F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年11月20日  衝撃の先の落とし穴

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

衝撃の先の落とし穴

近代F1に於いて、まあ今年ほどオフ・シーズンのニュースに事欠かない年は珍しい。何しろ最終戦からまだ半月程度だっつーのに、既に1社供給のタイヤ・メーカーであるブリヂストンが来年限り、唯一の日本チーム/メーカーだったトヨタが今季いっぱいでの撤退を発表、そこへ今度はメルセデス・ベンツが今季のWタイトル覇者・ブラウンGPを買収、’10年から”メルセデスGP“として参戦する、と来た。確かに囁かれて来たことであり、今季のブラウンGPの活躍の裏にメルセデス・エンジンの優位性があることは事実である。が、メルセデスっつったらマクラーレンなんじゃないのか?。ワークスって何だ??。不況でホンダ/BMW/トヨタが去った今、ヤツらがこれからF1でやろうとしていることは一体何なんだ???。
マクラーレン・メルセデスという言葉の組み合わせは、ある意味巨大自動車メーカーの開発競争を軸としたここ数年のF1に於いて異端な名だった。敵はフェラーリでありルノーであり、ホンダでありトヨタだった。つまり、チーム名イコール自動車メーカー、である。ワークス・チームとして、この中からは外れるがレーシング・チームとしての歴史と貢献度を受け継いだBMWザウバーという存在があるが、彼らを短く呼ぶ時、その響きは”BMW”であって”ザウバー”ではない。従って、歴史と伝統、存在意義など全ての面でメーカーではないレーシング・コンストラクターとして現存するのはマクラーレン、そしてウィリアムズのふたつしかなかった。

パドックの人間は言い始めた。「F1は再びコンストラクターの時代が来る」…..一体それはどういう時代なのか。そして、その向うにある巨大な落とし穴に、F1は落ちてしまうのか?。相次ぐメーカーの撤退、コスワース使用を軸とする新チーム参入、そして現存のメーカーの様々な動き。幕を明け始めたF1新時代の様相を検証し、F1の向う先を考えてみる。

F1の大命題のひとつは”オリジナル・コンストラクター”という概念である。基本的にそれぞれのレーシング・チームが自社製のマシンをデザイン/作成し、規定内のエンジンを搭載して出場する。それが自動車メーカーではなくてはならないとか、使用するエンジンをチーム名にしなければならないとかいう決まりは存在しない。最も比較材料として挙げられるのがアメリカン・フォーミュラの最高峰、インディカーである。こちらは現状シャシーはダラーラ、エンジンはホンダ製のワンメイクであり、各チームは基本的に”同じ道具”を使用する。従って優劣はマシン・セッティングや戦略中心となり、初めから全チームの性能/特徴が異なるF1とは全く別次元のものである。故に、今季F1で話題となったダブル・ディフューザーの解釈やKERS搭載/非搭載といった問題は起こり得ない。同時に、インディカーが原則としてアメリカの選手権であるのに対し、F1は世界選手権である。よって、参戦するチームやメーカー、更にスポンサードする企業なども国際色豊かとなり、逆の見方をすれば世界各国のチーム/メーカー/企業が争う場として極めつけ、と言える。自動車メーカーやスポンサーは海外市場への販売戦略を狙い、チーム/ドライバーは我こそ世界一、を競う。つまり、企業にとってF1は世界的な広告媒体としての魅力が全てであり、その目的を達成するための巨大な投資の場なのである。反対に、それだけの効果が得られない場合、もしくは目的を達成した場合、彼らにはF1を去るという選択肢がある。

