佐藤公哉インタビュー(1/4) ◆4歳からカートを始め、厳しく怒られて育った
現在、Auto GP(オートGP)に参戦中の佐藤公哉(さとう きみや)23歳。今期は第8戦終了時点で、すでに3勝をあげており、ポイントスタンディングでもトップにつけている。同シリーズは、開催初年度の2010年には、ロータスF1チームで活躍中のロメイン・グロジャンがチャンピオンに輝いたカテゴリだ。
◆4歳からカートを始め、厳しく怒られて育った
スティンガー(以下STG):初めまして(笑)。
佐藤公哉(以下、公哉):お願いします。
STG:早速ですが、カートは、いくつくらいからやってたの?
公哉:カートは4歳くらいからやってたので、結構長く、13年とかやってました。
STG:それは、自分が好きで? それとも、お父さんかお母さんの薦め?
公哉:僕も好きで、両親もそれを応援して。最初は、楽しみで”ブーン”と乗ってるのが楽しくて、それだけだったんですけど、段々いろんなレースに出ていくうちに、結果もついてきて。
STG:ついつい勝っちゃうもんだから?(笑)
公哉:いやぁー、なんかこう、両親が勝つことに関して、厳しい人たちだったので。
STG:やるんだったら勝て、と?
公哉:はい。2位だったらすごく怒られてた記憶があるんで。
STG:なるほど。
公哉:はい、そうしてるうちに、こう、いろいろチャンスが……鈴鹿でやったワールドカップに出られたりとか、あと、海外でカートのレースに出るチャンスをもらえたりとか。
STG:怒られたというのは、どういうふうに?
公哉:「何してんだ!」、「やめちゃえ!」みたいな(笑)。
STG:それで泣いたりする?(笑)
公哉:泣いてましたね、ちっちゃかったので。それで、叩かれたりも、するわけでするわけなんで、今思うと、すごい理不尽(笑)。
STG:逆に言うとそれが、今の公哉選手のパワーになってたりも?
公哉:ですかね、はい。
STG:じゃあ、負けたりすると悔しいってよりも、怒られることの方が怖かったりするの?
公哉:そうですね、今思うと、ちっちゃいころ、カートやってて、負けて帰ると、その悔しいってより、周りに怒られるのが怖くてヤダっていう。変に圧迫されて。
STG:じゃあ、怒られたことは、良いことばっかりではなかった?
公哉:そうですね、そういうことに限って悪い方向に働いたりとか。
STG:今の2位で怒られたって話だけど、何処かの社長は、日本GPで2位なったとき、「準優勝だから褒めて良い」って言った。
公哉:そうなんですか(笑)。
STG:「準優勝はビリと一緒」というのが、本場のレーシングな考え方だから、そういう意味では、それは良かったかもしれないよね。
公哉:はい。
STG:カートレースはやってて面白かったんでしょ?
公哉:楽しかったですね、はい。
STG:何が面白いんだろう?
公哉:えーっと、特に上のクラスに上がったときに、タイヤとかも、すごくこう、ハイグリップ・タイヤっていう、乗っていて体とかも疲れるんですけど、そのカートの時点でタイヤの使い方とか、そのよく減るタイヤだったので、減らさないようにどう使うかとか、カートのときはすでにもう勝つのが楽しかったっていう感じです。
STG:変な質問なんだけど、家は裕福なんですか?
公哉:いいえ、そんなに、家自体は、(両親)二人とも会社員なので。
STG:今なんでそれを聴いたかっていうと、イタリア人と日本人の若い子供をカートに乗せると、最初は、同じように進歩して行く。もちろん、個人差はあるんだけど、イタリア人だからとか、日本人だからという差はないけれど、あるところで真っ二つに別れる。イタリア人は、もっと速くなるために、セッティングを工夫する。タイヤをどうしたら良いとか、エンジンのセッティングをどうしたら良いとか、フレームはどうしようかってことをどんどん考えて行くことで速くなるんだって。
公哉:はい。
STG:で、日本人は、隣を見ると速いタイヤがあるからそれを手に入れる。速いエンジンがあるとそれを買っちゃう。だから、イタリア人は本人が速くなっているんだけれど、日本人は、速くなったのはタイヤやエンジンやシャシーで、真っ二つに別れたところからまったく進歩してない。そういうことなので四輪に乗っても、かなう訳がない。だから、何でも買い与えるのは、あまり良いことじゃないので、裕福なのか聴きました。持っている中で何かを工夫しなくてはいけない、それは、最後まですごく大事なことで。F1に乗るならなおさら。
公哉:はい。
STG:佐藤琢磨がF1にあがってから苦労したひとつの理由は、それまで良いものを与えられていたからと思う。だから、そうじゃない状況になったときに苦労したのはそういうことだったかも、と思うので、タイヤがどうだったのかとかを考えられたのは良かったかなと思いました。そんなような感じがしますかね?
