F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集

F1/モータースポーツ深堀サイト:山口正己責任編集 F1 STINGER 【スティンガー】 > スクーデリア・一方通行 加瀬竜哉 >  > 2009年7月18日  ゆく人、くる人。

スクーデリア・一方通行/加瀬竜哉

謹んでご報告申し上げます。
『スクーデリア一方通行』の筆者である加瀬竜哉/本名加瀬龍哉さんが急逝されました。長い闘病生活を送りながら外には一切知らせず、“いつかガンを克服したことを自慢するんだ”と家族や関係者に語っていたとのことですが、2012年1月24日、音楽プロデュサーとして作業中に倒れ、帰らぬ人となりました。

[STINGER-VILLAGE]では、加瀬さんのなみなみならぬレースへの思いを継承し、より多くの方に加瀬さんの愛したF1を中心とするモーターレーシングを深く知っていただくために、“スクイチ”を永久保存とさせていただきました。

[STINGER-VILLAGE]村長 山口正己

ゆく人、くる人。

出来レースなのかそれともマジだったのか、FIAとFOTAがガチンコで争いを繰り広げたバジェット・キャップ問題も根本的な解決こそしてないものの、どうにかグランプリ・チームのF1大量離脱、という最悪の事態は免れた。で、これだけドタバタしたら流石に誰かが責任を取るのが社会通念上の儀式。所謂”ケツを拭く”ってヤツだ。
今回はFIA会長マックス・モズレーが、限りなく辞任に近い”次期会長選出選挙に出馬しない“という形で責任を取った。確かに全ての”言い出しっぺ”であり、レギュレーション変更に関してチーム側から目の敵にされたのがモズレーであることは否めない。同時にトップであるモズレーが退くということはFIAの”負け”を意味する。が、バジェット・キャップ案を取り下げる代わりに「2年以内に参戦費用を’90年代初期のレベルにまで引き下げる」という同意を取り付けた。つまり、彼はその犠牲の代わりに一筋縄では行かない大幅なコスト削減案を”ほぼ”実行出来た、とも考えられる。考え方によっちゃどっちもどっち、勝ち負け以前に”問題解決”があるべきなのは確かなので、騒動終結まで”FIA会長”という重要な人事が二の次になっちゃってたのは仕方がない。そろそろ「で?、次誰がやんの?」も気になって来る。

まず、そのFIA会長ってのはいったい何する人なのか。
以前にも書いた通り、FIAはFederation Internationale de l’Automobile、国際自動車連盟の略。主にヨーロッパを舞台とするF1やGP2などのフォーミュラ・カー選手権/ラリー/GTカー・レースなどを主催する組織であり、本部はモーター・スポーツ発祥の地であるフランス/パリにある。そこに参戦するドライバーのライセンス発給や各レースのスケジューリング、レギュレーションの管理なども全てFIAが行う。他にも自動車メーカー/オーナーの国際振興、安全/環境保護活動も含まれる、非営利組織である。世界130ヶ国、222の自動車クラブ/国立モーター・スポーツ組織が加盟する。日本ではJAF(日本自動車連盟)がFIAに加盟しており、代表は田中節夫JAF会長。こういった世界各国の自動車連盟を統率するのがFIA。会長はそこの一番偉い人、つまりこの人がアメリカ以外の世界中のモーター・スポーツ全体の管理をしているワケ。
んでケンカ相手のFOTA(Formula One Teams Association、F1チーム協会)が各チーム/自動車メーカーの集まり、つまり”実労部隊”だったので、先のバジェット・キャップ問題は丁度会社の上層部と現場の労働組合による”春闘”みたいなモンだった、ということが出来る。

「経費下げるよ」
「いきなりその額は無茶だ」
「いや、従って貰う」
「じゃ、辞めてやる!」

みたいなもの(…..)。その例えで言えば、今回の結末は結果的に金額が譲歩されて社長が事態収拾のために辞める、ってところ。実際には労働組合側は「全員で辞めて新しい会社作ってやる!」と息巻いていたんだから、事態はそれなりに深刻だった、と言える。