ひとつの例として挙げられるのがルノーの存在である。’70年代にF1初となるターボ・エンジン搭載のワークス体制でF1に挑戦し、その後エンジン・サプライヤーとして一時代を築いた。そしてルノーは’02年にベネトンを、そのベネトンは’86年にトールマンを買収し、プジョーやマトラらのライバルを蹴落としてF1″フランス代表”の座を射止めた。
元々トールマンはテッド・トールマンの興したイギリスのレーシング・コンストラクターである。ロリー・バーン設計のオリジナル・シャシーでヨーロッパF2選手権を凌駕し、’81年にF1へと参入。ブライアン・ハートによるターボ・エンジンを搭載し、小規模なプライベーターとして活躍。’84年にはアイルトン・セナがトールマンからF1デビュー、大雨のモナコGPであわや優勝というレースを見せ、中堅チームの仲間入りを果たす。そして当時ティレル(イギリス)やアルファロメオ(イタリア)のスポンサーだったイタリアのアパレル企業・ベネトン社が眼をつけ、’85年にチームを買収、”ベネトン・フォーミュラ”が誕生した。そのベネトンはフォード/コスワースのワークス仕様エンジンを搭載し、テオ・ファビ/ゲルハルト・ベルガーネルソン・ピケらの活躍でトップ・チームの仲間入りを果たし、’94年にミハエル・シューマッハーがドライバーズ・タイトルを、翌’95年には当時最強のルノー・エンジンを搭載してWタイトルを獲得、ベネトンは完全なトップ・チームとなった。その後覇権は同じルノー・エンジンを擁するウィリアムズへと移るが、当のルノーが3年間のF1活動休止を経て’01年に再びベネトンと組み、翌’02年にはルノーがベネトン・チームを完全買収、”ルノー”というコンストラクター名でF1参戦する。ルノーはコンストラクターとしては17年ぶりの参戦、この買収劇は事実上の”ルノー復活”だった。
…..イギリスのレース野郎・トールマンの作ったチームをイタリアのアパレル企業が引き継ぎ、そしてフランスの巨大自動車メーカーが跡を継いだ。ルチアーノ・ベネトンはチームをルノーに売却する際「我々のF1活での動は当初の目的を達成した」と言っ
た。つまり、ベネトンはF1を必要としなくなった、もしくはF1が負担となった、のである。高級メーカーである彼らが世界最高峰のモーター・スポーツで行ったマーケティングは完璧だった。事実、オレの手元にも本来高級ブランドである筈のベネトンの商品/但しF1マーケティングによる比較的安価な商品、がいくつかある。これは、彼らがF1ブランド展開を行わなければ存在しない筈のものである。そして、彼らはその意味合い、チームの競争力、時代、全てを総合的に判断し、F1を去って行った。そしてその期間とタイミングはあまりにも”絶妙”だった。
反対に、ルノーはエンジン供給メーカーとしての大成功にも関わらず、最終的に自社によるワークス・チーム化の必要に迫られた。理由は簡単である。レースに勝利し、名称が世界中に報道されるのはあくまでもチーム名であり、”単なるエンジンサプライヤー”である彼らにとっては宣伝力が今ひとつ足らない。が、別の見方をすれば別名のチームが”勝てない言い訳”の対象と考えることも出来る。つまり例えばウィリアムズ・ルノーが勝った時、”ウィリアムズの勝利”、負けた際の”ルノー惨敗”などのイメージ・コントロールである。それが全て”ルノー”であれば、勝っても負けてもルノーの責任となる。そしてそれは、F1黎明期から常にそのスタンスを貫いて来た存在、つまりフェラーリが負って来た宿命である。逆に言えば、完全ワークスとしてフェラーリを倒さなければ、その勝利はあくまでもレーシング・チームの手柄となり、決してフェラーリを越える自動車メーカー、という称号は与えられない。かくして、ルノー(ベネトン)、ジャガー(スチュワート)、ホンダ(BAR)と自動車メーカーによるチーム買収が相次ぎ、ルノーと同じ’02年にはトヨタが初参入。タバコなどのスポンサー主体のレーシング・コンストラクター・チームの時代は終わりを告げ、F1は自動車メーカー同士の激突の場となって行った。この時点で、自動車メーカーによるワークス・チーム以外のF1チームに、もはや勝ち目はなかった。
ただし、その中でBMWは少々違う価値観を持っていた、と言えるだろう。BMWがスイスのF1チームであるザウバーを買収した、というところまでは同じだが、結果的に彼らは最後まで”BMWザウバー”を名乗った。これにはチーム創設者であるペーター・ザウバーへの敬意以外に、前述の完全ワークスによる固定イメージへの抵抗が存在する。何故なら、彼らにとって同じドイツの雄、メルセデス・ベンツの存在はあまりにも巨大だったからだ。そしてそのBMWはワークス参戦4年/僅か1勝でF1を去って行った。

