頭のジョーダンの発言のように、そのきっかけとなった伏線が存在する。若いファンのために、ここでその事件をもう1度検証しよう。</p>
<p>&#8217;02年第6戦オーストリアGP。この年、フェラーリはシューマッハー／バリチェロのコンビで221点を稼ぎ出し、シーズン中盤の第11戦フランスGPで早々とシューマッハーがタイトルを決め、第13戦ハンガリーGPでは4年連続のWタイトルを確定した。シューマッハーは序盤5戦で4勝／44点、ランキング2位の弟、ラルフ・シューマッハー（<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウィリアムズ</font></a>・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMW</font></a>）は1勝／20点、シューマッハーのチーム・メイト、バリチェロは6点だった。フェラーリは完全にシューマッハーのタイトル獲得を前提にシーズンを送っていた。レースはポール・ポジション・スタートのバリチェロがそのままトップを快走、シューマッハーは2番手。終盤67周目、フェラーリの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_116.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロス・ブラウン</font></a>からバリチェロに対し、無線でメッセージを発する。「スロー・ダウンし、ミハエルに順位を譲れ」バリチェロは困惑し「本気で言ってるのか」と聞き返す。今度はチーム監督の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・トッド</font></a>から「それがチーム全体のためだ」と返答。66周目、バリチェロから「もう1度聞く。僕に優勝するチャンスはないのか」チームの返答はなかった。その答はバリチェロ自身の行動に委ねられ、そしてバリチェロはファイナル・ラップの最終コーナーで露骨にマシンをスロー・ダウンさせ、シューマッハーに勝利を譲ったのである。表彰台ではシューマッハーはバリチェロを真ん中に立たせ、自身は2位のトロフィーを受け取るなどの&#8221;茶番&#8221;を見せた。グランド・スタンドからはブーイングが起こり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">FIA</font></a>はこの件を調査、最終的に翌年からのチーム・オーダー禁止が正式に決まったのである。</p>
<p>モーター・スポーツという何もかもが特殊なジャンルに於いて、こうした論議は数限りなく行われて来た。&#8217;50年のF1世界選手権開幕当時、自動車レースはあくまでもメーカーの競争だった。そのため、F1でもチーム／コンストラクターによる順位操作は当たり前のように行われ、場合によってはトップを走るセカンド・ドライバーがマシン不調に悩むエース・ドライバーのためにレース途中でマシンを降り、エース・ドライバーに自らのマシンを献上することもあった。それが歴史と共に徐々にヒューマン・スポーツ化して行き、最終的に同じチームであってもドライバー同士は正々堂々と順位を争うことが暗黙の内に求められた。それが明確にルール化されたきっかけが、&#8217;02年オーストリアGPだったのである。よって、現在はチーム間による順位操作は違反であり、実際ペナルティの対象と成り得る。<br />とは言え、&#8217;02年以降これまでこうしたチームによる順位操作が全くなかったわけではない。FIAがチームに求めたのは、少なくとも観戦者／TV視聴者ががっかりすることのないよう、スタイリッシュに行うことだった。つまり、解らないように行うのであればお咎めはない、というものである。解りやすい例で言えば、チームからの無線指示ならば&#8221;暗号&#8221;や&#8221;隠語&#8221;を用い、露骨に順位操作を行ったと解らなければ特に問題にはしない。例えば「フェリペ、&#8221;ミクスチャー&#8221;が&#8221;R-5&#8243;だ。解るな？」とか言っておけば、少なくともそれが「フェリペ、フェルナンドに譲るよう指示が出た。解るな？」という意味だという証拠はなく、チームもあとからいくらでも言い訳が出来る。しかしそれを無線やサイン・ボードを用いて世界中のTV視聴者に解るようにやってはスポーツとして成り立たない、という概念に基づいているのである。</p>
<p>これまで筆者は何度かこういった件を紹介する際、野球で言う送りバントや犠牲フライ、アメリカン・フットボールに於けるオフェンダー／ディフェンダーなどを例にあげて来た。つまり、多くのスポーツに自己犠牲による戦略が存在しているにも関わらず、何故自動車レースでは問題にされるのか、というハナシだ。<br />野球では1点取るためにオマエは送りバントしてアウトになって来いと監督に指示され、見事にやってのけた選手には拍手が贈られ、勝利への貢献度が評価される。フットボールのディフェンダーは初めから防御要員であり、攻撃時には出番すらない。が、それを非難する者も当然ながらいない。しかし、例えば野球では当たっている打者を故意にフォアボールで歩かせる&#8221;敬遠&#8221;が非難の対象となることがしばしばある。しかしそれは場面によってケースも違うが、試合全体から見れば駆け引きのひとつでしかなく、これがルール改正に影響を及ぼすことはない。しかし、セカンド・ドライバーのバリチェロがエースのシューマッハーに順位を譲る、という行為が事件に発展し、ルールが変更されたのは事実である。こうした背景には、ただでさえ人的貢献度に疑問符の付くモーター・スポーツを、これ以上ヒューマン・スポーツから遠ざけたくないという運営社側／FIAの思惑が存在する。<br />最終的にはヒューマノイドがドライブしても良い筈の自動車レースから、世界各国を代表するトップ・ドライバーがいなくなってはレースがスポーツ・イベントとして成立しないからだ。いつだってそこにはスター選手の存在が不可欠で、それはシューマッハーであってバリチェロではない、というのがフェラーリの見解だった。関係者はそれを事実として受け入れつつも、明確なルール化によって管理しなくてはならなかった。そうでなければ、素晴らしいスタート・ダッシュでトップに立ったドライバーに、オープニング・ラップから「OK、10周目までにチーム・メイトに順位を譲るんだぞ」なんて無線が飛んではファンも応援のしようもない。チーム・オーダー禁止令は、こうしたF1のスポーツ面で大きな意味を持つレギュレーションなのである。</p>
<p>そして今回の問題再燃には、もうひとつ興味深い背景がある。&#8217;02年の際にはチーフ・ディレクターのブラウンとチーム監督のトッドがバリチェロの説得にあたった。しかし今回、このやりとりの声の主はマッサ担当エンジニアのスメドレイのみ、という点が興味深い。そしてスメドレイは、全世界のTV視聴者、そしてレース・スチュワードに聞かれていることを承知で、わざとマッサに「すまない」と詫びてみせたのである。<br />F1に限ることではないが、チームにふたりのドライバーがいれば、それに伴い異なるふたつのレーシング・チームが存在することになる。彼らはもちろん同一チームのチーム・メイト同士だが、最も身近なライバル同士でもある。特にここ数戦でチーム・メイト同士の緊張感が高まっているレッドブルでは、ヴェッテルと<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-25.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバー</font></a>の担当メカニック達がピット内でも火花を散らしており、チームのレベルの高さと運営の難しさが話題となっている。特にエースとセカンドの差が明確なチームとそうでないチームもあるが、同一チーム内でこうした激突が起きるのは当然のことでもある。そして、各ドライバーには個別に担当のレース・エンジニアがおり、今回の主役であるスメドレイはマッサ担当、ちなみにアロンソ担当はクリス・ダイアーである。<br />スメドレイは明らかに緊張した声で、ゆっくりとマッサに告げた。「fernado is Faster Than you」&#8230;..この時スメドレイは明らかに困惑していた。恐らく、ドメニカリを始めとしたチーム首脳陣と、ペースの落ちて来たマッサと、後方にいるランキング上位のアロンソの順位をどうするかで散々揉めたあとであろうことは容易に想像出来た。自らもこの決定に納得の行かないスメドレイは、決して多くの人々にこれがチーム・オーダーであると悟られまいとしたとはおよそ思えない口調でマッサに指示を行ったのである。そしてとどめのひとこと「sorry」&#8230;..マッサは恐らく&#8217;02年のオーストリアGPでのバリチェロと同じ心境だっただろう。ただし、マッサの対応は紳士的であり、そして精一杯のものだった。ターン6の加速で露骨に緩めたアクセリングを、FIA国際映像はリプレイで映像公開した。そのやりとりの全てが証拠となり、レース後のフェラーリのピットは各国のインタビューアーでごった返し、ドメニカリは対応に追われた。ドメニカリは「あれはマッサが自分で判断したこと。我々は単に後のフェルナンドの方が速いことを伝えただけ」としらばっくれ続けた。レース後、おそらくスメドレイはフェラーリ上層部からキツイ一発を食らっただろう。それは、マッサと一心同体となったスメドレイの人間らしさと、そして残念ながら欠けていると言わざるを得ない&#8221;プロフェッショナリズム&#8221;による。つまり、この件はフェラーリというトップ・チームにあるまじき茶番劇であると同時に、極めてヒューマニズムを感じさせる一件だったとも言える。これによりフェラーリ内部に所謂&#8221;内紛&#8221;が起こり、今後のレース戦略にも大きな影響を与えることは間違いない。</p>
<p>&#8217;02年の際、フェラーリはシーズン序盤から明らかに圧倒的優位にいた。よって、何も第6戦の時点でキャリア2勝目を目指して最高の走りを見せていたバリチェロを後退させずとも、フェラーリは早期に易々とWタイトルを獲得出来た筈だった。しかしフェラーリは徹底した非情な決断を行い、結果的に最高のシーズンを送ったのも事実である。<br />今回のケースではフェラーリはタイトル争いの崖っ淵にいた。開幕戦の1-2フィニッシュ以降良いところがなく、エースのアロンソはランキング首位の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルイス・ハミルトン</font></a>（<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>）から47点離された5位。シーズン後半へ向けてひとつでも多く勝ちたい場面だったことは間違いない。そしてフェラーリは決断した。しかし、内部の人間の心情は正直だった。</p>
<p>ドイツGP決勝の翌日（7月26日）、昨年のハンガリーGP予選でマッサが重傷を負った事故以来、丁度1年が経過した。マッサは入院していたブタペストのAEK病院を訪れ、自らの命を救ってくれた多くのスタッフとの再会を果たした。「あれは僕のキャリア、いや人生に於いて最も重要なことだった。人生というものについて深く考えさせられたんだ。あれから1年経って、僕はこうして再び優勝戦線に復帰することが出来た。これはとても意味のあることなんだ」<br />&#8217;09年シーズンを棒に振り、&#8217;10年シーズンも中盤まで来て、ようやく会心のスタートでレースをリードし、やっと優勝戦線に帰って来たフェリペを待っていたのは残酷なチームの扱いだった。しかし、あのままレースがチーム・オーダーなしで続行されていても、マッサはアロンソに抜かれていたか、またはバトルとなって2台とも戦線離脱となる危険性もあったのは事実である。今シーズン、チーム・メイト同士の&#8221;無用なバトル&#8221;が話題になっていることはフェラーリも百も承知である。第7戦トルコGPで、レッドブルのふたりは同士討ちによるリタイアで勝てるレースを逃し、明らかにレース・ペースで劣っていたマクラーレンに1-2フィニッシュを奪われた。マシン性能とアップグレードが上手く機能し、トップを走れるレースでチーム・メイト同士のバトルはチームにとっても大きな危険性を伴う。それが許されない状況で、既にフェラーリは露骨にアロンソをエース／マッサをセカンド、とカテゴライズした。もちろんそれは元々チーム内でも決まっていたことなのだろうが、こうして公の場であからさまな形でそれを宣言した、と言える。つまり、今後同じような状況になった際、世界中のファンはその無線のやりとりに釘付けになる、ということでもあり、極論ではあるが、マッサのファンにとってはアロンソが前にいる限り、マッサの優勝は許されないものなのだろうという予測の元にレースを観戦しなければならない。この件に関し、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>のマイク・ガスコインは「もっと賢くやれば良かったのさ。チーム・オーダーは避けられないものなんだから」と笑い飛ばし、レッドブルの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クリスチャン・ホーナー</font></a>は「マッサは良い仕事をしていた。レギュレーションはハッキリしている。つまり、許されない行為だ」と不満を露にした。マクラーレンのマーティン・ウィトマーシュは「我々はふたりのドライバーにレースをさせる。良い時も悪い時もあったが、それが我々のやり方だ」と意見した。ライバル達にも思い当たる部分はあり、そして怒りもある。その全てのバランスの上に、モーター・スポーツが存在している。問題は、それをあからさまに行ったスメドレイと上層部との内紛による、今回のような&#8221;茶番劇&#8221;が全世界に公開された事実である。それが前科を持つフェラーリだったため、多くのファンは「またか」と思い、新しいファンは幻滅する。少なくとも&#8217;03年にルールが明確化した以上、それを守り貫くのは、例えフェラーリと言えども&#8221;義務&#8221;である。</p>
<p>&#8230;..結局フェラーリは10万ドルの罰金だけで、まんまと1-2フィニッシュを手に入れた。10万ドル払えばチーム・オーダーをしてもかまわない、と解釈されてしまうのが最も危険なことである。そして、フェラーリのスタッフにはおおいに揉めて頂きたい。そして、レーシングという概念がいったいどういうものなのか、をF1のトップに君臨する偉大なるスクーデリアとして証明して欲しい。選手権を争うために必要なもの／不要なもの、そして行うべきもの、をしっかりと見せて貰いたい。しらばっくれるのはF3ドライバーにだって出来ること。スペインの英雄／2度の世界王者に、あんな台詞を吐かせている場合ではない。</p>
<p><i>「彼（マッサ）のスロー・ダウンには驚いた」／フェルナンド・アロンソ</i></font></p>
<p>&nbsp;</p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e7%b9%b0%e3%82%8a%e8%bf%94%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e8%8c%b6%e7%95%aa/">繰り返された”茶番”</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>跳馬の全て！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 10 Jun 2010 12:03:58 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>先日、筆者主催の某イベントにて&#8221;F1紹介コーナー&#8221;を行い、そこで筆者は深紅の跳馬がデザインされたフェラーリ・キャップを被って「皆で小林可夢偉を応援しようぜ！」という、ワケのわからない行動に出た（爆・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#ff0000">先日、<a href="http://www.kasetatsuya.com/so_iya021.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">筆者主催の某イベント</font></a>にて&#8221;F1紹介コーナー&#8221;を行い、そこで筆者は深紅の跳馬がデザインされたフェラーリ・キャップを被って「皆で<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-23.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">小林可夢偉</font></a>を応援しようぜ！」という、ワケのわからない行動に出た（爆）。ちなみに<a href="http://www.kasetatsuya.com/so_iya009.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">&#8217;06年の同イベント</font></a>ではBAR・ホンダ／<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/02/post-22.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">佐藤琢磨</font></a>キャップ、ついでにシャツもBAR・ホンダ仕様。この時はゲストに<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/yamaguchi_masami/" target="_blank"><font color="#3e6b3a">村長・山ちゃん</font></a>を迎え「ニッポンのF1をどうすべきか」について論議&#8230;..フム、それで琢磨ウェアなら筋は通ってる。で、今回はトークの相手がいるワケでもなかったので、単に「」カッコイイっしょ？、F1！」と思えるモノで良かった。そしたら選択肢はフェラーリになった、というワケ。もちろん<a href="http://www.honda.co.jp/news/2008/c081205.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ホンダ</font></a>も<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">トヨタ</font></a>もいなくなって、応援すべき日本チームは存在しなくなったんだけど、少なくとも筆者はF1を良く知らない人に紹介するにあたり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-24.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">レッドブル</font></a>でもフォース・インディアでもHRTでもなく、フェラーリを選んだ、ということ。</p>
<p>&#8230;..F1イコール、フェラーリである。いやいやそんなことないよ、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">マクラーレン</font></a>も<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">メルセデス</font></a>もいるよ、って言うだろうけど、F1イ＝フェラーリで正しい。反対に、F1＝<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">シューマッハー</font></a>でもなければ、F1＝可夢偉でもない。もちろん<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">バーニー・エクレストン</font></a>でもない。が、F1=フェラーリ、という図式のみ、正論なのである。<br />で、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-27.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">前回のコラム</font></a>で記した通り、フェラーリは&#8217;10年第7戦トルコGPでなんとF1参戦800戦を迎えた。当然ながら前人未到の大記録、偉大なるフェラーリにしか出来ない、そして絶対に誰も抜くことの出来ない偉業なのである。<br />&#8230;..ちゅうワケで、先日のイベントでありがたいことに「モナコGP観ました！面白かった。可夢偉選手応援します！」などというメッセージを受け取ってしまった以上、F1ビギナーの明産に筆者自身がこのF1に必要不可欠な要素、フェラーリについて詳しく話しておかなければなるまい。なるべく解りやすく、んでなるべく簡素に&#8230;..それが一番難しいな（爆）、ガンバリマス！。</p>
<p>&#8220;フェラーリ&#8221;はひとことで言うとイタリアの自動車メーカー、である。が、例えばGMやトヨタのような巨大企業ではなく、FIATという大きな自動車メーカーの傘下に位置する、スポーツ・カー専門のブランドである。創業は1947年、設立者の名はエンツォ・フェラーリ（1898〜1988）。<br />エンツォは元々アルファロメオというイタリアのスポーツ・カー・メーカーのテスト・ドライバーを経て、&#8217;29年に自らのレーシング・チームである&#8221;スクーデリア・フェラーリ&#8221;を設立、アルファの準ワークス・チームとして活動。&#8217;47年にエンツォはアルファを退社して自社製マシンを開発するようになり、&#8217;50年には始まったばかりのF1世界選手権に参戦するようになった。ちなみにエンブレムの跳馬のデザインはイタリア空軍のエースであるフランチェスコ・バラッカのトレード・マークで、エンツォの兄であるアルフレッドが同飛行隊にいたために譲り受けた、と言われている。翌&#8217;51年第5戦イギリスGPにてF1初勝利。かつての所属先であるアルファロメオを破ったことから「私は母を殺してしまった」という名言を残す。&#8217;60年代にフェラーリは経営難となってFIATに身売りし、エンツォは市販車部門を事実上手放し、自らはF1を初めとするレース部門のみに関わるようになる。&#8217;70年代には世界的好景気の中でスーパー・カー・ブランドとしてその名を広め、日本でもランボルギーニ、ポルシェらと共にスーパー・カー・ブームの立役者となった。エンツォは&#8217;88年に90歳で大往生、&#8217;94年に国際モータースポーツ殿堂入り、&#8217;00年には自動車殿堂入り。自動車史に永遠にその名を残す、偉大なる人物がエンツォなのである。</p>
<p>さて、そういうワケでエンツォはフェラーリというスーパー・カー・メーカーの社長さんだったのは確かなのだが、エンツォ自身はあくまでも&#8221;レースこそ我が命&#8221;という人物だった。よって、イタリアでは「フェラーリはレースの資金のために市販車を売っている」と言われているほどである。F1にもメルセデス・ベンツやルノーを初め、多くの市販車メーカーが存在したが、フェラーリは唯一、レースを&#8221;市販車を売るための広告活動&#8221;とは捕らえていなかった。よって市販車も安全性や耐久性よりも美しさと速さを重視、当然ながら高価なものばかりとなった。しかしその徹底ぶりは逆に熱狂的なフェラーリのファンを増加させ、唯一無比の自動車ブランドとしての地位を確たるものとした。結果的にイタリア人はフェラーリを&#8221;象徴&#8221;とし、エンツォを&#8221;神&#8221;と崇めたのである。そして、高価で媚を売らないフェラーリの車は世界中のセレブの興味の対象となり、究極の選択にして裕福の象徴ともなった。しかしエンツォはその開発に殆ど関与することなく、興味と言えばF1で自らの名を冠したV12エンジンのマシンが勝利することのみ、であった。エンツォ自身はメカニックやエンジニア部門の人間ではなかったが、若い頃にパッカードに憧れ、ハイ・パワー・エンジンこそ美学、という価値観の持ち主であった。そして自らのマシンを駆るレーシング・ドライバーを愛し、一喜一憂した。つまり、エンツォは完全なカリスマとして、世界にその名を轟かせる存在なのである。</p>
