がんばれウィリアムズ!!–ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングの偉業

1979年、スポンサーを獲得して安堵の表情を見せるウィリアムズ(右)。左は、テクニカルディレクターのヘッド。
バーニー・エクレストンは、F1には3つの宝があると言った。“モナコと、マクラーレンとウィリアムズ”。宝は、歴史が創りあげた。
◆チーム誕生2年目の1976年イギリスGP。レースを終えたパドックにフランク・ウィリアムズがいた。ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングの創始者がそこでしていたことは、およそF1チームのオーナーとは思えない屈辱的なことだった。メカニックたちが家に帰るためのガソリン代がない。ウィリアムズは腕時計を売って、ガソリン代に換えていた。

◆1979年イギリスGP。サウジアラビアの『サウディア』のスポンサーを得て力を着け、アラン・ジョーンズがポールポジション、クレイ・レガッツォーニが4番グリッドからスタート。ジョーンズはリタイアしたが、レガッツォーニがウィリアムズの初優勝を達成。ピットで迎えるスタッフの中に、白い歯を見せた中矢龍二メカの誇らしげな姿が見える。

◆ウィリアムズで走ったドライバーの多士済々。
アラン・ジョーンズ、クレイ・レガッツォーニ、桑島正美、アルツゥール・メルツァリオ、ジャック・ラフィー、レラ・ロンバルディ、トニー・ブライス、ジャッキー・イクス、クリス・エモン、ミッシェル・ルクレール、カルロス・ロイテマン、ルパート・キーガン、ジェフ・リース、ケケ・ロズベルグ、ディレック・デイリー、ジョナサン・パーマー、ナイジェル・マンセル、ネルソン・ピケ、リカルド・パトレーゼ、マーチン・ブランドル、 マリオ・アンドレッティ、ジャン・ルイ・シュレッサー、ティエリー・ブーツェン、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、デビッド・クルサード、アイルトン・セナ、ジャック・ヴィルヌーブ、ハインツ-ハラルド・フィレンツェン、アレックス・ザナルディ、ラルフ・シューマッハ、ジェンソン・バトン、ファン-パブロ・モントヤ、マーク・ウェーバー、ニック・ハイドフェルド、ニコ・ロズベルグ、アレキサンダー・ヴルツ、中嶋一貴、ルーベンス・バリチェロ、ニコ・フルケンベルグ、パストール・マルドナルド、ブルーノ・セナ、バルテリ・ボッタス、フィリッペ・マッサ、ランス・ストロール、ポール・ディレスタ、セルデイ・シロトキン、ロベルト・クビツァ、ジョージ・ラッセル。
◆1975年アルゼンチンGPデビュー、56戦目の1979年イギリスGP初優勝、チャンピオン9回(歴代2位)、優勝114回(歴代3位)、ポールポジション128回(歴代3位)、ファステストラップ128回(歴代3位)、総得点3560ポイント(歴代5位)、ラップリーダー7613周、最後の優勝は2012年第5戦スペインGP。

◆1986年ウィリアムズ・ホンダでホンダ初のチャンピオン・エンジン。
[STINGER]山口正己
photo by WILLIAMS




