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出戻りチャンピオン、フィティパルディ–カウントダウン企画 2018F1GP開幕まであと51日

新シーズンに向けて鼓動が高まる!!

52日からつづく)

先週行なわれたデイトナ24時間の優勝ドライバーの一人に、クリスチャン・フィティパルディがいた。F1現役時代にはトム・クルーズもかくやのイケメンだったが、御歳47歳の紳士になっていた。

彼の父親は、ウィルソン・フィティパルディ、その弟が、ブラジル人初のワールドチャンピオンのエマーソン・フィティパルディだ。

グッドウッド・フェスティバルofスピードで。メカニックのボブ・ダンスからヘルメットを受け取り、ロータス72をドライブしたエマーソン・フィティパルディ。

1971年イタリアGPでシーズン5勝目を挙げたフィティパルディは、2位のラウダに大差を着けて、残り2戦を待たずにワールドチャンピオンを決めたのだが、その勝利をブラジルのアナウンサーは、イタリアからブラジルへ向け、「ブラジル初のワールドチャンピオン誕生をお伝えできることを光栄に思います」と伝えたのだが、実はそのアナウンサーは、エマーソンの実の父、ウィルソンSr.だったのだ!!

エマーソンはその後、ロータスからマクラーレンに移籍した1974年にもワールドチャンピオンを奪い、これに刺激を受けたのが、ネルソン・ピケであり、アイルトン・セナだった。

しかし、その後、コパスカーというブラジルの砂糖会社のスポンサーを得て兄のウィルソンと共に自らのチームを立ち上げるが、成績が振るわず、借金とともにチームを解散、ゴタゴタで奥さんにも逃げられ、極貧生活に陥った。

そしてそこからが、エマーソン・フィティパルディという男の凄さだった。ブラジルに帰ったエマーソンは、十代の子供たちに混じって、カートレースからやり直し、「モチベーションがあることを確認」して、アメリカに渡ってインディカーに挑戦、インディ500優勝と、シリーズチャンピオンを獲得した。

二度のワールドチャンピオンよりも、不死鳥のように甦ったこの決意こそ、エマーソン・フィティパルディの素晴らしさだ。

(50日につづく)

[STINGER]山口正己
Photo by [STINGER]、INDYCAR

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