フェリペ・マッサの足跡 —15年間のF1人生を振り返る—
第二の故郷、モンツァを引退発表の場に選んだマッサ。(写真は2008年)
◆モンツァを発表の場に選んだ理由
イタリアGPの開幕を前に、フェリペ・マッサが引退を発表したが、イタリアを発表の場にしたのは、ミハエル・シューマッハの最初の引退に習ったものだ。
マッサは、モンツァを発表の場に選んだことを、「ここは10年前にミハエルが引退を発表した場所だし、第二の故郷としてとても好きな場所だから」と、イギリスのBBCにコメントした。
モンツァは、15年のマッサのF1GP遍歴の中の約半分の足かけ8年、139戦(2009年ハンガリーGPは怪我で出走せず)を過ごしたフェラーリのお膝元。モンツァは、フェラーリに在籍していたドライバーにとって、特別な存在だ。
シューマッハへ、そしてフェラーリへの敬愛の念が現れていたが、最後のチームとなったウィリアムズに対しても、「偉大なチーム」と賛辞を忘れなかった。フェリペ・マッサは、周囲への気遣いを大切にするドライバーだ。
◆浜島エンジニアの思い出
2012年から2014年まで、フェラーリでマッサと苦楽を共にした浜島裕英エンジニアは、「小犬のようにかわいい」とフィリッペ・マッサを評した。人懐っこく、失敗しても悪びれることなく心から謝ってくるんですよ」。そんな一面を持ちながら、「セッティングが決まると、ミハエル・シューマッハも寄せつけない速さを持っていた」とも。
「マッサが決まった時は、シューマッハの機嫌が悪くなるほどでしたから」。
マッサの周囲への気遣いを物語る逸話として、毎年のブラジルGPの土曜日の恒例行事がある。マッサは、チーム関係者全員を自宅に招待し、電気のピザ釜を2基用意してピザを焼いて振る舞うのだそうだ。「ブラジルの名物のカイピリーニャだけなく、お酒もたくさんあって、いつも楽しく過ごしました」と浜島エンジニアは想い出を語った。
「とにかく面倒みがいい人。よくブラジルでカート大会をやったりしていたので、これからは、若手を育てたり、そういう方面にも活躍してほしいですね」。
2008年、マクラーレンのルイス・ハミルトンと激しいタイトル争いを展開した。最終戦のブラジルGPで優勝し、ピットでは父親を含む家族が抱き合ってワールドチャンピオン決定を喜んだ。ルイス・ハミルトンは6位を走っていた。3点加算でマッサと同点の97ポイントになるが、ハミルトンの優勝は5回、マッサ6勝したことで、優勝数でマッサのタイトルが決まったはずだった。
しかし、雨で不安定なインテルラゴスで、最後の最後にどんでん返しが待ったいた。最終ラップの最終コーナーで、トヨタのティモ・グロッグがフラつき、ハミルトンが5位を奪った。結果、タイトルはルイス・ハミルトンのものになった。
「あの”10秒だけのチャンピオン”がなければ、マッサのその後は違うことになっていたでしょうね」。浜島エンジニアは、感慨深そうに思い出をたどった。しかし、フェリペ・マッサという優しい男の人生は、そうはならなかった。「でも、美しい奥様とかわいい子供に囲まれて、これからもいい人生を送ると思います」。
フェリペ・マッサは、今シーズンいっぱいでレースを引退するのだが、最後のアブダビGPは、2002年オーストラリアGPから、ちょうど250戦目になる。
◆2016第13戦ベルギーGP終了時点の戦績
Felipe Massa
*デビュー:2002年開幕戦オーストラリアGP
*デビュー:2002年開幕戦オーストラリアGP
*在籍チーム
2002年 ザウバー
2004-2005年 ザウバー(53戦)
2006年-2013年 フェラーリ(140戦/139レース)
2014年-2016年 ウィリアムズ(51戦)
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*F1GP優勝:11回
*表彰台:41回
*ポールポジョン:16回
*ファステトラップ:15回
*得点:1110
1981年4月25日生まれ:35歳
出身:サンパウロ
[STINGER]山口正己
Photos by
Ferrari S.p.A
WILLIAMS F1 TEAM / LAT Photographic