<p>さて、続いてはF1レーシング・チームとしてのフェラーリ、に的を絞ってみよう。<br />&#8217;50年代、ことにコンストラクターズ選手権の存在しない黎明期には多くのドライバーがフェラーリのマシンを駆ってF1GPに出場した。ワークス・チームはイタリア人ドライバーのアルベルト・アスカリをエースに据えた。フェラーリ初勝利はアルゼンチン人ドライバーのフロリアン・ゴンザレスにより、&#8217;51年第5戦イギリスGPで成し遂げられた。この年はアスカリが2勝を挙げて選手権2位となり、翌&#8217;52年にはかつての所属チームである宿敵アルファロメオを破ってアスカリが世界王者となった。&#8217;53年もアスカリの強さは揺るがず2年連続王座を勝ち取り、フェラーリは黎明期から既にF1のトップに君臨する存在となった。<br />&#8217;54年はマイク・ホーソン（イギリス）、モーリス・トランティニャン（フランス）らが活躍、しかしシーズンはマセラッティ、メルセデスなどを渡り歩いたアルゼンチンの天才レーサー、ファン・マヌエル・ファンジオが席巻していた。そのファンジオは&#8217;56年にフェラーリへ移籍してここでも圧倒的な強さでタイトルを防衛、しかしファンジオが再びマセラッティへと復帰した&#8217;57年は未勝利に終わり、&#8217;58年はホーソーンがタイトルを奪取した。<br />&#8217;60年代はアメリカ人のフィル・ヒルが活躍し、&#8217;61年に初王座に着いた。&#8217;64年には2輪でも王者となったジョン・サーティースがチャンピオンとなり、フェラーリはコンスタントにトップを奪っていた。が、F1は<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ロータス</font></a>やクーパーなどのイギリスのコンストラクターが台頭し、手軽な<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_51.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">フォード・コスワースV8エンジンとヒューランド製6速ギア・ボックス</font></a>を使用するチームが活躍し初め、フェラーリら12気筒エンジン勢は苦戦を強いられるようになって来た。エンツォの「12気筒エンジンこそフェラーリ」という概念により、彼らは&#8217;64年のサーティース以降、10年に渡って選手権制覇から遠ざかってしまう。<br />&#8217;73年、フェラーリは起死回生を計り、若干25歳のルカ・モンテツェモーロを監督に抜擢する。イタリア・ボローニャ生まれのモンテツェモーロはフィアットのジャンニ・アニエリ会長の息子と噂される私生児で、弁護士になるためにローマ大学卒業後にコロンビア大学に留学、そこでエンツォ直々の誘いでフェラーリのチーム・マネージャーに就任。&#8217;74年にフェラーリ入りしたオーストリア人のドライバー、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_65.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ニキ・ラウダ</font></a>と共にフェラーリを生まれ変わらせることに成功、&#8221;横置き型トランスミッション搭載&#8221;を意味する&#8221;T&#8221;の着いたフェラーリ312Tはコスワース勢を凌ぐ速さを見せ、&#8217;75年にラウダが初タイトルを奪取。翌&#8217;76年に第10戦ドイツGPでラウダが瀕死の重傷を追うも奇跡的に復活、最終戦富士で「雨のため危険」と自らマクラーレン・フォードの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_99.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ジェイムズ・ハント</font></a>とのタイトル争いを放棄するもコンストラクターズ選手権を連覇、翌&#8217;77年はラウダが完全復活して2度目のタイトル獲得＋コンストラクターズ3連覇を成し遂げ、&#8217;79年には南アフリカ出身のジョディ・シェクターが初のタイトル獲得。フェラーリはモンテツェモーロの指揮の元、黄金期を迎えた。<br />&#8217;80年代に入るとF1はターボ・エンジン全盛となる。当然12気筒派のエンツォの想いとは裏腹なものとなるが、フェラーリは早い段階でターボ開発に着手し、&#8217;81年に1.5L・V6ターボを投入、&#8217;82〜&#8217;83年とコンストラクターズ選手権を連覇。しかし&#8217;82年にはエンツォ自身のお気に入りだった若きカナダ人ドライバー、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_11.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ジル・ヴィルヌーヴがチーム・メイトのフランス人、ディディエ・ピローニとの激しい確執</font></a>を経て事故死、ピローニも同年中に再起不能の事故で離脱するなど、フェラーリの内状は決して良い状態とは言えなかった。&#8217;80年代中盤からは再びフェラーリに冬の次代が訪れ、新たなチーム監督にラリーでランチアを指揮していたチェザーレ・フィオリオを起用。&#8217;88年にはエンツォが90歳で他界。直後のイタリアGPでは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_68.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ゲルハルト・ベルガー</font></a>と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_74.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ミケーレ・アルボレート</font></a>が地元で1-2フィニッシュを成し遂げ、16戦15勝を挙げたマクラーレン・ホンダに一矢を報いる、エンツォの弔い合戦としてファンは熱狂した。<br />&#8217;90年代はそのマクラーレンで王者となった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">アラン・プロスト</font></a>と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ナイジェル・マンセル</font></a>の布陣で幕を明けた。エンジンは全チームNA（自然吸気）エンジンが義務付けられ、フェラーリは&#8217;89年から再び伝統のV12エンジン・ユーザーとなる。またフェラーリは他に先駆けてF1初の斬新なセミ・オートマティック・トランスミッションを採用。しかし&#8217;90年こそシーズン終盤までマクラーレン・ホンダの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">アイルトン・セナ</font></a>とタイトルを争ったが、翌&#8217;91年からは様々なハイ・テクノロジー分野開発で遅れを取り、フェラーリはまたも低迷。フェラーリはフィアット役員となっていたモンテツェモーロを再び招聘し、社長兼マネージング・ディレクターに任命。&#8217;93年にはラリーとスポーツ・カー選手権で実績のあった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/post-6.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ジャン・トッド</font></a>（現・FIA会長）を監督に起用し、チーム態勢の立て直しに着手。期待の若手ドライバーだった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ジャン・アレジ</font></a>はこのチーム改革に乗れず僅か1勝でフェラーリを離脱、&#8217;96年には、ベネトンで選手権2連覇を果たしたドライバーのミハエル・シューマッハー、テクニカル・ディレクターのロス・ブラウン、そしてマシン・デザイナーのロリー・バーンを一気に引き抜き、&#8217;99年にはようやく16年振りのコンストラクターズ選手権制覇を達成した。<br />&#8217;00年代に入るとフェラーリは圧倒的な強さを見せ、シューマッハーがドライバーズ選手権5連覇（&#8217;00〜&#8217;04年）、コンストラクターズ選手権6連覇（&#8217;99〜&#8217;04年）を達成。&#8217;02年には全17戦中15勝、F1通算150勝を記録した。シューマッハー引退後は宿敵であるマクラーレン・メルセデスから移籍の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">キミ・ライコネン</font></a>が&#8217;97年選手権を1ポイント差で制して初タイトルを獲得するが、マシン開発分野でレギュレーション対応に遅れを取ることが増え、苦しいシーズンが続いた。チームはトッドの引退後に若き<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-1.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ステファノ・ドメニカリ</font></a>をチーム代表に任命、バーン引退後は直属の部下だったアルド・コスタがデザイン部門を取り仕切っている。<br />&#8230;..そして&#8217;10年、フェラーリはルノー在籍時にフェラーリ／シューマッハーを苦しめたスペインの英雄フェルナンド・アロンソ（&#8217;05〜&#8217;06王者）を新たなエースとして起用、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">フェリペ・マッサ</font></a>とのコンビで開幕戦バーレーンGPで1-2フィニッシュと、好スタートを切った。しかしレッドブルやマクラーレンなどのライバル勢に開発の遅れを取っていることは明白であり、今後の選手権が苦しいものとなるのは明らかである。</p>
<p>&#8230;..こうしてフェラーリの歴史を文章にまとめて見ても、実際にはフェラーリの魅力は全然伝わらない。書いてる自分がモドカシイ（爆）。ちなみに筆者が初めて観たF1（&#8217;76年インジャパン／富士）ではラウダが豪雨を嫌い、序盤に自主的にリタイアしたために正直そこまでの印象には残らなかったし、その独特のV12サウンドもウェット・レースのペースでは解らない。しかもスーパー・カー少年だった筆者にとって、フェラーリ＝ディノ246、または308GTBかデイトナ、というのがイメージの全てだった。よって、どちらかと言うとフェラーリを魅力的に感じ始めたのはジル・ヴィルヌーヴの登場と重なっていた気がする。つまり、フェラーリの全盛期にF1を観始めたわりに、実は低迷して喘ぐフェラーリに興味を惹かれた、というのが正直なところである。</p>
<p>フェラーリの人気を分析するにはまず、総帥エンツォ・フェラーリの存在である。<br />自動車産業に於けるカリスマは何人もいる。フェルディナンド・ポルシェ、フェルッチオ・ランボルギーニ、そして<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_69.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">本田宗一郎</font></a>&#8230;..しかし、これら全ての自動車カリスマの頂点に立つのがエンツォ、と言っても過言ではない。<br />アルファのテスト・ドライバーとして念願のモーター・スポーツへ足を踏み入れ、チーム・マネージャー職まで与えられながら上層部との激突によりアルファを去り、そして自らのチームを興し、遂には古巣アルファに打ち勝つ&#8230;..これだけとっても充分に魅力的なストーリーだが、その深紅のボディに描かれた跳馬-カヴァリーノ・ランパンテ-の美しさがイタリアのみならず世界中のファンを引きつけることとなった。ちなみに深紅、というのはあくまでもイタリアのナショナル・カラーであり、決してフェラーリ特有のものではない。が、燃えるような赤、という誰もが望み憧れる色を世界中で最も制服しているのは他ならぬフェラーリであると断言出来る。当然、アルファもマセラッティも深紅のカラーリングで闘っていたわけだが、今では深紅＝フェラーリ以外の何物でもない。<br />次に、そのV12エンジンの存在。&#8217;70年代、多くのコスワースV8ユーザーに圧されながらも伝統に拘り続け、一際甲高いエンジン・サウンドを轟かせていたのはエンツォの「エンジンこそ全て」というポリシーに基づいていた。ある意味、シャシーをないがしろにしていたとも考えられる点だが、むしろそれはフェラーリの絶対的な個性となり、流行に左右されず、我が道を行くスピリットに人々は魅了されたのである。<br />またエンツォ自身、&#8217;56年に最愛の息子であるディーノを病気で亡くして以降、人前に殆ど姿を現さなくなり、そのカリスマ性に拍車がかかった。そして何より、エンツォの魅力はその&#8221;レーサー魂&#8221;にある。F1に参戦する他のどんな自動車メーカーも景気や成績により確実に市販車の売上とチーム運営の狭間で苦しむが、エンツォは完全にレーサーであり、市販車業務は事実上&#8221;建前&#8221;と言えた。自らかつて採用を断られた経緯のあるフィアットに身売りした際も、スクーデリア・フェラーリの勝利のためであるなら厭わない、という姿勢が明確であった。そう言ったエンツォのスピリットが真のレーサー魂として人々の心を打ち、捕らえて止まないのである。</p>
<p>カー・ナンバー27&#8230;..。かつてF1は現在のように前年のコンストラクターズ選手権に基づいたチームごとのカー・ナンバー制度ではなく、新たなチャンピオン・チームが前年の王者と入れ替わる時代だった。&#8217;79年、ジョディ・シェクターの王座獲得によりチャンピオン・ナンバーを付けていたフェラーリは&#8217;80年の王者ウィリアムズ（アラン・ジョーンズ）とのナンバー入れ替えにより27、28番が割当となった。ジル・ヴィルヌーヴは&#8217;81〜&#8217;82年に不振のフェラーリを屈辱のカー・ナンバー27で走り健闘、&#8217;82年の悲劇の死により伝説のナンバーとなった。以後、フェラーリではアラン・プロスト、ジャン・アレジらの人気レーサーがこのナンバーを継承することとなり、覇権の移ったマクラーレン時代にはアイルトン・セナも27番で走行、カー・ナンバー27はF1で1番と同様かそれ以上に栄誉あるナンバーとなったのである。もちろん、現在のレギュレーション／出走台数からカー・ナンバー27はF1には存在出来ない。<br />ちなみに&#8217;95年のインディ500優勝者、ジャック・ヴィルヌーヴはジルの息子であり、この際のカー・ナンバーも27。ジャックは&#8217;97年にF1世界王者となり、父の夢を叶えてみせた。</p>
<p>F1のような最高峰カテゴリーに於いて&#8221;一貫性&#8221;というのは非常に難しく、ことに大きな組織／FIAによる度重なるレギュレーション変更はフェラーリのイメージを保つには難しい状況になることもある。&#8217;06年に義務付けられたV8エンジン・レギュレーションはハイ・パワー・エンジンに拘るフェラーリにとっては大打撃であった。エンツォ存命中であればF1撤退もあり得たかも知れないが、現状フェラーリがサーキットで轟かせているエンジン音は充分にカン高く、V12時代を彷彿とさせる。最も、他のチームも同様にV8とは思えないサウンドを響かせてはいる。が、そこで深紅のルックスと&#8221;望む&#8221;サウンドのイメージが一致してしまうのがフェラーリの偉大なところなのである。</p>
<p>フェラーリの特色、と言えるのが通称&#8221;お家騒動&#8221;と呼ばれる人員交代劇である。エンツォの「フェラーリは悪くない。それに関わる人間が悪いのだ」とのスピリットにより、多くの関係者／ドライバーが出入りすることとなった。しかしこれはある意味&#8221;人材を育てる&#8221;という環境とは程遠く、成績が悪ければ誰かが責任を取ってチームを去る、というのがフェラーリの恒例人事となってしまった。特に&#8217;80年代後半から&#8217;90年代にかけては顕著で、チーム・リーダーもドライバーも長続きしないシーズンが続いた。そう言った意味では、トッドを迎えた&#8217;90年代後半からの&#8221;一貫性&#8221;が数年後に身を結び、そして長期に渡る圧倒的強さに繋がったのは、モンテツェモーロ傘下での&#8221;脱・エンツォ思想&#8221;に基づいた成功例、と言えるだろう。そうでなければ、現在のドメニカリ・フェラーリ態勢はとうに崩壊していたに違いない。</p>
<p>ティフォシ。&#8221;熱病患者&#8221;を意味するこのイタリア語は、スバリ熱烈なフェラーリ・ファンを指す。60年間というF1の歴史を常にその名で、常にその色で走り続けているマシンなど他に存在しない。ティフォシ達はその深紅のマシンの動向に一喜一憂し、他の地元イタリアのチームやドライバーへの扱いとは明らかに違う。例えフランス人監督の元でドイツ人ドライバーが日本製のタイヤと南アフリカ人の設計によるエンジンで勝利しても、それが深紅のフェラーリであること、が最重要となる。実際エンツォのアルボレート起用以降、フェラーリは積極的にイタリア人ドライバーをフェラーリに乗せない。むしろ昨年の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-8.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ルカ・バドエル</font></a>、ジャンカルロ・フィジケラらの結果を見ればその意味も良く解るだろう。フェラーリとティフォシにとって必要なのは、我がフェラーリを速く走らせることの出来る人間であり、その国籍は全く厭わないのである。</p>
<p>偉大なるフェラーリは決して新人の登竜門などではなく、ある程度の実績を持ったドライバーが乗るもの&#8230;..これは特に&#8217;90年代以降に顕著に見られる傾向である。それは他チームのようにテスト・リザーブ・ドライバーとして若手が乗る機会を得られるようなチームではないことをも意味している。事実、シューマッハー引退後、そして昨年のマッサの事故後の代役ドライバー人事騒動を見れば解るように、フェラーリには若手ドライバーの支援システムが存在しないのがネックとなっていた。そのために昨年から新たに&#8221;フェラーリ・ドライバー・アカデミー&#8221;が設立され、ジュール・ビアンキ、ダニエル・ザンピエーリ、ラファエル・マルチェッロ、そしてミルコ・ボルトロッティらの若手有望株達が所属。ちなみについ先日アカデミー加入が発表された最年少のランス・ストロールはカナダ出身の11歳である。果たしてマクラーレンに於ける<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/f1-3.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ルイス・ハミルトン</font></a>のように、未来のフェラーリを背負って行ける逸材を発掘出来るか。しかし、フェラーリのドライバー交代説の際に囁かれる名前は、相変わらずモトGP王者のバレンティーノ・ロッシばかりなのが現実である。<br />「いつかはフェラーリ。それを夢見るのはドライバーとして当然のこと」とは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>の本音である。「もちろん今のチーム（レッドブル）に満足している。でも、先のことなんて解らないよ。フェラーリは伝説の存在であり、他のどんなチームとも違う特別なものなんだ。数年先だったら移籍もあり得るかも知れないね」ヴェッテルのフェラーリ入りに関してはバーニー・エクレストン自身が裏で画策している、との噂が立つほど。同様にヴェッテルの同僚である<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/05/post-25.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">マーク・ウェバー</font></a>やルノーの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/06/post-27.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">ロベルト・クビサ</font></a>らにもフェラーリ移籍の話題が上った。つまり、F1で活躍を見せるとフェラーリ入りか、という憶測が流れる仕組みだ。しかし、現在フェラーリはエースのアロンソに加え、現在不振に喘いでいるマッサの契約を&#8217;12年まで延長したばかりである。「我々はファミリーなんだ」&#8230;..その家族の一員となることは、他のどんなチームに加わることよりも栄誉あることなのだろう。</p>
<p>こうなればある意味当然、という考え方も出来るが、フェラーリのF1での影響力や発言力は大きい。それは他チームから「フェラーリだけがF1で優遇されているのではないか」という憶測、及び妬みを生む。が、バーニー・エクレストンが&#8217;08年にこれを公然と認める発言をし、話題となった。<br />これまで何度となくFIAと参戦チーム側が運営法や資金面で激突を繰り返し、何度となくチーム側が労働組合的に結束し、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#3e6b3a">独自の選手権を立ち上げる動き</font></a>を見せた。が、その水面下でFIAはフェラーリを買収、労組からの離脱を成功させていたのである。&#8230;..こうした特殊な例も、フェラーリの名の下にはさほどの事件性が感じられず、マスコミも深追いしない。それもまたフェラーリの魔力のひとつ、と言えるだろう&#8230;..。</p>
<p>筆者が個人的に最も印象深いフェラーリのレース&#8230;..ひとつに絞るのは難しいが、&#8217;88年第12戦イタリアGPは鳥肌が立ったレースである。<br />エンツォ没後役1ヶ月、地元イタリアの観衆は完全にエンツォの弔い合戦の様相。しかし現実にはアラン・プロスト／アイルトン・セナのマクラーレン・ホンダ勢がここまでシーズン全勝、健闘するフェラーリ勢はゲルハルト・ベルガー／ミケーレ・アルボレートを擁してグリッド2列目からのスタート。レースはいつものようにマクラーレン勢が圧倒的有利に先行、しかし34周目にプロストがエンジン不調でリタイア、フィニッシュ目前の49周目にはトップのセナが周回遅れを抜き損ねて接触し、リタイア。これでベルガー／アルボレートのフェラーリ1-2態勢が完成した際の、あのモンツァのスタンドの様子は忘れられない。飛び上がる人、泣き叫ぶ人、呆然とする人&#8230;..世界中の全ての観衆が、偉大なるエンツォの強大な影響力を思い知った、正に伝説の神懸かった1戦であった。</p>
<p>&#8217;50年のF1世界選手権誕生から参戦し続ける（ただし初戦は&#8217;50年第2戦モナコGP）フェラーリのF1参戦800戦。以来、優勝回数211回、表彰台フィニッシュ計632回（2位223回／3位198回）、ポール・ポジション獲得203回、最速ラップ樹立221回、年間ドライバーズ・タイトル獲得15回、コンストラクターズ・タイトル獲得16回&#8230;..これらは当然ながら記録である。現在グリッド上に並ぶどのマシンよりも古くから、そしてどのマシンよりも威風堂々と存在するフェラーリ。<br />&#8230;..ここでその魅力を伝えるのは極めて難しいが、TV中継でも一際目立つ深紅のあのマシン、あれがF1の醍醐味であり、象徴なのです！。</p>
<p><i>「レーシング・マシン。それは強力なエンジンに4つの車輪を付けたものだ」／エンツォ・フェラーリ</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e8%b7%b3%e9%a6%ac%e3%81%ae%e5%85%a8%e3%81%a6%ef%bc%81/">跳馬の全て！</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>F1ファラオ伝説</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 11:47:10 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8230;..ま、先に言っておくと、&#8221;ファラオ&#8221;ってのはエジプトの王である。で、誰のことかというと、ルイス・ハミルトン（マクラーレン・メルセデス）のことである。誰がそんなふうに呼んでいるのかと・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/f1%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%a9%e3%82%aa%e4%bc%9d%e8%aa%ac/">続きをみる</a></p>
<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/f1%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%a9%e3%82%aa%e4%bc%9d%e8%aa%ac/">F1ファラオ伝説</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8230;..ま、先に言っておくと、&#8221;ファラオ&#8221;ってのはエジプトの王である。で、誰のことかというと、ルイス・ハミルトン（マクラーレン・メルセデス）のことである。誰がそんなふうに呼んでいるのかというと、<a href="http://www.kasetatsuya.com" target="_blank"><font color="#ff00ff">筆者のオレ</font></a>である。理由は、&#8221;若き王&#8221;であることと、その風貌がかのツタンカーメン王（のミイラ／爆）に似ているから、である。F1のグリッドにゃ<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">皇帝</font></a>がいるんだから、ファラオがいたって良いでしょ。コレを広めようって気はナイけど、オレにとってハミルトンってのは若くて憂いがあって、そして卓越した本能と技術を持つ非常に魅力的な&#8221;王&#8221;なのである。</p>
