イタリアGPでデモラン!!RA300裏話-4◆レース翌日のリナーテ空港
ローラ社にホンダ側の主任設計者としてジョイントしてRA300の制作を担当した佐野彰一さんは、そのRA300が優勝した瞬間にモンツァに居合わせた。
佐野さんは、当時を思い出して、HONDAのホームページの中で以下のように回想している。
「優勝したその場に居合わせたことが、企画から製作まで極めて短時間で行なわれ、一度であっけなく勝ってしまったので、なにか気が抜けたように感じられた。たまたま国会議員と称する人がピットに来て、“日本の国威の高揚に貢献したので、帰ったら表彰してもらうように努力しよう”といった内容のことを興奮してしゃべっていました」
ちなみに、その国会議員は、千葉県選出だったとの別情報もあるが、その後、日本でそのことが話題になったことはなかった。
「サーティースも中村さんも冷静で、外見は大喜びしているようには見えなかったけれど、これ以上ない成果を挙げたので、内心はさぞ嬉しかったことだろうと思います。自分が今度は現場にいる立場で、日本の研究所にいたメキシコ優勝の時とは逆なので、研究所ではこのニュースをどのように受け止めているかを知りたいと思いました」
「日程的に大変厳しかったので、間に合わないのではないかという心配がありましたが、みんな全力で仕事をしていたので、悩む余裕はなかったですね。しかし、すべてがあんなにうまくいくとは思いませんでした」
その佐野さんが、最も印象的だったのは、実は優勝の瞬間ではなく、翌日、イギリスに戻るフライトの搭乗を待っていたミラノのリナーテ空港でのことだった。
搭乗口で並んでいた佐野さんたちホンダご一行に、「昨日モンツァで優勝したホンダの方々ですね」と、声がかかった。