公哉:そういわれると、そういう感じでした。基本的に親父がメカニックをしていて、ショップがカート場に来て広げるお店で、パーツを買ってという感じでした。新品を買って、それを付けてっていうのが、ほんと記憶であるのが、ワールドカップ出たときくらいですね。決勝で壊れると気分が悪いからって理由で、新しいチェーンだったりとか、ギアとか付けてもらえた記憶ぐらいですね。
◆フォーミュラBMW参戦と、FCJ、そして日本での2年間
STG:それで、2006年からフォーミュラBMWに出るんですけど、フォーミュラBMWを選んだ理由は?
公哉:中学校までは普通に地元の学校に行ってて、高校から帝京大学の付属ロンドン高校みたいなのがイギリスにあるんですけど、そこに入って、レースよりも先に、ちゃんと学校行こうって思って。
S
TG:それは、どうしてそうしたの?
公哉:親の意向で。
STG:要するに、将来、レーシングドライバーになるになるために、たとえば語学を勉強したりしたくてそうしたの?
公哉:もちろんそれもあったんですけど、やっぱり一人の人間として、レースばっかりに集中するんではなくて、最低限高校は卒業して、レースと両立して。そっちが先でした。高校3年間行ったんですけど、一年目は、ロタックス・マックスの、スーパー1っていう激戦区のカートレースに一年出させてもらって。そこで一年英語を勉強して、そのカートをやってる年にフォーミュラBMWのオーディションに招待してもらって、オーディションに受かったんです。そこで、参戦費免除みたいなものがあったので、それで2006年デビューが決まりました。
STG:そのあと、フォーミュラBMWを何年かやって、一度日本に帰ってくるでしょう? それはどうして?
公哉:はい、本当は、当時マネージャーみたいな人が付てたんですけど、そのマネージャーさんと、僕のスポンサーとの、この先に関しての意見が合わなかったりで。
STG:そうだったんですか。
公哉:本当はそれまではブリティッシュF3にステップアップする予定だったんですけど。予定というか、本当にそれをしたくて、シーズン後半から準備していってたんですけど、夏場から、そのテストもF3で何度かさせてもらってたんですけど。で、ニスモのオーディションを受けて、で、それで受かって、FCJに乗ることになりました。
STG:2008年に参戦した、FCJは、どんなレースという印象ですか?
公哉:……いやぁ……、悪く言うつもりではなくて、本当に、海外でフォーミュラBMWやって、バンッて帰ってきたときの印象が、”学校”みたいで。みんな揃ってやりましょう、みんな一緒にこれをやりましょう、とか。なので、そのー……言葉は見つからないですけど、本当に速い奴が分からない。
STG:まったくそのとおりだと思うね。少し大げさになるんだけど、戦後世界が驚く復興を日本が成し遂げたのは、”みんなで力を合わせる”日本人だったから。それは素晴らしいことだけれど、なんでもかんでもみんなで力を合わせてやろうとするのはどうかな、と。レースは、それこそ2位以下はビリと一緒だし、ぶつけっちゃ駄目だけど、蹴落とさなきゃいけない。で、そのギリギリの世界を我々は外から観てて面白いと思う。だから、日本のレースって、なんと言うか、”仲良し倶楽部”になっちゃってるところがあるよね。
公哉:セッション終わりとか、その日の走行の終わりに、必ずみんなで集まるんですけど、講師の方々と、FCJの事務局の人たちみんなが集まって、学校のホームルームじゃないですけど、あの子が危ない動きしてました、とか、あの子が押し出してました、とか。で、その講師の方々が主に言うんですけど、あの子、何番の子がピットの出方が危ない、とか、観てないとか、そういう話をして。もちろん、フォーミュラ初めての子たちもいましたので、安全面で、そういうふうに言いたい気持ちはわかりますけど。まぁ、レース場の駆け引きで弾き飛ばしたわけじゃないんですけど、アウト側にいるから、レースなんで、露骨じゃないですが、徐々に徐々に相手を追いやっていくっていうのも、そのゼッケンと名指しで、「あれは駄目だ。」とか言われたり。
STG:駄目だとか結構言われた人?
公哉:僕はあんまり言われなかったですね。名指しで、あれは駄目だろ、これは危ないだろとか、譲れよとか、言われていた人はいました。
STG:その後、日本で2年間、2009年と2010年はF3をやっていますが、そのときは、なんというか忸怩たる思がありつつ、向こう(ヨーロッパ)に戻りたいって思っていた?
