フェラーリはF1を辞めるのか!?
60年という歴史の重みがある。
12日の、”マラネロ会議”で、フェラーリが2010年に、場合によってはF1撤退であることが決議され、このニュースが世界を巡っている。フェラーリはF1を辞めてしまうのだろうか。
フェラーリは、正式にFIAに対して文書を送った。内容は、「現在予定されているルールがこのまま実施されるなら、我々にとってそれはF1ではなくなることから参戦の意味をがない」というものだ。
文書の目的は、ふたつあると解釈できる。ひとつは、酷いルールーなので反発して辞めることを伝えるもの、という解釈。そしてもうひとつは、辞めたくないのでルールー換えて欲しいと提案するもの、である。通常のニュースは、前者として扱われることになりがちだ。話は面白い方がいい。
しかし、たいていの場合、そのやりとりには”交渉”という側面が隠れている。計算し尽くされた上で、文書や契約は交わされる。つまり、フェラーリの文書は後者だったはずだ。
モンテゼモロ・フェラーリ会長が伝えたたかったのは、以下の2点だけてある。
1)本来、チーム(現在ならFOTA(フォーミュラ・ワン・チーム協会)と競技の上で決めるべき規則をFIAが独断で決めていることへの意義申し立て。
2)コストキャップによって、車両規則が2種類存在するという規則内容への反対意見。
“黙って従う”ことが美徳とされてきた日本の習慣や習わしからすると、”意見”は往々にして”文句”に取られる傾向がある。だから、FIAとフェラーリがバトルを始めた、という表現になりがち。しかし、彼らはもっと大人としての対応から、自分たちの意見を言っておくべき、ということもある。今回の事態はまさにそれだ。
基本として、フェラーリがF1を辞めることは考えられない。マクラーレンやウィリアムズと違って、コンストラクターが生業ではないにしても、”F1の資金にするために生産車で儲けている”といわれるフェラーリである。ホンダのように、生業が別にあって都合で辞めるわけがない。しかし、意見はしっかり伝えておく、というスタンスだ。
ただし、フェラーリがそれを言うのと、例えばトヨタが言ったのとは別次元の説得力がある。FIAとて、フェラーリに辞められたら困るからだ。
通常の自動車メーカーにも、少なくとも参加台数確保と、F1活動の宣伝活動によるプロモーション効果の2点で、FIAにとって参加の意味はある。しかし、それ以上でも以下でもない。しかし、フェラーリはある意味そのままF1であるという意見に対して、流石のFIAも、「要らない」とは言えないはずだ。
文中でモンテゼモロ会長が、「60年」というフレーズを出して、その辺りをサラリと強調している。これは、歴史がないメーカーにはマネはできない。
◆FIAの『交渉の法則』
一方で、FIAが規則変更を言い出す時には、常にある”法則”が介在していることも思い出しておく方がいいかもしれない。落とし込む場所を決め、反発を想定しながらあえて難易度を上げた提案をして、ある意味のショックを与えておいてから初期の落とし所に落ち着かせる、という方法だ。
そうそう簡単に言いなりにはならない。
これはF1に限らず、狩猟民族の交渉の常套手段と言ってもいいかもしれないが、それを知らないと、相手の術にはまることになる。しかし、古くは、ニキ・ラウダのマネージャーを務め、その後、ワールド・カップ・サーカーのイタリア大会ではディレクターをこなし、そしてフェラーリの社長を経験した上でFIATの会長に就任したルカ・ディ・モンテゼモロとあろう者が、そんなこけおどしに乗るはずがない。
もうひとつ考えられるのは、こうしてバジェットキャップの話題が、その方向がどうであってもタブロイド版を含めて世に出れば、”F1はきちんとコストのことを考えて議論しながら進んでいる”というイメージを広めることもできる。そこがFIA(とそれに乗っているモンテゼモロの)”作戦”でもある!?
どこかの国のF1チームと契約交渉を始めたデザイナーは、最初の交渉段階で申請した希望契約額に、「どうせ差し戻しになるだろうと思ってゼロをひとつ余計に着けて出してみたら、そのままOKが出た」と、別の日本メーカー・チームの友人デザイナーのに話したら、オレもそうすべきだったと深く嘆いたという。交渉は交渉であり、意見は意見であって、最終通告でも文句でもないのだ。
とはいえ、ドンパチやってる内容に注目してそれぞれの思惑を勝手に想像するのは楽しい作業だ。このやり取りに、ルノー・チームのブリアトーレ代表がどう絡んできて何を言うか楽しみではある。
([STINGER] / Yamaguchi Masami)