復活するカナダGPの思い出
◆1967年
初めてのカナダGPがモスポート・パークで開催された。1964年にデビューしたホンダは、このレースを休んで、ローラ社と協力してRA300を製作することにし、次のイタリアGPで、J.サーティースがデビュー・ウィンを飾った。
◆1978年
1967年に初めて開催されて以来、カナダGPは、モスポート・パークかモント・レンブランで開催されていたが、この年から、モントリオールに舞台を移した。コースは、1976年に開催されたオリンピックのボート競技場の跡地の特設コース。半分が公道のサーキットだ。
公道を使うことから、路面が荒れ、セッションが中断する事件も起きたが、以後、カナダGPの舞台は、中断の2009年を挟んで、カナダの英雄の名を冠した同じ”ジル・ヴィルヌーブ・サーキット”が定着している。
◆1979年
フェラーリは、ジル・ヴィルヌーブとジョディ・シェクターのコンビ。雨の予選でJ.シェクターは”これ以上ない完璧な走り”をして満足の面持ちだった。しかし、ピットに戻ってG.ヴィルヌーブのタイムを聞いて愕然とした。10秒も速かったからだ。
その年、シェクターはワールド・チャンピオンを奪った。3年後、ヴィルヌーブは、ベルギーGPでの予選で前車に追突して中を舞い、命を絶った。エンツォ・フェラーリが最も愛した果敢なカナダ出身のドライバーは、チャンピオンになることなく世を去った。
◆1982年
カナダGPは、アメリカGPとセットで秋に行なわれるのが定番だったが、この年から6月に移動した。その最初のレースで痛ましいアクシデントが起きた。
エンジンをストールさせてスタートできなかったポール・ポジションのD.ピローニ(フェラーリ)に、この年F1にデビューし、予選23位のグリッドから全開で加速してきたリカルド・パレッティが激突。救出作業中に満タンのガソリンに引火、23歳の生涯を閉じた。
◆1997年
G.ヴィルヌーブが初めてF1勝利を飾ったのは、本格デビュー最初の1978年最終戦の母国カナダGP。表彰台の下から、ウィナーを見上げて誇らしげに目を輝かせたのは、母親に手を引かれた7歳のジャック・ヴィルヌーブ。その18年後、ジルの息子ジャックは、父親が達成できなかったワールド・チャンピオン輝いた。
◆2007年
予選11番手からスタートしたスーパー・アグリの佐藤琢磨が、終盤、タイヤを傷めたマクラーレンのF.アロンソに追いつき、そして「まるで鈴鹿にいるかと思った」(琢磨)歓声の中で殊勲の6位入賞を果たした。
BMWザウバーに乗るR.クビツァが、マシンがバラバラになる激しいクラッシュ。膝を微かに擦りむいただけでF1マシンの安全性を証明した。
◆2008
2007年のモントリオールで激しいクラッシュを演じたR.クビツァは、次のアメリカGPをドクター・ストップで休んだだけで、続くフランスGPでは4位に入ってみせた。さらに1年後のこの年、クラッシュの後遺症を完璧に払拭して、カナダGPでF1GP初勝利を飾った。
◆2009年
財政問題からF1GPを休止した。
◆2010年
F1カレンダーに復活。41回目のカナダGPは6月13日日曜日に、長いストレートからの減速でブレーキに激しいストレスをかけ、完走率は、ここ数年を見る限り、F1GP開催コースの中で最も低いと言える。4.361 kmのコースで、70周の決勝レースを迎える。