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ラウダの伝説

5月20日に70歳の生涯を閉じたニキ・ラウダは、頭脳派F1ドライバとして、1971年のデビューから1985年の引退まで、14年間のF1GPを闘った。最後の1985年、チャンピオンを奪った翌年、オランダGPで優勝の引退。
1950年に始まったF1GPで、まさに伝説にふさわしいドライバーだった。

ラウダにまつわる伝説の数々

◆1949年2月22日、オーストリアのウィーンで誕生。
◆自分の生命保険を担保に、F1参戦の資金を調達。
◆初のワールドチャンピオンは、フェラーリ。以後、ブラバム、マクラーレンとトップチームで活躍。
◆1976年ドイツGPで瀕死の重傷を負いながら、6週間で復帰していきなり4位。
◆ハントとのタイトルがかかった1976年の富士スピードウェイでの日本GPを、雨で危険として自らリタイア。
◆アクシデントの翌1977年に二度目のワールドチャンピオン。
◆一端引退した後、ポルシェを口説いてエンジンを作らせ、1984年に三度目のワールドチャンピオン。
◆三度目のチャンピオンを決めた1984年ポルトガルGPの表彰台で、優勝したプロストに「次はキミの番だ」と名セリフ。
◆スムーズなドライビングで知られるジャッキー・スチュアートが、「知る限り最もスムーズなベストドライバー」と称賛。
◆コースオフしたラウダを救出しようとしたオフィシャルにパンチ。「殴ったのは私が悪いが、彼は、レーサーのスイッチがoffになっていないことを知るべきだ」と一言。
◆1979年にラウダ航空を設立。2013年まで就航。

◆事故後、ボーイング社に乗り込んで、原因がパイロットになかったことを認めさせる。
◆『ラッシュ/プライドと栄光』で映画に。
◆メルセデスF1チーム非常勤会長。アドバイザーとして、ルイス・ハミルトンをケア。
◆ワールドチャンピオン3回、ポールポジション24回、優勝25回、ファステストラップ24回。
◆F1デビュー:1971年オーストリアGP(22歳)。
◆最終GP:1985年オーストラリアGP(36歳)。
◆初優勝:1974年スペインGP。
◆最終優勝:1985年オランダGP。
◆初チャンピオン:1975年(26歳)
◆最終チャンピオン:1985年(36歳)。
◆享年70歳。

[STINGER]山口正己
movie by FERRARI

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