<p>で、そのハミルトンがなかなかのピンチを迎えている。何しろ、今季はハミルトンを含めた4人の世界チャンピオンがトップ4で争うシーズン。ここまで4戦を終えてフェルナンド・アロンソ（フェラーリ／&#8217;05、&#8217;06年王者）と、昨年タイトルを争った本命<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/goseb.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテル</font></a>（レッド・ブル）が1勝、残り2戦を昨年の覇者で今季からチーム・メイトとなったジェンソン・バトンに獲られてるんだからたまったモンじゃない。何しろバトンは昨年中盤の低迷で評価を下げ、序盤の貯金でどうにかタイトルを拾って来たかのように言われ、ついでに<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">皇帝ミハエル・シューマッハーの復帰</font></a>で旧・<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/post-14.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブラウンGP</font></a>であるメルセデスGPから弾き出されたかのような印象で<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マクラーレン</font></a>へと移籍し、多くのメディアから「バトンがハミルトンに勝てる筈がない」と散々に言われていた。それが、蓋を空けてみれば昨年序盤同様、得意の見事なタイヤ・マネージメントで荒れたレースを勝ち抜き、堂々のポイント・リーダーとなっているのである。「さすが現役王者」&#8230;..しかし、心中穏やかでないのは、その前年の王者なのである。ハミルトンはこの状況を「僕たちは互いに学び合っているんだ」と言う。「ジェンソンは本当に素晴らしいドライビングをした。僕も激しくプッシュした。でもこの結果だから、今度は僕が学ばないといけない」若きハミルトンの、こう言ったニュアンスが許されるのも今の内だけかも知れない。</p>
<p>カー・ナンバー2。王者としてトップ・チーム／マクラーレンにいながら、あとから入って来た現役王者に横取りされたカー・ナンバー1。&#8230;..ああ、やっぱり<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_112.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セナ／プロ対決</font></a>を想い出さずにはいられないなあ。ただ、バトンもハミルトンもふたりとも極端にナイス・ガイで、非常に英国紳士同士。あの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブラジル人</font></a>と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランス人</font></a>のギスギスした感じは確かにないんだけど、いったいいつまでこのバランスが保たれるのかは誰にも解らない。いや、実は<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/04/m.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロン・デニスとマーティン・ウィトマーシュ</font></a>には解っているのかも知れないが、あくまでも&#8221;ジョイントNo.1&#8243;を貫くこの伝統のチームに於いて、ハミルトンの位置付けはこれまでのマクラーレン・ドライバーとはちょっと違っているのである。<br />今回はこの&#8221;悩めるファラオ&#8221;こと（爆）ルイス・ハミルトンのこれまでを辿ってみよう。</p>
<p>ルイス・カール・ハミルトンMBEは1985年1月7日、イギリス・ハートフォードシャー州にてアフリカ系イギリス人の父・アンソニーと母カーメンの間に誕生。両親はハミルトンが2歳の時に離婚し、その後しばらくは母方、10歳以降は父と、後妻であるリンダ・ニコラスと暮らす。「アイルトン・セナが僕のヒーローだったんだ」ハミルトンの幼少期は完全に&#8221;セナ時代&#8221;である。マクラーレン・ホンダと共に3度の世界タイトルを獲得し、F1イコールセナ、とも言えるジェネレーションである。そのセナのいくつもの歴史的瞬間を目の当たりにして来たハミルトンは&#8217;93年、自身8歳の時に地元のライ・ハウス・カート・サーキットでレーシング・カートのキャリアをスタートする。当然彼の憧れはセナであり、ヘルメットのカラーリングもセナと同じ黄色にするほどの大ファンであった。<br />&#8230;..翌&#8217;94年、そのセナが帰らぬ人となる。多感な年齢のハミルトンは大きなショックを受けた。「1日中泣き叫んでいたよ。あのセナが死ぬなんて、本当に信じられなかったんだ」しかし、その頃ハミルトンは既にレーサーとしての才能を開花させており、10歳になった&#8217;95年にはイギリス・カート・チャンピオンとなっていた。キャリア僅か2年でイギリスの若手レーシング・ドライバーとして注目を浴びる存在となっていたハミルトンに、ここである運命的な出逢いが待っていた。<br />&#8217;95年オート・スポーツ・アワード授賞式。各カテゴリーの王者や著名人の集まるこのビッグ・イベントにカート王者として出席していた少年・ハミルトンは、会場でとある人物の前に立った。その人物とは、セナを愛し、セナと共に栄誉を分かち合ったマクラーレンの総帥、ロン・デニスであった。ハミルトンは臆することなく言った。「あなたの車に乗って、ワールド・チャンピオンになりたいんです」デニスはこの見ず知らずのカート少年に微笑み、「それは楽しみだ。9年後にまたおいで」とサインをした。<br />&#8230;..おそらく、この手の話はデニスの周りでは日常茶飯事なのだろう。実際、デニスは取り立ててハミルトンに注目していたわけでもなかった。が、「9年後」と言ったデニスは自らその約束を破らなくてはならなくなる。その後のハミルトンの成長／活躍を見たデニスは僅か3年後の&#8217;98年、ハミルトンをマクラーレンのヤング・ドライバーズ・サポート・プログラムのドライバーとして迎え入れる決心をした。若干13歳のハミルトンは、マクラーレンのサポートを受けながらフォーミュラ・クラスへとステップ・アップして行くことになったのである。</p>
<p>こうして&#8221;ロン・デニスの秘蔵っ子&#8221;となったハミルトンは快進撃を繰り広げる。&#8217;00年ヨーロッパ・カート王者、&#8217;01年はイギリス・フォーミュラ・ルノーのウインター・シリーズに参戦しランキング5位、翌&#8217;02年は同選手権のレギュラー・シーズンで3勝／ランキング3位。&#8217;03年は10勝して堂々のタイトル獲得。&#8217;04年にマノーからF3ユーロ・シリーズに参戦し、1勝。翌&#8217;05年にはASMからエントリーし、20戦15勝という圧倒的な強さでタイトル獲得。マールボロ・マスターズも制し、名実共にF3世界1のドライバーとなった。「&#8217;04年にはシルバーストンで初めてマクラーレンのF1マシンをテストしたんだ。だから、本当はすぐにだってF1にステップ・アップ出来るよ！（笑）」ハミルトンは&#8217;06年、名門ARTからF1の直下カテゴリーであるGP2へ参戦。ヨーロッパではF1のグランプリ・ウィークと重なり、前座レースとして多くのF1関係者／ファンの前で自己をアピール出来る最高の機会であり、同時にそこから先はF1しかないカテゴリーでもある。デニスは、ここで世界にハミルトンをお披露目すると決めていたのである。そしてハミルトンはその期待に充分に応え、なんと参戦初年度ながら5勝を挙げ、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケJr</font></a>とのタイトル争いを制して見事GP2王者となったのである。<br />&#8230;..こうして、満を持してハミルトンのF1デビューへの準備は整った。マクラーレンは&#8217;07年、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/iceman.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">キミ・ライコネン</font></a>がフェラーリへ移籍し、ファン・パブロ・モントーヤがNASCARに転向したために、ドライバー布陣を新しくしなければならなかった。そのひとりはハミルトン、そしてもうひとりは&#8217;05、&#8217;06年とルノーで選手権連覇を成し遂げたスペインの若き英雄、フェルナンド・アロンソである。</p>
<p>ハミルトンのF1デビューは、事実センセーショナルであった。デビュー戦である&#8217;07年開幕戦オーストラリアGPで、既に3位表彰台を獲得。なんとそこから第2戦マレーシア、第3戦バーレーン、第4戦スペイン、そして第5戦モナコと連続2位。続く第6戦カナダGPで初ポール・ポジションを獲得、そのまま初優勝。「まるで違う惑星にでもいるかのような気分だよ！」更に続く第7戦アメリカGPを連勝し、第8戦フランス、第9戦イギリスを3位で終えたハミルトンは、なんとここまでF1デビューから9戦連続表彰台（2勝含む）という、新人らしからぬ速さと安定感を見せたのである。翌第10戦ヨーロッパGPでは予選のクラッシュが響いて入賞を逃すが、実に第16戦中国GP以外の全てのレースで完走を果たしているのである。<br />「僕とフェルナンドは全く同じマシンを与えられている。だったら彼に負ける理由なんてないだろう？」事実、世間はハミルトンの実力に驚いていた。2年連続王者のアロンソ相手に1歩も退かず、ポイント・リーダーとなり、最終戦までアロンソ、フェラーリのライコネンとタイトルを争ってみせた。しかし、特にアロンソとのチーム内確執は精神的にも技術的にも大きな問題となった。が、これは比較的アロンソ寄りの事情、と言えなくもない。何故なら、王者のプライドに懸けてデビュー1年目の新人に負けるわけに行かないアロンソの言動は特にマスコミでもクローズ・アップされ、同一チーム内でタイトルを争うドライバー同士の&#8221;良くある心理戦&#8221;へと影響を及ぼす。<br />「同じチームにふたりトップ・ドライバーがいる以上、常にこうした緊張は避けられないんだ。ハンガリーでのレースから、フェルナンドは僕に話しかけて来なくなった。初めに僕がピットの指示に従わなかったのは事実だけど、何故そんなことになったのか解らないよ。でも、僕たちは再び団結しなくてはならないから、すぐに仲直り出来るさ」その第11戦ハンガリーGPでは予選Q3でアロンソがハミルトンの最終アタックをピットでタイム・コントロールして妨害する、という事態となり、結局アロンソが5グリッド・ダウンのペナルティを課せられた。こうした経緯を含み、最終的にはアロンソが予定を早めて1年でマクラーレンを離脱する、という事態となるのだが、見方を変えれば新人・ハミルトンが王者を追い出すほどのカリスマ性を持っていた、とも言える。何故なら最終的にハミルトンは4勝／アロンソと同ポイントとなる109点を獲得。ただし、最終戦ブラジルGPでの劇的な逆転劇でタイトルは1点差でライコネンが奪って行った。つまりシーズン終盤、マクラーレンのふたりはチーム内不和で自滅した、とも言える。しかし、この経験が翌年に向けたハミルトンのキャリアには極めて重要なものとなって行く。F1史上初のルーキー・チャンピオン&#8230;..その夢は叶わなかったが、僅か1年でハミルトンは完全にF1の中にその居場所を確保してみせた。</p>
<p>&#8230;..野次はスポーツ観戦に付きものである。が、最もやってはいけないこと、それは同じ人間のクセにライバルに対して人種差別を行うことである。<br />スペインのファンから、母国の英雄アロンソをマクラーレンから弾き出したかのような印象を持たれたハミルトンはバルセロナでのテスト走行中、スタンドに陣取った一部のアロンソ・ファンから人種差別行動を受けた。これにはFIAのみならずスペインの大臣も苦言を呈す事態となったが、ハミルトン本人は「少し悲しくなったのは事実だけど、僕はこの国が大好きだからね。バルセロナのサーキットも3本の指に入る。フェルナンドとの関係は問題ないよ。もう終わったことだしね」&#8230;..情熱の国では日常的なことも、決して許されることではない。ハミルトンのクールな対応に、スペインのファンは静かになった。<br />&#8217;08年、アロンソの抜けたマクラーレンはハミルトンのチーム・メイトとしてルノーから若手のヘイキ・コヴァライネンを獲得。アロンソがルノーへ戻ったことから、丁度交換トレードのような形となった。そして、この&#8221;チーム・メイトとの問題&#8221;から解放されたハミルトンは圧倒的フェラーリ有利、というシーズン前の評判を覆し、不調の王者・ライコネンに変わってフェラーリを背負う<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサ</font></a>と熾烈なタイトル争いを繰り広げることになる。</p>
<p>開幕戦オーストラリアGP。このGPを制する者がシーズンを制する。そんなジンクスに挑むハミルトンは予選ブッチ切りのポール・ポジション。決勝でも不調に喘ぐフェラーリ勢を尻目に快走し、優勝。しかし第2戦マレーシア／第4戦スペインをライコネンが、第3戦バーレーン／第5戦トルコをマッサが勝ち、フェラーリ勢が一気に逆襲に出る。第6戦雨のモナコでハミルトンが起死回生の2勝目。&#8217;08年シーズンは完全にハミルトンVSフェラーリのふたり、という構図と思われた。しかし、この後ロベルト・クビサ（BMWザウバー／第7戦カナダ）、コヴァライネン（マクラーレン／第11戦ハンガリー）、ヴェッテル（トロ・ロッソ／第14戦イタリア）、そしてアロンソ（ルノー／第15戦シンガポール、第16戦日本）らが勝者として乱立。そこにはタイトル争いのプレッシャーの中でもがくハミルトン、そして&#8217;08年のライバルとして残ったマッサの精神的ドタバタ劇が大きく影響していた。両者接触、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ピット戦略ミス</font></a>、そして多くのリタイア。勝てた筈のレースを、両者共につまらない形で落としてしまう。<br />天王山となったのはシーズン終盤、第17戦中国GP。ハミルトン84点／マッサ78点で6点差。予選はハミルトン、ライコネン、マッサ、アロンソの順。「マッサのタイトル獲得の役に立つんなら喜んで協力するよ」2連勝で絶好調のかつてのチーム・メイト、アロンソはインタビューでこう語った。真後ろから3人のライバルが追い上げる四面楚歌な状況で、ハミルトンは完璧なラップを重ね、勝利した。マッサはライコネンに2位を譲って貰う形となり、最終戦を前にハミルトンとマッサの得点差は9点。つまり最終戦ブラジルで、マッサは勝ち、ハミルトンは6位以下でフィニッシュしなければマッサの逆転王座はない。<br />&#8230;..このレースは以前この<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチでも紹介した</font></a>が、レース終盤の雨が演出したあまりにもドラマティックな結末でハミルトンは奇跡の5位フィニッシュ、僅か1点差で初の王座に着いた。F1史上最年少世界王者の誕生である。「今季は多くの失敗をした。そして、その分学び、強くなれた。僕はまだ23歳だけど、何だかもう何年もここにいるような気分だよ」若き王者の誕生。それはデニスが若き少年に賭けた夢が叶った瞬間でもあった。「彼がいなければ今の僕はない」彼らの初対面から13年後のことであった。</p>
<p>翌&#8217;09年、若き王者を擁するマクラーレンは<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>使用を含めた新レギュレーションによる開発競争に敗れ、スタートから低迷。しかも開幕戦オーストラリアGPでハミルトンはセーフティ・カー導入中にトヨタのヤルノ・トゥルーリを先に行かせた件で「意図的ではない」と発言したが、実際にはチームからの指示であることが発覚し、惨めな失格処分でのスタートとなった。またタイトル争いはブラウンGPとレッド・ブルの間でハイ・レヴェルな技術／信頼性競争となり、ハミルトンは第9戦ドイツGPまでに僅か9点。マクラーレンは完全に選手権から脱落した。それは通常ならチームがシーズン中のアップ・デートを諦め、翌年のニュー・マシン開発に力を注ぐことを意味する。しかし、マクラーレンは違った。もちろん翌年のマシン開発とは別にシーズン前半の遅れを取り戻すべくMP4／24を懸命にアップ・デート、ほぼBスペックとも言えるマシンを準備した。フェラーリの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マッサの大クラッシュ</font></a>で幕を明けた第10戦ハンガリーGPで、遂にハミルトン自身10勝目となる&#8217;09年シーズン初勝利。これはKERS搭載車による歴史的な初優勝でもある。「ここまで本当に長く、苦しい道程だった。でも諦めずにマシンを開発してくれたチームを本当に誇りに思う」蘇ったマクラーレン／ハミルトンは第14戦シンガポールGPをポール・トゥ・ウィンで制し、最終的に選手権5位、シーズン後半戦だけで実に40ポイントを獲得してみせたハミルトンはやはり別格だった。</p>
<p>&#8230;..そして迎えた&#8217;10年シーズン。バトンはハミルトンに勝てる筈がなかった。チームとの信頼関係、若さ、そして旬。が、現実には4戦を終わってバトン2勝／ハミルトン0勝である。前述のように互いに紳士同士であることが幸いし、このままふたりの間に確執は起らない、と考える人も多いようである。が、忘れてはいけないのは彼らはレーシング・ドライバーであり、そしてワールド・チャンピオンである、ということである。少なくともマクラーレンというチームに於いて表面上だけでもジョイントNo.1制度が上手く機能していた試しはない。その最も象徴的な例がセナ／プロであり、最も最近の例がハミルトンとアロンソであった。<br />現状のライン・アップを考えた時、レース巧者のバトンはプロスト的であり、速さのハミルトンはセナ的と言える。が、今回違っているのは元からチームにいるのが若いハミルトンで、他チームで獲ったタイトルを持ってやって来たのがベテランのバトンだという部分。ハミルトンはマクラーレンの秘蔵っ子であり、バトンはあくまでも途中加入、しかもマクラーレンはフェラーリを離脱するライコネンとも交渉していた経緯があり、もしかしたらここまでの活躍は誰も予想していなかった、いやバトン自身すら考えていなかった事態なのかも知れないのである。尻に火が着いた形のファラオが、この先どうやって巻き返してくるのか。</p>
<p>「僕はジェンソンよりコンマ4秒速かった」開幕戦バーレーンGPを3位で終えたハミルトンは、7位フィニッシュのチーム・メイトとの差をこう評した。「ジェンソンは速く、強く、そして偉大なドライバーだ。差は重要ではないかも知れないが、チーム・メイトに勝つことは重要なんだ」GP2時代からのライバルであり親友でもあるニコ・ロズベルグを引き合いに出し、若さが重要なファクターであることを強調する。「今何歳であれ、ミハエル・シューマッハーが7度の世界王者であることを忘れちゃいけない。そして彼はニコに敵わなかった。それが現実さ」その若さが時に武器にならないことを、ハミルトンはこの4戦で学んでいるのだろう&#8230;..。</p>
<p>マクラーレンCEOのウィトマーシュは、バトンの移籍を&#8221;勇気ある決断&#8221;と評価する。「現在のライン・アップは最強だ。F1でふたりしかいない英国人ドライバー、それもふたりともチャンピオン経験者。正直、バトンには不安があったと思う。それでも彼は決断し、そして勝ってみせた。これは素晴らしいことだ」ロン・デニスはセナ／プロとの違いを強調する。「セナとプロストは国も文化も違っていた。しかし彼らは違う。なかなか良いコンビだと思うよ」この言葉が楽観かそれともフォローか、はヨーロッパ・ラウンドが始まればいずれ解るだろう。ともあれ、悩める若きファラオがこれから現役王者バトンにどう挑むのかが楽しみである。</p>
<p><i>「これからも1-2フィニッシュが出来ると良いね！」@&#8217;10年第4戦中国GP／ルイス・ハミルトン</i></font></p>
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			</item>
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		<title>混乱必至の色彩共演</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 11 Feb 2010 11:04:12 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>遂に2010年シーズンに向け、各チームのニュー・マシンがヴェールを脱ぎ始めた。コンサヴァティヴなフェラーリ、昨年のトレンドを取り入れたマクラーレン／ウィリアムズ、初ヘレス・テストでの速さが印象的なザウバー。注目の新チーム・・・</p>
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<p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%b7%b7%e4%b9%b1%e5%bf%85%e8%87%b3%e3%81%ae%e8%89%b2%e5%bd%a9%e5%85%b1%e6%bc%94/">混乱必至の色彩共演</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">遂に2010年シーズンに向け、各チームのニュー・マシンがヴェールを脱ぎ始めた。コンサヴァティヴなフェラーリ、昨年のトレンドを取り入れたマクラーレン／ウィリアムズ、初ヘレス・テストでの速さが印象的なザウバー。注目の新チームでは、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-20.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ヴァージン・レーシング</font></a>が第1号車となる<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2010/02/vr-01-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">VR-01をシェイク・ダウン</font></a>、生憎の雨だったが、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>の手によりサーキットに颯爽とその勇姿を現した最初の&#8221;ニュー・カマー&#8221;となった。<br />マシンははヴァージンの事前発表でチーム・ウェアなどに見られた通り、黒地に赤のカラーリング、ウィングには白で&#8221;Virgin&#8221;のロゴ&#8230;..おお、何ってこった。光の加減によっちゃ、銀に赤／白でVodafone、のマクラーレンと区別が付かないぢゃないか！。それってもしや狙いか？。いや、目立ちたいんだったら逆効果だ。それともただの偶然？。ただでさえ今季は台数増えるし、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2010/01/post-19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">メルセデスGP</font></a>だっているんだから、テレビで観てて混乱する予感大だ&#8230;..。</p>
<p>サーキット観戦よりも、むしろテレビ観戦時に威力を発揮するF1マシンのカラーリング。カメラはマシンの動きに合わせてパンしてくれるので、瞬時に多くのマシンを識別出来、直前の順位と照らし合わせて誰が何処を走っているのかが解る。アップになれば細かいロゴも映るし、ドライバーのヘルメット・デザインも同様。で、それらが一体となって1コーナーを駆け抜ける際、色彩豊かなF1GPならではの光景が出来上がる。<br />まず、だいたいF1マシンのカラーリングというのは何を基準にして選ばれているのか、という根本的なハナシから入ることにしよう。これはもちろんF1に限らず、レーシング・カー全般に言えることではあるが、1950年に世界選手権としてスタートしたF1はイタリア／フランス／イギリスなどの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ヨーロッパ諸国のメーカーが集まって始まった</font></a>。ここでは現在のマニファクチャラーやコンストラクターという構図以前に&#8221;国別対抗戦&#8221;という意識が存在し、当時のFIAはイタリア＝赤、フランス＝青、イギリス＝緑といった具合に国ごとに振り分けを行った。これは基本的に各国の国旗のデザインに由来するが、現在そのような取り決めは存在しない。何故なら、近代F1はイギリスのコンストラクターがドイツ製のエンジンと日本製のタイヤでフィンランド人とスペイン人のドライバーを擁して闘ったりするからであり、同時にそのカラーリングはご存知の通りスポンサー・カラーに依存されるようになったからである。<br />しかし国民性／ナショナリズムとしてモーター・レーシングを観た際、イタリアン・レッド／フレンチ・ブルー／ブリティッシュ・グリーン、そして我々日本人にとっての&#8221;日の丸カラー&#8221;などは完全に&#8221;ステイタス&#8221;の域であり、同じ国からいくつかのメーカー／チームが参戦している場合は争奪戦となるケースもある。現在少なくともフェラーリがイタリアの象徴であり、その赤いマシンは唯一無比のものであることは疑いようがない。しかし、当然かつては多くのイタリアン・チーム／コンストラクターが同じイタリアン・レッドを纏い、それはスポンサー・カラー全盛期となった近代F1に於いても続いていた現象なのだ。<br />今回は、この我々を魅了してやまない&#8221;カラーリング&#8221;の歴史を振り返ろう。もちろん秀逸なものから、今考えても冗談みたいなものまで、様々なデザイン／カラーのマシンが存在した。そしてそこに見え隠れするチームやスポンサーの野望。&#8221;走る世界的広告塔&#8221;であるF1のカラーリング／デザインの謎に迫る。</p>
