リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ


ヤマハ TD-1 250cc  by 大久保力

鈴鹿の開幕レースを圧勝した驚異的な超軽さを誇るTD-1に試乗する幸運に恵まれた。写真は、練習中に本命視された本橋明泰。

TD-1、小さなツムジ風が旋風を巻き起こしたような名前だ。近年不気味な沈滞を続けていたヤマハが7月の第5回クラブマン・レースの少し前あたりから、レースにふたたび熱を入れるようなムードをちらつかせていると思っていたら、九州で圧倒的な勝利を見せ、そのまま勢いのついた転がるボールのように、鈴鹿でも勝ちっぷりのよさを見せてしまった。

ヤマハの再登場を思わせるこれらの勝利は、このTD-1の完成によって成し遂げられたともいえよう。ヤマハがGPレースに初参加した61年の初期に、早くもこのTD-1原型が誕生した。

  • ホンダCR72は鈴鹿に急遽間に合わせるためにつくったという感じ……。
  • 1961年1月、アメリカ/デイトナビーチ、USGPにヤマハ参戦、ライダーは伊藤史朗、砂子義一。クルマは、YDS1+カウリング、ということになっていたが、これがTD-1の原型。このときは「RR」と呼ばれていた。
  • 61年TTレース時の、現地でのトレーニング・マシンとしても使われた。
  • 昨年(注・61年)の10月頃に、TD-1という名がつくまでに成長した。
  • 本年(注・62年)のはじめ頃には、一部、輸出のみで販売されていたといわれる。
  • 62年の9月末、鈴鹿が始まる少し前に、正式に「TD-1」として認定を受けた。
  • 鈴鹿レース終了後、市販へ。
  • TD-1とは、YDS2の純ロードレーサー。
  • ただし、市場で販売するための、運輸省の認定を取るための仕様がある。ヘッドライト、ウインカーなどの保安部品つき。
  • その“TD-1スタンダード”の仕様、エンジン出力:23ps/7500rpm トルク:2.14kgm/6000rpm 圧縮比7.5:1 内径×行程:56×50mm 総排気量:246cc キャブレター:三国VM20SH
  • エンジン関係は、YDSそのまま。

要するにTD-1とは、新しいフレームにYDS2のエンジンを積んだものである。全長は1950(1990)、全幅610(650)、全高900(935)、軸距1290(1290)、地上高110(130)。(カッコ内はYDS2)。軸距がYDS2と同じだけで他は何れもTD-1の方が小さい。何といっても一番異なるのは重量で、この点がTD-1の最大の長所ともいえるのではないか。即ち異常なまでの軽さを誇っており、YDS2の156kgに対して132kgと24kgも軽い。

まず目を引くのはライディング・ポジションであろう。赤く塗られた丸味のある大きいガソリンタンクに、ストッパーのついた単座レーシングシートがぐっと後退してつけられている。ステップはリヤスイングアームのピボット近くにつけられ、その位置も高い。ハンドルは左右のフォークに別々につけられたセパレートタイプである。

  • フレームはクレードル型パイプ製、フロント・サスペンションはテレスコープ、リヤはスイングアーム。ただしリヤは、垂直に取り付けられている。
  • フロントブレーキは2リーディング・シュー、YDS2はドラム径が180mmだが、TD-1は200mm。ドラム左側面にはエアダクト、リヤも同じ形式。ハブにも放熱フィンが付く。GP用と変わらないブレーキ。
  • タイヤサイズは2.50-18/2.75-18とYDS2と同じだが、タイヤは俗に“ヨコハマ・エイボン”と呼ばれるレーシングタイヤ。
  • キャスター角は62.5度で、YDS2の65度に対してフォークは寝ている。トレールは88mm、YDS2は75mm。
  • 11月21日に、ヤマハの天竜川テストコースで、鈴鹿を走ったレーサーに乗ることができた。
  • TD-1の出力は9500回転で35ps、これが正式な発表。九州・雁ノ巣のクラブマンレースで三橋選手が優勝したときには33psだった。鈴鹿のレースで2psアップしていたことになる。
  • キットパーツによってチューンし“レーシング・エンジン”にすることができる、とメーカーはいう。外から見て変わっているのはキャブレターとエキゾーストパイプ。
  • クランクケース内のクランクシャフト、コンロッド、各ベアリング、ミッション、クラッチは、YDS2スタンダードと同じ。
  • TD-1がスタンダードと異なるのは、シリンダーとシリンダーヘッドがハイシリコンのレース用になっていること、ピストンが Low-ex ピストン、ピストンリングは1.5mmのレース用。
  • キャブレターは、アマル276-1 レーシング・キャブ、(スタンダードは VM20SH )TD-1
  • メインジェットは、TD-1で鈴鹿を走ったときには♯200が標準だった。S2レーサーの場合、標準♯180。
  • 点火は、マグネット点火。点火時期、変更。ポイントギャップは0.3~0.4mmから、0.2~0.3mmに変わる。
  • 点火プラグは、NGK B10HEN 11HENが標準。