世界的な金融不況が襲い、自動車産業を直撃したのが’08年。現在自動車メーカーによるワークス・チーム運営時代は終焉に向っているかに見える。が、その渦中でメルセデス・ベンツは意外な行動に出た。
BMW同様、完全ワークスを持たない彼らの姿勢は、単純に組んだ相手/マクラーレンの存在に大きく左右される。フェラーリを除き、ウィリアムズとマクラーレンの2チームだけはその冠を変えることはあり得ない。F1に於いて歴史と伝統を持つ3つの常勝チームの内ふたつが、実際には巨大自動車メーカーと”上手く付き合う”ことによって勝利して来たチームなのである。つまり、いくら多くの自動車メーカーがF1を席巻しようとも、実際にF1に君臨しているのはレーシング・コンストラクターだった、と言うことが出来る。
そして今、メルセデス・ベンツはブラウンGPを買収し、遂に55年ぶりにワークスF1チーム”メルセデスGP”としてF1に参戦する。もちろん、蜜月関係にあったマクラーレンは買収出来ない。が、ブラウンGPはホンダの撤退によって生まれたプライベート・チームであり、しかも初年度から低予算でWタイトルを獲得した。そして今季最も多く勝ったのはメルセデス・ベンツ製エンジン(17戦10勝)であるにも関わらず、前述のように新聞の見出しには”ブラウンGP勝利/マクラーレン復活”としか書かれない。ならば、トヨタ/ホンダ/BMWらが去った今しかタイミングはない。ルノーも先行き不透明であり、ウィリアムズと新チームへ供給するコスワースは未だ敵ではない。つまり、倒す敵はフェラーリのみ。メルセデス・ベンツの上層機関であるダイムラー社側からは、不況の最中のこの行動に不満の声も出ているが、今を逃せばもうチャンスはないかも知れない。
何故なら、F1は再びコンストラクターの時代へと向っているからである。

相次ぐ自動車メーカーの撤退と新チームの参入を受け、あちらこちらで言われているこの”コンストラクター時代”とは一体どういうものなのか。ここで’09年から10年ごとに遡り、F1世界選手権参加チームとメーカー/エンジンの状況を一覧にしてみた。

2009年
フェラーリ
トヨタ
ルノー
BMWザウバー


ブラウンGP・メルセデス
マクラーレン・メルセデス
フォースインディア・メルセデス
レッドブル・ルノー
ウィリアムズ・トヨタ
トロ・ロッソ・フェラーリ


今季はホンダが去ってブラウンGPが誕生、昨年スーパー・アグリが撤退して以来チーム数は10のまま。BMWザウバーを含み、自動車メーカーの完全ワークス・チームはフェラーリ/トヨタ/ルノー/BMWザウバーの4チーム。ここにマクラーレン・メルセデスを加えると半数となる。エンジン・サプライヤーは4社、BMWが単独ワークスであり、ブラウンGP(メルセデス)/レッド・ブル(ルノー)という、コンストラクターズ・ランキング上位2チームはワークス外のチームである。言い換えれば、今季はもはや巨大自動車メーカーによるワークス・チームでなければ勝利出来ないという状況にはなかった、と言うことが出来る。

