F1ドライバー 小林可夢偉 2010年 初春トーク 2/9
◆トヨタ撤退では、ものすごく落ち込んだ……
[STG] 何度も訊かれていると思いますが、あらためて。2009年の11月4日にトヨタの撤退を聞いたときは、どんなことを思いました?
可夢偉 ご想像の通り、というか、かなりショッキングな……。ぼくの中では、来年のドライバーに決まった!といわれるのかなと思ったら、実は「撤退します」。そういわれたときはすっごく”落ち”ましたね。もう言葉には言い表わせないくらい。
[STG] その話は、ケルンのTMGに呼ばれて、そこで聞かされた?
可夢偉 レースのミーティングかなんかの後、帰ろうと思ったときに、いきなり新居(章年 元技術コーディネーション担当ディレクター)さん呼ばれて、それで……。
[STG] その後、ザウバーに決まるまでの間の11月末に、富士スピードウェイで行なわれたトヨタ・モーター・スポーツ・フェスティバルにも来ていますよね。そのころの心境は?
可夢偉 実は、どこかのチームには乗れるだろうと思っていました。ただ、ぼくとしては、それがいいチームか、悪いチームかということが問題でした。(グランプリに)参戦した2戦がうまくいったこともあって、乗れないという心配はしていませんでしたから。
[STG] モーター・スポーツ・フェスティバルで、なくなるチームのマシンに乗らなければならなかったのは、結構辛かったのでは?
可夢偉 まぁ、そうですね、かもしれないです。
[STG] トヨタの撤退が決まる前、今年は日本人ドライバー2人になるという話はなかった?
可夢偉 ぼくが想像するには、それは絶対ありえないと思います。”日本色”が強すぎるので。
それに、そうやって日本人だからって甘やかすから、ぼくらにも厳しいんだと思いますよ。悪くはないけど、過保護なのと一緒で、いい目では見られない。
◆はじめは、ルノーを最優先にしていた
[STG] なるほど。ザウバーの話が来たのはいつごろ?
有松義紀マネージャー(以下有松マネージャー ) みんな誤解している部分がありますが、当初ザウバーはエントリーの権利がなくて、その見込みもなかった。だから僕らはザウバーのプライオリティーを一番にすることはできなかったんです。
もちろん、パフォーマンスの面ではよいチームであることは認識してはいましたが。そいうこともあって、その時点ではルノーを最優先と考えるしかなかったですね。
[STG] その時点とは?
有松マネージャー 最終戦アブダビGPの時点です。その時点で(ルノーと)話はしていました。
[STG] ところで、可夢偉さんとしては、ザウバーはどんなイメージでした?
可夢偉 BMWのチームですから(ワークスなのでポテンシャルはある)。最後の2戦でよかったし、パフォーマンス的には選べる中ではいいチームじゃないかと。上にはメルセデス、マクラーレン、フェラーリだけだし。そう考えるとトヨタがいなくなったいまでは、トップ4なんで、悪くはないかなと──。
[STG] 実際にペーター・ザウバーに合ったのはいつ?
可夢偉 12月4日です。
[STG] トヨタの撤退からピッタリ1カ月ですね。どんな感じでした?
可夢偉 うーん、僕はいつもどおり接して意気投合していたんですが、F1っていうのは契約書にサインするまで分からないし、逆にサインしても分からないぐらいの世界ですからね。正直何を信用していいか分からない世界ですが、ぼくの仕事は走ることなので、自分がレースを走れるものと思って、あんまりそういうことを考えないでおこうと思っていました。