大切なのはモチベーション!!–フィティパルディに学べ
WEC開幕戦のスパ-フランコルシャン6時間でクラッシュしたピエトロ・フィティパルデが、ハースとF1ドライブの交渉を進めていたことが分かった。
今年、突然頭角を現し、1972、1974年ワールドチャンピオンのエマーソン・フィティパルディの孫として、脚光を浴びていたが、5月5日のWEC開幕戦の予選で、オールージュでコントロールを失って(なにかが壊れた?)、外側のバリアに激突。両足を骨折、左足は粉砕骨折という重傷を負って、しばらく病院のベッドの上で過ごすことになった。
スーパー・フォーミュラにも参戦するそのフィティパルディが、ハースと交渉を進めていた、というニュースは、いくつかの気付を与えた。
おじいさんのエマーソン・フィティパルディにとって、孫は“目に入れても痛くない”存在。全力を尽くしてF1ドライバーに推挙していたことは伺われるが、ここで、“おじいさんがワールドチャンピオンだから”というやっかみは禁物。
翻って、F1の会場で、若手の日本人ドライバーを見たことがない。記憶で唯一あるとすれば、松浦孝亮ただ一人。いつだったか、イタリアGPのモンツァで、パドックをウロウロしていた姿を見かけた。
誰かに呼ばれたわけでもない。ホンダが主宰していた『フォーミュラ・ドリーム』を優秀な成績で卒業したけれど、だからF1につながるほど世の中甘くない。そこで松浦孝亮は、単身、右も左もわからない中でモンツァのパドックでウロウロしていた。なにかを見つけようとして。
それ以前、ステファン・ヨハンソンが私服でパドックにいるのをよく見かけた。後にフェラーリのF1のステアリングを握ることになる。彼は、ヘルメットとレーシングスーツを持参していたに違いない。自分の才能を示せるチャンスをいかすために。誰かが腹痛でフリー走行に参加できなくなるかもしれない。それ以前に、チーム関係者に存在をうっ足りることの重要性を知っていた。
一方で、童夢がF1を作った時の、林みのる代表のコメントが日本人をよく現している。冗談で、乗せてください、という筆者に、林代表は、「オマエだけは絶対にダメだ」と言った後に、「乗せてくれと言ってきたのはオマエが初めてや」と首を振った。要するに、日本人ドライバーにモチベーションが足りていない、ということだ。
結局童夢F1は実現しなかったけれど、言いたいのはそんなことではなく、日本のチームがF1を作ったのだたら、誰がなんといおうと、「乗せてください」と言うのがレーサーとして当たり前。しかし、誰もいなかった。
大切なのはモチベーションだ。鈴木亜久里さんは、F1に参戦する3カ月前に、「見ててよ、オレF1に乗るから」とF2のポーからの帰りの飛行機の中で言った。凄まじいモチベーションを感じ、その年の日本GPでラルースからデビューが決まった時には、やっぱり、と思って鳥肌が立った。
レーサーに限らず、大切なのはモチベーション。やりたいことがあったら積極的に表舞台に立つこと。日本人レーサーに必要なのは、極東の島国という距離のハンディを乗り越えるモチベーション。それこそが、周囲で見る者たちに勇気とやる気、要するにモチベーションの発露を与える。
[STINGER]山口正己