ホンダとマクラーレン、いったいどうなる?–2/3
ホンダがマクラーレンと別れるとか別れないとか。いろいろ世間が騒がしいが、結果は、“なるようになる”。無責任に聞こえるかもしれないけれど、あたかも現場で契約書や契約の話を直接見聞きしているような意見を伝えることよりも、これがはるかにマトモと思う。
(1/3からつづく)
◆伊東孝紳社長はなにをしたかったのか
ホンダがF1復帰を決めたのは2013年5月16日。マクラーレンのマーティン・ウィットマーシュCEOと伊東孝紳社長(当時)が並んで、青山本社で発表が行なわれた。
伊東孝紳社長は、復帰の理由を、「F1の車両規則がエコ方向に向ったから」と仰った。このコメントに非常に違和感を感じた。なぜなら、F1はとっくの昔からエコだからだ。
F1のパワーユニットは、「与えられた燃料をいかに効率よく燃やすか」という点で、これ以上ないエコ方向で設計される。ピストンがピカピカなのは、 摺動抵抗抵抗を減らし、強度を上げるためだ。
開発を進めて燃費をよくすれば搭載燃料を減らすことができ、軽い分だけ運動性能が上がる。タイヤも同じだ。F1のタイヤは、グリップがよく、長持ちして、かつ軽量に設計される。100%エコタイヤの方向と同じだ。
パワーユニットもタイヤも、凄まじくエコ思想でデザインされるが、使い方が“速さ”に特化しているからエコに見えないだけ。それを伊東孝紳社長が理解していないか、少なくとも積極的にそれを訴えることなく、まるで素人のように、規則がエコ方向になったから、と仰った。
発表会の記者会見で、伊東孝紳社長に質問した。「以前は、F1をやりたいとか、F1をやっている会社だから、という理由が御社社員の入社動機だったとお聞いていましたが、最近は、“大きな会社だから”という理由になったと聞き及び、研究所の内部から“F1をやりたい”という声が上がらなくなっているのではないかと拝察できますが、内部の意識が高まっての復帰でしょうか」と。
伊東社長はYESと答えたが、その後、ホンダ関連の事情通によると、ある日、伊東社長が研究所を訪れて、「F1やるぞ、予算はないが、頑張ってくれたまえ」と言ったという。下から盛り上がったのではなく、伊東社長の命令一下だったということだ。
命令が下されれば、下は渋々でも従わざるを得ない。突然、ドタバタとホンダにとって4回目のF1活動がスタートしたことになる。
ここに、ボタンの掛け間違いがあったと言えた。上層部が、F1のレベルを理解せずに復帰にGOを掛けてしまったのだ。
伊東孝紳社長から八郷隆弘社長に交替が発表されたのは、2015年2月23日(月)の17時。伊東孝紳社長は、かくて自分の任期の中に『F1』を“記入して”任期を終えた。めでたく、創始者の本田宗一郎以降の歴代社長の経歴の中に、『F1活動』が記されることになった。しかし、記録はされたが、記憶に残るものが、輝くものになったとは言い難い。
そして八郷隆弘社長も、モータースポーツに興味をお持ちと言われるが、本田宗一郎を筆頭に、河島喜好二代目社長、川本信彦四代目社長のようなホンダのモーターレーシングを推進してきたリーダーのような強烈な求心力があるようにはお見受けできない。
そもそも、大きな会社になって、遮二無二売れるクルマを送り出したいホンダに、我武者羅なレーシングマインドは不要になったのかもしれないが、かくてホンダはトヨタ化した。F1で勝てる力を出せないのはそのためではないか。
(3/3に続く)
[STINGER]山口正己
photo by HONDA