1990年以来のF1開催のポールリカール④1988年プロストvsセナ
復活するポールリカール・サーキットは、小高い開放的な舞台設定の効果で、ドライバーも開放的な気分になって、存分に力を発揮できるシチュエーションと思えた。たとえば、1988年、16戦中の実に15戦で優勝したマクラーレン・ホンダの年。アラン・プロストとアイルトン・セナが交互に優勝してタイトルを争った。16戦それぞれにドラマはあったが、第7戦フランスGPは、プロストがその天才であることを証明したレースだった。
80週のレースは、ポールポジションのプロストリードで進んだが、24周目にセナが前に出た。そのまま終わるかに見えたが、地元フランスのプロストはいつもよりアグレッシブだった。60周目長いストレートから右に切り込む高速コーナーのシーニュで、周回遅れの処理にかすかに戸惑ったセナを、プロストはズバッと、まさに音が出るように交わした。
DRSもなければ、オーバーテイクボタンもない。プロストが力でセナを下した瞬間だった。
一説には、タイヤを供給していたグッドイヤーが、プロストにいいタイヤを回した、という政治的な裏舞台を語るムキもいたが、そのオーバーテイクは、歴史に残る瞬間として深く記憶されている。
[STINGER]山口正己