1999年
フェラーリ
アロウズ


マクラーレン・メルセデス
ウィリアムズ・スーパーテック
BAR・スーパーテック
ベネトン・プレイライフ
プロスト・プジョー
ザウバー・ペトロナス
ジョーダン・無限
スチュワート・フォード
ミナルディ・フォード


今から10年前の’99年は全11チーム中、自社製エンジンで走るのは僅か2チーム。しかしそのひとつはフェラーリであり、もうひとつのアロウズはハート社製エンジンに自社のバッヂを採用したものであり、厳密な意味でメーカー・ワークスではない。そして残る9チームの内、ウィリアムズとBARのスーパーテック、ベネトンのプレイライフの3つは、’97年にF1へのエンジン供給活動を停止したルノーV10をメカクローム社が開発し、元ベネトンのフラビオ・ブリアトーレによるスーパーテック社から販売されたエンジンの別称である。またザウバーのペトロナスはフェラーリの型落ちエンジンであり、当時はメーカーそのものよりもネーミングの独創性とスポンサー・シップが重要視されていた。ホンダ/ルノー不在の中、エンジン・サプライヤー冬の時代と言える。

1989年
フェラーリ


マクラーレン・ホンダ
ウィリアムズ・ルノー
ローラ・ランボルギーニ
ザクスピード・ヤマハ
ベネトン・フォード
ミナルディ・フォード
リアル・フォード
オゼッラ・フォード
アロウズ・フォード
ティレル・フォード
コローニ・フォード
オニクス・フォード
リジェ・フォード
ダラーラ・フォード
AGS・フォード
ロータス・ジャッド
マーチ・ジャッド
ブラバム・ジャッド
ユーロブルン・ジャッド


ターボが禁止され、全車NAエンジンとなった初年度である’89年、上位はそのまま突出した自動車メーカー製のワークス・エンジンを独占供給されるチーム、フェラーリ(V12)を初め前年の覇者マクラーレン・ホンダ(V10)、ウィリアムズ・ルノー(V10)、そしてベネトン・フォード(V8)のトップ4である。それ以外の1社供給チームであるローラ(ランボルギーニ)とザクスピード(ヤマハ)に関しては勝利を争うレベルになく、実質的に選手権はトップ4によって争われていた。が、御覧になって解る通り、実に10チームがフォード、4チームがジャッド製のV8エンジンを搭載している。事実上この構図がコンストラクター時代の名残りである。ちなみにベネトンが搭載するフォードV8と、それ以外の10チームが使用するV8エンジンとでは性能が異なり、ワークス扱いの最新エンジンをベネトンが、コスワースによる市販エンジンを他チームが使用していた。

1979年
フェラーリ
ルノー


ブラバム・アルファロメオ
マクラーレン・フォード
ウルフ・フォード
シャドウ・フォード
エンサイン・フォード
フィッティパルディ・フォード
ウィリアムズ・フォード
アロウズ・フォード
ロータス・フォード
ティレル・フォード
リジェ・フォード
ATS・フォード
メルツァリオ・フォード
カウーゼン・フォード


ここが最もコンストラクター時代を象徴する構図と言える。フェラーリV12、ルノー・ターボのワークス2チームに対し、アルファロメオ製のV12エンジンを独占使用していたブラバム(シーズン後半はフォードに変更)以外は全てフォード・コスワースV8エンジン使用チームである。ちなみにこの年のタイトルはフェラーリが獲得するが、前年まではロータスが開発したグランド・エフェクト・カー思想によりフォード・コスワースV8勢がレースに圧勝、既にハイ・パワー・エンジンよりも空力に視点が定まっていた時代である。同時に、安価なフォード・コスワース・エンジンの市販により、シャシー設計能力があれば誰でも低予算でF1に参戦することが可能だった時代の名残りであり、この後’80年代にはターボ・エンジンの時代がやって来る。

