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ザクザクの路面を行く、250ccライトクラス。左から、砂子儀一(65番=2位)、下良睦夫(66番=3位)、益子治(75番=優勝)のトップ3。
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新設・浅間コースの路面は、ダート(泥)でも砂でもないものだった。そしてもちろん、ここでモトクロスをやろうとしたのでもない。
「求めたのは、あくまでも平らな路面です。だから(コース設定に)アップダウンはない。煙を上げて走ってるのは見たことあっても、浅間の写真で、マシンが飛んでいるのは見たことないでしょ?」
……なるほど! コンセプトは、フラット路面でのバイクのレース。ただし、細かい火山灰を簡易に敷いただけだったので、
「路面は一応固めてはあったけれど、バイクが一台走ると掘られて、ワダチができてしまう。それを繰り返すと、火山灰がだんだんコースサイドにたまって、壁みたいになってくる。だから各ライダーは、路面のいいところ、走りやすいところを探して走った」
しかし、なかには異例ともいえる腕力を持ったライダーもいた。第1回の浅間・250ccクラスをライラックで制した伊藤史朗である。
「でも、《伊藤史朗》だけは、そのザクザクの山のなかに入って行けた。だから、他人と違うラインも取れた。これはこの年じゃなくて、58年のクラブマン・レースの話になるんだけど、あの扱いにくいアールズ・フォークのBMWで、雨でぬかった火山灰の浅間を自由自在に攻め、伝説になった」
リキさんは、もう一度、この浅間火山レースでの路面について、
「この路面に最も似ているのは、道路の舗装をしようというとき、アスファルトやコンクリートを敷く前に、まず砕石を敷き詰めますね。その状態での、とっても程度の悪い舗装の……。こう考えてください」
……と語るのだが、うーん、道路が未舗装の状態から舗装になるというその経緯と段階を、いまの多くの人は目にする機会がないかもしれない?! ともかく、そんな特殊な路面で、浅間での2度目のレースは行なわれたのだった。
(第九回・了)
(取材・文:家村浩明)
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