首位快走の大久保力/スバル、しかし、直線~1コーナーで“事件”は起きた!
――ミラーから、チームメイトの小関選手が消えてしまった?
「レース中はもちろん、つねにバックミラーで後方の状態は把握していました。そして、2位グループの先頭にいたり、ライバルに囲まれたりしている小関の姿を確認しながら、ぼくは独走を続けていた。それが、3周め終わり頃だったでしょうか、いつの間にか、小関の姿がミラーに映らなくなったのです」
――ははあ!
「おそらく望月/スズキや片山/マツダに抜かれたんでしょうね。そして、彼らが猛然とぼくに迫ってきました。悪いことは重なるもので、ぼくの方でも、危ない場面があったのです」
――え?
「エンジンの温度が異常に高くなった時の対策として、例の、エンジンルーム内に水を噴射というか噴霧して温度を下げるという秘策があったことは、前に話しましたね。そして、ぼくがその装置を疑問視していたことも……。ところが、ぼくが飛ばしすぎたのかもしれませんが、やはり、温度計の針がレッドゾーンに達し始めた。やむなく、その装置を使うことにしたのですが……」
――はい?
「この装置は、小関はおそらく使い慣れていたと思います。というのは、彼の高出力エンジンは、すぐ温度が高くなるので。でもぼくは、この装置は緊急避難としてしか考えていなかった。だから、うまく使えないというか、使う練習もほとんどしなかった(笑)。そのため、もし、それを使うなら、ドライブに余裕のある時に限る。……となれば、それはストレートしかありません」
――その操作は、けっこう面倒なもので?
レース序盤、リキさんをトップに、混戦状態でS字を行く上位陣。
「いや、操作自体はスイッチを操作するだけで、面倒というものではない。問題は、そのタイミングというのかな。いつの時点でそのスイッチをオンにして、そして、エンジンの状態に合わせて、いつ、オフにするか。それと、操作する場合には、ハンドルから手を放さなくても指が届くという位置に、スイッチは取り付けておいた」
――リキさんにとってはエマージェンシー用でも、もし、それを使う場合があったらということも考慮して?
「そう、考え方はグッドなんです(笑)。しかし、それはハンドルが直進状態であることを前提にした設定でした。ですからハンドルを切ったときには、スイッチの位置は変わってしまう。その場合、ハンドルから手を放さないと操作はできない。それに気づくのが遅すぎたけどね(笑)。でも、そんなもん、もともと使う気がなかったから」
――そこまでの想定はしてなかった。言い換えると、直進時以外でそのスイッチを操作する際には、左手は必ず、ハンドルから離れてしまう?
「そういうことです(笑)。それで、ストレート(メインスタンド前の直線)の後半でスイッチオンにしましてね。その後、短時間でエンジン温度が正常になるかと思ったら、それがそうはならないうちに、クルマは第1コーナーに入り始めちゃった(笑)」
――あ、エンジンが冷える前に、ストレートが終わってしまって?(笑)
「ぼくがそのスイッチをオフにしようとしたら、クルマはすでに、1コーナーの真ん中あたりまで来ていたのです。そこで、スイッチに左手を伸ばしたけど。……いやあ、コーナリング中の四輪車というのは、ものすごい力で直進に戻ろうとする力が働くものですね。この時、右手だけで持っていたハンドルが、ガーンという反発を受けて(一気にクルマが直進し)、たちまちコースアウト! 草地にハマって転倒するかとさえ思いましたね。冷や汗がドッと出ましたよ、4周めだったかなあ……」
――コースを外れて、その時に後続車は?
「幸いに、後続車はまだそんなに接近していなかったので、これで抜かれるということはありませんでした。それで、二輪だと、車体を倒しながらアクセルを吹かすことで、反対側への転倒を免れることがある。それを思い出し、とっさに四輪でも、右にハンドルを切りながらアクセルを全開にしたらどうか、と。やってみたら、リヤがスライドしてくれてコースに戻っちゃった(笑)」
――うわぁ!
