契約更新を機に振り返るホンダとオーストラリアGP

開幕戦として定着しているオーストラGPが、2025年までの契約を締結した。
オーストラリアGPは、1985年に、最終戦としてアデレイドの市街地コースでグランプリの仲間入りをし、その後1996年からは、今度は開幕戦として、メルボルンのアルバートパークに舞台を移して数々のドラマを演じ、今年で35回目を迎えた。
アデレイドは、ホンダ・ターボがウィリアムズやマクラーレンで活躍したホンダ第二期F1時代に重なったこともあって、日本のファンに馴染みのコースになった。1989年の雨のレースでは、中嶋悟がホンダがバックアップしたジャッド・エンジン搭載のロータスでファステストラップを記録するなど、思い出深いコースとして記憶されている。
また、アルバートパークも、同じ市街地コースとして、24回のGPを行なっている。今回の契約延長の機会に、STINGERが観てきたオーストラリアの思い出のレースを振り返った。

▲1986年最終戦。本田宗一郎がアデレードを訪れ、アイルトン・セナと対面した。宗一郎の訪問は、翌年の日本GPの契約確認という任務もあった。

▲1990年の最終戦で、ネルソン・ピケのチーフを務めた津川哲夫メカが、ピケの優勝シャンペンを飲んだ。このレースで津川さんは現場を引退した。

▲トヨタが参戦し、奥田碩会長がアルバートパークを訪れ、オベ・アンダーソンを表敬訪問。

▲2015年開幕戦のホンダ・ブースでの記者会見。マクラーレンのブーリエ・マネージャーを中心に、バトン(右)とアロンソの代役を務めたマグヌッセン。左端は、新井ホンダF1代表。
[STINGER]山口正己
photo by [STINGER]




