ホンダの八郷社長はグリッドに何をしに行ったのだろう?
笑顔の新井康久代表を左に、ジェンソン・バトン、八郷隆弘社長、マクラーレンのロン・デニス代表。
日本GPのスタートを控えた鈴鹿サーキットのグリッドに、7月に本田技研工業株式会社社長に就任して挨拶を行なった八郷隆弘社長が登場し、ロン・デニス、ジェンソン・バトン、そして新井康久ホンダF1レーシング代表と記念撮影をした画像があちこちに登場している。
ジェンソン・バトンのグリッドは16番手、うしろから5番目である。ここで素朴な疑問がわいた。八郷社長は、グリッドに何の用事があったのだろうか。
八郷隆弘社長は就任直後の6月のオーストリアGPでも、グリッドを訪れている。このときの訪問の理由も定かではない。
パワーユニット供給者として参戦しているので、社長として表敬訪問とも考えられる。しかし、ならばグリッドではなく、パドックで各チームのガレージやホスピタリティエリアを訪れば事足りる。というか、レースのスタート前の切迫した状況よりもはるかに効率よく挨拶ができる。
気になるのは、常に新井代表が一緒に写っているところだ。新井康久代表が、ご自分のポジションを確実なものにするために、グリッドを選んで八郷社長を連れ出している? そういう理由ならわからないでもないが、だとしたら、一体社長とはなんなのか、という疑問が湧いてくる。
聞くところによると、八郷社長は新井代表の後輩にあたり、新井代表は八郷社長を”はっちゃん”と呼んでいるという話もある。二人の時はそれでいいかもしれないけれど、公の場で、研究所の取締役が、いかにF1レーシング代表とは言え、本社社長をちゃん呼ばわりするのはいかがなものか、という声もある。
そもそも、新井康久代表の役目はなんなのだろうか。マクラーレン・ホンダやウィリアムズ・ホンダが最強を誇った第二期時代、川本信彦社長がグリッドに現れたという話を聞いたことがない。実際にはあったのに知らないだけかもしれないが、少なくとも、艱難辛苦のデビューの年の1983年に、スピリット・ホンダが座っている後方のグリッドを訪れたという話は聞いたことがない。
仮に、当時、ホンダが出資したチームであるスピリット・ホンダを代表する故土師守監督に誘われたとしても、いや、そんなことをレースの機微をご存じの土師監督がするとは到底思えないが、川本社長は断ったに違いない。そういうことをするのは、誇れる成績が出て、リスペクトされるポジションに立ってからで遅くない。
新井康久代表は、全戦に帯同しているらしい。国内のスーパーGTの現場でもお見かけするが、F1の会場でなさっていることは、社長のアテンドなどが主な仕事のようである。第二期時代、桜井淑敏さん、後藤治さんなどの代表者が、グリッドで社長や要人をアテンドしている姿を観たことはない。レースを前にした彼らは、データや流れを確認する時間であり、そんな悠長なことをやっている暇はないからだ。
力が出せずにあえいでいるパワーユニットサプライヤーの代表者が、余裕で社長を案内している姿を、F1GPの人たちはどう見ているのだろうか。
ロン・デニスやフェルナンド・アロンソが、代表者の更迭を要求しているという情報が飛び交っている。事実かどうかは未確認だが、この不振の時期にチーム代表がのうのうとグリッドに社長を案内している状況を見て、デニスやアロンソの気持ちは理解できて余りある。
代表者を含めて、パワーユニットサプライヤーが現場に送り込める人員は僅か6名と聞く。ならば、代表者が行くのをやめて、3時間もかかるパワーユニット交換をときには1レースで3度もこなさねばならない重労働のメンバーを一人増やすことで少しでもらくにしてやることが、リーダーとしての気遣いではないだろうか。
ホンダF1チームの代表には、グリッドで社長と笑顔の記念撮影をしている時間、特に圧倒的に強かった第二期の代表者が、なにをしていたいのか、まずは学ばれることをおすすめしたい。
[STINGER]山口正己