◆スピードカップレース
――さて、三菱を含むバラエティーに富んだマシンが、1968年日本グランプリの『スピードカップレース』でどのようなレースを展開したのでしょうか。特に日本スピードカップという何か軽快で斬新なレースのイメージですし。当然、主催者としても前回との違いも出したいと思ったのではないでしょうか。
「そうですね、名前負けしない内容でないとね。まあ簡単にいえばフォーミュラカーによるレースらしいレベルになってきたかなー、といったところでしょうか」
――そうなのですね!!
「ええ、前回との大きな違いは周回数20周から30周へと長距離になりましたね。これは結構大変な変更でね、鈴鹿からのシャーシーは1000ccのF3用が多いですから、このシャーシーに付けられている燃料タンク容量は小さくて、1000ccエンジンなら燃料が保つと思いますが、1600ccエンジンを積んだ場合30周は走れず、レース途中の給油は禁止ですから容量の大きいタンクに作り替えする必要があるのです」
――なるほど、そういう苦労もあったのですね。
「そういったことや自動車専門誌のF1記事も多くなり、鈴鹿保有のシャーシーの話題もあったりして、それまでのフォーミュラカーに対する扱いがかなり厚くなったことも背景にあったでしょう」
――参加者は当然に増えた?
「ええ、何だかんだで22〜23台のエントリーですね。前年初披露の三菱が改良のコルトF2Bを4台、ドライバーは前年優勝の望月修と2位の益子治、その他に長谷川弘、加藤爽平の布陣です。三菱の一番大きな改良はやはりエンジンでしょう。前年初開発の4気筒エンジンはDOHC4バルブの本格的レーシングエンジンです。3000ccもOKながら、外国からの参加はありませんが、欧州のフォーミュラカーレースに出ていた生沢徹君が急遽帰国して、タキ・レーシングが鈴鹿から購入のブラバムBT16フォードロータス1600cc(前出の中村正三郎マシンと同)での参加が決まり、コルト安定とはいかないような前評判に注目度は高まったですねー」
――そうなると新鋭三菱にF2世界を牽引する名マシン、ブラバムフォードロータスや同じシャーシーのフォード・コスワースなど堂々のF2レースで。
「そう、3000ccは要らなかった(爆笑)。レース結果は下記にある通りですけれど、ポールポジション争いはコルトF2Bの益子治の1分57秒22とブラバムロータスの生沢徹の1分57秒64、1位益子との差は0.42秒!! それに加藤爽平の1分59秒30と望月修の2分0秒69の4者の争いでレースがスタートしました。この四者のトップ争いが暫く続き、生沢が首位に立ち2位の益子、3位の加藤に約1分の差をつけた生沢が、ゴールへの10周余辺りでエンジン不調。彼のピットインの間に益子、加藤が首位に立つかにみえたものの、生沢がコースに復帰、だが2位に大きな差をつけていたタイムを失った生沢のマシンは、燃料が順調に送られないガス欠寸前の状態では加藤の猛追撃をかわし切れない。更に益子にも抜かれ3位でのゴールでした」
――目が離せない展開だったのですね。
「しかし、不運とは続くもので、生沢は、ピットロードで立ち止まった際にエンジンを停止させなかった違反でペナルティーで4位に降格、三菱の圧勝という形で終わったけれど、三菱のマシンは30周(180km)を走り切れる100リッター近くの大容量ガソリンタンクをつけていたのが勝因のようでしたね」
――やはり地元メーカーの強みはこうゆうところに現れるのでしょうか。ワークスの強さと大小混走のレースでは主流の1600ccF2が上位になるのは当然のようですが、鈴鹿からのシャーシーを使用のマシンで特別なことはありましたでしょうか。
「それは大有りですよ。レース結果表にもある通り1000ccエンジンのブラバムBT16フォード・コスワースF3(米山二郎)が4位ですし、同じくニッサンサニー1000ccエンジンのF3(故・鈴木誠一)が6位など、1000ccエンジンといえども本場のF3シャーシーの高いポテンシャルを目の当たりにしますと、ジャック・ブラバムさんがホンダ1000ccエンジンで連戦連勝した事情が呑み込めます。それと、生沢君のガス欠、基本的にはBT16の燃料タンクは30リッターだから、可能な限り容量の大きいタンクに代えたのだろうけれど、技術面低いプライベートチームの悲劇だったですね」
――三菱の優勝は当然としても、欧州のF2世界に通用するまでに育ったのでしょうか。それと日本GPのビッグマシンにとって代わる兆しというか素地のようなものはどうなんでしょうか。
「この時代のF2マシンを比較する多くは、やはりシャーシーはブラバムやロータス、エンジンも英国フォードの1600ccをベースにしたコスワース、ロータス、コベントリークライマックスなどなどのチューニングエンジンのポテンシャルなどで、あれは、どこどれが強いけれど、何々には弱いなど、レースでの実践結果での評価が多く、どこのコースを何秒で走るから強いとかの計数的評価は二の次なんですね。だから三菱が未だ日本国内だけですから、前に話したように三菱500の時代、そして日本にレースなんて無縁だった時代、率先して海外のレースに出たようなことはしていませんから〝まあ、そこそこ闘えるんじゃないかなー〟程度しか解りません。ただ前年のF2一号車で望月修のベストラップは、2分5秒59、時速171.9km/hから、このレースで益子治が1分58秒15、時速182.8km/hと、11km/hも速くなったのは驚異的です」
◆フォーミュラカーのポテンシャル
夜明けを迎えた日本のフォーミュラカーレース。1968年日本グランプリの『スピードカップレース』は、三菱ワークスの参戦もあって、大きな注目を集めた。
――具体的なデータを比較するとフォーミュラカーのポテンシャルが見えてきます。
