リバティ・メディアも“人”に注目!!
F1のライブ放映の開始前のイントロ部分は、毎年趣向を凝らした“物語”が込められている。
2016年にフォーミュラワン・グループを買収して、F1GPの権利を手に入れたリバティ・メディアは、F1GPが元々は、ドライバー選手権として始まった歴史を尊重してか、この曲をバックにした2019年シーズンのイントロに、マシンがまったく出てこなかった。
近代F1GPは、1950年に始まったが、コンストラクターズ・ポイントが参加チームに与えられるようになったのは1958年からだった。F1GPの主体は、あくまでドライバー選手権にある、という不文律を、リバティメディアが改めて伝えようとしたものだ。
とはいえ、時代とともにドライバーとマシンの速さに占める比率が変化しているのも確か。1968年にロータスのコリン・チャップマンが、高騰するマシン制作費や運営費用をカバーするために、ゴールドリーフというスポンサーを取得し、その代償として、それまで国ごとに塗り分けられていたボディを金と赤と白のカラーリングにしてから、ナショナル・カラーは消え去る運命にあった。現在、ナショナル・カラーを守っているのは、フェラーリだけになった。
時代が進むと、たばこメーカーのスポンサーを挟んで、さらに開発費が嵩んでいった。1980年代中盤のターボ時代には、エンジンの優劣で勝敗が決まる傾向になり、ドライバーよりもエンジンの闘いに赴きが変化し、エンジンを供給する自動車メーカーの“都合”でスポンサーが左右されるようになる。
AIの進化はF1GPにも当然波及し、ますますドライバーの影が薄くなって現在に至っている。
とはいえ、地球の表面に乗っかっている、というポジションはF1マシンと言えどもクルマに代わりはなく、最終的なコントロールは運転者に委ねられている。
テクノロジーの面白さだけでなく、人のドラマにこそF1の機微がある。リバティ・メディアは、そういいたいに違いない。
[STINGER]山口正己
photo by MERCEDES