シリーズ・バーチャルセーフティカー :その15・鈴鹿サーキットと富士スピードウェイ
うんちくがF1を楽しくする?!
富士は“スピードウェイ”であり、鈴鹿は“サーキット”です。名前の違いは、富士スピードウェイが元々アメリカのデイトナ・インターナショナル・スピードウェイを模して計画がスタートし、当初は、オーバルコースになる予定で建設が始まったからでした。第一コーナーのバンクまで建設が進んだところで計画を変更して、ロードコースになった、という経緯があったのです。
違うのは名前だけではありません。鈴鹿サーキットは、ホンダの創始者である本田宗一郎の発案で、クルマの開発や、スポーツ走行の場を提供するために建設されたのに対して、富士スピードウェイは、政治絡み。紆余曲折の末に三菱地所が買い取り、その後トヨタが経営を引き継いで現在に至りますが、鈴鹿と違って、自動車産業の育成とは別の次元の位置づけで実現に至りました。
元々富士スピードウェイは、コース幅も広くビッグスケールでしたが、トヨタに経営が移ってからは、安全が第一義となり、スペクタクルの舞台としてのイメージは影を潜めました。鈴鹿サーキットが、スパ-フランコルシャンと並ぶ名うての難コースと言われるのとは、趣を異にしています。
これまで富士スピードウェイでは4回のF1GPが開催されていますが、そのうち2回は土砂降りに見舞われます。偶然とはいえないこの確率からして、そういう場所に、ちょっとでも雨が降ったらアウトのオーバルコースを作ろうとしたことも、このコースの成り立ちが不自然なことを感じさせています。
とはいえ、1976年に初めて行なわれた富士スピードウェイの日本GPに衝撃を与え、多くの人にモーターレーシングの目覚めを与えたことも忘れてはならないことなのです。
[STINGER]山口正己
photo by FISCO