リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第62回
モータースポーツ顕彰碑の除幕式

顕彰碑の建立

――F1も開幕して、いよいよ本格的な2017年シーズンが始まりました。

「待望のホンダは3年目を迎え、正念場の中で苦しんでいますが、まだまだ、これからです」

――ええ、果報は寝て待て、ということで(笑)。

ところで今回は、大排気量のオンパレードになった日本GPの問題点を中心にお話頂きたいと思っていましたが、3月12日に、富士スピードウェイで行なわれた50周年記念イベントである『富士ワンダーランドフェス』に併せて、前日に西ゲート前で、歴史的な行事が行なわれました。

富士スピードウェイ西ゲート前で除幕された高さ17mの顕彰碑。

「モータースポーツ顕彰碑の除幕式ですね」

――ええ、まさしく、大排気量マシンが脚光を浴びるようになる日本GPから50年の節目にあって、この連載も50年ほど前の話になっているタイミングでしたので、なにかの縁を感じるのです。この「碑」、現代風にはモニュメントの方が解りやすいかもしれませんが、これを建設されたのはどのようなことからでしょうか。

「元々、といっても2012年に鈴鹿サーキットの50周年祝賀会を行った頃からですが、半世紀を経たモータースポーツがここまで発展し、自動車産業が日本の基幹産業になったこと、今日のモータリゼーション社会に多大な貢献をしたことを考える時、その役割を担った多くの先人の功績を何かの形にしなければならないのではないか、という意見が出始めたことが背景にあるでしょうね」

――それが顕彰碑という形に

「いきなり、そうはなりませんよ、まあ、あせらないで、そんな簡単にできますかいな(爆笑)。だから、カタチといっても何がカタチなのか難しいのです。あちこちで記念パーティーをやったらどうか、この際OB会を結成して、モータースポーツにOBならではの協力をしよう、など色々ありました。ゴールドスター・ドライバーズ・クラブの結成もその一つですよ」

――ゴールドスター・ドライバーズクラブ(※)というのは往年のチャンピオンドライバーの集まりですね。

「ええ、その結成にも紆余曲折があったのですが、まあ、どうにか固まってきましたが、やはり、それが出発点になったのは確かでしょう。そこから、記念碑のようなものが出来ればいいねーの話になりましてね。日本にも色々な記念碑がありますよね。とくに昔の軍国時代には、戦争で勝利した戦勝碑や敵陣に捨て身の突撃をした兵士を弔う忠魂碑、野口英世博士などの偉勲を讃える碑など沢山あります。でも、モータースポーツを、こういった範疇・解釈でとらえるとすれば、どういったものになるのか、いろんな議論が続きました。また、何をするにもカネの問題もありますよねー(笑)」

――なるほど、何かを記念する、先人の功績を讃える、といっても難しいものですね。

「まして、考えや意見は出せてもOBドライバーの集まりだけでは、そんな大層なこと出来るわけありませんよ(笑)。
それで、ゴールドスター・クラブの母体であるNPO日本モータースポーツ推進機構(略MSJ)の全面協力で具体的な形が見え出してきたのです。即ち、まず趣旨ですが『一つのものごとを明らかに表わし、その功績などを世間に広め表彰し、もって後世への範とし、発展を願う』[顕彰・けんしょう]を形に表わすことにまとまったのです。それには記念碑のようなもでなくても良いのです。社会の中には、何々を記念して子供達への公園を造った・町民の集会場所に会館を建てた、など沢山ありますから、1周2~3キロの走る場所、まあ、そんなこと出来ればいいでしょうねー(爆笑)。そこまではムリですから恰好良い、ドーンと存在感ある碑・顕彰碑の建設となったのです」

――除幕式当日の挨拶の中で、ゴールドスター・ドライバーズ・クラブを代表してなさったリキさんが挨拶の中でもおっしゃられていましたが、記念碑ではなく、顕彰碑と名付けられているのは、そうした意味合いなのですね。

「はい、その通りです。この顕彰碑はNPO.MSJが各方面からの賛助金で建設したのですが、ゴールドスター・クラブが企画・立案者ということで会長の僕が碑(モニュメント)の意義を除幕式の式辞で明確に表わさせて頂きましたので、その全文をお読み頂ければ有難いですね」

――その式辞内容は本稿の終わりに入れておきましょう。要約すれば、モータースポーツの発展に寄与してきた先人への功績を讃え、将来へのより一層の発展を願うということですが、リキさんたち企画者の考えは、それだけでなく、もっと広い願いをこめているようです。

「おっしゃる通りです。世界各地には、古くから伝わる石碑や記念碑が多数あって、接し方は様々ですが、モータースポーツ顕彰碑には特別なしきたりや決まり事はありません。2輪4輪の区別もありません、オンロードでもオフロードの区別もなく、モータースポーツ界すべての方々の顕彰碑です」

