リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第96回
第95回 第96回 日本の転機になる要素山盛りの1972年日本GP

1970年を境に、日本の自動車レースの中心として君臨した『日本グランプリ』は、大排気量のビッグマシンからフォーミュラカーの闘いに移行し、1971年にジャッキー・スチュワート、1972年にジョン・サーティースというF1ワールドチャンピオンが参戦して行なわれた。特に1972年日本グランプリは、参加台数こそ少なかったが、その後の日本のレースのターニングポイントとなる史実が山盛りのレースだった。

----前回の第95回の最後に、ジョン・サーティースが参加した1972年日本グランプリに、私が特別な思い出があるという話をさせていただきました。

「そうでしたね。しかし、急にそこで、日本のレースがまともな方向、つまりフォーミュラ路線に向かった訳でもないのだけど、編集長の特別な想いというのは?わかんないなー」

----大排気量マシンで活躍したワークス・ドライバー達が、大挙して参戦し、メインレースを食う大物ドライバーぞろいのサポート・レースが主役に見えていましたから。

「見る側からすればその通りだったでしょう。しかしそれより、前年の1971年のジャッキー・スチュワートに続いて、同じくワールド・チャンピオンのジョン・サーティースが参戦した1972年日本グランプリのメイン・レースが、フォーミュラ路線への道筋を明確にしたのでしょうね」

1972年日本GP優勝のサーティースTS10

カーグラフィック誌に掲載された、1972年日本GP優勝のサーティースTS10。イエローに黄色い矢印のストライプが入ったマシンのキャプションに、マネージャーを努めたホンダの中村良夫さんと、右端にそのお嬢さんが写っていると書かれている。お嬢さんのとなりの学生服が実は!?

◆日本で急浮上したフォーミュラカーの意識

----いま振り返ると、そういう流れでしたが、私自身は、ニッサンGT-Rとマツダ・サバンナRX3が壮絶なバトルを展開したツーリングカーが面白くて、オーバーフェンダーを着けて迫力満点だったセリカやカローラというファミリー・カーも、興味津々だったものですから。

「観客の多くがそうだったかもしれませんね。ビッグマシン時代にトップを争った主なドライバーがこぞって参戦していましたから」

----でも、メインレースはただのメインレースではなく、実は、日本の歴史の中では重要なレースだった、という気がしてきました。

「お~、編集長もやっとそこまで理解が進みましたね!(爆笑)」

----(笑)。当時は、F1はおろか、フォーミュラカー自体の存在があまり意識の中になかったものですから。

「じゃあ、フォーミュラカーでマカオGPに出ていたボクなんかわかんねーわけだ(笑)」

----あ、もちろんそれは存じあげておりました!(笑)。リキさんのマカオや、生沢徹さんのヨーロッパF3を、専門誌で夢中になって読んでいましたから。

「そういう時代を経て、日本にフォーミュラカーが少しずつ知られて行ったわけです。私もマカオに出ていたことで、日本のファンにフォーミュラカーを広めるお役に立てたのではないかと自負しています」

----おっしゃる通りでした。で、1972年日本グランプリを迎えるわけですが、実はこのレース、私にとって思い出深い理由は、ツーリングカーの壮絶なバトルや、サーティースの登場だけではなかったのです。

「特別な“何か”があったワケですね(笑)」

----そうなのです。その時は大学の自動車部に入っていたのですが、駐車場整理のアルバイトを自動車部の活動としてやりまして、駐車場整理の仕事は朝のうちに事実上終わって、当時は、パスの種類もそれほど多くなかったこともあって、駐車場整理のパスでピットやパドックまで入れたのです。

「おー、それはそれは、中々できない経験ですよ」

----パドックまでは、すでに1969年日本CAN-AMの時に体験していましたが、常人には入れないピットは聖域でした。黄色に青のストライプが入ったサーティースが乗ったサーティースTS10-BDAも間近で拝むことができました。

「なるほど。それはいい思い出ですね」

----当時の自動車雑誌に、サーティースのピットの写真が掲載されたのですが、隅っこに、学生服姿の私が写っていたのが自慢でした。おっと、思い出に耽って脱線しました。

