グリッドガールが消える?–カウントダウン企画 2018F1GP開幕まであと52日
新シーズンに向けて鼓動が高まる!!
(53日からつづく)
F1のグリッドを飾る“グリッドガール”が消滅するというニュースが届いた。バーニー・エクレストンからリバティ・メディアに主導権が移って、様々な変革が試みられているが、グリッドガール問題(?)もそのひとつだ。
このニュースを受けて、様々な反応がある。お嘆きのムキもあるかもしれないけれど、中には日本のキャンギャルやレースクィーンと混同している意見もチラホラみえる。
ル・マン24時間のハワイアン・トロピックを別にすれば、ヨーロッパスタンダードのグリッドガールは、民族衣裳などで着飾ったものが多く、いわゆる女の武器を売りにするものではないが、日本のそれは、最近は洗練されたけれど、古くはハイレグの角度が話題になる貧相な“出し物”だった。F1ではハナからそうした思考回路がないというか、世間から認められない恥ずかしいことといっていい。
F1ブームとバブルが合体していた1980年代終盤から1990年序盤にかけて、F1速報誌『GPX』の編集部に、機を見て敏なりのモータースポーツ素人代理店から「F1のキャギャルの写真を貸してほしい」と電話があった。F3000のキャンギャルを見て、“格上のF1ならもっとハイレグの角度が鋭い”と思ったかどうかは知らないが、「F1にはキャンギャルいません」と伝えると、「そう仰らずに、なんとかお願いします」と言われて呆れたものだ。
女性をそういう存在として扱うのは、バーニー・エクレストならずとも認めるはずもなかったけれど、グリッドガールはその一線を越えずに、これまた古くはヘレス・サーキットでスペインGPが行なわれていた時のテオペペ・ガールのように、調和の取れた演出だったし、他のグランプリでも、民族衣裳をまとった女性が華やかさを演出する役目を担っていた。しかし、最近はその傾向が徐々に崩れ始め、やや針路違いの傾向が見えていたかもしれない。
いずれにても、様々な意味でF1GPが様変わりしようとしていることは間違いないところだが、ゆめゆめグリッドガールとレースクイーンやキャンギャルを混同なさいませんように。
[STINGER]山口正己
Photo by Red Bull Racing、McLaren/LAT Photographic