ちなみにこうした管理組織による運営を嫌い、参戦するチーム達が独自にシリーズを立ち上げた例は存在する。アメリカの所謂”インディ・カー”レース。IRL(インディ・レーシング・リーグ)とCART(Chanmpionship Auto Racing Teams)がそれだ。
CARTは名前の通り、各チームによる組織。つまり参加チームがレース/選手権を運営していた。そこへ、”世界3大レース”のひとつであるインディアナポリス500マイル・レース(所謂”インディ500″)を主催するIMS(Indianapolis Motor Speadway)がオーバル・サーキット減少とアメリカ人以外のドライバー(特にF1)の増加傾向に難色を示してシリーズを離脱、1996年に新たにIRLを立ち上げた。CART側は伝統のインディ500レースを失いながらもシリーズを続行。以降、時にはIRL側が、時にはCART側が人気を博すシーソー・ゲームのような年月を経て、2003年にCART側がとうとう観念。一時はOWRS(Open Wheel Racing Series)にシリーズそのものを売却するも、アメリカのNASCAR人気に圧され万事休す、2008年、OWRSはついに離脱した方のIRLに吸収されることとなった。
簡単に言えば”元さや”だが、つまりオーディエンスは2つのシリーズを望まない、ということ。アメリカのこの例を失敗とみるかある種の成功と見るかは人それぞれだが、少なくとも”世界最高峰のフォーミュラ・カー・レース”はひとつでいい。それがオーディエンスの明確な答である。

さて、現・FIA会長、マックス・モズレー。
イギリスのファシスト連合創設者であるオズワルド・モズレーを父に持ち、自身は元々はイギリス国内では有名な弁護士であった。1969年に仲間と共にF1チーム”マーチ”を設立、その後F1の世界に身を置くようになり、1991年にFIAの前身であるFISA(Federation Internationale du Sport Automobile/国際自動車スポーツ連盟)会長に就任、会長任期4年の4期目。会長は4年に1度、世界評議会メンバーの投票により選出される。つまり選挙制。モズレーは’91年にFISA会長選挙初当選、’93年にFISAがFIAに吸収されてFIA会長となり、その後4年に1度行われる会長選挙を3回勝ち抜いて来て現在に至る。1940年生まれ、来年で70歳。

モズレーの功績のひとつとして筆者が大きく讃えたいのは、とりわけグランプリの安全性についてである。
彼の任期中である1994年、F1世界選手権としては実に12年振りの死亡事故(ローランド・ラッツェンバーガーアイルトン・セナ)が起き、同シーズンに進化し過ぎたハイテク・マシンと古いサーキットによる重大事故の乱発により、強硬な安全策を行使。ドライバー/チーム、そしてファンからのブーイングにも負けず、ドライバーと観客の安全性向上に尽くして来た。少なくとも’95年以降、ドライバーにとって深刻な事故は起こっていない。空力やテクニカル分野でも”速過ぎて危険なF1″を取り締まり、安全なスポーツへと変貌させることに成功した。反論はもちろんあるだろうが、これは偉大な功績である。特にモズレーの任期中にはエンジン排気量規制/ハイテク規制/給油/タイヤなどの多くの分野のレギュレーションが”激変”を繰り返した。参戦する側にとって多大なストレスとなったのも事実だが、全てが安全性向上とコスト削減を目指したものだったことも事実である。

以前にも書いたことだが…..2008年春、モズレーはとある”スキャンダル”に悩まされた。あまり具体的なことはここでは記さないが、極めてプライヴェートな問題である。が、栄誉あるFIA会長としては当然ながら大問題となり、一時はその座を追われる可能性すらあったほど。結果的にFIA臨時総会による採決で辞任/解任とはならなかったが、イギリスのタブロイド紙がすっぱ抜いたこのスキャンダルには”モズレーの解任を画策する何者かによる陰謀説が浮上した。それが誰によるものなのかは解らないが、多くの関係者がF1チームを疑った。度重なる強行姿勢によるレギュレーション変更と、選手権操作に対する報復であるとする見方が世間を駆け抜け、この件によってFIAとFOTAとの溝はますます深くなって行ったのである。