「そもそも余計な装置(エンジンへの水噴霧)なんか付けるから、こういうことになる。ロクなもんじゃないよね(笑)。エンジンの冷却は、キルスイッチの操作で生ガスを吸わせることで十分なんですよ。でも、あれは危なかったなあ!」
――首位走行のカゲで起こっていたハプニングですね。
「簡単には、レースには勝てません(笑)。でも、そんなことがあったあとの6周め、ストレートに帰ってきたら、ミラーの中に小関スバルがいるのが見えた。“お、アイツ、生きてるんだ!”と思いましたね、この時は」
首位を走行するゆえの恐怖と不安、それを払拭してくれたのは……
――このレースでは、結局、首位の座を一度も譲ることなく?
「結果的にはポール・トゥ・フィニッシュという形になるんだろうけど、そんなカッコいいもんじゃないです(笑)。スタートからゴールまでヒヤヒヤものですよ。それと、追いかけられる立場って、ものすごく怖くて、寂しくて……。もう、不安ばっかり。運動会みたいなレースだったら別でしょうが、独走する優越感なんてまったくありませんでした」
――そうか、“寂しい”という感じなんですね。孤独感というか。
「ぼくはそれまで、追いかけることばかりやってた。それしかできないというのが“ぼくのレース”だった(笑)。だから、追いかける立場の精神状態はよくわかるし、前方の獲物を追う猛獣のような闘争心で充ちている時には、不安感なんてカケラも生じない」
――ええ。
「それに対して、追われる立場というのは、恐怖心の塊でしたねえ……。まして、首位でリードしているといっても、その差は最大で3秒ぐらいです。一回のミスで、そんなアドバンテージは簡単に失われる。シフト操作の失敗、コーナリングでのちょっとしたミス、ブレーキングでバランスが少し崩れた──。そんなことで、すぐに追いつかれるという距離(リード)です。だから、ミスをしないように! そればかり考えて、走りながら自分を叱咤するのですが……」
――同時に、自分を励ましながら?
「自分のしていることが、何か、あらぬことを引き起こすような原因になったら、どうしよう? これがとても恐かった。走りながら考えちゃうのは、そんなことばかりで」
――そうか、首位以外なら、もっと別のことを考えますもんね。
「もうひとつ恐かったのはマシントラブルです。こればかりは、ドライバーとしては対処のしようがありません。仮にクルマが壊れたとして、それがドライビング・ミスに起因するのなら仕方がないけど、予期せぬトラブルでも、けっこうドライバーの責任にされたりする。まあ、そういう世界でね。辛いもんですよ(笑)」
――スタート後に起こったことは何であれ、それはドライバーがイケナイのだと?
「そうそう(笑)。でもこの時はラスト2周になって、“俺のマシンが壊れることは絶対にない!”という自信が生まれました。そういう精神状態になれたのは、レースのスタート時、コースインする際に、メカニックと交わした言葉を思い出したからです」
「それまでは、事前の作戦通りにトップに立って、小関がフォローして……という筋書きがうまく描けていた。そこから、可能な限り後続を引き離すにはどうしたらいいか。そればかりを考えての疾走でした。小関君が何かの対談で語っていましたが、ぼくのS字コーナーなんかは『宙に浮いているかのように』走っていたそうです(笑)。でも実際にも、タイヤが地面に着いているのかどうかわからないほどに、飛ぶように走っていました」
――ははあ、“フライング・スコット”といった表現がありますが、その種の言い方というのは誇張ではなかったのですね!
「そこまで、ぼくが“飛んでた”かどうかはわかりませんけどね(笑)。でも、そうやって、必死に走ってた。それが他車をリードしたという状態で、展開が落ち着くと、今度はマシンへの不安が出て来る。それがレースです。しかしこの時は、その不安が突然、メカニックとの対話を思い出して、自信に変わった」
――その対話とは? ぜひお聞きしたいですね!