「あはは、いつものことですから、大丈夫(爆笑)」

----すみません!(笑)。そのメインレースですが、参戦されたリキさんからはどんなレースだったのでしょうか。

「前号や前々号とダブる話も出できますが、大きな話題となったオイルショックの第一波の直後の春に1972年日本グランプリが行なわれました」

----公害問題が元で、自動車の排ガスが問題視された頃ですね。この年の日本の自動車レースはどんな状況だったのでしょうか。

「当時は、オイルショック、といっても生活に直接影響があったわけでもなく、世論はピンときていなくて、多くの人たちは、“なんだろう”と思うだけで実感がなかった。その状況で1972年の日本GPが行なわれました。オイルショックが実感としてと大騒ぎしたのは、その翌年からですね」

----スーパーマーケットがトイレットペーパーを山のように抱えた客でごった返したニュースがありました。

「アラブの産油国が石油の生産を削減して原油価格の大幅値上げを実施してオイルショックが起こるワケですが、1973年の秋口に、中曽根前首相が行なった演説内容を、マスコミが、“石油が輸入制限を受けると、紙の減産にもつながってしまう”と短絡的に伝えたのが混乱の源になったと言われていましたね。これは紙の乾燥用に使われていた石油が減ると、製紙業の効率が落ちるからトイレットペーパーがなくなる、ってね(爆笑)」

----うちのトイレにも、トイレットペーパーが積み上げてありました(笑)。

「ボクの所だって、レーシングチームは会社組織だから飲食店も経営していて、ピッザの小麦粉が買い占めかホントの原料不足か、高くても仕方がないけど売っている店を、ボクがあっちこっち探し回ったよ(笑)。これじゃあ産油国から届いていた石油が1/3くらいになってしまうということで、当時の三木首相がアラブの産油国を歴訪して、原油を売ってくれーって、お願い行脚したくらいだから、拍車がかかっちゃった」

----オイルショックの影響で、1972年の日本グランプリのメインレースの参加台数が前年の20台から13台に減ったのかと思っていましたが、そうではなかったのですね?

「オイルショックの影響が無かったわけではないけれど、エントリー台数が減ったのは、それ以外の情況もありました。前にも話しましたが日本GPは1600ccF2のエンジン規定が、翌年から1600ccのままか2000㏄になるのか、フォーミュラカー本場の欧州でも決めかねていて、エンジンを買い換えるにも判断できかねる状況がありましたからねぇ」

----あっ、それで主催者は、グランプリのタイトルに見合うレースにしたくて、客寄せのためにサーティースを招聘したのですね!

「いやーそれは違うねー。詳細はボクだって知りませんが、二輪も四輪も世界チャンピオンを獲得したサーティースさんは引退後、ちょうどF1チームを立ち上げたばかりで、その初代マシンだったサーティースTS09をF2用にスケール・ダウンしたTS10を完成させて、走るレースを探していたようなのです」

----お~っ、ちょうどそのタイミングで1972年日本グランプリがあった、と!

「自分が開発したマシンを日本にも売り込みたい、という考えもあったでしょうが、タイミング的にはそういうことだと思います。エンジンはブライアン・ハートがF2用エンジンでは初めて手がけたBMWの2000㏄ですが、前々年(1970)のマカオGPをぶっちぎりで優勝したデュエター・ケスターが使ったBMW2000ccエンジンへの対抗があったかもしれません」

----F2のエンジン規定が変わることは、そんなにも大きな影響だったのですか。

「そのマカオへD・ケスターが持ち込んだBMW2000ccエンジンは、F2規定改定を先取りしたプロト的なものではなかったかと推測しますが、元々、マカオのレースを確立させた有力な主催者幹部の力が規定や運営方針に影響することが結構ありましたよ」

----でも、それがレース以外に波及するようなことではないでしょうに。

「いーえ、マカオというか、実際にこのレースを牛耳っているのは香港の有力者で、自動車輸入の大元デーラーで、その営業範囲は東南アジア全域に渡っていますからマカオでの成績は大変なコマーシャルなんですよ」

----日本も当初は、そういった傾向がありましたが

「それで、いずれF2規定が変わるとしても、多くが新規定に沿うエンジンが手に入らない状況では、現状の1600ccを中心とすべきの方が正解でしょう。それを無視してBMWの2000ccをOKしちゃったから大問題。多くのチームがボイコットに走りましてね」

----それでも方針は変わらなかった?

