レッドブル同士討ちの構造
アゼルバイジャンGPで同士討ちリタイアしたレッドブルの二人。事態はこんなふうに起きた。
51周のレースが終盤にかかった37周目、まずはダニエル・リカルドがピットイン。タイヤを交換したリカルドは、低い気温でタイヤのウォームアップに苦しんでアウトラップが遅く、次の周にピットインしたフェルスタッペンに前に出られた。
しかし、フェルスタッペンもタイヤの暖めに時間がかかるのは同じ。タイヤが暖まったリカルドの方がペースが上で迎えた39周目の長いストレート。
スリップストリームとDRSの効果でリカルドが追いつき、追い越そうとしたところでフェルスタッペンがブロック。二人の思惑が交錯して2台は接触した。
リカルド+レッドブルのノーズがフェルスタッペン+レッドブルのギヤボックスに突っ込み、フェルスタッペンのマシンは、つんのめるように姿勢を崩し、2台はそのまま、左直角コーナーのランオフエリアに止まった。
◆喧嘩両成敗
レッドブルのクリスチャン・ホナー代表は、喧嘩両成敗として、「ファクトリーのみんなに謝れ」とだけ言ったというが、ひとつ間違えばリカルドが宙を舞う事態になった可能性があった。二人が無事だったのは不幸中の幸い。
レース序盤から二人は激しい先陣争いを展開していた。10周した辺りの4番手争いは、チームメイトとは思えない際どいもので、一度はフロントタイヤを当て合う場面も見せていたが、さて、レッドブルが、二人を自由に戦わせたのはなぜか。
◆自由こそレッドブル
レッドブル・レーシングのスポンサーであるレッドブルの社風が、“自由”であることは知られたところだ。少なくともF1のパドックでのレッドブルF1チームのムードは、自由を尊重している。
たとえば、ヨーロッパラウンドのパドックで、VIPやメディアにランチをサービスするエナジーステーションは、いわゆる“敷居”の高さを感じさせない。VIPはもちろんだが、ある意味ついでに食事を振る舞われるメディア関係者に対しても、非常に公平で、パスホルダーであれば誰でもアットホームな笑顔で迎えられる。自由なムードが満喫できる。同じように、堅苦しいことはせず、ドライバー序列を着けないのがレッドブルの家風。だから自由に戦わせる。
しかし、バクー・ストリート・サーキットは、そうした思惑を惑わす超越したリスキーさがある。アゼルバイジャンGP会場には、狭くて超高速の雰囲気から異様な空気が流れ、張りつめた緊迫感の中にある。極限的な緊迫感の中でドライバーの集中力は限界点まで高められ、恐怖心を凌駕してしまうのかもしれない。
◆“危ない”ではない。“危なっかしい”から面白い
最後のセーフティカー開けのセバスチャン・フェッテルのレイトブレーキングもそのひとつだった。狭くて高速といっても、長いストレートからのブレーキング区間は、オーバーテイクできる幅があり、モナコのような抜けないコースではない。高ぶった意識でそこに差しかかれば、追い越したくなるのがレーサーの性。だからフェッテルはタイヤをロックさせてバルテリ・ボッタス+メルセデスのインに飛び込んだ。冷静な状況なら、そのスピードで曲がれないことが分かるはず。フェッテルが冷静に我慢すれば、ボッタスのタイヤがバーストして表彰台最上段にいけたかもしれない。しかし、後づけならなんとでもいえる。間違いないのは、バクー・ストリート・サーキットが極めてリスキーで、F1ドライバーの神経を狂わすということだ。
アゼルバイジャンGPの舞台は、モーターレーシングの肝である“危なっかしさ”にあふれている。それが面白さを呼ぶのだが、“危なっかしい”を行き過ぎて、“危ない”という領域に入ってしまうと怖いことになる。
次のアゼルバイジャンGPは、ギリギリの“危なっかしさ”を保つために、何らかの抑制策が必要になるかもしれない。
[STINGER]山口正己
Photo by Aston Martin Red Bull Racing