以上のように、エンジン部ではSTD(注・スタンダード)と大した相異はなく、どれを取っても容易に手に入るパーツでチューンすることが出来、名実ともに市販レーサーということができよう。さらに4サイクルと異なり、特殊なツールを必要とせずに行なえるのも2サイクルの強みといえるだろう。

  • ライディング・ポジションはレーシング・スタイル、ヤマハはラクに前傾できる性質。細長い赤色のガソリンタンクはオールアルミ、鈴鹿で転倒しても凹みで済んだ。
  • 車重はわずか95kg、スタンダードより37kg軽い。配分はフロント45kg/リヤ50kg。250ccで100kgを割る!
  • 車重95kgでエンジン35ps → 1PSあたり2.71kg。(ホンダ・フォアは1psあたり2.15kg)
  • YDS2スタンダードは、1psあたり6.8kg。

これらの軽減はもちろん簡単にできることではなく、ヤマハの技術であろうが、一番の原因は何といってもフレームにある。フレームの構造は、前述した如くパイプ製のクレードル型とS2と同じだが、全体に低く、小型となっている。 パイプの材質について、本誌先月号ではクロームモリブデン鋼となっているがこれは誤りで、異常な軽さから、このような風説が飛び、またヤマハの未発表から真実化してしまったのだろう。材質は正式にはスタンダードと同じ普通のSTK鋼管であるが、TD-1ではレーサーとしての性格から耐久力を無視して、最小限度これだけの強度で十分というところまでパイプの径を細くし、さらに肉厚を薄くして作ったものである。(略)

  • その他、フレームだけでなく、タンク、サドル、軽合金リム、ブレーキドラムの工夫、ドラムとフォークのトルクアーム、細部の研究によって、軽い車ができた。

ちなみに、ホンダGP用250cc RC163が105kg、125cc RC145で約90kg、ホンダの125cc市販レーサーCR93ではレーサー時98kgと、TD-1より重いくらいだ。鈴鹿でのライバル、ホンダCR72はスタンダード時157kg、レーサーになっても120kg以上はあるだろう。もしそう仮定し(レーサーについての発表はない)出力がヤマハより多い40psを記録したとしても、1psあたり3kg以上となり、数字から見てもTD-1に一歩譲る(略)。TD-1の最大の強味はこの軽さであり、その軽いということから来る操縦性のよさも当然のことといえよう。

テストは鈴鹿に出場したうちの二台を、ヤマハの天竜川テストコースに持ち込んで行なった。時間は2時間程度であったが、その短い時間内でもTD-1の高性能を明らかに判断することができた。

2サイクル特有のキャオン、キャオンというエキゾーストノイズを耳にしながら、暖機運転を行なう。純レーシング用タコメーターの白い針が4000~6000の間を往復する。(略)スロットルを戻して、(略)何と1000rpmくらいにしてほおっておいても、パランパランと止まりもせずに回っている(略)。これでもカブらないというし、鈴鹿のコースを50ccより遅く走った場合でも同じだとのこと。

6000(回転)くらいでクラッチを離すと車はスムーズに発進し、途端に8000、9000、慌ててセカンド(2速ギヤ)、同じく9000、続いてサード(3速)、8000と息を継ぐ間もない。慌ててスロットルを締め制動に入ってしまった。幅2~3mほどしかなく、見通しのきかないカーブが全長の70%以上を占め、折悪しく当日はコースの終わりの方をダンプが小砂利を撒き散らしながら横切っているようなコース(略)あまりにも速い加速性に息を呑まれたかたちである。コースを反対に走るべく方向転換、Uターンなんてスマートな言葉は通用しない、慣れない者にとっては3mくらいの間を、ハンドル切れの少ないレーサーで3回も4回も行ったり来たりしなければならない。

三度目、今度はできるだけ注意して発進する。ファースト(1速)で思いきり開けると、一気にタコメーターの針が9000から10000に達し、即座にセカンド(2速)、やはり同じ速さで10000まで達してしまう。何というか、車にしがみついている感じだ。

