シリーズ・バーチャルセーフティカー :その20・ジェイムス・ハントの日常
日本で初めてF1GPが開催された1976年は、ジェイムス・ハントとニキ・ラウダの闘いで注目され、ジェイムス・ハントの名は、6輪車の“たいれる”とともに日本のファンの脳裏にインプットされました。
その初めての日本GPは、『F1世界選手権inジャパン』と呼ばれ、土砂降りの雨の中で行なわれたレースで3位になってラウダとのタイトル争いに決着をつけたジェイムス・ハントは、表彰台に上がらずに帰ってしまいました。レース前に都内のホテルで行なわれた歓迎パーティには、裸足で参加したことでも、常識を逸脱する行いが話題になったのでした。
往年のレジェンドであり、イギリスの大先輩であるスターリング・モスに速く走る秘訣を訊かれたハントが「ビッグボール」と答えてモスを絶句させたのは有名な話。要は、繊細なマシンコントロール能力とかセッティング能力ではなくて、度胸が一番ということです。まぁ、品格なんていらねぇよ、と。
晩年、BBCの解説者としてF1に帯同していましたが、ポルトガルGPの後、リスボンからロンドン行きのフライトでエコノミークラスに乗っていたハントは、小瓶のワインを何本もお代わりして酩酊状態になり、最後に、「もう2本くれ」とCAに所望して、1本をポケットに入れて飛行機を降りました。ニキ・ラウダとタイトルを争った男と、その汚れたジーンズの男が、同じ人物には見えませんでした。
ジェイムス・ハント、1947年-1993年イギリス生まれ。優勝10回、ポールポジション14回、ワールドチャンピオン1回。1973年から1979年までに92回のF1GPに出場。昔は、豪傑ドライバーがいたものです。
[STINGER]山口正己
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