――この計画の話が出始めた時、ドライバー・ライダーやメカニックなどレースに関わり、亡くなられた方々を追悼する慰霊碑を建設するとの話が流れていました。

「そうなんですよ、僕らが考えもしないこと考えてくれる人、多いんですねー(笑)。確かに、レース・サーキット・碑、の三拍子揃えば世間に良くある慰霊碑や追悼碑が連想されるのでしょう、単純だね(笑)。この碑を建てるなら当然に鈴鹿サーキットや富士スピードウエイの中か、その付近が望ましいのは事実ですから、両サーキットにも相談はしました。その時も最初は慰霊碑のように思われて、ウチは要りませんって(笑)。もっとも、最初は顕彰碑という趣旨も明確ではなかったので真意を伝え、理解して頂くには時間がかかりました」

――それで、富士スピードウエイが50周年というタイミングに合わせる形になった。

「いえいえ、それも本旨ではありません。鈴鹿も理解して頂いたのですが、サーキット内には施設がギッシリ詰まっていますし、その周囲ですとサーキットには無関係な土地ですから難しいのです。そこで富士SWに検討して頂いた結果、スピードウエイの中は難しいが施設の外で富士SWの管理下にある場所なら、ということで、旧正門だった西口ゲートを出た所に建てさせて頂き、碑の管理はNPO.モータースポーツ推進機構が行うことで許可されたというのが真相です」

――モニュメントの高さは17mを越え、富士山をバックに、どーんと天にそびえる御影石の塔は壮観ですね。除幕式当日の朝は小雪交じりの寒い曇天でしたが、碑を包んだ幕を外す儀式が終わったら急に晴れ間が出て、何か神がかった感じでした。

「富士山が見える天候だと、一段とカッコ良く見えますよ、手前味噌ですが(笑)。ただ、そういったロケーションを最初から望んだわけではないのです。富士スピードウエイさんから、この場所なら使っても宜しいですよ、で建設したら日本を代表の霊峰富士山と一体の絵になる風景になっちゃった(爆笑)、ホントの偶然なのですよ。結果論ですが、日本で初めてのモータースポーツ顕彰碑が、ちょうど日本の真ん中に建ったのは偶然の重なりでもあって、富士スピードウエイの50周年に合わせたわけではないのです。お金の工面や建築材料、建築時間などの進捗で今になってしまったわけですから、それならば50周年イベントに合わせる方が双方で盛り上がるだろうということになって富士ワンダーフェスが行われる前日にしたのです」

――そうなのですね。そうなると、ここを訪れる人々の中に鎮魂のために手を合わせたいという人がいれば、それでも良いということですが、第一には先人の偉業を思い浮かべて感謝する、というようなことでしょうか。

「いえ、感謝なんかしてくれなくても良いのですが(爆笑)、まず、モータースポーツが育ってきた経緯を知ってもらえれば嬉しいな、とは思いますね。あとは、レースで勝ったことを懐かしく思い出して、新たな情熱に燃えるもよし、悔しい思い出もあるでしょう。それを次の闘志にするのもいいでしょう。編集長の言われる鎮魂や慰霊ですが、レースで亡くなった、またレースでなくてもモータースポーツで一緒だった友人家族を思い、追悼の念を表わすのも結構でしょう。その人なりの受け止め方をして頂ければ良いのです」

――それぞれの思いがここに集まっている、ということですね。富士スピードウェイの50周年であり、日本のレースも50年有余の歴史を刻んで、次の段階にステップアップするために、このタイミングで顕彰碑が完成したことは、なにか意義深いものを感じました。

劇的なイベントだった『富士ワンダーランド フェス』

――除幕式の翌日、富士スピードウェイの50周年の区切りとなる『富士ワンダーフェス』を見物しましたが、新たな世界が開けた気がしました。

「いろいろと懐かしいクルマやドライバーが集まっていましたね」

――鈴鹿サーキットには、毎年恒例になっているファン感謝デーがあります。考えてみたら、いままで東西を代表するサーキットの一翼である富士スピードウェイにそうしたイベントがなかったのが不思議なくらいです。

「確かにその通りだね。単にノスタルジーに浸るのではなく、歴史を積み重ねてきた人たちやマシンの意義を見つけて欲しいですね」

――今回のイベントが、富士スピードウェイの50周年の区切りのイベントという言い方もありますが、せっかく『富士ワンダーランドフェス』という名前を着けたのですから、ここをスタート地点にして、新たな段階に進み始めた、と思ったのですが、いかがでしょうか。

「なるほど、そうありたいですね。鈴鹿では春先のファン感謝デーとは別に、モーターレーシングのレジェンドシーンを再現する英国のグッドウッドフェスティバルを範とする“サウンド・オブ・エンジン”というイベントをレースシーズン終りの秋に継続開催されるようですが、富士SWや他のサーキットでも、そこなりの工夫で開けたら楽しいでしょうし、モータースポーツへの認識も変わってくるでしょう」

