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マクラーレン・ホンダはハンガリーで車体の良さを証明したのか?!その2

(その1からつづく)

第二期ホンダF1のターボ時代、マクラーレン・ホンダは圧倒的な強さを見せた。特にターボ全盛期の1986年から1988年は、ホンダV6ターボは有無を言わさぬチャンピオン・エンジンだった。

しかし、第二期F1時代後半、マクラーレン・ホンダはウィリアムズ・ルノーに徐々に攻め込まれ、撤退前年の1992年には、1985年のウィリアムズ・ホンダから連綿と続いたチャンピオン・エンジンの称号をルノーに明け渡している。

ホンダF1第二期最後の1992年にマクラーレン・ホンダがウィリアムズ・ルノーに破れた理由は、晩年を迎えた本田宗一郎の哀悼の意味で、実はV10の方がトータルとして優れていることが分かっていながら、宗一郎が生涯愛し続けたV12を、重量と長さのデメリットを承知の上でホンダはあえて採用した。その結果、ルノーのV10の先行を許した、という側面もあった。重量的にも長さ的にも、すでにV12は、トータルとしての競争力という面で時代後れだったが、負けた理由はそれだけではなかった。

敗因の何割かは、1988年から圧倒的優位のホンダ・パワーにかまけてか、車体の進化を手抜きしたマクラーレンの責任もあった。ウィリアムズが、才能あふれるアドリアン・ニューウェイを雇って車体の進化に積極的だったことも、ウィリアムズ復活の大きな要員だったのはしられたところだ。エンジンだけではなかった、ということだ。

その後、マクラーレンはニューウェイを引っこ抜いて復活するが、それはホンダが去った後の1998年のことだ。

最後に改めて整理しておきたい。マクラーレン・ホンダは現在、パワーユニットも車体もまだまだ三強に追いつけていない。やることは山積みだ。しかし、フェルナンド・アロンソがハンガリーGPの最終ラップにレース中の最速タイムを記録したことかとから、低速とはいえ、三強以外のトップを走れる実力があったのは間違いのない事実だ。

だから万歳というのはあまりに目標が低すぎるが、ホンダもマクラーレンも切磋琢磨して、次の目標は三強の一角に食い込む、というところにたどり着いたと思いたい。レーシングマシンは、車体と動力の総体として結果が出ることを、特にマクラーレンのブーリエさん、しっかりご確認召され。
Boullier-San, if you have a excellent chassis, you know that you can not run without power?

[STINGER]山口正己
Photo by McLaren Honda/LAT Photographic

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