<p>まず、かつてFIAに登録されていた主な&#8221;ナショナル・カラー&#8221;を見てみよう。登録されていたのは全部で33ヶ国、しかし当然国旗のカラーのみで決めると複雑になったり、同じになってしまう国が存在するので、このような取り決めとなった。<br />イタリア＝赤<br />フランス＝青<br />イギリス＝緑<br />ドイツ＝白<br />ベルギー＝黄<br />ニュージーランド＝橙<br />オランダ＝オレンジ<br />南アフリカ＝金</p>
<p>フェラーリがイタリアン・レッドを纏うように、アルファロメオやマセラティ、フィアット、ランチアなど多くのイタリア・メーカーのマシンが赤くペイントされていた。同様にイギリスからはクーパー、ヴァンオール、ERAなどが緑、そしてフランスからはタルボ、マトラ、ゴルディーニなどが青いペイントのマシンで闘った。ちなみにドイツは1934年以前は白で、メルセデス・ベンツやポルシェ、アウトウニオンらがホワイトのマシンで出場していた。が、ある日、現在に至る伝説のきっかけとなる重大な出来事が起る。</p>
<p><b>□シルバー・アローの意外な由来</b><br />1934年6月、メルセデス・ベンツはニュルブルクリンクで3.4リッターV8エンジンを搭載し、社運を賭けたニュー・マシン、メルセデス・ベンツW25をデビューさせた。しかし、最大重量750kgの規定に対し、レースの前日の車検でW25の重量が751kgであることが発覚。アルフレート・ノイバウア監督は「完全に計算し尽くされたこのマシンから1kgも重量を落とすために外せるパーツなどひとつも存在しない」と落胆。居合わせたドライバーのフォン・ブラウヒッチュは「このままではメルセデス／全てのドイツ人の顔に&#8221;泥を塗る&#8221;ことになってしまう」と嘆いた。<br />が、このブラウヒッチュの&#8221;泥を塗る&#8221;という言葉を聞いたノイバウアは、「そうだ、マシンの塗装を剥がすんだ！」とメカニックに命じた。チームが徹夜でドイツのナショナル・カラーである白い塗装を剥がすと、そこにはアルミ剥き出しの銀色のマシンが現れた。そして塗装を剥がされたW25は軽量を750kgジャストでパスし、ブラウヒッチュはニュルのコース・レコードを記録して優勝した。翌日、ドイツの新聞は&#8221;銀の矢の勝利&#8221;と書き立て、以来メルセデス・ベンツの代名詞はシルバー・アローとなったのである。従って銀はドイツのナショナル・カラーでもメルセデス・ベンツの社色だったわけでもなく、現場の人間による機転の利いたアドリヴの産物だった、というわけなのだ。</p>
<p><b>□日の丸カラーは妥協の結果</b><br /><a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタ</font></a>、スーパーアグリ、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_95.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BARホンダ</font></a>、フットワークなど、日本資本のチームは大抵が白地に赤、のデザインである。それは疑いようもなく、日の丸カラーを意識したものだが、いずれも白地に赤のデザイン・ペイントであり、厳密な日の丸デザインではない（BARホンダのラッキーストライク・カラーはやや日の丸的だったが）。もちろん<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_61.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">レイトンハウス</font></a>のように、広告効果を優先して独自のカラーリングを施した例もあるが、かつては&#8217;74年に日本からF1にチャレンジしたコンストラクターである<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マキ</font></a>F101、&#8217;77年の<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_17.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コジマ</font></a>KE009（日本GPのみ）、&#8217;96年の童夢F105（テスト走行のみ）などの日本のコンストラクターが日の丸カラーを纏った。が、もちろんこの日の丸F1にも元祖が存在する。<br />&#8217;64年、ロータスの裏切りによってシャシーも制作し、予期せぬチーム参戦を決行することとなったホンダは、創始者である本田宗一郎の「日本は黄金の国だ。マシンには金箔を塗っちまえ！」のひとことで、ホンダF1の1号車であるRA271をゴールドにペイントする。が、FIAは「ゴールドは南アフリカのナショナル・カラーである」と却下。困り果てた中村良夫監督に、FIAの担当者が「アイボリーではどうか」と提案するが、母国本社、いや宗一郎は自らの提案を却下されたことに憤慨。そこでFIA担当者が「だったら赤い丸を入れて日の丸カラーにしたらどうか」と再提案。宗一郎もそれなら、と受諾、こうして日の丸カラーの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_69.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ホンダF1は妥協の結果誕生</font></a>したのである。</p>
<p><b>□母国の威信を賭けて</b><br />ナショナル・カラーが義務ではなくなって以降も、もちろん好んでその色を使用するチームは多数存在する。フェラーリの赤がいくら絶対的であっても、&#8217;80〜&#8217;90年代のF1バブル期にはスクーデリア・イタリア／ライフなどの小規模なイタリアン・チームがフェラーリ同様にマシンを赤くペイントし、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_34.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">リジェ／プロスト</font></a>はフレンチ・ブルーに、ジャガーがブリティッシュ・グリーンに、近年ではオランダのスパイカーが母国のナショナル・カラーである橙色にマシンをペイントしていた。ちなみにマクラーレンのニュージーランド（創始者ブルース・マクラーレンの出身地）はオレンジだが、数年前までシルバーであるべきマクラーレンが、シーズン前のテスト時などにオレンジ色のマシンを走らせていたのを記憶している方も多いだろう。<br />そんな中にあって、&#8217;91年にF1GPに挑戦したアイルランド人・<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_59.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エディ・ジョーダン</font></a>のチームの処女作・ジョーダン191は、見るも鮮やかなアイリッシュ・グリーンで人々を魅了した。スポンサーにも7Upなどのグリーンをイメージ・カラーとする企業を集め、参戦初年度からズバ抜けた速さを見せたこともあり、極めて美しいマシンとして&#8217;91年のベスト・デザイン・マシンにも選ばれた。<br />&#8230;..が、策士エディ・ジョーダンはその後毎年のようにスポンサーに合わせてマシン・カラーを変え、いつしかグリッド上で最も節操のないチームとなってしまった。特に&#8217;96年にタバコ・メーカーのベンソン&amp;ヘッジスと組んだ際の&#8221;ゴールド・カラー&#8221;は不評で、シーズンのワースト・デザイン・マシンに選ばれている（&#8230;..）。</p>
<p><b>□走る広告塔</b><br />モーター・スポーツは金がかかる。それは今も昔も同じだが、ナショナル・カラーにメーカー・ロゴとカー・ナンバーしか描かれていなかった時代は、当然メーカーのレース部門への予算のみでレーシング・チームが運営されていた。しかし、多くの国を転戦する世界選手権という概念の中、ロータス・チームの総帥である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コーリン・チャップマン</font></a>はこの金のかかるF1GPを何か有効に使う手立てはないものかと模索していた。<br />迎えた1968年第2戦スペインGP、ロータスはそれまでのブリティッシュ・グリーンのカラーリングを捨て、車体を赤と白でペイントし、タバコ・メーカーであるゴールド・リーフのロゴを描いて登場した。これを機にロータスは&#8221;ゴールド・リーフ・チーム・ロータス&#8221;と名称を変更し、現在へと受け継がれる&#8221;冠スポンサー時代&#8221;の幕開けとなったのである。<br />以降、どれだけ多くののタバコ・メーカーがF1GPを彩ったかはご存知の方も多いだろう。特に&#8217;70〜&#8217;90年代にかけてはタバコ・メーカー無くしてモーター・スポーツは語れなくなった。しかしそれもヨーロッパを中心に広まったタバコ広告規制によって減少し、2010年現在もチーム名にタバコ・メーカーが入っているのはスクーデリア・フェラーリ・マールボロのみである。が、このマールボロは既にモーター・スポーツの代名詞とも言える存在であり、現状マシンにロゴを描けない時代となっても、既にその存在はF1にとって不可欠なものと言える。</p>
<p><b>□マールボロ・カラー</b><br />世界的に有名なデザインのひとつである赤と白のマールボロの絵柄は、白いタバコに口紅が付着した状態、つまり女性が手に持った白いタバコのフィルター部分に付いた口紅を描いたものである。それがタバコ同様に四角いフォルムを持つ自動車前部（ボンネット部）に描くのに丁度良かったのは事実だが、&#8221;オープン・フォーミュラ&#8221;という特殊な形状に対するペイントのセンスが実に絶妙だった。マシンを白地に塗り、細く長いノーズ部分に口紅跡のデザインを施し、最も目立つリア・ウィングにMarlboroの文字を描いたそのデザインはフォーミュラ・カーの代名詞となり、&#8217;70年代には黒地に金のJPSロータスと並んで秀逸なものとなった。しかも、マールボロは実際のパッケージに使用されている塗料よりもオレンジに近い赤を採用。これは「サーキットで太陽光を受けた際に濃い色だと黒っぽく見えてしまう」という理由によるもので、実際フェラーリの赤とも違う絶妙な配色がそのイメージを確たるものとした。まさに広告のために行われた見事な決断と言える。</p>
<p><b>□タバコ・メーカーの遊び心</b><br />モーター・スポーツの代名詞となったタバコ・メーカー／銘柄は前述のゴールド・リーフ、JPS（John Player Special）、マールボロ、そしてキャメルやラッキー・ストライクなどがある。それはフォーミュラ・カーに留まらず、ラリーや2輪の世界に於いても同様であり、基本的にはモーター・スポーツ＝男の世界、というイメージからその流行へと繋がったものと考えられる。これによって例えばマールボロ・マクラーレンは赤白、JPSロータスは黒、などのカラーリングがタバコ本体のパッケージングと類似し、広告効果は絶大なものとなった。<br />&#8217;77年第16戦日本GP。JPSロータス・チームはマリオ・アンドレッティ／グンナー・ニルソンのふたりのドライバーを擁して来日。が、予選直前にピットでマシンが組上げられると、カー・ナンバー6のニルソン車のみがJPSの系列銘柄であるワイン・レッドの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">インペリアル・カラー</font></a>へと塗り替えられた。決定が急遽だったために富士スピードウェイ付近の塗装業者が一斉に駆り出されての突貫作業となったが、我々日本人ファンにとっては1戦のみの想い出深いカラーリングとなった。<br />&#8217;86年最終戦オーストラリアGP。赤と白のが代名詞のマールボロが、このレースで引退する<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>に粋なプレゼントを贈った。チーム・メイトの<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>車はそのままに、ロズベルグ車を黄色と白の&#8221;マールボロ・ライト&#8221;カラーに塗ったのである。ロズベルグはパドックでも有名なヘビー・スモーカーであり、このプレゼントに感激しつつも「ライトじゃ物足りないよ（笑）」と彼流のジョークで感謝の気持ちを表していた。</p>
<p><b>□似た者同士</b><br />さて、そのF1のカラーリングの代名詞であるマールボロは、決してマクラーレンとだけ蜜月の日々を送って来たわけではない。多くのドライバーを個人サポートし、また多くのチームを支援して来た。&#8217;81〜&#8217;83年、イタリアのアルファロメオはマールボロの支援ドライバーであるブルーノ・ジャコメリ、マールボロの親会社であるフィリップ・モリス社重役の御曹司であるアンドレア・デ・チェザリスらが在籍していたことからマールボロ・カラーにペイントされた。しかしこれによって遠目ではマクラーレンと全く区別が付かなくなり、特に正面からのショットではカー・ナンバー以外の識別は極めて困難となった。<br />&#8230;..もっとも、これは昨年起きた事件に比べればシンプルな出来事である。&#8217;09年最終戦アブダビGP、トロ・ロッソのドライバー、ハイメ・アルグエルスアリはギア・ボックスの不調を訴え、レッド・ブルのピットに入った&#8230;..なんか、どうにかして貰えそうな気がしないでもないが、アルグエルスアリは自分のチームと良く似たカラーリング／同一ロゴの兄弟チームのピットを、自分のピットと見間違えてしまったのである。マシンそのものは良く見れば青基調のレッド・ブルに対して赤基調のトロ・ロッソ、と確かに違うのだが、何しろ同じレッド・ブルのロゴ、しかも&#8217;08年のコンストラクターズ順位で並ぶピットは隣同士。同情も笑いも起きる事件だったが、ブ厚いバイザー越しに見るドライバー本人達にとっては重大なことなのだろう。</p>
<p><b>□苦肉の策</b><br />そのレッド・ブルとトロ・ロッソが同じオーナー／スポンサーによる兄弟チームで、良く似たカラーリングを施したのに対し、同一チームの2台のマシンのカラーリングを銘柄で分けようとした例がある。<br />昨年撤退したホンダの前身、BAR（ブリティッシュ・アメリカン・レーシング）は見ての通り、BAT（ブリティッシュ・アメリカン・タバコ）資本のレーシング・チームである。F1参戦初年度の&#8217;99年、彼らは2輪で有名なラッキー・ストライク（白）と、ラリーで有名な555（トリプル・ファイヴ／青）の傘下のふたつの銘柄に2台のマシンを塗り分けることを発表した。しかしFIAは「同一チームの2台のマシンは基本的に同様のカラーリングでなければならない」とこれを突っぱねた。既にBARはジャック・ヴィルヌーヴ車をラッキー・ストライク、リカルド・ゾンタ車を555カラーにペイントした新車を公開していたが、紆余曲折あって結局異なるカラーリングの2台案は却下され、BARはマシンのノーズにファスナーを描き、左側を555、右側をラッキーストライク・カラーに塗った。なんとも単純な結末に世論はそのデザインの是非を議論したが、少なくともこの騒ぎでマスコミに取り上げられた回数を考えれば、BARの広告戦略は成功した、と言える。</p>
<p><b>□現実主義</b><br />マシンのカラーリングやロゴは、何もデザインを優先して行われるとは限らない。イギリスの名将<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケン・ティレル</font></a>は独自のビジネス論を持ち、自らのチームのマシンは&#8221;ティレル・ブルー&#8221;とも呼ばれる鮮やかな青色にペイント、そこに描かれるスポンサー・ロゴは可能な限り最小、という美学の持ち主だった。<br />&#8217;89年、マールボロ・ドライバーだった<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_74.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミケーレ・アルボレート</font></a>がシーズン途中にチームを離脱、第7戦フランスGPからティレルは国際F3000王者の新鋭、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_42.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャン・アレジ</font></a>をデビューさせた。その際、キャメルの支援ドライバーだったアレジを乗せるため、ティレルは青のカラーリングにキャメル・イエローを足さなければならなくなった。そこでケンが出した答はエンジン・カウル部分のみ黄色でCAMELの文字という、お世辞にもスタイリッシュとは言えないカラーリングだった。「キャメルがチームに齎してくれた金額はこれくらい、ということだよ」とは、何とも名将のケンらしいジョークである。</p>
<p><b>□ユナイテッド・カラーズ</b><br />F1が商業的に成功し、テレビ中継などで世界的な人気を誇るようになると、多くの&#8221;流行企業&#8221;達が、こぞってF1マシンを広告媒体として捕らえ始めた。&#8217;77年のヘスケス308Eはスポンサーにアダルト向け男性誌で有名な&#8221;PENTHOUSE&#8221;が付き、マシンのサイド・ポンツーンには横たわる半裸の女性のイラストが描かれた。これはテレビ観戦する子供達にとっては少々刺激が強過ぎるデザインだった。が、この頃から徐々にF1マシンのカラーリング／デザインは洗練されて行く。<br />極めつけは<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>だろう。当初はティレルやアルファロメオのスポンサーとして参戦、チームのマシンをユナイテッド・カラーズ・オヴ・ベネトン&#8221;らしく派手にペイント。しかし&#8217;86年にトールマンを買収してベネトン・F1チームとすると、マシンをキャンパスに見立てて派手な彩色を行った。フェラーリの赤でも、マクラーレンの赤白でも、ロータスの黒でもない、赤／青／黄／緑などをふんだんに使った独自のカラーリングでグリッドを彩ったのである。この流れは&#8217;91年にキャメルのスポンサードを受けてイエローに塗られるまで続くが、F1史上間違いなく&#8221;最も派手なカラーリング&#8221;だったチームである。<br />派手と言えば&#8230;..&#8217;93年のローラT93はその戦闘力の低さも相まって多くのメディアから&#8221;F3000以下のセンス&#8221;と揶揄された。白地に燃える炎を描いたそのカラーリングは、確かに洗練されたデザインとは程遠かったことは事実である。</p>
<p><b>□ありがたくない通称</b><br />&#8217;90年、実に19チームものエントリーで予備予選が実施されていたこの年、期待されていた<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_97.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">スバル水平対抗12気筒エンジン</font></a>で大失敗したコローニ・チームは、問題のスバルV12から信頼性の高いコスワースV8にエンジンをスイッチしても相変わらず予選通過が壁となっていた。チームは日本／オーストラリアの最終2戦にスポット・ドライバーの起用を決め、その座は日本の新鋭、服部尚貴が射止めた。しかしチームの資金不足は変わらず、チームは一口2万円で個人スポンサーを募り、マシンのカウルに出資者の名前を記して行くという策を取った。人の名前がビッシリと書かれたコローニのマシンは&#8221;耳無し芳一&#8221;と揶揄されたが、結局このマシンが決勝レースを走ることはなかった。ファン自らが「我々の手で」と立ち上がったことは特筆に値するが、それを実現出来ないチームに生き残る術はないこともまた事実であった。<br />ルノーのチーム・カラーは黄色である。&#8217;77年、F1初のターボ・エンジン・マシンであるRS01を擁してF1に参戦したルノーは、レース中に度重なるエンジン／ターボのトラブルで毎戦のように白煙を上げ、コース・サイドにストップしていた。それを見たマスコミが付けたニック・ネームは&#8221;<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">イエロー・ティーポット</font></a>&#8220;。&#8217;85年に一旦撤退し、エンジン・マニュファクチャラーとしての大成功後、ベネトンを買収して再びワークス・チームへと復活したルノーは、今季新たなパートナーと共に、デビュー当時のイエローを纏ってグリッドに着く。昨シーズン、エンジンの信頼性が問題となったルノーに、再び妙なニック・ネームが復活しないことを祈る。</p>
<p><b>□本末転倒</b><br />&#8230;..この原稿を書いている時点で、最終的にシーズン開幕時にどうなっているのか、は解らない。が、昨年いっぱいで<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMWが撤退</font></a>し、チーム創始者である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>によってチームが買い戻され、紆余曲折の末に救済処置で&#8217;10年シーズンへの参加が認められたザウバーは、高額なチーム名称変更を避けるため、今季もBMWザウバーを名乗ることになる。が、エンジンはフェラーリ製なので、BMWザウバー・フェラーリとなる。そしてシェイク・ダウンされた彼らの新車、ザウバーC29は未だBMW時代の&#8221;BMWっぽいデザイン&#8221;のままである&#8230;..。</p>
<p>さて、多くのチームから&#8217;10年シーズンに使用する新車が公開され始めた。新たなシルバー・アロー伝説に向けて走り出したメルセデスGP、国旗を彩ったフォース・インディア、そして由緒あるブリティッシュ・グリーンを纏った新生ロータス&#8230;..。<br />多くのドライバー・シャッフルも含め、僅か1ヶ月後に迫った開幕戦バーレーンGPの中継で全てが見分けられるとは思えない。いやむしろ、メルセデスGPを見て「マクラーレンが&#8230;..」とか口走ってしまいそうな自分がいる&#8230;..。ともあれ、新たな色彩の共演に乞うご期待！。</p>
<p><i>「夢かと見まごう、鮮やかな色の集団」／高桐唯詩（1988年・フジテレビF1総集編より）</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e6%b7%b7%e4%b9%b1%e5%bf%85%e8%87%b3%e3%81%ae%e8%89%b2%e5%bd%a9%e5%85%b1%e6%bc%94/">混乱必至の色彩共演</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>衝撃の先の落とし穴</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 19 Nov 2009 15:09:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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<p>近代F1に於いて、まあ今年ほどオフ・シーズンのニュースに事欠かない年は珍しい。何しろ最終戦からまだ半月程度だっつーのに、既に1社供給のタイヤ・メーカーであるブリヂストンが来年限り、唯一の日本チーム／メーカーだったトヨタが・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">近代F1に於いて、まあ今年ほどオフ・シーズンのニュースに事欠かない年は珍しい。何しろ最終戦からまだ半月程度だっつーのに、既に1社供給のタイヤ・メーカーである<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/11/2010f1-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブリヂストンが来年限り</font></a>、唯一の日本チーム／メーカーだった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/11/post-16.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">トヨタが今季いっぱいでの撤退</font></a>を発表、そこへ今度はメルセデス・ベンツが今季のWタイトル覇者・ブラウンGPを買収、&#8217;10年から&#8221;<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/11/gpgp-6.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">メルセデスGP</font></a>&#8220;として参戦する、と来た。確かに囁かれて来たことであり、今季のブラウンGPの活躍の裏にメルセデス・エンジンの優位性があることは事実である。が、メルセデスっつったらマクラーレンなんじゃないのか？。ワークスって何だ？？。不況でホンダ／<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/bmw.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMW</font></a>／トヨタが去った今、ヤツらがこれからF1でやろうとしていることは一体何なんだ？？？。<br />マクラーレン・メルセデスという言葉の組み合わせは、ある意味巨大自動車メーカーの開発競争を軸としたここ数年のF1に於いて異端な名だった。敵はフェラーリでありルノーであり、ホンダでありトヨタだった。つまり、チーム名イコール自動車メーカー、である。ワークス・チームとして、この中からは外れるがレーシング・チームとしての歴史と貢献度を受け継いだBMWザウバーという存在があるが、彼らを短く呼ぶ時、その響きは&#8221;BMW&#8221;であって&#8221;ザウバー&#8221;ではない。従って、歴史と伝統、存在意義など全ての面でメーカーではないレーシング・コンストラクターとして現存するのはマクラーレン、そしてウィリアムズのふたつしかなかった。</p>