――今回の富士もそうでしたが、実は、日本各地に、日本のモータースポーツのシーンを飾ったマシンが埋もれていまして、こういった披露する機会を、そのオーナー筋や関係者が知れば、それがモチベーションになって、埋もれている文化遺産とも言える歴史的なレーシングカーがレストアされて披露される大きなきっかけになると思いました。

「富士スピードウェイには、是非とも継続をお願いしたいですね。とはいえ、今回は、1976年に初めて富士スピードウェイで行なわれたF1の再現ということで、海外からロータスやマクラーレン、フェラーリを招聘して大変だったでしょうから、そこまで大がかりにしなくても良いでしょうし、とにかく継続して欲しいですね」

――テーマはいくらでもあると思います。ある時は、ワークス活動をしていた三菱自動車、これは若いファンはほとんどその存在さえ知らないと思いますが、だからこそ、そこにスポットライトを当てるということでもいいでしょうし、今回、主役ではなかった1960年代から1970年代、まさに今、マイワンダフルサーキットが差しかかっている時代もテーマにしてほしいですね。FJ360やFL500などが一堂に会するというような企画も楽しそうです。

まさに顕彰碑ができた時に、『富士ワンダーランドフェス』が行なわれた、というのはなにやら天の啓示ようなものさえ感じました。

「そりゃまた大げさだけれど、顕彰碑が、そうしたことも含めて役立では嬉しいですね。富士SWに来た時、あるいは近くを通りかかった時、スピードウエイの西口ゲートに寄って下さい。富士山が見えている時など、このモニュメント前に立ったカッコいい写真が撮れますよ」

――ということで、次回は日本最後のビッグマシンの対決、1969年日本GPへと話を戻し、私が憧れたシーンの話や、その裏ではどんな問題が繰り広げられたのか、いろいろな出来事をお聞かせください。

「了解しました」

第六十二回・了 (取材・文:STINGER編集部)

制作:STINGER編集部
mys@f1-stinger.com

※ ゴールドスター・ドライバーズクラブofジャパン
Gold Star Drivers Club of JAPAN

50有余年の歴史を持つ日本のモータースポーツの創世記から、最前線で戦ってきた歴史に名を残すべきドライバーが、誇りを持ち、輝かしい栄光と培った経験と見識を活かして、モータースポーツの社会的評価をさらに高め、発展させることを目指して創設されたドライバーのメンバー組織。リキさんが代表を務める。

顕彰碑除幕式式辞 モータースポーツ顕彰碑建設に寄せて

「本日かくも多数の方々のご参加を頂き、ここに「モータースポーツ顕彰碑」の建設除幕式を執り行う運びとなりましたこと、心からお慶びと御礼を申し上げます。

 皆様ご存じの如く、日本における自動車レースが始まって既に五十余年が経過しましたが、今日のモータースポーツの国際レベルへの向上は同時に日本の自動車産業が世界的に躍進した姿そのものであります。この様に自動車産業に及ぼした自動車レースの意義とその歴史を振り返る時、各方面より、今日のモータースポーツ界を築いてきた先人の功績を讃え、斯界尚一層の発展への願いを何かの形で表したいとの声が高まって参りました。
 この熱い熱い要望を基に、ゴールドスター・ドライバーズクラブが企画/立案しましたのが、広く世間に功績を知らせ、将来へる躍進を願う、即ち[顕彰]を表す顕彰碑の建設でありました。然しながら、その実現には多くの課題が山積みしましたが、NPO法人・日本モータースポーツ推進機構殿の呼び掛けによる各分野からの浄財をもって、静岡県お山街殿及びに富士スピードウェイ殿の暖かいご理解の下、当顕彰碑の建設をこの地に定めることが出来た次第であります。

 日本のみならず世界各地には、太古の石碑に始まる記念碑など多種多様な[碑]モニュメントがあり、それへの接し方も様々ですが、「モータースポーツ顕彰碑」には特別な“しきたり”や“決まりごと”はございません。また、二輪四輪、ロードレース、オフロード等の競技種目、ドライバー、メカニック、オフィシャル、スポンサー、観客ファンなどの区別もなく、モータースポーツ関係総ての方々の顕彰碑であります。
 当顕彰碑を前にして、レースで勝利した往時を懐かしく思い出し新たな情熱に燃える人もいるでしょう、悔しい気持結果を次の闘志にするのも、今は亡きチームメイトへの哀悼も、迫り来るレースへの必勝祈願を、レーシングテクニックの向上を願うのも、日常のライディング/ドライビングの安全を、などなど、その人なりの思いや考えで接していただきたいのであります。
 茲に当顕彰碑がモータースポーツの新たなモニュメントとして、競技関係者ならびに斯界を支えて下さるファンの皆様夫々の思い、願い、期待、感謝、誓い、反省などの心が刻まれる存在となりますことを、切に祈念するものであります。

平成二十九年三月十一日

日本モータースポーツ顕彰碑 企画/立案者
ゴールドスター・ドライバーズクラブ 会長 大久保 力


書籍カバー
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