シリーズ・バーチャルセーフティ・カー :その8・スポンサーなんかいなかった
記録だけでなく、記憶に残すために
ところで、もともとは、モータースポーツにスポンサーなんかいなかった、という事実があります。そもそもF1は、“他人様の懐をアテにしてとる相撲ではなかった”ということです。
ただし、スポンサーが一般的になった1968年の“ゴールドリーフ・カラー以前にもスポンサーもしくはスポーンサーのようなものがなかったわけではありません。アメリカのインディ500のマシンには、古くからボディになにやら名前が書かれています。日本でも、大正時代に行なわれたレースに、“チチヤス”という乳製品の会社がスポンサーになって、“毎日牛乳を飲もう”と書かれていたらしいし。
とはいえ、正式に“スポンサー”という形が完成したのは、1968年のF1GPである、というのが、歴史の上では正しいとされており、それ以前のF1は、所属する国の色(ナショナルカラーと呼んだ)に塗られることが常だったのです。イギリスはブリティッシュ・グリーン、ドイツはジャーマン・シルバー、フランスはフレンチ・ブルー、イタリアはイタリアン・レンド、日本はアイボリーに日の丸、という具合でした。
では、国別の色に塗り分けたF1の資金は誰が調達していたのか、といえば、それはチームやそのパトロンであり、スポンサーではなかったのです。
[STINGER]山口正己
写真素材:TOM’S Racing