(1)ホンダCR72、執念のポールポジション!
――あ、この資料が《鈴鹿》開幕戦のリザルトですね。“1962年 第一回全日本選手権ロードレース 結果表”で、国内ライダーのノービス・クラスは、全国各地域から選抜されたライダーを示す色別のストライプテープをヘルメットに貼付することが義務づけられ……とあります。メーカー(銘柄)別の競技ではないことが強調された、とも記されていますね。
「このデータは、もとが雑誌記事なので、そういう表現になっています。1962年の12月に刊行された『モーターサイクリスト・レース写真集』ですね。ここにもありますように、11月の3日と4日に行なわれ、天候は、3日が“終日雨天から豪雨”、4日の天候は晴れでした」
「それで、趣旨としてはメーカー対抗ではないんだけれども(笑)、ここでずっと話題にしてきた見方でいえば、ホンダの『CR72』とヤマハの『TD1」の対決になったノービス250ccは、雨の3日が決勝レース。そして、これらのボアアップ仕様で、実質的に同じクルマの対決だったノービス350ccクラスは、晴天の4日に決勝が行なわれました」
――はい。そして、これが予選の結果で……。あれっ、ノービス250ccクラスのポールポジションはヤマハではないんですね?
「ええ、ホンダの粕谷勇選手です。そして、2位から5位にヤマハが並んで、6番手にホンダの加藤爽平君がいます。ただ──」
――何か?
「これ、予選でしょ。予選で“手のうち”を見せてしまう必要はない。当時のヤマハ・チームなら、こんな発想をすることも十分に考えられる。何といっても、浅間レース以来の猛将・渡瀬善三郎監督が率いるあの“軍団”ですから(笑)」
――なるほど。ヤマハは、《鈴鹿》での練習走行にも現われなかったし?
「いや、まったく現われなかったのではなく、決勝日間近になるまでその姿を見せなかったというのが、正確な表現です。このときの《鈴鹿》にヤマハが持ち込んだ『TD1』には、夏の『雁ノ巣』でホンダは敗れていますが、そのときから、“忠さん”(神谷忠)や多くのホンダ・ライダーは、『TD1』は『CR93』並みの軽快な走りをすると舌を巻いていました」
――え!? 『CR93』って125ccのレーサーですよね?
「そのくらいに『TD1』は軽いクルマだった。いいかえると、同じ250cc車として、『CR72』は、対ヤマハということでいえば、いかにも重かった。《鈴鹿》で開幕戦に向けて、懸命に頑張って練習しながらも、これは勝ち目はないかもしれないという、口には出さないけれど、パドックにはそんな沈んだ空気が漂っているようでした」
――ホンダのマシンは、エンジンのパワーでは優勢だったが?
「ええ、8バルブ、1気筒あたり4バルブという当時としては凄いエンジンで、250ccで40馬力以上といわれた。リッターあたりということでは160馬力になりますか。『エンジンのホンダ』の面目躍如というか、その主張は、ここでも、ありすぎるほどに(笑)あった」
パワーのホンダに対して、ヤマハはTD1の“操縦性”で鈴鹿開幕戦を制した。写真は、翌年、ヤマハ初の市販レーサーとして発売されたTD1-A。
――対してヤマハは、浅間の『赤とんぼ』以来の“ヒラリヒラリ”路線?
「そうですね、パワーのホンダに対して、操縦性のヤマハ。それからクルマの成熟度でも『TD1』は一日の長があった。この予選でも、2位の三橋実君から8位の宇野順一郎君まで、2分41秒台から43秒台の“3秒”の間に、ヤマハは6台を“まとめて”入れてきています。さらには、9位と10位も『TD1』です。一方のホンダは、2分41秒1でポールこそ取ったけれど、次は43秒2で加藤君、その次は45秒台で12位と13位(榎本正夫と吉田治)というように、言ってみればバラバラで……」
――ライダー次第、調子次第ということだったのでしょうか?
「それもありますが、クルマの性能も、このときの『CR72』の場合はプロトタイプの段階と言ってもよく、性能的にも、各車がそんなに“揃って”いなかったのではないかと思います」
(2)ライダーにも観客にも初体験だった“雨の鈴鹿”
――そして、250ccの決勝の日が来ます!
「記念すべきオープニングだったのですが、11月3~4日のレースは前夜から雨になりました。来場のファンは、まだ未完成なドロドロの通路を通ってグランドスタンドへ。大会名誉総裁の高松宮殿下もびしょ濡れで歩いておられましたね」
「その雨は、3日の第一レース、ノービス50ccが始まる頃には一段と強くなり、ぼくら弱小チームは“しめしめ、これで、かなりハンディはなくなったぞ”とほくそ笑んだものでした。結果は、やはり強い者は強かったのですが。ハッハッハ(笑)」
「それはともかく、ノービス250ccの結果はこの通りです。雨による番狂わせという部分も、このレースでは少なからずありました。ヤマハの三室恵義と本橋明泰の両選手はリタイヤとなっています」
「このレース、ヤマハははっきり“ワンツースリー・フィニッシュ”を狙っていました。そして、展開としても、そのようになりました。スタート直後からトップで独走した本橋明泰君がミッション・トラブルでリタイヤしたあとも、三橋、三室、片山の三選手でトップグループを形成しました。しかし、ヤマハの宿願達成かと思われた残り2周、三室君がヘアピンの水たまりで転倒! その結果、トップスリーに『CR72』の加藤君が割り込むかたちになって、まあ辛うじてホンダは面目を保ったということでしょうか」
――レース中のベストラップも2分52秒2(片山義美/TD1)で、晴天時のポールタイムよりも11秒ほど遅いですね。あ、これは雨になっても11秒しか遅くなかったと言った方がいいのかな?