公哉:そうですね、常に、ヨーロッパに帰ってレースをするチャンスをこう伺いながら。で、F3やってるので、マカオもすごく出たくて、出たいという意思をずっと示していたんですけど、2009年に、「マカオに出ちゃだめ」と言われまして。
STG:何で?
公哉:よく分かんないです理由は。言い方がなんかその、「お前なんか通用するわけないんだから、行っても無駄だよ。」っていう言い方で、その……はい(笑)。
STG:(笑)。
公哉:で、ナショナルクラスにでていたんで、じゃあ、せめても、2009年のデビューイヤーの終わりに、そこそこ良い感じで終われたんで、2010年はCクラスの全日本にステップアップしたいと思って、そのスリーボンドさんから、その話をいただいていたんで、そこ良いかなと思っていたんですけど、それも駄目って言われて……。
STG:うーん、何なんだろうね?
公哉:……まぁ、よく分からないですね、はい。
STG:マカオはなぜ出たいの?やっぱり、世界一決定戦だから?
公哉:そうですね、GP3が人気出てとか、いろいろなってますけど、F3やっている限りは、やっぱりマカオが力を見せる場だと思ったので。
STG:マカオは特別だよね。マカオって何で金網があるか知ってる?
公哉:えっとー……。
STG:普通は破片が飛ばないようにと思うでしょ?ドライバーが怖くても逃げられないように金網がついてるんだって。それくらい怖いと思うよあのコースは。
公哉:(笑)。
STG:外から観てる限りでは、モナコよりもマカオのがずっと危なく見える。
公哉:そうですね。
STG:モナコは走ったことあるの?
公哉:モナコは走ったこっとないですけど、たぶん、マカオとか、フランスのポーとかの方が、全然あぶないと思います(笑)。
◆2011年にユーロF3に参戦、翌年ドイツF3にカテゴリ変更したワケは?
STG:2011年は、モトパークアカデミーからユーロF3に出ていて、そのあとは、ドイツF3に出るわけでしょ? なぜユーロからドイツに変えたんですか?
公哉:2011年にユーロF3に、モトパークってフォルクス・ワーゲン・エンジンのセミ・ワークス扱いというか、まぁ、それで、エンジンとか、多少サポート受けててやってたんですけど、その、メルセデスが2011年、僕が出たちょうどそ
の年に、開発にすごく力を入れだして、もう比べ物にならないくらいメルセデスのほうが速くて。で、結局それが原因と、いろんなセットで悩んだ面が、年間通して車で苦労しまして、セットで苦労したというか、対メルセデスというか、対プレマとミュッケ(チーム)ですよね、彼らと比べても負けてたので、もうその、モトパーク自身が、ユーロF3に2010年出るのをやめるって言って、その代わりそのエンジンがフォルクス・ワーゲンに統一されているドイツF3に出ようって話があって、で、そのオファーを僕にもらって、ドイツF3に行きました。あと、チームがロータスと3年契約しまして、ロータスのジュニアチームみたいな契約を結んで、それも魅力的だったので。
STG:F1につながっているという意味で?
公哉:F1につながってたかどうかは分からないですけど、たとえばGP2のテストとか、実際叶わなかったんですけど、で、ドイツF3のチャンピオンが、DTMのルーキーテストだとか、ワールドシリーズのルーキーテストとか、まぁいろいろあるっていうのと、コストもわりと低めで、お安く収まってたので。で、やろうということになって。
STG:今、F3自体が全体的に斜陽になってるような感じがするんだけどそんなことはない? お金かかりすぎたりとかして。
公哉:チームによってなのではないか、というのが僕の印象です。
STG:じゃあ、今から上がりたいって人がいたら、F3は進める?
公哉:僕はF3を進めます。僕は特にドイツシリーズをオススメしますね。クルマはひとつ前の、F308っていうモデルなんですけど、今出てる新型シャシーよりも、308の方が実際速くて、新型車の方が遅くなちゃったっていう(笑)。さらにドイツF3は、オーバーテイク・システムっていうのが付いてて。フォルクス・ワーゲンが作ったECU、コンピューターでコントロールして最高速度を上るっていうことではなくて、到達ポイントを早め早めにするってだけなんですけど、でも、それでも一周、1秒とか2秒変わるくらいの力を発揮するので。その先のカテゴリでも、オーバーテイク・システムとか役立つこともあるでしょうし。まぁ、クルマ自身もたぶん、世界最速のF3だと思うんで、オススメです。(その2に続く)