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シリーズ・バーチャルセーフティ・カー :その9・白地に赤くは、モナコとポーランドのものだった!?

ホンダのマシンといえば、赤とアイボリー。

記録だけでなく、記憶に残すために

スポンサーが当たり前になった今でも、F1には『ナショナルカラー』が存在しています。たとえば、フェラーリはイタリアンレッドであり、メルセデスはジャーマンシルバーを護っています。

ところで、1964年に初めてホンダがF1に参戦した時、日本のナショナルカラーは存在していなかったのです。初代ホンダF1マネージャーの中村良夫監督は、ハタと頭を抱え込み、FIAと交渉の末、日本のナショナルカラーが決定します。

宗一郎は金色にしたかった。

最初は、創始者の本田宗一郎が好きだった金色を候補に挙げました。実際、開発が行なわれたホンダ初のF1マシンは金色だったのです。何人かのホンダのF1関係者によると、“ケバケバしい凄い色”だったとのことですが、とにかく、ホンダは金色を日本のナショナルカラーとして登録したい旨申し出ました。しかし、金色はすでに、南アフリカのものだった。

白地に赤は先約があった。

では、白地に赤く、ということで、白と赤も考えたものの、ポーランドとモナコがすでにその色の組み合わせ。仕方なく、アイボリーホワイトに日の丸、という苦肉の策に辿り着き、それが日本のナショナルカラーに制定されました。

要するに、F1マシンの色は、チームの好みでは決められなかった。ましてや、スホンサーの色にするなんて、誰も考えつかなかった。というより、スポンサー・カラーという概念が存在しなかったのです。

もちろん、スポンサーが存在しない、と言っても、お金の出所はちゃんと存在した。いわゆる、ブルジョアのパトロン、要するに資産家。参加者そのものが大金持ち、ということだったのです。そもそも、F1に限らずモータースポーツは、富裕層の遊びに端を発しています。

1964年にF1にデビューしたホンダは、2輪ビジネスが大成功して資金が潤沢で、さらに投資家の応援もあったのではないかと想像できますが、いずれにしても、資金は“誰かに出してもらう”のではなかったことだけは間違いない事実です。

[STINGER]山口正己
Photo by HONDA

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