<p>パドックの人間は言い始めた。「F1は再びコンストラクターの時代が来る」&#8230;..一体それはどういう時代なのか。そして、その向うにある巨大な落とし穴に、F1は落ちてしまうのか？。相次ぐメーカーの撤退、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_51.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">コスワース</font></a>使用を軸とする新チーム参入、そして現存のメーカーの様々な動き。幕を明け始めたF1新時代の様相を検証し、F1の向う先を考えてみる。</p>
<p>F1の大命題のひとつは&#8221;オリジナル・コンストラクター&#8221;という概念である。基本的にそれぞれのレーシング・チームが自社製のマシンをデザイン／作成し、規定内のエンジンを搭載して出場する。それが自動車メーカーではなくてはならないとか、使用するエンジンをチーム名にしなければならないとかいう決まりは存在しない。最も比較材料として挙げられるのがアメリカン・フォーミュラの最高峰、インディカーである。こちらは現状シャシーはダラーラ、エンジンはホンダ製のワンメイクであり、各チームは基本的に&#8221;同じ道具&#8221;を使用する。従って優劣はマシン・セッティングや戦略中心となり、初めから全チームの性能／特徴が異なるF1とは全く別次元のものである。故に、今季F1で話題となったダブル・ディフューザーの解釈や<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/kers.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">KERS</font></a>搭載／非搭載といった問題は起こり得ない。同時に、インディカーが原則としてアメリカの選手権であるのに対し、F1は世界選手権である。よって、参戦するチームやメーカー、更にスポンサードする企業なども国際色豊かとなり、逆の見方をすれば世界各国のチーム／メーカー／企業が争う場として極めつけ、と言える。自動車メーカーやスポンサーは海外市場への販売戦略を狙い、チーム／ドライバーは我こそ世界一、を競う。つまり、企業にとってF1は世界的な広告媒体としての魅力が全てであり、その目的を達成するための巨大な投資の場なのである。反対に、それだけの効果が得られない場合、もしくは目的を達成した場合、彼らにはF1を去るという選択肢がある。</p>
<p>ひとつの例として挙げられるのがルノーの存在である。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_32.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;70年代にF1初となるターボ・エンジン搭載</font></a>のワークス体制でF1に挑戦し、その後エンジン・サプライヤーとして一時代を築いた。そしてルノーは&#8217;02年に<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_110.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ベネトン</font></a>を、そのベネトンは&#8217;86年にトールマンを買収し、プジョーやマトラらのライバルを蹴落としてF1&#8243;フランス代表&#8221;の座を射止めた。<br />元々トールマンはテッド・トールマンの興したイギリスのレーシング・コンストラクターである。ロリー・バーン設計のオリジナル・シャシーでヨーロッパF2選手権を凌駕し、&#8217;81年にF1へと参入。<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_94.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブライアン・ハート</font></a>によるターボ・エンジンを搭載し、小規模なプライベーターとして活躍。&#8217;84年には<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>がトールマンからF1デビュー、大雨のモナコGPであわや優勝というレースを見せ、中堅チームの仲間入りを果たす。そして当時ティレル（イギリス）やアルファロメオ（イタリア）のスポンサーだったイタリアのアパレル企業・ベネトン社が眼をつけ、&#8217;85年にチームを買収、&#8221;ベネトン・フォーミュラ&#8221;が誕生した。そのベネトンはフォード／コスワースのワークス仕様エンジンを搭載し、テオ・ファビ／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_68.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ゲルハルト・ベルガー</font></a>／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_37.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ネルソン・ピケ</font></a>らの活躍でトップ・チームの仲間入りを果たし、&#8217;94年にミハエル・シューマッハーがドライバーズ・タイトルを、翌&#8217;95年には当時最強のルノー・エンジンを搭載してWタイトルを獲得、ベネトンは完全なトップ・チームとなった。その後覇権は同じルノー・エンジンを擁するウィリアムズへと移るが、当のルノーが3年間のF1活動休止を経て&#8217;01年に再びベネトンと組み、翌&#8217;02年にはルノーがベネトン・チームを完全買収、&#8221;ルノー&#8221;というコンストラクター名でF1参戦する。ルノーはコンストラクターとしては17年ぶりの参戦、この買収劇は事実上の&#8221;ルノー復活&#8221;だった。<br />&#8230;..イギリスのレース野郎・トールマンの作ったチームをイタリアのアパレル企業が引き継ぎ、そしてフランスの巨大自動車メーカーが跡を継いだ。ルチアーノ・ベネトンはチームをルノーに売却する際「我々のF1活での動は当初の目的を達成した」と言っ<br />
た。つまり、ベネトンはF1を必要としなくなった、もしくはF1が負担となった、のである。高級メーカーである彼らが世界最高峰のモーター・スポーツで行ったマーケティングは完璧だった。事実、オレの手元にも本来高級ブランドである筈のベネトンの商品／但しF1マーケティングによる比較的安価な商品、がいくつかある。これは、彼らがF1ブランド展開を行わなければ存在しない筈のものである。そして、彼らはその意味合い、チームの競争力、時代、全てを総合的に判断し、F1を去って行った。そしてその期間とタイミングはあまりにも&#8221;絶妙&#8221;だった。<br />反対に、ルノーはエンジン供給メーカーとしての大成功にも関わらず、最終的に自社によるワークス・チーム化の必要に迫られた。理由は簡単である。レースに勝利し、名称が世界中に報道されるのはあくまでもチーム名であり、&#8221;単なるエンジンサプライヤー&#8221;である彼らにとっては宣伝力が今ひとつ足らない。が、別の見方をすれば別名のチームが&#8221;勝てない言い訳&#8221;の対象と考えることも出来る。つまり例えばウィリアムズ・ルノーが勝った時、&#8221;ウィリアムズの勝利&#8221;、負けた際の&#8221;ルノー惨敗&#8221;などのイメージ・コントロールである。それが全て&#8221;ルノー&#8221;であれば、勝っても負けてもルノーの責任となる。そしてそれは、F1黎明期から常にそのスタンスを貫いて来た存在、つまりフェラーリが負って来た宿命である。逆に言えば、完全ワークスとしてフェラーリを倒さなければ、その勝利はあくまでもレーシング・チームの手柄となり、決してフェラーリを越える自動車メーカー、という称号は与えられない。かくして、ルノー（ベネトン）、ジャガー（スチュワート）、ホンダ（BAR）と自動車メーカーによるチーム買収が相次ぎ、ルノーと同じ&#8217;02年にはトヨタが初参入。タバコなどのスポンサー主体のレーシング・コンストラクター・チームの時代は終わりを告げ、F1は自動車メーカー同士の激突の場となって行った。この時点で、自動車メーカーによるワークス・チーム以外のF1チームに、もはや勝ち目はなかった。<br />ただし、その中でBMWは少々違う価値観を持っていた、と言えるだろう。BMWがスイスのF1チームであるザウバーを買収した、というところまでは同じだが、結果的に彼らは最後まで&#8221;BMWザウバー&#8221;を名乗った。これにはチーム創設者である<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_73.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペーター・ザウバー</font></a>への敬意以外に、前述の完全ワークスによる固定イメージへの抵抗が存在する。何故なら、彼らにとって同じドイツの雄、メルセデス・ベンツの存在はあまりにも巨大だったからだ。そしてそのBMWはワークス参戦4年／僅か1勝でF1を去って行った。</p>
<p>世界的な金融不況が襲い、自動車産業を直撃したのが&#8217;08年。現在自動車メーカーによるワークス・チーム運営時代は終焉に向っているかに見える。が、その渦中でメルセデス・ベンツは意外な行動に出た。<br />BMW同様、完全ワークスを持たない彼らの姿勢は、単純に組んだ相手／マクラーレンの存在に大きく左右される。フェラーリを除き、ウィリアムズとマクラーレンの2チームだけはその冠を変えることはあり得ない。F1に於いて歴史と伝統を持つ3つの常勝チームの内ふたつが、実際には巨大自動車メーカーと&#8221;上手く付き合う&#8221;ことによって勝利して来たチームなのである。つまり、いくら多くの自動車メーカーがF1を席巻しようとも、実際にF1に君臨しているのはレーシング・コンストラクターだった、と言うことが出来る。<br />そして今、メルセデス・ベンツはブラウンGPを買収し、遂に55年ぶりにワークスF1チーム&#8221;メルセデスGP&#8221;としてF1に参戦する。もちろん、蜜月関係にあったマクラーレンは買収出来ない。が、ブラウンGPはホンダの撤退によって生まれたプライベート・チームであり、しかも初年度から低予算でWタイトルを獲得した。そして今季最も多く勝ったのはメルセデス・ベンツ製エンジン（17戦10勝）であるにも関わらず、前述のように新聞の見出しには&#8221;ブラウンGP勝利／マクラーレン復活&#8221;としか書かれない。ならば、トヨタ／ホンダ／BMWらが去った今しかタイミングはない。ルノーも先行き不透明であり、ウィリアムズと新チームへ供給するコスワースは未だ敵ではない。つまり、倒す敵はフェラーリのみ。メルセデス・ベンツの上層機関であるダイムラー社側からは、不況の最中のこの行動に不満の声も出ているが、今を逃せばもうチャンスはないかも知れない。<br />何故なら、F1は再びコンストラクターの時代へと向っているからである。</p>
<p>相次ぐ自動車メーカーの撤退と新チームの参入を受け、あちらこちらで言われているこの&#8221;コンストラクター時代&#8221;とは一体どういうものなのか。ここで&#8217;09年から10年ごとに遡り、F1世界選手権参加チームとメーカー／エンジンの状況を一覧にしてみた。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>2009年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>トヨタ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ルノー</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>BMWザウバー</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br /></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ブラウンGP・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フォースインディア・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>レッドブル・ルノー</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウィリアムズ・トヨタ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>トロ・ロッソ・フェラーリ</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />今季はホンダが去ってブラウンGPが誕生、昨年スーパー・アグリが撤退して以来チーム数は10のまま。BMWザウバーを含み、自動車メーカーの完全ワークス・チームはフェラーリ／トヨタ／ルノー／BMWザウバーの4チーム。ここにマクラーレン・メルセデスを加えると半数となる。エンジン・サプライヤーは4社、BMWが単独ワークスであり、ブラウンGP（メルセデス）／レッド・ブル（ルノー）という、コンストラクターズ・ランキング上位2チームはワークス外のチームである。言い換えれば、今季はもはや巨大自動車メーカーによるワークス・チームでなければ勝利出来ないという状況にはなかった、と言うことが出来る。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>1999年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>アロウズ</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><b><br /></b></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウィリアムズ・スーパーテック</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>BAR・スーパーテック</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ベネトン・プレイライフ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>プロスト・プジョー</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ザウバー・ペトロナス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ジョーダン・無限</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>スチュワート・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ミナルディ・フォード</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />今から10年前の&#8217;99年は全11チーム中、自社製エンジンで走るのは僅か2チーム。しかしそのひとつはフェラーリであり、もうひとつのアロウズはハート社製エンジンに自社のバッヂを採用したものであり、厳密な意味でメーカー・ワークスではない。そして残る9チームの内、ウィリアムズとBARのスーパーテック、ベネトンのプレイライフの3つは、&#8217;97年にF1へのエンジン供給活動を停止したルノーV10をメカクローム社が開発し、元ベネトンのフラビオ・ブリアトーレによるスーパーテック社から販売されたエンジンの別称である。またザウバーのペトロナスはフェラーリの型落ちエンジンであり、当時はメーカーそのものよりもネーミングの独創性とスポンサー・シップが重要視されていた。ホンダ／ルノー不在の中、エンジン・サプライヤー冬の時代と言える。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>1989年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br /></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・ホンダ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウィリアムズ・ルノー</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ローラ・ランボルギーニ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ザクスピード・ヤマハ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ベネトン・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ミナルディ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>リアル・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>オゼッラ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>アロウズ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ティレル・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>コローニ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>オニクス・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>リジェ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ダラーラ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>AGS・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ロータス・ジャッド</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マーチ・ジャッド</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ブラバム・ジャッド</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ユーロブルン・ジャッド</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />ターボが禁止され、全車NAエンジンとなった初年度である&#8217;89年、上位はそのまま突出した自動車メーカー製のワークス・エンジンを独占供給されるチーム、フェラーリ（V12）を初め前年の覇者マクラーレン・ホンダ（V10）、ウィリアムズ・ルノー（V10）、そしてベネトン・フォード（V8）のトップ4である。それ以外の1社供給チームであるローラ（ランボルギーニ）とザクスピード（ヤマハ）に関しては勝利を争うレベルになく、実質的に選手権はトップ4によって争われていた。が、御覧になって解る通り、実に10チームがフォード、4チームがジャッド製のV8エンジンを搭載している。事実上この構図がコンストラクター時代の名残りである。ちなみにベネトンが搭載するフォードV8と、それ以外の10チームが使用するV8エンジンとでは性能が異なり、ワークス扱いの最新エンジンをベネトンが、コスワースによる市販エンジンを他チームが使用していた。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>1979年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ルノー</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><b><br /></b></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ブラバム・アルファロメオ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウルフ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>シャドウ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>エンサイン・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フィッティパルディ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウィリアムズ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>アロウズ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ロータス・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ティレル・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>リジェ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ATS・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>メルツァリオ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>カウーゼン・フォード</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />ここが最もコンストラクター時代を象徴する構図と言える。フェラーリV12、ルノー・ターボのワークス2チームに対し、アルファロメオ製のV12エンジンを独占使用していたブラバム（シーズン後半はフォードに変更）以外は全てフォード・コスワースV8エンジン使用チームである。ちなみにこの年のタイトルはフェラーリが獲得するが、前年まではロータスが開発したグランド・エフェクト・カー思想によりフォード・コスワースV8勢がレースに圧勝、既にハイ・パワー・エンジンよりも空力に視点が定まっていた時代である。同時に、安価なフォード・コスワース・エンジンの市販により、シャシー設計能力があれば誰でも低予算でF1に参戦することが可能だった時代の名残りであり、この後&#8217;80年代にはターボ・エンジンの時代がやって来る。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>1969年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>BRM</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br /></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>クーパー・マセラティ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ロータス・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マトラ・フォード</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ブラバム・フォード</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />フェラーリとBRM以外は全てレーシング・チーム、という構図の&#8217;69年。特にマトラは自社製エンジンを使用せず、フォード・コスワースを使用。もっともエンジン・メーカーそのものもフェラーリ／BRM／マセラティの3社しか存在せず、自動車メーカーがF1レースを行うにあたり、他社のエンジンをチョイスする、という現在では考え憎いスタンスでF1GPは行われていた。むしろエンツォ・フェラーリ／ブルース・マクラーレン／コーリン・チャップマン／ジャック・ブラバムらの&#8221;F1カリスマ&#8221;による選手権だった、と言える。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>1959年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>BRM</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>アストンマーチン</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ポルシェ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>バンウォール</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><b><br /></b></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ロータス・クライマックス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フライ・クライマックス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>クーパー・クライマックス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>クーパー・マセラティ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>クーパー・ボーグワード</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />そしてF1黎明期最後の年、&#8217;59年は御覧の通り、まさに自動車メーカー同士の激突である。ただしその殆どはヨーロッパのメーカーであり、特にイタリアのメーカーが目立つ。自動車産業そのものが未だ黎明期であることも含め、あっちが出るならうちも出る、という構図で成り立っていると言える。しかしこの時既にクライマックス社製エンジンは多くのレーシング・チームの注目を集め、中には後にエンジン・パワー時代に終焉を齎すロータスが既に含まれていることも興味深い。</p>