「既に前のストーリーにありますが、この年の日本GPはニッサンが5500ccシボレー・エンジンを使い、大金叩いたローラやポルシェがビッグマシンへの咆哮を始めた時の優勝者・北野元君(ニッサンR381シボレー5500cc)のベストラップが1分52秒81、時速191.4km/hには及ばないというか比較すべき合理的理由はないけれど、1600ccとは思えないフォーミュラマシンの速さや俊敏なコーナーリングに、新たな魅力を持ったファンが増えたものと思いますよ。下記にスピードカップの結果を記しておきますので全貌が解るでしょう」
1968年日本グランプリ:スピードカップレース(30周)結果
1. 加藤爽平(26) コルトF2B(三菱F2B)三菱R39(1597cc)1h02'20"56
2. 益子 治(31) コルトF2B(三菱F2B)三菱R39(1597cc)1h03'24"34
3. 浅岡 重輝(26) アロー・ベレットF2(ブラバムBT16)いすゞG161W(1585cc)1h02'52"92
4. 米山二郎(23) ブラバムF3(ブラバムBT16)フォード・コスワース(998cc)1h03'17"90
5. 中村正三郎(33) ブラバム(ブラバムBT16)フォード・ロータス(1594cc)1h03'18"21
6. 鈴木誠一(30) サニー・ブラバム(ブラバムBT16)ニッサンA10(988cc)1h03'34"36
7. 中島逸郎(38) ブラバムF3(ブラバムBT16) フォード・コスワース(1000cc) 1h03'44"55
8. 須田 祐弘(22) ブラバム・コスワース(ブラバムBT16) フォード・コスワース(1000cc)
9. 小関 典幸(28) 上州F-3国定(JAC小関SPL) 富士重EA53(1000cc)
10. 長谷川弘(34) コルトF2B(三菱F2B) 三菱R39(1597cc)
11. 黒澤敬次(31) デルクロベットMK1(デル) ニッサンR(1900cc)
12. 前中禮宏(24) デルクロベットMk5(デルMk3) マツダ10A(952x2x2)
13. 粕谷純一郎(25) デルクロベットMk6(デルMk) ニッサンG15(1800cc)
14. 寺西孝利(34) サニーブラバム(ブラバムBT16) ニッサンA10(988cc)
15. 片桐昌夫(29) カタギリSPL(ブラバムBT16) 三菱R28(998cc)
----以下、リタイア
16. 望月 修(37) コルトF2B(三菱F2B) 三菱R39(1597cc)
17. 小林元芳(24) デルクロベットMk3(デルMk4) トヨタ(2599cc)
18. スパルト・スヤトモ(26) PARTO HINO(デルMk3) 日野(1300cc)
19. 内田則子(28) デルクロベットMk2(デルMk3) 日野GR100(1251cc)
20. 伊藤富太加(26) 東京サーキットSPL トヨタ(2599cc)
21. 波嵯栄菩武(29) ロータス31(ロータス31) 997
22. 桜井祥智(34) 大木戸SPL 2599cc
23. 生沢 徹(26) ブラウンベアSPL(ブラバムBT16) フォード・コスワース(1587cc) 失格
※ピットストップ時にエンジン停止をしなかった。
優勝スピード(加藤爽平)173.23km/h
最高ラップタイム(益子治)1'58"15(182.81km/h)
◆二つのGPレース
――要は、やがてビッグマシンが自滅し、その後継イベントに代われるポテンシャルを示し、フォーミュラカーレースはステップアップしていくのですね。
「それと特筆すべきは、グループ7規定のマシンよるレースは大メーカーや資力あるチームが輸入する高性能マシンによって迫力あるレースを展開しました。その影響は街のコンストラクターや個人レベルのチームがホンダS800やサニー、コロナなどのエンジンを使って小型レーシングカーを製作しレース参加する底辺の拡大に及びました」
――レースというのは上級クラスの形態による影響が強いですね。
「その通りですが、反対に上級クラスが低迷し出すと底辺というかホビーとしてのレース活動も萎縮するものなんです」
――確かに2座席小型スポーツカーのレースも少なくなったようですが、フォーミュラカーレースの格上げはどんな影響をあたえたのでしょうか。
「先に述べた鈴鹿サーキットのフォーミュラカーシャーシーの放出、まあ売却ですが、前年(1967年)の秋頃にあったと記憶していますが、これはフォーミュラカーレースが格上げされ本格的なレースになることを期待もしたでしょう。そういった新しい流れに敏感ですから小型7レーシングカーのコンストラクターだけでなく、新たなプライベートがF1、F2、F3といった国際規格、即ちJAFの車両規定にないフォーミュラカーの製作が広まりだすのです。ちょうど日本のモータリゼーションが順調に普及し始め、クルマのある生活の牽引役というか最初のマイカーに適した軽自動車が段々とセカンドカー的な存在になってきて、廃車や中古になった軽自動車のエンジンや足回り部品を流用したレーシングカーが考え出されるのです。とくにグループ7よりも一人座席(シングルシート)のフォーミュラカーが製作しやすいことや、本物のF2やF1の気分にもなるのでしょう、またたくまに人気のカテゴリーになっていきます」
――軽自動車のエンジンを使ったFJ360やFL500ですね、僕も夢中になっていました。
「ほー、編集長も興味があったのですね。次回は、軽自動車のエンジンを使ったフォーミュラカーについてお話しましょう」
第七十一回・了 (取材・文:STINGER編集部)制作:STINGER編集部
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