まだまだ(速度は)出るのだが、何しろ小生にはこんな狭いところでは、まるで綱渡りをしているようでとても怖い。速度は150km/hくらいだろう。

公式練習で最速タイムを記録した松島弘規。

鈴鹿を走ったヤマハ技術研究所研究課の松島弘規君がいたので、この鈴鹿のままのギヤレシオで4分の1マイルが走れるかというと、あまりタイムはよくないだろうが、走れるだろうというので、彼に0→400mをやってもらうことにした。鈴鹿ではトップスピードを直線の下りに合わせてあるから、非常にギヤレシオが小さく……(略)。停止状態から乗ったなら、当然タイムは悪いだろうと想像した。隣りにいる研究課の小泉さんに15秒くらいじゃないかと聞くと、もっと速いという。そのとき(略)本気にはできなかった。これも当然のことで、いままで経験したレーシングマシンの多くがそうだったからである。

計測は(略)TD-1は鈴鹿のスタートで見せたと同じ加速力で(略)400m区間を走りきってしまった。それは一瞬のことで、まさに呆気ないほどだった。400m地点でのギヤは4速だとのこと、これを三回繰り返す。(略)タイムを聞くと、よくないという。やはりそうか、そうだろうと、内心15秒台という自分の想像が当たったような気持でニヤニヤしていた途端、ベストタイム13.5秒という。口から出る言葉がなく、驚きと理解できない気持から、ただ自分の頭を左右に振るのみだった。

50m100m200m400m
1回目 3.55.39.413.7
2回目 3.65.49.613.8
3回目 3.55.49.213.5

凡そ250ccの排気量でこれだけ速く走る車は、世界中でもたんとはないだろう。GPレースに出るために、限られた何台かを専門に造った車ならいざ知らず、市販レーサーと銘打っている車である。さらに前述した如く、スタンダードのレシオでもなく、0→400mに合わせたものでもない。(略)スタンダードのレシオで計測した場合は12秒というから、ちょっと想像できない。0→400mに合わせた車でも、未だそのような例は日本にないだろう。

TD-1が未来を切り開いたと言える本橋明泰。初出場のこのレースを契機に、世界GPライダーに育ち、今なお二輪ライダーのまとめ役という立場にある。

ちなみに、1958年の9月だったか、全日本ドラッグレース大会で(略)650cc以上クラスで最高タイムを出した望月修氏(現・鈴木自動車工業、研究三課、鈴鹿ノービスマネージャー)の58年型BSAスーパーロケットのタイムが13.47秒だったから、その速さがわかろう。

400mのあまりの速さに、もう一度この速い車を走らしたくなり、ふたたびTD-1のハンドルを握った。(略)今度は最初から(スロットルを)開けていく。(略)押し掛けでエンジンが始動したらすぐさまアクセルを開けてやれば、パランパランといっていた排気音がウイーンと甲高く変わり速度は上昇する。このとき(略)半クラッチは用いていない。驚くべき低速トルクの強さだ。回転でいうと6000くらいから充分使え、それは10000までも続く。これならば、ヘアピンの立ち上がりも良い分けである。

車は非常に軽く傾斜し、長い右カーブをステップすれすれに傾けながら路面のショックを吸収している。(略)止まった状態で前後のサスペンションを押さえてみるとまるでコチンコチンなのが、いざ100mph(マイル/時)以上で走っていると、まったくそのような感じはなく、却って柔らかいくらいになる。

テストコースでの実測は180km/hを記録したが、これを見ると鈴鹿の長い下りのホームストレッチはそれより速い速度で走っていることになろう。メーカーで公表するTD-1レーサーの性能は最高速度がカウリングなしで175km/h以上、これにカウリングをつけると190km/h以上で、0→400はSTDのレシオで12.0~12.5秒である。

ヤマハTD-1は以上概略述べてきたように実に性能の高い車で、ヤマハ発動機の誇る車である。そしてこのTD-1は欲しいと思う人ならば誰でも手に入れることのできる車である。価格については、レーシング、キットパーツが付いて約40万円になるといわれる。

販売形式から見たら、ヤマハTD-1はホンダCR93、110と並んで完全な市販レーサーということができ、日本の代表的レーシングマシンで、イギリスのノートン・マンクス、AJS‐7R、さらにはBSA・GSシリーズと同じ性質のものになる。

(月刊モーターサイクリスト1963年1月号)