<p>そして、現在予想される&#8217;10年のラインアップが以下である。</p>
<p></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td colspan="2"><font color="#3e6b3a"><b>2010年</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>メルセデスGP</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ルノー（参戦不透明）</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><b><br /></b></font></p>
<table border="0">
<tbody>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マクラーレン・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>フォース・インディア・メルセデス</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>レッドブル・ルノー（未確定）</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>トロ・ロッソ・フェラーリ</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ウィリアムズ・コスワース</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>USF1・コスワース</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>カンポス・コスワース</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>マノー・コスワース</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ロータス・コスワース</b></font></td>
</tr>
<tr>
<td width="15"></td>
<td><font color="#3e6b3a"><b>ザウバー（未定）</b></font></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p><font color="#3e6b3a"><br />&#8230;..こうして10年ごとのデータと照らし合わせた際、最も状況が似ているのが&#8217;79年シーズンであることが解る。つまり、F1は自動車メーカーによる運営／エンジン性能への依存ではなく、再びチーム／コンストラクターによる争いを始めるのである。<br />今季、マクラーレンよりも速さと信頼性を見せたブラウンGPは、メルセデスのワークス・チームであるマクラーレンよりもその性能を引き出して見せた。第12戦ベルギーGPでは、グリッド後方が指定席だったフォース・インディア・メルセデスのジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポール・ポジションを獲得し、決勝でも快走してフェラーリに次ぐ2位となった。メルセデスのワークスである筈のマクラーレンはルイス・ハミルトンがリタイア、ヘイキ・コバライネンが6位。メルセデス・ベンツのマーケティングは、このままでは失敗に終わってしまう。かくしてメルセデスはワークス・チームによる参戦を決めた。だが、これは極めて&#8221;期間限定&#8221;のものとなる。<br />FIAが押し進めるレギュレーションと予算案は、巨大メーカーにとっては不利となり、低予算の新規チームには有利なものである。そしてそれはこの先しばらく続く筈である。つまり、メルセデスもまた、ホンダ／トヨタ／BMWの後を追ってF1を去らねばならない日がやって来る。その前にやり残したことはいったい何か。そしてそれは、どうすることで達成され、どのタイミングで不可能となるのか。全てを計算した結果、メルセデスはこの&#8221;コンストラクター時代再来直前&#8221;のタイミングにGoサインを出したのである。</p>
<p>&#8230;..が、現在のF1レギュレーションは気筒数やターボ／NAを選べ、チューニングも自由だった&#8217;70年代のF1エンジン事情とはあまりにも違う。もちろんマシン・レギュレーションも同様である。フェラーリやアルファ、ランボルギーニらイタリア勢が多気筒エンジンを、フランスのルノーが独創的なターボを、そしてイギリス勢が軽量コンパクト＋信頼性のフォード・コスワースV8をチョイスし、それぞれがそのパワーと性能を計算した上で個性的なデザインのマシンを設計し、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータスに代表されるグランド・エフェクト</font></a>、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_19.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">タイレルの6輪車</font></a>、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_24.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブラバムのファン付きマシン</font></a>などが誕生し、もちろん現代ほどの資金を必要とせずに選手権を闘うことが可能だった。<br />しかし、現行のレギュレーションが向う先は、&#8217;70年代から見た&#8217;80年代、つまり自動車メーカーのエンジン性能競争とは真逆である。たった今、多くの自動車メーカーがF1に見切りを付け、そしてたった今、ワークスではないレーシング・チームがWタイトルを獲得し、新たなプライベーターの参入をスタートさせたところなのである。そして、メルセデスが経済状況を解った上で急ぐ理由はふたつ。<br />ひとつは、F1は確実にワン・メイク路線を歩んでいること。エンジンはV8統一、回転数／供給数制限となり、シーズン中のモディファイも不可である。シャシーに関しても同様で、全長／全幅／車重から空力パーツのサイズに至るまで、&#8217;70年代とは比較にならないほどの規制の下で行わなければならない。更にシーズン中のテスト禁止などで開発も制限され、結局は全チームがコンピュータ・シミュレーションを元に採用するマシン・デザインは同じ答へと向う。つまり最終的にF1マシンは全て同じものになってしまうのである。が、そうなれば1社供給＋開発不要となり、FIAが掲げる&#8221;大幅なコスト・ダウン&#8221;が理想的に解決する。そうなればもはやそこは自動車メーカーのマーケティングの枠を外れ、インディと同じワンメイクの娯楽カテゴリーとなる。当然、メルセデス・ベンツにもフェラーリにも参戦意義はなくなってしまう。<br />そしてもうひとつ。メルセデスのワークスF1チーム参戦は、&#8217;55年以来実に55年ぶりとなる。&#8217;55年に彼らがF1から去った理由は、&#8217;55年のル・マン24時間レース中、多重クラッシュによって観客を巻き込む86名の死者を出す大惨事を起こし（ただしクラッシュはレーシング・アクシデントであり、マシン性能や不備といった部類ではない）、メルセデスはこれを機に全てのモーター・スポーツから撤退した。参戦初年度の&#8217;54年に参戦6戦中4勝、&#8217;55年は6戦5勝。ただし、当時はコンストラクターズ選手権が存在しない。彼らがルマンに復帰するのは30年後の&#8217;85年、F1に至っては&#8217;93年にイルモアへの資本投資を行い、撤退から39年後の&#8217;94年にようやくザウバー・メルセデスとして復帰。以来マクラーレンと組んだ&#8217;98、&#8217;99年と<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_52.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ミカ・ハッキネン</font></a>が2年連続王者となり、&#8217;08年にはルイス・ハミルトンが初制覇するが、コンストラクターズ・タイトル獲得は&#8217;98年のみである。<br />つまり、メルセデスにはF1に未だやり残したことがあるのだ。それが&#8221;ワークスとしての選手権完全制覇&#8221;である。<br />メルセデスの55年ぶりのワークス参戦には、Wタイトル獲得チームの買収とドイツ人ドライバーの起用（これはマクラーレン時代にすらない）という、必勝態勢と覚悟が見て取れる。F1がワンメイク・カテゴリーになる前に、彼らにはやっておかなくてはならないことがある。それが55年間の悲願でもある、不滅のF1世界主権に於ける&#8221;王者・メルセデス&#8221;という記録なのである。そしてそれが実現した時、彼らは今度こそF1を去るだろう。巨額の投資と開発力の全てを懸けて望んで来たF1に、王者としてその名を刻むまではやめられない。そして彼らがF1を去る時、この世界最高峰のカテゴリーは、限りなくワンメイク・フォーミュラに近い姿になっている筈なのである。</p>
<p>ホンダ（第1期除く）／BMWが1勝で去り、トヨタが未勝利のまま去ったF1を、このままでは終われない。メルセデス・ベンツの悲壮な決意は来季、55年ぶりの、そして本当の意味での&#8221;シルバー・アロー&#8221;として、我々の前に現れる。</p>
<p><i>「これでモーター・レーシングのブランドがモーター・レーシングに戻るんだ」／メルセデス・ベンツ会長、ディーター・ツェッチェ</i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/post_17/">衝撃の先の落とし穴</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>イス穫りゲーム白熱中</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Oct 2009 15:27:19 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<br />
<b>Warning</b>:  Attempt to read property "ID" on string in <b>/home/c8663320/public_html/f1-stinger2.com/wp-content/themes/f1_stinger/functions.php</b> on line <b>282</b><br />
<p>第15戦日本GP直前、遂に来シーズンのシート争いの台風の目だったフェルナンド・アロンソ（ルノー）の&#8217;10年フェラーリ移籍が発表された。確かに、既に誰もが知っていた／解っていた既成事実ではあったが、これによりフ・・・</p>
<p class="list_more"><a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%82%a4%e3%82%b9%e7%a9%ab%e3%82%8a%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0%e7%99%bd%e7%86%b1%e4%b8%ad/">続きをみる</a></p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">第15戦日本GP直前、遂に来シーズンのシート争いの台風の目だった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/10/post-454.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェルナンド・アロンソ（ルノー）の&#8217;10年フェラーリ移籍が発表</font></a>された。確かに、既に誰もが知っていた／解っていた既成事実ではあったが、これによりフェラーリのシートを喪失することとなったキミ・ライコネンの去就は不透明なままである。特に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フェリペ・マッサの不慮の事故</font></a>を境に、落ち着かないセカンド・ドライバーの代役シートを横目にチームを牽引する活躍を見せて来たライコネンだけに、このタイミングでの発表は今後のライコネンのキャリアに大きく影響することは必至である。<br />そしてこのアロンソのフェラーリ入り発表は同時にアロンソのルノー離脱をも意味し、日本GP後に今度はBMWの撤退でチームの去就がハッキリしないBMWザウバーから<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/10/post-463.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロベルト・クビサがルノーへ移籍することが発表</font></a>された。同時にこれは、ホンダ／BMWに続いてF1撤退が噂されていたルノーが少なくとも&#8217;10年の選手権には参戦することをも意味する。ただし、最終的に親会社のルノーが「辞める」と言い出せばそれまでなのは何処のメーカーも同じだが、不透明だった将来にひとつだけ確実性のある要素が見られたこともまた事実である。</p>
<p>&#8217;09年シーズンも残り2戦。選手権もいよいよ大詰めとなると同時に、各チーム／ドライバーによるシート争いも徐々に目に見える形となって来る。このアロンソ＋フェラーリ、クビサ＋ルノーを基準に、そろそろ&#8217;10年のグリッドの面々予想も現実的になって来た。今回は現状のあらゆる情報を知った上で、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチ</font></a>なりの&#8217;10年シート事情を確認して行くことにする。</p>
<p>まず、フェラーリはアロンソ加入発表によってふたつのシートが決定した。チーム・メイトは現在ハンガリーGPでの事故のリハビリ中であるマッサである。また時期を同じくしてエンジン／エレクトロニクス部門のディレクターに元フェラーリで今年トヨタを離脱したルカ・マルモリーニが就任したことを発表。現在マッサの代理を務めているジャンカルロ・フィジケラがリザーブ・ドライバーとなることも含め、現状何処よりも早く来季のチーム体制を確定／発表していることになる。これは巻き返しを図る&#8217;10年シーズンに向けて好材料となる筈であり、ライバル・チームよりも早く翌年の体制を決定するのは極めて重要な要素となる。特に今季、マッサの代役となった<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-8.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルカ・バドエル</font></a>／フィジケラがマシンの特性を掴むのに苦労したことを考えれば、少しでも早く&#8217;10年型マシンの開発への着手とチーム体制の強化を計りたいところである。</p>
<p>既に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/post-394.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">セバスチャン・ヴェッテルが&#8217;11年まで</font></a>、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/07/post-353.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">マーク・ウェバーが&#8217;10年まで契約を更新</font></a>し、レッド・ブルも来季のシートが決まっているチームのひとつである。が、ここへ来てフェラーリを弾き出されたライコネンを巡り、この安泰だった筈のシートが動く可能性が出て来た。&#8217;10年の残留が決まっている<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/10/post-464.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウェバーが放出され、そこにライコネンが座り</font></a>セバスチャン・ヴェッテルとタッグを組む、というものである。ライコネン自身はシーズン中から例のクールでゴーイング・マイ・ウェイな振る舞いを貫き、もちろん揶揄されることもありながらそれでも黙って結果を出して来た。第12戦ベルギーはフェラーリの今季唯一の勝利であり、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/10/post-12.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">&#8217;07年の逆転チャンピオン獲得劇</font></a>はフェラーリ1年目にしての偉業である。加えて本人は、恐らくかつての歴代フェラーリ・ドライバーの中で最もフェラーリを愛さない、または愛しているとは思えない振る舞いを見せて来たドライバーでもある。ただそれはあくまでもライコネンのキャラクターであり、ライコネンがマッサの事故のあと見舞わなかった、との報道を受けたマッサ自身が「彼はそういう人。別に気にならない」と発言していることからも、周囲はライコネンのキャラクターを受け入れていたと思われる。更にシーズン中にも関わらず将来の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/06/wrc.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ラリー・ドライバーへの転身を匂わせ</font></a>、勢力図が一気に変更となった&#8217;09年にはF1に対する興味を失ったかにさえ見えた。そのライコネンがマッサの事故後完全にチームを背負って立ち、そしてアロンソのフェラーリ加入／自身の離脱発表を受けて出したコメントが「フェラーリを去るのは寂しい」だったのは少々驚きだった。同時に、即座にF1引退／ラリー転身、または<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/post-443.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">噂されていた古巣マクラーレンへの移籍</font></a>を発表するかと思いきや「レースをやるかどうかも含めて来年のことは未定」更に「決断は急がない」と、公然の秘密だったフェラーリのアロンソ獲得劇も、ライコネン自身にはまるで突然の出来事のように受け止められる。「仮にF1に残るとしたら、タイトルを争えるチーム以外に興味はない。10位を争ってレースをするくらいならF1を辞める」とあくまでもトップ・チームへの移籍がF1残留の条件とする。そうなれば噂通り、不振のヘイキ・コヴァライネンに変えて古巣・マクラーレンへと考えるのが常だがライコネンのマネージャー、スティーヴ・ロバートソンは「既に空席のないチームとの交渉も行っている」と、レッド・ブルとの交渉を認める発言を行った。更にフェラーリ離脱が決まった時点でルノーとトヨタからのオファーを断っており、F1に残るのならマクラーレンかレッド・ブル、という選択肢のようである。<br />既にレッド・ブルと来季の契約を更新し、今季念願の初優勝を遂げたウェバーにはひとつネガティヴな要素が存在する。ウェバーは元々<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/post-132.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フラビオ・ブリアトーレ・マネジメント</font></a>によりF1に参戦するひとりである。そのブリアトーレがF1を追放されたあとも「彼は私にとって重要な人物であり、今後も他のマネージメントと契約するつもりはない」と発言。これにレッド・ブルが不満を示し、ウェバーをレッド・ブルのセカンド・チームであるトロ・ロッソへと&#8221;降格&#8221;させるという説がある。仮にレッド・ブルがライコネンを獲得するとしたら、ヴェッテルがいる以上これしか手がないことも事実である。</p>
<p>マクラーレンは長期契約を結び、今季も不振の序盤からチームを牽引し、後半2勝を齎した昨年の王者、ルイス・ハミルトンのシートは安泰である。しかしチーム・メイトのコヴァライネンは全く良い所がなく、今季ここまで勝利はおろか表彰台すらない。元々&#8217;08年にアロンソのマクラーレン離脱でルノーからスワップする形でマクラーレンに加入したコヴァライネンだったが、&#8217;08年こそ初ポール・ポジション／初勝利を含む活躍を魅せたものの今季は完全に中団に埋もれ、早くから今シーズン限りでの解雇が噂されて来た。ライコネンのフェラーリ離脱が現実味を帯びて来ると同時にマクラーレン復帰が取り沙汰され、コヴァライネンの離脱は必至、との見方が強かった。しかしライコネン自身が来季の去就を濁し始めると、マクラーレンのチーム・ボスであるマーティン・ウィトマーシュは「我々は決定を急いでいないし、キミを待っているわけでもない。ヘイキも重要なチーム・メンバーのひとりだ」と、この問題に早期の返答を行う意思のないことを強調。また、ハミルトン自身が現在のチーム・メイトに満足しているとの状況も、ライコネンのマクラーレン復帰が簡単なものではないことを示唆している。</p>