ちなみにモズレーの前任者はフランス人のジャン=マリー・バレストル。愛称は”ティラノザウルス”、理由は強権/傲慢という性格からである。
バレストルはモーター・ジャーナリスト出身。フランス自動車連盟会長を経て1978年にFISAを設立。バーニー・エクレストンと並んで近代F1グランプリを構築した立役者でもある。当然バレストル会長時代にもチーム側との衝突/混乱は起き、事実’80年には選手権分裂の危機を迎えた。しかし’81年にはこうした混乱を収拾するため、主催者側と参加チーム側による和平協定である”コンコルド協定”を締結、その後の選手権のバランスを取ることに貢献した。ただ、その独裁的な運営手腕は賛否両論でもあり、強引なレギュレーション変更でスポーツ・カー選手権の破滅を招くなど、後年はその運営手腕を問われ、結果的に’91年にモズレーに敗れて失職した。2008年没。
バレストルと言って、古いファンの方が思い出されるのはFISA対FOCAの”勝者なき争い“だろう。’79年、FISAとフェラーリ/アルファロメオにフランスのルノーを加えた”大陸系同盟”と、マクラーレン/ロータス/ウィリアムズ/ティレルなどのイギリス系FOCA加盟チームとの争いが泥沼化。見ての通り、前者は自社エンジン使用の自動車メーカー、後者はコスワース・エンジン使用のレーシング・コンストラクターという対図だったのだが、バレストルは後者を宿敵と見なし、翌’80年第5戦スペインGPではグランプリ・ウィーク中に突如このレースを選手権から除外すると通告、怒ったFOCA系チームはレースを強行。結果的に選手権からは除外されてしまったが、これを機に何度かのボイコット騒ぎを繰り返す。結局こういった事態を収拾するために作られたのが所謂”コンコルド協定”なのである。
ミドル・エイジのファンの方にとってのバレストルはセナとアラン・プロストを巡る’89年シーズンだろうか。セナの母国ブラジルや日本のファンから「バレストルは同郷のプロストに肩入れしている」と揶揄され、かつてホンダに対しても母国のルノーが先陣を切ったターボ・エンジン開発で負けたことから「F1にイエローはいらない」と発言するなど、人種差別という側面で度々問題とされて来た。’89年第15戦日本GPで起きた両者クラッシュ〜セナ失格裁定に於いては、決定を下したバレストルが完全にヒール(悪役)となった。真意のほどは定かではないが、セナがバレストルと犬猿の仲だったことは事実である。
これらの出来事から、バレストルが自身の母国であるフランスに肩入れしている、というイメージは拭いきれなかった。いわば会長職を私的に”乱用”した、とも受け取れてしまう。ただし、決してFIAの会長とは独裁的な人物だ、というわけではなく、これらは極めて”個人的な暴走”として記憶されている。当然だが基本的には混乱を避けるための取り決めを行うべき立場。中立/冷静さが問われるのは当然である。しかし結果的にバレストルがそのワンマン体制によって失職したことも事実である。

今回バジェット・キャップ問題の解決の条件のひとつとして、モズレーが’09年10月のFIA会長選出選挙に立候補しない、という条項が含まれたのは、当然事態収拾のためにモズレー自身が責任を取った、ということである。が、これでようやくこの争いも沈静化したと思われた矢先、火に油を注ぐような事件が起きた。FOTA代表/フェラーリ社長、ルカ・ディ・モンテツェモーロによる”勝利宣言”である。
「我々は勝利した。独裁者は去り、即座にミシェル・ボエリ(FIA議長)がその仕事を引き継ぐだろう」
…..アタリマエだが、和解した筈のFOTAから独裁者呼ばわり(この”独裁者”には昨年のモズレーのナイト・スキャンダルについての意味合いも含まれる)されたモズレーは激怒。即座にモンテツェモーロに対して謝罪を要求したが回答はなく、「この発言(ボエリのFIA会長説)は何の根拠もなく、悪意に満ちたものであり、FIAに対する侮辱である」とし、10月の会長選への再出馬をほのめかした。本末転倒ではあるが、これによってFIA次期会長が一体誰になるのかの予測は完全に不可能になった。そして、現実問題として3ヶ月後に迫った次期FIA会長選挙で一体誰が選出されるのか、モズレーやバレストルが直面して来た問題と、今度は誰が闘うのか。今回の騒動を受けて、現FIA副会長のヘルマン・トムツィクは早々と次期会長選出馬を否定。モズレーは「私は今、世界中のFIAメンバーから再出馬の要請を受けている」とFOTAを牽制。’04年にも辞意を撤回したことのあるモズレーが、そのプライド/面目を潰され、吠えた。一旦解決したかに見えた’10年のエントリー問題も再燃、モズレーはあくまでもFOTAを許さないという姿勢を強固に打ち出した。最終的にモズレーがFIAプレス・リリースによって正式に次回会長選挙に出馬しない旨を表明してこの騒ぎは集結したが、去り行く老兵が「あまり調子に乗るなよ!」と一喝して行った形である。さすがのFIA会長、ただでは転ばない。もっとも、悪意に満ちたスキャンダルにも動じなかったモズレーだが、6月に息子が急死、最終的に「家族との時間を」という選択となったのはやむを得ないことである。

さて、そうなるといよいよ後任が誰になるのか、である。ここで現在までに次期FIA会長候補者として名前の挙がっている人物を見てみることにしよう。

・ミシェル・ボエリ
現FIA議会議長/WMSC(世界モーター・スポーツ評議会)副会長のボエリは1972年にモナコ自動車クラブ会長となり、かつては”エクレストンのライバル”とも呼ばれたモーター・スポーツ界の重鎮とも言える人物である。ただし、モズレー自身がボエリが既に高齢であることと「彼自身、FIA会長職に興味があるとは私には思えない」という発言により、自らの立候補はないとする向きが強い。ボエリ自身も現在モナコの政界に身を置くため、今更FIA会長職に意欲的ではないことは明らかである。ただし、先のモンテツェモーロの「ボエリが引き継ぐ」という発言の裏に、モズレー自身も知らない何かがあるのかどうかは未だ不明である。

