F1史上最小の僅差–オーストリアGPの記録と記憶
◆呼び名の多さは一番?!
今週末は、3連戦の真ん中になるオーストリアGPが行なわれる。舞台は、レッドブルのお抱えサーキットのレッドブル・リンク。A1リンクとも呼ばれ、さらにその前はオステルライヒ・リンク、ツェルトベクとも呼ばれていた。
オーストリアGPで思い出すのは、1987年、中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとてしデビューし、フジテレビが全戦をリアルタイムで放映した記念すべき年の第10戦としして行なわれたレースだ。
◆多重クラッシュの締めは、マンセルの橋桁パンチ!?
スタートで多重クラッシュが発生し、二度のやりなおし。スタートが3回行なわれたレースとして記憶された。さらに、三度目のスタートでも出遅れながら、ピケを下して優勝したナイジェル・マンセルは、表彰台に向うオフィシャルカーの上で、橋桁に頭をぶつける御難にも襲われた。
このレースの予選中には、マクラーレンのステファン・ヨハンソンが、コースに迷い込んだ鹿をはねるアクシデントも起きていた。
◆史上最短の1-2の差
それから5年前の1982年には、26台出走のうち、18台がリタイアするサバイバルレースとなり、終盤、トップ立ったエリオ・デ・アンジェリスを、ケケ・ロズベルグが追い上げ、チェッカードフラッグを受けたときは、2台の差が0.125秒という際どい勝負になった。
この差は、1967年に、モンツァのイタリアGPで優勝したジョン・サーティースのホンダとジャック・ブラバムのブラバムとの差、0.2秒を超える僅差として記録された。
時代を進めて2002年には、セーフティカーからのリスタートで、ハイドフェルドのザウバーがスピンして1コーナーをカットし、佐藤琢磨の横っ腹に突っ込んだアクシデントを思い出す。
名前がいろいろあるだけでなく、多岐にわたるドラマの舞台として、オーストリアGPは記憶されている。
[STINGER]山口正己