「小池君と芳賀君の二名がぼくの専属メカニックで、彼らが、ぼくのわがままなチューニング……まあ、秘策かな(笑)。そんなぼくのいろいろなオーダーにも応えて、クルマを仕上げてくれていました。彼らは、ぼくのクルマのことなら隅から隅まで知っている。その二人がレースのスタート前に、こう言ってくれたのです。『リキさん、クルマはバッチリです。絶対に大丈夫ですから』……。これを思い出すと、いまでも涙が出そうになりますね」
「終盤、2位に2秒ほど開けて首位を走ってた時、この言葉がくっきりと脳裡に浮かびました。そして、それによって、すごく安心することができた。ぼくが最終的に“勝利”というリザルトを残すことができたのは、スタート前の小池、芳賀メカニックとの“信頼の会話”があったからなのです」
日本GPのチェッカーフラッグは“責任”からの解放だった!
――そして、チェッカーフラッグへ!
「最後の周回のヘアピンでは、観客がコースを囲むように押し寄せていて、さまざまな色彩の壁ができたようでした。その壁がいっせいに動いて、同時にどよめくのを見て、優勝が近づいているのを感じました。でも、そうなると、ますます身体が硬くなってね(笑)。スプーンからバックストレート、150Rへと、頭では平常心を装っていたけど、この時は、満足な走りができていなかったと思いますよ」
「最終の右コーナー、250R(当時)を駆け下ると、今度は、総立ちの人で埋まるグランドスタンドが目に入って来る。そしてその先に、チェッカーフラッグをいまにも振り下ろすような姿のオフィシャルも見えました。この時に“ヤッターッ”という気持ちが出て、クルマの中で、思わずバンザイをしてしまいました。すぐに、“いけねえ、これは四輪なんだ”って、慌ててハンドルに手を戻したりしてね(笑)」
――ハハハ!(笑)
「ただ、優勝よりも、やっと終わった、これで務めを果たしたという安堵感の方が先だったなあ……」
――そうでしたか。このレース、あくまでも“ワークスドライバー”としての参戦だったと。そして、チェッカー後には?
「ゴールしますと、すぐに、クルマを保管するオフィシャルが駆けつけて来ます。そしてドライバーは、インタービューしてくる記者やカメラマンらに囲まれつつ表彰台に行くのですが、何がどうなっているのか、よくわからない。もう、ゴチャゴチャです(笑)。表彰台でも、ぼくは茫然としていて、あまり喋れなかったことを憶えています」
「表彰が終わるとパレードが行なわれましたが、これはショートコースを回るだけでしたので、ヘアピンを始めとする各コーナーポストから、“何でこっちには来ないのだ?”という観客の抗議がコース員に殺到して困っている様子でした。でも、もう一周するには時間がなかったようです」
――表彰台のトップ・スリーが一台のクルマに乗ってのパレードですね。
「表彰台からオープンカーに場が移って、初めて、ぼくら三人(大久保、小関、望月)の立場がわかったような具合でした。その車上で、ぼくは望月さんに、気になっていたことの“お詫び”をしました。というのは、スタート後のS字からヘアピンまでの混戦状態で、ぼくがアンフェアな走りや迷惑をかけるようなことをしたかもしれないと思っていたからです。でも望月さんは『いや、そんなことは感じなかったよ。リキちゃん、いい走り方してた、今日は負けたなあ(笑)』と……。このレースではライバルでしたけど、いかにもぼくの師匠らしいお言葉でした」
――オープンカーには、小関選手も同乗していましたよね。
「小関は、チーム(スバルというメーカーとして)の勝利を噛みしめていて、それに疲労も加わっていたのでしょう、車上では寡黙でした。だから、ぼくと彼との会話は、ただ『よかったな』程度でした」
――ウーン、チーム内での小関選手の立場が窺えるような挿話ですね。
「この第二回日本グランプリは、スバル=富士重工にとっては、先年に図らずも敗れたスズキへのリベンジというのが最大のテーマでした。そのことを、ぼく以上にわかっていたのが社員ドライバーの小関です。この時の彼は、社員として自分の責任を果たせたという、そのことだけでいっぱいだったと思います」
――なるほど。そして、ワークス・チームのドライバーとして、その責任を果たしたということでは、リキさんも?
「ええ、まったく同じです。この日のチェッカーフラッグは、勝利の喜びや嬉しさよりも、その重圧からの解放という要素の方が、はるかに大きかった」
第三十八回・了 (取材・文:家村浩明)