鈴鹿から富士スピードウェイに舞台を移した日本グランプリは、フォーミュラ・カーのレースとして1972年に2回目を迎えた。ここで舞台は、6kmのフルコースから4.3kmのショートコースに移された。
◆1972年日本グランプリで、安定したフォーミュラ路線が敷かれたのか!?
-----フォーミュラカーによる日本GPが、ようやく2回目となりましたが、このカテゴリー普及に格段の情熱を注いだリキさんにとっては、感無量だったのではないでしょうか。
「ええーっ!! 感無量って、どんなことで?」
----富士スピードウェイで最初の30度バンクを持つフルコースから、右回りの4.3kmと舞台が変わる中で、日本のレースの将来を考えられていろいろな活動をされていた、ということで。
「あはは、まあ、そういわれて悪い気はしないし、一時期のモンスターマシンの徒花が枯れて、モーターレーシングが常道を走り始めた感じではあるけれど、フォーミュラの2回目のGPもおかしい内容になっちゃって、一体どーなってるんだか?、ってね」
----えっ、どうゆうことなんでしょう?これは捨て置けない話ですね!!
「前年に続いて、“次のGPもフォーミュラで行こう”、ということになって、あ〜、これで落ち着くのかなー、という思いがあったけれど、“継続への安堵と不安”が入り交じった四つの課題がありましたから」
----え、順風万帆だと思っていましたが。
「物事はそう簡単にはいかんのですよ(笑)。まずその1は、通常の6km右周りではなく、4.3kmの左回りで行なう規定になってしまったのだけれど、その理由も何が何だか解らない」
----要は1コーナーのバンクを使わないで右ヘアピンでS字の出口に合流するのがショートコースですね。その“右回り”と、反対に周回する“左周り”がありました。大きなイベント以外のレースでは、その“ショートコース”のレースが多くなってきていましたが、グランプリとなると、そう簡単にはいかない、ということでしょうか。
「編集長だって、そうゆう気があるでしょう、6kmと4.3㎞では、見る側の迫力も違います。ただレースの種類が多くなって小排気量や小さなホリデーレースなどでは4.3kmを使うことが多くなってきたので、それが悪いということではないけれど、全日本選手権などの規模では6kmが普通なのです。ましてGPの名称を付したイベントは初めてなのです」
----確かに、当時の我々の見方も、“6kmフルコースの方が格上”みたいなイメージがありました。4.3kmショートコースが使われるようになったのには、いろいろな理由があるのでしょうけれど、たとえば、コース料金がフルコースよりバカ安いとか(笑)。
「当然、安くなるでしょうけど、バカ安いかどーか(笑)、それなりの事情や理由が分らないのです」
----でもリキさんはエントリーしていますから、その辺の“事情”も、御存じだったのではないのですか!?
「いえいえ、とんでもない、GP規則書見てから知ってね、ビックリしたなーもーって感じ(爆笑)。4.3㎞左回りは1966年に、インディの日本版で、コースオーナーも考えたことがない使い方が編み出されたくらいだからね。それから何年かして、このストーリーの87回でも細かく述べているけれど、小排気量車レースが増えるにつれてショートコースが使われることが多くなったのは結構だけど、GPまでもこうなるとは思ってもいなかったなー」
----1968年でしたか、アメリカン・セダンに倣ったストックカーレースが、最初から4.3㎞ショートコースで、日本カンナムのサポートイベントで始まりましたが、スタンドからみると、いつもの6kmフルコースなら左側の100Rから出てくるクルマが、反対側の右から現れるのがとても奇妙な気がしました。
「大方の、それも名だたるレースは6kmフルコースが当然だけれど、一つ良い意味で、こんな解釈ができますね」
----リキさんが、“良い意味で”なんて御説は、初めてじゃーないですか!?(笑)。
「あのねー、僕だって嫌みや辛口ばっかじゃないんですよ、オトナだから(爆笑)。ともあれ、フォーミュラカーレースが始まった、国際格式では外国からの参加も多くなって行くのだけれど、彼らから、1コーナーバンクへの苦情や不平が結構多かったのは事実です。我々日本のドライバーは、富士ができて以来、“バンクは当たり前”っていうか、慣らされちゃったのか(笑)。どう走るかもテクニックのひとつだ、なんて声もあったりしてね(笑)」
路面がうねりが外国勢を泣かせた。写真は、バンクを駆け下るサポートレースのTS-b。
-----お〜、そうだったのですね!
「オートバイなんか右に倒した車体が跳びはねながらバンク下ってくるんだから(笑)、テクニックだかクソ度胸なんだか(爆笑)」
----バンクというのは、富士スピードウェイができる前から外国のコースにもありましたが、富士スピードウェイは、入り口が下りながらバンクに飛び込む。言ってみれば常識外れで、慣れるのは簡単ではなかったでしょうから、彼らの心情よく解ります。
「うん、そうなんで。彼らにとっては、要はバンクそのものでなく、そこの路面の問題もあったでしょう。何せ、1.5kmの長いストレートを走ってきたマシンが1コーナーに突入するやいなや、車体はいきなり右に傾き、左側に凄いGで押しつけられ、遙か遠くの右コーナーを“見上げながら”傾斜30度のバンクを下っていくんだけれど、バンクの傾斜面とコースの路面が凹凸な個所がいくつかあってね」
----優に200km/hを超える速度で、ですね!!
「そう。そこのギャップに乗ってしまうと、マシンはグヮンッ、グヮンッと激しい衝撃受けて、ステアリングに全神経を集中し、渾身の力でステアリングを握って進路を維持しなければならないのです。それだけじゃなくて、マシンが上下に跳ねて車体の底部が路面にぶつかりマシン破損やコースミスするトラブルが結構多いのです」
----想像を絶する怖さですね。
「そもそもこのコースを造る時に、30度という傾斜面の舗装が固まっていく間にうねってしまったという話もあったのだけれど、改修には大変な費用がかかるというとこで、再三の補修要望も届かず。いつの間にか、その“うねり”の個所を逆利用のコース取りや、そこを避けるラインなどなど、様々な方法が編み出されたりしてね(笑)。慣れている日本のドライバーはまだしも、外国のドライバーにはきつかったでしょうね」
----確かに、そのお話を裏付けるように話がありました。慣れれば通らないラインを走ってしまうと、コースアウトやマシン破損につながるなんて、外国ドライバーにはたまったもんじゃなかったでしょうね。
「それでも外国のトップクラスは速いけれどね(爆笑)」
----あ、確かに、1970年JAF GPウィナーのジャッキー・スチュワートは速かったですね!!
「それと、フォーミュラカーというのは車体が極端に低く、500㎏に満たない車体を支えるサスペンション(四輪の緩衝装置)は結構柔らかいので、車体がバウンドで路面に接することもある。だから、バンクでの上下動では殆どのドライバーが経験していますよ」
----そういったコース事情から4.3㎞ショートコースに変更したということなのでしょうけれど、やはり6㎞コースでの迫力が欲しいですね。
「まあ、コース変更が原因とは言い切れませんが、前年(1971年)からフォーミュラカーでのGPが発足し、20台もの参加があったのだから、この程度の台数が見込めるものと期待していたのだけれど、意外に低調で、それには第二の課題が関係してくるのです」
----具体的には?
「欧州でも本格的な流れになっていない新F2規定(1600cc→2000cc)を先取りしたレース開催規定は、日本GPに影響していないのか、その他にも第三、第四の特筆すべき事項がありますから、それを織り交ぜながら、まず、1972年日本GPの参加と予選状況を見ていきましょう」
第九十三回・了 (取材・文:STINGER編集部)
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