ボッタスは、今年もハミルトンの背中を見続けるのか?!
フィンランド人の多くは、喜びの表現がうまくない。少なくとも、F1ドライバーに限れば、決定的といってもいいくらいだ。寒い国で育ったことで、動きが小さくなりがちなせいだろうか?
キミ・ライコネンの無愛想もひとつのサンプルだが、ライコネンの場合、“アイスマン”というスタイルを確立したので問題はないが、二度のワールドチャンピオンに輝いたミカ・ハッキネンの喜び方のかっこわるさ(笑)は、もはや伝統芸とさえ言えた。ライバルのミハエル・シューマッハが、“息子のために”(今思えば、2018年ユーロF3チャンピオンのミック・シューマッハのことだ)、と言って、表彰台で高々とジャンプしたのに比べると、キャップをベルトに挟んだり、ガッツポーズも腰が引けてどう見ても様になっていなかった。
その流れを汲んだ(?)バルテリ・ボッタスも、“奥手”のイメージが定着してしまった。ライコネンや、ハッキネンは、喜び方が地味でも、実績を上げているが、ボッタスはまだ、チャンピオンになっていない。
そうした状況のなかで、去年は、リードしていたバクーのアゼルバイジャンGPでは、タイヤバーストでフイにした。ドイツGPでは、完全にレースの主導権を握っていたが、チームの指示で、ハミルトンに優勝を譲った。ハミルトンはこの勝利でフェッテル+フェラーリからポイントリーダーを奪い取って後半戦へのジャンプ台にしたのに対して、ボッタスは悲劇の主人公役だった。
ボッタスが我慢をする役回りであることが、見ている方にもどんどん刷り込まれることになったのだが、今年も同じ境遇に満足するのだろうか。ボッタスは、雪に包まれた冬の間に、身体トレーニングはもちろん、ラリーで動体視力も鍛え抜いて2019年に備えた。
ニコ・ロズベルグがそうだったように、ルイス・ハミルトンが力溜め込んでいる序盤にポイントを稼いで、ハミルトンが本気になるシーズン後半を逃げきる、というパターンでもいい。見た目とは違うバルテリ・ボッタスが見たい。
[STINGER]山口正己
photo by MERCEDES