1969年
フェラーリ
BRM


クーパー・マセラティ
マクラーレン・フォード
ロータス・フォード
マトラ・フォード
ブラバム・フォード


フェラーリとBRM以外は全てレーシング・チーム、という構図の’69年。特にマトラは自社製エンジンを使用せず、フォード・コスワースを使用。もっともエンジン・メーカーそのものもフェラーリ/BRM/マセラティの3社しか存在せず、自動車メーカーがF1レースを行うにあたり、他社のエンジンをチョイスする、という現在では考え憎いスタンスでF1GPは行われていた。むしろエンツォ・フェラーリ/ブルース・マクラーレン/コーリン・チャップマン/ジャック・ブラバムらの”F1カリスマ”による選手権だった、と言える。

1959年
フェラーリ
BRM
アストンマーチン
ポルシェ
バンウォール


ロータス・クライマックス
フライ・クライマックス
クーパー・クライマックス
クーパー・マセラティ
クーパー・ボーグワード


そしてF1黎明期最後の年、’59年は御覧の通り、まさに自動車メーカー同士の激突である。ただしその殆どはヨーロッパのメーカーであり、特にイタリアのメーカーが目立つ。自動車産業そのものが未だ黎明期であることも含め、あっちが出るならうちも出る、という構図で成り立っていると言える。しかしこの時既にクライマックス社製エンジンは多くのレーシング・チームの注目を集め、中には後にエンジン・パワー時代に終焉を齎すロータスが既に含まれていることも興味深い。

そして、現在予想される’10年のラインアップが以下である。

2010年
フェラーリ
メルセデスGP
ルノー(参戦不透明)


マクラーレン・メルセデス
フォース・インディア・メルセデス
レッドブル・ルノー(未確定)
トロ・ロッソ・フェラーリ
ウィリアムズ・コスワース
USF1・コスワース
カンポス・コスワース
マノー・コスワース
ロータス・コスワース
ザウバー(未定)


…..こうして10年ごとのデータと照らし合わせた際、最も状況が似ているのが’79年シーズンであることが解る。つまり、F1は自動車メーカーによる運営/エンジン性能への依存ではなく、再びチーム/コンストラクターによる争いを始めるのである。
今季、マクラーレンよりも速さと信頼性を見せたブラウンGPは、メルセデスのワークス・チームであるマクラーレンよりもその性能を引き出して見せた。第12戦ベルギーGPでは、グリッド後方が指定席だったフォース・インディア・メルセデスのジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポール・ポジションを獲得し、決勝でも快走してフェラーリに次ぐ2位となった。メルセデスのワークスである筈のマクラーレンはルイス・ハミルトンがリタイア、ヘイキ・コバライネンが6位。メルセデス・ベンツのマーケティングは、このままでは失敗に終わってしまう。かくしてメルセデスはワークス・チームによる参戦を決めた。だが、これは極めて”期間限定”のものとなる。
FIAが押し進めるレギュレーションと予算案は、巨大メーカーにとっては不利となり、低予算の新規チームには有利なものである。そしてそれはこの先しばらく続く筈である。つまり、メルセデスもまた、ホンダ/トヨタ/BMWの後を追ってF1を去らねばならない日がやって来る。その前にやり残したことはいったい何か。そしてそれは、どうすることで達成され、どのタイミングで不可能となるのか。全てを計算した結果、メルセデスはこの”コンストラクター時代再来直前”のタイミングにGoサインを出したのである。

