ライコネン“お楽しみ”の歴史!!(2/3)
(1/3からつづく)
16戦で行なわれていた2001年は、デビュー戦を含めて、当時6位までだった入賞4回を記録、10位以内で10回ゴールしてシリーズ10位。日本GPでは、このレースで引退するジャン・アレジと、S字を駆け上がったダンロップ・コーナーで接触して、アレジの記念のレースを台無しにしたが、ライコネンの才能を見抜いていたアレジは、ライコネンの将来を案じてか、優しい言葉をかけてとがめることはなかった。
デビュー戦の活躍を見たマクラーレンのロン・デニスが、翌2002年に、チャンピオンのハッキネンが抜けたシートをライコネンに与え、またもや飛び級でトップチームに駆け上がった。
マクラーレン初年度は優勝はなかったが、表彰台4回。イタリアGPでは、佐藤琢磨と予選で絡み、ジョーダンに乗っていた琢磨は、コクピットを降りるとマクラーレンのガレージに駆け込んで抗議したが、ロン・デニスに護られたライコネンは、どこ吹く風の表情で対応した。
初優勝は翌2003年のマレーシアGP。2003年のシリーズ・ランキングは、チャンピオン記録更新中のミハエル・シューマッハに続く2位。2005年にはフェルナンド・アロンソ(ルノー)とタイトル争いを繰り広げ、2007年にはフェラーリに移籍してレースを始めた1999年から僅か8年でワールドチャンピオンに到達した。
(3/3につづく)
【STINGER】from ALFAROMRO
photo by Jiri Krenek/activepictures