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写真上:1959年《アサマ》の舞台となった1周約9kmの浅間高原自動車テストコース。メーカーが共同出資で当時としては巨費の2000万円を投じて浅間牧場内に建設された。
写真下:浅間最後の年(1959年)に市販された市販CR71スーパースポーツ仕様車。
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え?! バイクのシフト、つまりギヤチェンジは「左」に決まってませんか?
いやいや、それはあくまでもドイツ流なのよ……と、リキさん。そう、当時、英国車は右チェンジであり、そして、ドイツ車が左チェンジだったのだ。
イギリス車の場合、右足でキックして始動し、右足でシフトする。一方、ドイツ車では、左足でキックして、左足でシフトする。いったい、どっちがいいのか?
「これはジャーナリズム上では大論争になりました。ただし、メーカーは一切関知しなかったけどね(笑)」(大久保)
もちろん、日本の交通システムは、当時もいまも、クルマは左側通行である。その左側通行で、果たして、どっちが合理的なのか?
「左側通行の場合、バイクは普通は道の左端に停めてますね? そして、バイクにまたがるときは左側から乗る。その流れで、右足でキックして始動する。そして、そのままシフトする。これが英国車、つまり左側通行の国のバイクのコンセプト」
……なるほど、だから、日本における合理性は、むしろ「右チェンジ/左ブレーキ」なのか?
「でも、60年代になって、人気の主流はドイツ風にというか、Hondaやヤマハに人気が集まって、そのまま、左チェンジが普通になっていく」(大久保)
そういえば、カワサキの「W1」は1970年代まで右チェンジだったような記憶が……?
「そう、英車をフォローしていたメグロは、ずっと右チェンジのままだった。そして、カワサキとなって継承されても、しばらくそのままだったね」
そして、リキさんは付け加えた。
「59年のアサマから5~6年経つと、だんだんと外国車が不人気になっていった。日本車がよくなったしね。そして日本では、左側通行なのに左チェンジということで、今日に至っているわけ」
さらに、《アサマ》以後顕著になったこととして、50ccクラスの充実があるという。
「三つ目は、日本車の50ccモデルの発展ね。それまでの、自転車にエンジンを後付けするという時代が終わり、各社が本格的な50cc車をつくりはじめた」
「ちゃんとしたオリジナルのフレームに、50ccのエンジンを載せる。その代表は、もちろんHondaのスーパーカブ」
Hondaの埼玉製作所(当時)で、スーパーカブの一号機が誕生したのは1958年。これがあまりにもヒットしたので、Hondaは新たに鈴鹿工場が必要になったのだが、「この50cc人気も、やっぱりアサマと関係がある」と、リキさん。
では、1959年、ラスト・アサマのクラブマンレース、50ccクラスのエントリーを見てみよう。20台に及ぶエントリーのうち、Honda・スーパーカブと山口オートペットの2モデルが対決モードで二分しており、そしてそれに西独NSUが2台が絡む。
レースの結果は、1位から4位までをスーパーカブが独占。このレースで2位に入ったのが16歳の生沢徹選手だった。
そして、60年代に入ると、各社から本格的な「原付一種」バイクが続々と登場する。
ちなみに、『日本モーターサイクル史』(八重洲出版)から、「1960年」のモデルとそのラインナップを見てみよう。
そこに並ぶ車種は、Hondaのスーパーカブ&スポーツカブ、スズキのセルペット、ヤマハのモペッド、ブリヂストン・サイクルのBSチャンピオン、山口自転車のオートペット、宮田工業のミヤペット、田中工業のタス・ダイナペット、東京発動機のトーハツ・ランペット、新明和興業のポインター・ラッシー……などなど。
これらのすべてのモデルは、本格的に開発された50cc車で、「自転車+エンジン」という時代は彼方に去っていた。また、明らかにスーパーカブの影響と思われるが、これらのほとんどのモデルは、カブと同様に、プレス・フレームを採用。例外(パイプフレーム)はトーハツ・ランペットくらいである。
「ヨーロッパでは、50ccのロードレースはすでに存在していた。イタリアにいいマシンがいっぱいあったね。そして、ヨーロッパ選手権も行なわれていて、その人気がのちにマン島でのTTレースに、50ccクラスを加えさせることになる」(大久保)
そしてもうひとつ、アサマ以後、つまり60年代に起こったこととして、カテゴライズの問題があると、リキさんは語った。
「こうして50ccの原付一種が充実するとともに、125ccという原付二種のカテゴリーも固められていくね。だから、60年代になると、ハンパな排気量のモデルがなくなっていった。それまでは、145ccとか、いろいろあったんだけど」(大久保)
クラス分けは、50、125、250、350……となった。日本の場合、後年、400ccで中型と大型を区別することが始まり、免許制度も異なるため、350ccクラスはいまでは400ccになっているが、そのほかのクラス分けは、今日にまで連綿とつづいていくことになる。
(第十八回・了)
(取材・文:家村浩明)
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