小林可夢偉インタビュー 2011年を振り返って
2年目のシーズンを終えた25歳の小林可夢偉が、今年のシーズンを振り返った。
Q.今年を振り返ってみると、どんな1年でしたか?
小林可夢偉(以下、可夢偉):冬のテストは手ごたえがありましたし、シーズンの初めには強さもありました。最初はパフォーマンスに満足できる理由がありましたね。全19戦中、9戦目のイギリスGPからルールの変更があって、チームの技術的な問題でも苦労しました。それ以上はオフ・スロットル・エキゾースト・ブローン・ディフューザーに関して作業をストップして、代わりに僕たちが選んだ開発の方向性に向けて努力してきましたけど、ほかのチームと同じテクノロジーがないというところの遅れを取り戻すことはできなかったんです。最後の2戦でポイントを獲得できたことにはよかったです。そういった状況から考えれば、上手くやれたと思います。
Q.まだシーズン2年目のこの時期に、チームのリーダーとしての役割を与えられたことを、どう受け止めていますか?
可夢偉:確かに僕にとっては簡単なことではなかったですね。いろいろと向上していく必要がありました。ドライビングのことだけじゃなくて、エンジニアと方向性を決めることもそれが必要だったんです。ピレリの新しいタイヤは、ブリヂストンのもと比較して、違った性格を持ってましたし、ピレリのタイヤを扱うことはチャレンジングでしたね。レースには何がベストなのか、予選にはどう取り組むべきかがが重要でした。土曜日と日曜日では、パフォーマンスがだいぶ違ってたんです。今年を通していろんなことを理解できたと思いますし、来年はもっとハッキリしたビジョンを持ってます。
Q.今年のハイライトはなんでしたか?
可夢偉:間違いなくモナコとカナダですね。モナコは予選13位で、グリッドとしてはいい位置ではなかったんです。それでも、レースではいい戦略もあって、5位でフィニッシュできました。チームにとってすごくハードな週末でした。カナダではウェットでパフォーマンスを発揮できました。トラックが乾いたとき、2位のポジションを守りきれなくて、最終的には7位でした。もっと雨が降っていれば僕たちの見方になってくれたと思いますけど、それでもいいレースだったと思います。
Q.今年、最悪だったことは?
可夢偉:選んだ技術開発の方向性が、全体的なパフォーマンス不足に苦戦してるとわかったときはつらかったですね。特に、予選の弱さを上手く取り戻すことは簡単じゃなかったです。
Q.母国で震災が起きたことで、どのような影響を受けましたか?
可夢偉:難しいですね。震災が起こら余暇たと思います。悲しかったですし、すぐに何かする必要があったことはわかってました。僕は仕事で日本で長く過ごすことはできませんでしたけど、F1の世界いることで、独自のメッセージを送るチャンスがあることに気がついて、できる限り何かしたかったんです。もちろん、プレッシャーもありました。鈴鹿でのGP週末は特別でしたね。
Q.クリスマスと新年はどこで過ごしますか?
可夢偉:ファクトリーでの会議があるので、クリスマス前に日本からスイスに戻ります。そのあとはまだ考えてないですね。クリスマスと新年のあいだにいい休みが取れればいいですね。静かでリラックスできる場所ならば、どこでもかまわないです。
■小林可夢偉の2011年の成績
全19戦のレース中、9戦で30ポイントを獲得し、ドライバーズ・ランキング12位。第6戦のモナコGPでは、自己最高位の5位入賞を果たした。