フェラーリ/ルノーと日本
フェラーリに続いて、ルノーが、F1に通じる2019年度の若手育成プログラムの顔ぶれを公表した。
それぞれのラインナップをみると、ミック・シューマッハを始め、ジュリアーノ・アレジやエンツォ・フィティパルディなど、F1ドライバー二世、もしくは、レジェンドの血筋を引いたドライバーを揃えたフェラーリが、流石の歴史を証明している一方、ルノーは、中国人の周冠宇を抜擢して中心的存在に仕立て上げていることが目を引いた。
いずれも、国籍は多岐にわたり、それぞれのイタリア/フランス籍の若手もメンバーに入っているが、ここが日本のホンダやトヨタの育成とは明確な違いとなっている。
日本の場合、F1を目指すピラミッドの底辺ラインナップは、日本人になっている。これはこれで意味があることだが、そこには明確な“違い”と日本がおかれた状況が色濃く出ている。
ひとつは、F1への道筋だ。フェラーリ/ルノーとホンダの最大の違いは、コンストラクターであるかどうか。フェラーリもルノーも、コンストラクターとしてF1に参戦しているが、ホンダはパワーユニットのサプライヤーとして、レッドブルとトロロッソに“パーツ”としてのパワーユニットを供給する立場でしかない。F1は、車体製造者であるコンストラクターだけに参戦が許されるという不文律があり、コンストラクターがドライバー決定権を持っている。要は、一番偉いのがコンストラクターということだ。パワーユニットも、タイヤや他のパーツと同じく、車体の下のランクに位置づけられる。
もちろん、パワーユニット・サプライヤーにも発言権はあるが、主導権は、あくまでコンストラクターであり、ホンダの意思でドライバーが決まることはない。これが実情だ。
さらに、フェラーリの場合、ミック・シューマッハがF1のシートに最も近いと言われているように、“実績”という後ろ楯がある。日本はその実績を構築している段階であり、フェラーリやルノーがF1へのルートが見えているのに対して、一段も二段も後方のポジションにいる。
現状で、レッドブルに日本人が乗る可能性は限りなくゼロに近いが、トロロッソには、かすかなラインが見える。最も近いのは松下信治だが、今年のF2での戦績いかんで、そのラインを太くすることができる。
極東の島国日本は、物理的な距離だけでなくモーターレーシングの理解度と自動車文化の弱さから、F1ドライバーへの道は極めて険しい。その険しさを認識した上で、松下信治を中心に、海外でする日本人にエールを贈りたい。
[STINGER]山口正己
photo by FERRARI/RENAULT