「BMWのドュエター・ケスター以外、10台近くのフォーミュラカーは全部現状の1600ccで1970年のマカオGPはスタートしましてね。案の定最初からケスターがぶっちぎっちゃって、1周のラップタイムが1600ccより5秒近く速いのだから話になりませんよ。幼稚園の運動会に中学生が入ったようで(笑)」

----へー、そんなにも違いますか。

「だから唖然としたのはレース関係者よりかコース沿いに陣取った一般観客で、彼らのブーイングは凄かったらしいですよ。こっちは走っているから聞こえないけど(笑)」

----さすが歴足あるレースは雰囲気もちがいますねー

「いえね、そんな高尚な話でなく、マカオとなればカジノが看板、バクチの国でしょ。自動車レースは関係ないけれど、見物の市民や観光客なんかレースも隠れたバクチ対象なんだね、だから、一人だけぶっちぎりのレースなんて賭けの対象にならねーって帰っちゃう(爆笑)」

----F2エンジンが、どんでもない方向に波及するなんて、やはりマカオのレースはフツーじゃない(爆笑)。それで、まともな話に戻しますが(笑)サーティースが搭載したハート・エンジンはコスワースがベースで、1600㏄の拡大版だったのではないでしょうか。

「あのエンジンは、ボワアップしても1800㏄が限界だったようで、強力な2000㏄推進派だったBMWに対処すべくブライアン・ハートが2000㏄エンジンの開発に着手していて、サーティースのマシンに積まれたエンジンは、その最初の一基だったという想像が堅いようです」

----そうした流れの中で、三菱は、ワークスでの参戦をしていません。

「これは他の自動車メーカーがこぞって排気ガス対策に専念ですから三菱だって国内レースに参戦どころじゃーない。だから前年優勝のマシンを改良したい、とくにシャシーの改良は絶対必要だったでしょうが、それにかかれない。その代わりに、外部の優良な若手ドライバーにエンジンを供給したらどうかの考えがあったのでしょう。

ボク自身は賢明な手段であったように考えていますが。将来的には、R39Bを量産化して、プライベーターへ広く供給することを考えていたのだと思います。R39Bはパワー的には悪くなかったのですが、重量の重さが苦しいところだったようで、鮒子田寛、田中弘、高原敬武、漆原徳光の4人に、R39Bを貸し出したのは、この先の足掛かりだったのでしょう」

----エンジンが重くても、パワーで最高速を稼げるので、あわよくば、という優勝への思いもあったのでしょうか。

「そう思いますが、事前のテスト走行で、その考えがまったく外れていることが分かったのです。サーティースが1周で2秒も速かったのは、その辺りの違いだったでしょう」

----えっ!大メーカーが総力の開発エンジンでも市販車ベースのエンジンに適わない、、。

「エンジンなのか車体なのか、その両方なのか、そしてドライバーなのか、速さの理由は一つ二つではありませんが、大きな差がついたのはびっくりでしたが、三菱の人たちも、まさか、の思いがあったでしょうね」

----しかし三菱R39B貸し出しの流れは、その後に隆盛を究める富士グランチャンピオン・シリーズへの供給という形につながるのですね。

「この前年の1971年に、富士スピードウェイで人気シリーズに成長する富士グランチャンピオン・シリーズが始まっています。ニッサン・ワークスで1960年代終盤に活躍した高橋国光、北野元、黒沢元治のニッサン三羽がらすが参戦したり、ヨーロッパでF3に参戦していた生沢徹がエントリーするなどで話題を呼んで、富士スピードウェイのメインはそちらになっていきました」

----通称“グラチャン”は、私も大好きなレースでした。高校生の頃から、クラスの半分以上が高橋国光という名前を知っていました。

「富士はその方向に進みましたね」

----一方で、フォーミュラカーのレースは鈴鹿に舞台が移って行ったような気がします。

「そうなのです。富士スピードウェイは、経営上も日本GPばかりに期待するのでなく富士SW自身のイベントを創出しなければならない時期にきていたのは事実ですから。意図的ではないでしょうが、この方向が富士のグラチャンと鈴鹿はフォーミュラ路線へと進んでいく流れができたようです」

----不思議なのは、鈴鹿がフォーミュラ路線に向かったのに、日本初のF1が富士スピードウェイになったことでした。

「げっ!すっげー“やぶにらみ”だなー(大々爆笑)。そうゆう見方は編集長でなきゃできないね(爆笑)。まっ、その辺りは置いといて、1972年日本GPの内容は、下の予選と決勝の結果をご覧頂ければ良ーく解ります」

 

1972年日本グランプリ参加者・予選順位
(5月2-3日/富士スピードウエイ4.3㎞ショートコース)

 

1972年日本グランプリ決勝結果
(5月2-3日/富士スピードウエイ4.3㎞ショートコース)


第九十六回・了 (取材・文:STINGER編集部)

制作:STINGER編集部
mys@f1-stinger.com


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