…..が、現在のF1レギュレーションは気筒数やターボ/NAを選べ、チューニングも自由だった’70年代のF1エンジン事情とはあまりにも違う。もちろんマシン・レギュレーションも同様である。フェラーリやアルファ、ランボルギーニらイタリア勢が多気筒エンジンを、フランスのルノーが独創的なターボを、そしてイギリス勢が軽量コンパクト+信頼性のフォード・コスワースV8をチョイスし、それぞれがそのパワーと性能を計算した上で個性的なデザインのマシンを設計し、ロータスに代表されるグランド・エフェクトタイレルの6輪車ブラバムのファン付きマシンなどが誕生し、もちろん現代ほどの資金を必要とせずに選手権を闘うことが可能だった。
しかし、現行のレギュレーションが向う先は、’70年代から見た’80年代、つまり自動車メーカーのエンジン性能競争とは真逆である。たった今、多くの自動車メーカーがF1に見切りを付け、そしてたった今、ワークスではないレーシング・チームがWタイトルを獲得し、新たなプライベーターの参入をスタートさせたところなのである。そして、メルセデスが経済状況を解った上で急ぐ理由はふたつ。
ひとつは、F1は確実にワン・メイク路線を歩んでいること。エンジンはV8統一、回転数/供給数制限となり、シーズン中のモディファイも不可である。シャシーに関しても同様で、全長/全幅/車重から空力パーツのサイズに至るまで、’70年代とは比較にならないほどの規制の下で行わなければならない。更にシーズン中のテスト禁止などで開発も制限され、結局は全チームがコンピュータ・シミュレーションを元に採用するマシン・デザインは同じ答へと向う。つまり最終的にF1マシンは全て同じものになってしまうのである。が、そうなれば1社供給+開発不要となり、FIAが掲げる”大幅なコスト・ダウン”が理想的に解決する。そうなればもはやそこは自動車メーカーのマーケティングの枠を外れ、インディと同じワンメイクの娯楽カテゴリーとなる。当然、メルセデス・ベンツにもフェラーリにも参戦意義はなくなってしまう。
そしてもうひとつ。メルセデスのワークスF1チーム参戦は、’55年以来実に55年ぶりとなる。’55年に彼らがF1から去った理由は、’55年のル・マン24時間レース中、多重クラッシュによって観客を巻き込む86名の死者を出す大惨事を起こし(ただしクラッシュはレーシング・アクシデントであり、マシン性能や不備といった部類ではない)、メルセデスはこれを機に全てのモーター・スポーツから撤退した。参戦初年度の’54年に参戦6戦中4勝、’55年は6戦5勝。ただし、当時はコンストラクターズ選手権が存在しない。彼らがルマンに復帰するのは30年後の’85年、F1に至っては’93年にイルモアへの資本投資を行い、撤退から39年後の’94年にようやくザウバー・メルセデスとして復帰。以来マクラーレンと組んだ’98、’99年とミカ・ハッキネンが2年連続王者となり、’08年にはルイス・ハミルトンが初制覇するが、コンストラクターズ・タイトル獲得は’98年のみである。
つまり、メルセデスにはF1に未だやり残したことがあるのだ。それが”ワークスとしての選手権完全制覇”である。
メルセデスの55年ぶりのワークス参戦には、Wタイトル獲得チームの買収とドイツ人ドライバーの起用(これはマクラーレン時代にすらない)という、必勝態勢と覚悟が見て取れる。F1がワンメイク・カテゴリーになる前に、彼らにはやっておかなくてはならないことがある。それが55年間の悲願でもある、不滅のF1世界主権に於ける”王者・メルセデス”という記録なのである。そしてそれが実現した時、彼らは今度こそF1を去るだろう。巨額の投資と開発力の全てを懸けて望んで来たF1に、王者としてその名を刻むまではやめられない。そして彼らがF1を去る時、この世界最高峰のカテゴリーは、限りなくワンメイク・フォーミュラに近い姿になっている筈なのである。

ホンダ(第1期除く)/BMWが1勝で去り、トヨタが未勝利のまま去ったF1を、このままでは終われない。メルセデス・ベンツの悲壮な決意は来季、55年ぶりの、そして本当の意味での”シルバー・アロー”として、我々の前に現れる。

「これでモーター・レーシングのブランドがモーター・レーシングに戻るんだ」/メルセデス・ベンツ会長、ディーター・ツェッチェ

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