フォトグラファーの金子博さんに名誉のF1永久パス
バーニー・エクレストン(中央)から、永久パスホルダーの称号を受けた金子さん(左)、右は、一緒に栄誉に輝いた、フェラーリのオフィシャルフォトグラファーのエルコーレ・コロンボさん。全員、満面の笑み。
F1フォトグラファーの金子博さんが、”F1永久取材パス”を贈られた。
1976年に富士スピードウェイで行なわれた日本GPを皮切りに、500戦のF1GPを撮り続けた金子博さんが、2011年F1GP最終戦のブラジルGPで、F1の最高権威者であるバーニー・エクレストンから”名誉メディアパス”を直々に贈られたもの。
報道パスは、それぞれ厳しい条件をクリアーしなければ取得できない。特に、一匹狼で取材するフォトグラファーや、媒体を持たないライターの場合、媒体の保証や、実際の仕事(年間12戦以上の取材と、フォトグラファーの場合、年間掲載数が250点以上など)の実績を、毎年報告し、年明けに審査の結果が発表されるのだが、金子さんは、”偉業”が認められ、その申請を生涯しなくていいことになった。
これまで、世界にも例がなく、もちろん日本人では初めて。今回は、フェラーリのオフィシャルフォトグラファーのエルコーレ・コロンボさん(イタリア)とともに認定証を受け取った。
エクレストン氏から栄誉を手渡された金子さんは、「あまりのことでよく覚えていません」と興奮の極致だったが、その時の模様を以下のように語った。
◆金子さんの受賞直後のコメント
「何がなんだか、感動でよく覚えていないくらいです」。
「日曜日(11月27日ブラジルGP決勝日)、ネルソン・ピケ(ブラジル出身で三度のワールドチャンピオン)のブラバムの公開走行撮影中に、パスカーレさん(バーニー・エクレストンの懐刀)が ”バーニーの事務所に来てくれ”と 一言」。
「ギクッとしました。というのは、パスカーレに呼ばれるのは 何だかいつもやばい事に決まってるのはこの世界
の常識だからです。”もしかして知らないうちに FIAの撮影ルールを破ってしまって、それが国際映像かなんかに映っていて、それを証拠に、パスの停止か、も、もしかして取り消し???・・・なんて、マジでビビってましたよ」。
「後で仲間の熱田(護カメラマン)さんの写真を見たら、パスカーレはにこやかな表情だったので、やばい事じゃなかったのは確認できました。慌てることはなかったんです(笑)」。
「しかし、待ち時間は苦しかったの一言でした。正直生きた心地がしない2時間でした。
バーニーさんに、直接パスを渡していただいた時の事は、あんまり覚えてません。握手してもらって、肩を叩かれて肩を抱かれて、記念写真を撮ってもらったことだけを、やっと思い出せる感じです」。
「その上、バーニーさんと、一緒に永久パスを受け取ったエルコーレさんと自分の3ショット写真なんて、考えられないことですから。身に余る光栄でした」。
「バーニーさんから ウエルダンとかコングラチュレーションとか、声をかけてもらったんだ思いますが、どんな
「カメラマン部屋の戻ってから 多くの仲間たちに おめでとうと 声をかけてもらったのも身に余る光栄でした」。
「最初の撮影は 76年の富士、最初の海外F1が78年モナコでした。78年モナコの時は、知らないうちにモナコに居たというのが強烈な記憶として残っています。前後のことはまったく覚えていないのですが、突然モナコにワープした感じで、気がついたら モナコのメイン・ストレートにカメラを持って立っていました」。
パスをいただいて一日明けた今日(11月29日火曜日)は、なんとか自分を取り戻しつつあります。まったく 月並みな言葉しか浮かびませんが、この仕事を やりぬくことが可能な丈夫な体で産んでくれて、教育も授けてくれた両親と、不安定な仕事なのに長きに渡ってサポートしてくれた家族には、一番最初に感謝したいと思っています」。
「また 各メディアの方々、スポンサーの方々、 何よりも 仕事仲間やF1ピープルの方々に感謝の気持ちです」。
「また バーニーさんとのパスの授与を写真記録してもらった 熱田さん、松本浩明さんには 特別にお礼を言いたいです」。
喜びの金子博さんのブログは、こちら。
バーニー・エクレストン氏から手渡された永久パス。パスカード自体は、今年用流用したものだが、こうした気配りが、実はバーニー・エクレストンの心遣い。たんなる金の亡者と思うのは、本質を知らない人の思考回路だ。
*写真は上から、
パスカーレ氏の呼び出しにおびえる?)金子さん。
コロンボ氏から、どうやら・・・と聞かされて一安心。
バーニーさんに肩を叩かて緊張の瞬間。
FIAプレスオフィサーのボンチアニさんも祝福。
元フォトグラファー仲間、現在FIAのフォトグラファー担当のベアさんもおめでとう!
よかったよかった。
よかったよかった。