<p>そのコヴァライネンの移籍先として噂されているのが古巣・ルノーである。ルノーはトヨタと共に&#8217;09年いっぱいでのF1撤退が噂されていたチームであり、昨年の第15戦シンガポールGPでの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">クラッシュ・ゲート事件</font></a>が明るみに出たことで撤退必至と見られていたにも関わらず、&#8217;10年のロベルト・クビサ獲得を発表。コンコルド協定に倣い、最低でも&#8217;12年までのF1継続を決めたと見られる。しかしクラッシュ・ゲート事件によりチーム・ボスとエンジニアリング・ディレクターを失ったルノーに好材料は少ない。同時に、シーズン途中で解雇されたネルソン・ピケJrに代わって起用したロマン・グロージャンが全く成績を残せていないのに加え、グロージャンをピケJrのシートに座らせた張本人であるフラビオ・ブリアトーレ自身が既にF1を追放されてしまっている。これまでルノーF1チームのシートは、完全にドライバー・マネジメントも行っていたブリアトーレの手中にあったが、この一件でブリアトーレはF1と無関係となり、不振のグロージャンがルノーに残留出来る理由もなくなったことになる。それどころか、グロージャンには既に第16戦ブラジルGP以降、今年のGP&#8221;でランキング3位となったルーカス・ディ・グラッシとの交代説さえ囁かれている。これによってクビサのチーム・メイトにはコヴァライネン、クビサ同様BMWザウバーの将来に不安を持つ<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニック・ハイドフェルド</font></a>、フォース・インディアの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・スーティル</font></a>、更にトヨタの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vol02.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ティモ・グロック</font></a>らが噂されている。</p>
<p>アロンソ以外に、今年のシート争いの台風の目となるドライバーがもうひとりいる。デビュー4年目となるウィリアムズの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-7.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ニコ・ロズベルグ</font></a>である。<br />&#8217;82年の世界王者<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_86.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ケケ・ロズベルグ</font></a>を父に持つニコは今季ここまで15戦中11戦で入賞、未だノー・ポイントのチーム・メイト、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/09/post-9.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">中嶋一貴</font></a>に大きく水を開けている。資金難と非力なエンジンで健闘するニコは常にトップ・チームから目を付けられており、現在噂されているのはマクラーレンとブラウンGPという、申し分のないトップ・チームへの移籍である。どちらもメルセデス・ベンツ搭載のチームであることも決して偶然ではなく、どうやら<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/07/post-352.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">メルセデスはワークス扱いでのドイツ人ドライバー起用を目論んでいる</font></a>ようである（父ケケはフィンランド人だがニコはドイツ国籍）。これが実現すれば、ニコは&#8217;55年のカール・クリング以来のメルセデス・ワークス・ドイツ人ドライバー、という栄誉となる。ニコ本人もマクラーレン、ブラウンGPとの交渉を認めており、残留を望むウィリアムズを交えて三つ巴の争奪戦の渦中にいる。しかしウィリアムズはニコ離脱に備え、既にテスト・ドライバーで&#8217;09年GP2王者のニコ・ヒュルケンベルグのデビューを目論んでいる。<br />またメルセデスにはマクラーレンに代えて新たにブラウンGPをワークス・チームとする可能性があり、ここまで初年度から選手権をリードするという活躍を見せながら大口スポンサーの話が全く聞かれないブラウンGPが、来季シルバーに塗られているだろうという声もある。そうなった場合マクラーレンは撤退を発表している<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/10/bmw-8.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">BMWのエンジン部門を買い取り</font></a>、自社ワークスとして参戦するという説がある。いずれにしてもアロンソの去就が決まった以上、次の鍵を握るのはライコネンとロズベルグのふたりであることは確かである。</p>
<p>さてそのブラウンGP。ホンダの撤退→マネジメント・バイアウトで開幕ギリギリに誕生した新チームでありながらも選手権をリードし、シーズン後半不振とは言え、あと0.5ポイントでコンストラクターズ・タイトル決定というF1史に残る活躍を見せるチームである。ポイント・リーダーの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-3.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジェンソン・バトン</font></a>の今季の年棒は僅か500万ドル（約4億5千万円）、しかもホテル代や旅費は自分持ちである。これはホンダ撤退によるチームのマネジメント・バイアウトのための援助であり、当然ながらタイトルを獲得すればその金額は跳ね上がることとなる。しかしシーズン中盤以降のパッとしない成績により、バトンとチームとの来季の交渉は難航していることをバトンのマネージャーであるリチャード・ゴダードが認めている。チーム・メイトのルーベンス・バリチェロはもっと深刻で、ロズベルグがウィリアムズから移籍して来るとなれば弾き出されるのは間違いなく、今季バトンとタイトルを争いながらも、出走286戦のこのベテランがシートを失う可能性はある。本人も「来季もF1に留まりたい」としながらも、確たるものがないことも認める。ウィリアムズがヒュルケンベルグをデビューさせた場合「ひとりはベテランを」との希望があることからバリチェロかハイドフェルドの名前が挙がっているが、ニコの行き先がマクラーレンだった場合は両者残留が濃厚である。</p>
<p>こうした活発な動きの中で、現在最も先行きが不透明なのがトヨタである。多くの関係者が今季限りでのF1撤退を予想する中、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/09/gp-149.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">日本GPを前に参戦継続を豪語</font></a>したトヨタだが、ヤルノ・トゥルーリ／ティモ・グロック共に来季の契約オプションを行使しないことが明らかになった。つまり、ドライバーの総入れ替えである。ここにはもちろん日本チームとして、現在トヨタ・エンジンを搭載するウィリアムズで不振のシーズンを送り、解雇が決定的な中嶋一貴、そして日本GPフリー走行で病欠のグロックの代役を務めたサード・ドライバーの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/05/post-2.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">小林可夢偉</font></a>が座ることも考えられるが、その反面、未勝利が続く体制を強化したいトヨタがライコネンやクビサの獲得を狙ったのも理解出来る。しかし、少なくとも1.800万ユーロ（約28億円）とも言われるライコネンの年棒を受け入れるとは思えず、どの道ふたりとも既に来季のチームを決定した現在、これだけ好調な現状のトゥルーリ／グロックのコンビを継続することも選択肢として良い筈である。しかしながらトゥルーリは11月にNASCARのテストに参加することを認めており（しかも皮肉なことに、&#8217;02年にトヨタを解雇されたミカ・サロと一緒のテスト参加）、チームの母国GP初表彰台という活躍を見せた日本GPもレース終了直後には日本を飛び立ってしまい、参戦継続を名言したポジティヴな状況とは真逆のチーム内不和が見て取れる。</p>
<p>フォース・インディア、トロ・ロッソの両チームには現状ドライバー交代の絶対的な要素はない。フォース・インディアにはスーティルのルノー移籍の噂があるが、チーム代表のビジェイ・マルヤとしては手放す理由のないドライバー布陣である。むしろ若手スーティルのチーム・メイトとしてベテランのフィジケラを雇っていたのが、フィジケラのフェラーリ移籍、そしてスーティルの成長、まずまずのF1復帰を見せたヴィタントニオ・リウッツィという現行のライン・アップを継続させることが重要である。トロ・ロッソは日本GPで速さを見せたセバスチャン・ブエミ／ハイメ・アルグエルスアリの若きコンビの成長に期待出来そうであり、ライコネンのレッド・ブル加入によりウェバーが入って来た場合、アルグエルスアリがサード・ドライバーに回る可能性はある。いずれのチームもルノー、レッド・ブルという格上チームの判断待ちとなるのが現状である。</p>
<p>さて、ここで忘れてはいけないのが、&#8217;10年から新たに3つのチームがF1に参戦して来る、という事実である。<br />既にFIAに承認されている3つの新チームはカンポス、マノー、そしてUSF1。ただし、6月12日にこのエントリーが承認されたあと、7月にBMWが&#8217;09年いっぱいでのF1からの撤退を発表、チームが2012年までの参戦を確約するコンコルド協定に署名しなかったことでFIAは新たにもうひとつの新規チーム参戦枠を設けた。そこに決まったのが<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_101.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ロータス</font></a>である。マレーシアの富豪、トニー・フェルナンデス率いる新生ロータスはマイク・ガスコインをテクニカル・ディレクターに迎え、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/07/post-322.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">他の新チーム同様コスワース製エンジンを搭載</font></a>して参戦する。ところが、親会社のBMWの撤退決定を受けても尚、チーム・ボスであるマリオ・タイセンを含めザウバー・チームは&#8217;10年以降の参戦継続を模索し、スイスのクァドバク・インベストメンツへ8,0000万ユーロ（約107億円）で売却されることが決定。FIAはチームへの救済処置として本来13チームがリミットだった&#8217;10年のエントリー・リストに急遽&#8221;補欠&#8221;制度を導入し、クァドバクのチームを14番目として「参戦不可能となったチームが出た際には繰り上げとする」旨の異例処置を行った。折しも、新チーム3つの内、未だデザイン・オフィスもファクトリーも持たないUSF1にはパドックで「本当に参戦出来るのか」という噂が出始めた時期でもあり、ルノーやトヨタの撤退の噂も含め、来季13チームが揃わない可能性を危惧した処置と言える。<br />では、その3つの新チームの最新情報を見てみよう。</p>
<p>カンポス・レーシングはスペインの元F1ドライバー、エイドリアン・カンポスが&#8217;98年に起こしたチームで、ワールド・シリーズ・バイ・ニッサンではマルク・ジェネやフェルナンド・アロンソを輩出、GP2では&#8217;08年にジョルジョ・パンターノを擁してタイトルを獲得している。来季のF1進出に当たってはダッラーラ製のシャシーを使用し、ドライバーにはスペイン人でありマクラーレンのリザーブ・ドライバーである<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/post-406.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ペドロ・デ・ラ・ロサ</font></a>、&#8217;08年GP2選手権2位で故・アイルトン・セナの甥である<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/post-390.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ブルーノ・セナ</font></a>らが候補に挙がっている。<br />マノーはユーロF3、フォーミュラ・ルノーなどで成功したイギリスのレーシング・コンストラクターで、ルイス・ハミルトン、キミ・ライコネン、中嶋一貴らを輩出した実績を持つ。現在は元シムテック・チームのニック・ワース率いるデザイン・チームが既にコスワース搭載の&#8217;10年型F1マシンのデザインに着手しており、今季ブラウンGPと&#8221;スポット契約&#8221;を続けているヴァージンをメイン・スポンサーに、A1GP王者のアダム・キャロルをドライバーに起用して参戦することが濃厚とされる。<br />USF1は<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_33.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ナイジェル・マンセル</font></a>の元マネージャーであるピーター・ウィンザーと、元<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_54.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">リジェ</font></a>のテクニカル・ディレクター、ケン・アンダーソン率いるアメリカン・チームとして注目を浴びている。ドライバーには当初アメリカ人を、との意向でインディで活躍中の女性ドライバー、ダニカ・パトリックや元トロ・ロッソのスコット・スピードなどが噂に挙ったが、現状&#8217;10年のドライバーにはスーパー・アグリの消滅でシートを失ったアンソニー・デビッドソン、マクラーレンのテスト・ドライバーのゲイリー・パフェットらが候補として挙っている。しかしチーム発足直後に接触を試みたフランク・モンタニーによれば「彼らは全チームのサード・ドライバーと話をしているよ」とのことで。最近では<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/usf1-1.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">WRC王者のセバスチャン・ローブ</font></a>すら候補に上がり、現状でF1参戦に必要なスーパー・ライセンスを持たないアメリカ人ドライバーの起用はなさそうな気配ではある。<br />ただし、これらの新チームはいずれも当初FIAが導入を目論んだ<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/06/ff.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バジェット・キャップ案</font></a>に基づき、各チームの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/03/3000.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">年間予算を3,000万ポンド（約42億円）と定める</font></a>というルール変更を前提とした参戦枠であり、最終的にFOTAとの合意の時点でこの案が「数年以内に&#8217;90年代レベルまで引き下げることを目標とする」という曖昧なものとなっており、多額の予算を持たない新チームにとっては寝耳に水である。当然、いずれかのチームが参戦を見送る可能性もあり、そうなった場合はクァドバク／ザウバーが正式承認される、ということになる。</p>
<p>&#8230;..こうした各チームの現状を見た場合、まず常識的に考えられるのがF1経験の豊富なベテラン・ドライバーと、チームの母国やスポンサーなどに深い縁のある新人ドライバーの起用である。カンポスがスペイン人を、USF1がアメリカ人を模索するのは当然であり、例え初年度から上位が狙える状況でないにしても、現在浪人中やリザーブ・ドライバーとして出番を待つだけのベテラン達にとっては魅力的な話である。また、現在&#8217;10年のシート確約を持たないドライバーにとってもレギュラーとして即戦力となるチャンスはあり、前述の解雇が決定的なグロージャンや一貴あたりにもチャンスはなくはない。ただし、彼らの&#8221;武器&#8221;であるフランスもトヨタもそこにはなく、&#8217;09年マシンを知っている、というメリットしか存在しないのもまた事実である。少なくともF1の現場復帰を狙っているメンツの中に、&#8217;97年世界王者の<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/f1-news_images/2009/08/f1-34.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ジャック・ヴィルヌーヴ</font></a>、スーパー・アグリ消滅で浪人中の佐藤琢磨、BMWザウバーのサード・ドライバーのクリスチャン・クリエン、更にはクラッシュ・ゲート事件の渦中の人、ネルソン・ピケJrらも含まれている。</p>
<p>そして&#8217;10年シーズンを迎えるにあたり、もうひとつの大きな不確定要素が存在する。それはいくつかのチームが来季の搭載エンジンを変更する、という事実である。しかしながら、現在その実態は明らかになっていない。少なくともウィリアムズはトヨタと決別し、恐らくルノー搭載車となるだろう。ウィリアムズ・ルノーという組み合わせに&#8217;90年代の全盛期を思い起こす人も多い筈である。更に前述の通りマクラーレンがBMWを買収する説、更に今季度重なるエンジン・トラブルに泣かされたレッド・ブルがやはりルノーと決別するのではないかと噂されており、供給先を失うトヨタも交えて今後どうなるかは不透明なままである。</p>
<p>&#8230;..期待された母国GPでの入賞も叶わず、来季ウィリアムズがトヨタ・エンジンを搭載しないとなれば中嶋一貴の残留はもはや風前の灯である。いやむしろ、3年振りの鈴鹿開催で明らかになった日本人のニッポン・ナショナリズム離れは、一貴にとって追い風とはなりそうもない。残り2戦、来季の契約を少しでも有利にするため、将来が不確定なドライバー達がどんなレースを魅せてくれるか。</p>
<p><i>「フェラーリでF1のキャリアを終えたいね」&#8217;09年／フェルナンド・アロンソ</i><br /></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/%e3%82%a4%e3%82%b9%e7%a9%ab%e3%82%8a%e3%82%b2%e3%83%bc%e3%83%a0%e7%99%bd%e7%86%b1%e4%b8%ad/">イス穫りゲーム白熱中</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>F1スポーツ論</title>
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		<dc:creator><![CDATA[]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 31 Aug 2009 19:53:42 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[<br />
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<p>&#8220;世界選手権&#8221;の名の下に世界各地を巡るF1。今でこそ全17〜18戦をそれこそ欧州／北米／亜細亜／中東と網羅しているが、当初はヨーロッパの、それもほんのイタリア／フランス／イギリスあたりの極地的な自・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">&#8220;世界選手権&#8221;の名の下に世界各地を巡るF1。今でこそ全17〜18戦をそれこそ欧州／北米／亜細亜／中東と網羅しているが、当初はヨーロッパの、それもほんのイタリア／フランス／イギリスあたりの極地的な自動車メーカーによる&#8221;娯楽&#8221;に近い存在だったこのイベントが現在のように巨大なものになるには文化の発展や世界経済、そしてスポーツ観戦などの形式の変化など、様々な要因を以て50年以上の月日を擁した。反面、自動車レースにはいつも付いて回る疑問符が存在する。<br />「自動車レースは純粋なスポーツと言えるのか」である。<br />長くモーター・レーシングを見守って来た方々には、おそらく簡単な答が存在するだろう。それは自動車メーカーやレーシング・チームによる&#8221;技術競争&#8221;というスポーツと、ドライバーによる&#8221;運転技術&#8221;というスポーツが、共にレギュレーション／規則の下に競われているのだから立派なスポーツである、という答であり、自動車レースを&#8221;ヒューマン・スポーツ&#8221;という側面でのみ論議するのはあまりにも愚問である、という答でもある。しかし、一般的な&#8221;競技&#8221;というジャンルから見てモーター・レーシングが少々異端な存在であることも事実であり、普段から接する機会のない人や子供達が自動車レースを初めて眼にした際、その疑問と闘わなければならなくなることも事実である。その中身は「自動車なのか運転手なのか」である。</p>
<p>F1のプロモーターであるJPSKスポーツは、<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_50.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">バーニー・エクレストン</font></a>との交渉に於いてF1開催を目指すインド政府に向け、フォーミュラワン・アドミニストレーションに対し開催確約金として3,650万ドル（約34億円）を送金するよう要請した。が、インド政府及びスポーツ大臣からの返答は「NO」であった。理由は、<br />「オリンピックなどの側面から見た際、F1は商業的なエンターテインメントであり、他者との争いに勝利することを目指すスポーツとは言えない」<br />というものだった。同時に、それらの資金はインド国内の他の分野で使われるべきで、国内のスポーツ発展に於いて何の影響も齎さないとし、事実上F1開催を&#8221;蹴った&#8221;のである。JPSKスポーツのスポークスマンであるサミール・ガウルはこの件について大筋で認め、F1はインドでの開催計画の断念を余儀なくされつつある。<br />&#8230;..よもや、アジア／中東地域でこれだけF1開催が浸透している現状でこの状況はさしものバーニーでも予想していなかった。反対にヨーロッパ以外の多くの国がF1誘致に四苦八苦している状況の中、上り調子のインド・チームであるフォース・インディアの存在も含め、最も有利な状況下にいる、しかも経済的に発展中のインドからこの返答が返って来るのは衝撃的でさえある。何故なら、深刻な金融危機と煙草を初めとした広告規制の激しいヨーロッパを見切って中東／アジアにターゲットを絞ったのはF1サイドの方なのである。<br />この<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/" target="_blank"><font color="#ff00ff">スクイチ</font></a>でも紹介している通り、こうした<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/2010.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">サーキット／開催国に絡むトラブル</font></a>は後を絶たない。イギリスGPはドニントンなのかシルバーストーンなのか、ドイツGPはニュルブルクリンクなのかホッケンハイムなのかという問題も、モーター・スポーツ発祥の地・フランスGPや北米のカナダGPなど、本来F1の歴史に欠かせなかった筈のグランプリがカレンダーから除外されているのも、全て政治的／経済的な交渉の末の結果である。先日<a href="http://www.f1-stinger.com/news/2009/08/2010-10.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">鈴鹿サーキットが&#8217;11年までの日本GP開催を確約</font></a>したが、それ以降の確定的要素は存在しない。全てはF1という巨大ビジネスと、それに伴う国際的な政治力によって決まって行くのである。<br />フォース・インディアのチーム・オーナー、ビジェイ・マルヤは経済成長期にあるインドの大富豪のひとりである。&#8217;07年にスパイカーF1チームを買収し、母国インドでF1のムーヴメントを起こし、地元GPで勝利することが目標、とする。当然ながら当初は最後尾を争う状況だったが、つい先日の&#8217;09年第12戦ベルギーGPではジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポール・ポジションを獲得し、決勝レースでもフェラーリのキミ・ライコネンとチェッカー目前までトップ争いを見せ、大殊勲の2位表彰台を獲得するに至った。このフォース・インディアの存在は、明らかにインドでのF1初開催に向けて強力な要素となる筈だった。が、インド政府はF1をインドの発展のために身銭を切ってでもやるべきイベント、とは考えなかったのである。それにしても「F1はスポーツではない」とは随分な豪語だ。</p>
