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MかNを狙って、ウィリアムズが動き始める

1978年、浮上をはじめたウィリアムズの重鎮二人。左がテクニカルディレクターのパトリック・ヘッド。

名門ウィリアムズがあえいでいる。今シーズンのここまで、いいことがひとつもなかった。開幕前のテストに間に合わず、走ってみればドン足、パーツも足らず、フロントウィングのスペアがなくてクラッシュもできない。その責任をとって、テクニカルディレクターのパディ・ロウが解雇され、挙げ句は、オーストリアGPでデータの間違いでドライバーof the dayを“受賞”しそこない、ありもしないジョージ・ラッセルとロベルト・クビツァの確執だけがマスコミのネタだった。

しかし、どん底ならもうこれ以上は下がらない。あとは、どこまで耐えて上昇機運をつかむか。

パディ・ロウがチームから離れることが決まった直後に、マクラーレンやフェラーリで活躍し、マクラーレンに戻っていたデザイナーのパット・フライがマクラーレンを離脱したニュースが届いた。フライは、ウィリアムズ建て直しのための救世主、といい方に解釈すると、すべてが丸く納まる。

全員で力を併せる、という姿は美しいが、そのためには、牽引する頂点が必要だ。パディ・ロウにはその力がなかったか。いや、彼が劣っていたのではなくて、ウィリアムズと水が合わなかっただけかもしれないが、ウィリアムズには、かつてパトリック・ヘッドという名テクニカルディレクターがいた。フランク・ウィリアムズとチーム創世期から苦楽をともにしたイギリス人だ。

デザイナーとしてみた場合、ヘッドは例えば同時代の鬼才ゴードン・マーレイのような奇抜なアイデアを出したことがない平凡なデザイナーだったが、かつてこんなことを言ったことがある。サウディアのスポンサーを獲得して一躍表彰台争いに躍進した1979年。時代は世を挙げて、ボディ下面の形を工夫してダウンフォースを発生させる“ベンチュリーカー時代”に突入していた。

デザイナーは戦々恐々として、ロータスが発明したベンチュリーシステムを元に、さまざまな工夫をしている中で、ウィリアムズがぐんぐん成績を上げていた。パトリック・ヘッドは、『auto technic』誌のインタビューで、現在F1のテレビ解説者としてお馴染みの森脇基恭さんの質問に、実に“らしいコメント”を返した。

「みんなZを狙っているけれど、私はMかNにしたのです」

多くのデザイナーがマリオ・アンドレッティとロニー・ピーターソンが圧倒したロータス78のベンチュリーシステムをコピーし、さらに進化させたものにしようとしていた。ヘッドの言う通り、発明したロータスを含め、ほとんどのチームが“Z”を狙っていた。ある意味、進化を追い求めるF1なら当然の思考回路だが、全員がことごとく失敗していた。

地道な選択をしたヘッドの狙いは的中し、1979年のウィリアムズFW07は、第9戦イギリスGPでアラン・ジョーンがチーム初のポールポジションを獲得、レースではクレイ・レガッツォーニがチーム初優勝を達成、終盤7戦で5勝し、翌1980年に初めてのチャンピオンに輝いた。さらにその翌1981年も、連続タイトルを手にして、その後のウィリアムズ・ホンダ、ウィリアムズ・ルノーの黄金期につながることになった。

この偉業を支えたのは、パトリック・ヘッドの統率力だった。チームがひとつにまとまることの大切さは、新進気鋭のとがった頭脳だけの仕事ではないことが証明された。パット・フライが、その役目をになうことに期待して、シーズン後半のウィリアムズに注目したい。

今週末は、ウィリアムズの地元イギリスGP。1976年、チーム創設2年目のイギリスGPのレース後、パドックで腕時計を売ってメカニックの帰りのガソリン代にあてたという逸話の持ち主であるフランク・ウィリアムズのためにも、そろそろ春がきてもいい頃だ。

[STINGER]山口正己
photo by WILLIAMS

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