「雨といえば、いまは笑われても仕方ないけど(笑)、《鈴鹿》のコースに初めて足をつけたとき、まるでヤスリの上を歩くようにグリップするという感じがしました。そこから、これなら雨でも絶対に滑らない、コーナーで地面にステップがこするまで車体を傾けても倒れないんだって、ライダーの誰もが思ったんです。そんなわけ、ないのにね(笑)」
「だって、それまで、完全舗装路で雨のレースという経験はなかったし、《鈴鹿》に入ってからのトレーニングでも雨に遭っていないのです。『ハイドロプレーニング現象』なる言葉が知られたのは、日本の高速道路ができて何年か経った後ですし、スリップを起こすのは水の膜なのであるなんていう知識もありませんでした。路面がよければ大丈夫って(笑)、それだけでした。でも、“泥”には気をつけましたよ」
――え、泥ですか、水ではなく?
「そう、泥なんです!(笑) というのはね、本コースこそ完全舗装されてますが、コースの脇はまだ泥のままでした。ですから、晴天のトレーニング中でも、コース上にはあっちこっちで土砂が散らかっていました」
「そして、雨のレースになったでしょ、これが最悪で(笑)。泥の地面が濡れてますからね、そうなるとコース上が足跡でいっぱいになっちゃう。というのは、コース脇の観客が泥だらけの靴でコースを“横断”してしまうので──」
――足跡? 横断? ますます話が見えませんが?(笑)
「いや……(苦笑)。あの、浅間コースでのレース写真、見たことがあるでしょ。実はあのコースって、ライダーが行っちゃうと、観客はみんな自由に横断してたんですよ。場合によっては、レース中のライダーが、どけどけ!と手を振りながら走ったりして(笑)」
「それと同じことが、新設の《鈴鹿》でも起きたわけです。この頃、レーシング・コースを人が横切ってはいけないという“タブー”はなかった。当時の観客はみな、バイクのレース観戦とはそういうものだと思っていたのです」
――おお~!(笑)でも、写真などで見ても、直線にはメイン・スタンドがあって、ちゃんとウォールもあって?
「できたばかりの鈴鹿サーキット、コースの全域がすべて、そういう風に整備されていたと思いますか?(笑)その気になれば横断は自由自在という場所は、コース上の至るところにありました。それから、舗装されていたのはコースであって、観客席とか、コース以外の部分は未整備だった。だから、コース上には泥と泥靴のあとがいっぱい! そういう時代だったのです」
――うーん、なるほど! そして、このリザルトになるわけですね。11月3日、ノービス250cc、雨の12周。1位と2位がヤマハTD1で、三橋実選手と片山義美選手。3位がホンダ・加藤爽平選手で、44位もCR72の粕谷勇選手。1位三橋ヤマハと3位加藤ホンダの差は、えーとおよそ18秒ですか。
「まあ、ホンダの惨敗ですよね。そして、その翌日には、基本的に250ccと同じマシンで闘う350ccクラスの決勝レースが行なわれます。これは予選では、トップスリーはヤマハ/ホンダ/ヤマハでした」
○ノービス250cc予選 1962年11月1日 天候:晴れ 順位 ライダー タイム マシン 1 粕谷 勇 2分41秒1 ホンダCR72 2 三橋 実 2分41秒2 ヤマハTD1 3 本橋明泰 2分41秒6 ヤマハTD1 4 片山義美 2分42秒0 ヤマハTD1 5 三室恵義 2分43秒0 ヤマハTD1 6 加藤爽平 2分43秒2 ホンダCR72 7 久木留博之 2分43秒4 ヤマハTD1 8 宇野順一郎 2分43秒5 ヤマハTD1 9 石井義次 2分44秒0 ヤマハTD1 10 松島弘規 2分44秒3 ヤマハTD1 ○ノービス250cc決勝 12周 72.05km 1962年11月3日 天候:雨 気温17度 順位 ライダー タイム km/h マシン 1 三橋 実 35分20秒8 122.30 ヤマハTD1 2 片山義美 35分23秒7 122.13 ヤマハTD1 3 加藤爽平 35分38秒0 121.31 ホンダCR72 4 粕谷 勇 35分42秒8 121.04 ホンダCR72 5 石井義次 35分58秒7 120.15 ヤマハTD1 6 久木留博之 36分01秒2 120.01 ヤマハTD1 7 宇野順一郎 36分27秒2 118.58 ヤマハTD1 リタイア 三室恵義 10周 ヤマハTD1 松島弘規 7周 ヤマハTD1 本橋明泰 6周 ヤマハTD1
第十六回・了 (取材・文:家村浩明)