素晴らしいドキュメントを観た–『マクラーレン–F1に魅せられた男』
「君は、資金力がある巨大チームを倒してきた。もし、大金があったら、もっと勝てる?」という質問が、オレンジ色のM8Bのコクピットのブルース・マクラーレンに投げかけられた。
「逆だよ、ダメになる。大きくなりすぎるとチームが硬直化する。身軽でないと戦えないよ」
マクラーレンが答えたこの言葉に、ストーリーの結末が集約されていた。実在の人物の証言と、多くがこれまで観たことがない映像で構成されるドキュメンタリーが、そのシーンから始まったのには理由があった。
巻頭のインタビューで、マクラーレンは、こうも言っていた。
「レーシングカー作りには最新の注意が要る。ミスや焦りは命取りになりかねない」
それは、総てを予言する言葉だった。
1970年6月2日、ブルース・マクラーレンは、破竹の勢いで勝利を重ねていたCAN-AMシリーズに参戦していたそのオレンジ色のM8Bのテスト中のアクシデントでこの世に別れを告げた。夢だったF1も軌道に乗り始めていた。
アクシデントは、誰もが知っていることだった。コースを外れて、撤去できていなかった古いコーナーポストに激突したことも知られていたことだった。コースを外れた原因が、ダウンフォースを発生するために高く掲げられていたリヤのハイウィング禁止を受けて、改良したウィングにあったらしきことが明かされた。
すべてのプログラムを終えてテスト終了と思っていたところで、マクラーレンは、リヤウィングを目一杯立てるように指示を出し、その状態で「もう1周だけ」と言い残してピットを後にした。強大すぎるダウンフォースでリヤサスペンションが破損し、M8Bはコースを外れた。ブルース・マクラーレンの言葉通り、最後の1周だった。
しかし、そうなったのは、サスペンションが強大なダウンフォースを受け止められなかったという表面的な理由ではない、本質的な理由があったと、DVDは問いかけていた。
F1はブルース・マクラーレンの夢だった。マクラーレンの本拠地はイギリスであり、全盛のCAN-AMの舞台はアメリカ。そのアメリカで最大の任期を誇るインディ500、そして、幼い頃からの夢だったスポーツカーのマクラーレンM6 GT。ブルース・マクラーレンは、マシン開発だけでなく、時差を越えて、ドライバーとしてもF1とCAN-AMに参戦、想像を絶するハードスケジュールで動いていた。
6月2日のテストは、CAN-AMシリーズでコンビを組んでいたデニス・フルムが担当する予定だった。しかし、フルムはインディカーのテスト中のトラブルで両手に火傷を負い、マクラーレンがテストを引き受けることになったのだった。
「逆だよ、ダメになる。大きくなりすぎるとチームが硬直化する。身軽でないと戦えないよ」
「レーシングカー作りには最新の注意が要る。ミスや焦りは命取りになりかねない」
この二つのコメントが交錯して、ストーリーはエンディングに向っていく。
観たことがない映像の数々、そして、きわめて多忙な時間を送っていたブルース・マクラーレン。もっと大きくなろうとして、焦りがあったのだろうか。焦りという言葉が適切かどうかわからない。けれど、ブルース・マクラーレンが忙しすぎたことがいやでも伝わってきた。
ブルース・マクラーレンが創設し、F1を中心に、世界に名を轟かせた“マクラーレン”は、その後、ロン・デニスに買い取られ、セナとプロストのマクラーレン・ホンダで日本でも名を広めた。
ロン・デニスの手腕で成功し、女王陛下が落成式に参列する巨大なテクノロジーセンターを構えたそのマクラーレンは、2012年最終戦を最後にF1の勝利から見放されている。ちょうど、デニスからマーチン・ウィットマーシュに代表の座が受け継がれ、メルセデスが経営に加担し、さらにザック・ブラウンというビジネスマンの手に委ねられることになる頃と、勝利がなくなる時が符合する。
「逆だよ、ダメになる。大きくなりすぎるとチームが硬直化する。身軽でないと戦えないよ」
マクラーレンは、総てを予感していた。今のマクラーレンにも、そしてホンダの上層部に伝えたい言葉でもあったが、実は、自身にこそ言い聞かせたかったのかもしれなかった。
[STINGER]山口正己
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