<p>それがスポーツであるかどうかの論議は別として、F1世界選手権は巨大な興行／イベントである。当然巨額の資金が動き、観客のチケット代金も一般的なスポーツに比べれば割高である。理由は明白で、それが広大な敷地／設備と高額な道具を使用すること。そしてその選手権に参加しているのがチームや選手個人だけではなく、世界を代表する自動車メーカーだということ。が、例えば野球やサッカーを例にとれば、スター選手とそうでない選手、若手とベテランが切磋琢磨し、スポンサーの付いた所属チームの契約下で他チームと選手権を争う、という点では全く同じである。しいて言うなら、野球やサッカーにあってF1にないものは徹底した&#8221;ナショナリズム&#8221;だ。<br />確かにフェラーリはイタリアの象徴であり、メルセデス・ベンツはドイツが誇るメーカーである。が、チーム監督や選手であるドライバーを初め、そこにあるのは&#8221;国際色&#8221;である。確かに自国のスタッフ／スポンサー／選手で固めることは理想だが、チームにとって必要な人材が外国人であれば、彼らはそれを喜んで受け入れる。事実、前述のインド・チームであるフォース・インディアも、ドライバーのフィジケラはイタリア人、<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/vs.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">エイドリアン・スーティル</font></a>はドイツ人である。<br />サッカーのワールド・カップも野球のワールド・ベースボール・クラシックも、出場する選手は普段所属しているチームの国ではなく、母国のナショナル・チームの代表選手として参加する。F1では競い合うのは選手個人であると同時に、参戦するチームそのもの、というカテゴリーを逸脱しない。例えばウィリアムズというイギリスのチームが日本のエンジン・メーカーと組み、ドイツ人ドライバーで世界の頂点を目指して闘うのがF1世<br />
界選手権なのである。反対に、野球やサッカーのように普段ライバルである者同士が組んで闘うことはあり得ない。そういう意味では、このカテゴリーのナショナリズムは他のスポーツとは捉え方に大きな相違点が存在する。ただし、これはWRCなどの他のカテゴリーを含め、F1だけではなく自動車レース全般に言えることである。</p>
<p>次に、&#8221;スポーツ&#8221;という側面で考えた時、このカテゴリーには競技上、人間的な要素／才能以外に非常に大きな特徴が存在する。それは&#8221;道具の善し悪し&#8221;である。<br />自動車レースでは当然ながら各チーム／メーカーが用意した&#8221;クルマ&#8221;という道具を選手が操作する。そして、選手本人が元気でもクルマが音を上げてしまうことや、その性能の善し悪しなどで成績が大きく左右される。ただし、これは自動車に限ったことではなく、例えばヨットや射的など、オリンピックにも登場するような競技に於いてもそういったカテゴリーは存在する。にも関わらず、何故か自動車レースは極端な話「クルマが良ければドライバーが下手でも勝てる」という表現で揶揄されてしまう。反対に、優れたドライバーでも「クルマがダメなら勝てない」となる。<br />&#8217;09年第10戦ハンガリーGPの予選中に<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/07/forza-felipe-siamo-con-te.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">頭部に重傷を負ったフェリペ・マッサ</font></a>の代わりにフェラーリから出走したテスト・ドライバーの<a href="http://f1-stinger2.com.tokyo-1r.conohawing.com.tokyo-1r.conohawing.com/stinger_village/kasetatsuya/2009/08/post-8.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ルカ・バドエル</font></a>。彼は&#8217;99年を最後にF1の実戦には出走していない38歳、もちろんその10年間の間に多くのレギュレーション変更があり、当時とはサーキットもマシンも大きく変わってはいるが、バドエル自身が少なくともチーム・メイトで元ワールド・チャンピオンのキミ・ライコネンと実力を比較される位置にいたことは確かだった。そして、その結果は非常に顕著に表れた。バドエルはライコネンから常に秒単位の遅れをとり、予選／決勝を通じて通常の同一チームのふたりのドライバーの成績としては異例の差がついた。極端に言えば、ライコネンは極めて勝利に近い位置で闘い、バドエルはほぼ全編に渡って最後尾争いをすることとなった。単純に、同一のひとつのチーム／クルマを使用して、これだけの差がついたのはドライバーの違い、と言うことが出来る。ま、先に答を言ってしまうのなら「最高のドライバーが最高のクルマに乗れば無敵」ということになるのだが、サーキット・レイアウト、クルマのポテンシャル、開発力、戦略、技術陣の状況判断など、多くの要素が噛み合うことでレース結果が左右される以上、全てが理想的に機能しなくては最高の結果を出すのは困難である。<br />近年、この自動車レースに良く似た事態を引き起こしたのが水泳である。ある特定のメーカーの開発した水着の着用により、多くの選手が世界新記録を初めとする自己ベストを更新し、オリンピックや世界選手権を前にスポンサー契約なども含めて多数の選手がそのメーカーの&#8221;道具&#8221;を使用することを望み、社会現象とも言える問題となった。水泳という、一見完全にヒューマン・スポーツに見える競技にすらこうした影響は存在する。おそらく、多くの陸上選手が<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ウサイン・ボルト" target="_blank"><font color="#ff00ff">ウサイン・ボルト</font></a>と同じシューズの使用を試すだろう。余談だが、&#8217;09年の世界陸上／200m決勝で、ボルトは「気分を変えようと」ユニフォームの下にTシャツを1枚余分に着た。そして自己の持つ世界新記録を0.11秒縮めて見せた&#8230;..彼にとっての&#8221;道具&#8221;とは、いったい何なのだろうか&#8230;..。</p>
<p>ウィリアムズ・チームのドライバー、ニコ・ロズベルグが興味深い発言をしている。「勝利のための要素の80％はマシン、ドライバーは20％だ」将来のワールド・チャンピオンと言われるスター・ドライバーの発言としては驚きだが、現実的な意味合いでは非常に納得が行く。「最高のクルマと最低のクルマの差は1周あたり約2秒、最高のドライバーと最低のドライバーの差は1周0.3秒だと思う」ロズベルグの所属するウィリアムズは過去にコンストラクターズ・タイトルを9回、ドライバーズ・タイトルを7回獲得した、F1で3番目に成功しているチームである。チーム・オーナーであり&#8221;闘将&#8221;の異名を持つ<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_28.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">フランク・ウィリアムズ</font></a>は「我々のマシンがトップ・チームより0.5秒遅くても、世界最高のドライバーがいれば勝てる」と言う。逆の見方をすれば、世界最高のドライバーを擁していても、0.5秒以上マシンが遅いのなら勝てない、とも取れる。<br />F1で2番目に成功しているマクラーレン（コンストラクターズ8回／ドライバーズ12回）は&#8217;88年、奇才<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_92.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">ゴードン・マーレイによるMP4/4</font></a>という名車に無敵のホンダ・ターボエンジンを搭載し、<a href=" http://www.dragonlion.biz/uk/uk_21.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アイルトン・セナ</font></a>（王座3回/故人）／<a href="http://www.dragonlion.biz/uk/uk_80.html" target="_blank"><font color="#ff00ff">アラン・プロスト</font></a>（王座4回）という&#8221;最高の布陣&#8221;で闘い、シーズン16戦中15勝（1敗はトップ独走中のセナのリタイア）でWタイトル獲得、という圧倒的な強さを見せた。これは近代F1を語る上で、全てに於いて最高のものが揃った際にしか出ない結果として象徴的な例である。<br />そしてF1で最も成功を治めたフェラーリ（コンストラクターズ16回／ドライバーズ15回）は、F1史に残る天才ドライバーであるミハエル・シューマッハーを擁し、&#8217;00年から&#8217;04年までの5年間、Wタイトルを連覇し続けた。これでシューマッハーはベネトン時代の&#8217;94、&#8217;95年と合わせて通算7回のドライバーズ・タイトルを獲得し、チームもジャン・トッドの指揮の元、ベネトン連覇の立役者であるロス・ブラウン、ロリー・バーンらのスタッフを擁し、特に&#8217;02年は17戦15勝という圧倒的な数字を残している。が、この5年間及び前後のフェラーリの闘い方はマクラーレンとは決定的に違う点がある。戦略上のドライバーの扱い方である。</p>
<p>タイトル5連覇を成し遂げたシューマッハーの影で、チーム・メイトのルーベンス・バリチェロは常に&#8221;セカンド・ドライバー&#8221;だった。チームはシューマッハーのドライバーズ・タイトル獲得に全力を注ぎ、仮にバリチェロがレースをリードしていたとしても、2番手を走るシューマッハーにその順位を譲る、という行為をチームに強いられており、時にはバリチェロ自身が公の場でその不満を露にした。この流れはシューマッハーのタ<br />
イトル獲得が決定するまで続き、如何に他チームのライバルをポイントで引き離していたとしても、フェラーリが手を抜くことはなかった。所謂F1&#8243;チーム・オーダー事件&#8221;である。<br />これは近代F1に於いて&#8221;スポーツマン・シップ&#8221;という点で大きく論議の対象となった出来事である。しかし、この件が問題視されるよりもずっと前／F1黎明期の&#8217;50年代に遡れば、エース・ドライバーの勝利のためにチーム・メイトがレース中に自らリタイアしてマシンを提供する、なんてことが当然の行為だった。&#8217;60年代にもエース／セカンド・ドライバーの立場はハッキリとしており、それに比べれば現在の選手権は相当&#8221;スポーツらしい&#8221;と言うことが出来る。が、そのスポーツの中にもオフェンダーとディフェンダーの役割がハッキリしている競技はいくつもあり、それを言い出したら野球ひとつ取っても敬遠／送りバント／犠牲フライなどはある意味スポーツマン・シップに逆らうものとして、時には野次の対象にすらなってしまう。が、これらを総じて&#8221;チーム・プレイ&#8221;と呼んだ時、その杞憂は愚問にさえなる。勝利／あるいは得点に向け、何かしらの犠牲を伴う監督の指示と、&#8217;02年のフェラーリの戦略に大きな違いはない筈である。が、結果に対して使用する道具の比率がこれだけ高い競技も稀であり、勝つために&#8221;手段を選ばない&#8221;という徹底度は極めて高く、フェラーリとシューマッハーの行ったことはその延長上にある。かつて「負けを拒否するのが勝者」と言ったのはNASCARドライバーのデイル・アーンハートだった。</p>
<p>本末転倒ではあるが、元来F1をスポーツとして論議するのは些か無理なハナシでもある。レギュレーションに則った開発／技術競争、酷暑の中で300kmの距離を体力と反射神経を駆使しながら闘うドライバーの行為は明らかなスポーツである。が、試合結果に関してのみ眼を向ければこれらの要素は霞み、研究／開発により多くの資金／人材を投入した裕福な富豪が所有するチームが勝ち、そうでないチームに足りないものが&#8221;金&#8221;であるという図式で語られてしまう。そこにはドライバーの才能や努力を無視し、馬力や性能に勝る道具優先の考え方によってモーター・スポーツを卑下する人々も存在する。しかし、それもある意味モーター・スポーツの見方／楽しみ方のひとつなのかも知れない。だからこそ、フェラーリを愛するイタリア国民はオール・イタリアンによるナショナリズムを望まないのかも知れない。しかし、例え勝利からはほど遠くても、予選16番手からスタートした弱小チームの無名の若手ドライバーが、天候に左右されるレースでほんの一瞬でも最速ラップを刻んだりするのがたまらなく面白い。そして「彼にトップ・チームのマシンを与えたらどうなるのか」という妄想と期待を抱かせる。そんな魔力があるのもF1ならでは、だ。</p>
<p><i>「あのクルマ（ウィリアムズFW15C）に乗りゃ、猿でも勝てるよ」&#8217;93年／ナイジェル・マンセル</i></p>
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		<title>FORZA FELIPE SIAMO CON TE</title>
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		<dc:creator><![CDATA[f1-stinger2248]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2009 06:05:53 +0000</pubDate>
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<p>誰もが最悪の事態を覚悟した。タイヤ・バリアにノーズから突き刺さるフェラーリF60、ピクリともしない黄色いヘルメット、ステアリングを切る仕草もないままコーナーを直進し、衝突後もエンジンが停止しない車載映像。現場を見るなり手・・・</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><font color="#3e6b3a">誰もが最悪の事態を覚悟した。タイヤ・バリアにノーズから突き刺さるフェラーリF60、ピクリともしない黄色いヘルメット、ステアリングを切る仕草もないままコーナーを直進し、衝突後もエンジンが停止しない車載映像。現場を見るなり手をクロスさせ「ダメだ」のアピールをするマーシャル、駆け付けるメディカル・カー、そして、現場の全ての様子がスイッチャーによってテレビ中継から外される。</p>
<p>&#8217;09年第10戦ハンガリーGP予選。Q2終了直前、ターン4でフェラーリのフェリペ・マッサがクラッシュ。マッサはマシンから自力で脱出出来ず、コックピット内で項垂れたまま動かない。数分後、マッサはメディカル・スタッフによって慎重にマシンから降ろされた。マッサ自身の意識があるのか、この時点では最悪の事態を予想した中継スタッフの判断でテレビ画面では解らない。生放送で中継スタッフがこのような処置を取る際は、単的に言って&#8221;放送出来ない惨事&#8221;の疑いがある場合である。少なくとも、マシン前部がタイヤ・バリアに埋もれ、ドライバーも動かない状況では死亡事故の疑いが持たれる。よって、ここからはFIAの公式な発表を待つ以外、第三者には事態が掴むことが出来なくなる。その後マッサは救急車でメディカル・センターに運ばれ、予選Q3が20分遅れでスタートした頃にヘリコプターでハンガリーの首都、ブタペスト市内にあるAEK陸軍病院へと搬送された。この時点で初めて中継に、グランプリに同行していた弟のエデュアルドに見守られながら、ストレッチャーに横たわり左手で頭部を抑えるマッサの録画映像が映し出され、少なくとも最悪の事態は免れていたことが確認出来た。とは言え、状況が解らないことに変わりはないので安心は出来ない。同時に、マッサがサーキットを離れて病院へ向った時点で、全ての情報は公式発表待ちとなる。</p>
<p>やがて、車載映像のスロー再生などによって、マッサの身にいったい何が起きたのかが明らかになって行く。<br />ターン3を抜けて短いストレートに入った時、前方には一足先にターン4を曲がって行くルーベンス・バリチェロのブラウンGP・メルセデスの後ろ姿が一瞬見えた。数秒後、マッサのマシン前方からコース上を小さい&#8221;何か&#8221;が飛んで来る。その&#8221;何か&#8221;は時速260kmで走行中のマッサのコックピット・プロテクター左内側とヘルメット左側を直撃。その瞬間、その何かが後方へと弾け、マッサの頭部は大きく後方へ揺れ、続いて前方へ項垂れる。両手はステアリングを握っているが、クラッシュ直前は殆ど手を添えているだけの状態となる。<br />&#8220;何か&#8221;が衝突した瞬間、マッサは気を失ったのである。それでもとっさにブレーキを踏んだのか、衝突後のターン4手前にはマッサのタイヤのブラック・マークが連続して残っていた。それでも衝突時の速度は時速約100kmだった。マッサの右足はアクセル、左足はブレーキのペダル上にあり、気を失っていたマッサは両足のペダル共に踏み込んでいる状態だった。バリアへの衝突後もフル・スロットルだった理由はこれである。ピットでは、無線の呼びかけに応じないマッサを呆然と待つロブ・スメドレイと、心配そうにモニターを見つめるフェラーリのチーム・クルー達の姿が映し出される。各チーム間でも情報交換が行われ、FIA技術委員がマクラーレンのマーティン・ウィトマーシュに「頭に何かが当たったらしい」と報告する姿が映し出される。当初は鳥との衝突が疑われた。事実、&#8217;60年代にはレース中に鳥が直撃してアラン・ステイシー（ロータス）が死亡する事故があり、自然の中にあるサーキットで野生動物との衝突はそう珍しいことではない。前年&#8217;08年バレンシアのヨーロッパGP予選でネルソン・ピケJr（ルノー）が鳥と衝突している（衝突箇所がタイヤだったためマシン／ドライバーへのダメージはなかった）。が、ほどなくブラウンGPのピットでジェンソン・バトン車のリア部を眺めるロス・ブラウンと、ターン3でパーツを撒き散らすバリチェロ車の映像が流され、徐々にパズルのピースが埋まって行った。</p>
<p>&#8230;..&#8221;何か&#8221;の正体は、前を走っていたバリチェロのブラウンBGP001から脱落した800グラムのサスペンション・パーツだった。バリチェロのマシンはターン3を過ぎたところでリア・セクションで何かが破裂、コース上にパーツを散乱させていた。その僅か4秒後に現場に差し掛かったのがマッサであった。この際のマッサ車の速度が162マイル（約260km）だったということは、前方から弾け飛んで来た重さ1kg弱の物体との衝突速度は時速300km近い、ということになる。が、現在のところ完全な直撃ではなく、コックピット左内側に当たり、跳ね返ってマッサのヘルメット左側に当たった、という見方が強い。そこで多少なりとも衝撃が緩和されていたなら幸いではあるが、それでもサスペンション・パーツは2005年に導入されたカーボン・ファイバー製のヘルメットのバイザーを突き破り、マッサの前頭部に激突してしまった。ヘルメットは壊れ、マッサの左目の上に大きな裂傷が出来ているのが救出時の写真で確認出来る。が、右目をしっかりと見開いていることから、救出時に意識があったことも解った。救いなのは、クラッシュに供えて身体が硬直しなかったせいか、首から下に大きな怪我がなかったことである。<br />マッサはターン4のエイペックスの内側を直進、車載映像を見る限り、眼の前に迫るタイヤ・バリアを避ける／恐れる素振りすら見せずにそのまま直進した。考えられることはふたつ、マシンが制御不能になったか、マッサ自身が気づいていないか、のどちらかである。そして、その原因は後者であった。マッサはパーツの衝突で気を失い、主のいないモンスター・マシンは、そのまま行ってはいけない方向へと走り続けたのである。<br />事故後、FIAの技術委員がブラウンGPのピットを訪れ、バトン車のリア・サスペンション付近のチェックを始める。バリチェロのマシンに起きたトラブルと同様の事態が、チーム・メイトで同じマシンに乗るバトンに起きないとは限らないからである。結局何事もなかったが、バトンはこれによって予選Q3後半しか走ることが出来ず、予選8番手に留まった。<br />決勝レースを前に、マッサの容態について発表が行われた。マッサはこの事故で頭蓋骨骨折と脳震盪を起こし、手術を行った後に集中治療室で麻酔によって眠らされており、経過は良好。が、どの程度の怪我で、いったい治療にどの程度の期間を要し、そしてどうなるのか、という部分に関しては当然語られることはない。<br />今我々が心配しているのは、彼の後遺症や家族のことである。決勝レース翌日の27日、F1帯同ドクターであるゲイリー・ハートスタインは「回復の度合いに関して語るには少なくとも数週間は必要」とし、マッサの手術を担当したロベルト・ベレス医師は「左目を損傷しているが、その度合いは容態が落ち着くまで解らない」とコメント。ハンガリー国防省からは「受動的なコミュニケーションは可能／話しかければ身体を動かす。つまり、脳への損傷は楽観的で、ゆっくりとした回復へ向っている兆候である」とのコメントが出された。&#8230;..医学的に&#8221;安心&#8221;材料となるこれらの言葉が、アグレッシヴなドライビングを魅せるF1ドライバーの未来とどう繋がるのか、この時点では誰にも解らない。</p>
<p>7月19日、往年の名ドライバー／元ワールド・チャンピオン、ジョン・サーティースを父に持つF2ドライバー、ヘンリー・サーティースがブランズハッチでのレース中に他のマシンから外れたタイヤで頭部を強打し、即死した。マッサの事故から僅か1週間前のことである。<br />オープン・ホイール／フォーミュラ・カーのドライバーは丸腰である。頭部／頸部を守るために開発されたHANSやサイド・プロテクターなどによって可能な限り&#8221;剥き出し部分&#8221;の保護が行われてはいるものの、当然ながらハコ車に比べて危険度は高い。今回の事故を受けて、FOTAのF1技術委員長であるブラウンGP代表、ロス・ブラウンは「このような事故は極めて珍しいケースだろうが、我々は対策を考えなくてはならない」と訴えた。「これまでもドライバー保護のためにカバーやキャノピーなどの提案は行われて来た。だが、そうなればドライバーの緊急脱出が困難になるし、上から崩壊して来るケースもある」と、単純には解決出来ないことを認めた。現状、ドライバー保護のためのHANSやプロテクター、ロール・バーなどは上手く機能していると言える。ヘルメットも同様に日々進歩を重ね、アイルトン・セナの事故の起きた15年前に比べて非常に頑丈になった。しかし、今回マッサの被っていたシューベルト製のヘルメットのバイザーが防弾使用だったにも関わらず、このような事故になってしまったのも事実である。</p>
<p>今回、&#8221;もうひとりの当事者&#8221;であるバリチェロも動揺を隠せずにいた。「僕のマシンのパーツが原因だからというよりも、友人としてフェリペが心配なんだ」マッサと同郷のバリチェロは、&#8217;94年サンマリノGPで大クラッシュした際、心配して見舞ってくれた同郷の先輩、セナのことを忘れていない。セナはその2日後、帰らぬ人となった。バリチェロは事故直後にメディカル・センターへマッサを見舞いに行った。「彼は意識があり、とても動揺していたので眠らせる必要があった。でも、本人が状況を把握しているとは言い難い状態だった」特に頭部の損傷は致命的なものになる可能性を持っている。</p>
<p>多くのドライバー仲間、チーム関係者がマッサを心配している。現在マッサの父ルイス・アントニオ、母アナ・エレーナ、マッサの主治医であるディノ・アルトマン、そしてフェラーリ社長ルカ・ディ・モンテツェモーロらも病院に駆けつけ、マッサに付き添っている。そして忘れてはいけない妻、ラファエラ&#8230;..。そう、フェリペ、君は11月に父親になるんだ。必ず元気な姿で帰って来てくれ。</p>
<p><i>「これはメッセージ（警告）なんだ。最初が&#8217;94年イモラで、今回はふたつ目のメッセージなんだよ」@&#8217;09年ハンガリーGP／ルーベンス・バリチェロ<br /></i></font></p><p>The post <a href="https://f1-stinger2.com/kasetatsuya/forza-felipe-siamo-con-te/">FORZA FELIPE SIAMO CON TE</a> first appeared on <a href="https://f1-stinger2.com">F1 STINGER 【スティンガー】</a>.</p>]]></content:encoded>
					
		
		
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