マイ・ワンダフル・サーキット 浅間から鈴鹿、そして世界のHondaへ―― リキさんのレーシング日本史

第25回
《世界》の技術を「雁ノ巣」に持ち込む!


この「雁ノ巣」まで、Hondaはどういう戦略で、国内で闘いつづけてきたのか?

リキさんは語る。

「61年までのHondaは、国内レース・シーンではずっとヤマハの後塵を浴びつづけていて……。それはもちろん、その通りなんだけど、ただ、しかるべき理由もあったんです」。

「Hondaのマシンは、あくまでも、すでにある市販車をベースに、レースに向けてモディファイしたもの」。

「レースの目的は、市販車をさらによくするため。製品へのフィードバックがその目的であるという《Honda・ポリシー》があって、レースのため(だけ)に本格的なスポーツ車をつくってしまうといったことについては積極的ではなかった」。

……なるほど。たとえばこの時期のHondaの125cc市販車は、その愛称が「ベンリイ」。であるが、この名はもちろん、実用的に「便利!」であるということを語源につけられたものである。

これをひとつの例として、本田技研工業という会社は、そもそもは、戦後日本の社会を“元気に”すべく、人力ではなく、エンジン装備の二輪車という交通手段を人々に提供することからはじまっていた。

そしてそれは、Hondaにとっても、また庶民にとっても《夢》のようなことだったはずで、だからこそ、Hondaの最初の本格バイクは「ドリーム」。と名づけられていたはずだ。

125ccはベンリイ、そして、250ccはドリーム。実用車メーカーとしてのこうした社会貢献の歴史を経たのち、50年代後半の「Honda」は、新たな局面である「レース」に向かい合って行く。

そして、そのスピリットは、マン島TTレースへの初挑戦(1959年)という壮挙にまで至るのだが、一方では、こうした「海外展開」で手一杯であったことが、田中健二郎の指摘にもあるように、国内レースの“軽視”につながっていた。

そのHondaが、1961年を境に変貌する。

こうした国内戦略の変更について、リキさんはこんなエピソードを紹介した。

「1959年のアサマで、新星・北野元がHonda車に乗って、125と250の2クラスで優勝しますよね。このときのマシンは、実はどっちも、少数生産の特殊市販スポーツ車だった。それまでの市販車・改」ではなくてね」。

「つまり、将来の市販に向けて、アサマという実戦を走らせたというのが事実に近い。こういう戦略のテストケースという側面も、あのレースにはあったのです」。

このときの「少数生産」250cc車が、アサマでの勝利を経て、1960年に、ドリームCB-72として市販されるのだ。

「だから、このCB-72は、それまでのドリームの歴史と、北野によるアサマ・スペシャルの混合技術によって生まれたモデルといっていい」(大久保)。

こうしたHondaの「少数生産車」の基盤となるものは、このように、1961年までは《アサマ》であった。

しかし1962年、それが《世界》に変わるのである。

「Hondaが59年にマン島で初陣を飾って(完走して)、そしてその後、Honda車は世界GPでも勝利するように成長して行きます」。

1962年に鮮烈なデビューを飾ったCR93。ロードレーサーを法規にミートさせて公道走行可能にし、いかにもHondaらしいモデルとして人気を博した。

「その過程で蓄積されていったレーシング・マシンのテクノロジー。これを市販車という状態に適合させるというか、もっといえば、レーシング・マシンを法規にミートさせて、公道走行を可能にするというか、そういう市販車がついにでてきた。それが1962年に鮮烈なデビューを飾った125ccマシン『CR‐93』なのです」。

雁ノ巣飛行場で行なわれた第5回のクラブマン・レースに、Hondaは125ccクラスにこの「CR‐93」を、そして50ccクラスには「CR‐110」という、それまでとは次元の異なる超スポーツ車を持ち込む。

さらに、マシンだけではなかった。田中健二郎の「健二郎学校」で鍛えられた、大月信和、渥美勝利といった新鋭のライダーが、雁ノ巣で、これらのCRマシンを操縦することになっていた。

この「雁ノ巣」でのレースとライダーについて、当の田中健二郎は自著『走り屋一代』で、次のように書く。

「私としては、雁ノ巣が初仕事であり、渥美、大月を優勝させることによって、“健二郎健在なり”の存在を明らかにしたかった」。

「優勝させる自信はあった。渥美、大月ともに、日頃私が教えていることを実行できるかどうかだ」。

結果は、その思惑通りになった。Hondaと田中健二郎は、見事に国内レースでリベンジを果たす。

(第二十五回・了)

(取材・文:家村浩明)



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