・ジャン・トッド
WRC/ル・マンでプジョーを、F1でフェラーリを率いて大成功を収め、昨年正式にフェラーリを離脱したトッドは現時点で最も次期FIA会長に近い人物、と言われている。が、反面多くの関係者から「特定のチーム代表を務めた人物が会長職を務めるのは好ましくない」という意見も出ている。例えばF1でフェラーリ/ル・マンでプジョーが優遇されるのでは、という危惧である。事実、バレストルの”フランスびいき”が問題となった経緯があるだけに、懐疑的な見方も多い。しかし、モズレーはトッドが後任となることを歓迎する趣旨の発言を行い、当初は沈黙を守っていたトッド自身も、最近になって立候補の意思を明らかにした。

・ロン・デニス
昨年いっぱいでマクラーレンのCEOを退いたデニスは、もしかしたらFIAと最も”闘って来た”人物かも知れない。’07年にはスパイ事件に絡みFIAから5.000万ポンド(約80億円)の罰金を課せられたが、FOTAはこの一件に関してモズレーに対して不信感を募らせており、今回の対決への影響も少なからず存在する。パドックでデニスがFIAの”天敵”と呼ばれているのは周知の事実である。更に、今回の人選にデニス自身は「チーム代表経験者がFIA会長となるのは望ましくない」と冷静に分析。自身がその役職に着けばマクラーレンを、トッドが着けばフェラーリを優遇しかねない、という趣旨の発言を行い、「私は不適切だ」と公言した。

・ビッキー・チャンドック
チャンドックはFIA議会メンバーであり、元インド・モーター・スポーツ連盟会長、FIA幹部やバーニー・エクレストンとも親しい人物。実の息子のカルン・チャンドックは現在GP2に参戦中(オーシャン・レーシング)。しかし、当のチャンドック自身は立候補しても自分が会長に選出される可能性は低く、名前が取り上げられるだけでも恐れ多い、と控えめなコメントを出し、同様にFIA次期会長には自分よりもトッドやデニスの方がより適任であるとも発言していることから、自らの立候補の可能性は低いと見られている。

・アリ・バタネン
欧州議会フランス代表のバタネンは、今回の会長選挙に自ら立候補する方針を明らかにしている。バタネンは1952年フィンランド出身のラリー・ドライバーとして有名であり、’81年のWRCチャンピオン(当時のコ・ドライバーはデビッド・リチャーズ)という輝かしいキャリアを持ち、トッドのチームで勝利したこともある。「独裁者の時代は終わりだ。F1は変革の時期に来た。私が選挙で勝てる要素は少ないだろうが、チャレンジする」今回名前が取り沙汰されているメンバーの中で、最も意欲的なのがバタネンと言える。

・ニック・クロウ
アメリカ人のクロウはACCUS(アメリカ自動車競走委員会)会長/国際スポーティング連盟代表。しかしモズレーは「彼には彼の仕事があり、他の仕事(FIA会長職)には興味がないだろう」と噂を一蹴。目下のところメディアの先走り感が強い。

…..’09年7月中旬現在、候補としてメディアに名前が挙っているのはこの6人である。各自の状況/発言等を見ても、現状でボエリ/デニス/チャンドック/クロウらの立候補はなさそうである。となれば噂の筆頭であるトッドか、或は最も意欲的なバタネンか、という構図となる。もちろん、今後新たにどんな人物が浮上して来るかは解らない。FOTAのジョン・ハウェット(トヨタ)は「我々は独立した人物を望んでいる」と、チーム出身者からの会長選出を牽制し、マーティン・ウィトマーシュ(マクラーレン)は「バランス感覚に優れたバタネンは適任者だ」としている。
…..しかし、忘れてはならない重要な問題がある。
前述の通り、FIA会長はFIAの122人の幹部を代表した26人のモーター・スポーツ評議会メンバーによる投票で選出される。つまり、FOTAに加盟するチーム、自動車メーカー、スポンサー、そしてドライバーの誰にも、この選挙に投票/参加する資格はないのである。よって、モンテツェモーロ、ハウェット、ウィットマーシュらが何を言おうとも、次期FIA会長の人選への影響はない。ミハエル・シューマッハーにもルイス・ハミルトンにも、モナコ国王にも投票権はない。彼等はFIAの内部で行われる決定をただ待つのみなのである。

「私は歳を取り過ぎたんだ」’09年6月/マックス・モズレー

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